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奇跡の直売所! 営業中 がれきの中から無傷で発見 住民団結し再建 岩手県陸前高田市

2014-11-11 17:51:49 | 震災

日本農業新聞より転載

奇跡の直売所! 営業中 がれきの中から無傷で発見 住民団結し再建 岩手県陸前高田市

日本農業新聞 11月11日(火)12時0分配信

 東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市に、「奇跡」と呼ばれる農産物直売所がある。津波で押し流されたがれきの中から、無傷なまま建物が見つかったからだ。震災から11日で3年8カ月。震災を乗り越え、復活を遂げた直売所は、今も地域の“小さな野菜屋さん”として農家の母ちゃんたちが前に進むための原動力となっている。

 直売所「小さなやさい屋さん」は、3平方メートルほどの木造の建物。切り盛りするのは代表でキュウリや水稲などを手掛ける小田日出子さん(65)。建物は夫、文雄さん(66)が地元の大工に頼んで造ってもらった。1998年、市内の農家女性約30人で設立。メンバーが野菜や加工品を持ち寄り、地域に欠かせない場所となった。

 だが、震災の津波で全てが破壊された。海から3キロほどの距離にあった直売所は跡形もなく流失。「こんなところまで津波が来るなんて・・・。もう絶望しかない」。メンバーの誰もが意欲を失いかけた。

 1週間後、奇跡が起きた。元の場所から1キロ近く離れたがれきの中に、木造の直売所がちょこんと建っているのを、小田さんらが発見。窓ガラスも割れていない、屋根も吹き飛んでいない、骨組みも元のままだった。その姿を見た瞬間、小田さんは「絶対に頑張らないと」。再建を決意した。

 メンバーのやる気にも火が付いた。元の場所から200メートルほど内陸で同年7月には営業を再開した。

 ただ、再開後も困難が待っていた。生鮮食料が不足していたことから、当初は客足が絶えなかったが、復旧が進むにつれ、コンビニエンスストアやスーパーなど競合店も増えてきた。客を呼び込むにはどうしたらいいのか、悩む日々が続いた。

・農家女性の元気の源

 そんな時、支えたのが県職員のOBらでつくる、農家女性の復興を後押しする「大津波にも負けず頑張る母ちゃん!応援隊」だった。支援物資調達の調整や補助金申請の書類作りなどを支援。県内外から訪れたボランティアや消費者は店のリピーター(再来訪者)となって盛り立ててくれた。

 小田さんらも行動を起こした。「自分たちでできることは何でも工夫しよう」。休憩用のベンチや日よけの屋根など、建物周辺の環境を整備。直売所を中心に集いの場をつくっていった。今では旬の野菜や果実を中心に15人のメンバーが毎日、農産物を運び入れる。奇跡の直売所に引き寄せられるように、周辺には仮設の商店が立ち並び、にぎわいも戻ってきた。

 メンバーの高齢化など悩みは尽きない。それでも「大津波を乗り越えたこの直売所があるから頑張れる。若手の女性農家に声を掛けて次世代に引き継ぎたい」。小田さんの心は折れない。(日影耕造)

日本農業新聞

最終更新:11月11日(火)12時0分

日本農業新聞

 

がれき処理費詐欺 石巻市長の問責可決

2014-11-07 07:19:26 | 震災

河北新報より転載

がれき処理費詐欺 石巻市長の問責可決

市議会で問責決議案が可決された亀山市長(中央左)

 石巻市議会は6日、臨時会を開き、東日本大震災のがれき処理業務委託費の詐欺事件をめぐり、亀山紘市長に対する問責決議案を賛成多数で可決した。決議に拘束力はないが、亀山市長は臨時会後、「真摯(しんし)に受け止める。今後は大災害時もチェックできる体制を整えることが必要だ」と述べた。
 決議案は最大会派「ニュー石巻」の議員が緊急動議で提出。採決は賛成16、反対13だった。
 事件は、2011年4月にボランティア団体が実施したがれき処理作業を会社でやったように見せ掛け、市から委託費1218万円をだまし取った疑いで、同市の建設会社社長伊藤秀樹容疑者(52)が逮捕された。
 決議案は、議会が調査特別委員会(百条委員会)を設置し、12年9月に告発していたとした上で、市は疑惑解明に消極的だったと指摘。市長に対し、早急な真相解明と市民と議会への納得のいく説明を求めた。
 臨時会の緊急質疑で議員側は、市の告訴がことし10月となったことなどを批判。亀山市長は「警察や弁護士と相談してきたが、客観的な証拠がなかった」と釈明、「不正を見抜けなかったことを反省し、市民に心からおわびする」と陳謝した。
 臨時会は石巻漁港荷さばき施設整備事業費など3億2130万円を追加する14年度一般会計補正予算など8議案を原案通り可決、9月11日の豪雨被害復旧費など専決処分3件を承認し閉会した。

