Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

インターバル(余白)

2011年01月12日 | Weblog
イデアからイメージへ

写真(というイメージ)は客体(被写体・対象・現実・事物)に向かうものなのか、それとも主体(現実の解釈・現実を素材にした表現-経験的表象)に属するものなのか。いささか古い問題とはいえ(そう、いまや古い問題のように思える。それでもここから出発せざるを得ないのは何故なのだろうか? 時代的に制約された問いなのか?)、まずはここから始めてみよう。写真は主体に属するものだという考え方が最も一般的であり、それなりの説得性ももっている。写真家が自らの関心にしたがって、あるいは触発されて現実を切り取り、訴求すべきテーマにもとづいて/したがって現実を解釈・表現する。一人称としての写真。ここで問題にしたいのは、「記録」と「表現」の対立ではない。写真を「主体に帰属するもの」と考える立場も、写真が現実の一部を切り取った断片面(瞬間)であることを前提にしている。とするならば、「記録」と「表現」の対立は、見かけほどの違いがあるわけではない。一方ができるだけ手を加えずに(演出せずに)被写体をとらえようとすれば、他方は切り取った現実を解釈するために演出を施す、あるいは現実を解釈するために演出した現実を写真に撮る。「記録」と称する写真もすでにフレーミングや光の効果等々において、最小限の演出を施しているわけであるから、「記録」も「表現」も程度上の差があるにすぎない。では、「記録」と「表現」の対立とは、現実の一部を切り取った断片の扱いにあるのだろうか、それとも切り取りの方法、基準-何に基づいて切り取るのか-にあるのだろうか。

写真の記録性を重視する写真家は、表現性を重視する写真に対して人間的な意味を付加するものとして批判する。他方、表現性を重視する写真家は、記録性を重視する写真に対して、それは単なる事実(現実)にすぎないとして批判する。一方が人間的な意味を排除した裸の事物をあらわにすることを目指すのに対して、他方は自らのイデア(理念)にしたがって別な現実(事物)を提示することを目指す。

ところで、絵画と写真の違いはどこにあるのだろうか。ドゥルーズは『シネマ1-運動イメージ』(財津理他訳)の「第1章 運動に関する諸テーゼ-第一のベルグソン注釈」のなかで、写真における特権的瞬間と、古代的な形式におけるポーズとしての特権的瞬間との違いを述べている。古代的な形式における瞬間(ポーズ)は、超越的形相(イデア)の秩序にしたがって切り出されたものである。それに対して、写真における瞬間は、たとえ連続する運動のなかの特異点であるにしても、あくまでも任意の点として取り出されたものである。この二つの特権的瞬間の違いはきわめて重要である。絵画的イメージとは、人物なり、事物なり、出来事なりの特徴(特異点)をイデアにもとづいて抽出(表現)する。しかし、写真的イメージは、イデアから抽出されたものではない。運動の過程から任意に取り出されたものである。イデアからイメージへ。ドゥルーズは「古代弁証法は、運動のなかで現働化される超越的形相の秩序であり、近代弁証法は、運動に内在するもろもろの特異点の生産とそれらの対照である」と述べている(蛇足にすぎないが、ここで一つ付け加えるならば、ドゥルーズは古代と近代という非常に大まかな時代区分をしている。ルネサンス絵画や古典主義絵画はいずれに属するのか。ここでドゥルーズの言う近代弁証法とはいつの時代を指すのか。カントなのか。特定することは難しい。しかし、写真の誕生が近代に属していることに間違いはない)。絵画的イメージと写真的イメージでは、同じイメージでも、その帰属する秩序がまったく異なるということである。近代に至りイメージ(切り出された瞬間、切断面)の概念の意味がまったく変わったのだ。

イデアからイメージへ。たとえば、ジャン=リュック・ナンシーは「構想力の力」(『イメージの奥底で』所収 以文社 西山達也他訳)という論考のなかで、次のように語っている。少し長くなるが引用しておく。「ルネサンスから19世紀にかけて、ヨーロッパ的思考(みずから西洋化し、それが「世界」だと想像する世界)は、タブローから映写スクリーンへ、表象〔再現前化〕から呈示〔現前化〕へ、イデアからイメージへ、あるいは正確に言えば、空想ないし幻想から想像力へと変換を遂げた。このことはまた、次のようにも言い換えられる。存在論から現象学へ、したがって存在から現れへ、形式から形成作用へ、あるいは質料から力へ、イデアから構想へ、そして最後に一言で要約すれば、見られたものから見ることへ、だがさらに先鋭な言い方をすれば、要するに嘘としてのイメージからイメージのとしての真理への転換ということに尽きる」。

記録のアポリア

ここで一つの疑問-アポリアが生じるだろう。写真もまた現実における事物の流れからある種の選択によって切り出されたものだろうと。ドゥルーズはジュール・マレーやマイブリッジの連続写真を例に挙げているのだが、たとえば、馬のギャロップという運動において、連続写真によって切り出された各瞬間は、馬のギャロップを理解させるために、馬の足の一本目、二本目、三本目・・・の動きの瞬間を切り取るだろう。同じことだが、ある出来事(事件)を写真によって切り取る場合、やはりその出来事を象徴する(あるいは撮影者が意図する)特異なシーンを切り取るだろう。とすると、イデアにもとづいた絵画的切り取り=特異点と、写真による切り取り=特異点はどこが違うのか。写真もまた撮影者の意図(イデア)によって切り出されたものに違いはないのではないか。一方において、絵画的なイメージがイデアという秩序から切り出されたものだとすれば、写真は現実の運動から切り出されたものである。他方、絵画的イメージも、写真的イメージも、ある全体の部分として想定されていることに変わりはない。絵画的イメージがイデアという全体を、写真的イメージが一つの運動(出来事)という全体を。どちらもあらかじめ想定された全体にもとづく部分(瞬間)である。絵画的イメージも、写真的イメージも、どちらもあらかじめ想定された全体の部分であることに変わりはない。しかし、その全体は、前者がイデアであるのに対して、後者は一つの運動(事件、出来事等々)である。

同様のことが、絵画的肖像写真と観相学的肖像写真の違いにも指摘することができるだろう。初期の肖像写真は言うまでもなく、絵画同様のイデアにもとづいて、対象となる人物の特徴を抽出する。その典型的な写真をナダールやキャメロンに見ることができる。他方で、初期写真において、われわれは絵画的な肖像写真とは異なる肖像写真が登場してくるのを知っている。いわゆる観相学にもとづいた肖像写真や精神病理学的な身体写真である。観相学的な肖像写真もまた、一つの総体としての犯罪者の類型や性格の類型にもとづいて、任意の瞬間からの特異点を抽出する。つまり、ここでもあらかじめ一つの総体が前提とされているのだ。もちろん、逆のプロセスであっても同じことだ。ある運動(人物)をとらえた各瞬間のイメージをとらえたものから、その運動(人物)の特異点を抽出するにしても、そこで再構成される運動(人物)は、一つ総体(ある人格なり、性格)を前提にしているということだ。観相学的肖像写真も、運動をとらえた写真も、ある総体を想定した記録性という意味では同じ考え方である。蛇足ながら、ザンダーの肖像写真が同じ観相学的な考え方にもとづいていながら、その他の観相学的肖像写真と異なるのは、一つの画面に複数の総体-顔や身体だけではなく、所作や洋服、場所など-がとらえられているからだ。その複数の総体が微妙にずれているがゆえに、犯罪者や性格、人種を分類した観相学的写真とは一線を画している。

ここに写真の「記録性」をめぐるアポリアがある。たとえば、中平卓馬はしばしば写真における「記録(客観性)」と「表現(主観性)」のアポリアに挑んだと言われている。しかし、彼の60年代後半から例の「なぜ、植物図鑑か」に至る論考を通読すると分かるのだが、彼が論の対象として言及するのは、そのほとんどが報道写真や社会派と言われる写真である。いわゆる記録派の写真に属するだろう写真が批判の対象になっているのだ。中平卓馬は「記録」と「表現」のアポリアではなく、むしろ「記録」に潜むアポリアを問題にしているのだ(中平卓馬言うところの「記録」と「記録論」)。たとえば、中平卓馬は当時、東大安田講堂の攻防戦をめぐる一枚の報道(新聞)写真が犯罪の証拠写真として権力(国)側に使われてしまうことを論じるだろう。この一枚の写真は確かに現実の一部を切り取ったものである。決して加工・捏造されたものではない。であるならば、どうして権力側の証拠と成り得てしまうのか。中平卓馬は中立と称している報道写真が、実は権力内部に立った視点から撮られたものにすぎないと断じるだろう。しかし、それで解決したことにはならない。なぜなら、その写真が現実の一部を切り取った記録であることを否定することはできないからだ。であるならば、どういう現実の一部なのか。そこで問われてくるのは、現実という全体である。果たして、ここで言われる現実とは、イコール現実の全体のことなのか。ここで言われている現実とは、宇宙という全体の観点から見れば、その一部としての全体=現実でしかないのではないか。つまり、現実の一部と言われるときの現実とは、限定され、閉じられた全体にすぎないのだ。

ドゥルーズは先に挙げた『シネマ1-運動イメージ』のなかで、「全体」と「総体」の明確な区別を行っている。イデアという全体も、一つの運動(事件、出来事等々)という全体も、宇宙的全体のなかの部分でしかない。ドゥルーズは宇宙的全体を文字通り「全体(tout)」と呼び、イデアや一つの運動の全体を「総体(ensemble)」と呼んでいる。前者が開かれた全体だとすれば、後者は閉じられた全体である。つまり、先の報道写真がとらえた現実の一部とは、閉じられた全体(一つの運動)のなかの一部ということである。とするならば、その閉じられた全体=総体があらかじめ想定された権力側の現実(事件、出来事等々)であるならば、その総体のうちの一部=事実であることになるだろう。反対に、反権力側の立場に立てば、別の総体の現実(事件、出来事等々)の一部となるだろう(こうした相対主義においての問いは、当然ながら、いずれの事実が真の事実であり、真理かという問いは無意味になる。ここで問われるべきは、誰にとっての事実か、真理かである)。けっきょく、写真の記録性とは、どのような総体=現実の一部かによって、その事実性は異なってくるということだ。たとえば、人間の記憶を補完するものとして、写真の記録性が言われる。しかしそこで選択される歴史的証拠としての写真は、あくまでも限定され、閉じられた総体=歴史の一部にすぎない。したがって、ここで言われる「記録」とは、あらかじめ限定され、閉じられた総体に関係させられた記録にすぎないということだ。そしてそれは、すでに解読された現実の追認・再認でしかないだろう。これを視点の違い(どこから見るか)に帰することはたやすい。では、写真の「記録性」の意義はどこにあるのか。これこそが中平卓馬が最も考え抜いたことである。

ここまでの論理を整理しておけば、写真を語る場合、「記録」と「表現」の対立を前提にしてはならない。まず前提になるのはあくまでも記録性なのだ。現実を演出して撮影しようが(いわゆるコンストラクテッドフォト)、撮影した写真を加工しようが、コラージュしようが、前提となるのは記録性なのである。これこそがカントの「美」から「崇高」であり、ヘーゲルの言う「芸術の終焉」であり、ベンヤミンが言う「礼拝価値」から「展示価値」であり、ジャン=リュック・ナンシーの言う「虚偽としてのイメージ」から「イメージとしての真理」であり、ドゥルーズの言う「イデア」から「イメージ」なのだ。

身体と事物の知覚

もうしばらく、中平卓馬につき従って見よう。周知のように、中平卓馬らプロヴォークは「確からしさを捨てよ」「来るべき言葉のための挑発的資料」といったスローガンを掲げた。こうしたスローガンの意味するところは、写真についての単純な「記録性」に対する疑問であり、中平卓馬言うところの「自然主義リアリズム」「事実信仰思想」への批判であろう。ここで、プロヴォークはどういう観点から写真の「記録性」を批判しようとしたのだろうか。彼らが模範とし、触発されたのは、ウィリアム・クラインの写真である。プロヴォークはウィリアム・クラインの写真のどこに、従来の写真とは異なる側面を見出したのか。どのような可能性を見出したのか。中平卓馬も指摘していることだが、クラインの写真の特長は、その脱・構図主義にある。クラインの写真は、絵画的遠近法によるある固定した不動の一点からとらえられた世界(現実)ではない。いわば、知覚の非中心性にその最大の特徴があるといっていい。この知覚の非中心性とは、従来の絵画と写真の視覚を分かつきわめて重要な違いである。絵画的カテゴリーの視覚が、ある不動の視点(イデア)による空間的な視覚だとすれば、写真はあくまでも現実の任意の点であるとともに、時間的な経過(諸点)をも切り取る。

しかし、プロヴォークがクラインの写真に見出したのは、絵画的な視覚からの逸脱だけではない。クラインにおける知覚の非中心性はもう一つ重要な側面を隠し持っている。たとえば、ライフのジャーナリズムフォトや名取洋之助らの「組写真」という考え方に対する批判である。言うまでもなく、「組写真」と言われるものは、ある事件なり、出来事の各シーンを、その事件なり、出来事の特異点’特徴点)を抽出し、組み合わせた(再構成した)ものである。その場合、どのような視点(これまた違った意味で観念的なものだろう)でその事件を見ようとも、閉じられた全体=総体の下で再構成されたものにほかならない。そしてしばしば、フォトジャーナリズムにおける「組写真」は、「社会的正義」や「ヒューマニズム」といった視点の下に再構成される。プロヴォークたちがいらだったのは、こうした一方的(固定的)な視点による写真である。むしろ写真は「不確かさ」こそとらえるべきではないかと言うことである。考える(思考をうながす)契機となる資料としての写真。

しかし、非中心性とは別な言葉で言えば、無責任ということである。自らが撮った写真(視覚的資料)に対して責任を負わないということでもある。撮ることの無根拠性。ここからプロヴォーク、いや中平卓馬の真のアポリアが始まる。当初、プロヴォークたち(中平卓馬も含め)は、クラインにおける知覚の非中心性を写真家(撮影者)の身体性にその根拠を求めた。つまり、意識(言葉や観念的なもの)を逃れた身体性こそが、写真を撮ることの根拠を保証してくれるだろうというわけである。たとえば中平卓馬は次のように書いている。「世界とそれを目撃した人の驚き」「露出した世界そのものへ」「記録という行為を自ら生きる生の総体の中に正確に位置づける」「自ら生きる生の中から必然的にはじき出されてくる〈現実〉」(いずれも「同時代的であるとは何か」1969より)等々。ここでは撮影者の実存的な身体性に、見ることの根拠を求めている。いわば実存的な身体的視覚にこそ、純粋な視覚が宿るということだ。アレ・ブレ等々の方法もこうした考え方を下敷きにしていたものだろう。

こうした身体性による知覚の純粋性とは、言うまでもなくフッサール及びメルロ=ポンティらの現象学に依拠している。ドゥルーズは『シネマ1‐運動イメージ』のなかで、次のように述べている。「「たんなる物質的運動でもって意識のレベルを再構成しようと欲する唯物論と、たんなる意識内のイメージでもって宇宙のレベルを再構成しようと欲する観念論の敵対であった。(略)そして、同じ時代に、きわめて異なる二人の論者、すなわちベルグソンとフッサールが、この責務を引き受けようとしていた」。ベルグソンもフッサールもともに、イデアからイメージ(=テクノ画像)の時代を前提にしている。フッサールが「あらゆる意識は何ものかについての意識である」をスローガンとすれば、ベルグソンは「あらゆる意識は何らかのものである」(これはドゥルーズ的ベルグソン解釈による要約らしい)を据えるだろう。この二人の哲学者のスローガンの違いは大きい。

「あらゆる意識は何ものかについての意識である」と「あらゆる意識は何らかのものである」。この二つの違いとは何か。周知のように、フッサールにおける「あらゆる意識は何ものかについての意識である」とは、「志向性」とも呼ばれ、現象学におけるキーワードの一つである。しかし、ここで誤解してならないのは、フッサールにおける意識とは、人格的・人間的な意識のことではない。フッサールにおける「超越論的主観性=超越論的な我(エゴ)」とは、特定の人格の心理的主観性のことではなく、あくまでも現象学的な判断停止(エポケー)された意識である。フッサールはその著『デカルト的省察』のなかで、次のように述べている。「現象学的な判断停止は、客観的世界の存在の効力を停止し、したがって、まったく判断の場から遮断するとともに、あらゆる客観的に捉えられた事実と同様に、内的経験の事実についても、存在の効力を停止遮断する」(『デカルト的省察』浜鍋辰二訳)。つまり、フッサールが言う「超越論的主観性」とは、客観的世界も、人格的内的経験も停止し遮断された「意識」のことである。実際、フッサールは、デカルトはこの超越論的な我を見出したが、その我を人格的な我に還元してしまったと批判している(それが超越的な主観性である)。とすれば、現象学的エポケーの後に残るのは何か。それが「身体」と言うことになるだろう。もちろん言うまでもなく、この「身体」とは、前人格的身体である。この場合の現象学的な「身体」とは、意識のゼロ度における「身体」である。したがって、「あらゆる意識は何ものかについての意識である」における意識とは、中心化された、ある匿名の意識がゼロ度化した身体による知覚である。だからこそ、現象学は身体における純粋な知覚を標榜するわけである。プロヴォークもまた、この現象学的なアプローチに依拠し、その身体性における純粋知覚を謳うだろう。

では、ベルグソンにおける「あらゆる意識は何らかのものである」とはどういうことか。これまた周知のように、ベルグソンは人間における知覚を身体の有用性によって中心化された物質のある側面、つまり引き算された「物質」と規定した。ベルグソンにおける人間の知覚とは、人間の有用性にもとづいて身体という中心によって切り取られた(引き算された)物質の一側面である。人間の知覚が身体によって中心化された知覚という意味では、現象学もベルグソンも同一の見解である。しかし、ベルグソンにおける知覚は物質からの引き算に対して、現象学における知覚は物質に何らかのものが加算されたものであり、であるがゆえに「身体」におけるゼロ度を想定するわけである。ベルグソンの知覚においては、物質も知覚も程度の差異しかない。しかし、現象学における知覚は、知覚に程度の差異を想定し、物質と知覚に本性上の差異を見る。ベルグソンにおいて本性上の差異が生じるのは、物質と知覚の間ではなく、知覚と記憶の間である。つまり、ベルグソンにおける知覚では、知覚に対して記憶という次元において変容(加算?)が生じるのだ。したがって、ベルグソンのあらゆる意識は何らかのものである」とは、現象学が知覚を物質に対立するものとして位置づけているのに対して、ベルグソンは物質の延長として知覚を位置づけているということである。

