Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

写真と記号

2007年09月30日 | Weblog
記号とは何か?

「いかにイメージは作動しているのか」という問いを立てたとき、おそらく記号論が最も有効なアプローチとなるかもしれません。ということで、今回は記号の話を中心に進めます。

記号とは何か? ひとまずは何かを代替・代理したもの、印、表現と定義しておきましょう。身振り、動作、音声から、映像、言葉、サインまで、すべて記号と見なすことができます。記号の最小の構成要素は、《意味されるもの(シニフィエ)》と《意味するもの(シニフィオン)》です。《意味されるもの》は前述した「何か」にあたり、とりあえずは“現実の対象に関わること”(素材、内容)とみなすことができます。《意味するもの》は記号そのもの、表現するもの、印そのものとなります。

さて、私たち人類にとって、表現(記号)の基盤を成しているのが言葉です。身振りや動作、音楽、映像さえも言葉に還元されることによって、《意味されるもの》となります。したがって、一般に記号の役割とは、《意味されるもの(情報)》を伝えることとされています。情報の伝達手段としての言葉-記号。

しかし、人類にとってのコミュニケーション・ツールである言葉は、きわめて独特な機能をもっています。例えば、情報の伝達という意味ならば、人類に限らず、多くの生き物たちがその手段を有しています。言語学者のヴァンベニストは、ミツバチは自分の見たことを伝えることはできるが、自分に伝えられたことをさらに伝えることはできない、ゆえにミツバチは言葉を持っていることにはならないと言っています。つまり、言葉の最大の特徴は、自分が見ていないにもかかわらず、伝えられたことをさらに第三者に伝えることができるところにあるのです。いわゆる又聞き、間接話法こそ、言葉の最大の特徴と言えます。

言葉が又聞き、間接話法としての機能を持っているならば、そこにどのような事態が起こってくるのでしょうか。「伝達ゲーム」というのをご存知だと思いますが、一つの情報(意味されるもの)が何人もの人を経ることによって、最初の情報(意味)とはまったく違うものになっていくゲームです。つまり、又聞き、間接話法による情報伝達には、必ず情報の過剰と欠如があるということです。情報理論ではこれをノイズと称し、ノイズを排除することが理想のコミュニケーションとみなされます。しかし、言葉とは、そのノイズにこそ本質があるのです。

情報の過剰と欠如が冗長性(解釈の余地)を生み出します。つまり、言葉における《意味されるもの》とは、最初の情報(現実の対象に関わること)ではなくて、《意味するもの》=すでに解釈された情報(意味)なのです。したがって、言葉における《意味されるもの》は《意味するもの》が無限に増殖する《意味するもの》の連鎖にほかなりません。記号の記号、シニフィオンの連鎖。

記号を考える上で重要なことは、ある記号が何を意味するかを知る前に、その記号が他のどんな記号と関わり、他のどんな記号がそれに加わって、記号の組織網(記号の体制)を形成することになるのか、それが重要な問題となるでしょう。

人類・記号・芸術

さて芸術(文化)もまた記号であり、記号を作り出す(生産)行為と言えます。慧眼な生徒諸君はすでに、記号(言葉)の間接話法の機能こそが、記憶を、文化を生み出したのではないかと察しているでしょう。そうです、間接話法に潜んでいるのは、時間的なズレにほかなりません。そのズレこそがシニフィオンの連鎖としての記憶を形成したことは明らかなことのように思えます(とするならば、私たちの記憶・記録の体制は記号の体制と密接な関係にあることが分かります。これについてはいずれ、写真-記憶と記録の問題で再度、お話をしたいと思います)。

ところで、人類は何故に、どんな必然性があって、記号を生み出したのでしょうか。もちろん、確かなことは分かりません。言葉が最初の記号なのか、それともイメージ(例えば、洞窟壁画、刺青など)と呼ばれるものなのか、あるいは身振りのようなものなのか……。しかし、動物、あるいは類人猿と人類を分かつものが記号の創造にあるのではないかと推察することはできます。

人類学ではしばしば、人類が道具をもったことを、動物や類人猿から人類を分かつメルクマールとしています。いわゆる、ホモ・ファーベル(作るヒト)をもって人類の誕生とみなされています。しかし、人類以外にも道具を使う動物はよく知られています。チンパンジーはその代表でしょう。それでも道具をもったことには、大きな意味があると思われます。

道具とは何でしょうか。まず道具とはヒトの身体的能力の延長と考えられます。手が発揮する力の延長、筋肉の運動の延長。その意味で道具は身体と密接な(直接的)関係を有しています(その関係性における道具と機械の違い)が、身体的能力を代替・代理したものと考えられます。道具もまた記号のようなものととらえることが可能でしょう(道具、機械、電子機械を記号論的に考察してみることも一計かもしれません)。

さて、道具を持つことは、その道具によって未来における生産物(加工物)-いまだ存在しないものを想定することです。つまりホモ・ファーベル(作るヒト)とは、現在時において、未来に分岐する時間を獲得したヒトなのです。

フランスの文学者ジョルジュ・バタイユは、その著『ラスコーの壁画』の中で、ホモ・ファーベルはいまだ十分にホモ・サピエンス(知恵のヒト)ではないと言っています。つまりわれわれ人類と同類ではないと。バタイユは「芸術(洞窟壁画)」を有したことをもって、われわれと同類の人類とみなしています。

バタイユによれば、ヒトはいまだ存在しないものを想定する未来の時間を獲得したことで、すでに存在したものに思いが至ったと言っています-現在時が過去に分岐する時間。かつて在ったものがいまはない。喪失への恐怖(虚無感)と畏敬。この喪失への恐怖が、死者の代替・代理物(記号)としての埋葬や墓を生み出すことになります。バタイユは、この恐怖感は極度に「作ること=未来の時間」を脅かし、破壊するものであったと考えています。したがって、埋葬や墓(死者の記号)は聖なるものと同時に、禁止されるべきもの(汚辱、穢れたもの)と見なされていきます。そして、禁止されるべきものに接近、侵犯する時間として生み出されたのが、遊びの時間=芸術(供犠、祝祭など)であると、バタイユは考えるわけです。ホモ・ファーベルに対立するものとしてのホモ・ルーベンス(遊ぶヒト)。その意味で、遊び=芸術の時間とは、過去と未来の時間を宙吊りにする時間、識別不可能にする時間とも言えるかもしれません。

