サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

吉田松陰

2008-03-31 20:03:01 | Weblog
松陰はさぞ無念だっただろうと思いますが、不幸な人だったとか、不運な人だったか
一概に言えない気もします。

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もうすぐ、野原一面に、幸せ色のたんぽぽが群れをなします。
色々な花が咲き乱れます。
土屋昌次は31歳で討ち死にしました。死ぬべきところで死んだとも言えます。
吉田松陰も弱冠30歳で、江戸伝馬町の牢で処刑されています。
松陰はさぞ無念だっただろうと思いますが、不幸な人だったとか、不運な人だったか
一概に言えない気もします。
死を覚悟した松陰は、獄中、門弟の高杉晋作に手紙を送っています。
「男子はどこで死ぬべきか、長く生きて大きな事をやる見込みがあれば、いつまでも生きていればよいが、しかし死して不朽の見込みがあると思うなら、いつどこで死んでもよい」と書いています。
死が良いことでないのは、論に及びませんが、その後の松下村塾から輩出された幾多の門弟たちが
松陰の生きた確かな足跡を証明してくれています。
歳に応じた人生の四季。土屋昌次も吉田松陰も、見事に昇華させています。
歴史から学び、そして生かすとは「死を無駄にしない」事だと思います。

針の山

2008-03-31 19:47:55 | Weblog
私が悪いことをした場合、亡くなった祖母が「針の山」を登らされている夢をみます。

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どこのご家庭でも、悩み事、心配事の1つや2つ、必ずあります。
問題は、時間の経過が解決してくれるのか、或いは直ぐに解決すべきなのか。
特に直ぐに解決する為には、自分はどうすべきなのか。
本人以外に、ご両親は、髪の毛が真っ白になるくらい、そして髪の毛が抜け落ちるくらい
考えても不思議はありません。
子は親の背中を見て育っている筈です。学校の環境が不登校を誘発する場合もありますが
私の知っている限りでは、その家庭環境に多くの問題が内包されています。
親として改めるところは、徹底的に改め、お子さんを温かく迎えられることの出来る
心の準備と家庭環境の構築を願って止みません。

私が悪いことをした場合、亡くなった祖母が「針の山」を登らされている夢をみます。

だから、人様を傷つけるような悪い事は、無意識に出来ないのです。
お子さんは、親の愛情、本当の真なる愛情を求めていると思います。
この広い世の中、親と呼べる人は、たったの二人しかいないのです。

学校の勉強なんかできなくても、世の中には、立派な方が沢山います。
歴史を学んできた者として、法を志す者として、そうした過去の素晴らしい人物像を心に留めています。


写真は旧石器時代の尖頭器。
友人から頂きました。

子のかたきを「仇討」とは言わない。

2008-03-31 19:23:40 | Weblog
ご両親の生き方が、そのままお子さんに表れるますから
苦労している両親の姿を見て、育っているお子さんは、私は「立派な大人」に成長されると確信します。
長い目で見守ってあげて下さい。

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「大器晩成」という言葉があります。
私は大器ではありませんが、中学校の成績は、いつもビリでした。
そして、現在に至るまで紆余曲折の道を歩いてきました。
出来の悪いといわれるお子様を持つお母さん。
お子様に「大器晩成」の優しい言葉をかけてあげて下さい。
私の心の支えは、いつでも、そして今でも、おばあさんが言ってくれた「お前は大器晩成。心配するな」です。
優秀な兄といつも比較されて、小さくいいじけていた私の姿を、温かく見守っていてくれたのだと思っています。
優秀と言われた兄は、親の介護も放棄して、好き勝手に生きています。
そんな事が、いつまでも世の中で通用する訳がありません。
いずれ、周りから相手にされなくなります。
弟が兄を諭すなど、本末転倒で、然も聞く耳を持ちません。
可哀想ですが、そうして生きている人も現実にいます。

始め神童。今はダダの人。或いはタダ以下かも知れません。

ご両親の生き方が、そのままお子さんに表れるますから
苦労している両親の姿を見て、育っているお子さんは、私は「立派な大人」に成長されると確信します。
長い目で見守ってあげて下さい。

母は、脳に障害が有りまして、息子の私を認識出来ません。
養子で入った父親は、兄と似て、自分のことしか考えていません。
身内の恥ですが、離縁は出来ないのです。
その分、私は逞しくならざるを得ません

信州の山城「朝倉城」

2008-03-30 18:31:22 | Weblog
添付は茅野市に有ります朝倉城跡です。昨年の夏友人と登りました。
信州の城の殆どは、武田軍により攻略されています。
特に佐久の城においては、一日に35城も落としたと記されています。(妙法寺記)
休日は、歴史好き、考古学好きなおじさんの姿に戻ります。
今日の一言。
「もの一目見て、その心止めぬを不動と申し候」
沢庵
上農は草を見ずして草を刈り、中農は草を見てから草を刈り、下農は草を見て草を取らず。


