僕のリズムを聞いとくれ

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30年前のこと・・・

2011年05月08日 | 本当の金輪
母の愛読書だった、『最新俳句歳時記』(山本健吉編)の<夏>を探しに書斎に赴く。
「赴く」というほどの空間的な距離感はないのだが、心理的、時間的な距離感がけっこうあるのと、子供たちの不要物が堆積しており、なかなか中に入る勇気さえ失せる場所となっているので、あえて、この言葉を選んでみた。

結局、目的の書物はなかったのだが(<秋>と<新年>は見つかった)、いろいろな書物が目に止まり、寝室に持ち込んだ。

『MOUNTAIN TASTING』(種田山頭火の『草木塔』の英訳)
『創造者になるためのおおざっぱなルール』
『退屈論』
『冒険手帳』(復刻版)
『コピーの全部』
『北陸の峠』(北陸再発見シリーズ7)
『金輪』

上記の中で、『MOUNTAIN TASTING』は近いものを青空文庫で見つけ、xperiaにダウンロードして、今日見だしていた。英語の勉強と俳句の勉強を兼ねる一冊ではないかなぁ。

さて、今、時間をかけてザラリと眼を通したのが、「カテゴリー」の通り『きんりんvol.4』(このvol.は表紙に<きんりん>とひらがなで表記してある)である。
1982年8月から年末にかけてボクの下宿においてあった、「雑記帳」である。
知る人ぞ知る金沢大学サイクリング倶楽部の部室に置いてある「雑記帳」『銀輪』の姉妹版と勝手に昔言っていた「雑記帳」である。
ボクの雑記やよく下宿を訪れてくれていた部員の言葉が散りばめられている、本音いっぱいの青春の落し物のようなものだ。

さて、その中の、
10月3日(日)17:51の雑記を掲載しよう。
~~~~~~以下本文~~~~~~

1年間探していた本が1982年4月20日に再発行していた。
第一刷発行が1954年8月25日。今年出たそれは第24刷。
うれしい! それは、B.ラッセルの『数理哲学序説』である。
これは、カントールの創設した集合論の発展とその補説的内容をもつものである。
つまり 19世紀後半世紀までタブーとされていた無限というものを考え、説いた集合論は数学の基礎を成り立たしめた。ところがカントールの集合論の矛盾が後に明らかにされ、数学というものが根本から揺らいだ。
その矛盾を解消-現在未だ、根本て見には解消されていない-しようと試み、企てられた数学基礎論には3つの立場がある。
それは、論理主義、形式主義、直観主義である。その中の論理主義的立場をとっているのが、ラッセルなのだ。
論理主義とは「数学の概念はすべて論理学の基本概念で定義され、数学の命題はすべて論理学の基本命題から、論理学の法則によって演繹されるものである」という立場を取ることである。
つまり、この本は、数学基礎論の論理主義的立場における「入門書」ということになろうか・・・。
近年、このような様々な学問領域において、その学問の基礎を再考しようという風潮が高まってきた。
しかし、何もかも虚しい議論になってしまう。もし、その「基礎の根本の基礎」(適切語みつからず)考え合わせていないなら。
M.Heideggerによると、それは「存在」について明らかにすることによって意味をなすのだそうです。
数学科の僕にとって、数学の「基礎の根本の基礎」を明らかにし、その上に数学の「基礎の根本」を積み上げ、その後に数学の「基礎」を打ち立て、数学のある分野に突入することが大切なように思われます。
そういう意味で、この一年間(あるいは秋休みの-可能性小)、偉大なる過去の偉人達の考えを基に、自分自身の方法(適切語みつからず)を展開し、専門の授業に望むことが大切だと思われます。
しかし、難解過ぎる。
ひょっとすると、教養の一年半はこのためにあるのかも・・・。
すると僕はなんという、取り返しの付かぬことをしたのだろうか・・・。

~~~~~~~以上本文~~~~~~~~

おお、今では、この基礎論を、数学がイヤになった、理由として用いています。
そして、二律背反を否定した『直観主義』を崇拝していました。竹内外史先生に会いたく思っていました。

1983年にNHK教育のYOUという番組、確か、土曜の午後10時半からの60分番組、この司会者が当時飛ぶ鳥だったコピーライターの糸井さんでした。

そして、この数年後、「中也」との再会や、「山頭火」との出会い、そして、友川カズキとのはち合わせがあるのです。

そして・・・・。


『論理的思考は直観の後を追う』なるテーゼを愛し、今に至っています。



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