こうした人類学的なアプローチ(記号、イメージの誕生に関しては、母親との関係における精神分析学的なアプローチもありますが、これについては機会があればお話したいと思います)が、記号あるいは言葉の誕生とどのような関係があるのか分かりませんが、一つだけ確かなことは不在の意識の誕生です。不在を存在させること、不在の記号化。数学におけるゼロ記号の誕生のようなものです。

写真の記号的特性について

これまでの講義の中でもしばしば、写真がもつ記号的特性について話してきましたが、改めて写真の記号的特性についてまとめてみたいと思います。写真の登場以前、視覚的イメージを代表していたものは絵画的イメージでした。とりわけ15世紀以降、西洋美術のなかで絵画的イメージを支えていたのは類似性です。いうまでもなく、絵画的イメージも、テキスト(言語)も、現実の対象を代理・再現する記号です。が、その対象との関係は異なります。絵画的イメージが対象との類似性の関係にあるとすれば、言語記号は対象とのいささかの類似関係ももっていません。言語記号は対象を差異の構造によってマッピングします。

それでは写真は現実の対象とどのような関係をもっているのでしょうか。写真もまた絵画的イメージ同様、類似記号の一つであると言えます。しかし、絵画的イメージと写真は同じ類似記号に属するものでしょうか。絵画的イメージが現実を類似的に再現するにしても、そこにはつねに再現のスタイル(転換のコード=解釈の法則)が介在します。いうまでもなく、再現のスタイルは歴史的なものであり、文化的なものです(遠近法もその一つであるだろう)。一方の写真は、「知覚に結びついた知識以外の知識を必要としない」、対象との直接的な関係をもっています。ロラン・バルトが「コードのないメッセージ」と呼んだゆえんです。つまり写真は対象との間に、転換のコード(文化的コード)が介在しない、直接的な関係をもっているということです。

アメリカの哲学者、C・S・パースは、記号をその対象との関係から三つの項に分類しています-絵画的イメージは対象との類似的な関係から類似(イコン)記号に、言語記号は対象との慣習的な法則関係から象徴(シンボル)記号に、そして写真は対象との物理的な結びつきより指標(インデックス)記号に、写真は足跡や指紋のように、物理的な痕跡(鋳型)によって対象を指し示す記号ということです。バルトが写真をコードのない「外示的イメージ」と呼んだのは、まさにこの現実との物理的連続性の関係においてです。

写真という記号の、もう一つ重要な側面が、写真を撮った(写した)人間(報告者)の存在が必ず、その写真に不在の証人として記されていることです。つまり、被写体を見た人が見ていない人に伝える記号、いわば直接話法の機能を有しているということです。

これまで写真はしばしば、指標記号としての機能、直接話法としての機能-対象への直接性と透明性を「記録」と呼ぶことで、映像としての客観性を特権化してきました。確かに写真は、指標記号としての、直接話法としての特性によって、現実の対象を「ここに」現前させるかのように機能します。しかし、バルトが正しく指摘するように、写真における対象の現前性は、「現に存在・・・する」意識ではなく、「現に存在・・・した(かつてあった)」という意識を確立させることにあります。「ここ」と「かつて」の非論理的な結合による、「現実的非現実性」。

さらに写真は類似記号としての機能も有しています。つまり、写真もまた転換コードとしての再現スタイル(フレーミング、構図、ライティング、視点等々の操作性)をもっているということです。むしろ写真は、文化コードとしての再現スタイル(それによって形成される共示的メッセージ)を指標記号としての機能によって隠蔽し、自然化してしまいます。

したがって、重要なことは、写真がもつ指標記号としての機能を特権化することではなく、類似記号や言語記号とのズレに着目することです。写真は指標記号としての機能によって、類似記号や言語記号によって形成される文化性(紋切り型)に裂け目を入れ、二重化し、宙吊りにする可能性を秘めているわけです。文化的なものが悪く、生のもの、直接的なものが正しいという意味ではありません。そうではなく、私たちの記号による知覚、認識、コミュニケーション、あるいは意味の生産における一義性に亀裂を入れ、懐疑をもたらすということです。したがって、重要なことは、写真の記号的特性をどのように使って(操作して)、どのような新たな記号を生み出すかにあります。では、デジタル写真はどのような記号的特性をもっているのだろうか。それこそが次の課題となるでしょう。

間奏曲-表現と機能

2007年09月25日 | Weblog
60年代における美術側からの写真活用法、あるいはさらにさかのぼってのシュルリアリズムやデュシャンの写真活用法。ここまで武蔵野美術大学の大学院での講義を再録してきたのですが、ここでちょっと間奏曲めいたものを。なぜ、シュルリアリズムやデュシャン、ポップアート、コンセプチュアルアートにおける写真の活用に関心をもつのか。一言で言えば、写真における「表現」から「機能」へのシフトです。

これは写真のみならず芸術一般に言えることなのですが、表現そのもの-いかに表現するか-から、写真は、あるいは芸術はいかに機能しているのか、いかに機能するのかに関心のシフトが移行したことです。写真に絞って言えば、モダニズム写真がいかに表現するかにこだわってきたとすれば、前述した美術における写真の活用は、写真というイメージがいかに機能しているのか、いかに作動しているのかに関心を抱いたということです。

とはいえここで、「だから、いかに表現されているかには無関心になった」ということではない。「いかに機能しているか」は当然ながら、「いかに表現されているか」と密接な関わりをもっているのですから。ただ、「いかに機能するのか」という観点から、「いかに表現するか」の問題が再提起されるということです。「いかに機能するか」の観点に立てば、おのずと表現そのものも変化せざるを得ません。

芸術が世俗化(商品化)していくなかで、とりわけ写真の使用はつねに「芸術」と「一般社会」の二つの領域のなかで、きわめて横断的な使われ方をされるなかで、芸術が、あるいは写真というイメージが社会のなかでいかに機能しているのか、いかに作動しているのかを考えざるをえなくなったということです。

表現から機能へとシフトするなかで、では写真表現はいかに変化していくのか。写真のデジタル化とともに、ここに大いなる関心があります。では引き続き、講義の再録を継続します。何か、質問、異見、反論があれば、気軽にお寄せください。




