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<大震災3年半>酒に頼らない 富岡から避難、不安と闘う

2014-09-11 11:04:39 | 原発

毎日新聞より転載

<大震災3年半>酒に頼らない 富岡から避難、不安と闘う

毎日新聞 9月11日(木)7時45分配信

 「気持ちが揺らいだら、また酒に走ってしまうんじゃないか」。東京電力福島第1原発事故後の避難生活中にアルコール依存症になった福島県郡山市の福田利勝さん(56)は、事故から3年半がたった今、再び依存してしまう不安と闘っている。同県富岡町の古里は同原発から約7キロで、居住制限区域に指定されている。戻るめども、今後の生活も見えてこないからだ。

【アルコール依存症に負けない】母、妻、長男亡くした宮城・女川の68歳 自暴自棄、姉の言葉で再出発

 福田さんは富岡町の自宅で両親と妹家族の計7人で暮らしていた。バス会社に勤めながら、両親の農作業を手伝う毎日。自分たちで収穫した米や野菜が食卓に並び、「平凡だけど笑顔に包まれた」生活だった。

 それが、2011年3月11日の東日本大震災発生で一変した。原発の異変を恐れ、翌12日の午前中には同県いわき市内まで避難。間もなく、原発の水素爆発を知った。「もう終わりだ」。全身から力が抜けていった。

 県内の避難先を転々とした。父清さん(当時80歳)は心臓病を患い、ペースメーカーをつけていた。「自分の仕事や家族の将来はどうなる。おやじの体調は大丈夫だろうか」。なかなか眠れず、寝酒として缶ビールを飲むようになった。悩みはどんどん膨らみ、手にするビールが2本、3本と増えた。気付けば家族に隠れて車の中で、ビールやウイスキーをあおるようになっていた。

 清さんは毎日のように「(富岡へ)帰りたい」とつぶやいていた。入退院を繰り返して12年1月に肺炎で亡くなり、震災関連死と認定された。

 数日後の葬儀の場で福田さんは倒れて病院に運ばれ、その後、アルコール依存症と診断された。「酒を飲んでいる場合じゃない」。自分を?咤(しった)した。県内の専門外来で3カ月間の断酒プログラムに取り組んだ。以来、酒は飲んでいない。だが、依存症に完治はないといい、今も体質を変えるための薬のほか、眠れないときのための睡眠薬が手放せない。

 現在、福田さんは母の洋子さん(82)と2人で郡山市にある賃貸住宅で暮らす。手狭なため、妹家族とは別居せざるを得なかった。仕事も探しているが、見つからない。どうしても「原発事故さえなければ」と考えてしまう。眠れなくなる不安は消せないが、「一口でも酒を飲んだら、取り返しがつかない」と自身に言い聞かせている。【田ノ上達也】

 ◇患者の重症化顕著 アルコール依存、継続摂取が原因

 福島県郡山市にあるアルコール依存の専門外来「大島クリニック」によると、震災直後に診察した患者に比べ、最近訪れる患者は肝硬変や認知症などに重症化しているケースが目立つという。避難生活が長くなる中で、継続的にアルコールを摂取していることが原因と考えられ、大島直和理事長は「このままではアルコールの問題で亡くなる人が出てくるのでは」と危機感を募らせる。

 先の見えない将来への不安や仮設住宅での生活ストレスなど、避難生活では飲酒へつながるさまざまな要因がそろっている。1995年の阪神大震災後に孤独死の調査をした神戸大大学院の上野易弘(やすひろ)教授(法医学)によると、震災発生から4年半の間に兵庫県内の仮設住宅では男性47人が肝疾患で孤独死した。うち少なくとも7割は飲酒が主因とみられ、ほとんどが肝硬変だったという。

 福島県では、福島第1原発事故による避難生活の長期化が予想されるが「症状を認めたがらない人が多いうえ、初期段階は周囲も気付きにくいことなどから、支援対象の把握は困難」(県)といい、詳しい実態が分からないのが現状だ。

 だが、問題を重視した県は今年度、避難者支援などに取り組む民間団体「ふくしま心のケアセンター」に委託して、医療や福祉関係者らを対象にアルコール依存の研修会を始めた。担当者は「アルコール問題への対応力をつけた人材を育て、依存に苦しむ人々の早期発見や支援が届くようにしていきたい」と話す。【田ノ上達也】

 


命と安全 置き去り 川内原発の審査書決定 規制委「適合」、意見1万8000件に背

2014-09-11 10:33:59 | 原発

しんぶん赤旗           2014年9月11日(木)

