サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

謎の方墳「大蔵京古墳」

2008-05-21 19:21:34 | Weblog
上田市秋和にある
「大蔵京古墳」
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上小地域に現存する方墳は
東御市にある「中曽根親王塚古墳」
と当該古墳を合わせて2基のみです。

長野県の古墳は
古い順からたどると
松本市にある「弘法山古墳」
に始まります。
後続の「川柳将軍塚」「森将軍塚」
いづれも、前方後円墳です。
初期段階は、巨大な古墳が主ですが
その後、方墳、円墳と呼ばれる小規模形態に
変化していきます。
その過程で、特異な築造技術を持つ「積石塚古墳」
も見られます。(大室古墳群)
最終的には
朝廷が発した「大化薄葬令」を受けて
古墳そのものは終息していきます。
但し、「大化薄葬令」と古墳終息の因果関係に
関しては、学説が分かれるところですが
少なくとも終息に向けての影響力は十分
あったと考えられます。

当該古墳は、そうした中にあって
およそ5世紀後半頃に比定されています。(古墳時代中期)

方墳の被葬者は
定かではありませんが
最近の面白い学説に
「方墳を有する氏族=物部氏」
があります。
物部氏はご存じの通り、神道を祭り
仏教を崇拝した蘇我氏に滅ぼされたと
されています。
方墳=物部氏
ロマン的に見れば
この信州にも物部氏の足跡が
残されていると言えます。