痕跡と間隔化・2

2007年09月21日 | Weblog
デュシャンと写真

マルセル・デュシャン。芸術の変革者。稀代の詐欺師。近代美術史のなかでもきわめて特異な位置を占めるマルセル・デュシャン。かのグリーンバーグが終始デュシャンを認めることがなかったのに対し、デュシャンもまた「網膜的絵画」として抽象絵画を忌み嫌いました。デュシャンはモダニズム美術にとっての矛盾であり、罠であり、であるがゆえにポストモダンの潜在的な可能性でもあるわけです(モダンか、ポストモダンかの問題は、リオタールが「ひとつの作品は、それがまずポストモダンでないかぎり、モダンになることができない」と禅問答のような巧みな表現をしたとおり、きわめて錯綜した論争がある。ここではとりあえず、便宜的にモダン、ポストモダンの用語を使うことにする)。

デュシャンの画家としての出発は、ブラックやピカソによるキュビスムとともにありました。しかし、その作品の一つ「階段を降りる裸体No2」(1912年作)は1912年のアンデパンダン展(キュビスム派)で拒絶されてしまいます。「階段を降りる裸体」は高速度写真のような、運動の連続したイメージを絵画したものです。確かに、造形的な問題を追求するキュビスムとデュシャンの絵画には大きな隔たりがあるように思えます。この違いについて深く立ち入りませんが、デュシャン自ら語るように、写真や映画以後における絵画のあり方なのです。実際、「階段を降りる裸体」は明らかに、写真によって運動を解明しようとしたエチエンヌ・ジュール・マレーの連続写真(クロノフォトグラフ-モーションキャプターのルーツ?)の影響を受けたものです。

クラウスは、デュシャンの全作品-芸術には、一つの母型〈マトリックス〉としての写真の論理が働いていると指摘しています。という以上に、デュシャンは指標記号と写真を明確に結びつけた最初の人だと語っています。シュルレアリスムの写真行為がある種の直感(それはいうまでもなく、伝統的な絵画、あるいは芸術に対する違和感から生じたものだ)にもとづいていたのに対し、デュシャンはきわめて意識的に写真の論理をその芸術行為に応用したということです。

例えば、「おまえは私を」(1918年作)は指標的痕跡により構成された「指標のパノラマ」であり、「網膜機械」の回転円盤と女装したポートレートを組み合わせた「ローズ・セラヴィとしてのマルセル・デュシャン」(1920年作)は、分身によって「私」と「あなた」を分割することで、対象を指示する言葉を混乱に落し入れる試みであり、「埃の栽培」(1920年作)はまさに時間の経過に対する物理的指標であり、「わが頬の中の舌」(1959年作)は指標(現実の石)とイコン(図像)を組み合わせた自画像による記号論的な分裂を試みたものです。そしてデュシャンを代表する作品として知られているレディメイドがあります。

レディメイドの論理

レディメイドとは、「既製品」と訳されるように、すでに作られたものを「芸術作品」として提示する方法です。デュシャンが初めて既製品を使って「作品」を制作したのが1913年の「自転車の車輪」。その後、ニューヨークで「雪掻きショベル」を購入し、「折れた腕の前に」という書き込みをして展示。その際に初めて「レディメイド」という呼び名をつけました。デュシャンのレディメイド作品で最も有名なのが、ニューヨーク独立芸術家協会・展覧会の際に、R・マットと署名され、「泉」と題されて展示された「男子用便器」です(その他、モナリザに髭をつけた「LHOOQ」もレディメイドとしてい)。無審査であったにもかかわらず展示を拒否され、その後、「反・芸術」の象徴ともなった作品です。

デュシャンのレディメイドとまず比較されるのが、シュルレアリスムがしばしば作品づくりに用いていた方法「見出された物体(ファウンド・オブジェ)」です。しかし、シュルレアリスムの「見出された物体」とデュシャンのレディメイドでは、いくつかの違いがあります。シュルレアリスムの「見出された物体」も、レディメイドも、自らの手の関与を拒否し、「芸術家とは自らの手で何かを制作する者」という芸術の概念を覆しました。そこで芸術家によって「制作=創造」される「もの」は、具体的な物ではありません。一種のアイディア(概念)のようなものでです。しかし、シュルレアリスムの「見出された物体」には、昔のオブジェやアフリカの彫刻など、発見者(芸術家)の趣味性が付加されています。つまり、そこには従来の芸術作品に対する美的な観点からの“反趣味”の意図が隠されています。デュシャンのレディメイドは、既成の工業製品を選ぶことで、そうした趣味性(美的観点)を極力排除しています(シュルレアリスムがしばしば蚤の市などでオブジェを漁ったのに対して、デュシャンは百貨店に陳列しているオブジェを購入している)。

つまり、デュシャンのレディメイドには、趣味性の戦い(美という地平の共有-どちらがより美しいかといった)はありません。むしろ、美やイメージが成立する場、地平そのものを問題化しているわけです。ある一つの何でもない「物」が文脈(コンテクスト)を変えることで、別なものに変貌する。ある「物」に奇妙なキャプションを付けること(便器を泉と呼ぶこと等々)で、別なイメージを喚起させるという手法も同様でしょう。

こうしたレディメイドの一連の操作は、写真の論理ときわめて一致しています。写真もまた現実の一部(断片)を切り取り、別なコンテクストに移動させることが可能です。またキャプションによって、写真から受ける意味(メッセージ)は変化します。写真は絵画のように象徴的な意味を介在させることなく、直接、対象を指示するがゆえに、意味を動揺させ、崩壊させるのです(が、一方で、写真は特定の意味を自然化してしまう危険性もある-客観性のイデオロギー)。デュシャンのレディメイドは、意味の一義性、あるいは記号の自律性を脅かし、そこ(対象と記号の対応関係)に裂け目を入れることで、われわれの経験あるいは知覚・認識を宙吊りにするわけです。


痕跡と間隔化・1

2007年09月17日 | Weblog
シュルレアリスムと写真

今回はシュルレアリスムとマルセル・デュシャンにおいて「写真の論理」がどのように働いていたかをお話していきます。

デュシャンもシュルレアリスムに深く関わっていますが(とりわけシュルレアリスムの代表的な写真家の一人マン・レイとは多くの共同制作を行っています)、まずはシュルレアリスム運動における写真の位置づけを考察し、その後にデュシャンの場合を見ていきたいと思います。なお今回の考察は、アメリカの美術批評家ロザリンド・クラウスの論考に深く依存しています。

