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《2》南京大虐殺・記者たちの証言

2015年07月19日 | 南京大虐殺




南京戦を戦った日本軍には、150名を超える記者らが従軍していた。朝日新聞記者80名、毎日新聞記者70名他、報知、読売、同盟通信、新愛知新聞、福岡日々新聞、都新聞、福島民放、などの記者。さらに作家、詩人、評論家、画家など。

南京城内の広さは東京・世田谷区より狭く、山手線の2/3以下の面積しかない。150名の記者を南京城内に均等に配置すれば1km四方に約3.8人の記者がいたことになるくらいだから、記者に見つからずに大虐殺を行うことは難しい。

陥落時の南京城内には欧米の記者5名がいたが、陥落2日後の12月15日に南京を出立しているので、大虐殺があったとされる陥落後の数週間は目撃していない。

この記事では、日本側の従軍記者らの証言を列挙する。見ればわかるように、誰も「虐殺」を見ていない。一部の記者が、敗残兵の処刑に憤慨しているのみである。ここからわかることは、敗残兵の処刑は目撃したが記者らはそれを「戦闘の延長」と見なしていて「虐殺」と認識していないということである。そして、市民の虐殺についての目撃証言はひとつもない、ということである。

また、敗残兵の処刑については別記事に示すように、東京裁判での松井司令官への判決文には「市民の保護を怠った」としか書かれていないことや、敗残兵処断を実行した各部隊の師団長や連隊長クラスにはこれを罪を問われた戦犯は誰もいないので、違法行為だったとは断定できない。




「南京の事件ねえ。全然聞いていない。もしあれば、記者の間で話にでるはずだ。記者は少しでも話題になりそうなことは互いに話にするし…それが仕事だからね。噂としても聞いたこともない。朝日新聞では現地記者ばかり集めて座談会もやったが」(朝日新聞上海支局次長・橋本登美三郎)

「わしが朝日新聞の編集局長であった時だ。南京に特派した記者達を集めて、南京に虐殺事件があったとかどうとか噂を聞くが、本当はどうだ?と、一人一人に聞いてみた。全然その様なことは見たことも聞いたこともありません、というはっきりした返事だった」(細川隆元)

「ここ(南京)には1ヶ月ほどいましたが、戦後言われているような事は何も見ていなければ、聞いてもいません。ですから虐殺があったと言われていますが、あり得ないことです。松井大将が絞首刑になったのも不思議でしょうがないのです」(東京日々新聞カメラマン・金沢善雄)

「私は南京をやたら歩いていますが、虐殺を見たことがなければ、兵隊から聞いたこともありません。虐殺があったなんて、あり得ないことです。死体はたくさん見ています。敗残兵がたくさんいましたし、戦争だから撃ち殺したり、殺して川に流したことはあるでしょう」(東京日日新聞・金沢喜雄カメラマン)

「わたしが南京で大虐殺があったらしいとの情報を得たのは、南京が陥落して3ヶ月後のこと。当時、軍による箝口令(かんこうれい)が敷かれていた訳ではない。なぜ今頃こんなニュースが、と不思議に思い、各支局に確認をとったが、はっきりしたことはつかめなかった」(読売上海特派員・原四郎)

「自分が南京戦を終えて上海に帰り、しばらくすると、南京に虐殺事件があったらしいといった噂を耳にした。おどろいて、上海に支局をもつ朝日や読売や同盟など各社に電話を入れてみた。どの社も全然知らぬ、聞いたこともないと言う」(東京日々新聞特派員・五島広作)

同盟通信のなかで虐殺というようなことが話題にならなかったですか?「なりませんでした。その頃、敗残兵や便衣隊がよくいて、それをやる(処刑)のが戦争だとおもっていましたから」(同盟通信映画部カメラマン・浅井達三)

「自転車を持っていたので、毎日あっちこっちに行きました。第一そういう形跡(虐殺)を見たことがありません。中山陵など荒らされていないし、きれいでした。やらなきゃこっちがやられるからやったのを虐殺といっているのだと思います」(読売新聞技師・樋口哲雄)

「城内はどの家も空き家で、物音一つしない死の都市でした。犬、ネコの姿一つ見うけられず、不気味な妖気が漂い、街路は激戦の跡とも見うけられない、整然とした街並みで、びっくりしてしまいました」(12月13日に入城した都新聞・小池秋羊記者)

「12日12時にはじめて城壁を占領し、13日、一部城内に入りました。私もこの時、第13連隊から選抜した部隊と城内に入りました」「13日、14日は城内掃蕩で、残虐行為などありません」(日本軍と共に入城した大坂毎日新聞の五島広作記者)

朝日新聞の南京特派員であった足立和雄氏は、“虐殺目撃者”として名乗り出た朝日新聞の記者・今井正剛氏について、畠中秀夫氏にこう答えた。「あれは自分で見て記事を書く人ではなかった。人から聞いたことを脚色するのが上手かった」朝日新聞の森山喬氏も同様のコメントをしている。

