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反差別界隈の言論弾圧

2016年10月10日 | 時事・雑文


この記事は「差別とは人の営み」からの続きです。


話を少し飛躍させる。反差別界隈は、そう呼称されることはあっても、彼らの真の狙いは「差別のない社会」ではない。傍証はいくつもあるが、彼らが「日本人に差別されたことはない」と主張する在日を敵対的に排斥するのはよく知られている。「差別のない社会」が目的なら、本来は祝福すべきこと。

では彼らの真の狙いは何か。彼らの個々人がどれほど自覚的であるかは別にして、彼らが向かう先は金正恩率いる言論弾圧独裁体制そのものだ。書店でのサイン会やトークショーなどに圧力をかけて言論弾圧した事案もある。彼らがやっていることは異論に反論ではなく言論弾圧である。差別反対はその口実。

反差別界隈にとって、差別反対や人権は武器として使い勝手が良い。大義名分としてこれを掲げられると日本人は反対しづらいからだ。その戦術で一定の成果を得たから、気に入らない論者や店を気がむくままに潰しにかかる。中国や朝鮮半島でやるのは勝手だが、日本でこんな横暴を許してはならない。

言論弾圧とは、自らが認める思想や言論以外を不当な圧力で潰すことである。反差別界隈で内部抗争や離反が多いのもこの体質が原因だろう。「差別のない社会」とは思想も言論も単色で塗りつぶされた世界ではない。日本を軍国主義だのファシストだのと批判するが、彼らこそがファシストである。

反差別界隈による差別糾弾の対象は、人種差別の領域にとどまらず、今や人の感情やその表出の次元にまで拡大しつつある。彼らがマスコミやメディア界に強いのも、最初から日本国民の人心を管理下に置くことが狙いだったのかとも疑う。彼らは他人(あるいは日本人)を支配しようという欲が強すぎる。

では万が一、反差別界隈が日本を支配することに成功したらどんな世界が待っているのか。おそらくは、日本人は差別主義者、日本人は虐殺主義者などといういつも飛んでくる罵倒の思想が固定化され、贖罪と称して奴隷化することを夢見ているのだろう。要するに李氏朝鮮時代の両班と奴婢の再現である。

こんな話を聞くと、まさか、と思うだろうが、朝日新聞などの長年にわたる論調を振り返れば良い。歴史問題だろうが現実の外交面だろうが常に日本が悪く、謝罪とともに近隣国に譲歩せよ、と常に主張してきた。あれにやられて贖罪意識を持った日本人も多いはずだ。冗談のようで冗談ではない。



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