サムライ左近法務事務所の事件帳

本業の法律事件の他、考古学、歴史学、戦国山城等を、その実証から紹介します。

過去

2010-01-16 18:04:45 | Weblog
「過去は振り返るな」と考える人もいる。
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 それは、かつて自分が仕出かした苦い過去に
辿りつき、改めて悔恨の念に陥ることを無意識の
うちに避けたと思うのかも知れない。

 私もそうであるが、多くの人もそうであるように
一度、失敗すると、そこで挫折してしまう。
厳しい批判を浴びて二度とやるまいと決心したり
、或いはまたひどく用心深くなる。
これでは積極的に生きようとする気力、胆力に
欠いてしまう。

 しかし、いつも失敗は付き物であると再認識すれば
消極的に成功するより、積極的に失敗したほうが
はるかに人生、起伏に富んでいて楽しいかも
知れない。
 要は何度も何度も繰り返し挑戦することによって
先が開けるのであれば、例え遠回りであっても
自分の人生を自分の力量で勝負していると自覚が
出来る筈である。

 過去を知る、若しくは過去を振り返るとは
同時に未来や将来をも予測しうる可能性がある。
人間が生きる手段として最低限、必要なことは
一年か二年先の極めて近い将来に、自分を
どのようなレベルに高めるかと言った洞察力である。

 但し、こうした洞察力は日本人が最も不得手と
する部類でもある。
これは、個人のみならず、日本の今の政治の
あり方をみれば更に一目瞭然と言えるだろう。

 日本のかじ取りをする政治家は
その場その場を取り繕っているだけで
近い将来に国家社会がどのように動いていくのか
国民にビジョンを示せないどころか、公約と実態が
いつも相反しているのである。

経済は一流かも知れないが、政治力は
二流か三流の域を脱していない。

期待が大きかっただけに
○○党が掌握していた時代より
国民の不信と失望は増幅されていると見ている。

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

青木法務事務所HP
http://www.aoki-houmu.com/

自分を信じる

2010-01-14 17:55:24 | Weblog
過去ほど自分自身でありうるものはない。
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 昭和60年に発刊された
鈴木健二の著書『自分学のすすめ』の中の
「さよなら」だけが人生の見出しである。

 人間、生まれた瞬間からの積み重ねが
つまるところ、今の自分である。
同時にこれからの将来も、現在の着実な積み重ね
以外にはないのである。

 ところが多くの人は経験の重要性を知りながら
その経験を他人の話に求めようとする。
他人がいかに苦労して困難を乗り越えたかの
話に感動したり、他人の情深い話にもらい泣き
したりする。

 私もそうであるが、こうした話は、その場限りの
鎮静剤であって、よほどのことがない限り
発奮材料にはならないものである。

 自分が苦しみに苦しみ抜いている最中に、他人が
同じ苦しみの中から立ち上がった話を聞けば、それは
大いに引き金になるが、自分に関わりのない苦労話は
直ぐに記憶から遠のいてしまう。

 人間はいつも「さよなら」ばかり言って生きている。
これはある意味紛れもない事実であろう。
現に今、触れ合っている人よりも
別れてきた人間のほうがはるかに多い。
それは取りも直さず、人間は孤独のうちに
生きていかなければならない事実を証明している
訳でもある。
そして、この世で完全に信頼できるのは
自分だけであることを気付かされる。

 もし、自分への信頼を自分で失ったならば
あとは堕ちてゆくしか方法はない。
それ故、自分を信じ、確固たる信念を持って
生き続けなければならないのである。

(これは、私の仕事を通して学び取ったことである。
相談者、依頼者の苦しみ、悲しみを解決する立場で
ある自分自身がぶれていたのであれば、それは
もうサムライ業の看板を掲げる資格はない)

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

青木法務事務所HP
http://www.aoki-houmu.com/

続:犬の話

2010-01-11 18:13:56 | Weblog
犬は人に付き、猫は家に付くと言われる。
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 最近のテレビで犬に対する
ドイツと日本の違いが放映されていたので
興味深く見た。
その違いを以下に箇条書きすると

ドイツでは
①犬はペットショップでは売られていない。
②産後、8週間は母犬の元で育てられる。
③犬の虐待等に対する刑罰が厳しい。
④犬の捕殺は認められていない。
⑤成犬も幼犬と同じく人気がある。

