信州の山城「海の口城」は
南佐久郡南牧村大芝にあります。
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天文5年(1536年)
武田信虎が率いる甲州勢8000が
城を攻めたが落とせなかった。
この時の城主は平賀源心。
守兵3000。信虎は断念して撤退を開始したが
嫡男の晴信(のちの信玄)が
手勢300を引き連れ
城内で酒宴中の平賀勢を急襲して
勝利を収めたと云われています。
晴信にとっては初陣を華々しく
飾った訳ですが、その主体的根拠、信憑性は
乏しいと言わざるを得ません。
山頂部は大きな岩が随所に露出していて
あまり人為的な工作は加えられていない
イメージが拭えません。
私が今まで精査してきた中では、最も築城痕跡が
見出されない「城」と言えます。どちらかと言うと
概念的には「砦」に近いかも知れません。
尚
この付近の皆さんは今でも
正月には餅を食べないと云われています。
城が落ちたのは年取りから元旦に
かけてと言われていますので
この辺に「いわれ」があるのでしょう。
南佐久郡南牧村大芝にあります。
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天文5年(1536年)
武田信虎が率いる甲州勢8000が
城を攻めたが落とせなかった。
この時の城主は平賀源心。
守兵3000。信虎は断念して撤退を開始したが
嫡男の晴信(のちの信玄)が
手勢300を引き連れ
城内で酒宴中の平賀勢を急襲して
勝利を収めたと云われています。
晴信にとっては初陣を華々しく
飾った訳ですが、その主体的根拠、信憑性は
乏しいと言わざるを得ません。
山頂部は大きな岩が随所に露出していて
あまり人為的な工作は加えられていない
イメージが拭えません。
私が今まで精査してきた中では、最も築城痕跡が
見出されない「城」と言えます。どちらかと言うと
概念的には「砦」に近いかも知れません。
尚
この付近の皆さんは今でも
正月には餅を食べないと云われています。
城が落ちたのは年取りから元旦に
かけてと言われていますので
この辺に「いわれ」があるのでしょう。