Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

イメージの病(やまい)-臨床と症例 10

2013年12月06日 | Weblog
現代美術は、なぜ、写真に着目したか?(後半)
「1970年代へ 写真と美術の転換期」展(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku)

引き続き、植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品を参照にして、「現代美術は、なぜ、写真に着目したか?」について考えてみたい。

前回、不覚にも、最後の文章で「メディア批判(表象批判)という文脈から、一度外してみる必要があるのではなかろうか」と、メディア批判と表象批判をあたかも同じであるかのように扱ってしまった。言うまでもないが、メディア批判と表象批判は同じ範疇に属するものではない。もちろんわれわれの意図は、植松らの作品を両方の批判の文脈から外してみることにあるのだが・・・・・・。まずはここから論を進めてみたい。

そもそも表象批判とは、何か?表象=re-presentationとは、reという接頭語が示すとおり、再-現前のことである。つまり、何か予めあるものを代理することであり、媒介されたものである。前回、現代美術が写真に注目した理由の一つに、モダニズム美術を標的にした反芸術性を挙げた。写真がもつ様式性の欠如(反創造性)や非人称性(反作家性)、主題の凡庸性(主題のヒエラルキーの撹乱)等々の非芸術性がモダニズム美術への批判につながったことになる。モダニズム美術の純粋性に対峙された、これら写真の雑種性の核心にあるのは、写真がもつ直接的な現前であろう。つまり、媒介なしの現前性=presentation。あらゆる美的慣習や約定を回避した(媒介なしの)、事物そのもの現前。この写真の現前性という機能を成り立たせているのが、写真のインデックス性という性質であることは言うまでもない。したがって、現代美術(ポップアートやコンセプチュアル・アートなど)が写真に見出した非芸術性とは、表象に対する現前ということになろう。見えるものの具体的な豊かさが表象によって覆い隠されている、慣習化され、コード化された表象のreを引き剥がし、ものそのものを現前させること。写真による絶対的な類似性の現前。表象という着衣に対する現前という裸性。これらが写真による表象批判と言われるものであろう。

では、もう一つの写真によるメディア批判とは、何か?それは写真というイメージを中心とした現代の視覚文化を批判することである。メディアや広告が作り出すイメージがわれわれのものの見方を一義的に制約している、そこには商品や権力のメッセージ(暗号)が潜んでいる、それをあらわにし、暴くこと。そのメディアや広告のコアにあるものが、写真というイメージの客観性や真実性、記録性といった機能である。したがって、写真によるメディア批判とは、写真の内在的、自己言及的批判となるだろう。こうした写真によるメディア批判の典型的な試みが、アラン・セクーラやヴィクター・バーギンのそれであろう。

ここで誰もが一つの疑問を喚起されるだろう。前者の写真による表象批判が、写真という機能の現前性(インデックス性)を根拠にしているとすれば、後者のメディア批判は写真の客観性や真実性、記録性を支える現前性を批判していることになる。現代美術が写真に着目した、表象批判とメディア批判とは、お互いに矛盾することなのだろうか。

われわれはここで、ロラン・バルトが辿った写真の見方を参照することができるだろう。記号学者の時代の初期バルトは、まさに写真というイメージを標的に、写真というイメージの神話作用を解剖し、メディア批判を行った。「注意せよ、あなた方が目に見える自明の事柄とみなしているものは、実は暗号化されたメッセージであって、それによって社会や権力は、みずからを自然と化し、見えるものの言葉なき明証性のうちにみずからを基礎づけることで、自己正当化をなしているのだ」。写真はその作為性を現前性(インデックス性)という機能によって自然化してしまうということである。ここでバルトが行っているのは、写真を標的にしたメディア批判である。しかも、そこで批判のターゲットにされているのは、写真の言葉なき明証性(コードなきメッセージ-現前性)であることは明白であろう。

ところが、周知のように後期(『明るい部屋』)のバルトは、ストゥディウムとプンクトゥムという概念によって、その言葉なき明証性を高く評価していくことになる。実はストゥディウムとプンクトゥムの絡み合いこそが写真であったにもかかわらず、後期のバルトは後者のプンクトゥムに写真の本質を見出してしまったということである。もちろんバルトは、ストゥディウムに対するプンクトゥムはけっきょく主観的なものにすぎないとして、“それはかつてあった”という時間的な隔たり=他性にその根拠を求めていくことになるだろう(この時間的な隔たりとプンクトゥムの関係は、問題化するに値するテーマではあるが)。いずれにしても、後期バルトが行っているのは、写真の現前性(裸の事物の現前であれ、過去という時間の現前であれ)を根拠にした表象批判と言えるだろう。

記号学者としてのバルトと、『明るい部屋』のバルト(テクスト分析のバルトと、テクスト悦楽のバルト)。この写真に対するバルトの二つの態度は、そのまま前述した表象批判とメディア批判につながるであろう。ここで再び、先の疑問-表象批判とメディア批判の矛盾が浮上することになる。一方が写真という痕跡にあらゆる表象から逃れた事物の裸性を見出すとすれば、他方は痕跡に刻まれた暗号(隠されたメッセージ)を解読しようとする。いずれにしても、ここで写真は言葉なき無言の痕跡ととらえられている。一方はあらゆる饒舌(物語)を無効化する、あるいは拒絶する絶対的な無言としての自然。他方はあらゆる暗号(物語)が隠された絶対的な無言としての自然。けっきょく、表象批判もメディア批判も、写真を絶対的な無言の自然ととらえているということである。他性としての絶対的な自然。

ここで改めて、植松奎二らの作品を見てみよう。彼らの作品からわれわれはどのような知覚経験を得るのだろうか。彼らの作品はいったい何を意図しているのだろうか。

例えば、植松奎二の「見ること」シリーズや「Seeing」シリーズを見てみよう。これらの作品は一見すると、クラウスが「指標論パート1」で“指標のパノラマ”と呼んでいたデュシャンの「おまえは私を」を思わせる。まず一枚目の写真は指し示される石が写され、二枚目は石を指し示す指・腕の影が写され、三枚目では前二枚に実体としての指・腕が写されている。ここで演じられているのは、指し示すこと(指標記号)の三重の戯れである。一枚目は写真自体が石を指し示し、二枚目はその写真の指標的構造をあらわにするように影が写真によって指し示され、三枚目では同時に三つの指標自体を写真が指し示す。写真による写真の指標構造をあらわにする試みと言えるだろう。この三重の構造は、若江漢字の「絵ノ具」や「新聞紙‘73」にも同じようにある構造だ。この三重の構造とは、物、記号(表象)、そして写真(物と記号を同時に指し示す写真というイメージ)と言えるだろう。この三重の戯れとは、ズレを経験することであり、誰もがコスースの「One and Three Chairs」を思い起こすだろう。

眞板雅文の作品「Lumiere.No.2」もまた、ある場所を写した写真を、その場所に重ね合わせることによって、見る者にズレ(二重性)の体験を強いる。このズレ、隔たりの経験は、クラウスがマン・レイのゾラリゼーションに対して、遅延の感覚=間隔化と呼んだものである。そして高松次郎の「写真の写真」。前回、この作品について、「写真が写真に撮られることによって、複写された写真が1枚の紙にすぎないとわれわれが知覚するためには、写真を撮った写真が透明なメディアでなければならない」と書いたが、高松は写真に写された写真に巧妙な操作を施している。写真によって写された写真は、光の乱射によって不鮮明にされていたり、二重露出されたりしていることだ。これは清水穣がいみじくも「不在のインデックス」と語っているように(『日々是写真』所収「不在のインデックス-高松次郎の写真の写真」)、写真が指し示す実体(絶対的無言の自然)が不在であることを物語っているだろう。というよりも、写真によって絶対的な無言の自然が顕現するのは、ズレによって事後的に生じるのである。誤解を恐れずに言えば、プンクトゥムとはストゥディウムとのズレによって生じるものなのだ。プンクトゥムとはストゥディウムがあって初めて生じるのだ。だとするならば、ストゥディウムに対して、そのズレをもたすものとは何か?

いずれにしても、植松奎二らの作品が見る者に強いるのは、ズレの経験である。そこで提示されているのは、裸の事物の現前でもなければ、その暗号の解読でもない。いわば写真がもつ二重性(ズレ)の知覚経験そのものである。植松奎二らの作品は、クラウスが指摘するように、デュシャンをその先駆として、写真の機能そのものを絵画(あるいは美術)という表象に変えて、作品化したと言えるだろう。しかし、とするならばまたしても、そのズレをもたらしたのは、やはり写真がもつインデックス性という性質になろう。そう、ここでわれわれが提案してみたいのは、このズレをもたらしたのは、写真それ自体ではなく、見ることと言い表すことの関係、配分、配置を規定するイメージの体制そのものに起因するのではないかと言うことである。例えば、ジャック・ランシエールはその著『イメージの運命』(平凡社 堀潤之訳)のなかで、19世紀に起こった「表象的体制」から「美学的体制」への移行ととらえている。つまり、写真がこのイメージ体制の移行をもたらしたのではなく、逆にこの移行こそが写真に「裸のディスクール」(清水穣)をもたらしたということだ。このランシエールの視点は、論ずるに値する考え方である。

最後に、もし、われわれが植松奎二らの「写真と美術の転換期」に意義を見出すとすれば、現代のイメージ体制とは彼らが顕在化した二重性(ズレ)そのものであり、このズレを一つの関係性としてとらえなおし、例えば、ストゥディウムとプンクトゥムの関係性、絡み合いこそを問題にすることではないだろうか。

イメージの病(やまい)-臨床と症例 9

2013年12月06日 | Weblog
現代美術は、なぜ、写真に着目したか?
「1970年代へ 写真と美術の転換期」展(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku)

展覧会レビューとしてはいささか旧聞に属してしまうが、同じレビュアーの中嶋文香氏も触れていた「1970年代 写真と美術の転換期へ」展について書いてみたい。この展覧会は前期と後期、2回に渡って行われた。前期では植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品が、後期では植松奎二の作品がフィーチャーされている。ところで、この展覧会は1980年初頭に開催された「現代美術における写真」展(東京国立近代美術館)の縮小されたリメイク版のような要素を含んでいる。実際、今回の展覧会で紹介されている美術作家は、後者の展覧会にもリストアップされている(高松次郎を除き)。とすれば、今またなぜ、彼らを回顧あるいは再考するのかという問題も浮上してくるだろう。

現在のアートシーンやコンテンポラリー・フォトを俯瞰すると、1970年代前後のアート状況と決して無縁ではない。いやむしろ連続性すら感じる。とすれば、70年代前後において顕著になってきた美術作家による写真の活用に、今もう一度着目することに何がしかの意義がないわけではないだろう。とりわけ、未だモダニズム写真の論理が支配的な写真界にあっては、写真を今一度再考する機会ともなるはずである。

まずは、なぜ、現代美術作家たちが写真を多用し始めたのかを概観してみたい。すでにある程度、現代美術批評の知見をお持ちの方にとっては、屋上屋を架すことになるが、しばしの辛抱を願いたい。70年代前後、美術の中に写真を持ち込むようになったのが、ポップアートやコンセプチュアルアート、ランドアートと言われている。その背景の一つが写真の持つ“非芸術性”だった。ご存知のように、当時のモダニズム美術は、その中心的な理論家であるグリーンバーグのフォーマリズム批評の影響下の下、きわめて厳格に規範化・制度化(アカデミズム化)されていった。ここで簡単に、グリーンバーグのモダニズム理論をおさらいしておけば、絵画なら絵画の媒体-メディウムの本質を追求する中で、美あるいは質の水準を維持していくということである。絵画という媒体(メディウム)にとって本質的でないものを除去し、絵画の純粋性を追求すること。そしてグリーンバーグは、絵画の本質的なメディウム性として「平面性」や「矩形性」等々を見出すわけだ。つまり、19世紀の中頃から大芸術が娯楽へと同化される中で、その下落の運命を回避するために、純粋な様式性を求めたということである。

モダニズム批評の当然の帰結として、モダニズム美術は現実の社会から遊離し、自閉していく。そうした美術の状況の中で、70年代のアーティストたちは、「アートと日常の関係」を模索し始めたと思われる。そのために着目されたのが「写真」というわけである。なぜなら「写真」はきわめて日常的なものとして流通していたからだ。「写真」が持つ「通俗性」を利用することで、モダニズム美術を支えていた諸条件を破壊しようとしたと企てたわけだ。ここで重要なことは、彼らが着目した「写真」が、いわゆる「表現としての写真(モダニズム写真)」と言われるものではなく、他の社会的文脈(司法、医学、家族写真、広告等々)で使われている「写真」だということである。例えば、ウォーホールの指名手配者の流用とか、リヒターの新聞や雑誌、家族写真などのアーカイブ写真。つまり、社会史の中の写真に、フォーマリズム批評、あるいは芸術一般に疑義を提示する特性を見出したと言うことだ。例えば、非人称性や様式性の欠如など、社会史の中の写真には、非モダニズム美術的要素が溢れている。例えば、コンセプチュアルアートがフォトジャーナリズムを利用するのは、ドキュメンタリー写真が持つ偶然性、その非芸術性にあるだろう。

ここで写真史をある程度かじった方ならば、一つの疑問が生じてくるはずである。70年代以前の写真-モダニズム写真-もまた、それまで芸術と呼ばれたもの、あるいは「芸術写真」と呼ばれたものに疑義を呈するために、写真固有の表現を求めてきたのではないか。つまり、モダニズム写真もまた非芸術性を追求したのではないかということだ。写真史ではよく前者を「芸術としての写真」、後者を「写真としての芸術」と呼んでいる。とすると、70代前後の現代美術作家たちが写真に向けた「非芸術性」と、「写真としての芸術」を求めたモダニズム写真の違いは何かということになる。もう一つ蛇足として付け加えれば、「写真としての芸術」を求めたモダニズム写真(あるいは批評)は、マスメディア(広告等)やポピュラーカルチャーにおける写真を「芸術としての写真」としてきわめて冷淡に扱っていたことだ。むしろ、彼らの最大の敵ととらえていたことである。それは現在も続いている。このモダニズム写真、あるいは批評の確立者がシャーカフスキー(MoMaニューヨーク近代美術館・写真部門の責任者)と呼ばれる存在である。モダニズム写真もまた、モダニズム美術にならい、フォーカスやディテール、フレーミング、パースペクティブ、シャッター速度、トーンといった、いわば写真固有のメディウム性を追求していった。シャーカフスキーは、写真を「モノそれ自体」「ディテール」「フレーム」「時間」「視点」という5つの分類から論じている。実はモダニズム美術批評とモダニズム写真批評は同じ論理を背景としたものなのである。