一方、日本では
①犬はペットショップで売られている。
②産後、すぐに母犬から隔離され商品化される。
③犬の虐待等に対する罰則が手緩く、未整備。
④犬の捕殺が行政によって行われる。
⑤成犬は敬遠され、幼犬に人気が集中する。

 ドイツでは長い歴史の中で
犬は狩猟犬として人間のベストパートナーとして
扱われていたそうであるが
日本にもかつてそうした痕跡が
あったことを忘れてはならない。

 犬が日本に登場するのは
縄文時代からである

 これは、近年の発掘によって
もたらされた成果で証明されている。
通常、人骨も含め酸性土壌の
強い日本では、骨が発掘される例は
極めて少ない。
 その中で、埋葬された状態での犬が
発見されているのは注目に値する。
 当時の縄文時代は、主に狩猟採集が
生計の基盤でししたから
犬は狩猟犬として、大切に扱われ
死んだ後も食用とはせず、丁寧に埋葬されたと
考えられる。
(貝塚から出土した、犬の骨が他の獣骨と
同じようにばらばらな状態で見つかり、尚且
骨に解体痕があったと言う理由で「食用説」
を唱える研究者もいる。)

「家畜犬=狩猟犬」が縄文時代あったとすると
一方、弥生時代に入ると犬に対する扱いが
大きく変化する。
犬は「食用犬」とされていく。
こうした縄文及び弥生における
犬の扱いの違いは、双方の文化の違いを
示唆しているのかも知れない。

因みに
猫の登場は遥かに遅く
古墳時代となる。

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

青木法務事務所HP
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品格:「言葉は身の文」

2010-01-07 13:30:06 | Weblog
2010年の年頭にあたっていろいろ考えた。
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 多少、背伸びしすぎであるが
届く範囲のところで目標を設定してみた。
 毎年、3日坊主になってしまうのではあるが
考えないより考えておいたほうがよい
と言った結論である。
 
 特に昨年、大きな失敗をしてしまった発言について
今年は常に相手の人格を尊重したうえで
口を開くようにしようと思っている。

 「言葉は身の文」を言われる。
言葉にその人の品格が表れてくるのである。
自分の口から出る言葉によって、相手がどのような
気持になるかを考えたうえで、口を開く習慣を
つけようと戒めている。
 その習慣がつくに従って、自分の品格も少しずつ
上がっていくような淡い期待を抱いている。
 
 人間一人では生きられない。
だとしたら相手の人格を尊重し、多くの人々と
交わってほうがはるかに上等な生き方だと思う。

相続・告訴告発・離婚・内容証明の専門家

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日々学ぶ教訓とする

2010-01-04 18:45:54 | Weblog
人生は試行錯誤の繰り返しであると言われる。
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 だが、できるだけ錯誤の部分を少なくしようとする努力は
片時も忘れてはならない。
そのためには、常に学習するという姿勢が不可欠である。
当然、人からも書物からも習い、同時に自らも
学ぶことである。

 但し、人から習う場合、書物から学ぶ場合においては
それなりに真剣に取り組んでも集中しても
自分自身はさほど痛くも痒くもなく、その分
身が入らないと言えるだろう。

 ところが、実際に自分自身に起こった結果について
その度合いが大きくマイナスに転じたとしたら
その痛痒は激しく、文字通り切実な問題と化す。

 しかし、こうした結果になっても、それを真剣に受け止めて、
そこから学ぼうと精一杯努力すれば、何らかの
解決に向けた道が開けるだろうし、また同じ過ちは
繰り返さなくなるだろう。

 嫌な過去、嫌な結果や事実など、早く忘れたいと
思うのは人間の常であるが、「忘れたい」といった
気持が先に立ってしまって、自ら切り開いていこうと
する気迫が欠いてしまうものである。

 人間として向上したいと思ったならば
自分の過去の行為を封印せず、速やかに分析して
そこから教訓を得ようとする姿勢が大切である。

 不満足な過去に対して、感情的に対処せず、
先ずは気分を明るい方向に変えていく。
そして、その事実に真正面から立ち向かって
深く「反省」するのである。