命と安全 置き去り 

川内原発の審査書決定

規制委「適合」、意見1万8000件に背

写真

(写真)九州電力川内原発=鹿児島県薩摩川内市

 原子力規制委員会は10日、九州電力川内(せんだい)原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)について、再稼働の前提となる規制基準に「適合」とする審査書を決定しました。これを受け政府は「判断を尊重し、再稼働を進める」(菅官房長官)と表明していますが、地元などからは「住民の命と安全の置き去りだ」と怒りの声が上がっています。日本共産党原発・エネルギー問題対策委員会の笠井亮責任者は「再稼働ありきの審査書の撤回」を求める談話を発表しました。

 規制委は、審査書案に対する意見公募を1カ月間実施し、1万7819件が寄せられました。しかし、言葉の細かい直しの修正のみで、結論は変更しませんでした。

写真

(写真)薩摩川内市の九州電力営業所前で「川内原発再稼働反対!」とコールする人たち=8月31日

 公募意見は、再稼働に対する国民の不安や疑問を反映し、「地域住民の避難計画が原子力規制委員会の審査対象になっていないため、審査書案には不備がある」「カルデラ噴火の可能性は十分に小さいと判断する根拠や基準が不十分」「福島第1原発で現に起きている汚染水事故対策について検討しておらず、防止策もとられていない」など、防災や火山に関するものが多かったといいます。しかし、規制委は「(避難計画は別の法律に基づいて)対応が講じられる」「(九電の火山)評価を確認している」「(汚染水は)発生させないことが重要」などと、まともに答えていません。

 審査の終了には、今後二つの手続きが必要です。また、運転までには使用前検査を実施します。九電は、9月中に工事計画認可申請書の再提出をめざすと説明しています。

 地元では再稼働に反対する声が広がっており、薩摩川内市内のアンケートでは85%が再稼働に反対。同市に隣接する、いちき串木野市では、人口の過半数に当たる1万5000人以上の反対署名が集まっています。再稼働に意見を述べることができる安全協定を結んでいるのは薩摩川内市と鹿児島県のみですが、事故時の防災対策を求められた周辺自治体の意見も聞くべきだという声も上がっています。


原因不明の慢性疲労症候群、厚労省が実態調査へ

2014-09-11 09:58:53 | 日記

朝日新聞より転載

原因不明の慢性疲労症候群、厚労省が実態調査へ

朝日新聞デジタル 9月8日(月)15時25分配信

 ふつうの社会生活が送れないほど強い疲労感が続く「慢性疲労症候群(筋痛性脳脊髄〈せきずい〉炎)」について、厚生労働省は、患者の日常生活や、実際の診断・治療状況を把握する調査を始める。重症で寝たきりに近い患者も少なくない病気だが、実態がはっきりしていないためだ。調査結果を診断や治療法の確立に役立てるほか、患者の支援につなげていく。

 慢性疲労症候群は、強い疲労感や頭痛、脱力感などの症状があり、患者は国内に約30万人いるとも推計される。しかし、原因不明で治療法はないうえ、症状を客観的な数値で表しにくく、「怠けている」という偏見もある。診断基準も確定しておらず、難病の医療費助成の対象外で、障害者総合支援法の福祉サービスを受けられる患者も限られている。

 このため厚労省は、聖マリアンナ医大の遊道(ゆうどう)和雄・難病治療研究センター長らに委託し、患者の食事や歩行、排泄(はいせつ)といった日常生活上の支障や治療状況についてデータを集め、実態の把握をめざす。

 患者団体「筋痛性脳脊髄(せきずい)炎の会」の篠原三恵子理事長は「病気が理解されておらず、無理をして悪化させている患者も多い。一日も早く患者支援に結びつけたい」と、多くの患者の参加を呼びかける。

 医療機関で慢性疲労症候群と診断された人が対象。希望者は10月末までに、氏名、住所、電話番号、メールアドレスを、電話(044・977・8111)かメール(yudo@marianna-u.ac.jp)で遊道さんに連絡する。(伊藤綾)


【今日は2011.3.1東日本大震災から、3年6ヶ月目の「月命日」です】

2014-09-11 08:24:56 | 震災

佐々木 公哉さんブログより転載

佐々木 公哉さんが新しい写真を11枚追加しました。

【今日は2011.3.1東日本大震災から、3年6ヶ月目の「月命日」です】
そして、間もなく4回目の「お彼岸を迎えます」

今や、「津波被災地など終わったこと」とよく言われますが、そうではあえりません。 マスメディアを含めて、政府も国民全体では、「3.11は終わってる」ような言動があります。
それは、間違いです。復興していないのです。

