Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

インターバル(余白)

2011年01月12日 | Weblog
イデアからイメージへ

写真(というイメージ)は客体(被写体・対象・現実・事物)に向かうものなのか、それとも主体(現実の解釈・現実を素材にした表現-経験的表象)に属するものなのか。いささか古い問題とはいえ(そう、いまや古い問題のように思える。それでもここから出発せざるを得ないのは何故なのだろうか? 時代的に制約された問いなのか?)、まずはここから始めてみよう。写真は主体に属するものだという考え方が最も一般的であり、それなりの説得性ももっている。写真家が自らの関心にしたがって、あるいは触発されて現実を切り取り、訴求すべきテーマにもとづいて/したがって現実を解釈・表現する。一人称としての写真。ここで問題にしたいのは、「記録」と「表現」の対立ではない。写真を「主体に帰属するもの」と考える立場も、写真が現実の一部を切り取った断片面(瞬間)であることを前提にしている。とするならば、「記録」と「表現」の対立は、見かけほどの違いがあるわけではない。一方ができるだけ手を加えずに(演出せずに)被写体をとらえようとすれば、他方は切り取った現実を解釈するために演出を施す、あるいは現実を解釈するために演出した現実を写真に撮る。「記録」と称する写真もすでにフレーミングや光の効果等々において、最小限の演出を施しているわけであるから、「記録」も「表現」も程度上の差があるにすぎない。では、「記録」と「表現」の対立とは、現実の一部を切り取った断片の扱いにあるのだろうか、それとも切り取りの方法、基準-何に基づいて切り取るのか-にあるのだろうか。

写真の記録性を重視する写真家は、表現性を重視する写真に対して人間的な意味を付加するものとして批判する。他方、表現性を重視する写真家は、記録性を重視する写真に対して、それは単なる事実(現実)にすぎないとして批判する。一方が人間的な意味を排除した裸の事物をあらわにすることを目指すのに対して、他方は自らのイデア(理念)にしたがって別な現実(事物)を提示することを目指す。

ところで、絵画と写真の違いはどこにあるのだろうか。ドゥルーズは『シネマ1-運動イメージ』(財津理他訳)の「第1章 運動に関する諸テーゼ-第一のベルグソン注釈」のなかで、写真における特権的瞬間と、古代的な形式におけるポーズとしての特権的瞬間との違いを述べている。古代的な形式における瞬間(ポーズ)は、超越的形相(イデア)の秩序にしたがって切り出されたものである。それに対して、写真における瞬間は、たとえ連続する運動のなかの特異点であるにしても、あくまでも任意の点として取り出されたものである。この二つの特権的瞬間の違いはきわめて重要である。絵画的イメージとは、人物なり、事物なり、出来事なりの特徴(特異点)をイデアにもとづいて抽出(表現)する。しかし、写真的イメージは、イデアから抽出されたものではない。運動の過程から任意に取り出されたものである。イデアからイメージへ。ドゥルーズは「古代弁証法は、運動のなかで現働化される超越的形相の秩序であり、近代弁証法は、運動に内在するもろもろの特異点の生産とそれらの対照である」と述べている(蛇足にすぎないが、ここで一つ付け加えるならば、ドゥルーズは古代と近代という非常に大まかな時代区分をしている。ルネサンス絵画や古典主義絵画はいずれに属するのか。ここでドゥルーズの言う近代弁証法とはいつの時代を指すのか。カントなのか。特定することは難しい。しかし、写真の誕生が近代に属していることに間違いはない)。絵画的イメージと写真的イメージでは、同じイメージでも、その帰属する秩序がまったく異なるということである。近代に至りイメージ(切り出された瞬間、切断面)の概念の意味がまったく変わったのだ。

イデアからイメージへ。たとえば、ジャン=リュック・ナンシーは「構想力の力」(『イメージの奥底で』所収 以文社 西山達也他訳)という論考のなかで、次のように語っている。少し長くなるが引用しておく。「ルネサンスから19世紀にかけて、ヨーロッパ的思考(みずから西洋化し、それが「世界」だと想像する世界)は、タブローから映写スクリーンへ、表象〔再現前化〕から呈示〔現前化〕へ、イデアからイメージへ、あるいは正確に言えば、空想ないし幻想から想像力へと変換を遂げた。このことはまた、次のようにも言い換えられる。存在論から現象学へ、したがって存在から現れへ、形式から形成作用へ、あるいは質料から力へ、イデアから構想へ、そして最後に一言で要約すれば、見られたものから見ることへ、だがさらに先鋭な言い方をすれば、要するに嘘としてのイメージからイメージのとしての真理への転換ということに尽きる」。

