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津波伝える地形模型/教訓実演通し全国に/宮古工高実習教諭・山野目弘さん(61)=宮古市/その先へ

2014-09-21 07:13:26 | 震災

河北新報より転載

津波伝える地形模型/教訓実演通し全国に/宮古工高実習教諭・山野目弘さん(61)=宮古市/その先へ

 教え子たちに指示を出し、実演の準備をする山野目さん(中央)

 手作りの地形模型を使い、津波の恐ろしさや避難の大切さを伝える。宮古工高実習教諭の山野目弘さん(61)が、機械科3年の選択実習「津波模型班」の指導者として、生徒たちと東日本大震災前から続けてきた活動はことし、10年の節目を迎えた。
 過去にたびたび津波被害に見舞われてきた釜石市の出身。静岡市などの造船会社で技術者として10年ほど働いた後、高校の実習教員に転職した。
 模型を使った津波の実演を発案したのは、2005年。船体の設計をする際、しばしば製作した模型に着目し、実業高校ならではの防災啓発活動を思い立った。
 海底を含めた沿岸の地形をベニヤ板と紙粘土で忠実に再現し、色水を流して「津波」を発生させる装置を生徒たちと作った。宮古市内の小中学校に出向いて実演を始めた。
 自分たちが住む地域が実際にどう浸水するか、視覚に訴える実演は「分かりやすい」と評判を呼んだ。

 活動開始から6年目に震災が起きた。防潮堤を越えて、大津波がまちを襲った。市内で600人以上が亡くなり、自身も家を失った。
 「津波は再び来るとは思っていたが、これほど大きな津波が本当に起きるとは…」。模型で実演してきたことが現実になり、ぼうぜんとするしかなかった。
 犠牲者の中には、高台にいったん逃げたのに引き返した人が少なくなかった。その中には宮古工高の卒業生もいた。津波が憎らしかった。
 それでも、震災前に実演した小中学校にいた子どもたちは高い場所に避難するなどして無事だった。「実演のおかげです」。教員に感謝され、救われた思いがした。
 「津波てんでんこ」。親子きょうだいを待たずにばらばらに逃げるという先人の教えの正しさが痛いほど身に染みた。同時に、自分たちが教訓を伝えていかなければならないと考えた。定年退職後も再雇用され、学校に残った。

 ことし7月、南海トラフの巨大地震が懸念される四国と関西を生徒たちと9日間かけて回り、4カ所で実演会を開いた。旅費は、防災教育に関するコンクールで獲得した賞金などで工面した。
 模型班の生徒たちは、つらいはずなのに震災体験を打ち明けた。「伝えたい」という強い意志を感じ、思わず涙がこぼれた。実演を重ねるうちに度胸が付き、堂々としていく姿が頼もしい。
 これまでに製作した模型は10基に増え、実演会は100回を超えた。津波模型班のOBは約50人に上る。年末には10周年の祝賀会を開く予定だ。
 「津波のときは、率先して避難し、まわりに手本を示してほしい」。教え子たちには「てんでんこ」の実践者の役割を期待している。(坂井直人)

 

2014年09月21日日曜日

関連ページ:岩手社会

【今日は2011.3.1東日本大震災から、3年6ヶ月目の「月命日」です】

2014-09-11 08:24:56 | 震災

佐々木 公哉さんブログより転載

佐々木 公哉さんが新しい写真を11枚追加しました。

【今日は2011.3.1東日本大震災から、3年6ヶ月目の「月命日」です】
そして、間もなく4回目の「お彼岸を迎えます」

今や、「津波被災地など終わったこと」とよく言われますが、そうではあえりません。 マスメディアを含めて、政府も国民全体では、「3.11は終わってる」ような言動があります。
それは、間違いです。復興していないのです。

普通の平凡な当たり前の日常を送れる生活がどれほど幸せなのか・・。
被災地では、ゆくづく、そう思いながら生活しています。
昨日も、311の余震がありました。
地震があるたびに、怯えて、あの日を思い出してしまいます。

一方、専門家からは「都市直下型地震」や「東南海トラフ地震・津波」が近い将来起きると言われています。是非とも、自分のことして考えて欲しいのです。
最近は、ゲリラ豪雨で広島も大きな被害が出ています。
 国民に訴えます。天災や災害はいつどこで起きてもおかしくない日本なんです。
自分のこととして考えて頂きたいのです。