まずシュルレアリスムですが、ご存知のように、シュルレアリスムは、第一次世界大戦後、いわゆるアプレ・ゲール(戦後の意)といわれた時代に、フランスを中心にヨーロッパで展開された(1924年「シュルレアリスム宣言」の発行)芸術・文化運動です。その理論的主導者がアンドレ・ブルトンという詩人・文学者です。後には「帝王」とまで呼ばれ、シュルレアリスム運動に君臨していきました。シュルレアリスム運動については、多数の文献が邦訳されていますので、興味・関心のある方はご覧になってください。

シュルレアリスムは芸術・文化運動と言われるように、文学から絵画、写真、演劇、映画まで、きわめて広範囲なメディアを駆使し、各ジャンルで多くの優れたアーティストを輩出しています。ここでは写真というメディアがシュルレアリスムのなかでどんなポジションにあったのか、シュルレアリスムは写真というメディアにどのような機能や論理を見出したのか、写真というメディアに的を絞ってお話をしたいと思います。ただし、ロザリンド・クラウスは、シュルレアリスム理論のなかで、写真はきわめて中心的な役割を果たしている指摘しています。

シュルレアリスムといいますと、「超現実主義(フランス語でSur-réalisme。英語のsuperにあたります)」と訳され、現実を超えた非現実の世界、幻想や空想の世界と思われがちですが(現在の「シュール」という一般的な使い方は、非現実的とか、幻想的とかの意味で用いられるケースが多い)、実は度を超した現実、過剰な現実を意味しています。むしろ理性や再現=表象を媒介としない「直接的な現実の経験」を求めたと言えます。

シュルレアリスムは、とりわけ視覚的なものに大きな関心を寄せました(ブルトンは『シュルレアリスムと絵画』のなかで、「視覚的イメージは、音楽には決してできなことを達成する」と言っています)。19世紀後半の象徴主義や20世紀の抽象芸術は、「音楽」に芸術の至上性(理想)を見出しましたが、それと好対照をなすところが興味深いところです。なぜなら、一般的には、音楽こそが理性や再現=表象を媒介としない、直接的な経験をもたらすと思えるからです。この矛盾については後述します。

シュルレアリスムに関係する写真家には、マン・レイを始めとして、ブラッサイ、ボワファール、ケルテス、モーリス・タバールなど数多くいます。またシュルレアリスムは多くの宣言書や雑誌を出版しましたが、そこでも視覚的資料として写真を多用しました。


視覚の直接性と画像(ピクチャー)

現実の直接的な経験を求めたシュルレアリスムは、どうして視覚的なものを重要視したのでしょうか。視覚的イメージとはそもそも現実が再現=表象されたものではないか。そこには必ず理性や悟性(知性)が介在するではないか。とりわけ写真は現実の再現=表象そのものではないか。とすれば、音楽よりも視覚的なものに「直接的な現実」を求めたシュルレアリスムには矛盾がありはしないか。

シュルレアリスムが視覚的イメージに求めたのは、視覚の「直接性と透明性」、理性や経験的な知が介在しない知覚、いわゆる「知覚的オートマティスム」と呼ばれるものでした。オートマティス=自動筆記法(無意識の連想に基づいて詩や文章を構成していくこと。このオートマティスムはフロイトの精神分析学における臨床方法に基づいています)と呼ばれる方法は、シュルレアリスム理論のなかでもきわめて重要な位置を占めています。当然ながら、ここで言われている「オートマティスム=自動性」は、写真の機能がもつ機械的自動性に何らかの影響を受けていることは明らかでしょう。

シュルレアリスムは絵画的な画像(ピクチャー)を徹底的に攻撃しました。シュルレアリストの一人ピエール・ナヴィルは「巨匠たちよ、役立たずの巨匠たちよ、君たちのキャンヴァスを塗りたくって台無しにしたまえ」と言って、その敵意をあらわにしています。つまり、従来の絵画的なイメージは、理性に汚されている。それに対して、シュルレアリスムは「野生の眼」や「視覚的未開性」を視覚的イメージに求めたというわけです。画像(ピクチャー)に対立するものとしての視覚の直接性。
シュルレアリスムが写真に見出したのも、こうした理性が媒介されない「視覚の直接性」だったのでしょうか。つまり、写真という視覚的再現は、その自動性(オートマティスム)ゆえに、被写体(対象)への「直接性と透明性」を有していると考えたからでしょうか。

こうした写真に対する考えは、今ではきわめて一般的です。ですから、これまでの写真論においてはしばしば、「表現(媒介性-ここでいう表現は明らかに、再現=表象を指したものと考えます)」に対して「記録(直接性と透明性)」という概念を対立させることで、写真固有のメディア性を強調してきたわけです。しかし、この「記録と表現」という対立概念はきわめて疑わしい。写真における恣意性や操作性は、現在では常識的な見解ですし、一方で写真こそ最も再現性の高い媒体であることは明らかです。したがって、「記録と表現」は対立としての「と(同時性)」ではなく、「そして(遅延)」に言い換えなければなりません。もう一つ指摘しておけば、記録と表現という二項対立を考える場合、たとえ表現次元を重要視する写真の場合でも、あくまでも記録(つまりは被写体)に重点を置いていることです。つまり、被写体との遭遇という経験的な次元を再現すること(経験を再現すること)のために表現するということです。被写体への従属。

これについてはまた後述しますが、ベンヤミンもまたブレヒトの「クルップ工場やAEG電気の一枚の写真は、これらの施設についてほとんど何も明らかにしない……。それ故、何かが、積極的に構築されなければならない。人為的な何か、組み立てられた何かがである」を引用して、写真という記号の、記録としての曖昧性を指摘しています。

写真は再現性の高さという意味では、きわめて現実主義的な媒体に他なりません。とすれば、シュルレアリスム理論にとって、写真は明らかに唾棄されるべき存在なはずです。

パロールとエクリチュール

ここで、ちょっと迂回して、「再現=表象(媒介性)」と「記録(直接性と透明性)」について、文脈を変えて考察してみたいと思います。「再現=表象」というのは、オリジナルなもの(現実の対象)が記号に媒介されて再現(現前)されたものを言います。一方の「記録」は、そうした媒介を経ない、オリジナルなものと直接結びついた、透明なイメージとしての対象を指すというわけです。

こうした媒介性に対する敵意と、直接的なものを真理とする考えは、プラトン的な西洋文化の伝統につながるものです。プラントンは絵画を低級の芸術として退けました。西洋文化の伝統においては、知覚こそが現実(対象)に直接通じているもので、「再現=表象」は代替物(記号)によってのみ現実(対象)を現前させるにすぎないと。この現実からの距離ゆえに、再現=表象は偽物(コピー)としての嫌疑をかけられるわけです(話は逸れますが、プラトン的秩序においては、コピーは本物があってのコピーであり、オリジナルに対する2番目のものとして位置づけられ、さらにオリジナルから遠ざかるコピーのコピーとしてのシミュラークルが最も唾棄すべきものと考えられています)

