日本は義務教育がきちんとしているから、識字率が高く一定以上の教育された人の数が多いと聞きました
最近になって思います
きちんと教育をすることが大事なことなのであれば、結婚をすることについてもきちんと教育をして学校なり、そういうものを成り立たせる機関があって良いのではないかと
結婚と言う制度が問題なのであれば、生き物としての種の保存を司る、そういう勉強なり、学習なりがきちんとされてても良いのではないだろうかと思います
そう言うと、おそらく結婚と学習は違うと言うかたがいらっしゃるでしょうね
私は思います
結婚行為(子孫繁栄)と一般学習を教育として区別しないといけない理由はどこにあるのでしょうか?
話がやや逸れますが、
「女性の地位」という言葉も 考え方が何か違うものを意識なさってるのでは?と
そもそも「男性の地位」も「女性の地位」も存在しない気がしますがね
視点が「意識操作的な何か」を感じます
人間を哺乳類の動物の中に置いて意識しないからでは?
人を機械か何かと同一視すると破滅しますよ、きっと
人は人間という動物として考えるべき、と感じます
そもそも、教育機関と言うのは、社会的な人間の営みを教えることが重要視されているからであって、人が生きるために必要なことを学ばせる事だと言って良いのではないでしょうか
人が生きるためには、未来に自分たちの子孫を引き継いでいってもらう事は、労働と同等か或いはそれ以上に重要なことでは無いのでしょうか?
ならば、そこをきちんと整理して、未来につないでいけるような教育機関なり、学習できるところを1つの人種単位の「国家」というものがもっと力を入れて進めていくべきではないのでしょうか
日本国は既に遅いと言う方もいらっしゃると思います
そこについては、ある意味わかるのは、今はAIが進化しているため、人間が学習をしなくても成り立っていく時代に突入していると言う事
つまり、人がいなくなっても構わない世の中に変化していっていると言う事
今考えないといけないのは、それでいいのかどうかも含めてなのではないか
そう思うのです
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます