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マツタケ出足好調 県内、生育環境が好材料

2015-09-06 10:10:29 | 日記
岩手日報より転載

マツタケ出足好調 県内、生育環境が好材料

 県内のマツタケが上々の滑り出しを見せている。各地の店頭には例年より多くのマツタケが並び、生産者や販売関係者はシーズンの初めとしては「豊作」の評価。今夏の猛暑に続く8月後半の雨や涼しい天候が好材料とみられる。マツタケ以外のキノコ類も豊作傾向で、関係者はキノコ類の生育に良い天候が続くことを期待している。

 岩手町五日市の道の駅石神の丘では今週からマツタケが入り始め、5日も開店から40パック以上並んだ。3~4センチの小さなマツタケが数本入ったパックは千円前後、大ぶりのものは1本5千円で販売された。家族が収穫したマツタケを出荷した同町一方井の男性(72)は「今日は2~3キロ採れた。今年は例年よりも少し早めで、量も多い」と笑顔を見せる。

 県内は今夏、7~8月に18日間連続で真夏日を記録する猛暑、少雨傾向だったが、8月後半は雨や曇りの日が多く、涼しい日も続いた。朝晩に気温が下がることもキノコ類の生育に良いという。


【写真=店頭に並ぶマツタケ。秋の味覚の到来に、次々と買い物客が品定めした=5日、岩手町五日市・道の駅石神の丘】

(2015/09/06)

<避難解除>「見守って」墓前に報告

2015-09-06 09:52:03 | 原発
河北新報より転載

<避難解除>「見守って」墓前に報告

 平穏な暮らしを奪われ、町を追われてから4年半。東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされた福島県楢葉町の避難指示が5日、解除された。町は新たな一歩を踏み出すが、再生への道はなお長く、平たんではない。町民はそれぞれの「4年半の重み」を胸に、節目の日を迎えた。

 斉藤朋子さん(57)は5日朝、楢葉町の自宅近くの寺で、孫の小学4年馬上日菜さん(9)と昊太ちゃん(3)の手を引いて、墓参りをした。8月7日に84歳で亡くなった実母根本フミ子さんが眠る。
 「ばあちゃん、来たよ」と昊太ちゃん。斉藤さんは「解除になったよ。もう、いつでも気兼ねなく楢葉に帰って来ていいんだよ」と報告した。日菜さんも「見守っていてね」と手を合わせた。
 フミ子さんは斉藤さん夫妻、日菜さんら斉藤さんの長女家族といわき市に避難。一緒に楢葉に戻ることを待ち望んでいた。7月下旬までは元気で、準備宿泊で楢葉にも泊まっていたが、急に体調を崩した。
 解除されたが、町内で小学校が再開しないため、まだ全員そろって楢葉で暮らすことはできない。「でも、(母は)避難指示が解除されたことを喜んでいると思う」と斉藤さん。
 4日夜、斉藤さんの楢葉町の自宅には夫妻と長女の家族4人、次女の家族5人が集まった。総勢11人。フミ子さんと一緒に「その時」を迎えるためだった。庭でバーベキューを楽しみ、町が開催した「キャンドルナイト」も見に行った。
 5日午前0時。皆で仏壇に線香を上げた。「間に合わなくてごめんね。1年でも2年でも楢葉で生活させてあげたかった」。斉藤さんは涙が出た。
 楢葉は、規制のない町に戻った。斉藤さんは「解除は一つの節目。自由になるのはいいこと」と思いながらも「学校が再開しなかったり、医療機関がなかったりと、中途半端。心の中にもやもやが残る」と打ち明ける。
 4年半に及んだ避難生活。斉藤さんは墓の前で、フミ子さんに語り掛けた。「今までご苦労さまでした」


母の墓前で孫と一緒に手を合わせ、避難指示の解除を報告する斉藤さん(中央)=5日午前9時30分ごろ、福島県楢葉町

関連ページ:福島社会
2015年09月06日日曜日

在日ハルモニ「せんそうはんたい」 翻弄される人生 私で終わりに

2015-09-06 09:39:45 | 戦争立法
東京新聞より転載

在日ハルモニ「せんそうはんたい」 翻弄される人生 私で終わりに
2015年9月6日 07時04分

 「せんそうはんたい」。川崎市で五日、日本の植民地支配や朝鮮戦争に翻弄(ほんろう)されてきた在日コリアン一世の高齢女性たちが、安全保障関連法案に反対するデモを行った。プラカードには、七十歳を超えて通い始めた識字学級で苦労して覚えたひらがなのメッセージ。「戦争は、本当に嫌だから」。その一文字一文字に、ハルモニ(おばあさん)たちの平和への思いが宿る。 (横井武昭)
 「平和が一番、子どもを守れ」。韓国の伝統打楽器チャンゴの音に合わせ、ハルモニたちの声が響いた。色鮮やかな民族衣装を着るなどした約四十人は大勢の支援者らとともに、同市川崎区桜本の商店街の約八百メートルを練り歩いた。
 デモは地元の在日コリアン交流グループ「トラヂの会」が企画した。同会の趙良葉(チョウヤンヨプ)さん(78)は「国会の審議を聞き、戦争を体験した身として反対しなくてはいけないと、皆が思った」と話す。メンバーには八十代、九十代も多く、国会前のデモには参加が難しいため、地元で声を上げることにした。
 この日のデモの列に、徐類順(ソユスン)さん(89)の姿もあった。植民地支配下の韓国南東部の出身。幼いころに父を亡くし、日本で働いていた兄を頼って十四歳で来日したが、生活は苦しく、学校に行けないまま旋盤工場などで懸命に働いた。
 戦後に朝鮮半島に戻ったが、母と夫を亡くし、間もなく朝鮮戦争が始まった。幼い娘を連れ、ゴザ一枚とアルミのおわん一つを手に戦火の中を逃げ回った。「人が死んで倒れているのが動物のように見えた」。恐怖が今も目に焼きつく。
 その後、仕事を求めて再び来日。読み書きができず、ビル掃除や焼き肉店の皿洗いをして七十八歳まで働き、娘や孫を育てた。
 デモで使ったプラカードやうちわは、仲間と手作りした。表面には識字学級で覚えたひらがなとカタカナで「せんそうはんたい」「せんそうイヤダ」と、素直な気持ちを表現した。
 「日本は故郷と同じ。だから、これからの若い人に私たちのような戦争を経験させないよう、声を上げ続けたい」
(東京新聞)

 
手づくりのプラカードを掲げ、安保法案反対を訴えてデモ行進するハルモニたち=5日、川崎市川崎区で


あきらめず声をあげよう

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