ジャック・デリダはこれをパロール(音声言語)とエクリチュール(文字言語)に置き換えて語っています。パロールは自然的であり、少なくとも思考の自然的表現(直接的な現前)であるのに対して、エクリチュールは代理として付加されたもの(再現=表象、記号)で、自然なものではないということです。これがデリダいうところの、西洋における「パロール中心主義」です。これをもっと通俗的に言いますと、西洋文化の構造には必ず「野性的なもの」と「文明化されたもの」という二項対立があり、理性を重んじる一方で、「野性的なもの」への憧れがつねに持続しています。

シュルレアリスム理論における、再現=表象や記号への蔑視と、知覚の直接的なものへの希求は、西洋文化の伝統を決して転覆するものはないように思えます。実際、ブルトンにおける再現=表象への反感は一貫していない。ロザリンド・クラウスは、「視覚と再現=表象、現前性と記号の優位性に関するこの矛盾は、シュルレアリスムの理論のうちにあるもろもろの混乱の典型」であると言っています。


痕跡としての記号

実際、シュルレアリスム的実践では、絵画にしろ、写真にしろ(シュルレアリスムにおける写真の形態は、絵画同様、きわめて多様な種類があります。きわめて凡庸なイメージから、ストレート写真、オブジェの記録写真、ネガティヴ・プリントの多用、モンタージュ効果を生み出すための多重露光やサンドイッチ・プリンティング、鏡を使った操作-ケルテスの「ディストーション」、マン・レイのソラリゼーションとレイヨグラフ、フォトモンタージュ等々。このリストはクラウスの著に挙げられているので参照のこと)、きわめて多様な作品が生み出されています。ミロの抽象性からマグリットやダリのリアリズム性まで、従来の美学的コードではとらえられない多様性があります。それゆえに、シュルレアリスムは、これまでの様式概念(形式的統一性)ではとらえきれず、美術史のなかではつねに邪魔者扱いされてきました。

しかしクラウスは、実はこの矛盾、混乱、多様性のなかにこそ、記号論的なアプローチによって、「知覚と再現=表象」「現前性と記号の優位性」「オリジナルとコピー」といった二項対立を無効化し、さらには従来の美術の論理を逸脱する、新たな芸術の論理としての写真の論理を見出すわけです。

前述しましたように、シュルレアリスムにおける写真の形態は、きわめて多種多様です。しかしクラウスは、シュルレアリスムにおける写真の使用法に、ある共通の機能を見出していきます。それが「物理的痕跡としての記号」という機能です。

写真は光の痕跡として、現実と物理的なつながりをもっています。クラウスはパースの記号論(パースは記号をその対象との関係から3つに分類した。1・類似〈イコン〉記号-類似性にもとづく記号、2・指標〈インデックス〉記号-現実の物理的、時間的、概念的近接性によって関係づけられた記号、3・象徴〈シンボル〉記号-現実の対象と直接の関係はなく、ある習慣性や傾向性によって関係づけられた記号)によって、指標〈インデックス〉記号と考えます。

写真(というイメージ、記号)は、現実の対象そのものではないが、足跡や指紋のように、物理的つながりによって、その対象を指し示すというわけです。写真はまさに現実の転写なのです。とはいえ、写真もまた現実の対象を代理(簒奪)する記号であることに変わりはありません。つまり、鋳型としての痕跡。したがって、写真はオリジナル(対象)に対するコピー、二重像であり、文字通り物影であり、映像なわけです。そこにはつねに、オリジナルの後からくるものとしての「遅延」「差延」の効果がともなっています。デリダはこれを「間隔化」と呼んでいます。

クラウスは、シュルレアリスムの写真には、この「間隔化」と「二重化」にもとづく、さまざまな操作が働いていると言います。むしろ、シュルレアリスムの写真は、「現実の間隔化と二重化を登録することを目論んでいる」ととらえます。その典型的な例が、二重露光やソラリゼーション、レイヨグラフなどです。

では、シュルレアリスムは、「間隔化」と「二重化」の登録を目論むことで、何をなそうとしたのでしょうか。この「間隔化」や「二重化」という、写真の論理にどのような意味があるのでしょうか。

フォトモンタージュとシュルレアリスムの写真

まずシュルレアリスムの写真における「二重化・間隔化の登録」とはどういうことか。クラウスはダダやバウハウス系のフォトモンタージュとの比較を通して、シュルレアリスムの写真における「二重化・間隔化の登録」の意味を明らかにしていきます。

ダダやバウハウス系のフォトモンタージュとしては、ラウル・ハウスマンやジョン・ハートフィールド(彼らによって始められたと言われている)を始めとして、ハンナ・ヘッヒ、日本では木村恒久が有名です。フォトモンタージュとは写真を使ったコラージュ、いわゆる合成写真のことです。通常は写真を切り張りしたり、入れ替えたり、二重露光をしたりすることで、イメージを合成します。実際に写真を撮らずに、印刷物を切り張りすることもあります。さてフォトモンタージュの論理とはどういうものでしょうか。

フォトモンタージュは、切り張り(断片化)された写真〈イメージ〉を言語記号の単語のように扱い、それらを再構成(モンタージュ-ここには映画におけるエイゼンシュテインの「モンタージュ理論」との関連を指摘できる)しています。つまり、フォトモンタージュの意図は、イメージを合成(再構成)することで、新たな意味を生み出すことにあります。いわばイメージの統辞法とも言えます。その際に写真のイメージを多用(ピカソやブラックのコラージュとの違い)したのは、写真が現実(の対象)を直接的・透明的に指し示すところにあったと思われます。われわれが現実に見ていることは、メディア(媒介となる視覚的な伝達形式)によって曇らされている(操作されている)、ならば、現実の直接的なイメージを再構成することによって「正しいメッセージ」を伝えよう、というわけです。フォトモンタージュがしばしば社会風刺を意図したことは、その論理から当然の帰結と言えます。

