当世・服飾ファッション・よもやま話  UP TO DATE FASHION NEWS

目に映る当世ファッション状況を感じたままお知らせします。このサイトのファッションは服飾に限ります。インフレファッションへ

「プラダを着た悪魔」で紹介されたファッションブランド

2010-02-28 | Weblog
PRADA、プラダは元より
CHANEL、シャネル Karl Lagerfeld がチーフデザイナー
John Galliano、ジョン ガリアーノ Diorのチーフデザイナー
VERSACE、ヴェルサーチ(Gianni Versace) 現在は彼の妹のドナテッラ・ヴェルサーチ
HERMES、エルメス Jean-Paul GAULTIERがチーフデザイナー
DOLCE&GABBANA、ドルチェとガッバーナの二人のデザイナー
VALENTINO、ヴァレンティノ・ガラバーニ2008年引退 現在はAlessandra Facchinetti
Calvin Klein、カルバン・クライン
MICHAEL KORS、マイケル・コース
等のファッションウェアーブランド。
残念ながら、日本人デザイナーさんのエントリーは無し。
但しコスメティックスで植村 秀さんが創業されたshu uemura(シュウウエムラ)
のビューラー(アイラッシュ カーラー)が取り上げられました。
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THE DEVIL WEARS PRADAでのファッションブランド

2010-02-27 | Weblog
「バブル崩壊」後、約20年を経過。
2006年に上映された「THE DEVIL WEARS PRADA」
なぜか日本語タイトルが「プラダを着た悪魔」。
サブタイトルは「恋に仕事にがんばるあなたの物語」。
PRADAはミラノのファッションブランド。
創業者はMario Pradaで高級皮革製品(バッグ・靴等)の製造小売店でデビュー。
後に英国王室御用達業者に。
彼の孫娘のMiuccia PradaがPocono社製工業用防水ナイロン素材で
トートバッグを発表、これが瞬く間に日・米で大ブレイク。
超メジャーなファッションブランドに。
黒いナイロン製のバッグに「アイコン(iecongraphy)」として
逆三角形のメタルネームをつけたバッグは世界制覇する事に。
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はるか昔、バブルの終焉まで栄えた日本デザイナーブランドショップ

2010-02-26 | Weblog
昨日のように日本デザイナーブランドショップは
この日本土壌の上で社会的に認知される事に。
但し、正確に敢えて言えば、
個々のデザイナーのテイスト・キャラクター商品が
各々受け入れられた訳ではなく、
「日本デザイナーブランドショップ」それ自体が
ファッション(流行)だった事も否めない事実。
そうだとしても「服作り」を志す方々にとっては
とても魅力的な「市場」が創設された事態は熱烈歓迎。
「行け行けどんどん、婆だけ引くな。」の経済的背景の
後押しにも恵まれ、他の産業と同じく
日本デザイナーブランドショップは「バブル崩壊」迄は
煌めく時空を甘受できたのです。
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1980年代、日本デザイナーブランドの活況

2010-02-25 | Weblog
T.D.6のデザイナーブランド軍団の皆さんが自前のSHOPで
オリジナル展開をされた裏事情は
デパート側が彼女・彼らも最初からインショップとして導入しなかったから。
(デパート側は販売実績が無く、売上高を確保できるか疑心暗鬼の為)
T.D.6の方々の中にも何とかデパート仕入担当者に取り繕いましたが
1970年代は「単品」を取り上げられる程度の始末。
それが、川久保玲・山本耀司のパリ・コレ参加により
一挙にファッション情勢が変容し
彼女・彼らに見向きをしなかったデパート側は
「我先に」とデザイナーブランドのインショップ導入を謀る動き。
二度に渡るオイルショック等の経済危機を上手くかわした日本経済の
右上がり曲線状況も寄与し
日本デザイナーブランド軍団は「左団扇」に。
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1960年代迄のエイジセグメント

2010-02-24 | Weblog
1960年代までの洋服・洋品店は「セレクトショップ」でした。
各アパレル・問屋さんから単品買取、委託仕入コーディネート販売形態?
又、一方、松下電器・東芝電気等の専属販売店形式の洋服・洋品店は
(株)ワールドが組織し、ワールドブランド専門洋服・洋品店として存在。
概ねこの2形態が各都道府県・市区町村に於いての既製服販売店舗。
これらはとても小規模店舗でしたので、
豊富な販売面積を持つ「百貨店」には全てにつき劣勢を強いられる現状。
さらに、まだまだ1960年代ではエイジセグメントが主流。
ファッション感度セグメントM.D.には及んでいなかったのが事実。
この現状を何とか打破しようと立ち上がった方々が
縷々展開しているT.D.6だったのです。
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川久保玲・山本耀司のパリ・コレ参加でパリ・ミラノ風小売体制へ変貌