北斎と高井鴻山

2008-03-30 18:04:30 | Weblog
さて、北斎と信州の関わりですが
北信濃(現在は小布施の栗かのこで有名な場所です)に高井鴻山と云う画人が
江戸の後期にいました。
彼が晩年の北斎を信濃に招いたと云われています。
北斎83歳の時、絵の指導の傍ら、パトロン的に
北斎に金銭面での融通もしていたようです。
因みに高井鴻山は、画才では、あまり知られずに商才で名を残しています。
北斎以外の交友では、佐久間象山、勝海舟、小栗上野介が挙げられます。
近くには福島正則の霊廟や屋敷跡があり、何度も足を運んでいます。

写真は
佐久にあります「ピンコロ地蔵」
ピンピン
コロリン
死地に赴くには理想の姿?
と言えましょうか。

逆境

2008-03-30 17:47:36 | Weblog
「逆境に陥ったとき、その人の真価がわかる。それぞれの世界で頭角を現した人は、逆境との闘いに勝った人だ」

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兄弟姉妹は「手足の如く」と言われます。

私は小さい頃、そんなに優秀ではありませんでした。小学校当時はよく
兄と比較されたものです。
ある日、祖母がこう言ってくれました。
「お前は大器晩成型。辛抱すれば必ずお天道様が導いてくれる」
この言葉が、今の私の全てを支えてくれました。
はじめ神童。今はただの人。世の中には沢山います。まだただの人のレベルであれば
救いようもあるのですが、邪心に走ると取り返しがつきません。
そういう人達を、多く見てきました。

今日の一言。

「逆境に陥ったとき、その人の真価がわかる。それぞれの世界で頭角を現した人は、逆境との闘いに勝った人だ」

「いい仕事の仕方」江口克彦の言葉より。

写真はナスカの地上絵を模したものです。


六連銭

2008-03-29 20:01:22 | Weblog
六連銭は、三途の川の渡し賃。
いつでも死ぬ覚悟が出来ていた。
尚、
六連銭は「むつれんせん」と呼びます。
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さて、今日は真田弾正幸隆と真田源太佐衛門尉信綱。2人のお話をします。
共に24将に入っていまして、信綱は幸隆の長男になります。

(真田弾正幸隆)

そもそもの真田の出自は、多くの謎を含んでいます。
諸説ありまして、その一つが
清和天皇の皇子が信濃に土着して、滋野氏を名乗り、そこから
海野、望月、根津が分家し、更に海野本家から分かれたのが、真田の起こりだと云われる説。
もう一つは、大和朝廷の牧役人で大伴氏が先祖とされる説。
左近流に言い換えれば、清和天皇の皇子出自説は、多分まゆつばもの。
大伴氏が、のちの滋野本家になり、滋野氏の娘を娶って、海野姓となり、その後
海野を出自とする真田に至ったと思われます。
天皇の血を引くか、或いは朝廷から任命された役人が出自なのか
大変な差がある訳です。
信玄自体、新羅三郎源義光(八幡太郎源義家の弟)を祖とし、武門の棟梁ですから
名門中の名門と言えます。
源平藤橘を祖としなければ、家の箔がつかなかった時代にあっては、かなり怪しい出と思われます。
余談が長くなりました。
幸隆自身は、素晴らしい武将であったことには変わりがありません。
海野氏が滅亡後、流転の中で、信玄に見出されます。
信濃の攻略は、地の利をよく知る幸隆の貢献度が非常に高かった筈です。
幸隆の名を不滅なものにしたのは「戸石城」を謀略で落としたことでしょう。
難攻不落と呼ばれた戸石城を僅か一日で攻略。村上勢は悉く討ち取られています。

(真田源太佐衛門尉信綱)

幸隆の子は4人います。
長男の信綱。二男昌輝、三男昌幸、四男信尹。
信綱及び昌輝は、共に長篠の合戦で討ち死にしています。
真田は大きな犠牲を払って武田家を守ったと言えます。
昌幸は、ご存じ幸村の父です。


日大「ラビット部隊」

2008-03-28 18:24:10 | Weblog
今から30数年前の学生時代、
日大に「ラビット部隊」という学生組織がありました。
この頃は、学生運動も衰退の兆しが色濃くなりましたが
同時に同じ仲間でありながら、派閥争いを繰り返す
悪循環が広がりました。
ラビット部隊は、学生運動史にもその痕跡を残していませんが
彼らは「正義」の為の行動部隊でした。
学内でリンチがあると、自然に十数人がが集まり
その暴力を排除する。
排除が終われば、自然に姿を消す。
右でも左でもなく
さまに
「義を見てせざるは勇無きなり」を地で
示した勇者の群れでした。
今、その彼らも白髪交じりの
人のいいおじさんになっていることでしょう。


