サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

信州の古刹「津金寺ー滋野氏宝塔」

2008-02-29 19:22:00 | Weblog
信州の古刹「津金寺ー滋野氏宝塔」は
北佐久郡立科町にあります。
天台宗恵日山修学院津金寺。
境内にある石造宝塔3基は
承久2年(1220年)
嘉録3年(1227年)
の銘がしっかり刻まれています。
津金寺は滋野氏やその一族望月氏の祈願寺で
非常に綺麗に掃除がなされています。
境内も広く、春はカタクリ、秋は萩で、多くの来訪者があります。
子供の頃、私は小学校の授業を抜け出して「昼観音」に出かけ
あとで、先生にきつく怒られました。
あの頃の先生は「一本筋が通っていた」。そんな風に
懐かしんでいます。

啓蟄

2008-02-29 18:12:51 | Weblog
啓蟄

二十四節気の一つ。3月6日頃でしょうか。
明日から、いよいよ3月。
心なしか今日の上田は暖かく感じます。
さて、山城に登ると色々な生き物に
遭遇します。
鹿
リス
カモシカ
キツネ
タヌキ

蛇の中でもマムシにあっては、三度
顔合わせしました。
特に石が多いガレ場は要注意です。
そろそろ、色々な生き物が眠りから覚めてきます。
温かく迎えて下さい。
イルカの歌詞に
「人間以外の生き物をもっと大切にして下さい」
とあります。
然りです。
全ての生き物たちの地球です

古き「道標」の行く末

2008-02-29 17:41:57 | Weblog
古き「道標」の行く末に一抹の不安を感じています。
写真のような道標は、昔はあちこちで見掛けられましたが
近年の宅地開発、道路開発で古き道標は
いつの間にかなくなってしまいました。
道標、路傍の石仏、果ては墓石である五輪塔まで
いつかなくなってしまいました。
なくなったと言うより「持ち去られた」と言えるかも知れません。
何の縁もゆかりもない料亭や個人の庭先。
何故、あるのでしょうか。
売られていったのでしょうか。
悲しい限りです。


信州の山城「太郎山山麓山城ネットワーク」

2008-02-28 17:48:00 | Weblog
信州上田のシンボルとも言われる太郎山は
身近なハイキングコースのみならず
実は一大山城群を形成しています。
和合城を起点とし
物見城
燕城
ケムリ城
持越城
高津屋城
虚空蔵山城
鳥小屋城
荒城
牛頸城
北林城
花古屋城
を連ねています。
城主は村上氏。
若しくはその同族です。
まさしく村上義清の全盛時代。
小生、未だ踏破した事が御座いません。
事務所の窓から、いつも眺めています。


信州の山城「矢沢城」

2008-02-28 17:14:41 | Weblog
信州の山城「矢沢城」は
上田市の殿城矢沢にあります。
城主は真田幸隆の弟、矢沢頼綱。
幸隆の子、真田昌幸が上州岩櫃城を支配していた頃
矢沢頼綱が城代を務めています。
元和8年(1622年)、真田氏の松代移封に伴って
主家とともにこの地を去っています。
矢沢氏は、常に真田家臣団の中にあって、筆頭の重職
を任じられていますから、主家からの信任は相当
厚かった事と思われます。
矢沢城の目の前には、敵対していた村上義清の砥石城があり
心の休まることはなかったのでしょう。


信州の山城「和合城」

2008-02-28 10:36:24 | Weblog
信州の山城「和合城」は
上田市の下塩尻にあります。
どちらかと言えば坂城に近く、千曲公園で
知られている岩鼻と対坐する位置関係です。
和合城は天文年間に村上義清が築いた山城で
規模としては大きくないものの
村上の本城であった葛尾城、風林火山の山城の
舞台となった荒砥城を眼下に収め、」更に周辺の
飯綱城、孤落城が見降ろせます。
この和合城からは、合戦の舞台となった上田原が一望できますので
若き信玄には脅威であったことが自ずからわかります。
この合戦に臨んだ信濃の諸将
高梨(中野市)
井上・須田(須坂市)
清野・小田切・栗田・若槻(長野市)
島津(牟礼村)
室賀(上田)
山田(高山村)
雨宮・屋代(千曲市)
芋川(三水村)
総勢7,000
村上を頂点とした一大連合軍でした。
のち
この多くの武将達は、信玄の旗下に
属することになる訳ですが。

