自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

2月最後の日

2017年02月28日 17時45分07秒 | 日記・エッセイ・コラム

 「あれ?2月と3月のカレンダーは同じね」の会話が我が家で。その通りで、カレンダーをめくる手間が省けるみたいだが、3月は31日まであるので、日数が足りない。今夜か明日朝には、2月分は無くなる。今日が、2月最後の日。

 天気が頗る良かったので、「遊びに行くには最適!」と思うものの、行くところもなく計画もない。朝のうちに友人の写真スタジオへ野菜を持って行き、帰りにスーパーを2軒梯子。2軒目のスーパー「フジグラン」では、グラウンド・ゴルフの仲間が待っていた。先日「海鼠(ナマコ)」をおすそ分けしたところ、お返しの品を持って待っていた。「ナマコ」なんて食べてくれる方が少ないので、食べて頂けるだけで嬉しいのに。小さいのが1匹位なら我が家で消費できるが、大きいものや数が増えると困っていた。腐らすわけにもいかず、かと言って捨てることもできず…である。

 広瀬のグラウンド・ゴルフ場は、昨日から「芝のメンテナンス」とのことで、「明日は肥料を散布するから、ボールが黒くなるし来られない方がいいよ」と言われたので、行かずに午後は畑作業。ジャガイモを植える予定の場所に堆肥を鋤き込み、草が生えている所の草取りをした。作業中にグラウンド・ゴルフの仲間がお出でになり、「エビ味噌」を下さった。わざわざ帰りに寄ってくださり「感謝」である。

 畑作業を終えて今、机の前に座りPCでメールをチェックしたところ、26日の「大久野島でのイベント」の感想などの集計が送られてきていた。イベント後のアンケート集約結果としては、「こんなものだな」が正直な感想。でも、「怪我も事故もなく終えた」というのが、最高の結果だろう。私自身も「良い体験・経験となった」と納得。

 明日から3月。奈良公園の2月堂の「修二会」の儀式が終われば春が来る、と言われているが、まだ寒さのピークは過ぎていないのかなあ。早く暖かくなってほしいものだ。ぼちぼち、芦田川の土手に、土筆が頭を出し始めることだろう。2月最後の日のブログである。


第26回瀬戸内エコツアー in 大久野島

2017年02月27日 19時16分13秒 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日26日、標記の「エコツアー」なる事業が、環境省中国四国地方環境事務所広島事務所と大久野島ビジターセンターの主催で開催された。指導依頼を受けて凡そ3か月、メールでのやり取りを重ねて実施・開催されたが、天候にも手助けされた。

 「8時40分忠海港出航の船に乗る」との連絡を受けていたので、福山の宇宙少年団事務所を6時50分に出発した。ツアーの指導者として、呉の「やまと分団」から5名、福山の我々3名の合わせて8名が出向いた。福山から車を走らせること凡そ1時間、8時前には忠海港駐車場へ到着した。8名全員が揃うまでの時間。切符売り場横のショップでコーヒーを飲みながら待った。全員が揃ったところで、本日の代表責任者である「呉やまと分団」の長・臼井先生が音頭を取って顔合わせをした。写真のオレンジ色の着衣の方々が、呉の関係者である。

 その後、大久野島ビジターセンターの方と環境省の自然保護官である関 貴史さんたちが集まられたので、予定していた船に乗り、大久野島へ向かった。船内の写真が、次の写真である。

 船は第一桟橋に着いたので、徒歩2~3分のビジターセンターへ行き、関係者全員での打ち合わせを行った。

 十分な時間があったわけではないが、それでも落ちの無いように打ち合わせて、全員で受付を行う第2桟橋へ向かった。我々は連絡船で島へ来たが、参加者のほとんどはフェリーでやって来た。下船した方々が、三々五々と受付へお出でになられたが、受け付けは主催者側が行うので我々は側で見ているだけだった。

            

