Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

イメージの病(やまい)-臨床と症例 4

2013年12月03日 | Weblog
“ありのままの現実”から“ありのままのイメージ”へ
ホンマタカシ『ニュー・ドキュメンタリー』(東京オペラシティアートギャラリー)

ホンマタカシの『ニュー・ドキュメンタリー』展は、写真を見るわれわれをどのような視覚経験の場に誘おうとしているのだろうか。『ニュー・ドキュメンタリー』とタイトル付けられているように、一般的にドキュメンタリー写真と言われるものとの違いは、誰の眼にも明らである。確かに、「Tokyo and My Daughter」では「東京」と「子供」を、「re-construction」では自らの過去の作品を、「Widows」ではジェノヴァに住む未亡人たちを、「Together」ではロサンゼルスにあるマウンテンライオンの生息域を、「M」ではマクドナルドの店舗を、「Trails」では鹿狩りを、「Short Hope」では中平卓馬を、とドキュメンタリーの対象となる被写体が不在というわけではない。しかし、「Together」や「Trails」に顕著なように、そこにドキュメンタリーの核となるようなマウンテンライオンや鹿の屍体が登場するわけではないし、何らかの社会的メッセージを伝えるようなストーリーがあるわけでもない。もちろん、こうしたアンチクライマックス的な写真手法が目新しいということではない。ホンマタカシ自身も語っているように*1、日常のなかに潜む気配のようなものを抉り出す手法は、エグルストンやニュー・トポグラフィスが切り開いた手法の一つであるであるだろう。

とすればホンマタカシの「ニュー・ドキュメンタリー」は、従来のドキュメンタリーとどこが違うのだろうか。たとえば、「Tokyo and My Daughter」の「私の娘」は実際のホンマタカシの娘ではない。「Trails」における鹿の血痕は前置されたドローイングが示唆するように本物の血とはかぎらない。とすると、ホンマタカシは写真を見る者を偽と真の狭間に宙吊りにすることで、写真=真実という通念を反省させる場に連れ出そうとしているのだろうか。確かに、そうした側面もあるかもしれない。実際、ホンマタカシは「photographは「写真」じゃない。<真を写す>だけじゃない」*2と語っている。が、ホンマタカシの「ニュー・ドキュメンタリー」が従来のドキュメンタリーと決定的に異なる視覚経験の場はそこだけではないような気がする。

ドキュメンタリー写真の形式的な根拠とは、ある出来事や事件、被写体と写真家(撮る人)が同じ「いま・ここ」を共有していることである。被写体と写真家がいかなる媒介もなく同じ時間・同じ空間に存在していること。これこそがドキュメンタリー写真の絶対的条件と言えるものではないか。と同時に、この条件は写真の信憑性や記録性、証拠(目撃)性を支える根拠でもある。「それは・かつて・あった」と言ったのはロラン・バルトだが、それはまた「そこに・かつて・撮る人がいた」ことも物語っている。そして写真を見る者は暗黙のうちに撮る人の位置を占めることで、写真というイメージを見るのではなく、被写体、あるいはその関係性に還元されたイメージを見ることになる。

もう一度、「Tokyo and My Daughter」や「Widows」を見てみよう、ここででは、ホンマタカシが撮影した写真と、被写体の家族や知人が実際に撮った家族写真やプライベート写真が混在し、並置されている。後者の写真はfound photo(見出された写真)と呼ばれるもので、もともとの文脈から切り離し、別な文脈に移すことで新たな意味を付与する手法である。ここでは家族やプライベートといった文脈から切り離され、ホンマタカシの作品という文脈に移行されている。これらの写真を机の上や壁に掛けられたものとして撮っていれば、上記のドキュメンタリー写真の条件に適うことになる。しかし、ホンマタカシはそのまま複写することで、自ら撮影した写真と等価のものとして流用している。自ら撮影した写真と他者が撮った写真を等価に扱い、ドキュメンタリー写真の素材とする。被写体との「いま・ここ」を共有していない写真との混在。とすれば、ホンマタカシはもはやドキュメンタリー写真の位置付けを“撮るという次元”には求めていないということになろう。ここでわれわれは従来のドキュメンタリー写真とどのような異なる視覚体験を得ることになるのか。おそらく、写真というイメージ以前の被写体や写真家、あるいはその関係に還元することなく、いわば無人称化された写真(イメージ)そのものと対峙することになる。実際、ホンマタカシが撮影した写真もまた、被写体と写真家が共有した「いま・ここ」を極力排除し、いわば無人称的な写真を目指したもののように思える。

「Together」はマウンテンライオンに取り付けられたGPS発信機のデータに基づいて、マウンテンライオンが通ったと思われる場所を撮影している。ここでも被写体(その場所・風景)と写真家の関係は匿名的なものである。極論を言えば、撮影者がホンマタカシである必然性はない。われわれはここでもテクストと写真が織り成すイメージそのものと対峙することになるだろう。「M」はホンマタカシが撮影したマクドナルドの店舗をシルクスクリーンとして制作したものである。これらの写真はシルクスクリーンにすることで、写真の基盤となっていた透明なレイヤー(平面)があらわになる。また、一枚の写真から制作されたシルクスクリーンのある断片をカットしたり、網点を粗くしたり、刷り色を変化させたりしている。ここでわれわれが出会うのは、不透明化されたレイヤー上でのイメージの戯れのようなものである。浮遊するシニフィオン。実際、壁でもなく、床でもなく、接地面をもたない低い台に平置きされたシルクスクリーンは、浮遊する記号そのものである。ただ、ここで誤解してならないのは、「M」という同一の記号に対して、多義的(差異的)な世界を提示しようとしているのではなく、むしろ反対にシニフィオンの戯れこそが「M」という同一性を支え、強固にしているということである。「re-construction」はホンマタカシが過去に雑誌などに発表した写真をモノクロ印刷し、きわめて素っ気ない冊子にしたものが、これまた事務的にどこかの倉庫に積まれているかのように設置されている。われわれは写真家・ホンマタカシが脱色された紙媒体という資料そのものと出会うことになる。