もう一つ、「芸術としての写真」「写真としての芸術」のいずれの範疇にも入らない写真として、フォトジャーナリズムがある。例えば、シャーカスキーの前任者、エドワード・スタイケンは、フォトジャーリズムを模範とした写真展を企画している(「ファミリー・オブ・マン」1955)。彼はスティーグリッツとともに、フォトセセッションを創設したメンバーの一人。しかし、フォトジャーナリズムも、70年代を境にTV報道などの台頭により、唯一の媒体としての地位を失っていく。

「芸術しての写真」「写真としての芸術」「フォトジャーリズム」、そして社会の中でさまざまに浸透している、いわば「社会の中の写真」がある。これらが複雑に絡み合っているのが写真というメディアであることが分かる。つまり写真は極めて雑種的なメディアなのだ。と同時に写真はメディアのメディアとしての機能も果たしている。70年代の現代美術作家たちは、この写真の雑種性に着目したと言えるだろう。

70年代の美術作家たちが「写真」に着目していった、もう一つの背景と理由が、メディア批判としての写真の活用にある。とりわけ60年代後半において、その傾向が顕著になっていく。まず、その背景として挙げられるのが、マスメディアの台頭(テレビ文化の台頭)、写真というイメージの日常化(それはとりもなおさず、芸術写真の衰退でもある)、イメージの飽和化(スペクタクル社会のファンタスマゴリア性)等々。これはつまり、写真というイメージを美的対象でも、歴史的対象でもなく、メディア批判をする理論的な対象としたことだ。

メディア批判が生じてきた社会的・思想的背景をざっと話しておけば、70年代前後の世界的な学生運動の高まり(反ベトナム戦争等)がある。哲学・思想の分野では、例えば、マクルーハンのメディア論(『グーテンベルグの銀河系』1962)やギー・ドゥボールの『スペクタクル社会』(1968)、ルイ・アルチュセールの「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」(1970)、アンリ・ルフェーブルの都市論(『空間の生産』等)など、それまでとは異なる国家・権力・イデオロギー批判が生まれている。非常に乱暴に言えば、われわれのイデオロギーや意識、感覚、知覚、認識等々が国家や法といった大きな装置によって形成されるのではなく、メディアを中心とした日常生活におけるさまざまな装置によって形成されるということだ。そしてもう一つが、バルトやソンタグの写真論の登場も重要な契機となっている。彼らの写真論もまた、「社会における写真」が批評の対象となっている。このメディア批判を別な言葉で言えば、いわゆる表象批判ということになる。「1970年代 写真と美術の転換期へ」展のカタログでも、光田由里は、例えば、高松次郎の「写真の写真」を表象批判の一つとしてとらえている。しかし、高松次郎の「写真の写真」を表象批判という側面からのみ論じては、もっと重要なことを見逃してしまう恐れがある。これについてはまた後述したい。

このメディア批判につながっていくのが、写真というメディウムそのものへの言及である。写真というイメージによる記憶とアーカイブ化の問題、イメージと被写体(見る/ある)との問題、記号と事物、イメージとテクストの問題、イメージの商品化(ジェンダー、あるいは見る/見られる関係)の問題、都市とメディアの問題、イメージと風景の問題等々、写真というイメージを通して、きわめて多様な問題群が浮上くる。これもまた、写真の複数メデイァとしての特徴を表わしている。と同時に、写真を美的対象でも、歴史的対象でもなく、理論的対象として選択されたということでもある。こうした理論的対象と写真を使用する作品を「メタメディアとしての写真」とも呼べるだろう。つまり、写真を反省的=反射的メディアとして扱うということだ。例えば、ジェフ・ウォールは、伝統的メディア=絵画に対する写真による再考と語っている。

70年代の現代美術作家たちによる写真の使用をざっと概観したが、非常に乱暴にまとめれば、一つは写真という雑種的な構造をもったメディアの非芸術性を利用することで、モダニズム美術(あるいは批評)が掲げる諸条件を疑問に付したこと。もうひとつが写真による自己言及的なメディア批判(表象批判)ということになるだろう。しかし、ここで概観した見方は、写真が社会の中でどのように機能しているかに焦点があてられている。つまり、写真が社会の中で、ある種の矛盾(雑種性)を含んだ形で流通していることに着目していると言えるだろう。オリジナル、コピー、シミュラクルという問題圏もその域を出ていない。しかし、写真というメディウムそれ自体が持つ二重性に着目する必要があるのではないか。

例えば、先ほどの高松次郎の「写真の写真」を見てみよう。この作品は写真を写真に撮ったものである。光田由里は「現実を反映する透明なメディアとして扱われがちだった写真は、この時、独自の仕組みと特性をもったひとつの視覚メディアとして意識されなければならない。写真は現実の等価物ではなく、錯視効果をもった1枚の紙である。高松次郎が複写によるトートロジーで示したのは、徹底した表象批判なのだ」(展覧会カタログ「認識の奪回」)と記している。しかし、光田由里は写真がもつ独特な構造を見逃している。どういうことかと言うと、写真が写真に撮られることによって、複写された写真が1枚の紙にすぎないとわれわれが知覚するためには、写真を撮った写真が透明なメディアでなければならない。とするならば、批判されていること(写真の表象)が、その当の表象の力に依存していることになるだろう。自己言及性の罠。高松次郎の「写真の写真」はむしろ、写真が持つ指標的機能-その現前性が表象を支えているということである。そのことによって、言語的表象に回収されてしまっているモダニズム絵画(抽象絵画)に亀裂を入れているのではないか。植松奎二や眞板雅文、若江漢字らの作品もまた、写真がもつ指標的機能に着目することで、絵画的慣習を脱構築する試みと言えるだろう。

この写真における「指標の論理」こそ、写真というメディウム自体がもつズレ(二重性)の構造であり、70年代の美術が問題化していったものであると、ロザリンド・クラウスはその著『オリジナルと反復』所収の論考「指標論パート1」の中で指摘している。クラウスは、70年代美術の多様化、分散化したアートシーン-ヴィデオ、パフォーマンス、ボディアート、フォトリアリズム、ハイパーリアリズム彫刻、アースワーク等々-について、一見、時代の集合的な様式が不在のように見えるが、その背後にはこの「指標の論理」があると語っている。その先駆者として挙げられているのが、デュシャンである。

植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品を単なる回顧ではなく、再考の契機につなげるとすれば、メディア批判(表象批判)という文脈から、一度外してみる必要があるのではなかろうか。



イメージの病(やまい)-臨床と症例 8

2013年12月04日 | Weblog
現代アートにおける“既製品”の使用をめぐって。(後半)
ヨコハマトリエンナーレ2011「Our Magic Hour 世界はどこまで知ることができるか?」

前回のレビューでは、現代アートにおける“既製品”の使用法を考えるにあたって、二人の人物のテクストを参照することを提示した。一つはゲオルク・ジンメルの「取っ手」というエッセー、もう一つがロラン・バルトの初期写真論-「写真のメッセージ」「映像の修辞学」である。前者が芸術における理念的次元と“取っ手”における実用性の次元を問題化していたとすれば、後者は写真における共示的メッセージ(歴史的・文化的コードに基づいた象徴的メッセージ)と外示的メッセージ(ただモノを指示するだけのコードなき逐次的メッセージ)の絡み合いに焦点をあてたと言えるだろう。

さて、ここからは、「ヨコハマトリエンナーレ2011」展に展示された作品を参照例(もちろん展示されたすべての作品ではないことを予め断っておく。という以上に、その参照例の選択はきわめて限られたものになるだろう)として、現代アートにおける“既製品”の使用について考えてみたい。

ジンメルが提示した問題を最もストレートに体現していると思われるのが富井大裕の作品である。富井大裕はありふれた日用品を作品化(造形作品化)することで知られている。今回の展示でも、画鋲を絵画化した「ゴールドフィンガー」を始めとして、折り紙や付箋、ベルトなどを作品化している。富井大裕が素材とするものは言うまでもなくありふれた“既製品”である。富井大裕はこうした日用品を使用することで、何を試みようとしているのだろうか。またそれらの作品を鑑賞するわれわれにどのような経験を強いようとしているのだろうか(そうだ、“強いる”のであって、参加するのではない-哄笑)。

ジンメルの論拠に従えば、富井大裕の作品はありふれた日用品-実用的なレベルにあるモノを理念的なレベル(作品化)に変換する試みと言えるだろう。例えば、「ゴールドフィンガー」は画鋲を絵画的な約定(コンヴェンション-平面化や矩形化等々)にしたがって、作品化したものと言える。まずわれわれは金箔を施した絵画のような作品に、その輝きや美しさを見る。しかし、よく観ればそれは画鋲によって構成されていたことが分かる。一見して美しいと思われたものが、実は画鋲の集まりに過ぎなかった、というわけである。富井大裕は“美”や“芸術”と呼ばれるものが、単なるイリュージョンにすぎないということを観者に体験させようとしているのか。

いわゆる反芸術的な作品の提示。例えば、もう一つ、男性用ベルト(?)を造形化した作品がある。こちらは誰がどう見ようと、男性用ベルトである。しかし、その奇妙に歪められた形は(造形的な操作によって)何か別なものにも見えてくる。前記したような鑑賞の仕方に従えば、前者が理念的な次元(芸術)から実用的な次元へ、後者が実用的な次元から理念的な次元へ、ということになろうか。いずれにしても、富井大裕が試みようとしているのが理念的レベルと実用的レベルの絡み合い、交換、変換、転換等々であることは明白であろうし、われわれ観者が経験するのはその絡み合いであろう。

ここでもう一つ思い出されるのが、マイケル・フリードがアンソニー・カロのテーブル作品を分析した「モダニズムはいかに作動するか」というテクストである。このテクストでフリードは、カロのテーブル作品におけるスケール感を実用的空間から区別・分離された抽象的な操作によるスケール感として分析している。

「片や取っ手のもつ日常的にしてリテラルな機能があるとすれば、片や分離を強いて
そのことによって(たんなる)物理的物体ではない芸術作品として理解させるという
意味でこの《テーブル作品第二二番》をリテラルにではなく抽象的に理解させる調律
的機能もがこの取っ手にはあるのだが、前者のリテラルな機能が、後者の抽象的な機
能によって、覆い隠されるのである」(「批評空間」1995所収 上田高弘訳)

このフリードの分析は、前回紹介したジンメルの「取っ手」というエッセーの問題と共鳴しているし、富井大裕の作品を鑑賞するにあたってのヒントともなるだろう。富井大裕の一連の作品は、理念的なもの(芸術)が一つのイリュージョンにすぎない(いわゆるモダニズムにおける否定の論理)ということを提示しているのではなく、理念的レベルに転換される操作-約定の数々を問題にしていると言えるだろう。芸術における抽象的な機能(絵画化、彫刻化)とはいかなることなのかと。フリード流にいえば、富井大裕は「モダニズムの画家が発見に努めるのは、絵画的なるものすべてに共通する、それ以上に還元できない本質なのではなく、芸術史のある特定の瞬間にあって自身の作品をほかならぬ絵画として同定することを許す約定の数々」を再検証することなのではないか。富井大裕の作品にあっては、その再検証は決して否定的な契機によるものではなく、むしろ「何が芸術における価値ないし質の究極の源泉なのか」を見極めるための作品ように思える。

ここで富井大裕の作品と比較対照化してみたいのが、泉太郎の作品(あくまでも今回展示された作品に限定するが)である。われわれが理解する限り、泉太郎の作品もまた、日用品(おもちゃや旅行用トランク等々)を素材と使用している。しかし、泉太郎の作品においては、富井大裕の作品とは異なり、日用品それ自体に対していかなる操作も施していない。泉太郎が操作を施しているのはあくまでも展示という次元に対してである。

おもちゃや旅行用トランクなどの日用品が、キッチュな仏像(?)とともに、部屋の中の台座の上に置かれている。われわれ観者は部屋の外から鑑賞することで、これらの作品と隔てられている。この距離感と台座が“芸術作品の展示”を表象していることは明らかだろう。さらに部屋の奥には何台かのモニターが置かれ、ゴリラ(?)に扮した何者かが展示された日用品と戯れる映像が映し出されている(芸術と遊びの対比?あるいは同一性?)。泉太郎はこうした展示をすることによって、何を意図しているのだろうか。

反芸術的な身振りの提示だろうか?“芸術作品”と呼ばれるものをユーモラスに茶化すことにあるのだろうか?(部屋の前に置かれた自転車の車輪を使った作品は、デュシャンの「ロトレリーフ」のパロディ?)というよりもそれ以上でも、以下でもないように思える。“芸術作品”と呼ばれるものを“お笑い芸人風笑い”で茶化すことで(笑)、“芸術”という概念を相対化すること(いわゆる否定の論理)。しかし、こうした反芸術的な身振り、あるいはユーモアは、観者におもねることによって成立しているのではないか。富井大裕の作品とは異なり、泉太郎の作品は、観者に対して新たな思考(あるいは経験)を強いるようには思われない。「アートなんて面白ければいいじゃん」というわけだ(大笑)。

ここで田中功起の展示作品「美術館はいっぺんに使われる」についても、泉太郎の作品との決定的な違いについても言及してみたい誘惑にかられるが(明らかに田中功起の展示作品も、“展示空間(あるいは芸術空間)”をテーマの一つにしているように思える)、田中功起の作品についてはいずれ稿を改めて論じてみたいと思う。

さらに、いくつかの展示作品を参照例に、現代アートにおける“既製品”の使用法についての考察を進めていきたい。例えば、ウィルフレド・プリエトの模造ダイヤモンドを使った作品「One」やマッシモ・バルトリーニの建築現場用足場を使った「オルガン」、あるいはダミアン・ハーストの蝶の羽を使った「知識の木」など、いずれも“既製品”を使って(ハーストの蝶の羽は厳密には“既製品”ではないが)、“オリジナル性と価値”や“美”、“荘重さ”、“聖なる空間”、“宗教”、“科学”といった一般的な概念、あるいは象徴的イメージを転倒・変容させようとしているように思える。