 フェリーは忠海港から大三島の盛港への途中で大久野島へ寄るが、ここで車両を降ろしても大久野島島内は車は立ち入れない。ただ、キャンプの客のみが荷物を載せた車を第2桟橋駐車場へ置くことができるようで、3~4台が駐車していた。受付終了後4つの班に分けられて、参加者はビジターセンターへ向かった。途中の“切り通し”で、島の成り立ちと白っぽく見える広島黒雲母花崗岩類の説明をした。この島は全域が「広島黒雲母花崗岩類」でできているため、海岸の砂が白くて美しい。そんな花崗岩の崖の割れ目などに生えている植物(松類)の話を加えながら、老若男女の参加者に分かるように話すのには少々手間取った。また、この島は「ウサギの島」と呼ばれているだけに、かなりの数のウサギがいる。人懐っこいが、餌を持っていないことが分かると直ぐに離れていく。そんなウサギを写してみた。

  

 エコツアーの始まりは、島中央にある“展望台”へ向けての移動(ささやかな登山?)である。この展望台は標高97mの高さにあり、島で最も高い場所である。0mから一気に登るわけだが、途中で何か所か植物についてのレクチャーを入れながらの歩きである。凡そ50名近い団体の移動なので、できるだけ離れないように苦心した。

        

 3枚目・4枚目は「南部砲台跡」の場所で、ここでは「アカシア」の仲間の話がされた。大久野島の歴史は、大きな負の遺産が特徴的に話されるが、それ以前、日露戦争に関して大久野島に要塞(芸予要塞)が設置され、1924年に廃止されたことは余り表に出ていない。その時には、島の北部・中部・南部に設置されたとのことだが、使用することなく廃止された。

 頂上の展望台では、北側に聳える高圧鉄塔の高さを図る活動をさせた。ワークシートを渡しての測定や計算であるが、4年生の子ども達でも測定や計算はやってのけた。226mの鉄塔は聳え立っていて、「登ってみたいなあ」という不思議な感覚を覚えた。また展望台には大久野島の位置関係が一目で分かるように、上を歩ける地図も貼り付けてあった。 

    

 昼食時刻が迫ったので、展望台で記念撮影をして下山した。きつい傾斜のけもの道のような遊歩道を転ばぬように気を付けて下山させたが、途中で「巨晶の長石と石英」が多く見られ、標本にも最適のような物だったので、持ち帰られた方もお出でだった。昼食は“ネイチャーセンター”で全員で摂り、主催者側からは“ブタ汁”が振る舞われた。

 昼食後はゆっくり休憩が出来なかったが、学習コースの関係もあり早々に午後のコースへ出ることに。午後は大久野島に設置してある各種学習のための機器具を使っての体験学習。私の仕事は、「巨晶花崗岩(ペグマタイト)」の説明と、南海岸に設置してある「潮位石」の説明。「ウサギの耳に模した器具」を使っての聞こえ方、結晶の大きな「石英や長石」など、さらには午前中に通った“切り通し”を逆に進んで第二次大戦中の負の遺産「毒ガス兵器製造に係る発電所跡」あるいは「毒ガスを溜めていた倉庫跡」なども見学してもらった。その後「簡易GPS機」を使って緯度・経度を測定して、地球の大きさを知るなど、参加者が興味・関心を深めるような活動をしてもらった。最後に、「大久野島神社の社叢林」について学習させた。

 ここ大久野島神社近くには「毒ガス製造に係って亡くなった方々のための“慰霊碑”」が設置されていた。今回のエコツアーにはなかったのだが、何となく素通りできず立ち寄った。その場所の写真、3枚である。

    

 その後ビジターセンターへ帰り、「まとめの会」と「閉会行事」が行われた。そこでは、私は「大久野島の地質」について、簡単な説明をしておいたが、さてどれ位の参加者が理解してくれただろうか。「あっ、あの時聞いたなあ…」なんて、後日思いだしてくれればそれで良いのだが。