 

2014年11月07日金曜日

関連ページ:宮城政治・行政

女川の魅力、歩いて実感

2014-11-06 07:45:33 | 震災

河北新報より転載

女川の魅力、歩いて実感

 鈴木さん(左)の案内で、女川の魅力を探し歩く参加者

 女川町の魅力を歩きながら再発見してもらうイベント「おながわ散歩」(町まちづくり推進協議会主催)が5日、町内であった。町出身の写真家鈴木麻弓さん(37)=神奈川県逗子市=を案内役に、東日本大震災の復興工事現場周辺を巡った。
 町内外から約20人が集まり、女川港に面した復興まちづくり情報交流館を出発。中心部の造成現場を望む高台の女川中や、災害公営住宅「運動公園住宅」などを回る3.6キロを歩いた。
 参加者はカメラを手に、かさ上げされた造成地や来年3月の開業に向けて建設が進むJR女川駅と町営温泉「ゆぽっぽ」の併設施設などを見て回った。工事現場の間を流れる女川では遡上(そじょう)して産卵するサケが間近に見られ、夢中でシャッターを切った。
 終了後、「復興工事がどこまで進んでいるかを見られて良かった。生まれ変わる町を早く見たい」「サケや豊かな山野草など、歩かないと分からない発見がたくさんあった」といった感想が寄せられた。
 鈴木さんは女川の魅力を紹介するウェブサイト「おながわ散歩」を開設している。今回の参加者が撮影した写真も掲載する。「復興への考え方一つとっても、世代などによって違うはず。幅広い世代の人が外部に伝えたいと思う女川の良さを集め、言葉や景色で発信したい」と語った。

 

2014年11月06日木曜日

関連ページ:宮城文化・暮らし

「風の電話」~電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノート

2014-10-31 10:01:14 | 震災

佐々木公哉 さんブログより転載

「風の電話」~電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノート 天と繋がる電話 「311東日本大震災」

 津波で大きな被害を受けた、「風の電話」というのが岩手県大槌町吉里吉里地区にあります。海辺の高台にひっそりとたたずんでいます。
風の電話を設置したのは、庭師の佐々木格さんです。
亡くなった人たちと心を通わせることができる場をつくりたいと、震災から1か月後、自宅の庭に電話ボックスを置きました。
電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノートです。
この「風の電話」の線は、実際はどこにも繋がっていません。繋がっているとすれば「天」なのかもしれません。
 亡き人とつなぐ 「風の電話」です。亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい。そんな思いを抱える人たちが、これまでに延べ1万人以上訪れています。
訪れる人たちは、今は会えない大切な人と会話をします。
会話を終えると、ノートに思いをつづります。
「亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい。」
そんな思いを抱える人たちが、これまでにのべ1万人以上訪れています
亡き人とつなぐ “風の電話”ボックスなんです。

僕も一度行ってみた事があります。高台にあってそこには、色々な花が植えられてベンチもあり小さな公園のようです。僕が行った時は3人ぐらい、電話の近くに遺族と思われる人がいました。とても、静かなところです。
ボックスに人がいなくなってから入ってのノートをみました。色々な思いが書かれていて、涙が・・・。
NHKのおはよう日本で「風の電話」2014年7月18日(金)に放送され、再放送10月半ば頃だったと思います。にこの前BSで再放送されていました。
その放送から抜粋させていただきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【亡き人とつなぐ~「風の電」】
「阿部アナウンサー」ー(岩手県大槌町に近い、遠野市出身)
こちらは、被災地に置かれている電話ボックスで、『風の電話』と呼ばれています。亡くなった家族や友人と、もう一度話をしたい。
そんな思いを抱える人たちが、これまでにのべ1万人以上訪れています。」
鈴木アナが取材しました。
「この『風の電話』に訪れる人たちを取材しました。」
◆亡き人とつなぐ “風の電話”
津波で大きな被害を受けた、岩手県大槌町。
風の電話は、海辺の高台にひっそりとたたずんでいます。
電話ボックスの中に置かれているのは、線のつながっていない黒電話と、1冊のノート。 訪れる人たちは、今は会えない大切な人と会話をします。