デカルトとスピノザ

現象学的な知覚とベルグソン的な知覚。上記の説明ではまだ分かりにくいかもしれない。もう少し別な角度から考えてみよう(写真-カメラの知覚とどう結びつくのかという疑問があるかもしれないが、それについては後述する)。現象学的な知覚とベルグソン的な知覚、その相異のルーツはデカルトとスピノザの違いにあるように思われる。どういうことか。デカルトにとって厳密な意味での実体-それ自体で存在するもの-は、神という存在だけだが、精神と物体も実体とした。それに対してスピノザは、神(自然)のみが実体であり、精神と物体は神(自然)の属性の一部である(つまり、精神と物体以外にも、神=自然の属性はありえる)。デカルトは精神と物体をともに実体とすることで、精神と物体(世界)を対立させる。しかし、スピノザ的発想は、精神と物体はそれぞれが神(自然)の一部にすぎない。

このデカルト的発想とスピノザ的発想の相異とは何か。デカルト的な精神と物体を実体とみなすことは、おのおのを自律した存在とみなすことである。ここから主体-客体の構図が浮上する。ハイデガーがその著『世界像の時代』で位置づけた、「存在するものの対象化」という近代における世界像の位置づけである。主体-客体という構図からなされる「存在するものの対象化」は、主体によって対象化された客体(世界)を閉じられた全体として想定してしまう。現象学においては、「志向性」という概念によって、対象の把捉が自律した一つの世界ととらえられることになる。

他方、スピノザ的な発想では、精神も物体も神(自然)という全体の一部(一属性)でしかない。とすれば、精神によってとらえられた(対象化された)客体(世界)は、神(自然)の一部でしかないということになるだろう。ということは、その全体とは開かれた全体ではなかろうか。ここに、スピノザの自然哲学としての発想がある。主体によって把捉された対象は、自然=世界(対象)の一部、ある側面でしかない。このデカルトとスピノザにおける対象の把握の相異は大きい。

では、上記のデカルト的発想=現象学とスピノザ的発想=ベルグソンを写真の知覚に敷衍するとどのような論理が展開されるだろうか。

メタ・フォトグラフィ論-デジタル化以降の写真について・改訂版

2010年12月09日 | Weblog
-マイケル・フリードが現代写真における「被写体と写真家の関係性」から「写真と観者の関係性」への移行を指摘しているが、この移行が意味していることはどういうことだろうか。従来の写真が「被写体と写真家の関係性」を重視してきたのに対して、現代の写真家は写真を観る者との関係において、自らの写真を撮る(写真作品を制作する)ようになったということだろうか。ということは、写真というイメージを、その被写体(現実の対象)に依拠することなく、あるいは現実の対象に還元することなく、一つの自律したイメージとして提示するようになったということだろうか。現実対象とイメージの明確な分離。観る側からの立場で言えば、写真家が何をどのように撮ったか(写真家の現実的経験)をとりあえず捨象し、まずは眼の前にある写真(イメージ)と対峙するということだろうか。

-写真を観る側はいずれにしても、眼の前にある一つのイメージを見るのであって、そこが出発点ではないのか。バルトが写真を語る上で出発点とした現象学的な態度のように。

-確かにその通りなのだが、バルトの現象学的な態度とは言うまでもなく、文字通りに写真という一つのイメージに対峙することなのであって、まずは眼の前のイメージを何ものにも還元しないということであろう。まあ、話の先を急がずに、フリードの問題提起(?)を受けて、デジタル以降の写真、あるいは現代写真について考えてみようではないか。その考察の基本的な図式とは以下のようなものだ。「被写体(現実の対象)-カメラアイ」「被写体-カメラアイ-撮る主体」「被写体-カメラアイ-撮る主体-メディア〔=写真が流通する媒体〕」「被写体-カメラアイ-撮る主体-観る主体」。つまり、写真というイメージを生成し、流通させ、(観る側が)享受するという、一連の関係項から写真(イメージの生産)を考察してみようというものである。生成(生産)、流通(ここには当然ながら、各種のメディアのみならず、批評家やキュレーターの存在も含まれる)、消費。ここで考察してみたいと思うのは、一連の関係項のどの関係性を重視するのか(あるいは制作の動機になっているのか)によって、写真(イメージ)が異なってくるのではないかという仮説である。

-写真作品における動機の文法を探るということか?

-(無視しながら)さらに言えば、いずれの関係項を重視するかによって、見えるものと見えないもの(見せないもの)のエコノミー、つまり選択(可視性の可能性)と排除(不可視性の制限)の配分法則があらわになるのではないかという隠れた意図もある。もう一つ付け加えておけば、デジタル以降の写真(あるいは現代写真)を流通、消費という関係項を重視、あるいは関係項自体をテーマとして生成された写真(イメージ)ととらえてみたいということだ。そしてそれらの写真(イメージ)を「メタ写真」と呼べるのではないかと。

-しかし、従来の写真家だって、自ら見たもの、経験したものを誰かに見せることを前提にしてきたんじゃないのか? 見る側だって、目の前にあるイメージ(写真)を出発点として、写真家が何をどのように撮ったのかをたどっていったわけだし……。

-その場合、写真家は最終的に何を見せようとしたのか、あるいは見る側は何を見ようとしたのだろうか。写真家が見せようとしたもの、見る側が見ようとしたものをとりあえずここでは、現実の対象化されたものと呼べば、現実の対象化されたもの(=イメージ)を被写体(現実の対象)に還元し、現実の在り様(事物の状態)を見せようとしてきた、あるいは見ようとしてきたのではないか?さらに今、君は「見たもの」と「経験したもの」を分けて言っているけど、そこには大きな違いがあるのではないか?

-これまでの写真は、写真家が見た、経験した、解釈した“現実”を記録し、見る側に伝えることに重点が置かれていたように思えるね。つまり、写真家は見たものを、あるいは経験を、見る側は写真(あるいは写真家)を介して、その現実を、写真家の経験を追体験することを強いられてきたということかな?確かに、写真家が「見たもの」と「経験したもの」は異なる。それがあなたのおっしゃる「被写体(現実の対象)-カメラアイ」と「被写体-カメラアイ-撮る主体」という二つの関係図式か?

-そこで問題なのは、写真を見る側は写真(カメラアイ)によって対象化されたもの(=イメージ)をつねに〈現実〉に還元してきたということだ。いわば、直接話法による視覚的イメージの伝達と言えるだろう。そこでの現実とイメージ(写真)の基本的な関係図式は、現実とイメージが一対一の対応関係にあるということだろう。

-そこにいかなる問題があるのか?

-おそらく、現実・写真家の(カメラを介して写真家が知覚した)経験・写真(イメージ)という関係構造は、さらに次のように細分化できるだろう。現実(不可視の、現実それ自体)・裸眼(あるいは人間の自然的知覚)によってとらえられた現実・写真家の経験・写真(イメージ)と。この関係において、最も素朴なあり方は、現実・裸眼による現実・写真家の経験・写真のすべての項を等式で結び、それらをすべて〈現実〉という名の下に統括するという姿勢ではなかろうか。もっと正確に言えば、現実と写真が直接つながり、その間の関係項を捨象してしまうあり方だ。いわゆる写真(イメージ)の透明性の問題。

-今時、そんなあり方を信じている人はいないだろう。写真の〈記録〉というイデオロギー。

-君はそう言うけど、意外にわれわれの中に根強く残っている姿勢ではないか。写真を消費する日常的経験を振り返ってみればおのずと明らかなことだ。証拠としての写真、証言としての写真、証明として写真・・・・。しかし問題は、だから写真は虚偽であり、虚構であるとして告発・断罪することではない。実際、われわれの社会のなかで、写真が証拠として、視覚的証言として、出来事あるいは観察の証明として機能しているのは明らかだし、その理由もあるはずだ。科学というものがある限定された領域の中で意味をなすように、証拠・証明・証言としの写真もまた決して無意味なものではない。この写真における部分(断片)と全体の関係、あるいはイメージと画面外の関係についてはあらためて語ってみたいと思う。ここで考えてみたいのは、現実、裸眼による現実、写真家の経験、写真(イメージ)という各項のズレに対して、写真家、あるいは見る側がどのような反応、対応をしてきたか、あるいはそれらのズレをどのようなに考え、制作(撮ること)のモチーフにしてきたのか。そして、そのズレを解消するために、どの項を最終的な審級-最終的な裁き手、裁判官にしたか。重層的決定における最終的審判官は何か。それが問題となるだろう。まずは上記の項をとりあえず、現実、裸眼(自然的知覚)、カメラアイ、イメージ(写真)という呼び方で話を進めてみたい。

-何だか、アルチュセールを想起させるね(笑)。

-最も素朴な写真に対する考え方、とらえ方は、先に言ったように、現実とイメージを直結させてしまう姿勢だ。このイメージの透明性は、たとえばバルトが「写真は被写体が密着している」と語ったことだし、写真を見ることの困難さにもつながっている。つまり、われわれは写真というイメージではなく、被写体(現実)を見てしまうということだ。撮る側もまた、それを最大の関心事にしてきた。

-イメージを現実と混同してしまうというわけだ。

-何度も言って申し訳ないが、だからといって、写真というイメージの透明性を告発し、断罪することに問題があるわけではない。写真というイメージの透明性は写真の重要な特質としてとらえておかなければならないだろう。問題は写真というイメージの透明とは何かということだ。現実とイメージの間に、カメラという存在があることを意識し、そこにこそ写真の本質があることを本格的に論じていったのがベンヤミンではなかったろうか。つまり、裸眼とカメラアイのズレ、違い(差異)。そのズレをどうとらえるか。

-カメラアイ(=機械の眼)という概念は、写真にだけではなく、文学や美術、芸術一般に大きな影響を与えてきたものだよね。例えば、ドス・パソスの小説とか。

-歴史を俯瞰的に眺めれば、写真の発明というのは、近代科学革命の延長上にあることになるだろう。ドゥルーズが指摘するように、現実の運動を特権的な瞬間に連関させるのではなく、任意の瞬間に連関させること。軌道と時間の関係を規定するケプラーの近代天文学、物体の通過する距離と落下する時間を関係させるガリレオの近代物理学、動く直線の任意の瞬間における位置を求めるデカルトの近代幾何学等々。いわば運動の図式化の延長上に、光の痕跡=外観の輪郭を定着する写真もあるわけだ。表象からイメージへ、イデアからイメージへ。

-とすると、ベンヤミンは写真のなかに改めて近代的思考を再確認し、そこに何らかの可能性を認めたということか?

-裸眼との違い、あるいは絵画(従来の知覚形式)との違いをカメラアイの中に認めることで、その違いが与えるさまざまな影響を測定したということだろう。「アエラ」「展示的価値」「非人間的風景」等々、ベンヤミンの周知の概念は、裸眼や絵画あるいは表象とカメラアイとの知覚的差異、感覚的差異、認識論的差異等々を考察することでもたらされたものであろう。

-当時の芸術に対する考え方からすれば、カメラアイと絵画や表象が異なるからこそ、写真は芸術たりえないと見なされていたわけだ。写真にはイデアによる総合的な把握が存在しないと。

-しかし他方で、だからこそベンヤミンは写真に可能性を認めるわけだ。可能性というよりも、現実に対する感覚・知覚・認識の違いを。例えば、ベンヤミンは写真を撮る主体あるいは写真家という関係項をあまり重要視しない。ベンヤミンは、現実と裸眼(あるいは絵画的知覚)、現実とカメラアイという項の関係に焦点をあてて写真をとらえる。いやむしろ、撮る主体、あるいはイメージを生成する主体の不在にこそ、写真の特性を見ていると言えるだろう。アジェの写真にベンヤミンが見出すイメージの特性とは、その非人間的な風景だ。人間の存在、いわば見る主体の不在において存在する風景。世界は世界として存在するということだ。たとえば、アンドレ・バザンも「写真イメージの存在論」のなかで、写真というイメージを人間を締め出したメカニックな再現ととらえ、そこにこそ写真の本質を見ている。

-裸眼によってとらえられる現実、あるいは言葉や絵画的知覚によってとらえられる現実とカメラアイとの相違。そのズレに、ベンヤミンは写真の特性を見出したわけだ。と同時に芸術と文化の変質を。

-われわれがベンヤミンから読み取るべきポイントは、撮る主体の不在、表現する主体の不在という点だろう。ベンヤミンが初期写真からやがて写真は人間化されてしまう、と述べたのは撮る主体が前景化してくるということではないだろうか。ということは、ベンヤミンにあっては写真家(撮る主体)の経験は問題の俎上に挙がっていないということだ。

-主体の不在、そこにはどんな意味があるのか。

-当然ながら、裸眼や言葉、絵画的知覚を相対化するという意味があるだろう。けっきょく、報道写真やモダニズム写真というのは、このカメラアイの特性に重点を置くことで、写真表現を深化させていったように思える。スティーグリッツらに始まるストレートフォトにその典型が見出せるように、カメラアイという写真的知覚を純粋化し、いわば純粋視覚ともよぶべきものを追求したと言える。この姿勢はモダニズム美術における視覚的イリュージョンの自律化、純粋化に対応する。実際、スティーグリッツは当時のモダニズム美術(ヨーロッパ美術)の良き理解者であり、アメリカへの紹介者でもあった。

-裸眼(あるいは絵画的知覚)との差異を強調していくことで、写真(カメラアイ)に純粋な視覚を求めていったということか。それは写真というイメージの透明性をより純化させていくということではないのか。その写真というイメージの透明性こそが客観的イメージと呼ばれてきた所以なのか。そこで報道写真と交差するわけか。

-しかし、重要なことは写真というイメージの透明性(直接性)は、決して裸眼の透明性ではないということだ。写真というイメージの透明性と裸眼の透明性を混同してしまうところに、報道写真の、つまり現実=写真イメージとの混同がある。

-報道写真といわゆるモダニズム写真とはどう異なるのか、あるいはどう共通点があるのか。

-報道写真が現実とイメージを混同した(記録としての写真)とすれば、モダニズム写真は裸眼を超克しようとした。つまり、モダニズム写真はカメラアイにある種の曇りのない眼を見出したわけだ。共通する姿勢と言えば、裸眼が間違った知覚で、カメラアイがより現実に近く、正しい知覚という捉え方だろう。主観的知覚=裸眼と客観的知覚=写真。もちろん、ベンヤミンも、裸眼に対してカメラアイが正しい知覚と言っているわけではない。当然ながら、カメラアイの危険性にも自覚的だったし、その両義性を強く意識していた。それでも、ベルグソンのように、裸眼も、写真的知覚も、共に錯覚なのだという明確な認識はなかったように思える。もちろん、であるがゆえに、ベルグソンは写真や映画に批判的だったわけだが。

-カメラアイの危険性というのは、写真の透明性を現実と写真(イメージ)を同一のものとしてとらえてしまうことか?

-写真というイメージの透明性とは決して現実が透明に見えることではない。先に引用した「写真イメージの存在論」のなかで、アンドレ・バザンは「すべてのイメージは事物として、すべての事物はイメージとして感じとられなければならない」と語っているが、ここで言う事物とは文字通りのものであって、裸眼のとらえた事物ではない。写真の透明性とはカメラアイ、機械の眼がとらえた透明性なのであって、ここを混同してきたことが、例えば写真史における「記録と表現」というアポリアを生み出したと言えないか。

-捏造されたアポリアというわけか?(笑)しかし、いわゆるモダニズム写真(ストレートフォト)は、報道写真とは異なりカメラアイがとらえた現実にこそ、写真というイメージの透明性を求めてきたのではないか?

-確かに。写真史における記録派も表現派(モダニズム系芸術写真)もともに、写真の透明性を表現モチーフの一つとしたことは明らかだろう。記録派が写真による透明性を現実=イメージという透明に求めたとすれば、表現派はカメラアイによる現実の透明性に求めた。カメラアイによる現実とはいわゆる事物のことだ。記録派が裸眼とカメラアイの一致を求めた(知覚レベルでは。しかし、その視覚的伝達性に時間・空間を越えるものとしての大きな可能性を見た)とすれば、表現派は裸眼の超克を求めたと言えるだろう。人間を超える眼-そこに崇高さを投影することになるだろう。

-ロスコーやニューマンのように?

-確かに。しかし、問題は現実という透明性とカメラアイの透明性である。この二つの透明性は、実は写真がもつ二つの機能なのであって、どちらにも還元できないものなのではないか。例えば、われわれが一枚の写真を見る場合、現実の外観を光学-化学プロセスによって直接転写したものであるがゆえに-つまり、その物質的痕跡であるがゆえに、写真に転写されたイメージを被写体に-つまり現実の事象に還元してしまう。「写っているものは、何々である」と。いわゆる写真における現実の指示的機能だ。他方で、写真は現実の事象から、写真家が何かを分離・区別する表現的な機能もある。光学的な手段を中心とした描写的機能だ。この写真がもつ現実の指示的機能と描写的機能とは、現実という透明性とカメラアイという透明性に置き換えることができるだろう。

-それはけっきょく、記録と表現、現実とフィクション、あるいは自然と文化という、相変わらずの写真をめぐる二分法ではないのか?