記録のアポリア

ここで一つの疑問-アポリアが生じるだろう。写真もまた現実における事物の流れからある種の選択によって切り出されたものだろうと。ドゥルーズはジュール・マレーやマイブリッジの連続写真を例に挙げているのだが、たとえば、馬のギャロップという運動において、連続写真によって切り出された各瞬間は、馬のギャロップを理解させるために、馬の足の一本目、二本目、三本目・・・の動きの瞬間を切り取るだろう。同じことだが、ある出来事(事件)を写真によって切り取る場合、やはりその出来事を象徴する(あるいは撮影者が意図する)特異なシーンを切り取るだろう。とすると、イデアにもとづいた絵画的切り取り=特異点と、写真による切り取り=特異点はどこが違うのか。写真もまた撮影者の意図(イデア)によって切り出されたものに違いはないのではないか。一方において、絵画的なイメージがイデアという秩序から切り出されたものだとすれば、写真は現実の運動から切り出されたものである。他方、絵画的イメージも、写真的イメージも、ある全体の部分として想定されていることに変わりはない。絵画的イメージがイデアという全体を、写真的イメージが一つの運動(出来事)という全体を。どちらもあらかじめ想定された全体にもとづく部分(瞬間)である。絵画的イメージも、写真的イメージも、どちらもあらかじめ想定された全体の部分であることに変わりはない。しかし、その全体は、前者がイデアであるのに対して、後者は一つの運動(事件、出来事等々)である。

同様のことが、絵画的肖像写真と観相学的肖像写真の違いにも指摘することができるだろう。初期の肖像写真は言うまでもなく、絵画同様のイデアにもとづいて、対象となる人物の特徴を抽出する。その典型的な写真をナダールやキャメロンに見ることができる。他方で、初期写真において、われわれは絵画的な肖像写真とは異なる肖像写真が登場してくるのを知っている。いわゆる観相学にもとづいた肖像写真や精神病理学的な身体写真である。観相学的な肖像写真もまた、一つの総体としての犯罪者の類型や性格の類型にもとづいて、任意の瞬間からの特異点を抽出する。つまり、ここでもあらかじめ一つの総体が前提とされているのだ。もちろん、逆のプロセスであっても同じことだ。ある運動(人物)をとらえた各瞬間のイメージをとらえたものから、その運動(人物)の特異点を抽出するにしても、そこで再構成される運動(人物)は、一つ総体(ある人格なり、性格)を前提にしているということだ。観相学的肖像写真も、運動をとらえた写真も、ある総体を想定した記録性という意味では同じ考え方である。蛇足ながら、ザンダーの肖像写真が同じ観相学的な考え方にもとづいていながら、その他の観相学的肖像写真と異なるのは、一つの画面に複数の総体-顔や身体だけではなく、所作や洋服、場所など-がとらえられているからだ。その複数の総体が微妙にずれているがゆえに、犯罪者や性格、人種を分類した観相学的写真とは一線を画している。

ここに写真の「記録性」をめぐるアポリアがある。たとえば、中平卓馬はしばしば写真における「記録(客観性)」と「表現(主観性)」のアポリアに挑んだと言われている。しかし、彼の60年代後半から例の「なぜ、植物図鑑か」に至る論考を通読すると分かるのだが、彼が論の対象として言及するのは、そのほとんどが報道写真や社会派と言われる写真である。いわゆる記録派の写真に属するだろう写真が批判の対象になっているのだ。中平卓馬は「記録」と「表現」のアポリアではなく、むしろ「記録」に潜むアポリアを問題にしているのだ(中平卓馬言うところの「記録」と「記録論」)。たとえば、中平卓馬は当時、東大安田講堂の攻防戦をめぐる一枚の報道(新聞)写真が犯罪の証拠写真として権力(国)側に使われてしまうことを論じるだろう。この一枚の写真は確かに現実の一部を切り取ったものである。決して加工・捏造されたものではない。であるならば、どうして権力側の証拠と成り得てしまうのか。中平卓馬は中立と称している報道写真が、実は権力内部に立った視点から撮られたものにすぎないと断じるだろう。しかし、それで解決したことにはならない。なぜなら、その写真が現実の一部を切り取った記録であることを否定することはできないからだ。であるならば、どういう現実の一部なのか。そこで問われてくるのは、現実という全体である。果たして、ここで言われる現実とは、イコール現実の全体のことなのか。ここで言われている現実とは、宇宙という全体の観点から見れば、その一部としての全体=現実でしかないのではないか。つまり、現実の一部と言われるときの現実とは、限定され、閉じられた全体にすぎないのだ。