プロ弁護士の思考術と「葉隠」

2008-02-27 19:30:27 | Weblog
「プロ弁護士の思考術」 矢部正秋氏。
この中で興味深い引用が有りました。
山本常朝の「葉隠」です。
三島由紀夫をはじめ、多くの作家、歴史家、学者が論を極めていますので省略しますが

常朝の処世訓に視点を当てています。
「頭がよく、てきぱきと仕事をこなす人間は、信頼できない。利口者は何事も知恵で済むと思っているので
鼻もちならない。むしろ不器用で実直な人物がよい。」
弁護士は、所詮、記憶力と多少の論理力をためす試験に勝ち抜いただけである。
優れた倫理、知恵、適応力、洞察力が問われたわけではない。
生きる知恵と学歴は、殆ど無関係である。

写真は、今は語ることなしの「土偶」です。

花を見て「美しい」と思う心

2008-02-27 19:15:31 | Weblog
だいぶ前ですが、地方紙の読者欄に、こうしたコメントが載っていました。
「花が好きで丹精に育てているおじいさん。そのおじいさんが、ある日、人を差別する」言葉を云った。


そのおじいさんのお孫さん(女の子)は、とても悲しくなってしまった。
「花を見て、奇麗だ。大切に育てよう」と普段言っているのに
「なぜ同じ人間なのに差別するのか」
花を愛する人は、心のきれいな人だと、その女の子は純粋に思っていたのでしょう。
我々、大人への戒めの言葉です。
そんな中で花作りは、人作りでもあるのかなと感じました。

いつまでも、少年、少女の心を片隅に留めて置きたいものです。
写真は上田城の石垣の下で咲くサルビヤです。

「成年後見制度」の現状と課題

2008-02-27 12:21:27 | Weblog
成年後見制度がスタートして、今年で8年目。
昨年までの申立累計件数は12万3千件です。
現状、170万人もいると云われる認知症患者に対して
7%前後の利用率です。
成年後見には、一般的にその親族がなるケースが多いのですが
相続など財産上の利害が絡むため、後のトラブルを誘因する
場合もあり得ます。
最近では、そうした記事が新聞紙上で話題になっています。
本来なら利害関係が成立していない
弁護士、司法書士、社会福祉士が「法定後見」に選任されれば
良いのですが、実状は後見人不足と言えます。
一方、「任意後見」を弁護士、行政書士に依頼した場合
月額3万円前後(現況での相場)の報酬が必要となります。
経済的に余裕があれば、良いのでしょうが、中にはあきらめる
人も多くいる筈です。
最近の傾向では「市民後見人」も登場して来ていますが
無償である保護司のような厳格な規範が求められると思います。
任意後見も、所得に応じた比例報酬で柔軟な対応をすれば
良いのかも知れません。
但し、任意後見で「○○士」に騙された事件もあとを
絶ちませんので、その辺をどのようにクリヤーするか
今後の大きな課題と言えます。

吉本隆明「共同幻想論」

2008-02-27 10:31:50 | Weblog
「三つの幻想」
自己幻想
対幻想
共同幻想
さらば擬制の終焉よ。君たちは棺を担げ。
僕らが葬送の挽歌をうたおう。
懐かしい響きです。
遠野物語
古事記
が共同幻想論のモチーフになっているのか定かでは
ありませんが、わが心、わが精神、わが思想の原点です。
彼は、この中で「両墓制」に注目しています。
詣で墓と埋め墓。
八重山諸島の墓制から民俗学的にアプローチしています。
因みにこうした事例は、信州南佐久にも所見されます(厳密には所見されましたですが)
団塊の諸兄並びに団塊予備軍の諸兄。
再読をお薦めします。
写真の遠野町誌は昭和28年発行。
偶然、神田の古本屋で入手しました。