会話を終えると、ノートに思いをつづります。
イメージ 5男性;「友達というか、仲間というか、まだ見つからない人がいまして。どうしているかなと。」
女性:「私は息子を亡くしてね。何年たっても忘れることができなくて。」
風の電話を設置した、庭師の佐々木格(ささき・いたる)さんです。
亡くなった人たちと心を通わせることができる場をつくりたいと、震災から1か月後、自宅の庭に電話ボックスを置きました。

“会いたくて、会いたくて、声が聞きたくて来てみました。
もう痛くないよね、苦しくないよね。” “まごちゃんが3人になったよ。
かあさんにおふろに入れてもらいたかったよ。
いろいろ聞きたいことあるんだ…。”
ノートにつづられているのは、風の電話がつないだ大切な人との会話です。
佐々木格さんは「亡くなった方の思いもわかりたいと思うでしょうし、自分
自身も伝えたいことがいっぱいあったと思うし。心の中の重圧、それを半分はこの電話に置いていってくださいと。」と語ります。

この日、風の電話を初めて訪れた人がいました。友人が見守る中、電話ボックスに入った女性。
最後まで受話器を手にすることができずにいました。
東谷陽子さん
「電話には、手をとることはちょっとちゅうちょしたんですけど、できなかったですね。」
「難しかったですか?」
東谷陽子さん
「やっぱりあの日に戻りますからね。」
風の電話を訪れた東谷陽子(あずまや・ようこ)さんです。
津波で自宅は被災しましたが、かろうじて命をつなぎとめました。しかし、近所に住む兄の忠廣(ただひろ)さんは、津波にのまれて亡くなりました。
悩みごとがあるといつも電話で相談できる、たった1人の兄妹でした。
震災から3年以上が過ぎた今も、兄の遺影を置くことができずいます。
東谷陽子さん
「ある日突然、心の整理がつかないうちにいなくなったっていうのがあるから、遺影はかざれないですね。」
震災後、2人の孫が生まれた東谷さん。
今は孫が生きる支えになっています。
いつかもう一度、風の電話を訪ね、兄と向き合いたいと考えています。
「どんな思いで亡くなったんだろうなとか、怖かったんだろうなとか思うと、ほんとうに切ないんですけど、でもやっぱりがんばって生きないと(兄に)申し訳ない。」
風の電話を訪れようと、名古屋からやってきた人がいます。鶴島道子(つるしま・みちこ)さんです。 陸前高田市で被災し、夫を亡くしました。
震災後、名古屋に避難しましたが、いつかは夫と暮らした陸前高田に戻りたいと考えてきました。 3年が過ぎた今、その思いが揺れています。
鶴島道子さん
「いろいろと迷う。あっち(名古屋)はあっちでなれてきたというのもあるし、あっちで新しくつながってきている人たちもいるし。」
今、改めて、夫と話がしたい。鶴島さんは電話ボックスに入りました。
「“今、すごい悩んでいるんだ、パパが生きていれば陸前高田にいたのに”。なかなか自分のことを吐露することはないんですけど。」
▼鶴島さんが夫とかわした言葉。
“どこで今後、暮らせばよいかわかりません。”
亡くなった大切な人との会話をつなぐ風の電話。今日も静かに訪れる人を待っています。
鈴木アナ
「この風の電話に訪れた人たちに話を聞きますと、『震災から時間がたち、みんなで復興に向けて進んでいこうとする中で、自分だけが取り残されていくような不安にかられている』、こういった声が数多くあったということです。」
阿部アナ
「それだけに、大切な人を亡くした人たちが、胸の内を明かすことのできる場所がより大切になってきているということなんでしょうね。」
http://www.nhk.or.jp/ohayou/marugoto/2014/07/0718.html
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

311東日本大震災の行方不明者は、今も2014/10/10現在:死者 15889人、行方不明 2601人です。今、思っても膨大な人数です。

それから、3年7ヶ月以上経過して。ご遺族の気持ちは色々だとおもいます。
『風の電話』に訪れる人たちは、どんなに辛い思いをしてるのでしょうか。
亡くなった方々の遺族も、完全に踏ん切りを付けているつもりの人はいないでしょう。
また、行方不明の遺族はもっと辛い思いをしているとおもいます。