島左近

2008-03-27 20:41:06 | Weblog
この年齢になると、なかなか腹を割って話せる友人は、出来にくいです。
生涯の友は、矢張り学校時代での友が多いですね。
社会人になると、いろいろな利害が絡んできますので、難しいと言えます。
学生の皆さん。
多分、生涯の友は学生の頃に出来ますよ。

「繁栄は友をつくり、逆境は友を試す」と云われます。

三成の場合、大谷吉継と島左近が最後まで、運命を共にしていますね。
三成にすぎたるものが二つある。
「佐和山の城と島左近」と云われたそうです。

私の左近名は、この島左近に由来しています。

以心伝心。阿吽の呼吸。

2008-03-25 20:48:25 | Weblog
独りで仕事をしていると、人間関係で悩まされる事は本当に少なくなります。
長年のサラリーマン生活で、職場の人間模様をつぶさに見てきました。
辞めて行く殆どの人が、仕事の辛さや、給料の安さが理由ではないのです。
多くは職場の人間関係に纏わるものでした。
人間関係が如何に大切か、肌で体験しています。

そんな中、以心伝心、阿吽の呼吸で付き合える人は
長い人生でも、そんなに滅多やたらに巡り合えることはないと思います。
振り返れば、10本の指で足りそうな気がします。


中原中也の山羊の歌をふと思い出しました。

写真は友人から頂いた
福寿草です。


藤原てい「流れる星は生きている」

2008-03-24 19:59:56 | Weblog
藤原てい。
作者は、新田次郎の夫人でもあります。
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満蒙開拓団。
長野県は、全国の中でも突出した集団入植でした。
戦争の語り部がいなくなり
あの当時の真実は
正しく継承されて行くのでしょうか。
歴史は時によって
権力者により都合よく
改ざん、ねつ造されてしまうことを
忘れてはなりません。


遺言を考える。

2008-03-23 20:38:09 | Weblog
遺言。
遺書めいた
陰気臭いイメージが漂いますが
大切な事です。
今日は、とあるお婆さんと面談しました。
旦那さんは既に亡くなられ、お子さんはいません。
この場合、遺言を残さなければ
法定相続人としての第三順位の兄弟姉妹にいってしまいます。
元気なうちに遺言を残すことをお勧めします。
一番世話をしてくれた人に遺産を譲りたいのは
世の常です。
民法で定められた遺言の方式は
大きく分けて三つです。
①自筆証書遺言
②公正証書遺言
③秘密証書遺言

①が比較的、簡便に用意出来るのですが
今回は、これを止めました。
②の公正証書遺言で
作成します。
全てはお客様の為にならなければ、意味がありませんし
その為の法律でもあります。

写真は高倉テルの「人間を信じる」です。


消えゆく原風景「土蔵」

2008-03-23 19:37:32 | Weblog
何か郷愁を感じるものに接した時、
心が穏やかになります。
私が小さい頃、村のあちこちに
こうした土蔵がありましたが
今ではめっきり少なくなりました。
進歩の歴史の中で
残すべきもの、残していかなければならないもの
人間は時々、考えるべきです。
小さい頃、食べるものがあまりない時代
母がつくってくれたすいとん。
味噌汁と菜っぱだけの食卓。
何もなかった時代のほうが
もっと、心がおおらかで
笑顔があふれていたような気がします。


検察審査会

2008-03-23 17:19:32 | Weblog
日本においては、事件について裁判所へ公訴を提起(起訴)する権限は
検察官が独占している。
従って、告訴を行った事件など、犯罪被害者が特定の事件について
裁判を行って欲しいと希望しても、検察官の判断により公訴が提起されずに
不起訴・起訴猶予処分になることがある。

このような場合に、その事件を不起訴にするという検察官の判断を
不服とする者の求めに応じ、
判断の妥当性を審査するのが「検察審査会」の役割である。

以上は、フリー百科事典からの引用です。

長野県においての検察審査会は6ヵ所。
長野市、上田市、佐久市、松本市、諏訪市、飯田市。
現在、これを統廃合して4か所にしようとする動きがあります。
(佐久市と諏訪市をなくす)

皆さん
どう思われますか。


小川国夫「アポロンの島」

2008-03-18 19:54:08 | Weblog
小川国夫「アポロンの島」
その平易な文体は、読者を
惹き付ける魅力を宿しています。

作者、小川国夫がフランス留学中、
バイクで地中海沿岸を旅行した際の
体験をもとに書かれた作品です。

写真は名酒「月桂冠」
京都の宣伝をします。
うまい酒は、より清き水に
近くなると云われています。

ギリシャ神話、アポロンの霊木として
あがめられた月桂樹の枝を環状に
編んで冠としています。

本日、同業の
若手サムライが、当事務所に
訪ねて来られました。
その時の戴き物です。

有難う。
また頼む(ジョーク)。

しかし、嬉しいものです。
この仕事、サムライ業は
ある意味、孤独との戦いでもあります。