途中ではあるが、無駄なことを書いていることに気づいた。
あらためて、Metaphoto-graphyca論として再開しようと思う。

インターバル

2010年10月27日 | Weblog
現在、「メタフォトグラフィ論」を改訂中。そこで、一つの間奏曲めいたものを。

グリーンバーグは初期のエッセー「アヴァンギャルドとキチュ」の冒頭で、エリオットの詩とティン・パン小路の歌、あるいはブラックの絵画と「サタダー・イヴニング・ポスト」誌の表紙絵を比較・併置し、同じ文明・社会からまったく異なる表現が生まれることの問いを提示している。この表現の不一致が生まれる背景には何があるのかと。この問いは現在でも有効であろう。いやむしろ、現在こそこの問いを考究する必要があるのではなかろうか。グリーンバーグの比較をファインアートとサブカルチャーに置き換えてもいい。もちろん、その優劣関係を隠して対立的な見方をすること自体が問題なのだという反論もあるだろう。いずれも同列に並べ観ることが重要なのだと指摘する向きもあるだろう。しかしむしろ、その区別(実際に作品自体を区別できるかどうかは別にして)こそを問題にすべきではなかろうか。つまり、ファインアートを志向する動機とサブカルチャーを志向する動機を区別すること(もちろん、その動機は作品から推測・類推する動機ではあるが)。このエッセーには、「真の芸術」とか、「真性の文化」という言葉が繰り返し語られるので、グリーンバーグのいわゆる本質主義、還元主義に反感を覚える人も多いだろう。しかし、このエッセーは現在だからこそ、読むに値するものではなかろうか。

コーカス・レース

2010年07月22日 | Weblog
今夏はフィードラー、ヒルデブラント、リーグル、ヴェルフリンの再読に費やしている。19世紀末から20世紀初頭にかけての「様式史」の著作を読むことは、写真というイメージを考察する上でも必定なことのように思える。それにしても、暑さがこたえる。

フリードのバルト論(あるいはプンクトゥム論)の結論とは、「『明るい部屋』において明らかになったのは、徹底して反演劇的な写真の「美学」を構築することは不可能だということである。」。しかし、であるがゆえに、バルトは「写真(これをアナログ写真と呼ぼう)という産物に固有の演劇的な性質」を十分に認識していたということだ。フリードに従えば、まさにデジタル化以降の写真こそが「反演劇性」を実現することになるだろう。ということは、フリードにとっての写真というイメージは、観者の存在を絶対的条件とする19世紀以降のイメージのあり方の典型なのである。写真(アナログ写真)とはつねに見る側の存在(観者)を前提とするイメージなのである(つまり、演劇的なイメージということ)。そうとらえると、フリードの写真論はひじょうに納得できるものだ。

「雰囲気というもの(私は真実の表現をやむをえずこのように呼ぶ)は、自己同一性の、いわば手に負えない代理・補完物である」「雰囲気とは、このように、肉体についてまわる光り輝く影なのだ」「写真家が生命を与えるのは、雰囲気というこの微妙なへその緒を通してなのである」(バルト『明るい部屋』花輪光訳)。ここでバルトが語る「雰囲気」とは光が作り出すものでなくして何であろうか。『明るい部屋』の前半(Ⅰ)で、あれほど写真のイメージ性を批判し、「せめて「写真」が、中立的な、解剖学的な肉体、何も意味しない肉体を与えてくれたらよいのだが!」と語っていたはずなのに……。ここでわれわれは写真におけるイメージ(光が作り出すもの)の二つの機能を峻別しなければならない。写真を「イメージと実在性」という二項的対立ではなく、「イメージ」そのものを二項対立化しなければならないのだ。「嘘のイメージ」と「真のイメージ」とに。

写真に即物性や記録性を求めた写真家たちは、いわゆるフォトジェニック(光が作り出すものという意味で-フォトジェニー)的なものを拒否し、写真の固有性をインデックス性(痕跡としての記号)としての「存在者の実在性」に求めた。たとえば、バルトの『明るい部屋』前半における「プンクトゥム」も、その文脈に沿って、フォトジェニックなもの=文化コード=ストゥデイウムととらえ、そのストゥデイウムを脅かすものとして「プンクトゥム」を定義している(前半の「プンクトゥム」は写真家の意図を逃れたもの=無媒介性。そもそもこれは、写真は芸術ではない、成りえないという言説の反復以外の何ものでもない。シュールリアリズムの誤解と失敗)。しかし、後半における「プンクトゥム」はまったく異なってくる。たとえば、後半で語られる「雰囲気」とは何か(「写真家が生命を与えるのは、雰囲気というこの微妙なへその緒を通してなのである」)。この「雰囲気」を作り出すものこそ、フォトジェニックなものでなくて何であろうか(ルイ・デリュック「フォトジェニー」を参照)。したがって、問題なのはインデックス性とフォトジェニックの関係なのである。フォトジェニックな対象をインデックス性によって自然化するのか、反対にインデックス性の対象をフォトジェニック性によって人工(人為)化するのか。これはまさに「存在者」と「存在論」の違いである。

遅ればせながらフリードの「ロラン・バルトのプンクトゥム」(pgp.no6掲載・城丸美香訳)を読む。バルトのプンクトゥムに関する前半と後半の違いいついて、あまり明確に語ってはいないことに不満。とりわけ、「ポーズ」や「対面性」をプンクトゥムに結びつけ、そこに「反演劇性」を見る論理の展開には首肯できない。が、それでも写真における「ポーズ」に「反演劇性」を見ていくフリードの視点はさすが、というか興味を惹かれる。通常、「ポーズ」とは特権的な瞬間であり、イデア的な綜合による現実の把握の方法である。しかし、写真家によって要求されたポーズと被写体が自ら選択するポーズにはいかなる差異があるのか。おそらく、初期写真の肖像写真においては、写真家と写される側には共通のポーズ意識(階級意識)があった(しかし、未開発人や非ヨーロッパ人、あるいは病者や医学的患者を撮影した人物には、明らかにその齟齬がある)。しかし、現代のポートレート写真において、カメラに撮られることを意識した被写体(人物)の「ポーズ」とはどのようなものなのか。それにしても、フリードが写真における「ポーズ=対面性」に関心を抱くということは、改めて理念的芸術(表現)の奪還(裏を返せば、写真という実証主義=記録主義への批判。あるいはスナップ写真の終焉-笑)を意図しているように思える。

コーカス・レース

2010年07月01日 | Weblog
グリーンバーグを再再読。モダニズム絵画は何故に「穴を穿つ」こと(三次元的イリュージョン)を拒んだのか、あるいは異なる方法での三次元的イリュージョンを求めたのか。芸術=表現とは優れて人工的なものである。芸術と現実(あるいは自然的知覚)との関係において、何ゆえに改めて現実を再現(あるいは模写)しなければならないのか(イリュージョン化しなければならないのか)。写真というイメージとはけっきょくルネサンス絵画の代替物として「穴を穿つ」ことに汲々としてきたのだろうか。写真において「記録主義」を唱えた写真家たちは、意識を介さない無媒介性(脱・イリュージョン)を写真に求めたのであろうが、写された現実がすでにして記号化(イリュージョン化)された現実であったとしたらどうなのだろうか。そのことをいち早く自覚していた写真家がウィリアム・クラインかもしれない(記号化されたアメリカ社会を写しだすこと)。方法的な次元では、いわゆる非・中心化された知覚として具現化されている。下記にも記したが「どこか街の一箇所を写した写真は現実を写したことになるのか」という疑問につながることである。いったい、われわれ(人類)が芸術として何かを表現するということはどういうことなのか。けっきょくはその問いに帰着するのかもしれない。もちろん、その方法や形式は時代や場所(土地)、社会と深く関わっているわけだが。グリーンバーグは人類が何かのイリュージョンを作り出すことの意義を決して手放すことはないし、そこにこそ芸術作品の最大の価値を見出している。エジプト美術において、視覚的イリュージョンを作り出すことは、死への抵抗であったことはよく知られた事実だ(精神の抵抗=平面性、幾何学性等々)。では何故、ギリシア美術は自然との親縁性を求めたのか、あるいは求めざるを得なかったのか(その帰結が三次元的・彫刻的イリュージョン=陰影法と肉付法の発明)。そしてさらにギリシア・ローマ美術からビザンチン美術への移行(三次元的イリュージョンから平面的・装飾的イリュージョンへ)。そして再びルネサンス的三次元イリュージョンへ。さらにはルネサンス美術からモダニズムへ(三次元から平面、あるいは図解へ)。この一連の形式的変化、あるいは反復は何を物語っているのか。西洋における視覚芸術の大きな流れに沿って、写真というイメージをとらえると、写真は一般的にルネサンス美術の代替物として機能してきたことが分かる(もちろん、言うまでもなくモダニズム写真はその抵抗を含んでいることもまた事実だが)。60年代後半、あるいは70年代以降の「アート・フォトグラフィ」はまさに、このことの自覚でなくて何であろうか。であるがゆえに、写真を経た絵画に絵画化される写真という問題が浮上してくるのだ。したがって、デジタル化以降の写真を、いわゆる「絵画化された写真」ととらえることは誤りであり、というよりも「絵画化」の「絵画性」を写真以前の絵画ととらえては大きな誤りを犯すことになる。デジタル写真を「偽のイメージ」ととらえることは、写真以前の絵画に即して、デジタル写真をとらえているにすぎないし、あまりにも安易なことだ。

フリードの『芸術と客体性』を読む限り、ミニマリズム(ドナルド・ジャッド)は、ドゥルーズが言う「総体(ensomble)」と「全体(tout)」の二つの「全体性」を区別できなかったように思える。多くの写真家と同様に(笑)。表面の組織化という観点から、全体と諸部分(絵画の、あるいは写真におけるフレーミングされた画面)の関係を考察してみること。

「リテラリズムの芸術の経験は、ある状況における客体の経験である。」(フリード『芸術と客体性』批評空間「モダニズムのハード・コア」所収・川田都樹子他訳)。

ここでフリードが批判する「ある状況における客体の経験」とはまさに、撮ることを特権化した「生きた経験」としての写真でなくて何であろうか(笑)。

「一片の木目模様の壁紙はいかなる定義をもってしても、それを真似て描いたものよりも「現実的」であったり、あるいはより自然に近いということはない。」(グリーンバーグ「コラージュ」『グリーンバーグ批評選集』所収・藤枝晃雄編訳)

例えば、一枚の壁紙を写した写真は、現実を写したことになるのか。さらに敷衍して、どこかの街の一箇所を写した写真は、現実を写したことになるのか。この場合の“現実”とは何か。

フリードの「反演劇性」の概念は、ドゥルーズがそのフランシス・ベーコン論で論じている「象形化(図解的・物語的-フリードの演劇性)」を免れる二つの方法-「抽象的形態」と「形体(figure)」の後者と関連があるような気がする。フリードもまたモダニズム美術におけるグリーンバーグの道を間違っていたと明言している。つまりは前者(=抽象的形態)の道だ。フリードが18世紀のディドロや19世紀のクールベ、マネの研究に遡っていったのは、「抽象的形態」とは異なる「反象形化(反演劇性)」の起源を探るためであったように思える(それを抽象に対する具象という対立概念であってはならない。とはいえ、フリードが関心を寄せているのはある種のリアリズムであることは間違いない)。グリーンバーグ的なモダニズムの理念-純粋視覚等々を維持しながら、しかしグリーンバーグ(抽象的形態)とは異なる方法を探ること。それがフリードの意図であろう。それにしたがえば、フリードが写真を語るのはある意味、必然であったと言えるかもしれない。けっきょく、フリードの本作(『なぜ写真はいま・・・』)を読んでいないにも関わらず、そのインタビューに大いなる関心を覚えたかと言えば、われわれが考えてきた写真(あるいは写真への見直し)を論じるうえで非常に示唆的な言説にあふれているからだ。

興味深いのはフリードの『なぜ写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』のなかで取り上げられている、「反演劇性」と呼ばれる多くの現代写真家の作品が、従来なら「演劇的な写真」と呼ばれるような写真であることだ(読んでいないので、あくまでも本書の紹介からでしかないのだが・・・)。ここでも、フリードの「没入」と「演劇性」の概念が特異であることが理解できるし、「演劇性」をどう理解するかがフリード読解のキーともなるだろう。われわれの立場から言えば、これまでの写真における記録性や表現性、あるいは構築性や演出性といった概念を無効にする契機となる気がする。きわめて大胆な発言をすれば、もはや写真と絵画を異なるものとして記述する必要がなくなるだろう(笑)。だからといって、写真が絵画化されたなどと間違ってもとらえてはならない(’とりわけデジタル時代において)。むしろ、写真化された絵画に絵画化された現代の写真、つまり写真の写真化ということだ(笑)。

同じpgp掲載の林道郎の「覚書」を読む。基本的には、フリードの「没入」に関しては下記に書いたような理解でいいようだ。一つ、感想を記せば、バルトの「ストゥデイウム」と「プンクトゥム」に関しての下りである。林道郎によれば、「ストゥデイウム」とは意味であり、意図であり、演劇的なものである。他方の「プンクトゥム」は「演劇的効果を超えて、観者を撃つ」「存在の過剰」である。意味(演劇性)と存在(反演劇性)。フリードも言うまでもなく、バルトの「プンクトゥム」に「反演劇性」を見る。しかし、意味の自律性を唱えるフリードにとっては、先の「意味」と「存在」から言えば矛盾することになりはしないか。林氏ももちろん、同じ指摘をしている。ここからは私見だが、バルトの「プンクトゥム」(『明るい部屋』の前半部分の)は「存在」の過剰ではなく、「存在物」の過剰ではないか。つまり、即物的な存在に過ぎないということである。『明るい部屋』の後半に至って、「時間のプンクトゥム」によって初めて「存在」の過剰を語ることが可能になる。おそらく、フリードの言う「自律した意味の世界」とは、存在論的な場から立ち上がるものなのではないか。実際、デマンドの試みとはそのようなものではないか。バルトの「プンクトゥム」を「存在物(痕跡)の過剰」と「存在の過剰」の二面からとらえてみること。そうすることで、フリードの「没入」と「演劇性」の対立がよく見えてくくるような気がする。

フリードが言う「没入」とはイメージ(イリュージョン)の自律性のことなのだろうか。つまり、描かれる側・写される側が見られることを忘れ、演じること・写されることに没入することは、観者(イメージを見る側)とは無関係に、ある一つのイメージ(イリュージョン)を自律させることになる、ということなのだろうか。その場合、観者(イメージを見る側)にとって、現前するイメージは切り離(隔絶)されてあることになる。これは常々われわれが言ってきた、ジャン・リュック=ナンシーの言う「イメージの区別・分離する機能」ということではないのか。

それにしても、フリードのインタビューで一番、印象に残った下りといえば、「「…私にとって、「なぜ」という問い-意味、意図、動機に関する問い-は私自身が解決すべきことですから。それこそが私の仕事であり、楽しみなのです。それこそが取組み全体を批評的に意味あるものに変えるわけですし、それこそがこのようなことを行う喜びなのです。」。“芸術作品”という存在物の「意味・意図・動機」を探ること。それこそが“芸術作品”について書くことの喜びなのだ!

pgp掲載のフリードのインタビューを読了。読後の感想を一言言えば、早く誰か『なぜ写真はいま、かつてないほど美術として重要なのか』を翻訳してほしい。原書を読むほどの英語力も時間もない(笑)。それでもいくつか興味深い用語(概念)-たとえば、「被視性(to-be-seenness)」とか、「隔離世界性(world-apartness)」とか-や言葉に出会った。しかしやはり、フリードにおける「演劇性」とは何を意味するのかを理解することが最も肝要だろう。それはもちろん、『芸術と客体性』以来の論点なのだが。一般に「演劇性」という言葉からわれわれが受け取る概念は、「ドラマ性(事件、出来事の状況的な把握)」とか、あるいは一つの事件なり、出来事を再構成する方法がイデア的な綜合によるものという理解ではなかろうか。しかし、フリードは「演劇性」を「客体性」とか、「即物性」とか、いわばリテラルなものとしてとらえている。このことを理解するためにはおそらく、演劇がもつ視覚的形式-主体と客体という構図を考えなければならないだろう。つまり、フリードの「演劇性」とは、ハイデッガーが『世界像の時代』で論じた近代的視覚形式-存在物を対象化し(計算可能なものとして)、世界を像として征服することーと関連しているにちがいない。ひじょうに極論を言えば、「アート・フォトグラフィー」以前(おおまかに言えば1970年以前か?)の写真はすべて「演劇的」であったというわけだ。われわれ流に言えば、写真が「記録」という幻影にとりつかれてきたことによるものだ。実はフリードが、「アート・フォトグラフィー」以前の写真においては、写真と観者の関係ではなく、被写体(モデル)と写真家の関係が重要視されていたと語るときも、上記の問題との深い関わりがある。われわれ流に言えば、写真の直接話法的な理解が優位を占めていたということだ(フリードが論じる「アート・フォトグラフィー」とは、間接話法あるいは自由間接話法的写真の使用法なのだ)。もう一つ、面白かったのは、ウォルター・ベン・マイケルズが論じたバルトのプンクトゥムについて。「プンクトゥムは意図的であることを避けているおかげで、必然的に即物性の側に、つまり、ほとんど演劇性の側に味方してしまう」(これはわれわれがずっと主張してきたことだ!)と、マイケルズは主張する。それに対して、フリードは賛同しながらも、バルトはやはり「反演劇的な理論家」だと言っている。ただしそれは『明るい部屋』の後半-「時間のプンクトゥム」を見出してからにちがいない。「没入」という概念についても、少々、誤解していた面があった。フリードの「没入」とは、被写体(写されるもの)の没入性なのであって、観者の没入性ではない。写される側の没入性=被視性でもあるわけだ。インタビュアー(甲斐義明氏)の質問-「被視性はほとんど演劇性に接近するわけですから…」に対して、フリードは「それはほとんど、演劇性の良い形のようなものです」と答え、ディドロを引き合いに出しながら、被写体写される側)が没入すればするほど、観者の眼が釘付けになると語っている(シャルダンの絵画がまさにそれだ)。つまり、観者が没入状態に入るということだ。それこそが演劇という形式、方法ではないかと、われわれは以前の清水穣についてのブログで言ったわけだが…。いずれにしても、われわれは観者の没入性について論じる必要があるだろう。とまあ、さすがにフリードの写真論は語るに値するものだ。ぜひ、本作を読んでみたいというのが結論。これから、同じくpgp掲載の林道郎「・・・覚書」も読んでみよう。もう少し、フリードへの理解が深まるかもしれない。

pgが発行する雑誌に掲載されたフリードのインタビューをちらっと読む。以前、清水穣の中平卓馬論の「没入」と「演劇性」について感想を述べたが、清水穣の論はどうもフリードに依拠したもののようだ。フリードにおいては、「没入」と「演劇性」が対立概念として扱われている(清水穣も同様に)。つまり、「没入」による「演劇性」の打破にその主眼が置かれているようだ。しかし、以前にも書いたように、一般的に言えば、「没入」と「演劇性」は対立する概念ではない。ならば何故に、フリードは「没入」を「演劇性」と対立する概念として措定できるのか。どうもこれは、ハイデッガーの存在論を下敷きにしているように思える。「没入」がもたらす「存在の経験」へのつながりである。しかし、「没入」を単に「反演劇性」ととらえてしまっては、「没入」がもつ危険性を取り逃がしてしまうことになる。ここはきちんとハイデッガーの存在論を踏まえなければならない。