「敗残兵探しの時は難民も動揺していましたが、一般に平静でした。また食糧が無く飢餓状態で、食糧をくれと我々にすがりつく人もいました。私たちの宿舎には米が何俵もありましたので、難民区のリーダーを宿舎に連れていき、米や副食品などを大八車2台分やりました」(都新聞記者・小池秋羊)

「いわゆる“南京大虐殺”というのは、主として住民婦女子を虐殺したものだ。ところが住民婦女子は(全部)「難民区」内にあって、日本の警備司令部によって保護されていた。そして私の所属していた同盟通信社の旧支局はこの中にあって、取材活動をしていた」(特派員・前田雄二)

「14日のことだと思いますが、中山門から城門に向かって進んだ左側に蒋介石直系の88師の司令部がありました。飛行場の手前です。ここで、日本兵が銃剣で中国兵を殺していました。敗残兵の整理でしょう。これは戦闘行為の続きだと思います」(東京日日新聞カメラマン・佐藤振寿)

南京事件を聞いたのは?「戦後です。アメリカ軍が来てからですから、昭和21年か22年頃だったと思います。NHKに『真相箱』という番組があって、そこで南京虐殺があったとの放送を聞いたのがはじめてだったと思います」(南京攻略戦に同行した東京日々新聞カメラマン・佐藤振寿)

「住民は敵意を持っていなかったし、日本兵を怖がってもいなかったと思います。逆に、便衣隊がいましたので日本兵の方が中国人を警戒していました」(読売新聞上海特派員・森博)

「捕虜を捕らえたが、捕虜にやる食糧がないし、収容する所がない。放してもまた兵隊になる。それで困って(処刑を)やったと言っていました・・・下士官が単独でやったと思います。分隊長クラスの下士官です」(読売新聞上海特派員・森博)

「南京にいる間(虐殺を)見たことがありません。戦後よく人から聞かれて、当時のことを思い出しますが、どういう虐殺なのか私が聞きたいくらいです。アウシュビッツのように殺す場所がある訳でもないですからね、私が虐殺の話を聞いたのは、東京裁判の時です」(報知新聞カメラマン・二村次郎)

「虐殺事件に関しては、守山(義男)君が船着場で中国兵を射殺するところを見たといって憤慨していたので、よく憶えている。守山君は中国語ができたので、いろいろ面白い記事が送れたようだ。しかし、その話以外虐殺については聞いていない」(東京朝日新聞記者・平松儀勝)

「揚子江岸に夥しい中国兵の死体の山が連っている。千は越えていた。2千に達するかもしれない。1個部隊の死体であった。城内に戻って、警備司令部の参謀に尋ねてみた。少数の日本部隊が、多数の投降部隊を護送中に逆襲を受けたので撃滅した、というのが説明だった」(同盟通信記者・前田雄二)

「犠牲が全然なかったとはいえない。南京に入った翌日だったから14日だと思うが、日本の軍隊が数十人の中国人を射っているのを見た。塹壕を掘ってその前に並ばせて機関銃で射った。場所ははっきりしないが、難民区ではなかった」(東京朝日新聞記者・足立和雄)

「十三日に、中山門から城内に入りました。もうこの日は、難民区の近くの通りでラーメン屋が開いていて、日本兵が十銭払って、食べていました。それと、中国人の略奪が続いて、中山路で机を運んでいる中国人や、店の戸をこじ開け盗んでいる者もいました」(東京日日新聞カメラマン・佐藤振寿)

「十六日は、中山路で難民区から摘出された便衣兵の写真を撮っています。中山路いっぱいになりましたが、頭が坊主の者、ひたいに帽子の跡があって陽に焼けている者とか、はっきり兵士と分かる者を摘出していました。でも髪の長い中国人は、市民とみなされていました」(東京日日新聞・佐藤振寿)

「日本兵の屍体は撮ってはいけないと言われていましたが、私は何でも撮りました。日本兵が残虐なことをやっている写真なんか一枚もありません。この中には日本兵が慰問袋を中国人にわけてやってるのがありますが、たくさんの中国人が群がっている、そんなものもあります」(東京日日新聞・佐藤振寿)

「朝日新聞が『中国の旅』という連載で、南京で虐殺があったと、中国人の話を掲載していましたが、そのころ日本には、当時南京にいた人がたくさんいるわけです。それなのに、『何故日本人に聞かないで、彼らに都合のいい嘘ばかりのせるのか』そう思いました」(東京日日新聞カメラマン・佐藤振寿)

「13年春(=1938年春)から3年以上も南京に駐在し、取材に当たっていた私が、ついぞそういった風聞(=虐殺)も聞いたことがないのですからね。私も東京裁判でこのことを初めて知った組です。私は“南京虐殺”など、信じません」(当時、上海・南京に特派された従軍記者・小山武夫、後に中日新聞役員・中日ドラゴンズ社長等を歴任)




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「南京大虐殺の真相」
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