フォトモンタージュの論理(の限界)は、写真が直接、透明に現実の対象を指し示すという考えにあると思えます。そしてその写真の直接・透明な記号を言語に還元することで、新たな意味の創出を図るというわけです。つまり、フォトモンタージュというイメージ構成の下には、必ずテクスト(言語)が存在しているのです(バウハウスの一員でもあったモホリ=ナギは、写真を「新しい光の言語」と言っている。造形言語としてであれ、ニュービジョンとしてであれ、写真記号を「言語」になぞらえていたのは明らかだと思われる)。

それに対して、シュルレアリスムはあまりフォトモンタージュを好まなかったと言われています。シュルレアリスムのレイヨグラフ(フォトグラム)やソラリゼーションは、イメージの再構成というよりも、写真というイメージの分裂、二重化そのものをマップしています(写真とテクストの使い方にも、そのズレを狙っていると思われる)。

フォトモンタージュも、シュルレアリスムの写真行為も、画面を一つの意味生成の場ととらえていることは確かです。「解釈や意味作用の群がる世界」としての「表現」。しかし、そこにはおきな違いがあります。フォトモンタージュが「対象の透明な記号」としての写真を前提にしているのに対して、シュルレアリスムの写真行為は写真という記号がもつ特性そのもの(二重化・間隔化)を画面上にマップしようとしていることです。

シュルレアリスムの美的経験

写真がもつ対象への「直接性」と「透明性」。それはまたシュルレアリスムが写真に求めたことではなかったか。確かに、シュルレアリスムは理性や知性を媒介しない「直接的なもの」を求めました。しかし、シュルレアリスムの「直接性」は、対象への「直接性」や「透明性」とはやや異なるように思えます。例えば、シュルレアリスムは筆記的(カーシヴ)なもの、書き物的(スクリプトリアル)なものを、重要視しました(アンドレ・マッソンのオートマティックなドローイングはその代表的な例。ブルトンは「それ自身の運動、それだけに心を奪われた例の手」とマッソンについて書いている)。つまり、シュルレアリスムにとっての「直接性」や「透明性」とは、対象を直接、透明に表象するということではなく、「リズム」や「運動」といった直接的な経験であり、その経験を受容する心に対する透明性なのです。

ブルトンはシュルレアリスム美学を「痙攣的な美」と定式化しています。「痙攣」とは何でしょうか。「痙攣」とはおそらく、どちらにも判断できない、いわば宙ぶらりんの状態に陥ったときに生じる状態と言えないでしょうか。判別不可能性、識別不可能性の不安。シュルレアリスムは自らをあらわすバイブルの一つとして、19世紀の詩人ロートレアモンの「手術台の上での蝙蝠傘とミシンの出会い」を引用します。この言葉は「蝙蝠傘」と「ミシン」という異質の物の出会いだけではなく、その出会いの場(コンテクスト)となる「手術台」の異質性も露にしています(ミシェル・フーコーの『言葉と物』の序文で有名な、ボルヘスのエッセー「ジョン・ウィルキンズの分析言語」の「シナのある百科事典」と同様の問題と言えるだろう)。異質な場での異質な物どうしの出会い。これはまさに何かに固定されない宙吊りの状態そのものと言えます。

シュルレアリスム写真における「二重化・間隔化の登録」とは、現実と記号(イメージ)の亀裂そのものの体験を表しているように思えます。シュルレアリスムにとっての写真とは、現実が記号に変換される際の、宙吊りの体験、まさに痙攣を記録することであったのではないか(ベンヤミンはその『写真小史』のなかで、見る人の連想メカニズムを停止させる、写真が与えるショックについて語っている。この停止のショックこそ、ここでいう「宙吊り」状態のことである)。「フォトモンタージュにおけるように、現実を解読しつつそれを解釈するもの」ではなく、「かたちづくられ、コード化され、書かれた現実そのものの現前」ということです。
(つづく)

現代アートにおける写真の論理

2007年09月11日 | Weblog
60年代の「美術のなかにおける写真」

1960年代以降、ポップアートやコンセプチュアルアートを始めとして、美術の分野で写真がさまざまな形で活用されるようになります。現在の多様化した写真の状況は、60年代以降に写真に起こったことと決して無関係ではないし、連続した状況にあると考えられます。また、60年代以降の美術側による「写真の使用法」を考察することは、写真を再考する上できわめて重要な問題点を提起してくれるはずです。

今回は60年代以降、なぜ、現代アートは写真を使うようになったのか、その際、アーティストたちは写真に対してどのような目を向けたのか、写真のどこに着目したのか、その使用法、論理とはどのようなものであったのか。以上のようなことを考察していきたいと思います。まずは、60年代以降における「美術のなかの写真」を、ポップアートやコンセプチュアルアート、さらには個々のアーティストにおける使用法には拘泥せずに、大きな視点からとらえてみたいと思います。

なぜ、写真に着目したのか?

第一の背景に挙げられるのは、モダニズム美術に対する反発と懐疑です。周知のように、当時のモダニズム美術は、その中心的な理論家であるクレメント・グリーンバーグのフォーマリズム批評の影響下で、きわめて厳格に規範化・制度化(アカデミズム化)されていきます(ここで簡単に、グリーンバーグのモダニズム理論をおさらいしておけば、絵画なら絵画の媒体-メディウムの本質を追求する中で、美あるいは質の水準を維持していくということでした。絵画という媒体にとって本質的でないものを除去し、絵画の純粋性を追求すること。そしてグリーンバーグは、絵画の本質的なメディウム性として「平面性」と「矩形性」を見出すわけです。しかし、グリーンバーグのモダニズム理論は、19世紀の中頃、大芸術が歴史上はじめて娯楽へと同化されるなかで、その下落の運命から逃れる方法として生まれたものだという認識を忘れてはなりません)。

モダニズム理論の当然の帰結として、モダニズム美術は現実の社会から遊離し、自閉していきます(モダニズム理論をさらに徹底していったのが、同じ60年代に登場してくる「ミニマリズム」と言えるかもしれません)。そうした美術の状況の中で、60年代のアーティストたちは、「アートと日常の関係」を模索し始めたと思われます。そのために着目されたのが「写真」だったと思われます。なぜなら「写真」はきわめて日常的なものとして流通していたからです。「写真」が持つ「通俗性」を利用することで、モダニズム美術を支えていた諸条件を破壊しようとしたと言えます。
ここで重要なことは、彼らが着目した「写真」が、いわゆる芸術写真(=モダニズム写真)と言われるものではなく、他の社会的文脈(司法、医学、家族写真、広告等々)で使われている「写真」だということです。モダニズム写真もまた、モダニズム美術にならい、フォーカスやディテール、フレーミング、パースペクティブ、シャッター速度、トーンといった、いわば写真を写真たらしめているメディウム性を追求していきました(例えば、写真のフォーマリズム批評の代表的な存在ともいえるシャーカフスキーは、写真を「モノそれ自体」「ディテール」「フレーム」「時間」「視点」という5つの分類から論じています)。確かに、こうしたモダニズム理論は、写真表現の質を高めたことは事実ですが、その一方で、「銀塩美学」とも呼べる画一化された価値感を形成してしまったことも確かです。