【震災死者・行方不明者数】(原則毎月10日警察庁発表)
2014/9/10現在:死者 15889人、行方不明 2601人
<北海道>死者   1人
<青森県>死者   3人、行方不明 1人
<岩手県>死者 4673人、行方不明 1132人
<宮城県>死者 9538人、行方不明 1261人
<福島県>死者 1611人、行方不明 204人
<山形県>死者   2人 <東京都>死者   7人 <茨城県>死者  24人、行方不明  1人 <栃木県>死者   4人 <群馬県>死者   1人 <千葉県>死者  21人、行方不明  2人 <神奈川県>死者  4人

【震災関連死】(2014年5月27日復興庁発表)
2014/3/31現在:3,089人
<岩手県>441人 
<宮城県>889人
<福島県>1,704人 
<山形県>2人  <茨城県>41人  <埼玉県>1人  <千葉県>4人 <東京都>1人  <神奈川県>3人 <長野県>3人
http://hinansyameibo.seesaa.net/article/398783868.html

【避難・転居者数】(2014年8月29日復興庁発表)
2014/8/14現在:24万5622人(前回より1611人減)
※都道府県別⇒http://www.reconstruction.go.jp/topics/main-cat2/sub-cat2-1/20140829_hinansha.pdf
【県外への避難・転居者数】(2014年8月29日復興庁発表)
2014/8/14現在:岩手県から1,513人、宮城県から6,974人、福島県から47,149人

▼これは、被災したときの岩手県・田野畑村島越地区全てが流されて無くなっていました。(この撮影した時は、夢なのか現実なのか・・? そんな思いでした。)

お彼岸には、震災で亡くなったり、行方不明の方々の魂が、天から降りて来ます。
今の、辛いながらも懸命に生きてる。生き残った僕達の、姿を見届けて、また天に昇っていくのでしょう。

津波被害の大きかった宮城、岩手の被災地は、この3年6ヶ月の時間がありながら、政治や政府の官僚の対応政策が遅く、また被災地の現実と合わない愚策ばかりです。なので、復興が進んでいません。
当初2年使用の応急仮設住宅は老朽化して、仮設の仮設が必要となっています。
こうした中で、自分を含めて、不安、焦りが大きなストレスとなり、溜まって「心の病」が見られます。
良かったら、転載、拡散、シェアお願します。

どうか・・・。岩手・宮城
津波被災地のことも、忘れない欲しいのです。

佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
佐々木 公哉さんの写真
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「夢燈花」に命の大切さ託す

2014-09-10 06:53:20 | 震災

河北新報より転載

「夢燈花」に命の大切さ託す

 2014本の手作りろうそくの火が、夕闇の校庭に浮かび上がった

 手作りのろうそくに火をともし、命の大切さを考える「みやぎ夢燈花(ゆめとうか)2014」が6日、仙台市泉区の南中山小であった。東日本大震災から11日で3年半になるのを前に、犠牲者の追悼と復興への祈りを込めた。
 南中山地区の住民らでつくるNPO「みやぎ夢燈花」の主催で8回目。2001年、大阪府池田市で起きた校内児童殺傷事件後に同市で行われた催しに共感して始まった。
 校庭には、南中山小や池田市の児童らが作ったろうそく2014本が並んだ。児童ら約500人が一本一本に火をともすと、夕闇の校庭いっぱいに光が浮かび上がった。
 NPOの石川健会長(68)は「震災からの心の復興のため、授かった命を生きる大切さを子どもたちに感じてもらいたい」と話した。

 

2014年09月10日水曜日

関連ページ:宮城文化・暮らし

海よ鎮まれ 南相馬・烏崎浜で塩垢離神事

2014-09-08 08:03:21 | 震災

河北新報より転載

海よ鎮まれ 南相馬・烏崎浜で塩垢離神事

 くんだ海水を運ぶ烏中さん

 南相馬市鹿島区の烏崎浜で7日、東日本大震災後初めてとなる若宮八幡神社(西徹雄宮司)の塩垢離(ごり)神事が行われた。
 塩垢離は、相馬地方の多くの神社に伝わる神社の霊力の再生を図る神事。海から離れた塩崎地区にある若宮八幡神社では、12年ごとに午(うま)年に執り行う遷宮祭で海水をくみ神社に供える。
 塩垢離は代々、海辺の烏崎地区の住民が行う習わし。早朝、雨が降る中、白衣に身を包んだ烏崎行政区長の烏中清さん(65)が海に入り、おけに海水をくんで持ち帰った。
 烏崎浜は震災の津波で壊滅し、烏崎地区では50人以上の住民が犠牲になった。大役を果たした烏中さんは「津波で犠牲になった人への鎮魂と、この世の安寧を祈りながら務めた」と話した。