前回のレビューにも書いたように、一般的に写真の果たす機能(とりわけ広告写真)は、共示されたメッセージがコードのないメッセージから展開され、その結果として文化的なものが自然化され、真実性や事実性といった神話を形成することになる。まあ、きわめて簡単に言えば、一般的、通俗的、無反省な概念を自然化し強固なものにしてしまう。象徴的メッセージという文化性の逐次的メッセージによる自然化。

このロラン・バルトの分析にしたげば、プリエトやバルトリーニ、ハーストらの作品は、上記した方向と反対のことが生じているのが分かる。つまり、象徴的メッセージに対して“既製品”という逐次的メッセージが介入することで、象徴的メッセージを転倒・変容させているということである。バルトは「写真のメッセージ」の中で、「外傷が直接的であればあるほど、共示は困難である。あるいは、写真の《神話的》効果はその外傷的効果に反比例するという法則である」と書いている。ここでのバルトの“外傷”という言葉の使い方は、“外示的メッセージ”とほぼ同義である(バルトの“外傷”という概念は、後に大きく変化していくのだが)。“写真の神話的効果”とは、「象徴的メッセージの逐次的メッセージによる自然化」という意味である。つまり、プリエトやバルトリーニ、ハーストらの作品にあっては、“既製品”を象徴的メッセージに対して反比例の関係になる使い方をしているということだ。

ここで重要なことは、象徴的メッセージと逐次的メッセージ(“既製品”)の反比例の関係を維持することである。逐次的メッセージ(“既製品”)のみを提示することは、いわゆる「ただモノ主義」となろう。確かに、そうした無意味なモノの提示は、美術、あるいは美術館という制度に対しては、何らかの有効性を持ちえる(えた)かもしれないが、現在もまだ果たして有効かどうかは疑問だ。例えば、BankART Studio NYK(日本郵船海岸通倉庫)の会場では、砂や植物、動物といったものをモチーフにした作品が多かった気がする。その多くの作品は、ハーストの使い方とは異なり、自然的なもの(外示的メッセージ)の提示のみに終わっている気がする。

今回、「ヨコハマトリエンナーレ2011」展に展示された作品を参照例に、現代アートが“既製品”をどのように使っているのか、その分類を試みようと思ったのだが、力足らずして分類までには至らなかった。いずれ、この問題についてはまた改めて考えてみたいと思う。

今回、映像作品についてはほとんど触れることができなかったが、最後に、「ヨコハマトリエンナーレ2011」展で最も印象に残った作品の一つ、クリスチャン・マークレーの「The Clock」について、少しばかり書いておきたい。この作品は既製の映画作品からの引用で成り立っている。「時計」をモチーフに24時間の時刻を示すシーンをつないだものである。しかも、この作品を観るリアルタイムの時間と一致させている。例えば、午後3時にこの作品を鑑賞する者は、まさに午後3時のシーンを見るということである。観るリアルタイムの時間と映画シーンの時間との一致。僕は10分ほどしか見ていないが、24時間通して観たらどのような経験を強いられることになっただろうか。

一般に映像の時間とは、鑑賞者の“いま”に“かつて”が介入してくることである。あるいは映画館などでの映像経験は、“いま・ここ”にある身体をないものとし、意識を映像の中の“かつて・あそこ”に没入する経験でもあるだろう。マークレーの映像作品にあっては、意識の上では“いま”と“かつて”の分離・区別がないことになる(この区別ことが“いま・ここ”の身体を取り戻すことになる)。とすると、この作品を24時間見続けることは、鑑賞者の身体的時間が映像の時間によって完璧に簒奪されてしまうということだろうか。マークレーの作品は、そのアイディアやつなぎの面白さ(そのつなぎによってさまざまな物語を作り出すことが可能だ)以上に、実はきわめて不気味で、空恐ろしい事態を告げているのではなかろうか。


イメージの病(やまい)-臨床と症例 7

2013年12月04日 | Weblog

現代アートにおける“既製品”の使用をめぐって。(前半)
ヨコハマトリエンナーレ2011「Our Magic Hour 世界はどこまで知ることができるか?」

今年で4回目を迎える「ヨコハマトリエンナーレ2011」のテーマは、「Our Magic Hour-世界はどこまで知ることができるか?」だそうだ。横浜美術館の正面玄関前に、その同一作家による作品が展示されているウーゴ・ロンディノーネの作品タイトル「Our Magic Hour」からとったものらしい。1回目の2001年のタイトルが「Mega-Wave」、2005年が「Art Circus」、2008年が「Time Crevasse」。各タイトルからその年の社会的状況なり、アートを取り巻く環境、それに対するディレクターやキュレーターの反応や意図などを読み解くことが可能かもしれない。たとえば、1回目のタイトルにはいかにもスタート時らしく、日本から、横浜から、現代アートの“大きな波”を発信していこうという意気込みを感じるし、2回目のタイトルにはスペクタクルなアート=祝祭というお祭り気分がうかがえる。3回目のタイトルにはやや落ち着きを取り戻したのか、少しは“芸術”について考えてみようぜという雰囲気がないでもない。さて今年は、3月11日の東日本大震災後の開催とあって、あまり祝祭的な色合いは感じない(といっても、実際の企画や準備は3・11以前から進められていたのだろうが・・・)。「世界はどこまで知ることができるのか?」というサブタイトルにはやはり、東日本大震災後を意識している気がしないでもない。

とはいえここで、ヨコハマトリエンナーレそれ自体について論評するつもりはない。初回から深い関心を寄せてきたわけでもないし、国内外で催されている現代アートの国際展に詳しいわけでもないので、比較することも、評価を下すこともできない。ただ、こうした大規模な現代アート展はあまり好ましいとは思っていないというのが率直な意見だ。そこで展示される作品があまりにも多く、多種多様なため、それらを集約し、包括するにしても、最終的には“見世物”“娯楽”という要素しか残らない気がするからだ。さまざまな作品が次々と並んでいるのを見ると、われわれの知覚能力は麻痺してしまい、いわば催眠状態に陥ってしまう。個々の作品の印象は、意識の表層をかすめていくばかりで、けっきょく残るのは、ここは“楽しむ場所”なのだ、“アートを楽しめ”という天の声だけである(笑)。個々の作品の印象は薄められ、“娯楽”という唯一の公分母に還元されてしまうというわけだ。もちろんだからといって、こうした国際展を全面的に否定するつもりはない。おぼろげながらも、現代アートが何を問題にし、何をやろうとしているのか、その一端をとらえることができるし、個々の作家の問題意識や方法なども比較対照化することもできる。

とまあ、前口上が長くなったが、今回は「ヨコハマトリエンナーレ2011」を見ながら、思いついたこと、考えたことのいくつかをアトランダムに述べてみたいと思う。もう一つ、あらかじめ断っておけば、今回、メイン会場の一つである横浜美術館での展示しか見ていないので、次回も含め2回にわたって「ヨコハマトリエンナーレ2011」について述べてみたい。次回は今回とはまったく異なる観点、見方、論評を披露するかもしれないが・・・。

現代アートの定義、あるいは特徴づけているものはなんだろうか。もちろんその答えはさまざまであろうし、その定義あるいは特徴をどうとらえるかで、各論者の芸術観なり、芸術と社会の関係性のとらえ方なりが違ってくるだろう。そもそも近代アートと現代アートはどこで区分されるのか、あるいはむしろ区分されず連続的なものなのか。これもまた論者によって異なるだろう。

現代アートを特徴づけるものを考えるにあたって、「ヨコハマトリエンナーレ2011」を見ながら頭に浮かんできたのはやはり、“既製品(readymades)”というキーワードであった。実際、「ヨコハマトリエンナーレ2011」の展示作品においても、多くの作品が“既製品”を使用している(ざっと挙げれば、島袋道造、オノ・ヨーコ、イン・シウジェン、富井大裕、ウィルフレド・プリエト、田中功起、ライアン・ガンダー、八木良太、ダミアン・ハースト、マッシモ・バルトリーニ、デワール&ジッケル・・・)。もちろん現代アートを語る上で“既製品”というキーワードは目新たらしいものではないし、すでに多くのことが語られてもいる。屋上屋を架すことになるかもしれないが、“既製品”という観点から「ヨコハマトリエンナーレ2011」における展示作品のいくつかについて、あるいは現代アートについて考えてみたいと思う。

さて、芸術における“既製品”使用の起源となると、ブラック/ピカソのコラージュ(壁紙、油布、新聞紙、木片など)に求めるべきか、シュールレアリズムの“見出されたもの(found object)”に求めるべきか、知識不足の筆者にはなかなか断定的なことを言うのは難しい。それでもやはり、“既製品”の使用法において、現代アートに連なる文脈で語れるとすれば、デュシャンということになるだろう。実際、前二者とデュシャンにおける“既製品”の使用法はまったく異なるように思える。デュシャンにおける“既製品”の使用にはどのような意味があるのか、現代アートはデュシャンにおける“既製品”の使用をどのように受け継いでいるのか、そのあたりを少しばかり考えてみたい。

ところで、20世紀初頭のドイツの社会学者ゲオルク・ジンメルに「取っ手」と題された面白いエッセーがある。このエッセーでジンメルは水差しや容器の“取っ手”について、美学的な分析を行っている。

  「取っ手をつうじて容器に権利要求をする外界と、そのような外界にかまうことな自分
  自身のために権利要求をする芸術形式と、この二つの世界を取っ手の形態がどのように
  自らのうちに調和させているか-これが取っ手の美的効果を判定するさいに、無意識に
  作用している試金石であるように思える」*1

ここでジンメルが述べている“芸術形式”とは、水差しや容器の本体のことである。つまり、水差しやある容器を美的価値のあるものとして観察するならば、その本体は芸術的な形態として自律している(あるいは自律化可能である)。しかし、“取っ手”は実用的な生活の動きのなかに取り込まれているものであって、自律した理念的空間=芸術形式と外界をつなぐ蝶番の役割を果たしているということである。

 「みずから芸術形式のなかに取り込まれながら、同時に芸術作品を世界へとつなげる仲介
  役を果たす、これが取っ手の原理にほかならない」*2

この蝶番としての“取っ手”をどのように扱うか、その扱い方(“取っ手”という存在が本体の芸術形式に組み込まれるのか、実用的な機能を保持するのか)をめぐっての分析が新たな美的価値の提示ともなっている。ここでわれわれの関心を惹くのは、言うまでもなく“取っ手”という部分を考察の対象にしたことである。まずジンメルは、芸術作品とは「その内容を現実の表象から得てはいるが、そこからひとつの独立国を作り上げる」ものとしてとらえている。芸術作品とは現実から区別・分離された自己完結した世界であり、理念的空間のなかでその存在を営んでいる。自己完結するためのモチーフとなるのが色や形といった形式である。こうした芸術のとらえ方はグリーンバーグを範とするモダニズム批評にきわめて近いものであろう。ところが、ジンメルは“取っ手”という存在に注目することで、自律した理念的空間に対しての外界からの介入を問題化する。自律した理念的な世界=芸術的空間に対して、外界からの介入を許す開閉弁のような“取っ手”の役割。そして、こうした“取っ手”がもつ理念と実用性(経験)の二重性こそがより高次の美をもたらすというのがジンメルの主張である。

慧眼な読者にあってはすでにご察しのとおり、ジンメルが考察・分析する“取っ手”の機能と、デュシャンあるいは現代にアートにおける“既製品”が作動する機能をパラレルに論じてみようというのが本稿の意図である。と同時に、もう一つ別の迂回路-写真というメディアを介在させることで、現代アートにおいて、“既製品”がどのように作動し、どのような役割を果たしているのかを考えてみたい。

周知のように、ポストモダニズム批評以降、写真はそのメディア特性を理念と経験の二重性としてとらえられている。かつてのような“科学と芸術”“記録と表現”“現実と表象”“客観と主観”といった一連の二項対立でとらえるのではなく、むしろその二重性にこそ写真というメディアの特性があるということである。もちろん言うまでもなく、写真の二重性を指摘することが重要なことではない。問題はその先にある。

ロラン・バルトは記号学的アプローチによる初期の写真論「写真のメッセージ」や「映像の修辞学」*3において、写真のメッセージを共示(connotation)されたメッセージと外示(denotation)されたメッセージの二つが共存されたものととらえている。共示されたメッセージとは「社会がそれについてどう考えるかをある程度読み取らせる仕方」である。いわば社会的・文化的・歴史的にコード化されたメッセージである。他方の外示(denotation)されたメッセージとは現実の「アナロゴン(類似物)そのもの」であり、そのアナロゴンが指し示す、言葉の外にある現実である。いわゆるコードなきメッセージである。もちろん、バルトも指摘するように、「写真は知覚された瞬間に言語化されるし」、「言語化されなければ、知覚されない」。しかし、権利上、写真は光による物の痕跡(鋳型)として、直接的に意味作用なく物の存在を指し示している。これを写真論ではおなじみのインデックス性と呼んでもいいだろう。

「写真のメッセージ」や「映像の修辞学」における眼目は、共示されたメッセージがコードのないメッセージから展開(外示されたメッセージの修正)することにあり、その結果として文化的なものが自然化されてしまうという写真のパラドックスにある。実際、バルトはその共示方式(トリックやポーズ、被写体、フォトジェニー、審美主義、統辞法など)の分析に多くのページを割いている。しかし他方で、バルトは写真というメディアがもつ可能性も示唆している。一つは「外示されたメッセージと共示されたメッセージのからみ合い」である。そしてもう一つが映像レベルにおける“外傷(トラウマ)”という概念である。

「外示されたメッセージと共示されたメッセージのからみ合い」とは、外示されたメッセージと共示されたメッセージがどのような関係にあるかである。一般的に写真の果たす機能は、共示されたメッセージがコードのないメッセージから展開され、その結果として文化的なものが自然化され、真実性や事実性といった神話を形成することになる。まあ、きわめて簡単に言えば、一般的、通俗的、無反省な概念が自然化されて強固なものになってしまうということだ。しかし、外示されたメッセージと共示されたメッセージの関係性を変えることによって、一般的な写真の機能を覆すことができるのではないか。つまり写真による意味作用を変化させるということである。

そしてもう一つの“外傷という概念。バルトは映像レベルにおける“外傷”とは、「言語活動を中断し、意味作用を塞き止めるものである」と言っている。この“外傷”という概念は後に、“第三の意味”や“鈍い意味”、“プンクトゥム”という概念で展開されていくものである。

