人間も機械も古い方が作りが単純で役に立つ。
それは車を考えたらわかる。
昔、ホンダダックスに乗ってた。
70CCの小さなバイクだ。
パワーがないのでキャブレターを分解して掃除した。
それからエンジンからマフラーを外してエンジンをかけてみたら爆音が激しすぎて困った。
空気の流れをもっとスムーズにできないか、と思ったから。
そんな単純なものではないなとその時 理解した。
次はSUZUKIのRZに乗ってた頃はエンジンのガスケットを外して掃除したりした。
ガスケットを取り付ける時にボルトを回す力を入れすぎて捩じ切ってしまいオジャンにした。
あの時が「なんでぇ!!」と思った。
次はカローラ30。
ツインキャブレターを外して掃除しようとしたが、今度は流石に間違うと面倒なのでやめた。
自分で色々といじってみると愛着も湧くし、故障の時に自分で だいたいの修理の予想がつく。
簡単なことなら自分で直せそうなこともあるだろう。
今の車は一切無理。
部品からして既に電気製品だし、それも単純な構造ではない。
愛着というよりも、依存するしかないどこか何かの別物。
自分のものというよりも、気分は「借り物」だな。
車だけでなく、生活の中で多くのものにそう感じる。
手作りではないから、どこかのよその星の物質か?レベル。
もし自分の身体がそうなら、「いらないかな」とすら思うだろうな。
時代が、環境が他人のものになっていく。
昔は良かった。
古い方が良かった。
現代社会ではそういう印象を感じる。
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