自然・宇宙・地球・旅から人生を顧みる

自然や宇宙、旅が好きな私のブログです。色々な体験など、日々の出来事について日記風に綴ってみます。

改元:平成から令和へ

2019年04月30日 09時06分07秒 | 日記

 今日が平成最後の日。現天皇が退位の意思を示されて、法律改正の後“退位”が現実となった。思い起こせば、昭和天皇の崩御によって“昭和”から“平成”へ改元された時、私は広島県教育委員会・福山教育事務所指導主事として勤務していた。その時が「改元」の時だったことを思い出した。当時は西暦と元号の使用で社会は混とんとしていたが、使う側は元号であったり、西暦であったり、併記であったり、その状況は今とは変わりない。

 この度の改元は、あの当時のような“暗さ”はない。しかし、元号が替わるたびにいろいろな状況が醸し出される。

 平成こぶし街道沿い、津保川のほとりに建設された「道の駅・平成」(日本花街道センター)は、日本平成村のコミュニティーの核となる施設である。
様々な物が展示されたギャラリー、中濃地域の観光や特産物を紹介販売する、ふるさとコーナー、飲食コーナーなどがある。ドライブの休憩にのんびりくつろぐことができる。

 「道の駅・平成」は、平成(へなり)という地区にある。元号が「平成」になったことで一躍銘を馳せ、山里に観光客が溢れたという。いわゆる「村起こし、町起こし」の契機となったようだ。

  熊本市中央区にあるJR豊肥線「平成駅」は29日、改元を前に、鉄道ファンや家族連れでにぎわった。過ぎゆく時代を惜しみつつ、入り口に掲げた看板の下で記念撮影をしたり、「ありがとう平成」と刻んだスタンプを押したりしていた。

 「平成駅」は記事の通り、「平成を名残惜しむ」干渉に浸る場所となったようだ。

 この他にも、個人の名前に係ったり、様々な繋がりが見えてくる。面白いというか、歴史を感じるというか、そこに様々な人々の営みや関りが見えてくる。

 私の生活には、元号の改正による変化は全く見えてこない。現在の世の中では、改元が人々の生活に大きく影響することはないだろう。朝刊に4ページに及ぶ特集が組まれていたが、変化と言えばそれ位か。でも、それを「記念に取っておこう」という思いはない。「昭和~平成~令和」の3代を生きるが、「令和~〇〇」の、“〇〇”はないだろう。

 新聞のTV欄を見ると、今日は改元にまつわる番組が目白押しである。どこの放送局も殆ど同じ内容だろうが、出演者が違えば少しずつは違いが見えるだろうか。朝のニュースでは、「雨の中二重橋前の広場には人が集まりつつある」とあった。また、「平成最後のホームラン(プロ野球)は、誰が打つだろうか」というのもあった。どうやら、ニュースには事欠かないようだ。

 私も、「平成最後のブログ」をこうして書いている。明日からは「令和元年」である。「元年」、何だか若返ったような気もする。

 


畑らしくなりました

2019年04月19日 17時25分31秒 | 日記

 今日は4月19日(金)。昨日と変わっての曇り空。それでも気温は上がり、現在室温20℃。

 日々、“グラウンド・ゴルフ”に明け暮れて、畑の作業は滞りがち。それでも合間を見つけてせっせと作業を続け、種をまいたり苗ものを植えたりで結構忙しい。雨も降らないので、水やりも大変である。昨秋は肥料のやり過ぎで作物はすべて枯れてしまった。その後、石灰を撒いておき、管理機で鋤き込んだ。畑の土がどうなったかは良くわからないが、14日の日曜日に苗ものを購入した。「トマト」・「ナス」・「ピーマン」・「キュウリ」・「メロン」などを畑に植えた。それが次の写真である。

  

 はじめは畑の東側の様子で、次が西側の様子である。すでに植えていた「ジャガイモ」は二畝芽が出てきたので、勢いの良い芽を残して間引きをしなければならない。

 定植した苗にはキャップを被せて霜対策をしておいたが、これだけ気温が上がればもう大丈夫だろう。明日か明後日には、キャップを外しておこう。

 スナップエンドウの苗が思うように育たないので、今年の収穫が心配である。

 本当は農作業の合間にグラウンド・ゴルフをするのが正しい(?)のだろうが、現実はグラウンド・ゴルフの合間の農作業だから、収穫なんて望めない。が、植えておけば何とか口に入るくらいは育つので、無農薬野菜を食べることはできるだろう。5月の“10連休”開け頃には、この畑の様子はどうなっているだろうか。楽しみである。


「醍醐桜」の見物

2019年04月09日 19時24分13秒 | 日記・エッセイ・コラム

 朝8時前に家を出て、同行する友人を二人迎えに行き、「醍醐桜」へ車を進めた。R182を東城まで走り、道の駅でトイレ休憩。その時西側の山を見ると、白い塊が点々と見えていた。「んっ、シラサギ?」と思ってみると、かなりの数の白い鳥が留まっていた。大きさから推察すると「ダイサギ」のようだが、遠目ではっきりと確認はできなかった。(写真)

 その後、中国自動車道を北房ICまで走り、R313から県道84を北上した。佐引で左折して醍醐桜への山道に入ったが、初めの頃はスムースに流れた車も、醍醐桜へ500m位のところから渋滞。結果的には40分余りを要して駐車場へ着いたが、駐車場が空いた数だけしか動かさないシステム。まあ、確実に駐車できる状況なので「それも良し」か。もう随分の年数訪問していなかったが、周辺は素晴らしく手入れされていて、見物する環境は良かった。随分渋滞した割には、醍醐桜の周りは混雑していなかった。丁度満開時期を迎えたようで、遠目にも近寄ってみても素晴らしかった。説明版にも記載されている通り、ここを後醍醐天皇が訪れた記録はなく、伝聞が今に伝わっているようである。

