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日本政府 琉球国へ清王朝の朝貢禁止命令

2025-04-12 | ファッション
1874年10/31「北京専条」協定調印帰国後、
大久保利通は琉球国を明確に日本の国民国家に組み込む為、動きます。
早速、琉球国の行政高官を東京にお越し願い、否、呼び出す事に。
一方、清王朝では1874年12/05に同治帝が崩御され、
翌年の1875年1/20光緒帝が即位されます。
従って、琉球国としては清朝に「慶賀使」を送る段取り取らねばなりません。
既に、1874年出発した「進貢使」は1875年3月には北京に到着していました。
*進貢使→定期的に朝貢を行う使節
琉球国はこの使節に「慶賀使」の手筈を整えて貰う算段でした。
ところが、この情報を駐北京公使→日本政府が入手、琉球国「慶賀使」派遣阻止の為、
日本は「進貢使」の取扱いで清朝と一悶着を起こします。
「慶賀使」が清王朝にご挨拶に伺う事になれば、せっかく「北京専条」にて琉球国が
日本の国土、琉球・琉球諸島にお住まいの方々は日本人と認定された事に齟齬を来します。
大久保利通内務卿を主軸とする日本政府は上京している琉球国の行政高官との交渉は
進捗をみず頓挫の呈、琉球高官はあくまでも既存現状維持体制の保全を貫きました。
日本政府はやむなく清王朝の琉球国への冊封体制を終了させる為、使節派遣の禁止を決定、
1875年7/14内務官僚の松田道之(1839~1882)を那覇へ派遣、
琉球国から進貢使・慶賀使等の清王朝への差し向け、清王朝からの琉球国への冊封使受入
禁止を通達・命令します。(明治元号使用も命令、琉球国の暦は清王朝元号でした。)
何としても琉球国は「自治」を失わない為、清王朝への朝貢国に
留まれるよう日本政府に陳情・嘆願を重ねます。
しかし、日本政府は決して首を縦に振りませんでした。 続く。


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