近代技術の本質が「自然のエネルギーを調達(挑発)し、貯蔵すること」(ハイデッカー)にあるとすれば、インターネットはまさに情報(知)を挑発し、ストックすることにある。いわば「知-情報の用立て」の枠内にあるわけだ(写真という映像もまた、視覚情報の調達・貯蔵という近代技術の範疇にあるだろう)。しかし他方で、インターネットはライブ+フローも含んでいる。ライブ+フローとは、ハイデッカーに従えば、農夫における耕作道具のようなものである。ライブ+フローには成長を見守るという行為が含まれている(このライブ+フローは、インターネット時代にあって、ライブや現実空間における展示に関心が集まる要因でもあるだろう)。近代技術の調達(挑発)とは異なることになる。とすれば、現代の情報技術とは近代以前と近代の二つの技術的側面があると言うことか。そこで考えなければならないのは、ハイデッカーの言う「用立て」あるいは「用象」の概念である。「用立て」によって「集立」する技術。現代における「用立て」とは何か。(いずれの語彙もハイデッカーの『技術への問い』関口浩訳・平凡社を参照のこと)

「写真とはけっきょく絵画に属するものである」という仮説を立ててみる。静止画という唯一の共通点を根拠として。これまで写真によって生産・制作されてきたイメージは、すべて絵画がやってきたことの反復ではないか。もちろん、形式という次元においてだが。

『時の宙づり』(IZU PHOTO MUSEUMで行われた「時の宙づり-生と死のあわいで」展の関連本)を読む。ジェフリー・バッチェン、甲斐嘉明、小原真史らの論考が掲載されている。これらの論考にはいろいろと反論が可能な気がする(バッチェンも含め)。たとえば、甲斐義明の「スナップ写真の影」については、あまりにも写真というイメージに対する認識が甘すぎるように思える。「スナップ写真はまず何よりも連続的な映像として存在する」というのが結論(笑)。確かに、写真は「スナップ写真」において、絵画的視覚の模倣から離脱して、写真本来の機能を獲得したと言える。それは写真というイメージが「任意の瞬間」であることの自覚である。とすれば、一枚の(あるいは複数の)写真が連続性(全体)とどのような接続をしているかが問題なのである。素人写真とアート写真(とりあえずそう呼べば)の区別はそこにあるのだ。正直、フリードランダーら70年代に登場してくる写真家たちの写真の真価を正しく評価し切れていないように思える。

ヴァナキュラー写真とは、写真がそれぞれの土地の過去の文化コードによって取り込まれ、領土化されたものと言えるだろう。その面白さ-視覚文化の交差、変容等々は確かにある。しかし、そこに写真の本質があるというのは言いすぎである。モダニズム写真が取り逃がしてしまった、写真の潜在的機能が潜んでいるかもしれないにしても。

なぜ、いま、初期写真におけるピクトリアリズム(絵画主義)が注目されるのか?たとえば、オスカー・G・レイランダーやヘンリー・P・ロビンソン。これまでピクトリアリズム写真は、絵画的イメージを模倣したものであり、写真本来のイメージを見出していないとして、とりわけモダニズム写真によって否定されてきた。しかし、いま、写真のデジタル化の時代にあって、絵画的視覚と写真的視覚の境界にある、そのどちらにも回収されることのない曖昧な視覚イメージが、デジタル写真を考える上での、一つの参照足りえているのかもしれない。

ここ1年ばかり、写真(というイメージ)の使用法という観点から、写真というイメージを考えている。ハイデッカー的に言えば、写真の、その用具的存在性を問うことである。その具体的な試み-Clinicな試みとして、「現代写真の使用便覧」というのをやってみたいと思っている。ようするに、現代写真がどのような使われた方をしているかを探ること。もちろん、現代写真というのはあくまでも、表現行為の一環として写真を使おうとしている写真の領域に絞られるわけだが。当然、現在における写真の一般的な使われ方との関連を考慮しないわけにはいかない。とりあえず、2000年以降に発行された日本の写真集に限定しながら-アトランダムに写真集を取り上げながら、そのClinicな試みをしてみたいと思っている。

旧聞に属して恐縮だが、たまたま河出書房新社発行の『中平卓馬-来るべき写真家』所収の清水穣の論考「中平卓馬の「日々」」を改めて読んでみたのだが、ここで清水穣が展開する「アブソープション(没入)」と「シアトリカリティ(演劇性)」の区別にどうも納得がいかない。そもそも「没入」と「演劇性」は並列的なものとして区別できるものなのか(もともと次元の異なる概念なのだから、その相違を語ることに意味がない)。「没入」が効果の結果だとすれば、「演劇性」とは効果の方法ではないのか。つまり、「没入」という効果を生み出すための方法の一つが「演劇性」ではないのか。フレームを忘れさせるために(没入させるために)演劇的な方法が必要となるのだ。「演劇性」におけるフレーム(枠)とは、イメージを自律させるためのフレームであり(つまり、イリュージョンを自律させるためであり)、区別・分離を強調させるためのものではない。「没入」によって「被写体を通常の人間的現実から分離し、真にリアルな現実へ」導くためには、むしろ「演劇性」を回避する必要があるのではないのか(フリードを参照)。分離・区別する力としてのイメージを「演劇性」から遠ざけることこそが近現代美術おける最良の試みであり、挑戦ではなかったか。中平卓馬における「なぜ、植物図鑑か」以降における写真の試みはむしろ、「没入」から「演劇性」を引き剥がし、「没入」という近代的経験をハイデッガー的な存在の経験につなげたことにあるのではないだろうか(「演劇性」とは異なる分離・区別の方法)。

Web版ART it(http://www.art-it.asia/u/admin_columns)に連載している田中功起の公開書簡のなかで、田中功起は「芸術作品」に対して以下のような分類をしている。

・作り手の視点から
1) 「見せる」ことを「作る」ことに優先する 
展覧会(時間空間的に限定された一回かぎりのもの)というフォーマットから帰納的にできあがった作品 インスタレーション パフォーマンス リレーショナル・アート

2)「作る」ことを「見せる」ことに優先する 
作品の成立を展覧会よりも優位に置く
2-1) 「作る」ことを「見せる」ことに限定しないように回避する 
コンセプチュアル・アート アイデア 
2-2) 「見せる」ことに無頓着に「作る」 
孤独化 アウトサイダー 制度のうちにおさまらない

3) 「見る」ことを複数化し、時間空間に限定させない 
作品のオリジナリティを複数の潜在可能性へと開く。記録しかない作品(現存しない作品、公開を前提としない作品)+再撮影+カタログ(テキスト)+ウェブ(テキスト)+αへと複数化する。作品を時間空間のずれのなかに再配置する。

・観者の視点から
1)「見る」ことを「作る」ことと同等とする 
受容美学 見ること/解釈の自由 観者と作者を同一平面に置く 作者からの解放

2)「作るひと」と「作られたもの」を分離し、「作られたもの」を「見る」 
作品と観者の断絶を受け入れた上で「誠実に見届けること」

・制度の問題から
1)アーカイヴ+ストック 
「見せる・見られる・見る」ことが先送りされるので時間空間に限定されない 
「作品」を観者は「孤独」に見るしかない
1-2)サイト/孤独 そのためだけの場所 
ヨゼフソンのためのメルクリによる美術館や宗教美術 
空間的に限定されるが、時間的には開かれている

2)ライヴ+フロー 
時間空間的に制限された1回かぎり 「展覧会」

で、われわれの関心はおそらく、以上のような分類からどのような抽象化が行われるのか、あるいは可能なのか。制作者(作り手)は結果的にどのような「作品」を生み出すのか、観者(見る側)はその結果からどのような効果を享受するのか、さらにメディア的制度から制作者(作り手)はどのような結果を生み出すことになり、観者(見る側)はどのような効果を受けることになるのか。問題は抽象化の方法であり、その在り様ではなかろうか。

twiteerをやりながら、あるいはその情報交換のなかで、一つ確かな認識を得た。今更ながら、デジタル時代とは情報の全面的なスペクタル化であること。視覚情報、聴覚情報、文字情報…。われわれはこのスペクタル化に抗って、デジタル・テクノロジーという新たなテクノロジーの潜在的可能性をどのように使用することができるのか。問われているのはその辺りかもしれない。

調文明氏がブログ「入院(完了)生活」で展開している(書いている)「映画と写真」が面白い。http://d.hatena.ne.jp/BunMay/201005
このブログもちょっとtwitter的な使い方になってきたな(笑)。

コーカス・レース

2010年05月31日 | Weblog
ぼやき-もういいかげん、ニッポンの漫画やアニメ、いわばオタク文化に依拠したアートというものを批判的に見直す時期に来ているんじゃないのか。若手の美術批評からそんな奴が出てきて欲しい気がする。けっきょく、グローバル・アート・マーケットにおけるオタク文化って、「フジヤマ・ゲイシャ」の世界じゃないの?(笑)。

写真のデジタル時代にあって、今更、写真の真性性をテーマとするような作品が面白いとは思えない。たとえば、ファッション(広告)写真がフォトジェニックな効果によって、偽のイメージを捏造していることを告発すること、あるいは暴露すること。相変わらずの“本物と偽物”という図式。そもそもこうした作品は時代認識がまったくずれている。現代の消費者(イメージの享受者)にあっては、ファッション(広告)写真が偽のイメージであることを自覚している。自覚しながら偽のイメージを楽しんでいるのだ。その心性こそが論点になるべきなのだ。たとえば、小林美香氏がScribdというサイトhttp://www.scribd.com/doc/10934193/Looking-at-Photographs-Digital-Layer
で紹介しているダニエーレ・ブエッティの作品などは、すぐさまファッション写真が応用し、広告写真に回収されてしまうだろう。こうした作品は、眼を刺激するものとしてファッション写真に受け入れられ、その批評性なんぞは簡単に乗り越えられてしまうのだ(笑)。もはや偽のイメージか、本物(リアル)のイメージかが問題ではない。そもそもイメージとはすべて偽のイメージであるということから出発しなければならない。問題はどのような偽のイメージを作っているかだ。誰に向けて、何のために、どんな方法で。

twitter考-まったく見知らぬ人間と公的なコミュニケーションを行うこと。この場合の公的とは理性を理性の目的のみにおいて使用するということである。

短期間のtwitter経験。この急き立てられる感じがどうも馴染めない。自分がいま何をしているかを公表することにどうしても違和感を感じる。自分の意見を不特定多数に向けて発言するといっても、この“急き立て”においては思考が存在しない気がする。下記にも書いたが、同好の士同士の相互掲示板、あるいは意見交換といったところがtwitterのとりあえずの使い方か。意見交換といっても、同じ価値観・考え方の人たちの再認・追認の交換であって、特異な意見は浮いた(無視される)ものになるようだ(笑)。まあ、しばらくは模様眺め。

twitterというのは、フォローされるよりも、フォローする方に意味があるような気がする。土足で人の家に上がり込むようなものではあるが…(笑)。

今更ながらなのだが、われわれが「痕跡の美学」として批判してきたのは、記憶に回収されてしまう記憶(記憶の補助としての写真の記録性=追認と再認)であり、記録に回収されてしまう記録(物語としての記録)なのだ。写真における「痕跡の美学」の回避とは、記憶に還元されない記憶、最も古い記憶であり、記録に回収されない記録、記録を裏切る記録を奪還することなのだ。ありえなかった記憶と記録。けっきょく、バルトの写真論(『明るい部屋』とは、写真というイメージ(光の痕跡)から、“存在者“と“存在”を区別したのだ(ハイデッガーを参照)。つまり、バルトの“存在”とは、記憶にも、記録にも還元できない光の痕跡ということである。

twitterを始めてみたが、正直、どう使っていいかわからない。最も多い使われ方は、同好の士たちの相互掲示板のようだ。もちろん、同好の士たちの集まりがつねに開かれている(見知らぬ人同士が、ある趣味や傾向という一点で集まったり、離散したりする)というのが特徴だが。オープンな掲示板(告知も兼ねた)というところか。心情を吐露するにしても、おそらく、同じような心情をもった人たちが反応(リツィート)するのだろう。自分の意見を公に発言していくという点ではやはり、ブログの方が相応しい気がする。が、140文字の思考というのもあるかもしれない。ニーチェに倣ってアフォリズムでも展開してみようか。

twitterを試してみる。カント的な意味での公的つぶやきを目指して(笑)。

荒金直人の『写真の存在論』を読む。バルトの『明るい部屋』をきわめて的確かつ正当に解読した本だと思う。バルトの写真が与える「存在の経験」(それはかつてあった)は、記憶でも、記録でもない。いわば時間(この場合の時間とは時間そのもの、持続する時間のことだ)の露出そのものである。バルトの存在論的写真論への関心の一つは、「では、身体はどこに行ってしまうのか」ということだ。なぜなら、バルト的「存在の経験」においては、とりあえず身体を括弧に入れることでもあるだろうからだ。おそらく、バルトの写真論における身体は、唯一、写真の触覚性(光に触れる)によってかろうじてつながっているのかもしれない。とすれば、デジタル化以降の写真は? バルトの存在論的写真にしたがえば、デジタル写真はさらに、その「存在の経験」を純粋化すると言えないか。なぜなら、過去の実在性によって、“いま、ここ”の「現存在」が括弧に入れられることによって、バルトの「存在の経験」が開かれるとすれば、デジタル化以降の写真においては、その過去の実在性そのものの信憑性が崩れているのだ。しかし他方で、デジタル写真というイメージが現前していることは明白である。とすれば、デジタル化以降の写真というイメージにおける時間は実在性なき時間である。しかし、このいわば“偽の時間”はある意味で純粋な時間の露出につながる可能性も秘めているのではないか(超越論的時間?)。もちろん、バルトは否と答えるだろう。荒金直人も指摘するように、実はまさに「存在の経験」における、その“存在”そのものの意味が異なっているのだ、おそらく。そこがデジタル化以降における写真への新たな問いであり、イメージの存在論となるだろう。一つ、方法があるとすれば、「存在の経験」を“いま、ここ”に不断に逆流させることではないか。バルトの存在論的写真論がいまだ有効だとすれば、そこにあるような気がする。もう一つの感想は、写真がこれまで記録という側面に大きな比重が置かれてきたのは何故かという問いだ。これまで使われてきた記録という概念はけっきょく、「存在の経験」の不安を回避・無化するために、映画における物語化のように、記録という近代的な物語に回収することではなかったのか。記憶と記録、そのいずれにも回収されない写真を志向すること(これは長年、言い続けてきたことだが…)。そこに、写真経験のどのような可能性が秘めているか。

カメラの身体化とは「事実的自我(フッサール)」における意識をエポケー(括弧入れ)することであり、身体のカメラ化とはその一方の身体をエポケーすることである。前者によって見出された身体の知覚とはけっきょく、ある一定の有用性に基づいた知覚にすぎないのではないか。後者のエポケーされた身体はまさに空っぽの肉の塊そのものであろう。身体と意識のパラドックス。ところで、この二通りのエポケーによって括弧から逃れるもの(余剰、余分)とは何か。それは同一のものか。

誰かがどこかで「新しい技術というものは、突然出現するものである」と言っていたと思うが、つまり、新しい技術の出現はあらかじめ使用目的があって、あるいはその必要に要請されて生まれてくるものではないということだ。むしろ技術者は小型化とか、高速化とか、コスト削減といった、いわば技術的領域における要請から生まれてくるということだ。むしろ、その使用法は、その技術が普及し、一般化するなかで、大衆の欲望に沿って決定されていくものだろう(ハイデッガーが『技術への問い』で論じた論点の一つがこれである。技術の本質が手段-目的という因果性のうちにあるのか、という問いである。つまり、手段-目的といった因果性は、結果=使用法から事後的に見出されたものにすぎないということだ)。当然、そうした大衆の欲望は、既存の(古い)技術によって形作られた欲望の、あるいは文化領域の延長上にあるに違いない。こうした新しい技術の世俗化、物語化によって、何が取り逃がされてしまうのか。おそらく、新しい技術が持っていた潜在的な使用法ではないか。逆に言えば、新しい技術は紋切り型の感じ方や考え方を覆す潜在性をもっているということだろう(実際、“芸術”という領域こそが、新しい技術の出現に対して、そうした立場-潜在性の探求を取ってきたのではないか。新しい技術の世俗化・物語化への抵抗等々も含め。例えば、ドゥルーズ的に言えば、映画が物語に回収されていくのはまさに、映画と言いう新しい技術の世俗化の現れの一つである。同様に、写真の記録への回収もまた?)。ということは、新しい技術に対する肯定、否定いずれでもない、第三の立場から考察することが重要になるだろう。あるいは新しい技術を肯定する者は、どのような動機からそうした立場をとっているのか、どのような立場に立脚しているのか。その反対に否定する者の動機、立場、立脚点は何かを探ることも重要であろう。写真、あるいはデジタル化以降の写真に関しても同様であることは言うまでもない。