 

2014年09月08日月曜日

関連ページ:福島文化・暮らし

第41回赤旗まつり 石巻「ヤマトミ」 初出店 感謝込め復興の味届けたい

2014-09-07 12:15:13 | 震災

sしんぶん赤旗     

2014年9月7日(日)

第41回赤旗まつり

石巻「ヤマトミ」 初出店 感謝込め復興の味届けたい 

写真

(写真)出品する水産加工品を示す千葉さん=3日、宮城県「震災後、共産党のボランティアなど全国から支援をいただいて、復興に向けてがんばっています。その感謝の気持ちをこめておいしいものをお届けしたい」―。宮城県石巻市の水産加工「ヤマトミ」の千葉雅俊社長(62)は、初出店する赤旗まつり(11月1日から3日)に向け、はりきって準備中です。

 石巻港に水揚げされたマアナゴを独自のタレで味付けした「煮焼き真穴子」。油がのっていることで知られる同県金華山沖でとれたサバを使った「金華〆(しめ)さば」、新商品の「ぶりの生ハム燻製(くんせい)風味」など自慢の逸品をそろえる予定です。

 千葉さんは、市内の同業者やしょうゆ、みそ会社、米農家などと連携して「石巻うまいもの発信協議会」を昨年9月に発足し、会長を務めています。

 「東日本大震災からの復興へ、一致団結して新しい味作りに挑戦しています。今回の赤旗まつりは、自社製が中心ですが、他社の商品も出品して、多くの方に石巻の味を知ってもらいたい」

 2011年3月11日、石巻港に近い千葉さんの会社は、大津波に襲われ冷凍倉庫や事務所に甚大な被害を受けました。自宅も浸水し、母親は帰らぬ人に…。自身は、車で逃げる途中に津波にのまれましたが、奇跡的に助かりました。

 「水産業が再建しないと石巻は復興できないという思いで、会社の再建に従業員や家族とがんばってきた。共産党の大門さん(実紀史参院議員)らが尽力して実現した、中小企業へのグループ補助制度はとても役立っています」

 福島第1原発事故による放射能汚染の風評被害を受け、売り上げは震災前の半分程度までしか戻っていません。高価な放射能測定器を導入し、「食の安全」を徹底するなど懸命の努力が続いています。

 「まだまだ再建途上ですが、赤旗まつりでは、元気に復興の味をお届けします。まつりを祝って“サービス価格”で提供するつもりなので、ぜひ立ち寄ってください」


日曜版7日号 原発事故被害者に勇気広げる判決 激変 政治への若者の意識

2014-09-05 11:23:33 | 震災

しんぶん赤旗               2014年9月5日(金)

日曜版7日号

原発事故被害者に勇気広げる判決

激変 政治への若者の意識

 

写真

 

 東日本大震災から間もなく3年半。福島地裁が、避難生活をしていた妻の自殺の原因を原発事故だと認める画期的判決を出しました。原告や被災者の思い、弁護士や専門家の見方などを特集で。進まない災害公営住宅建設の実態もリポートします。

