つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

野火と竪琴

2017-08-16 22:14:57 | 文もどき
寡聞にして昏いので定かでないが、南方戦線なのだと思う。あくまで私の認識の話である。
食糧から武器、弾薬に至るまで、あらゆる補給路を断たれた兵士たちの多くが最前線での衝突ではなく疫病や飢餓に命を落としたと聞く。原始の頃の闘いとは、こうしたものであったろう。だが、彼らが飛びこんで行ったのは、近代戦争なのだ。善良なる村を焼き、納屋から盗み、同胞の亡骸を今日の糧に行軍する。昨年、一昨年の今頃は会社で算盤を弾き、金属部品を磨き、教鞭をとっていた人びとの、日常が、倫理観が、正義の価値が揺らいでゆく。
較ぶるに虜囚の暮らしがいかに文化的であることか。寝所は屋根と壁に覆われ、病めるものは手当てを受け、むなしく異郷で息を引き取ればこれまた異教とはいえ手厚く弔われる。見知った日常の延長がある。されど、彼らもまた砲弾の雨をくぐり、大義のもとに殺戮に身を投じた人びとである。彼らの日常はかろうじて浸食に耐えている。
どんなに皆様を懐かしく思い、どんなに日本に帰りたいと思っているか、とても書きあらわせません。それでも、私は帰る訳には行かないのです。
仰げば尊し。
いざ、さらば。
エピローグ、日本へ向かう洋上に浮かぶ問いは彼の両親に、彼の日常に投げかけられる。
だが私は、彼に訊いてみたい。
何万、何十万の同胞を葬い終えたとき、あなたは何を思うのか。
六歳の子どもは初めてこの映画を観たとき、この衝撃を守ると決めた。生涯封印し、いつまでも取り置きたいという願いはむなしく二十年を間近に控えて解かれた。
この先、幾度と観る機会があるとして、そこにはかならず六歳の子どもが顔を出す。そしてまた、同じ問いを口にするのだろう。

『野火』1959年/『ビルマの竪琴』1967年
共に監督・市川崑