Ustreamというのが流行しているらしい。インターネットによって誰もが一つのメディアを獲得したように、いまや誰もがテレビ局をもったわけだ。当然、ここで流れる映像は、いま、この時の、世界の非決定的な断片の連なりである。かつてのメディアであれば、その“誰?”というのが問題になるとしても、一つのイデア的総合(いわゆる編集者、あるいはその他もろもろの関係者)の機能を果たす“誰か”が介在していたわけだ。しかしもはや、その役割を果たす者はいない(このブログもまた、原則的には誰の介在も経ることなく垂れ流されているわけだが…)。この個人化された無数のテレビ局(メディア)は、ある傾向(文化的な趣味)によって共有され、“見る””見られる”関係を形成する。世界の無数の断片化。この非決定的な瞬間(の連なり)は確かに、その使い方によっては何者かによって中心化された世界の再現(あるいは記号化された世界)に対してのオルタナティブな視点を用ち得るかもしれない(写真における非決定的瞬間=非中心化された視覚、あるいは世界の断片化がある意義を持ちえたとすれば、それはありえたかもしれない過去の存在に思考をうながすためであった。たとえば、プロヴォーク-中平卓馬)。しかし一方で、これら分散(断片化)された世界の再現は、個々人の想像的世界と直結することで(それが一つの趣味の傾向としての村社会、島々だ。極論してしまえば、各村社会や島々から流れるものは、実はそのほとんどのものが既存のメディア・コンテンツを模倣した情報-文化趣味にすぎないということだ-笑)、現実・世界(社会)・私の諸関係を誤らせることになるだろう。あたかも断片化された世界が現実そのものであるかのように、つまり、介在する世界(社会)はすでになく、われわれは現実(=世界)と直結しているかのように(ベルナール・スティグレールが言う「象徴の貧困」というやつだ。つまり、諸断片が全体なるものをどう規定するかという問いが欠如しているということだ)。なんと恐ろしい世界(社会)だろう!(大笑)。

「そうした錯覚の再現は、或る意味でその錯覚の修正でもあるということにはならないだろうか。手段が人為的であるということから、結果も人為的であると結論してよいのだろうか」(ドゥルーズ『シネマ1‐運動イメージ』財津理他訳)

演出された(あるいは加工された)写真は、人為的であるがゆえに批判される。あたかも本来の写真が自然的知覚であるかのように。確かに、写真は自然的知覚に類似している。ただし、二つの知覚とも“錯覚”という資格において。同じように、デジタル写真は人為的(偽物)であるがゆえに批判される。あたかもアナログ写真が自然的知覚であるかのように。確かに、アナログ写真は自然的知覚に類似している。ただし、二つの知覚とも”錯覚”という資格において。演出された(あるいは加工された)多くの写真が、あるいは多くのデジタル写真が批判されるべきなのは、あまりにも裸眼(肉眼)という自然的知覚に似すぎているがゆえに批判されるべきなのだ。

森山大道が写真においてその“質”よりも“量”を重要視するのはなぜか。“質”はポーズに由来し、“量は”写真における「任意の瞬間」に由来する(この任意の瞬間を“視覚的無意識”ととらえてはならない。ベンヤミンは写真=カメラの眼による切り取りを“無意識”と言うことで、写真の知覚を心理化してしまったと言えないだろうか。つまり、カメラの眼が裸眼の奥底に潜む知覚をあらわにしたと。ここからカメラの眼が「生きた経験」による純粋知覚という誤解が生じることになった)。特権的瞬間(=ポーズ)から任意の瞬間へ。決定的瞬間から非・決定的瞬間へ。森山大道の“量”への関心はまさに、運動を捉え、再構成する方法の“超越的総合”と“内在的分析”の違いを語っているのである。つまり、森山大道における写真による現実(対象・被写体)の切り取りは、“超越的総合”による選択ではなく、まさに現実の実在的運動の“内在的分析”による選択-非・決定的瞬間からの選択であり、現実(運動)の修正なのである。

表現、あるいは芸術の役割を「見えないものを見えるようにする」と述べる多く言説は、おそらくデリダが下記のように語ることに集約できそうに思える。

「…あなたをいわゆるテクスト-外なるものへと慌てて閉じこめてしまうのだ。知覚という前-テクスト、生きたことばという前-テクスト、素手という前-テクスト、生きた創造という前-テクスト、現実の歴史という前-テクストなどなどといったテクスト-外なるものの中へと」(デリダ『絵画における真理』阿部宏慈訳)

不用意にも“不特定多数”という言葉を使ってしまったが、TWITTERも含め、ネットにおけるコミュニケーションとは、実は不特定多数に開かれたメディアではないのだ。むしろ、きわめて限定された-つまり、同じ趣味、同じ関心、興味、嗜好等々の仲間たちに向けて(限定されたあて先)発信されるメディアなのだ(このブログもしかり!)。同じ匂い・臭いを探し求めて、さ迷い、漂う情報。インターネット・メディアとは公的なもの=普遍性の喪失のメディアなのであって、小さな共同体への分散、回帰なのかもしれない。インターネットによって作り出される無数の村社会。かつての村-共同体が血(出自)と大地のコードによって制御されていたとすれば、インターネット時代の村社会は、階級でもなければ、貨幣(富)でも、知識(教養)でもない、“文化(趣味)”というコードによって制御されているのだ。もはや誰も普遍性(公的なもの)などは求めていない。であるならば、ドゥルーズが言うごとく、電子技術時代に問題となるのは匂い・臭いの発信元とあて先である(笑)。誰が、誰に向けて、何の目的(意図、あるいは関心でから)で、いつ、どこで発信しているのか(もちろん、このブログは公的な時空に向けて発信しているつもりだ。お前はまだ公的なものの存在を信じているのか、と言われようが…)。コミュニケーションのドラマ化。

物・商品(道具)・芸術
ご存知のように、ハイデッガーの『芸術作品の根源』は芸術とは何かを解明するにあたって、単なる物・道具・芸術作品の区別から出発する(つまり、これらの“物”が経験上あらかじめ峻別されてあることを前提にする)。芸術作品は単なる物や道具といかに峻別することができるのか、と。しかし、われわれはあらかじめ物や道具と芸術作品が区別される時代に生きているのだろうか。むしろわれわれはこれらの“物”が峻別できないことから出発しなければならないのではないか(もちろん、ハイデッガーにおいても、従来の物概念-実体〔主体〕/属性〔述語〕、感覚的なもの/思考的なもの、質料〔内容〕/形相〔形式〕といった対概念によって、これらの“物”が区別されていないがゆえに、物・道具・芸術作品を峻別することから出発すべきだと主張するわけだが…)。たとえば、ハイデッガーは道具と商品の区別を考慮していないような気がする(『芸術作品の根源』に登場するゴッホの絵画“靴”をめぐるデリダの論考「返却」は、ある意味では道具と商品の区別に関する考察の一ヴァリエーションではないだろうか)。現代芸術にあっては、単なる物・商品・芸術作品はいかに区別されるのだろうか。実際、19世紀後半頃から、道具は芸術作品に近づき(道具の商品化)、芸術作品は単なる物に接近していく(芸術作品の物化。マネの絵画がオブジェ-物質としての絵画を志向したことを想起せよ)。もともと芸術作品は道具(有用性)から分離していったものではないか。芸術の非有用性(芸術の無用性化・無償化)。道具のパレルゴンとしての芸術(装飾の芸術化)。あたかも、道具は引き剥がされていった芸術を追うように芸術作品を目指し、芸術作品はそこからさらに逃れようと単なる物になろうとしているようである(そして芸術は単なる物を目指すことによって、その追求を“美から真理へ”の転換を果たすだろう。あるいはイデアからイメージへ)。もちろん、こうした図式はきわめて乱暴なものだが、ここに何か近・現代における“芸術”のあり方を読み解くヒントのようなものが見え隠れする。写真というイメージにおけるインデックス性の強調も決してこのことと無関係ではないだろう(いわく“物としての写真-イメージ”)。ここであらかじめ断っておけば、ハイデッガーにおける物・道具・芸術作品の区別も決して単純なものではない。例のゴッホの“靴”の絵を例に述べる下りは三つの区別が奇妙な絡み合いを演じている。ハイデッガーはゴッホによって描かれた“農婦の靴(?)”がその道具としての有用性をあらわにしたがゆえに芸術作品足りえていると示唆している。ゴッホによってあらわにされた“靴”のむき出しにされた有用性(道具性)。何故、ゴッホの絵は道具の有用性をむき出しにしているのか。それは“農婦の靴”が使い捨てられ、むしろその有用性が摩滅したからこそなのだ。ゴッホの“農婦の靴”にあるのは、“靴”と大地との関わりのなかで“使われた時間”の痕跡である。いわば、道具がその有用性を剥奪され、単なる物になろうとしている状態をゴッホの絵は描いているということだろう。道具は使い捨てられてこそ、その道具性があらわになるということである(この論理はいわゆる骨董という道具に似ている。骨董を愛でる人たちは、その質や技、あるいは他者の欲望を愛でるのであって、道具の有用性を引き離すことのなかに価値を見出す。それでも骨董趣味の基盤には有用性-生活道具という使用価値がなkればならない)。ゴッホはそれを描いた。道具の道具性の開示-存在の真理の開示、それこそが芸術というわけである。ハイデッガーは芸術作品は一つの道具よりも単なる物に近いと言っている。現代の商品において有用性(使用価値)は二次的なものである。商品の価値はその使用価値ではなく、交換価値による。もちろん、使用価値が消滅したというわけではない。商品においてはその価値が交換価値によって規定されるということである。いわば、使用価値が二次的なものとされ、前面にはないということだ(50年代頃から世界同時的に起こった美術の潮流-日本の具体やフランスのヌーヴォー・レアリズム、イタリアのアルテ・ポーヴェラ等々はまさに、むき出しされた有用性への志向と言えるだろう。後に、ジェフ・クーンズらのように商品自体もむき出しにされることになる…)。しかしもはや商品という概念さえ過去のものと言われそうだ。そうだ、商品に代わる情報の概念。交換価値から情報価値へ(笑わざるを得ないな~)。物・情報(道具→商品→情報)・芸術。

TWITTERを覗く。“つぶやきコミュニケーション”。書き手のつぶやきからその人間の(といっても、多くの場合はその人間がどのような人物かは知らないのだが…)日常生活や一日の行動パターンが分かる。もちろん、書き手の日常生活についてのつぶやきに限らず、不特定多数の人間に対して、自らの意見(?)を表明するTWITTERもあるのだが…。こうしたつぶやきに対して、不特定多数の人間が(しかし、多くの場合は何らかの接点-つながりがあるみたいだが…。それでも不特定多数の人間に開かれているというのがインターネットのしくみとしての大前提だろう)反応し、またつぶやくというコミュニケーションのようだ(メールはあくまでも指定されたあて先、限られた人間に対する発信である)。この“つぶやきコミュニケーション”とは何なんだろう?自分の意見(つぶやき)を不特定多数の人間に発信するというのはまだ何となく理解できる。まあ、それがつぶやきという形態をとるのはなぜかという問題は残るが(このブログにしても、同じような形態なのだから)。しかし、自らの日常生活に関することをつぶやき、それを不特定多数の人間に対して発信するというのはなかなか理解するのが難しい。プライバシーの侵害どころか、自らプライバシーを公表しているわけだから。この日常生活のつぶやきの発信は、誰かとつながりたいという“コミュニケートすることの欲望”ではない気がする。なぜなら、たとえ自らのつぶやきに対しての反応がなくても、おそらくつぶやき続けるだろう(まあ、このブログもそうなのだが…)。むしろ、自分が“ここにいる”という自己(存在)確認の行為のように思える(写真を撮ることにおいて、“いま・ここ”における存在確認をするように)。“俺はここにいて、生活してるぜ!”“俺は、私はいま、ここにいる!”の発信。いわば、インターネット時代における“実存”の一形式なのかもしれない。これは自らの意見の発信における“理念”の喪失でもあるのではないか。なぜなら、意見(発言)になる前の“つぶやき”を発信することで良しとするわけだから。ここに“理念的な総合”はない。「今、俺は何を食ってるぜ」「俺はこれこれをしてるぜ」等々。それに対して、「俺は、私はこうした」と答え、反応する。“お宅コミュニケーション”がここまできたわけだ。もちろん、TWITTERを批判しようというわけではない。このコミュニケーションのあり方はいかなるものなのだろうという問いかけに過ぎない。実際、TWITTERを新たなコミュニケーション形態として使用する可能性がないわけではないだろう、おそらく。それにしても、何故にこれほどまでにプライバシーを公表するのだろうか(親しい人の間で私的なことがらを吐露することは理解できる。それは親しみの共有であり、円滑なコミュニケーションをするための一つの方法なのだから。例えば、食卓を囲んだコミュニケーション-語りあり、議論あり、冗談がある)。しかし、不特定多数の人に向けて、プライバシーを吐露するというのはなかなか理解しがたいものだ。このプライバシーの公表にはいかなる欲望が作動しているのだろうか(もちろんこのブログを含めて。ただ、前にも書いたことがあるが、このブログの使用法はあくまでも公的領域に向けての個人の発信という自覚があることだけは付け加えておきたい。つまり、公的なものから個人的なものを奪い取り-引き剥がし、それを公的な領域に送り返す行為。インターネット・メディアにおけるプライベートな使用法とは、メディア=公的なものから個人的なものを奪い取ることであって、私的なことがらを吐露することがメディアのプライベート化ではない気がするのだが…。しかし、メディア=公的領域では決して取り上げることがない私的ことがらを述べることは、公的なものから私的なものを奪い取ることではないのか。そんな反論があるかもしれない。確かに、過剰なほどの私的ことがらは公的な領域を脅かす。実際、ネット上のプライベートといっても自己規制がなされたほどほどのばかりには違いない)。