※ブログ「被災地漁師の声~東日本大震災津波」2014年10月31日 2014/10/31(金) 
http://blogs.yahoo.co.jp/sasaootako/63318463.html

骨の欠片でも帰ってきて欲しいと願ってるはずです。

佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
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<震災後銀杯購入>被災者感情を無視

2014-10-30 21:00:01 | 震災

河北新報より転載

<震災後銀杯購入>被災者感情を無視

 東日本大震災の被災地でガスなどのライフラインが途絶え、一部地域で食料不足が続いていた時期に、農水省職員のための銀杯が、税金を原資に大量に落札されていた。復旧・復興事業の旗振り役による被災感情を無視したような対応に、被災者からは批判の声が上がった。

 官報によると、銀杯販売業者の2011、12両年度分の落札者が決定したのは、震災から1カ月もたっていない11年4月7日。同日は深夜に宮城県北部と中部で震度6強の余震が発生し、東北は広範囲で停電したり、高速道や鉄道網が寸断されたりした。

 当時は石巻市で都市ガスが復旧せず、政府が被災地向けに確保した食料が避難所まで届かないという問題も解消されていなかった。そこに再び襲った激しい揺れ。ガソリンスタンドの前には給油を待つ車両の長い列ができるなど社会の混乱が拡大した。

 4月の余震で岩沼市の自宅が倒壊した仙台市太白区の「あすと長町仮設住宅自治会」会長飯塚正広さん(53)は「被災者がまだ避難所にいた時期なのに節操がない。怒りを通り越してあきれる」と農水省の対応を非難。

 職員用の銀杯に国費を投入した点について飯塚さんは「11年4月7日の時点で発注をやめるべきだった。時代遅れのあしき慣習はやめ、日本農業のかじ取り役としての責任を全うしてほしい」と話した。

◎関連記事/震災後、国費で銀杯大量購入・東北農政局
http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201410/20141029_13013.html

 

2014年10月29日水曜日

関連ページ:宮城社会

「外からの目」住民鼓舞/(下)集落再生/10年後の被災地・新潟

2014-10-25 07:12:58 | 震災

河北新報より転載

「外からの目」住民鼓舞/(下)集落再生/10年後の被災地・新潟

木沢集落の住民たちとイベントの打ち合わせをする春日さん(右から3人目)=16日、長岡市

 新潟県中越地震の震央に近い長岡市川口地域の木沢集落で16日、住民組織「フレンドシップ木沢」の会合が開かれた。
 月1回の定例会。予定する行事や復興記念誌の作成状況を担当者が報告した。地震から10年の節目を迎え、週末はイベントが続く。「忙しくて、田んぼが片付かねえ」。言葉とは裏腹に出席者の表情は明るい。

<過疎に危機感>
 山あいの約50戸の集落は甚大な被害を受け、転出世帯が相次いだ。「何もしなければムラが沈んでしまう」。強い危機感が住民の背中を押した。
 「木沢らしさを楽しむ」「収入を得られるようにする」。地震から約4年後、活動基盤となる「復興7ケ条」を起草して活動を本格化させた。
 中越地震の被災地では住民の生活再建が進むと、官民の支援の軸足は山間部の集落再生に移った。けん引したのは財団形式で運営する「復興基金」と、集落に密着し行政との橋渡し役を担う「地域復興支援員」だった。
 木沢集落は、基金を利用し、全戸に屋号看板を設置したり、ボランティアの学生らとともに遊歩道を整備したりした。廃校を改修して宿泊施設を整備し、高原野菜や棚田米を使った料理も提供している。
 基金は行政予算よりも柔軟性があり、地域事情に応じた資金拠出が可能だった。アイデアが次々と形になり、フレンドシップ木沢の前会長、小林正利さん(73)は「他人任せでは駄目だと気付き、やればできると自信になった」と振り返る。