われわれがここで注目したいのは“外示されたメッセージと共示されたメッセージの関係性”と“外傷”という概念である。と同時に、バルトが写真というメディアから取り出した、この二つの観点をデュシャンあるいは現代アートにおける“既製品”の使用に応用してみることである。次回の後半では具体的に「ヨコハマトリエンナーレ2011」の展示作品に即しながら、“既製品”の使用法について考えてみたいと思う。

注:
*1・ゲオルク・ジンメル著「取っ手」(『ジンメル・コレクション』所収 ちくま学芸文庫 北川東子編訳)

*2・同上

*3・ロラン・バルト著「写真のメッセージ」「映像の修辞学」(『第三の意味』所収 みすず書房 沢崎浩平訳)


イメージの病(やまい)-臨床と症例 6

2013年12月03日 | Weblog
くねくね、だらだら、淡々と
田中功起『雪玉と石のあいだにある場所で』(青山|目黒)

いま、その作品のみならず批評活動においても、最も注目される現代美術作家の一人、田中功起の個展『雪玉と石のあいだにある場所で』を見る機会があった。田中功起はヴィデオ映像をメインとしたインスタレーション作家として知られているが、そのモチーフは“日常的なもの”“普通のもの”“何でもないもの”のなかに微細なものを見つけ出していくという、いわば反スペクタクルとも呼ぶべき作品を数多く発表している作家である。

今回の個展『雪玉と石のあいだにある場所で』もまた、事務所なのか、何かのショップなのか判然としない空間-「青山|目黒」ギャラリーに一歩入ると、誰かのアトリエか、仕事場を思わせる雑然とした空間が設えてある。周囲の壁には本展のオープニングパーティ時のスナップ写真だろうか、簡素な紙にコピーされたような写真がテープで無造作に貼り付けられている。作品と思しき写真(チーズやゼリーをモチーフとした作品)もあるようだが、作品なのかどうかの区別は判然としない。会期中に何回の展示替えがあるとのコメントがあったので、僕が見たものとは異なる展示が行われていた可能性もある。

それでも、ここでのインスタレーションの意図は明白であろう。まずわれわれ鑑賞者は日常的な空間から隔絶された、異次元の世界に誘われることはない。この雑然とした空間はどこか作家のアトリエとか、仕事場を思わせる。いわば作家の日常的な空間と地続きのような場とも言える。ここで鑑賞者はどのような知覚経験を強いられることになるのだろうか。まずここにはアート空間という日常的な空間から分離・区別された空間を設えることで、作家のフェティッシュな世界、あるいは視覚的なスペクタクルの世界に誘うという意図はない。とするならば、現代アートにありがちなアート空間という特殊な、特権的な空間に対して“何でもないもの”を対置することで、“反芸術的な世界”を築こうとしているのだろうか。確かに、そうした側面もないとは言えないが、どうもそれだけではない気がする。それを証明するのが雑然とした空間の一角に設けられた、モニターに流れるヴィデオ作品である。

おそらくこのヴィデオ作品が本展のタイトルにもあるようにメイン作品なのであろう。ヴィデオ映像にはアメリカの大学構内で行われているフリーマーケットで、椰子の葉を売る田中功起のパフォーマンスが記録されている。壁に貼られた説明文にもあるように、このヴィデオ作品は北米で行われた「Someone's junk is someone else's treasure」(だれかのガラクタはだれかの宝もの)を参照したもので、日米のふたつの作品-雪降るニューヨークの路上で雪玉を並べて販売したデヴィッド・ハモンズの「雪玉セール」(1983)と、失業した男が河原で拾った"変わった形の石"を並べて販売し物思いに耽るつげ義春の漫画「無能の人」(1985)がきっかけとなって制作されたらしい。確かに、“雪玉”が儚いもの、つかの間のものであり、“石”が強固なものであるとすれば、田中功起が販売するのは、椰子の葉という、いわばどちらにも属さない、中間的なものである。“雪玉”=儚いものが芸術的なイデア(観念)に、“石”=物質的なものが“リアルさ”に相当するとすれば、本展のタイトルに記されたように、椰子の葉はそのどちらにも属さないものとして選択されていると言えるだろうか。こうした区別はハイデガーが『芸術作品の根源』で展開した、“もの”“芸術作品”“道具”といった区別を思わせるものだ。

ところで、この“あいだ”で考え、実践するという田中功起のモチーフは、初期の作品以来、一貫したものように思える。たとえば、『GRACE』(2001年作)というヴィデオ作品では、バスケットボールがガランとした教室の床の上で、途切れることなくバウンドしている運動が繰り返し映し出されている。いわゆるループ・ヴィデオと呼ばれるものである。バスケットボールがバウンドするという一連の運動を反復させた映像。一般的にわれわれは一つの運動を始まりと終わりを想定することで、運動の各瞬間を認識する、あるいは各瞬間を一つの運動全体に還元する。しかし、田中功起のループ・ヴィデオにあっては、始まりも終わりもない。ヴィデオの鑑賞者は円環上のいずれの点(瞬間)をも任意に始まりと終わりを想定することが可能である。とするならば、ここでの運動は予め定められた全体を回避し、その任意に選ばれた始まりと終わりによって、権利上その都度、新たな運動が生成されることになるだろう。この時、この一連の運動の各瞬間には、“無数にあり得たかもしれない世界”への契機が潜んでいることになる。この“あいだ”で考え、実践するという田中功起のモチーフは、ドゥルーズ=ガタリの“リゾーム”を思わせる。

「リゾームには始まりも終点もない、いつも中間、もののあいだ、存在のあいだ、間奏曲intermezzoなのだ。・・・・・・・樹木は動詞「である」を押しつけるが、リゾームは接続詞「と・・・と・・・と」を生地としている。この接続詞には動詞「である」をゆさぶり根こそぎにするのに十分な力がある」*1

ここでドゥール=ガタリが言う「である」とは、予め定められた全体、閉じられた全体を意味するだろう。始まりも終わりもない、“あいだ”で考え、実践するということは、予め定められた・閉じられた全体を回避し、いわば開かれた宇宙全体の持続と共振するということである。本展のメイン作品であるヴィデオ作品は、『GRACE』のような抽象化された運動が対象ではなく、日常的な現象-フリーマーケットという場、そこでの人との接触等々が含まれている。いわば一つの出来事=エピソードのようなものの反復である。それだけにより不確定な要素が多い、つまりより開かれた運動とも言えるかもしれない。あるいは『GRACE』が形式化された純粋思考に近いものであるとすれば、本展の作品はより日常に近いものとも言えるだろう。この違いには重要な問題が含まれているような気がする。

田中功起はその批評活動のなかで-Web版ARTiTで連載中の往復書簡のなかで、展示すること、見せること、見ること、作ること、行為すること等々、芸術をめぐるさまざまな概念を分割・細分化することで、無反省な二項対立が成立する地そのものを無効化し、芸術という概念を刷新しようと試みている。たとえば、最新版のARTiT*2では、美術批評家・林卓行が問題提起をした「彫刻/オブジェ」という対立概念を受けて、さらに制作行為を三つの「予定調和」-(造形)感覚・(展示)空間・時間に細分化している。ここでわれわれが注目したいのは、その内容よりも(もちろん内容も重要だが)、その分割化・細分化の方法である。「である」に回収することなく、「・・・と・・・」「・・・と・・・」と分割・細分化していくこと。田中功起における主要なテーマは、その制作活動においても、批評活動においても、くねくね、だらだら、淡々と、接続詞による分割・細分化を繰り返すことにあるのではなかろうか。

もう一度、本展のインスタレーションに戻ってみよう。上記したように、まず鑑賞者は作家のアトリエや仕事場に迷い込んだように感じるであろう。作家のアトリエ、あるいは仕事場とは、作品が生まれる場、従来のような意味での作品でもなければ、その素材でもない、一つの中間地帯である。田中功起もどこかのインタビューで名前を挙げていたが、ブルース・ナウマンがスタジオでのパフォーマンスを作品化した『Eleven Color Photographs』のような作品との類縁性も感じる。鑑賞者を作品が生まれる場に誘い込むことによって、作家の思考のなかに迷い込ませること。そしてわれわれは椰子の葉の販売というパフォーマンス映像を通して、芸術作品とは何かをめぐる迷路にはまることになる。われわれはこうした思考の迷路をくねくね、だらだらと経巡ることで、日常的なものから横滑りしていく。したがって、田中功起の作品がわれわれの日常的な感覚や経験から分離・区別をさせないわけではない。

田中功起の作品はしばしば、日常的なものを非日常的なものへ転換することと言われているようだが、田中功起の作品に日常/非日常、ケ/ハレ、俗/聖、禁止/侵犯・・・といった二項対立はない。むしろ、そうした芸術をめぐる二項対立が何故に生じ、どのように機能しているのかをあらわにしようとしているように思える。ここで思い出すのは、ミシェル・フーコーの“系譜学的批判”である。フーコーは「啓蒙とは何か」のなかで、自らの“系譜学的批判”について、次のように語っている。

「この批判が<系譜学的>であるというのは、私たちに行いえない、あるいは、認識しえないことを、私たちの存在の形式から出発して演繹するのではなく、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を、私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、抽出することになるからだ」*3

フーコーの系譜学的批判を“芸術”や“美術”という領域で語るとすれば、今あるように“芸術”があり、“芸術活動”を行い、“芸術”について考えることから抜け出すためには、今あるように“芸術”が存在することになった歴史的な偶然性から出発して、そこから抜け出すための可能性を抽出するということになるだろう。もちろん、ここでのポイントは「存在の形式から出発」するのではなく、「偶然性から出発」するということにある。いずれも演繹的方法ではあるが、そのスタート地点が違うということだ。前者がグリーンバーグのフォーマリズム批評だとすれば、後者はデュシャンということになろうか。デュシャンのレディ・メイドとは、予め誂えられたものであり、予め与えられたものである。予めあたえられたものを分割・細分化すること-芸術/非芸術、事物/表象、作ること/見出すこと、作品/行為等々を通して、芸術という歴史的な機能が暴かれるとともに、それを芸術と呼ぶかどうかは別にして、われわれは知覚の別の迂回路を見出すことになるだろう。その意味で、田中功起はデュシャンに連なる正当な作家と呼べるかもしれない。

注:
*1・ドゥルーズ+ガタリ著『千のプラトー』(河出書房新社 宇野邦一他訳)

*2・Web版ARTiT連載「田中功起 質問する第6回」http://www.art-it.asia/top

*3・フーコー・コレクション6所収「啓蒙とは何か」(ちくま学芸文庫 石田英敬訳)



イメージの病(やまい)-臨床と症例 5

2013年12月03日 | Weblog

リヒターのガラス
リヒターとトゥオンブリー 新作エディション展(WOKO WORKS OF ART)
リヒター作品集『SINDBAD』

いましがた塗りたくられたペンキのような、てかてか光った、滑らかな色彩。毒々しいまでの人工性。他方で、流動的で粘り気のある生々しさはどこか天然の色を思わせる。人工性と天然性。近年、ゲルハルト・リヒターが手がける絵画作品シリーズ-「シンドバッド」「アラジン」「アブラダ」*1における色彩は、これまでの抽象絵画が現前させてきたどの色ともどこか違って見える。この違いはどこから来るのだろうか。形に従属した色彩でもなければ、何か観念的な意味へと翻訳されるような色彩でもない。色そのものの現前。それはけっきょく意味や象徴性が剥ぎ取られ、自律した色彩が音楽のようなものになったということか。それならばカンディンスキー以来、多くの抽象絵画が試みてきたことではないか。確かに、そうした一面もないとは言えないが、リヒターの色彩はもう少し即物的で、物資的である。だからといって、たとえばルーチョ・フォンタナやジャン・フォートリエのように、色が物質的なもの還元されてしまうわけでもない。おそらく、この非物質的でもなく、物質的でもない、あるいはそのいずれでもあるような効果をもたらしているのは、ガラスの存在である。

「シンドバッド」「アラジン」「アブラダ」のシリーズは、ガラスの表面にラッカーを塗りたくったものである。われわれは、ラッカーを塗った側を表面とすれば、それを裏側から覗いていることになる。ラッカーという塗料自体、そもそも光沢の強いものであるが、ガラス面によってさらに滑らかさが増していることは明らかだろう。このガラス面の一様な滑らかさが、まるで写真の表面のように塗料の凹凸や起伏といった触覚性をやわらげ、非物質的な色彩にしている。他方で、色の混じり合いや液体的なうごめきが物質性を喚起させてもいる。リヒターは観念的なものにも、物質的なものにも還元できない色彩を出現させようとしているのだろうか。

もちろんわれわれはすでに、こうした出現を名指す言葉を知っている。「シャイン(仮象)」。「シャインは私の一生のテーマだ。存在するあらゆるものが我々の目に見えるのは、我々がその反映するシャインを知覚するからであって、その他のものは目に見えない。絵画は、他のどの芸術にも勝って、ひたすらシャインに携わっている」*2。 「シャイン」は外見、外観、見せかけ、うわべ、仮象を意味するとともに、光、輝き、光沢、つやなどの意味もある。言うまでもなく西洋において、前者の意味としての「シャイン」はつねに否定的に使われてきたものだ。「シャイン」に対する本質や実体。モダニズム写真が追い求めてきた“ありのままの現実”もまた、写真登場以前の絵画という「シャイン」に対する否定であったろう。いや、マネに始まるとされる近代美術のイデオロギーもまた、「イデア」を「シャイン」として否定することで、「ものそのもの」の露出を目論んだとも言えるだろう。とするならば、リヒターは「シャイン」を再び肯定することで、写真登場以前の絵画に回帰しようとしているのだろうか。

もちろん、否である。上記の引用でも分かるように、リヒターには「シャイン」に対する本質や実体といった二項対立はない。すべてが「シャイン」である。われわれが見るすべてのものが「シャイン」である。肉眼で見る物も、写真も、映画も、絵画も・・・・・・。とするならば、いったい何が問題なのか。リヒターは続いて言う「絵画は、他のどの芸術にも勝って、ひたすらシャインに携わっている」と。ここでリヒターが絵画に特権性を与えるのはどうしてなのか。すべては「シャイン」であるが、「シャイン」が出現する条件や仕組みが違うということである。おそらく、リヒターが絵画に特権性を与えるのは、絵画が「シャイン」が出現する条件や仕組みの操作に最も適しているメディウムと考えるからではないか。それでは、条件や仕組みの操作とは何か。