写真における真理

2010年05月28日 | Weblog
-ジャック・デリダに倣って、誰かが、私ではない誰かがやってきて、次のような問いを発したとする。「私は写真の区別のされ方に関心がある」と。
-写真の区別?つまり、報道写真、広告写真、家族写真、記念写真、建築写真、医学写真、記録写真、風景写真、人物写真……といったもろもろの「…写真」として分類される写真のことか。
-確かに、「…写真」として分類される、その分類法にも関心がないわけではない。しかしすでに君が並べて見せた「…写真」の分類には、その分類法に混同があるように思える。被写体による分類なのか、写真の使用法における分類なのか……。
-写真の使用法とその被写体には不可分な関係があるのではないのか。被写体の選択が写真の使用法を決めるのか、写真の使用法が被写体を限定するのか……。
-……。「写真の区別のされ方」という問いにおいて着目してみたいのはむしろ、「…写真」と言われる写真と「写真」と呼ばれるものの区別なのだ。
-「…写真」と「…写真」と呼ばれない写真の区別のことか。
-写真史を紐解いてみればお分かりのように、写真装置の登場以来、写真というイメージの使用において、さまざまな領域が存在したことは明白だろう。その一つに当然ながら、“芸術としての写真”もあった。初期写真においてはとりわけ、「肖像写真」において“芸術としての写真”が追求されたことは周知の事実だろう。しかし、写真の黎明期における「肖像写真」は言うまでもなく「肖像画としての肖像写真」であった。つまり、絵画的カテゴリー、あるいは従来の美的(芸術的)カテゴリーに倣った「写真」ということだ。それに対して当然ながら、写真固有の表現性が見出されるなかで“写真としての芸術”が志向されることになる。この場合の“芸術”とは、言うまでもなく従来の絵画的、あるいは美的カテゴリーに収まらない“芸術”ということになろう。
-しかし、それでもなお、それを“芸術”と呼ばざるを得なかったのはどうしてなのか。
-“写真としての芸術”と呼ばざるを得なかった「写真」をとりあえず「モダニズム写真」と呼んでおこうか。
-“写真としての芸術”と「モダニズム写真」をイコールで結ぶのはどうしてなのか。
-“写真としての芸術”が従来の“芸術”とは異なる位相で“芸術”を求めたと同時に、他のあらゆる「…写真」とは異なる写真を求めたことでもあるからだ。
-その論理は「モダニズム美術-絵画や彫刻」が絵画や彫刻以外の何ものにも依存しない、還元できない絵画や彫刻を求めたことと同じであるということか。つまり、「モダニズム美術」が絵画あるいは彫刻における固有言語(イディオム)を求めたように、写真における固有言語を求めたということか。
-「…写真」から「…」を限りなく排除することで、いわば純粋な「写真」を求めたということだ。
-ということは、写真におけるあらゆる社会的使用を排除しようとしたということになるのか。
-つまり「モダニズム美術」と「モダニズム写真」は同じ論理を有しているということだ。
-しかし、60年代後半から70年代にかけて、“写真としての芸術”は一般社会で使われる写真を積極的に取り入れていくようになるだろう。「プライベート写真」しかり、「家族写真」しかり、「医学写真」しかり……。
-しかも、美術側-絵画や彫刻につらなるアーティストたちが積極的にそうした「…写真」を“現代美術”に導入していくことになる。もちろん、写真家たちおいても。つまり、またつまりだ、「モダニズム写真」以後の写真(とりあえず、「ポストモダニズム写真」と呼ぼう)は、写真の固有言語を放棄したということだ、おそらく。
-もはや、それらは“写真としての芸術”とも呼べないものではないのか。
-確かに。しかし、それらの写真を「…写真」とも呼ぶこともできないだろう。
-「…写真」と呼べない「…写真」なのか。
-「…写真」の使用法を真似がなら、「写真」そのものを志向すること。これはいったいどういうことなのか。その区別はいかになされるべきなのか。それが問題の核心だ、おそらく。
-また、おそらくか。「…写真」でもなければ、“芸術”でもない写真。「写真」そのものとしての「写真」。しかしその「写真」は、社会一般で使われる「写真」の使用法を真似ることで「写真」そのものになろうとする。あなたに倣って言えば、つまり、写真における固有言語は、社会一般における写真の使用法の側にあったということか。果たしてわれわれはこの矛盾を引き受ける必要があるのだろうか。別な問題の立て方はないのか。
-確かに、われわれは先を急ぎすぎているのかもしれない。
-一つ確かに言えることは、「ポストモダニズム写真」における、写真の社会的使用法の導入の多くの事例は、美学的なアプローチというよりも、その写真の使用法そのものの機能を主題にしていることだ。つまり、ある領域での写真の使用法がどのように作動しているか、それを批判的にあらわにしようというわけだ。
-しかし、そうした写真の使用法における内在的な批判は、グリーンバーグが語ったモダニズムの論理と同じことではないか。いわく「モダニズムの本質は、ある分野を批判するためにこの分野に特徴的な方法を用いることにあるが、それはこの分野を破壊するためではなく、その権能の領域内にこの分野をより強固に確立するためである」と。
-まさにカント的批判だ。しかし、「ポストモダニズム写真」は、当該の分野を破壊=批判するために「写真」を用いていると言えないか。なぜなら、「ポストモダニズム写真」は、写真の社会的使用という、モダニズム的立場からすれば、「写真」に付随する本質外の機能を問題にするのだから。
-写真的視覚への批判ということか。つまり、「ポストモダニズム写真」は写真の社会的使用法、とりわけマスメディアににおける誤った使用法を内在的に批判するということか。本来的な「写真」を奪還するために、あるいは写真の正しい使用法を求めて…。
-しかし当然ながら、写真の正しい使用法があらかじめあるわけではない。したがって、写真に対する内在的批判は永遠に繰り返されることになるだろう。
-あなたが言う、もう一つの美学的アプローチとはどういうことか。
-感覚次元での拡張ということだ。例えば、「モダニズム写真」における物に関する物質的な相の追求、あるいは幾何学的構図に基づくフレーミングといった…。
-「ポストモダニズム写真」は、“見ること”そのものを主題化するということか。
-メディア批判から、視覚そのものまでを主題化するということだ、おそらく。
-また、おそらくか。あなたはあなたの発言に確信が持てないわけだ。それでは、「ポストモダニズム写真」の「モダニズム写真」に対する批判的側面はどこにあることになるのか。
-「モダニズム写真」が写真の社会的使用を排除し、美学的アプローチに制限されていくなかで、一つは言うまでもなく、アカデミズムの中で形骸化していくだろう。と同時に、それと反比例するかのように、写真の社会的使用はますます拡大していくだろう。「モダニズム写真」が切り開いた美学的効果を徹底的に利用しながら。われわれはその最大の成果を広告写真に見ることになる。
-ところで、同じ「ポストモダニズム写真」と重なる時期に登場する、グルスキーやシュトゥルートといった、いわゆるドイツ・デュッセルドルフ派の写真はどうなのか。彼らの写真は彼らの意図がどうであれ、けっきょくは美学的なカテゴリーに分類できるもの、あるいは回収されてしまったのではないか。
-ドイツ・デュッセルドルフ一派をひと括りにするわけにはいかないが、確かに彼らの写真は美学的カテゴリーに納まるものだろう。もちろん、彼らの細密なディテール表現に基づく巨大なフォーマット・イメージは、「モダニズム写真」が求めた知覚の拡張とは異なるものだが。
-実際、彼らの写真がグローバルな市場を獲得した要因には、巨大なフォーマット・イメージというのがあるんじゃないのか。ちまちました「写真」よりは価値がありそうに思える。
-(笑)。それはそうだろう。写真の登場以来、視覚的驚きというものは、一般大衆が最も好むものなのだから。しかし、その点だけを捉えて論じては、あまりにも了見が狭いというものだ。実際、デジタル以降の「写真」(とりあえず、「ポスト・フォトグラフィ」と呼ぼう)は、新たな美学的アプローチによる「写真」が大勢を占めるようになるわけだから。そこに何がしかの意義がないわけではないだろう。
-たとえば、グルスキーにおける現代の建築環境という、新たな風景写真のことか。
-確かに、ティモシー・オサリヴァンやヘンリー・ジャクソンが地形測量学的アプローチにより、アメリカの自然に新たな風景写真(眺めという美)を生み出したとすれば、グルスキーは現代の建築空間に崇高な風景を見出したことになるだろう。
-話は飛躍するかもしれないが、90年代に登場する日本のいわゆる「ガーリーフォト」と呼ばれる写真はどう位置づけられるのか。
-「ガーリーフォト」をどう定義するか分からないが、身近なことがらを自らの感覚にしたがって切り取った写真とすれば、「モダニズム写真」と相反するという意味で「ポストモダニズム写真」と呼べるかもしれない。しかし、前述した「ポストモダニズム写真」(その多くの事例は欧米にあるのだが)とは大きく異なるだろう。
-では、なぜ、「ガーリーフォト」は評価されたのか。
-そこにも、「…写真」と「写真」の区別のされ方の問題が横たわっているのではないか。またおそらくを使って申し訳ないが、「ガーリーフォト」を評価した人たちが70年代に登場してきた写真家、あるいは評論家たちだと言うところに問題の核心があるのだ。70年代に登場してきた写真家たちの多くは、写真を内在的に批判する形で「モダニズム写真」と一線を画そうとした写真家たちだ。その一つの方法として、彼らは形式化・美学化する「モダニズム写真」に対して、私の「生きた経験」を重視するだろう。この「生きた経験」というのは言うまでもなく現象学に由来するものだ。あらゆる意味を、表象性を引き剥がし、「私」という純粋な知覚をあらわにしようと。当然、ここにもモダニズムにおける「否定の論理」が働いているわけだが。その帰結として、「素直さ」「素朴」「直接性」「リアリティ」「身体」といったタームが氾濫することになる。彼らが「ガーリーフォト」を評価するのは当然だろう。「ガーリーフォト」は彼らが到達したところから出発するのだから。しかし、彼らは大きな誤解をしている、おそらく。70年代に登場してきた写真家たちが写真の知覚を身体化しようとしたのに対して、「ガーリーフォト」の身体はすでにして写真化されている(された知覚)ということだ。「ガーリーフォト」における「素直さ」「素朴さ」「リアリティ」「身体」とはカメラ化された身体(感覚)なのであって、前世代の写真家たちが求めた「生きた経験」はもはやここにはないのだ。ここに大いなる誤解がある。「写真の身体化」と「身体の写真化」。ついでに言えば、「ガーリーフォト」が多くの“女の子”の間に登場したことを「男性原理と女性原理」から説くことにも賛成できない。「ガーリーフォト」を体現したのが“女の子”だったのはあくまでも社会的制度(あるいは社会的状況)によるものなのであって、「性の原理」とはいささかも関係がない(なぜなら“女の子”たちは社会や現実と直接向き合う必要のないモラトリアムを生きているのだから)。
-とすると、「マスメディア化された写真」を本来の「私」に奪還しようとした70年代の写真家たちに対して、「ガーリーフォト」は「マスメディア化された私」をあらわにしたということか。メビウスの出会い。
-(笑)。皮肉なことにも…。ところで、70年代に登場した写真家たちの間違いは、「モダニズム写真」が抽象的がゆえに、撮る次元における「生きた経験」を対置したわけだが、「モダニズム写真」が批判されるべきなのはむしろ、十分に抽象的でないがゆえに批判されるべきなのだ。
-あなたはもちろん、「ガーリーフォト」に対して批判的なスタンスをとっていると思うのだが、「身体の写真化」に対しても批判的な見方をしているのか。
-「身体の写真化」あるいは「身体の機械化」に関しては、そう単純ではないと思う。かつてのヒューマニズムのように批判するわけにはいかない。「写真化あるいは機械化された身体が何をなしえるか、まだ誰も知らない」のだから(笑)。おそらく、この問題は「ポストフォトグラフィ」の話になるだろう。
-「ポストフォトグラフィ」か。それはデジタル化以後の写真ということなのか。
-おっしゃるとおりだ。
-先ほどあなたがおっしゃったように、先を急がず、堂々巡りを恐れず、反復を避けることなく、もう一度「写真の区別のされ方」にこだわってみようではないか。とりあえず、「モダニズム写真」「ポストモダニズム写真」「ポストフォトグラフィ」と大きな時代区分のタームが出揃ったのだから。それぞれの区別のされ方をもう一度考えてみようではないか。「モダニズム写真」、「ポストモダニズム写真」は何故に何から何をどのような方法で区別しようとしたのか。「ポストフォトグラフィ」は何故に何から何をどのような方法で区別しようとしているのかと。
-私を区別してくれ、愛する人よ。他の多くの人から私だけを区別してくれ、愛する人よ。そもそも「区別するとはどういうことか。愛されるために区別されることか。
-愛することはすでにして区別することではないのか。
-ジャン=リュック・ナンシーはその著『イメージの奥底で』のなかで、分離されたもの、距離をおかれたもの、切り取られたものは、聖なるものだと語っている。そしてイメージとは聖なるものであると。
-あなたはこれから語る「区別」について、ジャン=リュック・ナンシーが言う「区別するの力としてのイメージ」と重ねて「区別」という概念を考察してみようというわけか。
-表象(re-presentation)、表現(expression)、抽象(abstraction)等々とからませながら。これらの語句はすべて区別・分離に関わっている。肖像画(por-trait)、特徴線(trait)、ある意味では接頭語de(分離して)との関連においてデザイン(de-sign)もまた。もちろんここで、ナンシーについて語りたいわけでも、イメージについて論じるつもりもない。19世紀に登場した写真というイメージを区別してみたいのだ。
-写真というイメージを何から区別しようというのか。
-もちろん言うまでもなくまずは絵画的イメージからだろう。それがまた「モダニズム写真」が区別しようとしたことそのものではないのか。
-絵画的イメージと写真的イメージの区別ということか。
-初期写真において当然ながら写真的イメージは、初期の肖像写真のなかにその典型性が現れているように絵画を模倣するだろう。ベルグソンを引いてドゥルーズが言うように、新しいものはつねにそれ以前のものを模倣せざるを得ない、あるいは関連づけて自らの固有性を表にするほかはない。マクルーハンも言っていた、映画が演劇を模倣し、テレビが映画を模倣するように、新しいメディアはつねに古いメディアを模倣すると。新しいものがその固有性において力を発揮するのは、ある種の展開(時間の流れ)が必要なのだ。しかも初期の写真は技術的にも固定された不動の視点から被写体をとらえたものだ。被写体もまた不動であることを強いられた。絵画的イメージを模倣するのは当然の帰結だろう。したがって、「モダニズム写真」の第一の使命は、いかにして絵画的イメージから離れるかに求められることになるだろう。「近代写真の父」と言われるスティーグリッツが求めたことは誰もが周知のことだ。スティーグリッツは絵画的イメージから写真的イメージを引き離す(区別する)ことで「写真としての芸術」を求めたわけだ。「芸術としての写真」から「写真としての芸術」へと。
-「芸術」と「写真」の位置が倒置されることによって、何が起こっているのか。
-この言葉を使う人たちは、「芸術」と「写真」の位置・順番を倒置することによって、「芸術」という概念の変化を表しているとともに、写真的イメージこそが新たな芸術の中心となることを暗に主張しているだろう。
-しかし、初期写真の肖像写真を単に肖像画の模倣ととらえるだけではあまりにも狭すぎないか。
-もちろん、おっしゃるとおりだ。初期写真の肖像写真がその表象システムにおいて肖像画を模倣していたにしろ、肖像写真を見る多くの人たちはそこにただならぬ恐怖を感じてもいただろう。亡霊としての死者たちの存在を。後にバルトが指摘することになるように、ここには「時間の過剰な露出」という、明らかにわれわれの時間意識を変える秘密がひそんでいる。おそらく「ポストモダニズム写真」はこの点も問題にしていくだろう。
-ということは、逆に「モダニズム写真」は「写真としての芸術」を求めるあまり、写真本来の機能を取り逃がしてしまったということか。
-そこが問題なのだ。もう少し、「モダニズム写真」の「区別」にこだわってみようではないか。「写真としての芸術」を求めた「モダニズム写真」が写真に見出したのは、一言で言えば、その知覚の過剰さであろう。切断された瞬間を引き伸ばすことであらわになるディテールの過剰さ。切断された瞬間-静止画の拡大によってもたらされた物質的な相。こうした物質的な次元の現前は、被写体が人物であれ、物であれ、風景であれ、絵画的イメージによるもたされる再現描写とは異なるものだろう。絵画的イメージがイデア的総合による再現描写だとすれば、写真的イメージはイデア的な理解(事物の把握)を逸脱する。
-ベンヤミンが視覚的無意識といったり、スペクトル外の知覚と言ったことか。
-ただここで、一つの混乱が生じていることも確かだろう。というのも、西洋絵画はルネサンス絵画以来、いわゆる遠近法に見られるように、自然的知覚に近づこうとしてきたことだ(もちろん言うまでもなく、遠近法もまた一つの抽象化された知覚にすぎないわけだが)。そして写真はそのルネサンス絵画をルーツとし、ルネサンス絵画が追求した自然的知覚をさらに進化させたものととらえられてしまう。自然的知覚、絵画(ルネサンス絵画)的知覚、写真的知覚という、三つの知覚の絡み合い。つまり、写真的知覚を自然的知覚の延長ととらえる見方と、絵画的知覚及び自然的知覚と断絶した知覚ととらえる見方だ。
-「モダニズム写真」は言うまでもなく、後者の立場をとったわけだ。
-非常に乱暴な言い方をすれば、社会一般での写真の使い方は前者の見方に基づくものだ。「モダニズム写真」は「写真としての芸術」を求めたわけだから、当然、一般の写真との区別を志向するだろう。実はここに「モダニズム写真」をめぐるもう一つの混乱が生じることになるだろう。いわゆる「記録と表現」と言うアポリアであり、「写真のリアリズム」をめぐる混乱だ。
-確かに、記録としての写真も、写真としての芸術を求めた「モダニズム写真」のように、写真の写真的使用を求めた結果ではあるだろう。絵画的イメージとは異なる写真的イメージを追求したということで。しかし、当然ながら、この二つの写真的イメージは異なるものではないか。
-「写真としての芸術」が求めた写真的イメージが知覚の過剰さという現前性にあるとすれば、記録としての写真は記憶を補完するものとしての視覚的資料であり、事後的に見出された客観性(証拠)である。つまり、ある一枚の写真が記録的価値を持つとすれば、それはある出来事の総体(閉じられた全体)から事後的に見出されたものだ。出来事の総体性を前提にすることで、一枚の写真が記録的価値を持つことになる。つまり、記録的写真とは追認であり、再認にすぎないということだ。
-しかし、一枚の写真が記憶を修正するということもあるだろう。
-確かに、記憶の修正はありえるかもしれない。修正というのはやはり、基本的に記憶(あらかじめの経験の経験)が前提されているわけで、その前提自体の枠組みを崩すわけではない。
-現前性と記録性(あるいは記憶性)。あなたは大きな枠組みとしての近代写真における写真的使用法(絵画的イメージとは区別された)を現前性と記録性に分割するわけだ。あなたがおっしゃる「写真としての芸術」を求めた写真はストレートフォトを典型とするアメリカ派の写真に言えるとしても、ヨーロッパ系の写真、たとえば、主観主義的写真はまた別な系譜に位置づけられるのはないか。
-アメリカ派が写真における現前性(知覚)の引き伸ばしに着目したとすれば、たとえば、ドイツ系の写真は、モホリ=ナギにその典型が現れているように、光を造型的な視点からとらえることで、美術化していった気がする。
-美術化?
-光によってもたらされる造型性、あるいはアングルによる構図やパースペクティブ、その使用法は絵画のカテゴリーから逸脱することはない。いわば写真におけるフォトジェニックな領域を絵画的カテゴリーでなぞり直す。
-フォトジェニックな領域でのさまざまな試みは、ある物の存在様態をその光の効果によって、変質させる、あるいは裸眼とは異なる位相から照射するということにならないのか。
-確かに、そうした側面はあると思うが、われわれの結論から言えば、写真の写真的使用というよりも、やはり美学的(絵画的)使用ということになる気がするのだが…。
-写真による新たな美的体制の構築ということか。バルト流に言えば、「写真の狂気」を回避するための美的(芸術的)使用ということか。

コーカス・レース

2010年04月28日 | Weblog
写真のアポリア-たとえば「記録と表現」といったアポリアは、科学的領域と美的(芸術的)領域の混同に由来する。つまり、それぞれの領域がそれぞれの関心にしたがって、写真からその機能の一部を抽出しているわけである。ところが写真(芸術)という一つの理念の下に論じてしまうがためにアポリアが生じることになる。しかし、周知のように60年代後半から写真の美的使用においてある種の変化が起こる。美的領域への世俗的領域からの侵犯である。写真における「記録と表現」というアポリアは意味をなさなくなる(中平卓馬の『なぜ、植物図鑑か』を代表とする一連の論考はまさに「記録と表現」というアポリアの終焉から開始される。写真における「記録のアポリア」)。とするならば、イメージの美的(芸術的)使用法とはつねに、社会的(世俗的・科学的)領域を包括するものとして、あるいは先取りするものとしてあるのだろうか。

「3」の秘法。「3」の謎について考察してみること。「3」のセリー。思考のいたるところに「3」あり。分類の三角関係。点(一次元)・平面(二次元)・立体(三次元)。縦・横・斜。主語・述語・繋辞。一人称・二人称・三人称。神・世界・人間。自然・社会・人間。知性・理性・感性。認識・実践・判断力。現実界・想像界・象徴界。イコン(類似)・インデックス(指標)・サンボリック(象徴)。現実態・可能態・潜在態。現在・過去・未来。もの(物質)・道具・芸術作品。父・娘・独身者。オリジナル・コピー・シミュラークル。対象・記号・意識。上・中・下。私は何を知りうるか・私は何をすべきか・私は何を望みうるか。序・破・急。ワルツ(3拍子)。父・子・精霊(三位一体)。優・良・可。松・竹・梅。・・・・・・・・・・。

「身体」がそれほど信用できるものとも思えないが、だからといって、「身体が何をなしえるか」、その潜在的可能性を否定するものでもない。それにしても、「身体化(同様に、素朴さ、素直さ、野生、裸形、リアル、感性等々もまた)」という言葉には、悪しきロマンティスムの匂いがする。