        

 5枚目の写真の3人が、本日同行した友人と家内である。

 このあたりの集落も無人家が増えているように見えたが、正に山中の集落であり、TV番組で人気のある「山の中の一軒家」に近い環境でもある。

 次の写真は「2代目醍醐桜」と、その前で撮影した本日の同行者。

 また、売店近くには「宇宙桜」と説明されている一本の桜の木があった。まだ幼樹のようだが、説明版には次のように書いてあったが、一部適当な修正がされていた。

  

 何でも種がISSまで運び込まれ、しばらくの間ISS内で保管されていたようで、宇宙線の影響があればーとのことのようだ。これからは、特異点がないかどうか観察が続けられることだろう。

 40分余り滞在して、友人のお兄さんが経営参加している佐引の食堂へ向かった。以前は「カタクリ」などが見学できるスペースにテントを張られて営業されていたが、空間が狭いので向かい側にある多目的スペースとしての建物で営業されていた。最初にカタクリなどの植物を観察していると、見覚えのある方がお出でだった。「〇〇さんのお兄さんですか?」と聞くと、「ああ中村さんですね。預かっているものがあります」と言われた。そこで食堂のほうへ移動することとなったが、ご夫婦と手伝いの方(1名だったようだが)とで、お忙しくされていた。

 観察できた「カタクリ」と「ニリンソウ」の写真を載せておこう。

    

 ここで昼食を摂って、その後県道84号を北上し、R181を走って新庄村へ向かった。

「醍醐桜」

 標高の高い山里の丘陵にあって、堂々と天に向かって聳え立つ孤高の一本桜である。県下一の巨木と言われ、新日本名木百選にも選ばれた見事な桜である。目通り7.1m、根本周囲9.2m、枝張り東西南北20m、樹高18m。種類はアズマヒガン(ヒガンザクラの一種)で、昭和47年12月岡山県の天然記念物に指定された。樹齢については1000年と言われている。

 伝説によれば、元弘2年(1332年)、後醍醐天皇が隠岐配流の際にこの桜を見て賞賛したといわれ、この名がついた。また、地元の人が総出で見送ったという「大勢坂(おおぜいざか)」の地名も残っている。

 

 新庄村までの道中には「美甘」など桜並木も結構あるが、気温が上がらないためかまだ蕾は膨らみが少なかった。また昨年の豪雨の影響か、土砂崩れの現場に多く出くわした。新庄村に入ってすぐ、「ヒノキの猫砂」を作っている工場を見つけた。3年前になるか、19年11か月で命が切れた「レオ」が使っていたものである。懐かしさを感じた。

 新庄村には「凱旋桜」の並木がある。ちらほら蕾も開花しかけていたが、満開にはまだ時間が必要のようだった。

  

 道の駅に観光バスが一台止まっていたが、その客だろうか大勢の観光客が道路を埋めていた。

    

 桜の蕾は開花までまだ時間が掛かりそうだったが、「凱旋桜祭り」は14日に予定されているので何とか間に合うかなあ。路上は掃き清められていて、チリ一つ落ちていなかった。道の両側には水路が流れていて、所々に溜め枡が設えてあり、大きな鯉が泳いでいた。これだけの鯉を飼育するのもなかなか大変だろう、と思った。

 がいせん桜通りには「脇本陣木代邸」があり、内部は公開されている。久しぶりに内部を観察したが、天井の低さが印象的だった。また、奥の土間には醤油樽でできた電話ボックスがあった。

 座敷の奥まったところに「厠」と「風呂」があったが、風呂は桶状で沸かした湯を満たすことで入浴できる代物であった。不思議なことに、風呂場の壁(板壁だが)に、「刀掛け」が設えてあった。刀持参で入浴したのだろうか。

 見学の後、道の駅で“コーヒータイム”。その後R181を根雨に向けて走る。このルートはくねくねとカーブが多いが、その昔は「四十曲峠」と呼んだようだ。その呼び名は今も残っているが、この四十曲峠は鳥取県との県境にある峠で、かつては「東の箱根、西の四十曲」と言われたほどの、出雲街道で一番の難所だったようだ。今でも積雪期の通行には苦労している。

 根雨に出た後、黒坂・日南を経て岡山県に入り、新郷・足立・神郷を経て道の駅「鯉ケ窪」で小休止。その後R182で福山へ帰った。無事、帰宅できて一安心。明日は、天気が崩れるとか。本日は、天候に恵まれた。


年度初め早々新元号

2019年04月02日 08時31分43秒 | 日記・エッセイ・コラム

 4月1日早々に、「新元号」が発表された。「令和」となった元号、昭和・平成と生きてきて三代目。あとどれ位生きるやら。

 記録に残すためにブログに残しておこうと思い、本日書いている。この新元号は、5月1日施行される。

新元号「令和(れいわ)」

 出典は「万葉集」巻五、梅花の歌三十二首并せて序

 引用文 初春令月、気淑風和、

       梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香

 書き下し文 初春の令月にして、気淑く風和ぎ、

         梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫らす

 現代語訳(中西進著「万葉集」から)

       時あたかも新春の好き月、空気は美しく風はやわらかに、

       梅は美女の鏡の前に装う白粉のごとむ白く咲き、

       蘭は身を飾った香りの如きかおりをただよわせている

 

 何はともあれ、慣れるのが先だろう。