河北新報より転載
津波伝える地形模型/教訓実演通し全国に/宮古工高実習教諭・山野目弘さん(61)=宮古市/その先へ

手作りの地形模型を使い、津波の恐ろしさや避難の大切さを伝える。宮古工高実習教諭の山野目弘さん(61)が、機械科3年の選択実習「津波模型班」の指導者として、生徒たちと東日本大震災前から続けてきた活動はことし、10年の節目を迎えた。
過去にたびたび津波被害に見舞われてきた釜石市の出身。静岡市などの造船会社で技術者として10年ほど働いた後、高校の実習教員に転職した。
模型を使った津波の実演を発案したのは、2005年。船体の設計をする際、しばしば製作した模型に着目し、実業高校ならではの防災啓発活動を思い立った。
海底を含めた沿岸の地形をベニヤ板と紙粘土で忠実に再現し、色水を流して「津波」を発生させる装置を生徒たちと作った。宮古市内の小中学校に出向いて実演を始めた。
自分たちが住む地域が実際にどう浸水するか、視覚に訴える実演は「分かりやすい」と評判を呼んだ。
活動開始から6年目に震災が起きた。防潮堤を越えて、大津波がまちを襲った。市内で600人以上が亡くなり、自身も家を失った。
「津波は再び来るとは思っていたが、これほど大きな津波が本当に起きるとは…」。模型で実演してきたことが現実になり、ぼうぜんとするしかなかった。
犠牲者の中には、高台にいったん逃げたのに引き返した人が少なくなかった。その中には宮古工高の卒業生もいた。津波が憎らしかった。
それでも、震災前に実演した小中学校にいた子どもたちは高い場所に避難するなどして無事だった。「実演のおかげです」。教員に感謝され、救われた思いがした。
「津波てんでんこ」。親子きょうだいを待たずにばらばらに逃げるという先人の教えの正しさが痛いほど身に染みた。同時に、自分たちが教訓を伝えていかなければならないと考えた。定年退職後も再雇用され、学校に残った。
ことし7月、南海トラフの巨大地震が懸念される四国と関西を生徒たちと9日間かけて回り、4カ所で実演会を開いた。旅費は、防災教育に関するコンクールで獲得した賞金などで工面した。
模型班の生徒たちは、つらいはずなのに震災体験を打ち明けた。「伝えたい」という強い意志を感じ、思わず涙がこぼれた。実演を重ねるうちに度胸が付き、堂々としていく姿が頼もしい。
これまでに製作した模型は10基に増え、実演会は100回を超えた。津波模型班のOBは約50人に上る。年末には10周年の祝賀会を開く予定だ。
「津波のときは、率先して避難し、まわりに手本を示してほしい」。教え子たちには「てんでんこ」の実践者の役割を期待している。(坂井直人)
2014年09月21日日曜日