 すべてを終えて、第2桟橋を16時6分に出るフェリーに乗って忠海港へ向かった。下船後、呉の方々と別れて一路事務局への帰路に着いた。島で一番高いところまで登ったり、島を約2周するくらい歩いたり…と、かなりハードな運動になったように思えた。でも、初めに書いたように、天候に恵まれた。寒くもなく、暑くもなく、素晴らしい一日が過ごせ満足した一日であった。


人間ドック

2017年02月22日 15時28分52秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今使用しているプリウス、今年の2月に2回目の車検を受けた。現在6年目が進行中であるが、多少の部品やオイルなどの交換もあり、費用が9万円ほどかかった。これで、向こう2年間は安心して(?)乗れることだろう。

 ところで本日、人間ドックに行ってきた。今回も中国中央病院で検査などを受けたが、車と違って「部品の交換」などは無く、向こう2年間は安心(?)とはいくまい。何せ、生身の体だから。

 「人間ドック」は基本コースであれば19180円の費用で済むが、2年に1回しか受けないのでその都度「オプション」を入れている。今回は「脳検査」「胸部CT検査」「胃カメラ」「ピロリ菌検査」「動脈硬化検査」「頸動脈超音波検査」「内臓脂肪CT検査」「骨密度検査」「緑内障視野検査」を行ったが、この検査費用が55512円要った。合わせると、それでも車検費用よりは安くついたが…。

 8時の受け付け前の7時50分頃に病院へ着いたが、既に3名の方が受付で対応されていた。受付後、更衣室で検査着に着替えて待つこと数分、「MRIへ行ってください」と言われ、放射線科へ。ガンガンと音がうるさいMRIは15分くらいかかったが、「検査結果は後日」とのことだった。健康管理センターで検査する項目がほとんどで、名前を呼ばれるまではじっと待つのだが、これがまた長く感じる。採血・血圧・身体測定などはすぐに済むのだが、視力や聴力など専門的に対応される検査は時間がかかった。外来患者の合間に検査の順番が来るようで、「胃カメラ」や「胸部CT検査」などは、指示された時に検査室へ移動する。それでも時間割で動いているようで、待ち時間はそんなにはなかった。

 終盤ころにある「内科医師の問診」では、まず「心配するような所はない」とのことで、「普通に生活すればよい」と言われた。「胃カメラ」でも、異常は認められなかったが、「ちょっとした荒れがありますね」で済んだ。大腸関係など、内臓に係る所見も「異常なし」であった。最後の検査が「頸動脈超音波検査」だったが、午前中の予定には入らず、「13時からですが、昼食に行かれては?」と言われた。前回の人間ドックでも一人だけ残って午後の検査を受けたが、今回は数名の受診者がいた。13時前までほぼ1時間待機して検査を受けたが、結果は後日送られてくることになっている。過去にも左頸動脈に小さな異常が見つかっていたが、今回も同じ結果だろう。

 すべての検査が終了した後、私服に着替えて支払いを済ませ、ドック費用の内の昼食をレストランで頂いて帰宅した。本音を言えば、「これで安心して生活できるなあ」である。


YAC:2月活動日

2017年02月19日 18時26分18秒 | 日記・エッセイ・コラム

 今日は2月の活動日。会場は“(株)キャステム”の食堂。13時からの受付だったので、12時半前に到着した。キャステムからの参加者2家族がすでにお出でだったが、分団員たちは着いていなかった。同じ時に分団長が到着したので、できる準備を始めておいた。今日の活動テーマは「静電気」。冬場の乾燥した時期に悩まされる「静電気」だが、それを使っての活動である。13時半きっちりに講座を開始した。

  

 いつものように分団長の挨拶にの後、「YAC憲章」を唱和して開会行事を始めた。本日は取り立てての「宇宙講話」はなかった。

 本日は最初に「宇宙クラゲ」なる活動を始めたが、バルーンアートに使う風船を膨らませるのに苦労していた。ポンプが5個しかなかったので順番待ち、自分の口で膨らませることが出来る親は皆無だった。風船を膨らませたのち、「ビニルの紐を細く裂いて静電気を帯びさせた風船で空中に浮かせる」という活動だが、親子で楽しみながら活動している様子が微笑ましかった。少し写真で紹介しておこう。

