八正道

お釈迦様の言葉とのことですが、常に、これら八つの言葉で
示される正しい道を進むように心がけたいと思います。

「正法眼蔵」の拾い読み(21)[問題対処法〕

2006-04-01 04:48:51 | Weblog
「唯仏与仏」の巻に次の文(訳文)があります。
 そのむかし、一人の僧があって、古徳に問うたことがあった。
 「いろんなことがいっぺんにおこってきた時には、どうすれば宜しゅうございましょうか」
 古徳はいった。
 「そんなものは構(カマ)わんどけ」
 そのいう意味は、なにがおころうとも、ともかく慌ててはいけないというのである。
 これはもうずばりと仏教というものである。問題はもう外のことではないのである。
 このことばは、けっして、そとにあらわれたきらびやかな教えではなくて、
 むしろじっとうちにひめて味わうべき真理だと承知するがよろしい。

 どうしようかと思っても、どうにもならないのである。

(『正法眼蔵』(八)「唯仏与仏」巻 P219・全訳注増谷文雄・講談社学術文庫)

私の解釈

 本文は仏法で説く真理を味わう方法を述べていると思います。
つまり、煩わしい問題が起こっても、慌てず、何もせず「構わんどけ」つまり、ほっとけばよい、その結果として、何事が起こっても、これは因果の法則に従っているのだと考え、ありのままを受けとめ、八正道の実践を続けなさい、そうすれば真理が解明される、という教えです。(以下、わたしは本文の「構わんどけ」を「ほっとく」という言葉に読み替えて述べさせていただきます。)

(八正道=正見 ・正思惟・正語・正業・正命・正精進・正念・正定)

 しかし凡人は、起こってくる問題の性格によっては、決して「ほっとく」ようなことはできません。何故なら、凡人が自分にふりかかってきた問題をほっといて何もしなければ、その後の活動や生活に支障となることさえ起こりうるからです。
 
 多くの煩わしい問題が起こってきた場合には、決して中途半端にせず、できることから一つづつ片づけることが肝要である、という助言もあります。

 ですから凡人の心掛けとしては、仏道に従うことも、常識的な生活習慣に従うことも大切なことですから、問題に対しては臨機応変に対処することが肝要である、と私は思います。

 私たちは、実際に、問題を「構わず、ほっとく」ことによって、かえって混乱もなく自然に解決され、まさに、その「うちにひめて味わうべき真理」を体験することもあります。

 たとえば、「黙養」とか「静黙不言」という仏教の教えは「ほっとく」と同様の考え方が含まれている思いますが、会話中にはあまりしゃべり過ぎないようにすれば、対人関係がスムースに進むといわれます。

 更に、この「ほっとく」という考え方の奥では、いわゆる各個人のアーラヤ識という潜在意識や社会的な集合的無意識の営みが期待されている、と私は思います。

 「ほっとく」は決して無責任な言葉ではない、と思います。