モノ(ヒトも含めて、その奥行き、物質性、内在的エレメント)、関係性(モノの配置、ヒトとモノの関係、そして空間性)、気分(ハイデッガー的意味での。気配、雰囲気・・・)。この3つのキーワードで写真を考察してみること。これらの3つのキーワードは、それぞれ芸術的使用、社会的使用(報道写真やドキュメンタリー写真も含む)、広告的使用(現在のアートシーン、あるいは表現としての写真の多くはここに分類されるだろう。その価値判断はおくとして)に分類されるだろう。もちろん、後で修正を余儀なくされるにしても。実際、どのような写真もこれら3つのキーワードが融合されたものである。たとえば、モノへの関心が、モノの配置が時代の気分、気配、雰囲気を生み出し、その逆もまた可であろう。つまり3つのキーワードはそれぞれ置換が可能だということである。ここでの分類はこれらの3つのキーワードのいずれに重点が置かれているかの分類に過ぎない。切り分け、分類することで何か見えてくるものがあるのではないかという、ささやかな試みに過ぎない。何も見えてこなければ、この分類は失敗ということになる。

ドゥルーズはある哲学が正しいか誤っているかを問うことは無意味であると言っている。重要なことはその提示する問いが良い問いなのか、悪い問いなのか、厳密であるのか、厳密でないのか、それを知ることが問題なのだと。これは芸術行為においても同様なことが言えるだろう。ある芸術作品のモチーフが、素材が、コンセプトが、テーマが、表現がこの時代に適合したものなのか、正しいものなのかどうかは問うことは無意味だ。重要なことは、その表現等がどんなものであれ、問いの厳密さであり、徹底さなのである。けだし、現代芸術が実験であることの所以である。

芸術表現における新しいことは、過去を否定することにではなく、過去において否定されたものを肯定し直してみることのなかにひそんでいるのではなかろうか(笑)。というか、現在のアートを見ているとそんな風に思えてくる。もちろんそれを単に「過去への回帰」と呼びたいわけではない。過去において、なぜ、それらが排除、否定されたのかを思考することにおいて、過去の否定を肯定し直すことは積極的な意味を帯びるに違いない。たとえば、何故に近代芸術は“意味をもつこと”を否定したのか。つまり、芸術が芸術自体であることを志向したのか、ということだ。ということは反対に、芸術が、あるいは芸術が創出するイメージが何らかの意味を帯びてはいけないという理由はない。近代芸術が否定した“意味”が何であったかを考えた上であるならば。いやそもそも、1960年代後半以降の現代芸術はその反省によって近代芸術を克服しようとしたのではないか。それもまた一考に値することだろう。
 
デジタル時代にあって、写真は見るべきものではなく、徹底的に読まれるべきものでなければならない。何を読むのか?まずは<何を(被写体)>と<いかに(方法)>の関係を。そして写真というイメージを形成する織り目(=地と図)の諸関係を読解すること。まあ、きわめて通俗的に言えば、一枚一枚の写真と対話しなければならないということですね(笑)。実際、写真というイメージは(それがどのような写真であれ)、一枚一枚をじっくり見ていくと、その存在自体が、あるいは行為自体が極めて異様なもの(その写真の表現的価値ではない)に思えてくる(笑)。ところで、デジタル時代にあって、なぜ多くの人は写真というイメージと対話する(読む)ことなく、ただ単に“見る”だけなのだろうか。一枚の写真をただ眺めていても“退屈”なだけであるからだろうか。ハイデガーの言によれば、“退屈”とは時間を意識することである。退屈さを逃れるためには、時間を追い払わなければならない。写真をじっくり見ることは時間の露出に向き合うことだとすれば、確かに写真と対話することは退屈なのである(笑)。

真昼の日差しのなかで、ニーチェを読む悦楽(大笑)。

写真というイメージが批判されるべきなのは、現実に忠実であるがゆえにではなく、十分に忠実でないからである、と語ったのはドゥルーズだが、この言葉は写真固有の機能とされる再現性、記録性、インデックス性を考える上できわめて示唆的である。写真は忠実に現実を再現していない。では、忠実に現実を再現するにはどうすればいいのか。ここに表現expressionとは何かという問題が浮上してくる。表現とは現実の代理=表象ではない。現実から分離・区別することである。何を?どういう方法で?誰の名の下に?誰に向けて?-動機の文法。歴史性を帯びた表現性をドラマ化し、表現の動機を探ること。

ミシェル・レリスのように、「愛するものについてだけ語りたい」と思う。人生の後半生を数える時期にさしかかったとすれば、なおさらのことだ。それにしても、レリスはすでに1940年代において、デュシャンの作品の“事物と記号”の関係について指摘している。凄いという一言に尽きる!

「ドキュメントからモニュメントへ」-この数週間、「近代における記録とは何か」について考えてきたが、そもそも「記録とは何か」を考えていたら埒があかなくなった。「記録」という概念が前景化してきたのが「近代」であることは確かだと思うのだが、その際に写真というテクノ画像が果たした役割とはどういうことなのか。いや、そもそも近代における「記録」という概念こそが、写真を登場させたとも言える。そんなかんなで、タイトルを「記録のアポリア」に変えて、もう一度の仕切り直し。


光がなければ痕跡も見ることはできない。痕跡は光に従属している? 光学性とインデックス性。しかし、一度、光にさらされた痕跡はその正当性を主張する。痕跡-静止した時間。時間の断片。しかし、時間の断片を許すのは空間によるものではないか? ベルグソンの連続性と非連続性。つまり、時間は静止し、断片化されると、その本質を変えてしまうのだ。痕跡=断片を許すのは光ではないか? 切断された光。切断された光は空間において生じる? ということは、光の体制とは、空間化された時間ということか?

現象の記号化(言葉。しかし、現象と言葉は同時存在である)と痕跡の記号化(デジタル技術)。その差異を考えよ。

正直言って、コノテーション/デノテーションの対概念はもはや有効ではないように思える。

ARTiTWeb版において、清水穣が「事後性を現像する」で論じる木村友紀のファウンド・フォトとは、インデックス性がインデックス性を裏切ることなのだろうか。

残念ながら、プンクトゥムから始めることはできない。プンクトゥムとはストゥディウムの穴なのであって、ストゥディウムを前提としなければならない。プンクトゥムとはストゥディウムあってのプンクトゥムなのである。プンクトゥムがわれわれをフレーム外(あるいは記号の外)に連れ出すことはあっても、それはつねにストゥディウムに条件付けられての“外”ではないのか。シュールリアリズムのファウンド・オブジェはプンクトゥムだが、デュシャンのレディメイドはプンクトゥムではない。むしろ、ストゥディウムからプンクトゥムが生じる機能そのものを問いに付しているのではないか。ファウンド・オブジェとレディメイドの違い。

『明るい部屋』の前半(1~24)でのプンクトゥムは、コノテーション(共示)/デノテーション(外示)、自明の意味/鈍い意味、コードによるメッセージ/コードなきメッセージ…と、いわば記号論的なとらえ方が展開されている。しかし、後半(25~48)になると、プンクトゥムのとらえ方はまったく様相を変えてくる。後半のプンクトゥムとは時間としてのプンクトゥムである。「圧縮された時間のめまい」。過去の確実性=《それは=かつて=あった》こそがプンクトゥムとなる。しかし、ここで誤解してならないのは(実は僕もまた愚かにもそう誤解していたのだが……)、過去の確実性とは、ある物がかくのように(物の状態=痕跡として)あったことではない。過去の確実性とは時間の露出なのであり、存在そのものの現前なのである(ハイデカーにならって存在者と存在を区別せよ)。

写真は「知覚のレベルでは虚偽であるが、時間のレベルでは真実である」がいわんとしていることはどういうことか。ある物が、人が“かくのようにあった”ことが真実なのではない。“あった”という時間性こそが問題なのである。たとえば、バルトは母の少女時代の「温室の写真」に「真実の写真」を見出すだろう。言うまでもなく、バルトにとって母の少女時代の姿を知るよしもない。とすれば、バルトにとっての「真実」は知覚の一致(バルトが見ていた母と少女時代の写真の同一性)が問題ではない。母の少女時代の写真は、バルトにとっての母との本質的な一致なのである。本質的な一致-それは視覚的外観ではない。「雰囲気」という言葉でしか言い表わせない、靄のような、空気のような写真の効果である(日本語で言えば、“面影(おもかげ)”とでも呼ぼうか)。とするならば、それは現実の母という被写体から抽出(発現)された何ものかである。その何ものかを発現させたものが「時間」なのだ。。“面影”としての写真。時間の露出による存在そのものの現前。時間の露出-時間の傷、穴こそが、バルトが後半部において見出したプンクトゥムなのではないだろうか。


写真(イメージ)における時間の露出とはどういうことか。写真における物の露出と時間の露出とは異なる。物の露出ではまだまだ不十分である。時間とは実体ではない。優れて形式的なものである。バルトに言わせれば、写真こそが初めて人類に時間を露出させてみせたのである。

バルトが見出した過去(時間の露出)とは何か。もう一度、バルトの母の少女時代の写真(=温室の写真)を思い出してみよう。バルトは母の少女時代の写真に「真実の写真」を見出した。しかし、少女時代の母の写真は、バルトという主体(同一性の原理に支えられた)の知覚に一致しない。ということは、この過去(時間)は瞬間の継起としての時間ではない。なぜなら瞬間の継起としての時間とは、継起する現在を同一性の原理に基づいて構成された時間(等質的な空間に還元された時間)だからである。しかし、バルトが見出した過去(=真実の写真、あるいは母)は、同一性に基づいたもの(再認としての過去)ではない。つまり、ここでの過去(時間)とは、ベルグソンが言うところの純粋過去であり、即自的に存在する過去一般なのである。ドゥルーズが言うところの「時間の第二の総合」(「時間の第二の総合」の観点からは、瞬間の継起としての現在は、過去全体が最も縮約されたもの、緊張したものである)。では、なぜ、バルトは自分の知覚とは一致しない母の像に「本質的な一致=真実の母」を見出すことが可能なのだろうか。けっきょく、バルトが見出した母=「真実の写真」は、経験的領野のコピーとしてとらえられた超越論的領野なのだろうか。根拠づけられたものから根拠づけられた根拠。根拠づけられるべき過去から根拠づけられた過去。

清水穣は鋭い!下記のような視点-「ありえたはずだが未展開に終わった潜在的可能性」はきわめて貴重だ。反モダニズムを論ずるだけでは意味がないし、不毛である(自戒を込めて)。

「モダニズムの揺籃期(100年前!)に回帰するかのようなこれらの作品は、最近耳にする、Alternative modernismという、現代美術の歴史を複数化する傾向、すなわち過去の美術のうちから、ありえたはずだが未展開に終わった潜在的可能性を、現代に延長してきて展開する傾向のなかでも、美術史家の徒な饒舌を待つだけの下らないアカデミスムを免れている最上の部分であろうが、それでも実はアナクロニズムではないか、温故知新にすぎないのではないか、というような問いは、とりあえず措いておこう。」(ARTiTWeb版「清水穣 批評のフィールドワーク2」より)

バルトが写真の中に過去の確実性=《それは=かつて=あった》においての時間の露出を見出したとすれば、デジタル時代にあっては現在の確実性=《これは=いま=ある》における時間の露出を試みるべきではないか。ベルグソンにならえば、現在とは過去全体の最も縮約されたもの、緊張したものである。この縮約、緊張される過去からの回路を変えること。

時間の露出とは、記憶の時間の外在化のことか。

イメージ(表現)の記憶はもはや“美術史”ではない。とすれば、そこから縮約される現在の表現とは“美術史”とはいかなる関係もない。ぼくらの記憶を形成しているのはすでにして諸メディアである。実際、現在の美大生(アーティストの卵)には“美術史”などにいかなる関心もない。記憶の底に押し込まれてしまった“美術史”。現在の多くのアート作品を眺めてみればいい。そこに露出しているのはメディアの記憶である。しかし、メディアの底には、過去の“美術史”が“形式”という姿で渦を巻いている。だからこそ、“美術史”をあらわにしなければならない。近現代メディアと美術史の関係を問うこと。

考える前に、見る前に、撮ることも大切だが、撮った後に、見ない者、考えない者は愚かである。もっと愚かな者は「感じてもらえればそれでいい」とぬかす批評家やアーティストたちである(笑)。もう感覚至上主義からおさばすべき時ではないだろうか。すでにわれわれの感覚こそが搾取され、貧しいのだから。

「記憶というものは、芸術にはほとんど介入してこない(プルーストにおいてさえ、そしてプルーストにおいてはとくにそうである)」

「想起を増幅してみても、幻想をもちだしても、創造的仮構(ファビュラシオン)は、そんなものとまったく関係がない」(いずれもドゥルーズ+ガタリ『哲学とは何か』財津理訳)

写真(テクノ画像の出現)によって、われわれの記憶はいかに外在化されるに至ったのか。技術というものが「個の記憶の外在化」であるとすれば(つまり、われわれの個人的な記憶は技術-メディアテクノロジーによって条件付けられているということだ)、あきらかに写真の登場以後、その外在化の仕組み、機能が変化したのだ。写真による感覚の条件付けを問うこと。写真の知覚・感覚的図式とは何か。メディア的アプローチだけではなく、知覚・認識論的なアプローチを試みること。ハイデッガーの「技術への問い」とはまさに、技術の認識論的機能への問いなのである。まずはアナログ写真がわれわれの感覚をどのように条件付けたのか。デジタル化によって、諸条件がどのように変化しようとしているのか(「監禁は鋳型であり、管理は転調である」といったドゥルーズの言葉を想起せよ。鋳型-アナログから転調-デジタルへ。規律社会から管理社会へ。そこでのメデァイテクノロジーの果たす役割・機能とは何か)。けだし、“表現”とは条件への抵抗にほかならない。

批評家・福田和也は『イデオロギーズ』(5年以上前の著作だが)のなかで、近代テクノロジーの捉え方の4つのヴァリエーション-4人の思想家・哲学者を図式化している。柳宗悦の民芸運動にも影響を与えた工芸家のウィリアム・モリス、イタリア未来派の総師マリネッティ、ご存知ベンヤミン、そして森の哲学者ハイデガー。モリスは近代テクノロジーを徹底的に告発する反テクノロジー派であり、人間回復を唱える、今風に言えばエコロジストだ。僕流に言えば、アナログ派ということになる。マリネッティは近代テクノロジーに人間知覚の拡張を見出し、その可能性を称揚する、今風に言えば科学技術派(コンピュータ派と言い換えてもいい)だ。ベンヤミンとハイデガーはややねじれを含んでいる。ハイデガーもまた近代テクノロジーを徹底的に告発する。しかし一方で、ベンヤミン同様、近代テクノロジーに近代以前の人間主義を克服する継起も見ている。たとえば、ベンヤミンが写真や映画に近代以前のアウラ(=唯一性)の崩壊を見出したように。しかし、福田和也も語っているように、この4つの、4者のヴァリエーションは意外に複雑だ。モリスも、ベンヤミンもマルクス主義者だが、マリネッティも当時の革命家(たとえば、ボルシェヴィキ)たちに賞賛された一人だ。しかも、マリネッティとハイデガーは共に、イタリア・ファシズムとナチの随伴者として知られている。実はこの複雑な絡み合いこそが、現在を映す鏡となるわけだ(と福田和也は考えているように思える)。では、この複雑な絡み合いをどうとらえるか、それが問題だ。言うまでもなく。

それはさておき、われわれが4つのヴァリエーション、あるいは4人の思想家・哲学者に見るべきものは、まず4人が4人とも人間と技術の関係を重要視していることだ。そしてもう一つが近代以前と以後と、技術の在り様が大きく変わってしまったという共通の認識である。モリスは近代テクノロジーを非人間的なものとして、手の技術に回帰すべきだと説くだろう。マリネッティは反対に近代以前の技術に人間への桎梏を見、近代テクノロジーこそがそこからの解放をもたらすと見なすだろう。ベンヤミンは二つの技術の在り様を歴史的な変化としてとらえ、上記2人の見方いずれにも与しようとはしない。ハイデガーはベンヤミンと共通の歴史認識をもちながらも、ややモリス的に近代以前あるいはさらに遡った技術の在り様(たとえば、古代ギリシア)を模索したとも言えるかもしれない。もちろん、ここまでは教科書的なおさらいとも言える。

「個々の主体にとって、イメージの次元はその言葉の広がりと共存している」
「イメージは言葉にかかわる事柄なのだ」
「イメージとはまず何よりも第一に言説の現象なのである」
(いずれもピエール・ルジャンドル。佐々木中著『夜戦と永遠』よりの孫引き)

こんなこと(上記の引用)はすでに分かっていたことだったのに・・・。「・・・」にこそ、われわれの言説の貧しさがひそんでいる。自戒と反省を込めて。

われわれはもはや、写真における“記録”という概念をその貧しさゆえに放棄しなければならない。記録とはけっきょく算定可能なものとして対象化されたものにすぎないのだから。写真は記録ではないし、記録であってはならない。だからといってもちろん、撮影者のまなざしの軌跡でもない。写真が指し示す物的・現実的対象との光学的な分離、区別、その距離こそを思考しなければならない。かつての写真家や写真理論家たちは、写真が記録であることにどのような夢を見たのだろうか、あるいは見ようとしたのだろうか。記録とはいったい何か?何ものにも媒介されていない、純粋な物的・現実的対象の写し?であるがゆえに、中立的な対象であると?現実そのものであると?時空間を飛び越えて回帰する現実?亡霊のように。もちろん、こんな言説を今時、信じる者などいまい。問題なのは記録の正当性・不当性ではない。そうではなくて、何故、写真に記録性が求められたのか、何故、記録に写真の根拠を見出そうとしたのか、その歴史性を考えることである。