松代の善政「花井吉成」

2008-02-26 11:29:46 | Weblog
花井吉成は、家康の六男
松平忠輝が慶長8年に松代城主になった際、家康の
命により老臣になった人物です。
慶長15年、忠輝が越後高田を拝領し、松代城代
として吉成を留め置きました。
松代城代の間、吉成は多くの土木事業を手掛けます。
北国街道の普請、伝馬駅の設置、裾花川の川筋を変えて
氾濫を防止。
川中島平に犀川から用水を引くなど、水田開発にも
尽くしています。
善政の吉成ですが
松代以外で、あまり世に知られていないのは
残念な気がします。
お墓は、松代の西念寺にあります。

「不法滞在外国人」

2008-02-26 10:32:15 | Weblog
「不法滞在外国人」
法務省によると、2006年1月1日現在の
不法滞在者数は約19万3千人。
短期滞在資格で入国したものの、在留期限が
切れた後も滞在を続けるオーバーステイが
約7割を占める。
国別では、韓国が約4万で全体の20%。次いで
中国、フィリピンの約3万(それぞれ16%前後)の順。
政府は04年から5年間で不法滞在者を半減させるとの目標を
掲げ、入国審査の厳格化や不法就労者の摘発を強化しています。
過去1993年当時の約30万人をピークに減少傾向にはありますが。
ここ信州でも毎日の如く、新聞記事に掲載されています。
左近法務事務所では「ころばぬ先の杖」
「助っ人」としてサポートします。

考古学断想「藤森栄一氏・大場磐雄氏」登呂遺跡

2008-02-25 18:25:29 | Weblog
昭和23年
あしかび書房発行の
「古代農村の復元ー登呂遺跡研究」
國學院大學名誉教授
故大場磐雄先生の本です。
虫食いだらけです。
終戦後、まもなく、人々が生きるのに必死だった時代。
明るい話題を提供したと云われています。
あしかび書房
発行者は、藤森みち子さんですが
「縄文農耕論」を早くから提唱された
在野研究者、藤森栄一先生の奥様です。
共に他界されていますが
私の考古学の原点でもありました。


信州の武将「須田満親・長義」

2008-02-25 17:42:10 | Weblog
信州の武将「須田満親・長義」親子。
出は、高井郡(須坂市)です。
父である須田満親は、村上義清と共に
上杉謙信を頼って越後に落ち延びていますが
上杉方にあって、誉れ高き戦歴を残しています。
また、その子である長義も
上杉軍の先鋒として大阪冬の陣の戦いで
華々しい活躍をしています。(木村重成、後藤基次)大阪方
との「鴫野表の戦い」は有名ですね。
上杉景勝は、須田長義等の活躍で、上杉家の存続を
家康に認められたと言っても過言ではないでしょう。
尚、長義は、この戦いの疵がもとで、その年に亡くなっています。

信州で最古最大の五輪塔「金王」

2008-02-25 17:05:34 | Weblog
信州で最古最大の五輪塔「金王」
総高212センチ。
「金王五輪塔」
場所は上田市の舞田にあります。
沢山の五輪塔を見てきましたが、まさに雄大にして
ずっしりとした安定感を彷彿とさせています。
鎌倉時代の古式形態を留めています。
寺伝によれば、文治2年(1186)
鎌倉北条氏の一族、塩田北条氏の始祖である
北条義政と共に塩田に入部した渋谷土佐入道昌順の
墓と伝えられています。
渋谷氏は相模の出自ですが、塩田北条氏との繋がりは
明確ではありません。(その後の渋谷氏の足取りが見えません)
金王とは、養蚕、農耕との関連がありそうです。