モダニズム写真が「美術史を背景とした写真」だとすれば、60年代のアーティストが着目した「写真」は、「社会史を背景とした写真」と言えるでしょう。もちろん、モダニズム写真もまた、モダニズム美術と同様に、一般に流布した「写真」を峻別・拒否することで、「芸術としての写真」を追求しようとしたことは確かです。ここで重要な問題となるのが、果たして「写真」は「絵画(または彫刻)」のような自律したメディアなのかどうか。「写真」が持つメディウムの特性はむしろ複数性(複製性とも密接に関係してきますが)にあるのではないかと言うことです。これはまさに、ベンヤミンが『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』のなかで考察したことでもあります。そしてもう一つが、「社会史を背景とした写真」の論理とはいかなるものか。モダニズム写真が排除してきた「写真の論理」のなかに、果たして写真表現の新たな地平が見出しえるかどうか、という問題になると思います。最近のヴァナキュラー写真〈特定の地域や日常生活に結びついた形で生み出された写真〉への関心もまた、「美術史を背景とした写真」とは別な文脈で使われる写真への関心と考えられます。

メディア(文化)批判としての写真の活用

60年代における写真の活用の背景として、まず「モダニズム美術への反発と懐疑」を挙げました。私見ですが、ポップアート、とりわけアンディ・ウォホールにおける、スキャンダラスな写真の使用法は、きわめてこの側面(モダニズムへの反発)が強いと思われます。コンセプチュアルアートは、モダニズムへの懐疑という側面から、モダニズム美術が排除してきた「再現性」「記述性」「記録性」を「写真」というメディウムに着目したと思われます。ポップアートとコンセプチュアルアートにおける「写真の使用法」に関しましては、後日、詳しく取り上げる予定です。

そして、60年代のアーティストたちが「写真」に着目していった、もう一つの背景と理由が、メディア批判としての写真の活用です。とりわけ60年代後半において、その傾向が顕著になると思われます。まず、その背景として挙げられるのが、マスメディアの台頭(テレビ文化の台頭)、写真というイメージの日常化(それはとりもなおさず、芸術写真の衰退でもあります)、イメージの飽和化(スペクタクル社会のファンタスマゴリア性)等々です。これはつまり、写真というイメージを美的対象でも、歴史的対象でもなく、メディア批判のための理論的な対象としたということです。

写真というイメージによる記憶とアーカイブ化の問題、イメージと被写体(ある/見る)との問題、イメージとテクストの問題、イメージの商品化(ジェンダー、あるいは見る/見られる関係)の問題、都市とメディアの問題、イメージと風景の問題等々、写真というイメージを通して、きわめて多様な問題群が浮上してきたということです。これもまた、写真の複数メデイァとしての特徴を表わしていると思われます。

上記したような状況を、とりあえず、写真における「モダニズムとポストモダニズム」の分岐点と考えたいと思います。もちろんこれは、暫定的な見方にすぎません。「モダニズム美術への反発と懐疑」「メディア批判としての写真の活用」。ここではこの二つを取り挙げましたが、60年代以降の「美術のなかの写真」にどんな側面が内在しているのか、この論点は今後とも考察する価値があると思われます。

アメリカの美術批評家ロザリンド・クラウスは、こうした60年代の「写真と美術の収斂」を、1920年代の「写真と美術の収斂」の再開ととらえています。次回は、1920年代における「シュールリアリズムとデュシャンにおける写真の使用法」を考察していきたいと思います。

写真の論理

2007年09月09日 | Weblog
対象-表現・生産・流通・消費

本講座の狙いは、視覚-表象(イメージの知)の領域における「写真の論理」を考察することにあります。ここで「写真の論理」と呼ぶのは、近代(19世紀)の発明・産物である写真というイメージ(視覚的表象)がさまざまな社会的領域(芸術表現の領域のみならず、社会一般の領域-医学、司法、報道、家庭、広告等々)でどのように使用・活用されてきたのか、従来の「画像」(とりわけ絵画の画像との比較-手と装置)とどのような違いのもとで写真がとらえられ、使用・活用されてきたのか。その使用・活用する際の、無意識であれ意識的であれ、背景あるいは前提となる考え方や動機(欲望)、あるいは使用・活用の実践を通して形成されてきた機能やメディウム性*(何かを実践する場合、その前提となる考え方-過去の歴史的・経験的な知の堆積層により形成されたもの-と実践においてはつねにズレが生じる。この「ズレの振幅」も重要な考察対象の一つである)を総称して、ここでは「写真の論理」と呼んでおきます。

前述しましたように、一口に写真活用の社会的領域と言いましても、きわめて広範囲に渡ります。むしろ、広範囲な活用領域こそが、写真の特徴の一つとも言えます。本講座では、芸術表現の領域(「芸術としての写真」「写真としての芸術」)を主軸に、「写真の論理」を考察していきたいと考えていますが、当然ながら、芸術表現領域における写真の活用は、他の社会的領域での活用と無関係ではありません。写真の芸術表現領域を自律したものとして扱っては、それこそ「写真の論理」をつかみ損ない、写真表現の批評性や可能性を狭いものにしてしまうでしょう。したがって、芸術表現の領域を考察対象としながらも、つねに他の領域との諸関係を念頭に置かなければなりません。

また「写真の論理」の考察にあたっては、従来の芸術のような「創造者」と「享受者」という二つの次元のみならず、生産(創造)・流通・消費(享受)という三つの経済的なカテゴリー的な次元の考察も必須となるでしょう。と言いますのも、写真における「複製性」とも関係してきますが、写真においては流通(メディア)がきわめて重要な役割を果たしているからです。もちろん、本講座でのコアとなる考察対象は、生産の次元になりますが、流通・消費という次元の考察を抜きにしては、生産そのもの考察も的を外れたものになるでしょう。