清水穣はそのきわめて示唆に富んだリヒター論*3のなかで、リヒターの芸術に一貫するコンセプトを「任意のものの姿を(具象であろうと抽象であろうと)すべて「シャイン」に変換すること」と定式化し、「純粋なシャインへ、つまり鏡の表面で停止した映像へと転じる」ことと語っている。そして、その方法が「「鏡面」自体を出現させること」であると。「それ自体は不可視でありながら、すべての可視性の基盤となっている平面、いわば二次元の視覚表現にとってのゼロ面を出現させること、可視性の根拠としての「見えないもの」を認識し、それを感覚の領域へと導きだすことである」。清水穣はリヒターのフォト・ペインティングからアブストラクト・ペインティングに至るまでの一連の作品を、この「ゼロ面の出現」=純粋な映像(シャイン)を露出するための方法ととらえている。

リヒターにおけるガラスの使用もまた、清水穣が指摘する「ゼロ面の出現」と深い関わりがあることは言うまでもない。リヒターはすでに「8枚のグレイ」や「ガラス板」、「ガラスの裏のグレイ」、「直立する5枚のガラス」といった作品において、ガラスを多用した作品を数多く手がけている。リヒターにとってガラスとはどのような機能を持っているのだろうか。考えてみれば、われわれはほとんど意識することがないが、写真とはガラス(レンズ)を透した映像にほかならない。リヒターのフォト・ペインティングとは清水穣が指摘するように、写真における表面(ガラス)を可視化したものである。

ガラスとはその透明性が増せばガラスというスクリーン(表面)は知覚できなくなり、その不透明性が増せば鏡となってガラスに写った像を出現させる。清水穣が語るように、ガラスとは「それ自体不可視でありながら、すべての可視性の基盤となっている平面」そのものと言えるだろう。つまり、すべてが「シャイン」であるということは、われわれはガラス(スクリーン)越しにすべてを見ているということである。確かに、「シンドバッド」「アラジン」「アブラダ」シリーズも、ガラスに塗られた塗料がガラスの裏側から見られることによって、その凹凸や起伏が掻き消され、否が応でもガラスの表面が知覚される=出現することになる。とするならば、リヒターの一連の作品における「ゼロ面の出現」とは、「われわれはすべてをスクリーン越しに見ている」ということを認識させるだけのものなのか。それではあまりにも貧しすぎないか。リヒターの作品を鑑賞するわれわれの知覚体験をあまりにも矮小化しすぎてはいないだろうか。リヒターの一連の作品は、「ゼロ面」を出現させるというよりも、「可視性の基盤となっている平面」=「ゼロ面」の操作に関わるものではなかろうか。つまり、「シャイン」とは「ゼロ面」の操作に関わることであり、「ゼロ面」の操作によって「シャイン」に対するわれわれの知覚体験が異なるということである。

周知のように、絵画における可視性の基盤となる「平面性」にいち早く着目し、理論化したのがグリーンバーグである。しかし、グリーンバーグが問題とした「平面性」とは、キャンバスの地としての平面でもなければ、イメージが出現する支持体のことでもない。グリーンバーグは「モダニズム絵画が自己の立場を見定めた平面性とは、決して全くの平面になることではあり得ない。絵画平面における感性の高まりは、彫刻的なイリュージョン(シャイン)もトロンプ・ルイュももはや許容しないかもしれないが、視覚的なイリュージョン(シャイン)は許容するし許容しなければならない。表面につけられる最初の一筆がその物理的な平面性を破壊するのであり、モンドリアンの形状もまた依然としてある種の三次元のイリュージョン(シャイン)を示唆している」*4と語っている。ここでグリーンバーグが語っている「平面性」とは実体的なものではない。むしろ、イメージを出現させる条件のようなものである。絵画平面が「彫刻的なイリュージョン(シャイン)もトロンプ・ルイュももはや許容しないかもしれない」とは、視覚的なイリュージョン(シャイン)もたらす平面の条件が変わったということである。

それでは、リヒターはイメージ(シャイン)が出現する平面の条件をどのように変え、われわれの知覚体験をどこに導こうとしているのだろうか。とりあえず、「シンドバッド」シリーズに絞って、この問題を考えてみたい。

一般的に絵画と呼ばれるものにおいては、何らかの支持体-キャンバス地を始めとする物質的な素材の上に絵の具等が塗られる。絵の具等によって何らかの形象が描かれることによって、支持体としての平面性は掻き消され、一つのイリュージョン(シャイン)が出現する。ルネサンス絵画にあっては、そのイリュージョンは遠近法的な手法によって組織化され、平面性は透明な窓(あるいは舞台)としてわれわれは知覚することはなかった。マネに始まる近代絵画はこの透明な窓としての遠近法を疑い、キャンバス地といった支持体そのもの(平面性)を前景化していくだろう。ここでの平面性の前景化はあくまでも遠近法的な操作による知覚を脱構築することであった。しかし、この平面性(支持体そのもの)の前景化は、“ありのままの現実”や“ものそのもの”といったイデオロギーと相俟って、やがて「オブジェとしての絵画」として、その平面性は実体化されることになるだろう。

バタイユはそのマネ論において次のように書いている。「私が語った-そして隠されたままになっていた-この奇妙な手術(操作)の魔術を、マルローが強調しなかったのはおそらくまちがっている。彼はマネの決定的な行為(そこから近代絵画と主題に対する無関心がはじまる)を把握した、しかし、彼はマネの態度を他の印象派たちのどうでもいい無関心と対立させるものを強調しなかったのである。彼は、必ずしも他のものよりも美しいタブロオというわけではない『オランピア』に、その手術(操作)の価値を与えているもの、つまりあの沈黙を、正確に定義しなかった」*5。ここでバタイユがマルローを批判している「主題の無関心さ」は、マネの絵画のフォーマリズム的読解につながるだろう。「主題の無関心さ」=形式への志向。そして、このフォーマリズムは奇妙にも人間的な意味を剥奪された「裸形のもの」というイデオロギーとも結託することになり、形式と内容という相変わらずの二項対立を保持することになる。しかし、バタイユが強調している「手術(操作)の魔術」とは、イヴ=アラン・ボワも指摘するように*6、「横滑り」であり、「分類を乱す」ことなのである。つまり、知覚条件の秩序を撹乱すること。

リヒターの「シンドバッド」シリーズにおける支持体とは何か。ガラスではむろんない。むしろラッカー塗料こそが支持体であり、われわれが見ているのはガラスである。ラッカー塗料に描かれたガラス?もちろん、われわれが見ているものはラッカー塗料である。とすると、ここでの「平面性」とはどこに出現しているのか。当然ながら、ラッカー塗料が「シャイン」の出現する平面性を支えているわけではない。つまり、「シンドバッド」シリーズにおける「シャイン」の出現は、通常の絵画の条件を転倒させている。ここでの「平面性」はフェノメナルなものであり、物資的な支持体にも、遠近法的な透明な窓(観念的なもの)にも還元されない。リヒターの操作(条件の変更)によって出現した「平面」である。「平面」こそが「シャイン」であり、「シャイン」とはまた視覚的「平面」であることになるだろう。

すべてが「シャイン」であるということは、われわれの知覚すべてが錯覚(見せかけ・仮象)ということである。しかし、すべての錯覚は同じ錯覚ではない。肉眼というメディウムも、絵画というメディウムも、写真というメディウムも、映画というメディウムも、その条件によって異なる錯覚をもっている。知覚の条件を変えるとは、これらの異なる錯覚をコラージュすることではなかろうか。錯覚と錯覚のズレから“出会い損ねた現実”(不可視の現実であり、いわば宇宙の持続そのもの)が幽霊のようにつかのまの姿を現わす。そのとき、われわれはある時代の支配的な知覚条件から横滑りすることになるだろう。思えば、近・現代美術とは知覚条件の不断の変更、再編成と言えないだろうか。リヒターの「シンドバッド」「アラジン」「アブラダ」といったタイトルは、アラビアンナイトに登場する人物たちの名前であろう。アラビアンナイトは語り手が自らの死を引き延ばすために、毎夜、王に語りかける物語である。リヒターはその晩年にあたり、描くこと=死を引き延ばすことに賭けているのだろうか。


*1:この論考は「シンドバッド」を中心に考察されていることをお断りしておく。したがって、「アラジン」や「アブラダ」との相互比較はまったく考慮していない。
*2:ゲルハルト・リヒター著『ゲルハルト・リヒター写真論/絵画論』参照。
*3:清水穣著『ゲルハルト・リヒター/オイル・オン・フォト、一つの基本モデル』参照。
*4:クレメント・グリーンバーグ著「モダニズムの絵画」(『グリーンバーグ批評選集』藤枝晃雄編訳)参照。引用内の(シャイン)は筆者が追加したものである。
*5:ジョルジュ・バタイユ著「マネ論」(『沈黙の絵画』宮川淳訳)参照。引用内の(操作)は筆者が追加したものである。
*6:イヴ=アラン・ボワ著「「アンフォルム」の使用価値」(イヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・E・クラウス『アンフォルム』加治屋健司他訳)参照。


イメージの病(やまい)-臨床と症例 4

2013年12月03日 | Weblog
“ありのままの現実”から“ありのままのイメージ”へ
ホンマタカシ『ニュー・ドキュメンタリー』(東京オペラシティアートギャラリー)

ホンマタカシの『ニュー・ドキュメンタリー』展は、写真を見るわれわれをどのような視覚経験の場に誘おうとしているのだろうか。『ニュー・ドキュメンタリー』とタイトル付けられているように、一般的にドキュメンタリー写真と言われるものとの違いは、誰の眼にも明らである。確かに、「Tokyo and My Daughter」では「東京」と「子供」を、「re-construction」では自らの過去の作品を、「Widows」ではジェノヴァに住む未亡人たちを、「Together」ではロサンゼルスにあるマウンテンライオンの生息域を、「M」ではマクドナルドの店舗を、「Trails」では鹿狩りを、「Short Hope」では中平卓馬を、とドキュメンタリーの対象となる被写体が不在というわけではない。しかし、「Together」や「Trails」に顕著なように、そこにドキュメンタリーの核となるようなマウンテンライオンや鹿の屍体が登場するわけではないし、何らかの社会的メッセージを伝えるようなストーリーがあるわけでもない。もちろん、こうしたアンチクライマックス的な写真手法が目新しいということではない。ホンマタカシ自身も語っているように*1、日常のなかに潜む気配のようなものを抉り出す手法は、エグルストンやニュー・トポグラフィスが切り開いた手法の一つであるであるだろう。

とすればホンマタカシの「ニュー・ドキュメンタリー」は、従来のドキュメンタリーとどこが違うのだろうか。たとえば、「Tokyo and My Daughter」の「私の娘」は実際のホンマタカシの娘ではない。「Trails」における鹿の血痕は前置されたドローイングが示唆するように本物の血とはかぎらない。とすると、ホンマタカシは写真を見る者を偽と真の狭間に宙吊りにすることで、写真=真実という通念を反省させる場に連れ出そうとしているのだろうか。確かに、そうした側面もあるかもしれない。実際、ホンマタカシは「photographは「写真」じゃない。<真を写す>だけじゃない」*2と語っている。が、ホンマタカシの「ニュー・ドキュメンタリー」が従来のドキュメンタリーと決定的に異なる視覚経験の場はそこだけではないような気がする。

ドキュメンタリー写真の形式的な根拠とは、ある出来事や事件、被写体と写真家(撮る人)が同じ「いま・ここ」を共有していることである。被写体と写真家がいかなる媒介もなく同じ時間・同じ空間に存在していること。これこそがドキュメンタリー写真の絶対的条件と言えるものではないか。と同時に、この条件は写真の信憑性や記録性、証拠(目撃)性を支える根拠でもある。「それは・かつて・あった」と言ったのはロラン・バルトだが、それはまた「そこに・かつて・撮る人がいた」ことも物語っている。そして写真を見る者は暗黙のうちに撮る人の位置を占めることで、写真というイメージを見るのではなく、被写体、あるいはその関係性に還元されたイメージを見ることになる。

もう一度、「Tokyo and My Daughter」や「Widows」を見てみよう、ここででは、ホンマタカシが撮影した写真と、被写体の家族や知人が実際に撮った家族写真やプライベート写真が混在し、並置されている。後者の写真はfound photo(見出された写真)と呼ばれるもので、もともとの文脈から切り離し、別な文脈に移すことで新たな意味を付与する手法である。ここでは家族やプライベートといった文脈から切り離され、ホンマタカシの作品という文脈に移行されている。これらの写真を机の上や壁に掛けられたものとして撮っていれば、上記のドキュメンタリー写真の条件に適うことになる。しかし、ホンマタカシはそのまま複写することで、自ら撮影した写真と等価のものとして流用している。自ら撮影した写真と他者が撮った写真を等価に扱い、ドキュメンタリー写真の素材とする。被写体との「いま・ここ」を共有していない写真との混在。とすれば、ホンマタカシはもはやドキュメンタリー写真の位置付けを“撮るという次元”には求めていないということになろう。ここでわれわれは従来のドキュメンタリー写真とどのような異なる視覚体験を得ることになるのか。おそらく、写真というイメージ以前の被写体や写真家、あるいはその関係に還元することなく、いわば無人称化された写真(イメージ)そのものと対峙することになる。実際、ホンマタカシが撮影した写真もまた、被写体と写真家が共有した「いま・ここ」を極力排除し、いわば無人称的な写真を目指したもののように思える。

「Together」はマウンテンライオンに取り付けられたGPS発信機のデータに基づいて、マウンテンライオンが通ったと思われる場所を撮影している。ここでも被写体(その場所・風景)と写真家の関係は匿名的なものである。極論を言えば、撮影者がホンマタカシである必然性はない。われわれはここでもテクストと写真が織り成すイメージそのものと対峙することになるだろう。「M」はホンマタカシが撮影したマクドナルドの店舗をシルクスクリーンとして制作したものである。これらの写真はシルクスクリーンにすることで、写真の基盤となっていた透明なレイヤー(平面)があらわになる。また、一枚の写真から制作されたシルクスクリーンのある断片をカットしたり、網点を粗くしたり、刷り色を変化させたりしている。ここでわれわれが出会うのは、不透明化されたレイヤー上でのイメージの戯れのようなものである。浮遊するシニフィオン。実際、壁でもなく、床でもなく、接地面をもたない低い台に平置きされたシルクスクリーンは、浮遊する記号そのものである。ただ、ここで誤解してならないのは、「M」という同一の記号に対して、多義的(差異的)な世界を提示しようとしているのではなく、むしろ反対にシニフィオンの戯れこそが「M」という同一性を支え、強固にしているということである。「re-construction」はホンマタカシが過去に雑誌などに発表した写真をモノクロ印刷し、きわめて素っ気ない冊子にしたものが、これまた事務的にどこかの倉庫に積まれているかのように設置されている。われわれは写真家・ホンマタカシが脱色された紙媒体という資料そのものと出会うことになる。

