サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

西郷隆盛

2010-08-29 19:09:22 | Weblog


久し振りに『西郷隆盛伝説』を紐解いた。
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その著者である佐高信は
文末で及んでこう結んでいる。

「歴史は勝者がつくる。そして、勝者の側に立って
書かれた歴史が”正史”として流布される。
西郷隆盛は勝者と敗者の間を行きつ戻りつした
人である。藩主の怒りを買い何度か島流しにされた
だけでなく、明治維新の最大の功労者でありながら、
その政府に盾突いて謀反人になった。
ために靖国神社には祀られていない。」

明治維新の三傑の一人とされる
大久保利通とは親友の間柄であったが
征韓論で対立後、西郷を失脚させている。

元総理であった麻生太郎氏の祖父は
吉田茂として有名であるが
曾祖父は、この大久保利通にあたる。

命もいらず
名もいらず
官位もカネもいらぬ人(西郷隆盛)は
始末に困るもの也
であったのだろう。

ところで
西郷隆盛さん。
本当の名は「西郷隆永」が正解なのである。

(以下、引用)

薩摩国薩摩藩下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長子。
名(諱)は元服時には隆永(たかなが)、
のちに武雄、隆盛(たかもり)と改めた。
幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、
吉之助と順次変えた。
号は南洲(なんしゅう)。
隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で
位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って
父吉兵衛の名を届けたため、それ以後は父の名を
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邪馬台国は何処?⑤:四隅突出型墳丘墓

2010-08-20 18:55:34 | Weblog


四隅突出型墳丘墓は弥生時代中期以降に
出現します。
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吉備・山陰・北陸の各地方で行われた墓制で
方形墳丘墓の四隅がヒトデのように飛び出した
特異な形の大型墳丘墓です。(写真参照)

(突出部には葺石や小石を施すという墳墓形態。)


山陰〜北陸にわたる日本海沿岸の文化交流圏として
ヤマト王権以前に成立していた王権を想定する
研究者もいます。

また、島根県安来市(旧出雲国)に
古墳時代前期に全国的にも抜きん出た大型方墳
(荒島墳墓群の大成、造山古墳)が造営されますが
四隅突出型墳丘墓の延長線上に築かれたものと
考える研究者もいます。

方墳を司ったとも言われる物部氏。
四隅突出型墳丘墓は方墳の祖形であった
可能性もあります。


  *「邪馬台国」
   以後も不定期ですが続きます。

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選択と決断

2010-08-18 15:09:19 | Weblog

とある情報によれば、人は一日に12,000回の
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選択と決断をするのだそうだ。
うそかほんとか数えたこともないので
何とも言い難いが
朝起きることから始まって
寝るまでの間、夥しい回数の選択と決断を
繰り返していることには間違いないだろう。

翻れば
日々の中で
私生活以外、仕事の場においても
たくさんの選択と決断を迫られながら生きている。

自分で事務所を経営し
それなりの看板を出していれば
電話でもメールでも様々な相談事が飛び込んでくる。

ある程度、実務をこなしていれば
「即答」もあり得るが
現実的には多種多様な相談事であって
調べた上でお答えするケースも多い。
さて
『運命の足音』のなかで
著書である五木寛之は
「人生は選択と決断の連続」と述べている。

自分の直感に従って判断した場合は
あとで後悔することが少ない。
逆に様々に氾濫する情報を信じたがために
選択を誤り、後悔することもたびたびある。

と、そんなことを書いていた。

選択と決断との狭間の中に
科学でも未だ解明されていない
「直感」を素直に信じても良い場面が
本当は度々あるのではないかと思っている。

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信州の津金寺

2010-08-17 19:40:57 | Weblog


津金寺境内にある700有余の五輪塔群。
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おそらくこれほどの五輪塔が寺の境内にあるのは
長野県において津金寺以外に例を見ないであろう。
群を抜くような大きな五輪塔は少なく
一様に大きさがまとまり
各時代ごとの様相を呈していると言える。

境内はいつもきれいに手入れされているので
ここは「明るい霊気」と呼べるだろう。

津金寺の創建は大宝2年(702)
行基が戸隠権現の霊験により聖観音を
安置したのが始まりと伝えられている。

鎌倉時代に入ると東信一帯の有力者であった
滋野氏が庇護したことで寺運も隆盛し
津金寺談義所として
広く知られた存在となり信濃五山(天台宗)の一つに
数えられ天台宗最古の学問所としても名を
馳せるに至る。

その後、戦国時代にあっては武田信玄に庇護され
されたが武田家滅亡とともに
天正10年(1582)織田勢より焼失し
天正14年に再興される。

境内背後の裏山中腹には鎌倉時代に建立された
3基の滋野氏の供養(津金寺宝塔)があり
長野県県宝に指定されている。

「宝塔」とは
円筒や八角などの塔身に方形などの
屋根を被せ、さらに相輪を載せた仏塔を指す。
法華宗では、「妙法蓮華経」見宝塔品第十一に
基づき釈迦如来・多宝如来を脇士として本尊とする。

一方「五輪塔」とは
下から方形=地輪
円形=水輪
三角形(または笠形、屋根形)=火輪
半月形=風輪
宝珠形=空輪

によって構成され、
古代インドにおいて宇宙の構成要素・元素と
考えられた五大を象徴する。

天台宗・日蓮宗では上から「妙・法・蓮・華・経」の
五字が刻まれる。
浄土宗・浄土真宗では上から「南・無・阿弥・陀・仏」の
文字が刻まれる。
禅宗では下から「地・水・火・風・空」の漢字五文字が
刻まれる。
また宗派を問わず種子を彫ることも多い。
日蓮正宗では必ず上から「妙・法・蓮・華・経」の
五字を刻む。
同時に種字や文字のない五輪塔も多く存在する。

翻って津金寺の五輪塔群は
種子や文字のないタイプが多いのが特徴である。

しかし多くの庶民は
「土饅頭」が主であり
五輪塔をつくれたのは、それなりの階層・階級で
あったのには変わりはない。

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