<信頼関係築く>
 支援員は、基金を活用して2007年から配置された。多い時で約50人、今も35人が活動する。集落出身ではない「外からの目線」が、集落の活性化に一役買った。
 担い手が減る中で地域の伝統を残そうと、木沢集落は08年、周辺の三つの集落と持ち回りで合同盆踊りを始めた。踊りの輪が大きくなり、ムラがにぎわった。互いをつなぎ、後押ししたのが春日惇也さん(30)=上山市出身=ら支援員だった。
 春日さんは長岡市の大学を卒業後、ボランティアとして被災地支援に関わり07年、支援員に。集落に通うたびに住民の家でお茶や酒を一緒に飲み、話にじっくりと耳を傾け、信頼関係を築いた。
 来年3月末までだった支援員制度は3年の延長が決まった。「地域資源を生かして稼げるような仕組みをつくりたい」と話す。
 3メートル以上も雪が積もる集落は約30戸にまで減り、未成年者は一人もいない。住民が願う移住者はおらず、状況は厳しいままだが、小林さんらは「地震前より楽しいムラになった」と前を向く。
 25日、学生らを招き、住民総出で感謝の思いを発信する交流会を開く。集落で初めて花火も打ち上げる。地域おこしの「第二幕」が始まる。

 

2014年10月25日土曜日

関連ページ:広域社会
 

<福島県知事選ルポ>仮設暮らし4度目の冬、先は見えず

2014-10-18 16:09:38 | 震災

河北新報より転載

<福島県知事選ルポ>仮設暮らし4度目の冬、先は見えず

河北新報 10月18日(土)12時48分配信

 東日本大震災と福島第1原発事故後、初めてとなる福島県知事選は26日の投票まで1週間となった。候補者たちは選挙カーを走らせ、足早に有権者の元を通り過ぎる。「仮設住宅」「介護」「中小企業」「原発・除染作業員」-。それぞれの日常は候補者に届いているだろうか。「フクシマの現場」に記者が密着した。

<亡き夫が愚痴>
 木が裂けると、どんな音がするのだろう。狭い寝床でぼんやり考えた。しまい忘れた風鈴の音が次第に遠ざかる。
 福島第1原発事故で、約6700人が全村避難している福島県飯舘村から車で約40分。91世帯147人の村民が暮らす伊達東仮設住宅(伊達市伏黒)の菅野節子さん(70)宅に14日、1泊した。
 4畳半二間のうち、こたつを置いた部屋に通された。真っ先に視界に飛び込んできたのは、壁の至る所に入る亀裂だ。最長約1メートル40センチもある。
 「乾燥が不十分な木を使ったのでは」。入居した2011年8月以降、部屋全体に響き渡る音で何度も目を覚ました。
 仮設全体に東北産のスギが使われ、プレハブ仮設より断熱性に優れる。1世帯ずつ建てられ、プライバシーも保たれている、ように見える。
 ただ、入居3カ月後に病死した夫の俊一さん=当時(71)=は「こんなやかましい所にいられない」と繰り返しこぼしていたという。
 飯舘村の自宅は建坪150坪で7部屋ある。自宅物置の半分程度の広さに夫婦で閉じ込められ、先が見えない避難生活…。俊一さんは仮設暮らしになじむことなく逝った。
 夫婦で村特産の葉タバコを栽培していた。品質が自慢で、日本たばこ産業から7回表彰された。節子さんが、飯舘産の葉がブレンドされていたという国産たばこに火を付ける。
 窓から吹き込む風に煙が揺れる。「女性のたばこは見た目が悪い」。俊一さんに注意されたが、6年前から隠れて吸ってきた。今は自由に吸える。でも、夫の小言は頭から離れない。

<ゆとりくれた>
 夕食は自家製のぬか漬け、キュウリとワカメの酢の物、赤大根の酢漬け、スーパーで買ったチキンナゲットとポテトサラダ。
 会話は、夫婦の物語から近所の話題に移った。6月、斜め向かいに住む60代の男性が孤独死した。慌ててメモを取る。
 男性はいつも酔っていた。最後に会った時、「寿命が縮むよ」と忠告すると、吐き捨てるように言った。「俺は、早く人間を辞めたいんだ」
 男性はいすに座った状態で見つかった。死後、少なくとも2日が経過していた。「男の独り者には声を掛けづらかった」と節子さんは悔やむ。
 仮設暮らしは丸3年を過ぎた。座ったまま何にでも手が届く生活が、妙に体になじんできた。避難生活で体重が5キロ増えたが、午前3時半起きの葉タバコ収穫という重労働からは解放された。
 「農家を続けていたら、間違いなく体を壊していた」。節子さんは「神様が老後のゆとりをくれたのかも」と、自分に言い聞かせている。
 避難指示が解除されるのは早くて16年3月の見通しだ。近づく4度目の冬。5度目の冬も、節子さんは仮設で迎えることだろう。
 仮設の内と外で吹く「すきま風」が気になる。

