つぶやき、或は三文小説のやうな。

自由律俳句になりそうな、ならなそうな何かを綴ってみる。物置のような実験室。

図書まわり

2015-12-16 17:49:22 | 文もどき
読んでみたい、と思ったのはもう10年近くまえのこと。イタリアのルポルタージュの中にちらりと登場した演劇家の、作品の原作として少しだけ紹介されていた。たしか、ボランティアが届ける食糧の行方を見届けるのが主たる目的だったが、ルポルタージュには食事の模様が鮮やかに記録されていた。
いま、いろいろな背景を取っ払って読むと、滑稽劇である。時代的背景を含めて読み進めると、風刺劇と評されるのだろう。
主人公の立場から見れば悲劇である。小さなソーセージひとかけらを望んだばかりに、いきものとしての尊厳をいたく傷つけられてしまう。腐った塩漬け肉(‼︎)すらようやく口にできるかどうかという人々にとって、このソーセージの味が、そもそも彼のような者における食欲の占めるポジションを考えると、哀しみよこんにちは、なのである。
ひとを人たらしめるものは何か。人は神のごとく振る舞うことを許させるのか。物語の展開はまことにアイロニカルである。
読みながらふと、R.U.Rを思う。振り返れば人々にとって必ずしもいい時代ではなかったかもしれないが、それ故に生まれてくるものもある。精神世界において、人はいくらでも創造主たりえるのだ。それで充分。そう、耳元で囁かれているような気がする。
終幕、シャリコフに幸あれ。
そして、新訳に深謝。
[犬の心臓/ミハイル・ブルガーコフ:ソヴィエト連邦]