 戦争する国づくりが進む中、政治に対する若者の意識が激変しています。若い世代の思いを日曜ワイドで紹介します。

 「日本の岐路 今言いたい」は漫画家の、ちばてつやさん。シリーズ「私と介護」は、認知症の義母を介護する洋画家の城戸真亜子さんです。

 日本年金機構からオレンジ色の封筒が届いたら確認を。手続きすれば年金受給額が増えるからです。「お役立ちトク報」で。

 広島市土砂災害から半月。現地取材や日本共産党の国会質問で浮上してきたことは…。

 川内原発再稼働を止めようと国会前や地元で大集会が開かれました。

 「いっせい地方選2015」は、元派遣・シングルマザーで、東京都豊島区議選に挑戦する清水みちこさん。

 日本航空の管財人が不当労働行為をしたと東京地裁が断罪しました。その意義は…。

 重松清さんの連載小説がスタートします。

 「ひと」は、女優の池上季実子さん。


サンマの町で初水揚げ・女川

2014-09-04 08:23:07 | 震災

河北新報より転載

サンマの町で初水揚げ・女川

 魚体を銀色に輝かせ、次々と水揚げされるサンマ=3日午前7時30分ごろ、女川魚市場

 全国有数のサンマ水揚げを誇る女川町の女川魚市場で3日、今季初のサンマの水揚げがあった。東日本大震災で被災した施設の復旧が進み、今季は受け入れ目標を震災前の8割に設定。入札では昨年の倍近い高値が付き、「サンマの町」復活に向けて好スタートを切った。
 北海道船籍の「第68福神丸」(199トン)が午前6時から、根室沖で捕った67トンを水揚げした。最高で1キロ当たり510円で取引され、昨年(283円)を大きく上回った。
 浅野正二漁労長(52)=南三陸町=は「8月のサンマ漁解禁直後は不漁だったが、ここ数日で群れが見えてきた。魚体も大きく、今後に期待したい」と語った。
 女川魚市場は震災で地盤沈下した岸壁の復旧工事が本年度内に完了する予定。背後地の水産加工団地では工場再建が進み、魚市場の加藤実専務は「1日最大1000トンを受け入れたい」と意気込んでいる。


大槌・蓬莱島の弁天さま、修復終え帰郷

2014-09-01 07:29:25 | 震災

河北新報より転載

大槌・蓬莱島の弁天さま、修復終え帰郷

蓬莱島(左奥)を望む大槌漁港で、修復された弁財天像の帰郷を祝った神事=岩手県大槌町赤浜

 東日本大震災の津波で被災した岩手県大槌町の蓬莱島に祭られ、奇跡的に流失を免れた弁財天像が31日、修復を終えて町に戻った。人形劇「ひょっこりひょうたん島」のモデルとされ、町の復興の象徴になっている島の守り神の帰郷に、出迎えた多くの町民は、前へ進む思いを新たにした。
 蓬莱島を望む大槌漁港であったお迎え式には、町民ら約400人が参加。金色の厨子(ずし)に安置された弁財天像の前で神事の後、虎舞や神楽、鹿子踊をにぎやかに奉納し、帰郷を祝った。
 周囲約200メートルの蓬莱島は津波で鳥居や社殿が全壊。弁財天像は社殿の中で見つかった。管理する地元赤浜の住民らでつくる「ひょうたん島復興プロジェクト」が昨年7月、横須賀市の仏師に修復を依頼。費用約200万円は民間支援団体の助成金や寄付金を充てた。
 高さ約60センチの弁財天像は色鮮やかな装束や穏やかで美しい面持ちがよみがえった。式の後、山車に載せて地区を練り歩き住民にお披露目した。
 本殿の修復は約3000万円掛かる見込みで、再建のめどは立っていない。プロジェクトは引き続き協力を呼び掛ける。
 代表の岡本大作さん(65)は「住民の心のよりどころが復活し、支援に感謝する。弁天さまには仮設住宅で暮らす住民同様、高台にある八幡神社に仮住まいしてもらうが、本殿も再建したい」と話した。

2014年09月01日月曜日

 

キンちゃんとタロウの海(5)ー4年目の被災地から 曇る日には力をもらう

2014-08-29 17:48:58 | 震災

中日新聞より転載

キンちゃんとタロウの海(5)ー4年目の被災地から

(2014年8月29日) 【中日新聞】【朝刊】

曇る日には力をもらう

相棒に支えられ、キンちゃんは「心の復興」へと進む=岩手県田野畑村で

 漁師のキンちゃんこと佐々木公哉さん(58)は=岩手県田野畑村=は6月、1週間の旅をした。
 最初の目的地は甲府市。復興支援ライブに招かれ、被災地の現状を講演した。主催したのは、キンちゃんから古い漁網の提供を受け、ミサンガを作って被災地支援に役立てている女性グループ。長野や東京でも、活動が続いている。
 次は東京。国会議員たちに三陸の漁師の窮状を訴え「低利の融資制度を新設してほしい」と要望した。東京の仲間たちが橋渡しをした。
 そして、神奈川県横須賀市の佐島漁港を訪れ、観光客でにぎわう朝市を見学した。三陸では、漁師たちが競争をして魚を捕り合うが、結果的に安く買いたたかれてしまっている。生き残りには、付加価値づくりが欠かせないと再認識させられた。若い漁師たちの笑顔から「力をもらった」。

