徒然草

つれづれなるままに、日々の見聞など、あれこれと書き綴って・・・。

映画「怒 り」―人は人を信じられるか信じられないか、さまよう魂の交差するとき―

2016-09-19 14:30:00 | 映画


 原作吉田修一、脚本・監督李相日、音楽坂本龍一のコンビネーションによるヒューマンドラマだ。
 小さな地域や共同社会に、見知らぬ闖入者がいる。
 誰とでも親しくなるが、その人間に全幅の信頼をおけるものだろうか。
 この作品では、その信頼は揺らぎ始める。
 その先に、ひとつのテーマを見据えている。
 映画は3人の容疑者をめぐるミステリーだが、ただの謎解きドラマではない。

 李相日監督の6年前の作品「悪人」と同じく、同じスタッフで映画化した。
 ある殺人事件に端を発するこのドラマは、大きなミステリーに対峙する李相日監督が、人間を信じられるかという問いかけと向き合って、追い詰められていく人間たちを描いた、重厚な群像劇だ。







ある夏の日、東京八王子で起こった夫婦殺人事件から物語は始まる。
殺人現場は、凄惨を極め、被害者の血で書かれたと思われる「怒」の文字が残されていた。
犯人は整形して逃亡し、行方は杳として知れなかった。
それから1年後の夏である。
千葉、東京、沖縄と三つの場所に、素性の知れない男たちが現われる。

千葉の港町で働く洋平(渡辺謙)は、家出していた娘・愛子(宮崎あおい)を連れて帰ってくる。
愛子は、漁港で働きはじめた田代(松山ケンイチ)という男と親しくなる。
東京のある大手広告代理店に勤める優馬(妻夫木聡)は、たまたま知り合った住所不定の直人(綾野剛)と親しくなり、同棲する。
直人は、末期がんを患う優馬の母・貴子(原日出子)や友人と親しくなっていく。
沖縄の離島に母親と移住してきた女子高生の泉(広瀬すず)は、島を散歩中ひとりでサバイバル生活をしている田中(森山未来)と会う。
泉は、気兼ねなく話せる田中に心を開いていく。
ある日、彼女は同じ年の辰哉(佐久本宝)と訪れた那覇で、事件に遭遇し、立ち上がれないほどのショックを受ける・・・。

この3つの物語は、犯人指名手配のポスター、警察からの連絡、また米兵によるレイプ事件などをきっかけに動き始める。
そして、親子やゲイ・カップル、地域内の密接な人間関係に、徐々に不振の芽生えを増幅させていく。
冒頭の殺人事件の犯人は誰か。
この犯人探しのサスペンスが、事件とまるで関係ないかのような三つの物語を一方で詳しく紡ぎながら、それらが、いかにも事件と関係があるかのように見せようとしている。
この作劇法はなかなかである。

三つの物語を縫い目なくつないでいく編集は、見事だ。
千葉、東京、沖縄と、三つのパートに分かれて交わることのないドラマが、並行して映し出される。
この三つのパートのドラマを、殺人事件という大きな闇が揺さぶり続けるのだ。
「怒」という血文字を残した犯人は、整形して逃亡する。
そして、前歴不詳の怪しげな青年が登場する。
各パートの物語を補完させ合うように、映画全体を貫いているのは感情のつながりだ。

身元不詳の男たち、田代も直人も田中も、どこかみんな怪しい。
愛子も洋平も優馬も泉も、みんなそう思っている。
そうした疑心暗鬼が、彼らの心を蝕んでいくとき、自分たちが築き上げてきた関係が崩れ始めていくのだった。
李相日監督映画「怒 り」は、映像的連想とともに、画面をテンポよく、三つの物語を横断しながら、つなぎ、展開していく。
観ている方は、3本分の映画を観ているような気分になる。

吉田修一の原作は、いまの時代にどういう問題が噴出しているかをきっちりとらえて、小説に落とし込んでいる。
映画は〈怒り〉について、特定の答えをどこにも出していない。
八王子の殺人事件について、詳述もない。
人を信じるとはどういうことか。本質的な問いかけがある。
各物語は揺らぐ信頼を核に、巧みにテーマを収斂していく。
信じることの困難と、尊さをテーマにした作品で、日本映画界を代表する実力派が多数出演とあって、見どころも満載、それだけでも壮観だ。
総じて演技、演出にも傑出したものを感じるし、骨太の圧倒的な力作と認めても、個人的な印象度はさほど深くない。
ミステリーとしての構造も、あまり前例がなさそうだし、この映画としての着地点は何だったのか。
少なからず、疑念の残る作品だ。
      [JULIENの評価・・・★★★★☆](★五つが最高点
次回は日本映画「オーバー・フェンス」を取り上げます。