昨日26日、標記の「エコツアー」なる事業が、環境省中国四国地方環境事務所広島事務所と大久野島ビジターセンターの主催で開催された。指導依頼を受けて凡そ3か月、メールでのやり取りを重ねて実施・開催されたが、天候にも手助けされた。
「8時40分忠海港出航の船に乗る」との連絡を受けていたので、福山の宇宙少年団事務所を6時50分に出発した。ツアーの指導者として、呉の「やまと分団」から5名、福山の我々3名の合わせて8名が出向いた。福山から車を走らせること凡そ1時間、8時前には忠海港駐車場へ到着した。8名全員が揃うまでの時間。切符売り場横のショップでコーヒーを飲みながら待った。全員が揃ったところで、本日の代表責任者である「呉やまと分団」の長・臼井先生が音頭を取って顔合わせをした。写真のオレンジ色の着衣の方々が、呉の関係者である。
その後、大久野島ビジターセンターの方と環境省の自然保護官である関 貴史さんたちが集まられたので、予定していた船に乗り、大久野島へ向かった。船内の写真が、次の写真である。
船は第一桟橋に着いたので、徒歩2~3分のビジターセンターへ行き、関係者全員での打ち合わせを行った。
十分な時間があったわけではないが、それでも落ちの無いように打ち合わせて、全員で受付を行う第2桟橋へ向かった。我々は連絡船で島へ来たが、参加者のほとんどはフェリーでやって来た。下船した方々が、三々五々と受付へお出でになられたが、受け付けは主催者側が行うので我々は側で見ているだけだった。
フェリーは忠海港から大三島の盛港への途中で大久野島へ寄るが、ここで車両を降ろしても大久野島島内は車は立ち入れない。ただ、キャンプの客のみが荷物を載せた車を第2桟橋駐車場へ置くことができるようで、3~4台が駐車していた。受付終了後4つの班に分けられて、参加者はビジターセンターへ向かった。途中の“切り通し”で、島の成り立ちと白っぽく見える広島黒雲母花崗岩類の説明をした。この島は全域が「広島黒雲母花崗岩類」でできているため、海岸の砂が白くて美しい。そんな花崗岩の崖の割れ目などに生えている植物(松類)の話を加えながら、老若男女の参加者に分かるように話すのには少々手間取った。また、この島は「ウサギの島」と呼ばれているだけに、かなりの数のウサギがいる。人懐っこいが、餌を持っていないことが分かると直ぐに離れていく。そんなウサギを写してみた。
エコツアーの始まりは、島中央にある“展望台”へ向けての移動(ささやかな登山?)である。この展望台は標高97mの高さにあり、島で最も高い場所である。0mから一気に登るわけだが、途中で何か所か植物についてのレクチャーを入れながらの歩きである。凡そ50名近い団体の移動なので、できるだけ離れないように苦心した。
3枚目・4枚目は「南部砲台跡」の場所で、ここでは「アカシア」の仲間の話がされた。大久野島の歴史は、大きな負の遺産が特徴的に話されるが、それ以前、日露戦争に関して大久野島に要塞(芸予要塞)が設置され、1924年に廃止されたことは余り表に出ていない。その時には、島の北部・中部・南部に設置されたとのことだが、使用することなく廃止された。
頂上の展望台では、北側に聳える高圧鉄塔の高さを図る活動をさせた。ワークシートを渡しての測定や計算であるが、4年生の子ども達でも測定や計算はやってのけた。226mの鉄塔は聳え立っていて、「登ってみたいなあ」という不思議な感覚を覚えた。また展望台には大久野島の位置関係が一目で分かるように、上を歩ける地図も貼り付けてあった。
昼食時刻が迫ったので、展望台で記念撮影をして下山した。きつい傾斜のけもの道のような遊歩道を転ばぬように気を付けて下山させたが、途中で「巨晶の長石と石英」が多く見られ、標本にも最適のような物だったので、持ち帰られた方もお出でだった。昼食は“ネイチャーセンター”で全員で摂り、主催者側からは“ブタ汁”が振る舞われた。
昼食後はゆっくり休憩が出来なかったが、学習コースの関係もあり早々に午後のコースへ出ることに。午後は大久野島に設置してある各種学習のための機器具を使っての体験学習。私の仕事は、「巨晶花崗岩(ペグマタイト)」の説明と、南海岸に設置してある「潮位石」の説明。「ウサギの耳に模した器具」を使っての聞こえ方、結晶の大きな「石英や長石」など、さらには午前中に通った“切り通し”を逆に進んで第二次大戦中の負の遺産「毒ガス兵器製造に係る発電所跡」あるいは「毒ガスを溜めていた倉庫跡」なども見学してもらった。その後「簡易GPS機」を使って緯度・経度を測定して、地球の大きさを知るなど、参加者が興味・関心を深めるような活動をしてもらった。最後に、「大久野島神社の社叢林」について学習させた。
ここ大久野島神社近くには「毒ガス製造に係って亡くなった方々のための“慰霊碑”」が設置されていた。今回のエコツアーにはなかったのだが、何となく素通りできず立ち寄った。その場所の写真、3枚である。
その後ビジターセンターへ帰り、「まとめの会」と「閉会行事」が行われた。そこでは、私は「大久野島の地質」について、簡単な説明をしておいたが、さてどれ位の参加者が理解してくれただろうか。「あっ、あの時聞いたなあ…」なんて、後日思いだしてくれればそれで良いのだが。
すべてを終えて、第2桟橋を16時6分に出るフェリーに乗って忠海港へ向かった。下船後、呉の方々と別れて一路事務局への帰路に着いた。島で一番高いところまで登ったり、島を約2周するくらい歩いたり…と、かなりハードな運動になったように思えた。でも、初めに書いたように、天候に恵まれた。寒くもなく、暑くもなく、素晴らしい一日が過ごせ満足した一日であった。