こうした一連の作品において、ホンマタカシはわれわれに何を突きつけようとしているのだろうか。われわれはとりあえずそれを“ありのままのイメージ”と呼んでみたいと思う。“ありのままのイメージ”とは何か。“ありのままのイメージ”を突きつけられることで、われわれはどのような視覚経験を促されるのか。

ご存知のように、写真史では最も純粋なドキュメンタリー写真家として、ウォーカー・エヴァンスが挙げられている。エヴァンスはスティーグリッツやウェストンらのストレート・フォトをピクトリアルな写真とみなし、批判した。エヴァンスがドキュメンタリー写真に求めたのは、あらかじめ前提とされていたヒューマニズムや社会正義といったジャーナリスティックな物語性を排除し、“ありのままの現実”を写し撮ることだった(時に、こうしたエヴァンスの視線を“公のまなざし”に対置して“個人のまなざし”と指摘する写真史家もいるが・・・)。しかし、エヴァンスが批判したストレート・フォトもまた、カメラという写真固有の視覚を絵画から分離し、“ありのままの物”を美学化することにあった。エヴァンスの“ありのままの現実”とストレート・フォトの“ありのままの物”は一致することになる。つまり、ともに写真というメディアの自律化、純粋性を追求したということである。後にシャーコフスキーによって前者を「窓派」、後者を「鏡派」という区別によって整理されることになる。*3

シャーコフスキーの「窓」と「鏡」の二分法の意味は、写真を二つに区別したことにあるのではない。こうした二分法は写真と絵画、客観と主観といった昔ながらの区別を受け継いだものにすぎない。むしろシャーコフスキーの二分法に意味があるのは、二つの写真のあり様を“写真”という単一のメディアに統一し、モダニズム写真という概念を完成させたことなのである。写真が美術館入りを果たしていくのも、実はこの頃である。つまり、写真は単一の、純粋な表現メディアとして認知されたということだ(それはまた、絵画、写真という個別メディアが放棄され、芸術一般という大文字の芸術メディアへと再収斂されていくことでもある)。言うまでもなく、それを支えている考え方が「人間的な意味や表象のフィルターを透さず、カメラ・アイによって対象自体をじかにありのままに、クリアに撮ること」*4である。清水穣はこれを「モダニズム写真の倫理」と呼んでいる。

しかし、シャーコフスキーによって「モダニズム写真の倫理」が確立されていく70年代こそが、実は“ありのままの現実”という考え方が疑問に付されていく時期でもあったのだ。大量の視覚情報によってすでに現実が写真化・映像化・メディア化している状況において、“ありのままの現実”などはもはや自明なことではない。「モダンな倫理に基づいたドキュメンタリー観の失効と変質」*5。その後、こうした状況を前提として、フリードランダーやフランク、エグルストンらがそれぞれの写真を展開していくことになる。同じ頃に登場してくるのが、写真を積極的に使用することになるコンセプチュアル・アートである。

コンセプチュアル・アートはなぜ、写真に着目したのだろうか。まず一つ指摘できることは、「美とは何か」ではなく「芸術とは何か」を問題としたコンセプチュアル・アートは、写真がもつその通俗性、非人称性(作者の不在)、非様式性といった、いわば非芸術的・反美学的な側面に関心を抱いたことだろう。フォトジャーナリズムや記録写真の形を導入したり、アマチュア写真の流用などに、その典型例を見ることができる。これは、コンセプチュアル・アートが写真というメディアを単一のものではなく、きわめて雑種的な構造を備えたメディアととらえたことでもある。写真というメディアはそもそも単一なメディア(たとえば、芸術や美のメディア)にはなりえない、つねに他のメディアとの相互関係のなかで、その引き出されてくる効果が決まってくるということだ。しかし、バルトが指摘するように、写真は現実の断片にも関わらず、「物理的に滑らかな表面性」によって現実と連続性を備えた仮面としてしまう(この指摘は、写真を空間の連続体ととらえたクラカウアーを想起させる)。その結果、メディア間の相互作用で生まれてくる効果が曖昧化され、隠蔽されることになる。つまり、写真というイメージ(人工性)が(“ありのままの現実”“ありのままの物”といった)自然なものとして神話化されるということである。コンセプチュアル・アートは、この雑種的、複数的メディアである写真を手段にして、芸術一般への疑義、あるいはメディア批判へとつなげていくことになる。

単数メディアとしての写真から、複数メディアとしての写真へ。前述した“ありのままのイメージ”に立ち会うことは、写真の間メディア的な相互作用の場に身をさらすことである。そこでわれわれは従来の写真による視覚経験から反省的な次元に引きずりだされると同時に、従来の写真では得られることのなかった視覚経験へと誘われるのではないだろうか。実際、「Trails」という作品は、他の作品とは異なる構造を持っている気がする。他の作品が写真の媒介作用や言説的性格、いわば写真の外部との関係性が前景化されているとすれば、「Trails」は写真という映像が成立する平面そのものへと関心が移行しているのではないか。いずれにしても、「Trails」はホンマタカシの次なる展開を告げている。最後に、「Short Hope」は“ありのままの現実”を追い求めた中平卓馬へのオマージュであり、それを乗り越えようとするホンマタカシの意志を表明したものに違いない。


イメージの病(やまい)-臨床と症例 3

2013年12月03日 | Weblog

写真的経験の条件
西澤諭志展『ドキュメンタリーのハードコア』(SANAGI FINE ARTS)

西澤諭志の『ドキュメンタリーのハードコア』展を見る。西澤諭志は片山博文や良知暁たちと並んで、僕が関心を寄せる若手写真家の一人である。彼らの写真作品は、写真家が見た現実や感じた現実、解釈した現実、あるいは現実のなかの見えない事象を可視化するといった写真とは大きく異なるものだ。彼らの写真作品に共通しているのは、写真というイメージを見ること、あるいは写真装置(カメラ)を介して現実を見ること、その視覚的構造や条件をあらわにすることで、視覚的イメージによる知覚経験を刷新しようという試みのように思える。

ミシェル・フーコーはブランショを論じた有名な論文『外の思考』*1のなかで、「フィクションは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」と語っている。ここでフーコーが言及していることは、フィクション(虚構)によって見えるものと見えないものを配分する視覚的な構造や条件をあらわにするということであろう。こうした姿勢や試みは、60年代後半から70年代にかけての、写真を使う美術作家たちの主要なテーマの一つでもあった。われわれはとりあえず、こうした写真作品を写真的イメージに対する構造的な内在批判と呼んでおこうと思う。

今回の西澤諭志の『ドキュメンタリーのハードコア』は、“窓”をモチーフとして構成されている。周知のように、西洋美術史において、ルネサンス期における遠近法以来、“窓”(あるいは舞台)は視覚的なイメージが成立する場-平面として特権的な地位を与えられてきた。遠近法絵画は“窓”によって区切られた平面に、現実と描かれたイメージの写像関係を基礎づけた。後の19世紀に登場する知覚の生理学においても、人間の眼や知覚の機構が“窓”に喩えられ、現実の世界から知覚のスクリーン(平面)が分離されることになる。この生理学的光学が印象派絵画に大きな影響を与えたことはよく知られている。

 言うまでもなく“窓”は、現実の風景を縦軸と横軸によってフレーミングする。この縦と横、あるいは垂直と水平の関係性によって現実を写し取るという考え方は、星の軌道とその通過にかかる時間との関係を規定する近代天文学をはじめとして、物体が通過する距離と物体が落下する時間を関係させる近代物理学、動く直線における任意の瞬間(一点)を縦・横の座標軸によって求める近代幾何学等々と深いつながりがある。つまり、ルネサンス期の遠近法以来、われわれの視覚的体制もまた近代科学と同様の座標的関係性のなかに規定されてきたということである。

アメリカの美術批評家ロザリンド・クラウスがその秀逸な論文「グリッド」*2で詳細に論じているように、モダニズム美術においても“窓”はグリッド(格子)という形態によってきわめて明示的に主題化されてきた。もちろん、モダニズム美術におけるグリッドの使用は、クラウスも指摘するように、遠近法絵画とは異なり、現実との関係を断ち切ることにより平面化され、幾何学化され、秩序付けられたグリッドに、芸術の純粋性を、精神の自律性を求めたものである。とはいえ、“窓”あるいはその派生物としてのグリッドをイメージが生じる場ととらえたことは変わりないであろう。ようするに、西洋美術史において、視覚的イメージであれ、心像としてのイメージであれ、“窓”がイメージの生じる場としてつねに表象され、考察の対象にされてきたということである。

写真史においてもまた、フォーマリズム批評の代表的な存在であるシャーカフスキーよって、1978年に文字通り『鏡と窓』と題された写真展がニューヨーク近代美術館で開催されている。ここでシャーカフスキーは「写真を自己表現の手段」とする“鏡派”と「写真を調査の方法」とみなす“窓派”とに簡潔で明確な区別をしたことはあまりに有名である。シャーカフスキーによる“窓”と“鏡”の区別は、カメラという視覚スクリーンがもつ両義性-つまり現実を見渡すことができる“透明な窓”と自我を映し出す“不透明な窓(鏡)”とみなしたことによる。写真的知覚の透明性と不透明性。

クラウスも指摘するように*3、この“窓”がもつ両義性は、象徴主義の絵画が内と外の境界を、いわば視覚経験の場として、いささかロマンティックな雰囲気をもって主題化したものでもある。今回の西澤諭志の写真作品も一見すると、“窓”をモチーフとして、カメラを介して現実を見る場(ドキュメンタリーの現場)を可視化したようにも思える。実際、西澤諭志の写真はカスパール・ダーヴィト・フリードリヒやオディロン・ルドンといった“窓”をモチーフとした象徴主義絵画との類縁性も感じさせるものだ。内部と外部を仕切る“窓”、あるいは内と外の境界としてのイメージ空間。ウタ・バースやサビン・ホルニッヒといった写真家たちとの共通した問題意識も垣間見える。西澤諭志は“窓”という境界にこそ「ドキュメンタリー」-写真経験の「ハードコア」-核心部分があると言いたかったのだろうか。

しかし、西澤諭志の写真をしばらく見つめていると、「どこかが変だ」という奇妙な感覚のブレを感じるようになる。画面が微妙にゆがんでいるというか、ずれているのだ。とりわけ“窓”の格子を通して外の光景を写し取った写真は、われわれの注目を惹く。格子がずれていることで、窓枠によってフレーミングされた表面が意識され、窓の向こう側の光景がどこで生じているのかと、軽いめまいのようなものを引き起こすのだ。つまり、通常の写真ならば、窓枠によってフレーミングされた向こう側に広がる光景を何の迷いも、疑いもなく見ることができる。透明な窓として、窓枠によってフレーミングされた表面を意識することはない。ところが格子の写真は、格子をずらすことによって、外の光景の奥行きから表面が分離され、否応なく窓枠によって区切られた平面が見る者の意識に浮かび上がってくるのだ。

展示前半の窓ガラスに焦点をあてた写真もまた、窓ガラスについた水滴や汚れによって、その表面性が強調されている。ベランダにつるされた衣類や外の光景と交じり合いながら、絵画表面のような物質性を帯びた画面が出現している。これらの写真もまた、格子の写真と同様に微妙にずれているのだが、その表面は窓ガラスの存在によってリテラルに分離されているように思える。

ところで、この写真のずれは、分割撮影された映像を貼り合わせる、いわゆるスティッチング技法によって得られたもののようだ。通常、スティッチング技法は高解像度の画像を得るために使われるもので、一枚の巨大な画像フォーマットの写真を展示したり、被写体のディテールを高精細に表現したりする。しかし、西澤諭志は合成を微妙にずらすことによって、フレーミングによってもたらされた表面を出現させるために利用しているように思える。

合成とは言うまでもなく一種のコラージュにほかならない。ここで思い起こすのは、グリーンバーグがコラージュについて書いた一文*4である。グリーンバーグはブラックやピカソのコラージュについて、「現実の表面を否定すると同時に宣言する」と書いている。つまり、現実の表面-文字通りのキャンバスの表面を否定することによって、コラージュによって生じた狭間に非物質的な平面を出現させるということである。いわゆるグリーンバーグいうところの「蜃気楼(ミラージュ)」であり、リヒターが語る「シャイン(仮象)」である。

そういえば、展示前半の窓ガラスをモチーフとした写真は、リヒターのオイル・オン・フォトと似ていなくもない。しかし、前述したように、窓ガラスがリテラルな表面であるのに対して、格子の写真はフェノメナルな表面として現前している。しかし、改めて今回の展示を見直していくと、実はリテラルな表面からフェノメラルな表面への推移を提示しているようにも思えてくる。“窓”という境界線によって、奥行きと表面が分離されていくプロセス。

とするならば、西澤諭志の写真作品は、“窓”をモチーフとして、象徴主義絵画のように、見るという経験の場をロマンティックにあるいは神秘的に表現しようとしているというよりも、イメージが立ち上がる場、あるいはその平面化のプロセスを可視化しようとしているのではないか。「ドキュメンタリーのハードコア」とは、写真というイメージが立ち上がる核心部分そのものの考察と言えるかもしれない。

西澤諭志らの写真作品は、現代美術から大きな影響を受けた写真として、あるいはきわめて思弁的で理屈っぽい写真として、現実をストレートに切り取る写真家たちからは敬遠されがちである。しかし、写真という視覚体制が一方では“透明な窓”として、他方では撮影者の感情を刻み込む“不透明な窓=鏡”として流布している現在、少なくとも西澤諭志たちの写真作品は写真というイメージを見るということはどういうことなのか、写真から得られる視覚経験を前述したような写真とは異なる知覚経験へと導く契機となるものではなかろうか。と同時に、写真のデジタル化以降、写真における加工・合成の意味、意義について、デジタル以前の写真における加工・合成との違いを示唆してくれる(この問題については再度、考察を試みたいと思っている)。