ドゥルーズは先に挙げた『シネマ1-運動イメージ』のなかで、「全体」と「総体」の明確な区別を行っている。イデアという全体も、一つの運動(事件、出来事等々)という全体も、宇宙的全体のなかの部分でしかない。ドゥルーズは宇宙的全体を文字通り「全体(tout)」と呼び、イデアや一つの運動の全体を「総体(ensemble)」と呼んでいる。前者が開かれた全体だとすれば、後者は閉じられた全体である。つまり、先の報道写真がとらえた現実の一部とは、閉じられた全体(一つの運動)のなかの一部ということである。とするならば、その閉じられた全体=総体があらかじめ想定された権力側の現実(事件、出来事等々)であるならば、その総体のうちの一部=事実であることになるだろう。反対に、反権力側の立場に立てば、別の総体の現実(事件、出来事等々)の一部となるだろう(こうした相対主義においての問いは、当然ながら、いずれの事実が真の事実であり、真理かという問いは無意味になる。ここで問われるべきは、誰にとっての事実か、真理かである)。けっきょく、写真の記録性とは、どのような総体=現実の一部かによって、その事実性は異なってくるということだ。たとえば、人間の記憶を補完するものとして、写真の記録性が言われる。しかしそこで選択される歴史的証拠としての写真は、あくまでも限定され、閉じられた総体=歴史の一部にすぎない。したがって、ここで言われる「記録」とは、あらかじめ限定され、閉じられた総体に関係させられた記録にすぎないということだ。そしてそれは、すでに解読された現実の追認・再認でしかないだろう。これを視点の違い(どこから見るか)に帰することはたやすい。では、写真の「記録性」の意義はどこにあるのか。これこそが中平卓馬が最も考え抜いたことである。

ここまでの論理を整理しておけば、写真を語る場合、「記録」と「表現」の対立を前提にしてはならない。まず前提になるのはあくまでも記録性なのだ。現実を演出して撮影しようが(いわゆるコンストラクテッドフォト)、撮影した写真を加工しようが、コラージュしようが、前提となるのは記録性なのである。これこそがカントの「美」から「崇高」であり、ヘーゲルの言う「芸術の終焉」であり、ベンヤミンが言う「礼拝価値」から「展示価値」であり、ジャン=リュック・ナンシーの言う「虚偽としてのイメージ」から「イメージとしての真理」であり、ドゥルーズの言う「イデア」から「イメージ」なのだ。

身体と事物の知覚

もうしばらく、中平卓馬につき従って見よう。周知のように、中平卓馬らプロヴォークは「確からしさを捨てよ」「来るべき言葉のための挑発的資料」といったスローガンを掲げた。こうしたスローガンの意味するところは、写真についての単純な「記録性」に対する疑問であり、中平卓馬言うところの「自然主義リアリズム」「事実信仰思想」への批判であろう。ここで、プロヴォークはどういう観点から写真の「記録性」を批判しようとしたのだろうか。彼らが模範とし、触発されたのは、ウィリアム・クラインの写真である。プロヴォークはウィリアム・クラインの写真のどこに、従来の写真とは異なる側面を見出したのか。どのような可能性を見出したのか。中平卓馬も指摘していることだが、クラインの写真の特長は、その脱・構図主義にある。クラインの写真は、絵画的遠近法によるある固定した不動の一点からとらえられた世界(現実)ではない。いわば、知覚の非中心性にその最大の特徴があるといっていい。この知覚の非中心性とは、従来の絵画と写真の視覚を分かつきわめて重要な違いである。絵画的カテゴリーの視覚が、ある不動の視点(イデア)による空間的な視覚だとすれば、写真はあくまでも現実の任意の点であるとともに、時間的な経過(諸点)をも切り取る。