<記者の一言/幸せの意味考える>
 日常を突然、奪われた節子さんの仮設暮らしは3年3カ月に及ぶ。「狭くて大変だろうな」。私の先入観は良い意味で裏切られ、節子さんは「ある意味で幸せ」と話す。「ある意味」-。その意味を今も考えている。(福島総局・横山浩之)

河北新報社

最終更新:10月18日(土)12時48分

河北新報

 

「身元特定につながる何かを」 久慈署が集中捜索

2014-10-18 06:57:22 | 震災

岩手日報より転載


「身元特定につながる何かを」 久慈署が集中捜索

 久慈署(沢田徳伸署長)は15日、久慈市と普代村の漁港周辺で、東日本大震災の行方不明者を集中捜索した。沿岸北部は南部に比べて被害が少なかったが、大切な人を津波にのまれた家族の悲しみは変わらない。不明者の帰りを待つ家族は、警察に感謝しながら捜索を見守っている。

 署員6人は台風が去った後も高波が押し寄せる海岸沿いを歩き、警杖(けいじょう)で身元の手掛かりを捜した。同署管内の行方不明者数は久慈市2人、普代村1人。同市侍浜町の女性(56)は、夫=当時(59)=が行方不明となっている。

 買い物で歩く夫婦に夫の姿が重なるという女性。「時間がたっても悲しみはなくならない」と涙を浮かべる。「気持ちを整理する意味でも身元につながる何かが見つかってほしい」と警察の捜索に望みを懸けている。

【写真=「骨のかけら一つでも見つけたい」と海岸沿いで捜索に励む久慈署の署員】

(2014/10/16)

投票できぬ歯がゆさ/政治が遠い 福島知事選 県外避難者の声(5)

2014-10-15 08:29:47 | 震災

河北新報より転載

投票できぬ歯がゆさ/政治が遠い 福島知事選 県外避難者の声(5)

「いまも福島県民だ」と自宅前で古里への思いを語る大沼さん=11日、茨城県古河市

◎双葉町から茨城県古河町 大沼勇治さん(38)

 「福島第1原発事故による被災県だからこそ、脱原発を争点に白黒はっきりするべきだ」
 福島県知事選が告示された9日。福島県双葉町に自宅がある自営業大沼勇治さん(38)は、いわき市で候補者の街頭演説を聞いているうちに、もどかしさを募らせた。
 自宅は帰還困難区域にある。昨年2月、避難先の茨城県古河市に住民票を移した。古里への愛着は変わらず、月に1度は帰宅する。投票はできないが、知事選候補者の政策を比較し、誰が福島の未来を担うべきか見極めるつもりだ。
 原発事故直後、妻は妊娠7カ月。混乱の中、親類のいる愛知県に逃れた。長男(3)と次男(2)が大きくなるまでは、双葉に帰って暮らすことは断念した。
 住民票の異動はやむを得なかった。住宅購入や太陽光発電の補助申請、子どもの予防接種などで不都合が生じたためだ。
 自宅と避難先。二重生活を送る県民は多く、双方に住民票があれば、さまざまな手続きを取りやすい。何より古里とのつながりを維持できる。だが、住民票の二重登録は認められていない。昨年の参院選と双葉町長選で、一票を投じることはできなかった。
 大沼さんの原発に対する考えは事故前と180度変わった。個人で太陽光発電事業を始め、茨城、栃木両県の空き地計5カ所で太陽光発電パネルを設置する計画を進める。原発事故による避難者として、講演で脱原発を訴える。
 「原発は全基廃炉にして、自然エネルギーで復興するしかない。国にはっきりものを言える知事が必要だ」。茨城から「福島県民」として福島を見続けている。

 

2014年10月15日水曜日

関連ページ:福島社会
 

1177.運動会後に集団で不調を訴える柏小のこどもたち

2014-10-11 10:38:07 | 震災

元東電原子力技術者、現医師の独り言より転載

2014年10月02日

1177.運動会後に集団で不調を訴える柏小のこどもたち

・柏の小学校のこどもたちが運動会のあとに集団で食中毒様症状を起こして、多数欠席
・柏はフクシマ後のホットスポットであり、高濃度汚染土壌を敷地内に埋設している
・チェルノブイリのこどもたちも、同じようなはっきりとしない体調不良を訴えていたことに注意する必要がある