ところで、前回取り上げた中平卓馬の展示タイトルは『Documentary』であった。今回の西澤諭志の展示タイトルは『ドキュメンタリーのハードコア』。そして次回、取り上げる予定のホンマタカシの展示は『ニュードキュメンタリー』とタイトル付けられている。期せずして3人の写真家が「ドキュメンタリー」という言葉をタイトルに選んでいる。ここにはどのような符号があるのだろうか。いま、なぜ、「ドキュメンタリー」という言葉が再度、写真家たちの関心を呼んでいるのだろうか。次回はホンマタカシの『ニュードキュメンタリー』の展評を軸に、この問題についても考えてみたい。


注:
*1・ミシェル・フーコー著「外の思考」(『フーコー・コレクション2』所収・豊崎光一訳)
*2・ロザリンド・クラウス著「グリッド」(『オリジナリティと反復』所収・小西信之訳)
*3・同上
*4・クレメント・グリーンバーグ著「コラージュ」(『グリーンバーグ批評選集』所収・藤枝晃雄編訳)


イメージの病(やまい)-臨床と症例 2

2013年12月03日 | Weblog

中平卓馬という問題群
中平卓馬写真展『Documentary』(シュウゴアーツ/BLDギャラリー)

写真というイメージは、一方において現実にあった“もの”を“ものの状態”として実在的に指し示す。痕跡としての写真。他方で、光学的な機能(レンズの効果、構図、距離感、諧調…)によって“こと”、つまり“ものの在り様(現象)”を表現する。前者を写真のインデックス機能、後者を表現機能と呼べるだろう。写真の発明は光学的なルーツと化学的なルーツをもつとされるが、この二つのルーツをそれぞれ光学的-表現機能、化学的-インデックス機能という対概念でとらえることも可能だろう。もちろん、事実上、この二つの機能は混在している。区別が可能なのは理念上にすぎない。ここで理念上というのは、あらかじめ“もの”と“こと”が区別されているわけではなく、表現されることによって区別されるということである。

ところで、清水穣はその秀逸な中平卓馬論*1のなかで、「写真とは、全ての普通名詞が固有名詞化し、すべての存在者が「これ」であり、その「これ」性(haeccity)において等価(equivalent)になる事態である」と述べている。通常の認識、「これは猫です」に対して、写真的認識は「猫(固有名詞)はこれです」であり、すべてのものが「これ」によって等号で結ばれることだと。しかし、「これは猫です」とは個別的なものが猫という種に一般化されることであり、「猫はこれです」とは一般的なものが個別的なものによって代理=表象されることではなかろうか。前者が個別的なものを一般化(全体化)するとすれば、後者は一般的(全体的)なものを個別的なもので代理=代表してしまう。この関係は写真における部分(瞬間)と全体(現実の運動)の関係でもあるだろう。

絵画的イメージがイデアという総合に基づいて諸特徴を抽出された部分(特権的瞬間)であるとすれば、たしかに写真は現実の運動から任意に切断された瞬間(部分)である。しかし、たとえばギャロップの一歩目をとらえた写真があるとすれば、われわれはその一歩目の瞬間をギャロップという運動の一部として特権化してしまう。部分が全体に還元されるわけである。写真におけるこの部分と全体の関係は、事件や出来事の客観的記録という写真の神話を問いに付す。中平卓馬は『なぜ、植物図鑑か』に至る多くのテクストのなかでこの問題を追求している。たとえば、「テレビは、ある出来事を、その断片的映像の組み合わせによってひとつの加工された全体に作りあげ、それをひとつの出来事、いわゆる「事件」として報道する。その時、映像そのひとつひとつがあくまでも出来事の断片的、部分的映像であるにもかかわらず、つねにこの作りあげられた全体性を背負い込んだもの、つまりその全体の象徴としての性格を帯びざるを得ない」と記している*2。写真というイメージの特権化と一般化。いわゆる「記録性のアポリア」である。

しかし、写真にとって部分と全体をつなぐ繋辞機能が唯一の問題というわけではない。むしろより問題なのは「猫はこのよう(・・)な(・)もの(・・)です」という形で、光学的な機能によって“ものの在り様”が繋辞機能に折り重なり、意味づけされるときである。たとえば、初期写真の観相学的写真によく見られるように、「犯罪者の顔はこのような特徴を持っています」という形で、犯罪者の姿形が一般化(同一化)される。“もの”と“こと”が、“ものの状態”と“ものの在り様”が一体となってその効果を発揮する。“こと”を“もの”と錯覚し、“ものの在り様”が“ものの状態”によって保証される。ここにこそ、写真というイメージを現実に置き換え、あるいは客観的イメージとする神話の最大の危険性が潜んでいる。前述した清水穣の引用のなかで、写真的認識の「猫(固有名詞)はこれです」に「固有名詞」という括弧が挿入されているのは、“もの”から“こと”が排除されることを示しているだろう。

われわれが『なぜ、植物図鑑か』以降の中平卓馬の写真に見出すのは、二重の闘争とも言うべきものである。一つは写真における部分と全体の関係をどう回避するか。二つ目は“もの”から“こと”をいかに切り離すか。しかし、この二つの問題はその一つひとつを順番に解決していけるものではない。同時に解決しなければ、そのどちらも解決することはできない問題である。

今回、都内二箇所で同時開催された中平卓馬の写真展には、『Documentary』というタイトルが付けられている。一般にドキュメンタリーとは、ある出来事なり事件を、虚構を用いず記録に基づいて作られたものをいう。しかし、中平卓馬の写真がある一つの出来事なり事件を対象化することはない。ここに提示されているのは、いわゆる“もの”たちである。人、動物、植物、道具、物(岩や石など)等々。おそらくは中平卓馬が日々の撮影行為のなかで出会った“もの”たち。中平卓馬の写真がある事件なり出来事を対象化しているわけではないとすれば、断片を断片として提示することで対象(テーマ)化しようとしているのは、“見ること”あるいは写真的視覚そのものということになろう。言葉を変えて言えば、写真における“記録性”そのものをテーマ化していると言えるだろうか。写真の断片を外部に全体化すること、あるいは画面外に還元されることへの拒否。

清水穣が「すべてのものを「これ」によって等号で結ぶ」と述べているのは、このことである。「猫」を「これ」によって同一化(全体化)するのではなく、「これ」を等号で結ぶことで「猫」を個別化(固有名詞化)するということである。しかし、「すべてのものを「これ」によって等号で結ぶ」ためには、「これ」(“もの”からの“こと”の分離)が成立していなければならない。

多くの論者が指摘するように、中平卓馬の写真には、カラーであること、白昼に撮られていること、近接像であること、縦位置であることなどの特徴がある。これらの特徴はすべて、“もの”と“こと”を分離するための方法と言えるだろう。

“もの”から“こと”を分離するという方法は、言うまでもなく近現代美術におけるモダニズム的方法の核心にあるものだ。もちろん、グリーンバーグのフォーマリズム批評もその例外ではない。西洋におけるルネサンスから近現代に至る美術の流れを俯瞰すれば、道具から装飾的(付随的)なものが切り離され、美術という作品が生まれ、近代に入って道具が商品となることで、今度は道具が美術作品に接近していく。その時、美術作品は“もの”に近づくことで、美術作品のポジションを死守しようとしたとも言えるだろう。

われわれはモダニズム的方法を批判しようと意図しているわけではない。むしろわれわれは“もの”と“こと”を分離するというモダニズム的方法をさらに二分化すべきではないかと考えている。“もの”と“こと”の分離を抽象化という言葉で言い換えれば、抽象化には二つの方法があるのではないかということである。一つは形態への抽象化、二つ目は感覚の抽象化である。ドゥルーズに従えば、前者が脳髄的(知的)であり、後者が神経的(感覚的)ということになる*3。近現代美術の先駆者と言われるセザンヌの絵画にはすでに、この二つの抽象的方法があったことは、近年つとに指摘されていることである(いわゆるモダニズム批評は前者を特権化していった)。われわれが一般的にモダニズム的方法として想起するのは前者の方法である。

一般にモダニズム写真と呼ばれるものも前者に属するものだろう(たとえば、モホリ=ナジを起源とする石元泰博に代表されるような写真)。モダニズム写真は光学的な機能を操作することで、“もの”と“こと”を分離し、一つの形態を抽出しようとした。しかし、われわれの前提では、光学的機能こそが“こと”を生み出す。とするならば、光学的機能による操作はたしかに、機械の眼による操作であり、間化された視覚ではあるが、あくまでも“こと”の内部での区別であり、本性的に“もの”を区別したことにはならないのではないか。そこで抽出された形態は、“もの”ではなくて“こと”の一つの属性でしかないだろう。

中平卓馬の写真は、もう一つの方法による“もの”と“こと”の分離を試みようとしたのではないか。中平卓馬がカラーや白昼に撮ることにこだわるのは、光学的機能による効果を避けるためであり、その意味ではむしろ裸眼に近い視覚を求めたとも言える。光学的効果を回避し、限りなく裸眼に近い類似像(イメージ)を提示すること。もちろんそれは裸眼と写真の視覚(イメージ)を一致させるためではない。むしろ競合させるためである。裸眼との類似性が高ければ高いほど、その競合性が際立つことになる。裸眼との類似性が希薄になればなるほど、その競合性は薄れ、まったく別の像(イメージ)となるだろう(たとえば、加工・合成された写真)。写真の類似性をめぐるパラドックス。

中平卓馬の写真における近接像や縦位置といった特徴もまた、光学的空間の回避にあるだろう。近接像に触覚的空間(haptic)という美学上の根本的な地位を与えたのは、アロイス・リーグルである。ドゥルーズ=ガタリはこの触覚的空間を把握的空間という言葉に置き換えている*4。遠隔像-光学的空間に対する近接像-把握的空間という対概念(そしてドゥルーズ=ガタリは、光学的空間を条理空間に、把握的空間を平滑空間に置き換えている)。この把握的な近接像とは、光学的な視覚モデルによらない現実の知覚のことである。たとえば、原始美術における人体像の極端な歪曲は、視覚による再現ではなく、内的な感覚による再現と言われる。つまり、視覚によって対象化(客体化・距離化)されたものの反映ではなく、内的な感覚(触覚)によって把握されたもの-強調されたものが反映されるということである。たしかに、中平卓馬の写真はどこか、原始美術における人体造形を喚起しないだろうか。

ドゥルーズ=ガタリはこの把握的空間(平滑空間)について、きわめて興味深い指摘をしている。「(把握的空間における)指標は視覚モデルをもたないのだ。このようなモデルこそ、指標を交換し、外にいる不動の観察者のものとされる不動性のクラスに指標を統一するものだ。指標とはこれと反対に、「モナド」と呼ぶこともできるが、むしろたがいのあいだに触覚的な関係をもつ、ノマド〔遊牧的〕と呼ぶべき多くの観察者に結ばれている」*5。不動・唯一の観察者に対する、多数の観察者への結びつき。ここにこそ、中平卓馬が写真に求めた、“もの”を指し示すインデックス機能における“記録性”の核心があるのではなかろうか。

“もの”と“こと”を光学的な機能によって分離するのではなく、インデックス的(把握的)機能によって分離すること。これこそがモダニズム的方法の二つ目(後者)の方法ではないだろうか。こうしたモダニズム的方法における第二の方法は、中平卓馬の写真だけに見られるものではない。たとえば、日本の現代美術における60年代末から70年代にかけての「もの派」にも共通して見られる傾向だろう。実際、写真を論じる多くの論者のなかで、近年、このインデックス機能に多くの関心がもたれてきている。

さて、われわれは“もの”と“こと”の分離を何か価値あるかのように語ってきた。しかし、実際のところ、“もの”と“こと”を分離することに、いかなる意味と意義(価値)があるのだろう。まず指摘する必要があるのは、分離によって得られた“もの”を「ありのままの現実」とか、「ものそのもの」という言葉で実体化してはならない。“もの”が“こと”に先行して存在するわけではないし、“もの”に“こと”が付加されるわけでもない。むしろ、冒頭に述べたように、表現されることによってしか、この区別は可能ではない。とするならば、“こと”から“もの”へ、表現行為から指示行為への移行こそが問題であると同時に、この移行こそが表現という場の秘密を開示するのだ。

たとえば、われわれは「農耕馬」も「競走馬」も「馬」という普通名詞によって一般化(種別化)する。しかし、感覚的確信によって「この馬」の「このもの性」を指示することによって、一般化(種別化)される場そのもの(表現が生起する場)が切り開かれる(明るみ晒される)。そのとき、“もの”と“こと”の結びつきが決して必然的なものではないことを知るだろう。「農耕馬」はその“こと”性において、「競走馬」よりも「牛」に近い存在であり、「競走馬」は「農耕馬」よりも「フォーミュラーカー」に近い存在に分類される可能性を開くだろう。

われわれは写真におけるインデックス機能を“ものの状態”を実在的に指し示すという定義をしてきた。言うまでもなく、この定義はアナログ写真のみに該当するものだろう。写真のデジタル化においては、この定義は成立しない。デジタル写真におけるインデックス機能は、実在的なものではない。実在的鋳型から関係性の鋳型へ。デジタル写真はアナログ写真のような一対一の実在的な指示関係をもたない。化学的プロセスが光学的プロセスに吸収されたと言えるかもしれない。だからといって、インデックス機能が失われたわけではない。デジタル写真は“ものの状態”の関係性を指示するのだ(このデジタル化における関係性の鋳型は、写真における加工・合成の概念を大きく変えることになるだろう。ここでこの問題についての言及は避けるが、アナログ写真における加工・合成とはまったく異なる概念になるということである)。

 ここで注視したいのは、関係性という概念である。中平卓馬は写真におけるインデックス機能を徹底的に露出させることで、“もの”と“こと”の分離を試みてきた(他方で、いわゆるモダニズム写真は光学的な機能を徹底的に露出させた)。しかし、いま、われわれに問われていることは、中平卓馬の限界を、モダニズム的方法の限界を見極めることである。  
“もの”と“こと”の分離を追求したモダニズム写真に対して、“もの”と“こと”、インデックス機能と表現機能の関係を問うことではなかろうか。たとえば、東松照明は『NAGASAKI』以降の写真において、この関係性をテーマとして問うていくだろう*6(ちなみに、この関係性の観点から、現代写真の在り様を照射すれば、荒木経惟の写真は感情的なものを光学的機能-レンズの効果や構図、諧調などによって翻訳したものであり、90年代以降の写真のメインストリームはこれに属するだろう。高梨豊や小林のりおの写真はインデックス機能によって指し示された“ものの状態”に社会的構造-ものの配置を見出すものであろう)。“もの”と“こと”の分離を前提として、その関係性を問うこと。“もの”はいかにして、どのように“こと”に移行するのか。その関係性の構造を探ること。
 中平卓馬はモダニズムの限界を思考した写真家であると同時に、写真を最も哲学した写真家と言えるかもしれない。

