朝8時前に家を出て、同行する友人を二人迎えに行き、「醍醐桜」へ車を進めた。R182を東城まで走り、道の駅でトイレ休憩。その時西側の山を見ると、白い塊が点々と見えていた。「んっ、シラサギ?」と思ってみると、かなりの数の白い鳥が留まっていた。大きさから推察すると「ダイサギ」のようだが、遠目ではっきりと確認はできなかった。(写真)
その後、中国自動車道を北房ICまで走り、R313から県道84を北上した。佐引で左折して醍醐桜への山道に入ったが、初めの頃はスムースに流れた車も、醍醐桜へ500m位のところから渋滞。結果的には40分余りを要して駐車場へ着いたが、駐車場が空いた数だけしか動かさないシステム。まあ、確実に駐車できる状況なので「それも良し」か。もう随分の年数訪問していなかったが、周辺は素晴らしく手入れされていて、見物する環境は良かった。随分渋滞した割には、醍醐桜の周りは混雑していなかった。丁度満開時期を迎えたようで、遠目にも近寄ってみても素晴らしかった。説明版にも記載されている通り、ここを後醍醐天皇が訪れた記録はなく、伝聞が今に伝わっているようである。
5枚目の写真の3人が、本日同行した友人と家内である。
このあたりの集落も無人家が増えているように見えたが、正に山中の集落であり、TV番組で人気のある「山の中の一軒家」に近い環境でもある。
次の写真は「2代目醍醐桜」と、その前で撮影した本日の同行者。
また、売店近くには「宇宙桜」と説明されている一本の桜の木があった。まだ幼樹のようだが、説明版には次のように書いてあったが、一部適当な修正がされていた。
何でも種がISSまで運び込まれ、しばらくの間ISS内で保管されていたようで、宇宙線の影響があればーとのことのようだ。これからは、特異点がないかどうか観察が続けられることだろう。
40分余り滞在して、友人のお兄さんが経営参加している佐引の食堂へ向かった。以前は「カタクリ」などが見学できるスペースにテントを張られて営業されていたが、空間が狭いので向かい側にある多目的スペースとしての建物で営業されていた。最初にカタクリなどの植物を観察していると、見覚えのある方がお出でだった。「〇〇さんのお兄さんですか?」と聞くと、「ああ中村さんですね。預かっているものがあります」と言われた。そこで食堂のほうへ移動することとなったが、ご夫婦と手伝いの方(1名だったようだが)とで、お忙しくされていた。
観察できた「カタクリ」と「ニリンソウ」の写真を載せておこう。
ここで昼食を摂って、その後県道84号を北上し、R181を走って新庄村へ向かった。
「醍醐桜」
標高の高い山里の丘陵にあって、堂々と天に向かって聳え立つ孤高の一本桜である。県下一の巨木と言われ、新日本名木百選にも選ばれた見事な桜である。目通り7.1m、根本周囲9.2m、枝張り東西南北20m、樹高18m。種類はアズマヒガン(ヒガンザクラの一種)で、昭和47年12月岡山県の天然記念物に指定された。樹齢については1000年と言われている。
伝説によれば、元弘2年(1332年)、後醍醐天皇が隠岐配流の際にこの桜を見て賞賛したといわれ、この名がついた。また、地元の人が総出で見送ったという「大勢坂(おおぜいざか)」の地名も残っている。
新庄村までの道中には「美甘」など桜並木も結構あるが、気温が上がらないためかまだ蕾は膨らみが少なかった。また昨年の豪雨の影響か、土砂崩れの現場に多く出くわした。新庄村に入ってすぐ、「ヒノキの猫砂」を作っている工場を見つけた。3年前になるか、19年11か月で命が切れた「レオ」が使っていたものである。懐かしさを感じた。
新庄村には「凱旋桜」の並木がある。ちらほら蕾も開花しかけていたが、満開にはまだ時間が必要のようだった。
道の駅に観光バスが一台止まっていたが、その客だろうか大勢の観光客が道路を埋めていた。
桜の蕾は開花までまだ時間が掛かりそうだったが、「凱旋桜祭り」は14日に予定されているので何とか間に合うかなあ。路上は掃き清められていて、チリ一つ落ちていなかった。道の両側には水路が流れていて、所々に溜め枡が設えてあり、大きな鯉が泳いでいた。これだけの鯉を飼育するのもなかなか大変だろう、と思った。
がいせん桜通りには「脇本陣木代邸」があり、内部は公開されている。久しぶりに内部を観察したが、天井の低さが印象的だった。また、奥の土間には醤油樽でできた電話ボックスがあった。
座敷の奥まったところに「厠」と「風呂」があったが、風呂は桶状で沸かした湯を満たすことで入浴できる代物であった。不思議なことに、風呂場の壁(板壁だが)に、「刀掛け」が設えてあった。刀持参で入浴したのだろうか。
見学の後、道の駅で“コーヒータイム”。その後R181を根雨に向けて走る。このルートはくねくねとカーブが多いが、その昔は「四十曲峠」と呼んだようだ。その呼び名は今も残っているが、この四十曲峠は鳥取県との県境にある峠で、かつては「東の箱根、西の四十曲」と言われたほどの、出雲街道で一番の難所だったようだ。今でも積雪期の通行には苦労している。
根雨に出た後、黒坂・日南を経て岡山県に入り、新郷・足立・神郷を経て道の駅「鯉ケ窪」で小休止。その後R182で福山へ帰った。無事、帰宅できて一安心。明日は、天気が崩れるとか。本日は、天候に恵まれた。