岩手日報より転載
77歳母、月命日の漁港通い 「甘酒持ってきたよ」
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「ミネ子、聞こえるか。大好きな甘酒、持ってきたよ」。釜石市箱崎町の仮設住宅で暮らす海藤エツさん(77)は11日、今も冷たい海のどこかに眠っているとみられる一人娘のミネ子さん=当時(60)=を思って、温かい飲み物を海にささげた。毎月、月命日に漁港へ通い続けて間もなく2年。「せめて爪1枚でも上がってほしい」と、変わらぬ思いを胸に、海へ向かう。
エツさんが震災直後の4月から毎月、漁港に通い始めてもうすぐ2年。日に日に、ミネ子さんの遺体はもう見つからないかもしれないという気持ちが強くなる。
それでも「骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしい」という思いを捨てきれず、11日には自然と足が漁港へ向かう。「供養のためにもここにいたい。いつまで続けられるか分からないけど、手が動くうち、足が動くうちは続けたい」。いつか見つかる日まで、娘の眠る海へ向かうつもりだ。

【写真=海に向かって行方不明の長女ミネ子さんの名前を呼び続ける海藤エツさん=11日、釜石市・白浜漁港】
77歳母、月命日の漁港通い 「甘酒持ってきたよ」
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「ミネ子、聞こえるか。大好きな甘酒、持ってきたよ」。釜石市箱崎町の仮設住宅で暮らす海藤エツさん(77)は11日、今も冷たい海のどこかに眠っているとみられる一人娘のミネ子さん=当時(60)=を思って、温かい飲み物を海にささげた。毎月、月命日に漁港へ通い続けて間もなく2年。「せめて爪1枚でも上がってほしい」と、変わらぬ思いを胸に、海へ向かう。
エツさんが震災直後の4月から毎月、漁港に通い始めてもうすぐ2年。日に日に、ミネ子さんの遺体はもう見つからないかもしれないという気持ちが強くなる。
それでも「骨のかけら、爪の1枚でもいいから上がってほしい」という思いを捨てきれず、11日には自然と足が漁港へ向かう。「供養のためにもここにいたい。いつまで続けられるか分からないけど、手が動くうち、足が動くうちは続けたい」。いつか見つかる日まで、娘の眠る海へ向かうつもりだ。

【写真=海に向かって行方不明の長女ミネ子さんの名前を呼び続ける海藤エツさん=11日、釜石市・白浜漁港】
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