参照注
*1:WEB版『ART IT』清水穣「批評のフィールドワーク14」http://www.art-it.asia/top
*2:中平卓馬著『見続ける涯に火が…』(OSIRIS)所収「客観性という悪しき幻想」
*3:ジル・ドゥルーズ著『感覚の論理-画家フランシス・ベーコン論』(法政大学出版)
*4:ドゥルーズ=ガタリ著『千のプラトー』(河出書房新社)
*5:同上
*6:WEB版『ART IT』清水穣「批評のフィールドワーク3」参照 http://www.art-it.asia/top


イメージの病(やまい)-臨床と症例 1

2013年12月03日 | Weblog

“写真”という症候群

いま、写真の何が問題なのか。たとえば、写真のデジタル化によってもたらされた問題がある。デジタル化によって写真が終わったと言う者もいれば、むしろ反対に写真表現の領域が広がったととらえる者もいる。その是非を問うても生産的とは思えない。おそらくどちらの見方も間違ってはいまい。重要なことはその根拠を問うことだろう。何をもって写真は終わったと言うのか、何をもって表現領域が拡大したと言うのか。その根拠にこそ、それぞれの写真観が現われる。ここで言う写真観とは、写真の何に、どこに、どのような機能に価値を見出しているかである。さらに言えば、根拠を問うことは、なぜ、そのような価値が生じたのか、あるいは作り出さねばならなかったのか、その歴史的・時代的条件を探ることでもあるだろう。

ところで、問題には新しい問題もあれも古い問題もある。新しい問題と思っていても、実はすでに解決された古い問題というものもある。問題のないところに問題を見出す、捏造された問題もあれば、そもそも問題の立て方自体が間違っている、偽の問題というものもある。しかし、ある一つの問題意識の変化が新たな表現を生み出したり、それまでの価値基準を覆したりする契機になることは事実だろう。いやそもそも、多くの写真家は問題意識など抱えて写真を撮ってはいない、という反論もあるかもしれない。むしろ、そうした問題意識を逃れることに、あるいは回避することこそが写真であると。つまり、ありのままに、受動的に、自動的に、機械的に現実を反復させるのだと。それでも、意識的であろうと、無意識的であろうと、表現には何らかの問題が前提にされているというのがわれわれの立場である。

このREVIEWの目的は、現在、行われている展覧会や個展、あるいは写真集や写真論などを俎上に挙げ、写真表現の問題を摘出し、露呈させてみようというものである。先に記したような新しい問題と古い問題、捏造された問題と偽の問題等々、いわば問題の罠から逃れられるかどうかは心もとないが、試してみることぐらいは許されるだろう。

さて、そんな写真表現が抱える問題を考える上で、恰好の素材を提供してくれたのが東京・恵比寿にあるナディッフ・ギャラリーで行われた『写真分離派宣言』である。三人の写真家(鷹野隆大・松江泰治・鈴木理作)と二人の批評家(倉石信乃・清水穣)によって行われた『写真分離派宣言』は、写真作品の展示というよりも、むしろ「宣言」それ自体を「作品」としたものだ。三人の写真家はいずれも木村伊兵衛賞の写真家であり、すでに一定の評価を与えられている中堅の写真家たちである。二人の批評家も、いま、最も先鋭的な写真批評家として知られている存在である。いわば写真界の中核に位置する写真家と批評家がタッグを組んで何かを「宣言」するのだから、写真に関心ある者たちから注目されないわけがないし、注目しないわけにはいかない。

そもそもの『写真分離派宣言』のいきさつは鷹野隆大に端を発するらしい。実際、展示された「宣言文」は鷹野隆大の草稿文(原文)に、他の4人が修正を施したものになっている。通常、複数の人間による「宣言文」とは、共通した意見や目的によって形成されるものだが、ここでの「宣言文」はむしろ共通点の欠如こそをあらわにしている。草稿をそのまま「宣言文」として提示しているのだから、いわば「宣言」(核)のない宣言のようなものである(結論の一つを先回りして言えば、『写真分離派宣言』の意図は問題の提起にこそあると言えるだろう。しかしそれでは何も語らなかったことに等しい)。そんな不明瞭さ、不明確さ、優柔不断さを非難する者もいるだろうが、われわれはむしろ、その共通点の欠如にこそ着目してみたい。共通点の欠如にこそ、問題の所在が隠されているように思えるからだ。

さて、その前提となる鷹野隆大の原文だが、彼は「現実(リアル)と表象」「具体性と抽象性」「写真と絵画」「経験とイデア」……といった一連の対立項で写真をとらえ、写真を前者の系列項に位置づけているように思える。かつて幾度となく繰り返されてきた「記録と表現」「自然と文化」「客観と主観」「事物と意味」「無意識と意識」「物質性と非物質性」……といった論争の反復と言えないこともない。「写真に帰れ」というわけである。ジェフリー・バッチェンはその著『写真のアルケオロジー』の中で、写真のモダニズム(フォーマリズム批評)を前者の系列に、ポストモダニズムを後者の系列に位置づけ、モダニズムが写真それ自体-単一性を求めたのに対して、ポストモダニズムは写真の複数性を求めると、簡潔な定義をしている(もちろん、バッチェンはいずれも「自然と文化」という二項対立を前提にしているとして批判しているわけだが)。バッチェンの整理に従えば、鷹野隆大の主張は明らかにモダニズム的方法論の繰り返しと言えるだろう。そしてさらにその二項対立をアナログとデジタルの対立にも置き換えている(と読めるし、実際、鷹野隆大にはデジタル技術による加工・合成したものを「写真作品」と呼ぶことに対する批判が根底にあったらしい)。

問題は他の4人が鷹野隆大の原文にどのように反応しているかである。鷹野隆大の主張(原文)に同調しているわけではないことは明らかだ。だからこそ修正を施した草稿文をそのまま提示したのだろう。修正の入れ方を見る限り、たとえば、清水穣は「抽象的な現実などあり得ない」の「抽象的」を「「あるがまま」に修正し、倉石信乃は「現実もまた不確か…」と付け加えている。さらに倉石信乃は鷹野隆大が「写真と絵画」を「具体性と抽象性」に置き換えて語っているのに対して、「価値ある抽象美術はむしろ「個別具体的」……」と付け加え、その対立の無効性を示唆している。松江泰治にいたっては「デジタルがベースの写真に収斂すればよい」とまで言い切っている。とりわけ上記の3人は明らかに、鷹野隆大のモダニズム的方法論に疑問を抱いているし、否定もしているようだ。

清水穣は「宣言文」が掲載された小冊子の中で、写真が抱える「リアルという病」について分析しながら、現在の写真状況を的確に語っている。実際、近代写真における表現の多くは、この「リアルなもの」をめぐって、モチーフとして展開されてきたと言っても過言ではないだろう。いや、清水穣に従えば、日本の写真の多くはいまだこの病から抜け出していないと言うべきか。倉石信乃もまた、同じ小冊子に書かれた文を読む限り、同じ問題意識を抱いてはいるが、そのスタンスはかなり異なるようにも思える。しかし残念ながら、「宣言文」だけでは彼らの主張の全容を知ることはできない。4人の写真に対する見解を知るためには、それぞれの仕事を眺めるほかはないし、それにはまた別な論が必要になるだろう。

明らかに異なる意見を持つ者同士が、一同に会して一つの宣言をする。この『写真分離派宣言』の意図はどこにあるのだろうか。「写真とは何か、写真の可能性はどこにあるのか」、その問題提起をすることが最大の目的なのだろうか。確かに、その意味では成功しているように思える。その要因になっているのは鷹野隆大の原文に違いない。これほどあからさまに、ある意味では明確にモダニズム的写真観を披露しているものはない。この「写真分離派」という言葉自体がモダニズム的発想そのものである。実際、誰もがスティーグリッツの分離派運動(フォト・セセッション)を想起するだろう。写真を分離するということは、写真以外のあらゆるものを排除し、純粋化するということである。しかし、清水穣の指摘を待つまでもなく、鷹野隆大は「あるがままの現実」という写真の外部に写真の根拠を求めている。写真とは表象(画像)である。分離を徹底化するならば、写真=表象それ自体に、価値の根拠を求めなければならない。

倉石信乃の言葉を借りれば、「わざわざ敗戦を承知で発したかのごときネイキッドな呻き」。つまり、鷹野隆大は最初からさまざまな反論・異論を買うのは必須であり、論難されることさえ覚悟している、ということである。自らが捨石となって問題提起をするということらしい。実際、鷹野隆大の原文には、多くの異論を差し挟みたくなる。そうしたことを計算済みの『写真分離派宣言』ということになろうか。その意味では、この「宣言文」をネタにさまざまな論争が湧き上がることが望ましいことになる。いわば、共通点の欠落を鑑賞者や読者がそれぞれで思考せよ、というのが『写真分離派宣言』の最大の意図ということになろうか。

であるならば、われわれもまた、鷹野隆大の原文にいくつかの修正を施してみることが『写真分離派宣言』への正しい応答になるかもしれない。鷹野隆大が起草した原文は、倉石信乃が指摘するとおり、あまりにも「無防備であり」、あまりに素朴すぎる。「現実」のとらえ方、「抽象化・普遍化」という概念、美術や写真の歴史のとらえ方等々、一つひとつ茶々を入れたくなる代物である。たとえば、「現実とは常に個別具体的なものである。抽象的な現実などあり得ない」とある。そして、「つまり写真の特質は個別性や具体性を表現するところにあり、画面に在ったはずの特定の現実を強く指し示すところにある」と続く。ここでの論旨をたどれば、個別性や具体性は現実に与えられている。しかし、隠されていて、見ることも知覚することもできない。であるがゆえに、表現することによって現実の個別性や具体性をあらわにする(強く指し示す)こと(後半では「この個別性や具体性」が「写真の棘」と呼ばれている)。その最も有効な手段こそが“ストレート写真”であるということになろうか。ここで前提になっているのは、「あるがままの現実」が写真による表現(表象)に先立ってある、ということである。したがって、写真による表現とは「不可視のものを発見すること」と同義であり、写真表現とはいわば「発見の技法」ということになろう。

しかし、現実というものがすでに構成されたものだとしたらどうなのか、現実自体がすでにさまざまなイメージによって作られたものだとしたらどうなのか。いやいや、だからこそ、そうしたヴェールを引き剥がし、「個別性や具体性」を現前させることが写真表現の役割なのだと、鷹野隆大は反論するかもしれない。しかしそのとき、鷹野隆大が言う“ストレート写真”は果たして有効性を持ちえるのだろうか。引き剥がしても、引き剥がしても、そこであらわになるのは「個別具体性」どころか、またもやヴェールに包まれた現実ではないか。
われわれは「あるがままの現実(リアルなもの)」と「表現(表象)」の前後関係を転倒してみる必要がないだろうか。表現の効果こそが「あるがままの現実」を出現させたのだと(この場合、「あるがままの現実」という言葉はもはや相応しくないだろう。むしろ「リアリティ」と呼ぶべきかもしれない)。そのとき写真による表現は、「発見の技法」ではなく、「移行の技法」となろう。それでももちろん、問題は残る。結果(効果)としての表現がわれわれに「あるがままの現実(リアルなもの)」を感じさせるのはなぜかと。われわれは「現実(リアル)と表象」の二項対立における「現実(リアル)」の項を否定しようとは思わない。むしろわれわれは発生論的なアプローチをしてみようということである。こうした立場に立つと、写真と絵画の対立や、写真の「個別具体性」に対して絵画を「抽象化・普遍化されたイメージ」ととらえることもあやしいものになってくる。

抽象化とは本質的なものを抽出することであり、普遍化とは事物における非時間的・非空間的な共通点を見出すことである。とするならばむしろ、鷹野隆大が前提にしている「あるがままの現実(リアルなもの)」こそが、抽象化・普遍化されたものではなかろうか。もちろん、鷹野隆大は「抽象化・普遍化」という言葉を「一般化」という意味で使っているのだろうが、それを写真の「個別具体性」と対比することに問題の所在がある。鷹野隆大は「写真の歴史はこの“絵画的写真”と“ストレート写真”とのせめぎ合いだった」と語っているが、これこそが近現代美術史の言説そのものではなかろうか。むしろ“ストレート写真”こそが、マネの絵画以降のモダニズム美術と歩調を合わせてきたのだと言えないか。

ここからは問題提起的なものにすぎないが、いま、写真表現を考えるためには、「現実(リアル)と表象」の対立項における、後者の系列項から照射してみることが有効ではないだろうか。写真を表象(画像)としてとらえることであり、これまで“ストレート写真”の名の下に否定、排除されてきた考え方を肯定的にとらえてみるということである。それこそ二項対立を維持したまま、その一方の項を優位にとらえる、いわゆるポストモダニズム的発想ではないか、あるいはかつての「記録と表現」における「表現」側に与することではないかと、反論する向きもあるだろう。しかし、われわれの提起は後者の系列項を徹底的に差異化してみようというものである。一方の項を徹底的に差異化すること(矛盾、対立を見ること)によってこそ、二項対立そのものの地盤が切り崩されるのではないかと(一方の項である「現実(リアル)」の系列項を徹底的に差異化し、実践していった一人が中平卓馬であろう)。たとえば、鷹野隆大はデジタル技術による加工・合成した「写真」を否定する。しかし、すべての加工・合成された「写真」を一般化して否定するのではなく、それぞれの加工・合成された「写真」の中に違いを見出すことが重要なのではないか。そのとき、「現実(リアル)と表象」といった対立項に基づく価値基準とは異なる、新たな価値基準が見えてくるはずである。このREVIEWもまた、そうした立場に立って、写真表現が抱える問題を摘出していきたいと思っている。


参照:『美術手帳』2011.02所収「「写真分離派宣言」という始点」(鈴木理作)

   『TIME FUNCTUM』所収「時の過ぎゆくままに」(倉石信乃)、
              「1963」(清水穣)