しかし、プロヴォークがクラインの写真に見出したのは、絵画的な視覚からの逸脱だけではない。クラインにおける知覚の非中心性はもう一つ重要な側面を隠し持っている。たとえば、ライフのジャーナリズムフォトや名取洋之助らの「組写真」という考え方に対する批判である。言うまでもなく、「組写真」と言われるものは、ある事件なり、出来事の各シーンを、その事件なり、出来事の特異点’特徴点)を抽出し、組み合わせた(再構成した)ものである。その場合、どのような視点(これまた違った意味で観念的なものだろう)でその事件を見ようとも、閉じられた全体=総体の下で再構成されたものにほかならない。そしてしばしば、フォトジャーナリズムにおける「組写真」は、「社会的正義」や「ヒューマニズム」といった視点の下に再構成される。プロヴォークたちがいらだったのは、こうした一方的(固定的)な視点による写真である。むしろ写真は「不確かさ」こそとらえるべきではないかと言うことである。考える(思考をうながす)契機となる資料としての写真。

しかし、非中心性とは別な言葉で言えば、無責任ということである。自らが撮った写真(視覚的資料)に対して責任を負わないということでもある。撮ることの無根拠性。ここからプロヴォーク、いや中平卓馬の真のアポリアが始まる。当初、プロヴォークたち(中平卓馬も含め)は、クラインにおける知覚の非中心性を写真家(撮影者)の身体性にその根拠を求めた。つまり、意識(言葉や観念的なもの)を逃れた身体性こそが、写真を撮ることの根拠を保証してくれるだろうというわけである。たとえば中平卓馬は次のように書いている。「世界とそれを目撃した人の驚き」「露出した世界そのものへ」「記録という行為を自ら生きる生の総体の中に正確に位置づける」「自ら生きる生の中から必然的にはじき出されてくる〈現実〉」(いずれも「同時代的であるとは何か」1969より)等々。ここでは撮影者の実存的な身体性に、見ることの根拠を求めている。いわば実存的な身体的視覚にこそ、純粋な視覚が宿るということだ。アレ・ブレ等々の方法もこうした考え方を下敷きにしていたものだろう。

こうした身体性による知覚の純粋性とは、言うまでもなくフッサール及びメルロ=ポンティらの現象学に依拠している。ドゥルーズは『シネマ1‐運動イメージ』のなかで、次のように述べている。「「たんなる物質的運動でもって意識のレベルを再構成しようと欲する唯物論と、たんなる意識内のイメージでもって宇宙のレベルを再構成しようと欲する観念論の敵対であった。(略)そして、同じ時代に、きわめて異なる二人の論者、すなわちベルグソンとフッサールが、この責務を引き受けようとしていた」。ベルグソンもフッサールもともに、イデアからイメージ(=テクノ画像)の時代を前提にしている。フッサールが「あらゆる意識は何ものかについての意識である」をスローガンとすれば、ベルグソンは「あらゆる意識は何らかのものである」(これはドゥルーズ的ベルグソン解釈による要約らしい)を据えるだろう。この二人の哲学者のスローガンの違いは大きい。

「あらゆる意識は何ものかについての意識である」と「あらゆる意識は何らかのものである」。この二つの違いとは何か。周知のように、フッサールにおける「あらゆる意識は何ものかについての意識である」とは、「志向性」とも呼ばれ、現象学におけるキーワードの一つである。しかし、ここで誤解してならないのは、フッサールにおける意識とは、人格的・人間的な意識のことではない。フッサールにおける「超越論的主観性=超越論的な我(エゴ)」とは、特定の人格の心理的主観性のことではなく、あくまでも現象学的な判断停止(エポケー)された意識である。フッサールはその著『デカルト的省察』のなかで、次のように述べている。「現象学的な判断停止は、客観的世界の存在の効力を停止し、したがって、まったく判断の場から遮断するとともに、あらゆる客観的に捉えられた事実と同様に、内的経験の事実についても、存在の効力を停止遮断する」(『デカルト的省察』浜鍋辰二訳)。つまり、フッサールが言う「超越論的主観性」とは、客観的世界も、人格的内的経験も停止し遮断された「意識」のことである。実際、フッサールは、デカルトはこの超越論的な我を見出したが、その我を人格的な我に還元してしまったと批判している(それが超越的な主観性である)。とすれば、現象学的エポケーの後に残るのは何か。それが「身体」と言うことになるだろう。もちろん言うまでもなく、この「身体」とは、前人格的身体である。この場合の現象学的な「身体」とは、意識のゼロ度における「身体」である。したがって、「あらゆる意識は何ものかについての意識である」における意識とは、中心化された、ある匿名の意識がゼロ度化した身体による知覚である。だからこそ、現象学は身体における純粋な知覚を標榜するわけである。プロヴォークもまた、この現象学的なアプローチに依拠し、その身体性における純粋知覚を謳うだろう。