普通の平凡な当たり前の日常を送れる生活がどれほど幸せなのか・・。
被災地では、ゆくづく、そう思いながら生活しています。
昨日も、311の余震がありました。
地震があるたびに、怯えて、あの日を思い出してしまいます。

一方、専門家からは「都市直下型地震」や「東南海トラフ地震・津波」が近い将来起きると言われています。是非とも、自分のことして考えて欲しいのです。
最近は、ゲリラ豪雨で広島も大きな被害が出ています。
 国民に訴えます。天災や災害はいつどこで起きてもおかしくない日本なんです。
自分のこととして考えて頂きたいのです。

【震災死者・行方不明者数】(原則毎月10日警察庁発表)
2014/9/10現在:死者 15889人、行方不明 2601人
<北海道>死者   1人
<青森県>死者   3人、行方不明 1人
<岩手県>死者 4673人、行方不明 1132人
<宮城県>死者 9538人、行方不明 1261人
<福島県>死者 1611人、行方不明 204人
<山形県>死者   2人 <東京都>死者   7人 <茨城県>死者  24人、行方不明  1人 <栃木県>死者   4人 <群馬県>死者   1人 <千葉県>死者  21人、行方不明  2人 <神奈川県>死者  4人

【震災関連死】(2014年5月27日復興庁発表)
2014/3/31現在:3,089人
<岩手県>441人 
<宮城県>889人
<福島県>1,704人 
<山形県>2人  <茨城県>41人  <埼玉県>1人  <千葉県>4人 <東京都>1人  <神奈川県>3人 <長野県>3人
http://hinansyameibo.seesaa.net/article/398783868.html

【避難・転居者数】(2014年8月29日復興庁発表)
2014/8/14現在:24万5622人(前回より1611人減)
※都道府県別⇒http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20140829_hinansha.pdf
【県外への避難・転居者数】(2014年8月29日復興庁発表)
2014/8/14現在:岩手県から1,513人、宮城県から6,974人、福島県から47,149人

▼これは、被災したときの岩手県・田野畑村島越地区全てが流されて無くなっていました。(この撮影した時は、夢なのか現実なのか・・? そんな思いでした。)

お彼岸には、震災で亡くなったり、行方不明の方々の魂が、天から降りて来ます。
今の、辛いながらも懸命に生きてる。生き残った僕達の、姿を見届けて、また天に昇っていくのでしょう。

津波被害の大きかった宮城、岩手の被災地は、この3年6ヶ月の時間がありながら、政治や政府の官僚の対応政策が遅く、また被災地の現実と合わない愚策ばかりです。なので、復興が進んでいません。
当初2年使用の応急仮設住宅は老朽化して、仮設の仮設が必要となっています。
こうした中で、自分を含めて、不安、焦りが大きなストレスとなり、溜まって「心の病」が見られます。
良かったら、転載、拡散、シェアお願します。

どうか・・・。岩手・宮城
津波被災地のことも、忘れない欲しいのです。

佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
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城間氏を市長選擁立へ 翁長氏後継候補の選考委 那覇

2014-09-11 08:03:56 | 政治

転載

城間氏を市長選擁立へ 翁長氏後継候補の選考委 那覇

2014年9月11日 07:10
 
城間幹子氏

城間幹子氏

 

 翁長雄志那覇市長の県知事選出馬に伴い同日選挙となる見通しの市長選について、翁長氏を支える那覇市議会5会派と経済界などでつくる市長選候補者の選考委員会(平良朝敬委員長)が、翁長氏の後継候補として副市長の城間幹子氏(63)で最終調整していることが10日までに分かった。11日に正式決定する方針だ。

 選考委はこれまでに3回の会合を開き、城間氏を含め各会派で推薦のあった10人から候補者を5人に絞り込んでいた。10日の会合では、それぞれが市長選出馬への思いや市政運営のビジョンなどを発表した。

 発表の場で城間氏は「私が志す市政運営の根源は翁長市政の継承。今日まで市職員とともに翁長市長の考え方をこの耳と心で聞いてきた。これまでの経験を生かして全力で誠心誠意対応したい」などと述べた。

 城間氏はこれまで中学校長、市教育長などを歴任。今年4月に副市長に就任していた。

 一方、翁長氏は同日の9月定例会で、市長選の後継候補に望むことについて「市民が育んできた協働によるまちづくりを継承発展させ、オール沖縄として力を結集していく礎となってほしい」などと述べた。(吉川毅)


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