千葉県柏市で、非常におかしな「食中毒様の症状が出ています。
感染性胃腸炎の疑いで臨時休校(NHK)
千葉県柏市の小学校で、およそ100人の児童がおう吐や下痢などの症状を相次いで訴え、市の教育委員会は、感染性胃腸炎の集団感染の疑いがあるとして、2日と3日の2日間、臨時休校としました。

柏市教育委員会によりますと、柏市松ヶ崎の市立柏第4小学校で、30日からおう吐や下痢などの症状を訴える児童が相次ぎ、1日は欠席者が97人に上りました。
市の教育委員会は、感染性胃腸炎の集団感染の疑いがあるとして、2日、学校を臨時休校としたほか、3日も臨時休校にすることを決めました。
市の教育委員会は、学校給食による集団食中毒の可能性は低いとみています。
その理由として、発症が相次ぐ前、最後に給食が出されたのが先月26日で、発症まで時間がたっているためだとしています。
地元の保健所は、原因や感染経路などを調べるとともに、市内の小学校に対し、手洗いやうがいを徹底するよう呼びかけています。10月02日 22時11分

一見して、異様な記事です。多数の食中毒様症状が出ているのに、「給食」が原因ではない。しかし、感染経路を調べるという、支離滅裂であるからです。あとは、便などによる集団感染ですが、これほどの広がりは持たないはず。

次は読売新聞
運動会後に胃腸炎での欠席者急増、小学校休校に2014年10月03日 15時54分
(前略)
 市教委や同校によると、9月30日に欠席者が47人と急増し、10月1日には97人に上ったため、同日午後に授業を打ち切った。同校では9月27日に運動会があり、日曜の28日の後、29日も代休だった。運動会には児童がそれぞれ弁当を持参し、職員に症状は出ていないという。欠席者急増の前に給食があったのは26日が最後で、給食が原因の可能性は低いとみているが、念のため給食調理員の検査なども行っている。
NHKの記事よりはマシですが、これでもよくわからない。たしかに、給食である可能性は-途中に運動会の弁当も入っていることを考えれば-おかしい。

柏四小☆携帯用掲示板
■2014.10.3-12:42
柏第四小学校
臨時休業2日目
柏第四小学校 保護者様 ほぼ全員が快方に向かっています。新たに下痢や嘔吐の症状が出た場合は,学校へ連絡をお願いします。台風18号の影響も心配されます。5日日曜日正午までにスクールメールにて,6日からの予定を連絡します。 柏第四小学校長
■2014.10.2-15:59
柏第四小学校
臨時休業について10月2日
柏第四小学校 保護者様 昨日までの欠席者と早退者に連絡を取ったところ,ほとんどの児童が快方に向かっています。家族に感染したケースもほとんど起こっておりません。なお,新たに嘔吐等の症状が出た場合は担任まで御連絡ください。6日から元気に学校生活が送れるよう,引き続き外出を控え健康管理に十分配慮するようお願いいたします。 柏第四小学校長
■2014.10.1-18:14
柏第四小学校
臨時休業中の注意等について
柏第四小学校 保護者様
 今回の臨時休業の実施にあたりましては,御理解と御協力を賜り感謝申し上げます。次の点で,さらに御協力をいただきますようお願いします。1.臨時休業中は,外出を控え健康管理に十分配慮する。2.健康調査票に記入し6日(月曜日)に全校児童が提出する。3.健康状態について担任から問い合わせすることがある。なお,5日(日曜日)のグランドゴルフ大会は実施するそうです。健康状態に自信がある児童の参加でお願いします。終わりに,1年生の校外学習は,10日(金曜日)に延期して実施します。柏市立柏第四小学校長
■2014.10.1-11:19
柏第四小学校
臨時休業について
 本日,欠席者と早退者を併せて全校で100名を超えましたので,給食後13:10下校とします。また,明日2日(木)と3日(金)は臨時休業にします。家庭で安全に過ごせるよう御協力をお願いします。それに伴い,学童ルームに通っている児童を本日17:00まで学校で預かります。それまでにお迎えに来られない保護者の方は,担任まで連絡をお願いします。
なお,明日の1年生の校外学習は延期とします。柏第四小学校長
 

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