今日、山口県光市で起きた母子殺人死姦事件の最高裁弁論が結審した。
弁論続行認めず結審 山口県光市の母子殺人で最高裁 (産経新聞)
http://www.sankei.co.jp/news/060418/sha072.htm
この世の中に、真に邪悪な人間は存在するか?
個人的には、そう言う純粋なモノは存在しないように思う。
悪とは何だろう。善とは何だろう。子供の頃から何度もそう考えてきた私は、
立場の相違に過ぎないと、そう考えるようになった。
ただ世の犯罪者と呼ばれる人たちは、彼等の育った環境や、素養など周囲の環境によって
犯罪行為を犯罪と感じなかったり、判らなかったり、気付かなかったり、
それらを事も有ろうに幸福に感じたり、快楽を感じるようになってしまった哀れな人たちなのだろう。
一般に犯罪行為がその人自身の心の中で完結する限りは、犯罪ではないし
(例:犯罪行為を色々行っている我が社の役員を、燃えさかる電気椅子にかけた様子を何度想像しても、私は何の罪にもならない)
自殺に関しては、『自殺は他人に迷惑をかけないならOKだが、心中は他人を巻き込むので駄目』など、
基本的に、そんなに人を傷つけたり殺したいなら、自分自身を傷つけたり殺してみるとかすればいいのに。と私は思っている。
それとも、自分を傷つけるのは嫌だが、他人をどうしても傷つけたい、殺したいというのなら、
どうせなら世のため人のためなので、朝鮮半島へ1人で乗り込んでいっての『ぴー』とか『ぷぷぷー』を殺してこいと思うのは私だけだろうか。
もし、其れをやってのけた犯罪者がいたならば、私は心から拍手喝采し『ビバ、マンセー』と叫んで、その人の助命嘆願でも、何でもしてやろうと思う。
まぁ、そんな心意気のある人間は恐らく、犯罪者にはならないだろうが。
さて、これまでにブログ(前ブログ含む)の中でも触れてきたように、
『あー、あなたはなんて哀れな人なんでしょう。全ての人間は、神だか仏だかの前では平等で、きっと救われるのです。
人間は生まれ変われる事が出来るのです。あなたに更生する機会を与えましょう』なんて、私は殺されても思ったりしないわけだが。
人が育つ周囲の環境などによって、人は聖人にもなるし、普通の人にもなるし、犯罪者にもなるのである。
日本はどうも『罪を憎んで、人を憎まず』という時代遅れの名言が、まだまだ生き残っているようである。
これらは、少年法のような激甘の法律が未だに残っている理由の一つだろうし、
他の犯罪でも甘い罰則の条文が残っている事もそうだろう。
古き良き時代の『死語』として、今後は取り扱っていかねばなるまい。
以前、このブログのコメントに、『残酷な刑罰は』と指摘を頂いたことがある。
幾つかの点については、同意する。ただ、残酷な刑罰は、やはり存在するべきなのだ。
田嶋陽子あたりが何とほざくかは、私は知らんが。
事件から1年後、犯人が友人に宛てた手紙の中身が、検察によって提出されているが、
犯人はその手紙の中で、殺意を持って殺している事を述べている。
また、犯人は1,2審では、検察側の内容を認めているのである。
最高裁に入り、死刑の可能性が出てきてから違うようなことを、くどくどと述べてきても、
何処に信頼性が有るであろうか。
どのような事件が行われ、どのように逮捕され、今に至ったのかを含めて、
伏せる部分は伏せて頂いて、新聞各社には是非ともその手紙の内容を、遺族の方が許されるなら大々的に公開して欲しいモノである。
そして 少年法なぞ無くなってしまえ。
他人を幸『福』を奪った犯罪者を陰で支えている人たちがいる。弁護士の存在である。
かれらは薬に作用することも勿論多い、そして犯罪者を正当な量刑に導くために必要な人たちであることは認めよう。
ただ程度に拠るが、今回はただの毒にしかなっていない。
弁護士 安『田』好弘。 今回の事件を担当している弁護士だが、私は一言言いたい。
あなたは、弁護士としてきっと正しいことをしているのだろう。だが、『考』えて欲しい。
ただ恐らく、あなたが今回の弁護の過程で、犯人に『行』なったであろう入れ知恵や
あなた自身の信念の所為で、いまさらのように犯人が更生するような素振りをさせていることは、同じ日本人として耐え難い。
特に、死姦について、あなたは死んでから犯しているので『強姦罪』にはならないといっているが、
(TVで確認したので間違いない)自分が何を言っているのか、本当に判っているのか?
私はあなたが『純粋な日本人でないこと』を心から祈らずにはいられない。
どうか、安田好弘さんが、日本人ではありませんよう。
本村 洋さん。 あなたの願いが叶えられますように、
そして、あなたの信じる正義が速やかに実行されますことを、私は心から祈ります。
あなたの心とあなたを愛し、あなたが愛された家族に、心の救済がありますように。