2010-02-23 | Weblog
パリ・ミラノでは日本で言う所のデザイナーブランドは
基本的には「個店」で服・アクセサリー等を販売しています。
従いまして、デパートの「インショップ」としては出店していません。
注文服(クチュール)部門を除いた既製服を前提に展開しますが、
日本において、上記の個店風感じは小規模ながら1970年代初めから出現。
そのお店がTD6の方々。
松田光弘 ⇔ NICOLE 神宮外苑
花井幸子 ⇔ Yukiko Hanai 六本木
菊池武夫 ⇔ BIGI 表参道
金子功  ⇔ PINK HOUSE 神宮外苑
小篠順子 ⇔ COLETTE 青山(1966年)コシノジュンコ JUNKO KOSHINO
川久保玲 ⇔ COMME des GARCONS 青山
山本耀司 ⇔ Y’s 青山
時を同じくして
メディアも「anan」(1971年創刊)「nonno」(1972年創刊)
これらが1981年の川久保玲・山本耀司のパリ・コレ参加により
大ブレイクする事に。(敬称略)
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川久保玲・山本耀司のパリ・コレ参加の大きな波紋

2010-02-22 | Weblog
前々回に記しました様に
二人のパリ・コレ参加は
パリ・プレタポルテ・コレクション主催者側にとっては
新鮮味が無くなりつつあった現状打開策として万々歳。
日本のファッション業界にとっては当に驚きの快挙。
文化服装学院、デザイン科の小池千枝先生は大喜び。
既に彼女の教え子である高田賢三(1939~)さんは
本場、パリでデザイナーとして評価され活躍中、
(1978年に同じく小池先生の教え子コシノジュンコさんもパリコレデビュー)
その最中(さなか)、
山本耀司さんがパリ・プレタポルテ・コレクションの
メンバーシップスになれたのですから
小池千枝先生は欣喜雀躍の呈。
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川久保玲・山本耀司は同窓生

2010-02-21 | Weblog
お二人は福沢諭吉さんが創設した学舎の出身。
川久保玲さんは文学部哲学科
山本耀司さんは法学部
お二人共に中々のアカデミックさ。
山本耀司さんは卒業後に小池千枝先生(1916~)率いる文化服装学院に。
又、お二人はイラストレーター長沢節さん(1917~1999)主催する
セツ・モードセミナーでスタイル画を学習。
1970年代初期に二人は「shop」(製造小売り)をオープン。
低迷していたファッション業界に大きな一石を投じる事に。
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川久保玲・山本耀司 パリ・プレタポルテ・コレクション参加

2010-02-20 | Weblog
TD6に後から参加した川久保玲さんと山本耀司さん。(以後敬称略)
川久保玲
COMME des GARCONS コム・デ・ギャルソン設立 1973年
山本耀司
Y’s ワイズ設立 1972年
この時代二人は同志でした。
そして1981年揃って
パリ・プレタポルテ・コレクションにデビュー。
プレタポルテは日本語では高級既製服と訳。
注文服(オーダーメイド)ではなく、出来合服。
お年の方は既製服を「つるし」と言われていたそうです。
ハンガーラックに服が吊されているからだとの事。
1968年パリ五月革命から10年以上経過し
ファッション情報発信源として新鮮さを欠いていた
パリ・プレタポルテ・コレクションとして
この二人の参加は熱烈歓迎。
リメンバー・ジャポニズムに。
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TD6は東京コレクションの前身

2010-02-19 | Weblog
1974年TD6が発足、今ではアラ・セブンティーの方々に後に仲間が。
4年後の1978年
コシノヒロコ (1937~)
吉田ヒロミ (1941~)
川久保玲 (1942~)
山本耀司 (1943~)
敬称略 生年月日順
4名が参加。総勢10名のメンヴァーシップスに。
皆さん戦前の生まれ。
この方々が日本の服業界に楔を打ち込む事に。
所謂、日本D.C.ブランドの草分け的存在。
D.C.( designerとcharacterの略)
先ずは1974年TD6の6名が寄り集まって「コレクションショー」を開催。
1978年には10名になり、
やがて、1985年東京コレクション
(C.F.D.東京ファッションデザイナーズ協議会主催)
へと繋がって行く事に。
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