こうした一連の作品において、ホンマタカシはわれわれに何を突きつけようとしているのだろうか。われわれはとりあえずそれを“ありのままのイメージ”と呼んでみたいと思う。“ありのままのイメージ”とは何か。“ありのままのイメージ”を突きつけられることで、われわれはどのような視覚経験を促されるのか。

ご存知のように、写真史では最も純粋なドキュメンタリー写真家として、ウォーカー・エヴァンスが挙げられている。エヴァンスはスティーグリッツやウェストンらのストレート・フォトをピクトリアルな写真とみなし、批判した。エヴァンスがドキュメンタリー写真に求めたのは、あらかじめ前提とされていたヒューマニズムや社会正義といったジャーナリスティックな物語性を排除し、“ありのままの現実”を写し撮ることだった(時に、こうしたエヴァンスの視線を“公のまなざし”に対置して“個人のまなざし”と指摘する写真史家もいるが・・・)。しかし、エヴァンスが批判したストレート・フォトもまた、カメラという写真固有の視覚を絵画から分離し、“ありのままの物”を美学化することにあった。エヴァンスの“ありのままの現実”とストレート・フォトの“ありのままの物”は一致することになる。つまり、ともに写真というメディアの自律化、純粋性を追求したということである。後にシャーコフスキーによって前者を「窓派」、後者を「鏡派」という区別によって整理されることになる。*3

シャーコフスキーの「窓」と「鏡」の二分法の意味は、写真を二つに区別したことにあるのではない。こうした二分法は写真と絵画、客観と主観といった昔ながらの区別を受け継いだものにすぎない。むしろシャーコフスキーの二分法に意味があるのは、二つの写真のあり様を“写真”という単一のメディアに統一し、モダニズム写真という概念を完成させたことなのである。写真が美術館入りを果たしていくのも、実はこの頃である。つまり、写真は単一の、純粋な表現メディアとして認知されたということだ(それはまた、絵画、写真という個別メディアが放棄され、芸術一般という大文字の芸術メディアへと再収斂されていくことでもある)。言うまでもなく、それを支えている考え方が「人間的な意味や表象のフィルターを透さず、カメラ・アイによって対象自体をじかにありのままに、クリアに撮ること」*4である。清水穣はこれを「モダニズム写真の倫理」と呼んでいる。

しかし、シャーコフスキーによって「モダニズム写真の倫理」が確立されていく70年代こそが、実は“ありのままの現実”という考え方が疑問に付されていく時期でもあったのだ。大量の視覚情報によってすでに現実が写真化・映像化・メディア化している状況において、“ありのままの現実”などはもはや自明なことではない。「モダンな倫理に基づいたドキュメンタリー観の失効と変質」*5。その後、こうした状況を前提として、フリードランダーやフランク、エグルストンらがそれぞれの写真を展開していくことになる。同じ頃に登場してくるのが、写真を積極的に使用することになるコンセプチュアル・アートである。

コンセプチュアル・アートはなぜ、写真に着目したのだろうか。まず一つ指摘できることは、「美とは何か」ではなく「芸術とは何か」を問題としたコンセプチュアル・アートは、写真がもつその通俗性、非人称性(作者の不在)、非様式性といった、いわば非芸術的・反美学的な側面に関心を抱いたことだろう。フォトジャーナリズムや記録写真の形を導入したり、アマチュア写真の流用などに、その典型例を見ることができる。これは、コンセプチュアル・アートが写真というメディアを単一のものではなく、きわめて雑種的な構造を備えたメディアととらえたことでもある。写真というメディアはそもそも単一なメディア(たとえば、芸術や美のメディア)にはなりえない、つねに他のメディアとの相互関係のなかで、その引き出されてくる効果が決まってくるということだ。しかし、バルトが指摘するように、写真は現実の断片にも関わらず、「物理的に滑らかな表面性」によって現実と連続性を備えた仮面としてしまう(この指摘は、写真を空間の連続体ととらえたクラカウアーを想起させる)。その結果、メディア間の相互作用で生まれてくる効果が曖昧化され、隠蔽されることになる。つまり、写真というイメージ(人工性)が(“ありのままの現実”“ありのままの物”といった)自然なものとして神話化されるということである。コンセプチュアル・アートは、この雑種的、複数的メディアである写真を手段にして、芸術一般への疑義、あるいはメディア批判へとつなげていくことになる。

単数メディアとしての写真から、複数メディアとしての写真へ。前述した“ありのままのイメージ”に立ち会うことは、写真の間メディア的な相互作用の場に身をさらすことである。そこでわれわれは従来の写真による視覚経験から反省的な次元に引きずりだされると同時に、従来の写真では得られることのなかった視覚経験へと誘われるのではないだろうか。実際、「Trails」という作品は、他の作品とは異なる構造を持っている気がする。他の作品が写真の媒介作用や言説的性格、いわば写真の外部との関係性が前景化されているとすれば、「Trails」は写真という映像が成立する平面そのものへと関心が移行しているのではないか。いずれにしても、「Trails」はホンマタカシの次なる展開を告げている。最後に、「Short Hope」は“ありのままの現実”を追い求めた中平卓馬へのオマージュであり、それを乗り越えようとするホンマタカシの意志を表明したものに違いない。


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