      

 最初は巧く空中にフワフワ浮いていたが、やがて風船と違う電気を帯びたのか風船に纏わりついていた。色々と作業に工夫を重ねていたが、なかなか巧く行かなかったようだ。飽きた子ども達は風船遊びに興じていたが、リーダーの指導で考えながらの作業に入った。

    

 その後、PPTなどを使っての映像を見たが、「ISS内で、水滴は静電気で引き付けられるか」との説明と解説に見入っていた。「無重力宇宙での不思議」に、興味が湧いていたようだ。

  

 最後にHTVで実験された「宇宙での電気による軌道の修正」のDVDを見たが、この部分は理解不可能だったようだ。

 15時半頃に「閉会行事」になったが、今月も十分に楽しめた活動だったようだ。とくに「ライデン瓶」は面白かったようで、2回目に挑戦する子が複数名居た。静電気の活動中、ず~っとライデン瓶に静電気を溜め続けていたが、「静電気を感じてみたい人」と参加者を募ったら、10数名が手を挙げて出てきた。それぞれが手をつなぎ、最後の一人がライデン瓶を持ち、最初の人が空いている手でライデン瓶のベロに触れると、一気に静電気が流れて少しのショックを受けた。これまで経験したことがなかっただけに、興味津々だったようだ。これだけでも、本日の活動が楽しく過ごせた内容となった。事故なく終えて、一安心。今年度は、次の3月活動が最後となる。思いで多い活動になるよう、我々は頑張らねばならない。


懐かしい車

2017年02月18日 17時52分30秒 | 日記

 今日、PCで懐かしい記事を見た。何でも東京地区で「マツダ車:ロータリー車」の展示会があったとの記事。写真を見ると、懐かしさが郷愁のように蘇った。まず最初の写真は「コスモスポーツ」であるが、この車が発売されたころは私は学生だった。「ロータリーエンジン」という最先端のエンジンを開発して、最初に搭載させたのがこの車「コスモスポーツ」であった。今でも色褪せないデザインは、当時は車の名前の如く「宇宙」をイメージさせた。

  

 2人乗りのスポーツカーだったが、前方から近付いてくる景色は素晴らしかった。金額的にも、経済的にも手が出せるモノではなかったが、ロータリーエンジン開発秘話などを聞くにつけ、我が国の技術が誇らしかった。当時は、自分自身が車を購入してそれに乗るなんて、夢にも思わなかった。

 私が通っていた学部は広島市内の東雲にあり、通学で利用するJR(当時は国鉄)を向洋駅で降り、猿猴川を渡って徒歩通学をしていたが、その際によくこのロータリークーペを見たものだった。卒業後の就職した関係の友人が一度乗せてくれたが、車高は低くシートに座るとフロントが見えづらかったのを覚えている。

 就職後、運転免許を取り、通勤などで車を使うようになったが、購入した車はマツダ車だった。多くの車種を乗り換えたが、「一度はロータリーエンジン車に乗ってみたい」と思っていた。ある時積年の思いが適い「サバンナ・ロータリーワゴン(5ドア)」を購入した。エンジン音はおとなしかったが、馬力はすごかった。初速も早く、アクセルを踏めば直ぐに反応したことを覚えている。が、如何にせん「燃費」が悪かった。ガソリン代が消えてなくなるようで、私の経済力では保有が適わなくなり、早々に手放した。ステーションワゴンの良い写真が見つからなかったのでクーペの写真とともに載せるが、フロントの様子は懐かしく思えた。

   

 現在マツダはロータリー車は生産していないが、燃費や排ガス対策をして「ロータリー車」を大衆車として販売してほしいと思う。今日は、懐かしい車の写真を見ることが出来た。