前回の
「ファッションにとって美とはなにか 1」 の続き。
資本主義下で製造販売での利潤獲得法は「最小投資で最大利潤の追求」。
要は可能な限りのコストカットとエンドユーザーへの騙し討ち(演出)販売。
(但し、グローバルコントロール可能なグッズを除く<独占・寡占商品>)
「超資本主義」(吉本隆明さんの著書名)と言われる
バブル崩壊後の景気後退に始まり、長期経済低迷下の成熟消費社会情況・状況。
極論すれば、(先進諸国では)
基本的生活グッズは揃っていて心が揺り動かされない限り特段買いたいものがない世。
(特に日本では)
デフレ経済下に於ける可処分所得の漸減・激減は言わずもがな。
吉本隆明さんはこの「超資本主義」を
「<竪(たて)ざまに極度になった資本主義>」
その表徴として
「(一)は民間の消費支出が、国民総生産の半分を超えていること。これは個人消費が
実質的にも名目的にも国民総生産の半分以上を占めているといっても、ほぼおなじ
ことになる
(二)この消費支出のうち選択できる(加減できる)消費支出が半分以上を占めている。
民間の個人消費のうち節約しようとおもえばできるし、放漫に消費しようとすればで
きる部分がこれに当たっている。」 と説明されています。
(超資本主義 吉本隆明 徳間文庫
文庫本のためのあとがき P407~408 1997年12月)
その超資本主義の時点から既に約15年に及ぶ月日が経過。
しかしながら、
未だに為政者・官僚・民間企業(IT・通信・エネルギー等を除く)も右往左往で
昨今では効き目が薄い財政出動で辛うじてGDP(国内総生産)数字メイクの日々。
(但し、何時の世も税金を掠め取る人、及び、時流に乗れた起業家らの高額所得者は
存在するのも事実。)
又、GDPの約60%を占める迄にもなってしまったと言われる個人消費。
時流に流される迷える消費者は
何時でも・何処でも・誰とでも
購入可能になったお仕着せロープライスグッズで満足の日々?
こんな時節でファッションに 「美の追究」 をせよとは酷(こく)ってもの。
然るに、どの世でもファッションにとって美を追求するには
「湯水の如く消費可能で美的感性が伴う女性」 にお願いするしか・・・・・。