 震災前に比べ、大きな違いは「陸上での人間関係」が豊かになったこと。気持ちの浮き沈みは続くが「視野が広がって、少しは成長できたかも」。
 愛犬タロウは昨年10月、震災後初めて、リードをひきちぎって脱走した。家族全員で探し回っても、役場や警察に届けても行方が分からない。「山でクマに襲われたのかも」と、眠れぬ日が続いたが、四日後に見つかった。
 12キロ離れた隣村の山小屋前で、飼われている雌犬に求愛していた。飼い主が追い払うと山へ逃げ込むが、すぐに戻ってくる。郵便配達員から「佐々木さん宅のタロウでは」と聞いた先方から連絡があった。
 老境にさしかかった犬とは思えぬやんちゃぶり。キンちゃんはあきれつつも「このパワーで、津波を乗り越えたんだなー」と思う。
 キンちゃんの座右の銘は「照るも曇るも自分次第」2010年の正月に亡くなった母りよさんの口癖だった。どんなにつらい状況でも、前を向くことが大切だと、天国から励まされている気持ちになる。そして、いつも天真らんまんなタロウに、青空のイメージを重ねる。
 気分が沈むと、キンちゃんはタロウを抱きかかえ「これからどうするべ」と語り掛ける。
 タロウは何も応えず、じっとしている。その顔を見ているだけで、キンちゃんは心が落ち着く。=おわり

(この連載は、安藤明夫が担当しました)


キンちゃんとタロウの海(4)ー4年目の被災地から 人の心も変わったよ

2014-08-28 20:20:22 | 震災

中日新聞より転載

キンちゃんとタロウの海(4)ー4年目の被災地から

(2014年8月28日) 【中日新聞】【朝刊】

母校の小学校の跡地は消波ブロックの置き場になり、雑草が生い茂る

 愛犬タロウとともに、再び漁に出るようになったキンちゃんこと佐々木公哉さん(58)=岩手県田野畑村=は、やがて悪夢に苦しむようになった。震災直後、津波で流されたタロウを探し回る中で見た村の光景が、眠りの中で鮮明によみがえるのだ。
 最もひどかったのは、三陸鉄道の島越駅近くにあった実家の周辺。住宅街は土台が残るだけ。通った小学校の二階建て校舎も、全壊した。駅前の広場もがれきに埋まり、回収されていない遺体があちこちにあった。家具にはさまれて息絶えていた女性は、幼なじみだった。
 強烈な心的外傷後ストレス障害(PTSD)。「漁が順調だったら、乗り越えられたと思う。でも、この状態だから…」とキンちゃんは言う。
震災後の三年で震度1以上の余震が1万回を越え、海底の泥を巻き上げる。長期間沈んでいた布団の綿が水中を漂い、網に張り付く。かご網をつなぐロープが、がれきにひっかかって切れることもある。タコ、サケ、イカ、サンマ…とすべての魚種が不漁で、魚市場は閑散としている。漁船の備品や魚網などが、あちこちで盗まれるようになった。
 恵みの海も、人の心も変わってしまった。漁船の改造に使った千八百万円の借金を返すめども立たない。

 時間の経過とともに、被災地の報道が減り、原発再稼働、二〇二〇年東京五輪、集団的自衛権と、キンちゃんにとって納得できないニュースが続くことも胸を締め付けた。
 キンちゃんは若いころ、勤めていた村役場の人間関係に悩み、アルコール依存症になった。治療を受けて十九年間断酒を続け、安定した日々を送ってきたが、それも途切れた。「スリップ」と呼ばれる現象だ。
 入院して抗酒剤を服用し、PTSDに向き合うカウンセリングを受け、再び断酒。それを、この二年で三度繰り返した。
 でも「隠すことが大敵」という信念を持っている。
 「震災直後から、私のように心の問題を抱える人はたくさんいたけど、精神科に偏見があって、かかろうとしない。それではこじらせてしまう」
 ブログで入院を報告すれば、全国の仲間から励ましの声が寄せられる。そして、退院すれば相棒のタロウが全身で喜びを表現して、迎えてくれる。一人じゃないことが、揺れる心を支えている。(続く)


あきらめず声をあげよう

老いも若きも安心して暮らせる世の中を 最低年金月七万円 戦争する国つくりダメダメ 投票に行かなければ何も変わらない