では、ベルグソンにおける「あらゆる意識は何らかのものである」とはどういうことか。これまた周知のように、ベルグソンは人間における知覚を身体の有用性によって中心化された物質のある側面、つまり引き算された「物質」と規定した。ベルグソンにおける人間の知覚とは、人間の有用性にもとづいて身体という中心によって切り取られた(引き算された)物質の一側面である。人間の知覚が身体によって中心化された知覚という意味では、現象学もベルグソンも同一の見解である。しかし、ベルグソンにおける知覚は物質からの引き算に対して、現象学における知覚は物質に何らかのものが加算されたものであり、であるがゆえに「身体」におけるゼロ度を想定するわけである。ベルグソンの知覚においては、物質も知覚も程度の差異しかない。しかし、現象学における知覚は、知覚に程度の差異を想定し、物質と知覚に本性上の差異を見る。ベルグソンにおいて本性上の差異が生じるのは、物質と知覚の間ではなく、知覚と記憶の間である。つまり、ベルグソンにおける知覚では、知覚に対して記憶という次元において変容(加算?)が生じるのだ。したがって、ベルグソンのあらゆる意識は何らかのものである」とは、現象学が知覚を物質に対立するものとして位置づけているのに対して、ベルグソンは物質の延長として知覚を位置づけているということである。

デカルトとスピノザ

現象学的な知覚とベルグソン的な知覚。上記の説明ではまだ分かりにくいかもしれない。もう少し別な角度から考えてみよう(写真-カメラの知覚とどう結びつくのかという疑問があるかもしれないが、それについては後述する)。現象学的な知覚とベルグソン的な知覚、その相異のルーツはデカルトとスピノザの違いにあるように思われる。どういうことか。デカルトにとって厳密な意味での実体-それ自体で存在するもの-は、神という存在だけだが、精神と物体も実体とした。それに対してスピノザは、神(自然)のみが実体であり、精神と物体は神(自然)の属性の一部である(つまり、精神と物体以外にも、神=自然の属性はありえる)。デカルトは精神と物体をともに実体とすることで、精神と物体(世界)を対立させる。しかし、スピノザ的発想は、精神と物体はそれぞれが神(自然)の一部にすぎない。

このデカルト的発想とスピノザ的発想の相異とは何か。デカルト的な精神と物体を実体とみなすことは、おのおのを自律した存在とみなすことである。ここから主体-客体の構図が浮上する。ハイデガーがその著『世界像の時代』で位置づけた、「存在するものの対象化」という近代における世界像の位置づけである。主体-客体という構図からなされる「存在するものの対象化」は、主体によって対象化された客体(世界)を閉じられた全体として想定してしまう。現象学においては、「志向性」という概念によって、対象の把捉が自律した一つの世界ととらえられることになる。

他方、スピノザ的な発想では、精神も物体も神(自然)という全体の一部(一属性)でしかない。とすれば、精神によってとらえられた(対象化された)客体(世界)は、神(自然)の一部でしかないということになるだろう。ということは、その全体とは開かれた全体ではなかろうか。ここに、スピノザの自然哲学としての発想がある。主体によって把捉された対象は、自然=世界(対象)の一部、ある側面でしかない。このデカルトとスピノザにおける対象の把握の相異は大きい。

では、上記のデカルト的発想=現象学とスピノザ的発想=ベルグソンを写真の知覚に敷衍するとどのような論理が展開されるだろうか。