芸術表現領域と他の社会的領域-作品の水平性。生産・流通・消費の三つの次元-動機の垂直性。これらのさまざまな領域と次元が多層的に絡み合う面〈プラン〉-技術・思考・制度の接合=アレンジメント-において、視覚-表象としての「写真の論理」を考察していきたいと考えています。当然ながら、ここでの「写真の論理」は複数であり、可変的であることになります。


視点-批判的視覚-表象文化研究

一般の写真史ではしばしば、「写真は時代をどうとらえてきたか?」「写真は時代をどう見てきたか?」といった視点で写真表現が記述されています。あたかも写真家は時代を映し出す鏡としての証人であり、写真はその証拠であるかのように語られています。こうした歴史記述には、大きな陥穽が二つあります。一つは歴史を自然史ととらえてしまう危険性。時代は自然の推移と同じように、あるがままに進むという考え方です(もちろん実は、時の力関係によって形成された回顧的な遠近法的錯覚*にすぎないわけですが)。そしてもう一つが写真表現の記録性(「社会の窓」)というイデオロギーです。当然、そこでの写真家の位置は、時代の推移を観察する記録係にすぎなくなってしまうでしょう。

写真固有の論理の一つとして、しばしば「インデックス性(自然の秩序をトレースする物質的痕跡)」が指摘されます。しかし写真は、現実そのものの痕跡(堆積)であると同時に、表象(表現)としての現実性も備えているのです。写真は現実の忠実な痕跡であるが、現実の間隔化・二重化(充填と空白/不在と現前)を含んでいるということです。この写真の「インデックス性」については、ジャック・デリダやロザリンド・クラウスなどのパース論を紹介しながら、本講座でもさらに詳論する機会もあると思いますが、写真表現は痕跡(インデックス記号)の記号化(表象化)=記号の記号化でもあるわけです。

こうした観点に立ったとき、写真家は単なる時代の記録係ではなく、時代への批判的なまなざしを備えたアクティブな存在にもなり、時代の病巣を臨床診断する医者ともなり得るわけです。むしろ写真史は「時代にどう逆らって時代を見てきたか?(=反時代的まなざし)」「時代をどう診断してきたか?(=臨床医としてのまなざし)」と問われるべきなのです。

したがって、本講座での視点は、考察の対象である芸術表現領域における写真を、視覚-表象文化としての美的・政治的・社会的経験等々の批判的契機としてとらえていきます。

問題提起-モダニズムとポストモダニズム

前述した「視点」とも関係してきますが、本講座では「写真の論理」を考察するために、1960年代の写真と美術(芸術)の動向を「写真を新たにとらえ直す」という問題提起の契機としたいと思っています。

1960年代の写真と美術の関係に何が起こったのか。60年代、現代アートは写真というメディウムに注目していきます。その代表的なものがポップアートとコンセプチュアルアートと言えるでしょう。既成の芸術概念(モダニズム)を脱構築するためのツールとしての写真。ポップアートは「複製」という観点から、コンセプチュアルアートは「記録=非人称性」という観点から、それぞれ写真に注目していきます。その後、60年代の後半になると、視覚メディアという幅の広い射程から「写真の論理」を対象とする現代アートが登場してきます。写真サイドでも、コンテンポラリー写真やニューカラー、ニューランドスケープなど、従来の写真実践とは違ったアプローチがなされていきます(日本ではプロヴォーグや荒木たちの写真)。これを例えば、モダニズムとポストモダニズムという観点からとらえることも可能でしょう。

こうした美術における写真への接近と、写真の再考を促した背景には、写真が歴史的対象や美的対象から理論的な対象へと移っていったことが関係しているでしょう。美術サイドでは、明らかにモダニズム美術を脱構築するツールとして写真が注目されると同時に、「芸術」の社会的役割を考えた場合、写真というメディウム性はスペクタル社会を批判する理論的対象となりえたと思われます。

もちろん、こうした従来の伝統的な芸術概念の枠を外れた写真実践は、1960年代だけに起こったわけではありません。ロザリンド・クラウスによれば、60年代の「写真と芸術の収斂」は、1920年代の収斂-フォトモンタージュやシュールレアリズム-の再収斂と言われています。20年代と60年代の論理的な違いを考察することも重要ですが、本講座での「写真の論理」の考察を、この60年代(とりわけ60年代後半)の写真と美術の関係=「現代アートのなかの写真」を一つのメルクマールとして展開させていきたいと考えています。

方法-新たな問いの創造に向けて

本講座では、批判的視覚-表象文化研究という観点から、歴史的(時間的)アプローチ(写真史)も、作家論的アプローチ(写真批評)もとりません(もちろん、歴史や個々の作家をとりあげることはありますが)。批判的視覚-表象文化研究=写真理論という観点から、いくつかの恣意的(仮説的)キーワードに基づいて、「写真の論理」を考察していきます。これには一つの狙いがあります。本講座の教育的狙いは、歴史的な研究でも、作家研究でもなく、したがって「答えの獲得と習得」ではなく、写真に対しての新たな問い(見方、論じ方等々)を発明・創造するための契機とすること=批判的道具の提供にあります。また過去の写真の言説-写真がどう論じられてきたか-については、その都度、キーワードに沿って紹介・詳論していきたいと思います。

おそらく現在の写真教育には、大きく二つのタイプがあります。一つ目は、特定の産業・商業部門のための職業訓練(その多くは広告写真家)としての教育(おそらく第一のタイプを担っているのが、写真専門学校でしょう)。二つ目が「芸術としての写真」を目指すための教育(この第二のタイプが美術大学における写真教育と言えるでしょう)です。しかし、第二のタイプもまた、文化産業部門(写真展覧会や写真集など)のための職業訓練となっていると言えないでしょうか。そして、上記のような教育過程において、支配的な言説となっているのが「歴史(写真史)」と「写真批評」と思われます。このようなタイプの教育を完全に否定しようとは思いませんが、本講座ではできるだけ多くの批判的道具の提供を目指したいと思っています。おそらく表現という実践領域においても、新たな美や感覚の創造は、批判的姿勢から生まれてくると思われます。

最後に一言。過去の人はわれわれには見えない多くのものを見ていたに違いないが、一方でわれわれもまた過去の人が見えなかったものを見ているはずです。この過去と現在の交錯にこそ、未来が潜んでいると思われます。過去におもね、現在を悲嘆することなく、過去を否定し、現在を称賛しすぎることなく、生を肯定する者として未来を見つめること。