goo blog サービス終了のお知らせ 

当世・服飾ファッション・よもやま話  UP TO DATE FASHION NEWS

目に映る当世ファッション状況を感じたままお知らせします。このサイトのファッションは服飾に限ります。インフレファッションへ

「台湾出兵」戦後処理は大久保利通

2025-04-05 | ファッション
江戸幕府が大政奉還し明治元年9/08(1868)明治新政府が発足時、
琉球国は尚泰(ショウタイ)王(1843~1901在1848~1879)の御代でした。
清朝は同治帝(ドウチテイ)(1856~1874在1861~1874)の時代、母はかの西太后
江戸時代後期、将軍交代に伴う琉球国からの「慶賀使節」派遣は
12代将軍徳川家慶(1793~1853在1837~53)、1842年に行われました。
尚泰王即位の際は1850年に「襲封(シュウポウ)」(領地継承)の儀式として
「謝恩使節」が江戸に入ってます。
13代将軍家定(1824~58在1854~58)14代将軍家茂(1846~66在1858~66)
禁裏御守衛総督として京在住15代将軍慶喜(1837~1913在1866~67)の代替わり時
には「慶賀使」は執り行われませんでした。幕府はお祝い行事等出来得ない状況だった?
一方、121代孝明帝(1831~慶應2年12/25〈1866〉在1846~66)が崩御され、
睦仁親王が践祚されます。(慶應3年1/09〈1867〉)即位礼は慶應4年8/27〈1868〉。
122代明治帝(1852~1912在1867~1912)誕生です。
薩長を主体とする明治政府は矢継ぎ早に政策を実施、1869年「版籍奉還」(M2年6/17)、
1871年「廃藩置県」(M4年7/14)琉球国は薩摩藩→鹿児島県管轄に。
同年(M4年11/08)「琉球人台湾遭難事件」発生。
尚、琉球国に対する清王朝の「冊封」は内憂外患に伴う諸事情で延期に延期され、漸く
鹿児島県管轄下に置かれる5年前、1866年に決定されたばかりでした。
1872年「琉球藩」(M5年9/14)琉球国は鹿児島県命より明治帝即位祝賀で上京(東京)
 明治帝より、琉球藩王に冊封され「琉球藩」に。以後、外務省管轄下に。
 明治政府、及び、外務省は琉球藩の清朝冊封体制は継続認可。
 従って、既存琉球国は江戸時代と全く同じで何ら変化はないとの認識。
1873年4/30「日清修好条規」批准書交換でやっとこ発効。(1871年M4年7/29調印署名)
1873年10/23「明治六年政変」西郷隆盛(1827~1877)参議など官職辞表10/24受理、
 10/24板垣退助 江藤新平 後藤象二郎 副島種臣らも辞表10/25受理、
 西郷隆盛にシンパシーを感じる官僚・軍人・政治家など600名超える方々も辞任する事態に。
 明治維新の立役者 長州の木戸孝允(1833~1877)は病気がち、
 西郷隆盛の盟友だった薩摩の大久保利通(1830~1878)だけが唯一元気で実権を把握。
 同年、大久保は内務省を設置、「富国強兵」「殖産興業」「現実主義」を推進します。
そして、1874年5/16「台湾出兵」・10/31「北京専条」協定調印に至ります。
この「台湾出兵」戦後処理として清朝に赴むき、まとめたのがリアリスト大久保利通です。
 続く。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。