たとえば、現実、世界、社会、自然…には、われわれが知覚できない、知りえない、触れ得ない“すべて”があり、われわれが知覚し、認識できるのはその断片にすぎない。であるがゆえに、見えないものを見えるようにし、触れ得ないものを触れるようにし、知り得ないものを知るように知ること。こうした言説が相変わらずアートの、表現の世界にはびこっている。その際、槍玉に挙げられ、敵として捏造されるのが意識であり、言葉であり、理論であり、制度といったものである。つまり、意識が、言葉が、理論が、制度が“すべて”なるものを遮断し、限定しているというわけである。否定、禁止、抑圧の論理。だから感覚を、身体を、全的に解放しなければならないと。感覚、身体の優位性。プラトン以来、変わることのない意識と感覚(身体)の無反省な二項的対立。だから、原始時代のわれわれは全的な感覚を有していたが、今はそれが失われてしまったなどという、子供でさえだまされない嘘がまかり通るのだ。現代のわれわれの感覚は、抑圧され、禁止され、限定されているというわけだ。しかし、こうした思考は眉唾ものである。われわれはもはやこうした否定、禁止、抑圧の論理からおさばすべきである。確かにわれわれの感覚は制御(減量)されているかもしれない。しかし同じように、原始時代の人類の感覚もまた制御(減量)されていたのだ。現実の、世界の、社会の、自然の・・・知り得ない“すべて”とは、遡行的に、事後的に、経験的に導き出された“すべて”にすぎない。われわれ人類(ヒト)にとって、“すべて”はすでにして“断片”であり、“断片”は“すべて”なのであって、問題はどのような“断片”かなのだ。つまり、つねに歴史的に多様な“断片”が存在するのだ。とすれば、問題なのは、なぜ、そのような“断片”なのか。どのような操作によって、その“断片”でしかないのか、別な“断片”はないのか・・・を問うことだろう。「見えないものを見えるようにする」などという言説を鵜呑みにしてはならない。見えるものが“すべて”であり、“断片”なのである。見えるものと見えないものの配分、感覚の、意識の地図を作成すること、減量バルブの機能を精査すること。

語でも、文でも、命題でもない、言表(エノンセ)。このフーコーの“言表”という概念はきわめて重要だ。文の主体、命題の対象、語のシニフィエこそが“言表”の派生物なのだ。“言表”の効果としての主体、対象、概念。もちろん言うまでもなく“言表”には、非言説的な環境(可視性)との言説的な関係も含まれている。フーコーの“言表”という概念はいかなるものなのか、徹底的に考える必要がある。たとえば、写真というイメージを分析するためにも、この“言表”という武器を使用すべきではないだろうか。

「無責任、ニーチェのもっとも高貴で美しい秘密。」(ドゥルーズ『ニーチェと哲学』江川隆男訳)

イメージの解読-つぶやき風に

2010年04月24日 | Weblog
   実存の不幸とはつねに自己疎外(狂気)に属し、実存の幸福とは、経験的な次元にお
   いては、表現の幸福[芸術]に他ならないからだ。
   -フーコー「ビンスワンガー『夢と実存』への序論」(石田英敬訳)

写真のインデックス性について
写真(イメージ)を解読するための二つの方法を考察してみること。精神分析学(フロイト)的方法と現象学(フッサール)的方法。ともに20世紀前後に登場した、イメージ(記号)の意味作用に関する考察は、写真というイメージを読む上できわめて示唆に富んだ方法を与えてくれる。この二つの方法の傍らにベルクソン、あるいはドゥルーズを斜めから交差させながら(ということはもちろん、パースやラカンを介在させながら)。たとえば、ミシェル・フーコーは、フロイトが指標と意味作用を混同したのに対して、フッサールは指標と意味作用を明確に区別したと語っている。ここで、指標とはインデックス性と、意味作用とは記号の言語的な把握(理解)、あるいは言語への還元のことである。この意味作用と光学的な体制(表現性)がどう関係してくるのか。例えば、フッサールはその著『論理学研究2』の冒頭で、記号が「指示する機能以外に、さらに意味機能を充たすのでなければ、何ものも表現しはしない」と言っている。つまり、写真におけるインデックス性とは単に被写体を指し示しているにすぎないということだ。その被写体がどのような状態にあるのか、その存在の在り様を告げるのは表現の領域(どのような林檎なのか、どのような人物なのか、どのような街なのか・・・)である。われわれの言葉で言えば、光の体制のことである。もちろん、写真におけるインデックス性が単に被写体を指し示すだけの機能しかないと主張したいわけではない。写真におけるインデックス性は被写体との物質的な直接的つながり(痕跡)を持っている。バルト流に言えば、「それはかつてあった」というコードなきメッセージのことである。つまり、その被写体が過去に確かに存在したという実在性-過去の時間の露出を告げているということである。しかし、何度も言うが、インデックス性という写真の記号的な側面においては、見る側にいかなる意味も告げることはない。しかし、一個の林檎が、一人の人物が、人とモノにあふれた街が写されたとすれば、われわれはそれらが何かを名指すことができる。林檎、人、街と。その場合、それらのイメージはわれわれの言葉によって(英語ならば、別な音声記号で)把握され、名指しされたものには違いないが、それだけではいかなる意味も喚起しはしない。ただ光の痕跡があるだけである。確かに、それらの痕跡の記号から、ある連想をすることはできる。経験的知覚と言葉の関係によって。これはフーコーが挙げている例だが、例えば、野うさぎの足跡があるとする。その痕跡を野うさぎと名指すことができるのは、猟師たちである。一般の人にとっては、星型の跡にすぎない(その振幅の幅はあるにしろ)。猟師がその痕跡から野うさぎと名指しできるのは、経験的な知によってである。ところで、被写体を指し示すだけの写真(イメージ)は可能なのだろうか。と同時に、ただあるモノを指し示すことに、いかなる機能があるのか。写真の痕跡は光によってもたらされたものである。そこには言うまでもなく光による効果がまとわりついている。イメージはつねにインデックス性と光の効果が混合したものである。この光の効果を最小限に抑えることで、あるいは光の効果を巧みに操作することで、被写体-モノそのものだけを指し示す写真(イメージ)は可能だろうか。これが、ある一部のモダニズム写真が追求したことであろう。いわば引き算による写真、あるいは否定の論理による写真ともいえるものだ。林檎を写した写真がただ林檎であることだけを指し示す写真。おそらくその場合、見る側を強く喚起させるのは、<それがある>という存在感と<それがあった>という時間の露出だろう。意味が剥奪された裸形のモノ。しかし、このモノの存在感と時間の露出(バルトの「時間のプンクティム」)は実体的なものではない。モダニズム写真の誤りはこれを実体的なものととらえたことにあるだろう(蛇足ながら、その結果、何が起こるか、起こったかと言えば、いわゆる写真における技術至上主義がはびこることになる。手段が目的化されてしまうということだ。モダニズム写真が何を求め、どのような論理を展開したかを忘れ、その結果だけが美学化されてしまう。したがって、われわれがここで考えようとしているのは、モダニズム写真を否定することではなくて、あくまでも批判する-限界を問うことである)。これはあくまでも否定の操作(否定の論理に関しては、ジャン=リュック・ナンシーの次の言葉が示唆的であろう。「つまり人はその呈示不可能性を(再)呈示=表象し、結局はそれを、否定的なものをとおして呈示可能なものの秩序に従わせてしまうのである」)によってもたらされた効果にすぎないのだ。ここにこそデュシャンのレディメイドの論理がある。このことはまた後述したいと思う。もうしばらく、被写体(対象)を指し示すだけの写真について考えてみたい(もちろん、指し示すだけの写真は、事実上は不可能だが・・・)。限りなく被写体を指し示すだけの写真には、多くのヴァリエーションが考えられる。たとえば、スティーグリッツによって主張され、始められたと言われるストレートフォトはどうだろうか。もちろん、ストレートフォトと言っても、スティーグリッツはもちろんのこと、ウェストンやアダムズ、カニンガム、さらにはラングやエヴァンス、各写真家によって作風は異なるのだが、一般にストレートフォトと呼ばれるものは、たとえば、ウェストンの一連の静物写真(ピーマン等々)に見られるように、被写体(モノ)そのものを再現することにあると言われている。モノそのものの現前。まずそれらの写真はしばしばモノが他のモノとの関係においてどのようにあるかを排除し、撮影対象となるモノだけに焦点をあてるだろう。それは当然ながら、他のモノとの関係においての意味の創出を避けるためである(ということは、指し示すだけの写真においても、その被写体が位置する、他のモノとの関係や空間において、われわれは何らかの意味を取り出すことが可能だということだ。たとえば、ストレートフォトと、最近のミニマリズム的写真を比較してみると、そのことが良く分かるだろう。ストレートフォトがモノそのものを隔離し、孤立させるとすれば、ミニマリズム的写真はモノの関係そのものを隔離させようとしているように思える。これについては詳細な考察が必要だが。そして当然ながら、60年代後半以降に登場するコンポラと呼ばれる写真を間に置きながら。この3者の比較については後述することになると思う。さらにストレートフォトとはまったく真逆の“不鮮明の美学”というのもある。これもまたストレートフォトとの比較において考察に値するイメージの一つだろう。少し先取りして言えば、モノの配置による意味作用はバルトが言う「スティディウム」にあたるのだろうか)。撮影対象となるモノだけを隔離し、孤立させること。そうすることで、モノの配置から生じる物語性(経験的知による共同体的連想〉を拒否するとも言える。ストレートフォトにあっては、この後が問題となる。いわゆるレンズの効果とプリント技法である。ストレートフォトの真髄は、レンズと光の効果によって、形、輪郭、ボリューム、そして何よりもそのディテールを際立てることで、モノ(被写体)の存在感を喚起することにあるだろう(それがまた絵画とは異なる写真というイメージを創出することであったであろう)。そにおいてはすでにして表現の領域に侵入することになるのだが。確かに、ストレートフォトによるモノのイメージは、われわれの知覚におけるモノの別の相を見えるようにしてくれた。いわば写真という技法による、知覚の拡大・縮小=“引き伸ばし”である。人間的知覚のスペクトルを超えた過剰な知覚(すでに、写真の登場以前にフランシス・ベーコンはその著『ニュー・アトランティス』において、遠くのモノが微細な点や線まで明確に見える発明品について書いていた)、。これが現在もまだ、われわれを捉えてはなさない、写真の美学の一つであり、写真の魅力の一つでもある。これはまた近代科学の成果とも符号するものだ。しかし、ここで間違っても、写真はモノそのものを捉えることに成功したなどと誤解してはならない。確かに、ストレートフォトは写真のインデックス性という機能を用いて、モノの別な相を可視化した。さらにストレートフォトの多くは、一つの被写体(単体)に焦点をあてることで、モノの奥行き(深さ)を追求する。それをとりあえずは物理的次元、あるいは物質的次元と呼んでもいい。モノとしての写真。しかし、それによって見えなくなったもの、排除されたものがあるのではないか。それが問題だ。まず一つ言えることは、モノの関係性(社会的・歴史的)が抜け落ちることになるだろう。なぜ、モノがそのようにあるのか、モノと人間との関係、モノと社会的空間との関係(配置)等々。ストレートフォトはモノの意味性を剥奪し、物質的な次元の一部をあらわにするのだが、その減算的抽象化によって-いわばモノの純粋化によって、モノの社会性・歴史性が隠されてしまうということだ。もちろん、これには多くの反論もあるだろう。たとえば、モノの社会性や歴史性に着目することはけっきょく、意味を媒介させることではないかと(ここでの考察の賭金の一つはまさにここにある!)。実際、彼らがなぜ、ストレートフォトを志向したかと言えば、一つは単なる記録としての写真(現実の転写-意味を媒介とした記録性)ではなく、写真を芸術という領域に高めようとしたことにあるだろう。ここで言う「芸術」とは当然ながら、20世紀初頭のモダニズム美術が求めたことと一致する。スティーグリッツは当時のヨーロッパにおける前衛美術の良き理解者であるとともに、アメリカへの紹介者でもあった。絵画や彫刻がその図像的意味性を漂白し、抽象化に向かうことと、ストレートフォトの志向は符合する。つまり、あらゆる意味を回避し、芸術それ自体を志向すること。それでは、ストレートフォトにおける、インデックス性(対象を指し示す機能)と表現性はいかなる関係にあるのだろう。ストレートフォトが追求した表現性(レンズの効果やプリント技法)とはもちろん、被写体に何かを付加(意味づけ)することではない。むしろ、写真というイメージをインデックス性の機能に特化させるためである。繰り返しになるが、被写体そのものの現前(表象=再現前ではない)、純粋なモノの現前である。純粋なモノの現前とは、存在そのものの露出にほかならだろう。ストレートフォトがインデックス性を強化するためにレンズの効果やプリント技術を高度化させたとすれば、当然、そこにおける表現性が過剰になれば、インデックス性本来の機能を裏切ることになる。たとえば、ウェストンの「ピーマン(の写真)」がその一例だろう。ウェストンのピーマンはもはやわれわれが知る植物としてのピーマンではない。鉛の塊のようなものである。このインデックス性に対する表現の裏切りを意図的にやったのがデュシャンだ。マン・レイ撮影による、かの有名な写真「埃の培養」が指し示す対象は、埃ではない。ナスカの地上絵のようなものである。原則的にストレートフォトがインデックス性に忠実な表現を、あるいは被写体に従属する表現を志向したとすれば、デュシャンはインデックス性を脱臼させることに、あるいは被写体を裏切ることに表現を求めたことになる。だからといって、インデックス性に対して表現(レンズの効果)を優位に置いたわけではない(つまり、嘘=虚構をついているわけではない)。キャプションによって「埃」であることを告げているのだから。いわばデュシャンは被写体(対象)と記号(イメージ)の関係を宙吊りにしたと言える(ちなみに多くの広告写真は、ストレートフォトフォトとは逆にインデックス性を表現性に従属させることで-つまり虚構を痕跡に転化させことで、一つのメッセージ=意味を伝えるだろう。バルトが人為的なものを自然化すると言った写真の神話作用である)。デュシャンにおける対象と記号の関係は、ロザリンド・クラウスがフォトモンタージュ(ジョン・ハートフィールドらの)とマン・レイのソラリゼーションの違いについて論じていることが参考になる。フォトモンタージュにおいては、切り取られた(現実からの切り取りであれ、既存のイメージからの切り取りであれ)断片を一つの語彙とし、その再構成によって新たな意味を創出しようというものである。したがって、その機能は一般化されたイメージをずらし、脱臼させることに意図があるだろう。だからフォトモンタージュの多くは社会風刺を目的として使用されることが多い。それに対して、マン・レイのソラリゼーションは被写体(対象)とそれを指し示すイメージ(写真)のズレそのものを提示する。二重化の登録。ソラリゼーションはフォトモンタージュのように、新たな意味の創出を目論むというよりも、対象とそれを指し示す記号のズレ(二重性)を提示することで、むしろ意味の形成そのものを宙吊りするといっていい。意味作用の中断。デュシャンのレディメイドもまた、同じ論理に従っている。繰り返しになることを恐れずに、知覚を物質的な次元まで高めたストレートフォトの“鮮明さの美学”についてもう少し考えてみたい。写真が登場した時、従来の芸術家(画家)が最も恐れたのがモノを鮮明に写し取る再現性、描写性の高さであった。確かに写真は手の助けを借りることなく、モノを正確に描写、再現する。しかし、写真という機械の目によるモノの描写・再現には、人間の精神が介在していないではないか。であるがゆえに、そこに芸術的な意義はないということである。当時の芸術観から言えば、芸術とは精神による高度な総合の行為である。イデア(理念)の創出。写真は単なる機械の目(レンズ)による描写・再現にすぎないというわけだ。当時、ボードレールもまた、写真に対して同じ批判をしている。それではモノを正確に描写・再現する写真に科学的な価値があるのかと言えば、実はそれも曖昧である(これがまさに、表現と記録という形で反復される問題圏でもある)。なぜなら、写真はその他のいわゆる科学のように新たな“関数”を発見するものではない。ただ単に科学的な見方(事実)を再確認するだけのものだからだ。再認としてのイメージ。芸術でも、科学でもない写真というイメージ。おそらくスティーグリッツを始めとするストレートフォト派の面々は、写真を芸術表現まで高めるために、機械の目(レンズ)の持つ明晰さを精神の明晰さと一致させる必要があったのはないか。機械の目の明晰さを精神の目の明晰さに置き換えること。光と精神の同一性。たとえば、アンセル・アダムスが写真によって自然の中に見出したものは明らかに精神的崇高さである。ここでわれわれはもちろん、ストレートフォト派の写真を非難しているわけではない。彼らと後の技術至上主義者とは厳密に区別しなければならない。技術至上主義者(技の美の追求者)とはけっきょく、結果(効果、現働化された形体)から出発する者にほかならない(芸術家とはつねにいつも再開する者である)。それはさておき、ストレートフォトにおける機械の目による明晰さと精神の目による明晰さの一致には、後に、たとえばミニマリズムが「抽象表現主義の形而上学性(超越性)」を否定する、その超越性という問題点があるだろう。写真が写真家(作者)の精神世界を写し取るということである。ここには写真の極めて危険な使用法がひそんでいる。ベンヤミンが批判した例のレンガー=パッチュ(新即物物主義とストレートフォトの類縁性)の『世界は美しい』という世界である。あらゆる意味が剥ぎ取られたモノの美しさ。あたかもそれがモノの真理であるかのような実体化(自然化)。実際、ナチズムの美学には、「裸の事物=起源」という志向があった。これは初期写真にける観相学的使用法と同様である。さてここで、ストレートフォトの理念をパースの現象学あるいは記号論的な観点から考えてみたい(言うまでもなく、インデックス性という概念はパースからきている)。パース現象学の基本となるのが、一次性・二次性・三次性という普遍的カテゴリー(三項関係)である。一次性とは「他のものといかなる関係ももたないそれ自体であるもの」という一項的な関係の存在のあり方。二次性とは「第二のものとの関係においてあるもの」という二項的な関係のあり方。三次性とは「第二のものと第三のものとの相互関係においてあるもの」という多項的な関係の存在のあり方。パースにとってすべての現象は記号現象である。それゆえ、この3つの現象学的カテゴリーを記号過程にも当てはめ、記号の一項的なあり方を「記号(現象)」それ自体に、二項的なあり方を「対象(との関係)」に、三項的なあり方を「解釈項(記号と記号との関係によって作り出されたもの)」と呼んでいる。つまり、記号は対象と結びつくことで支持関係を作り、その対象が何であり、どんな意味をもっているかを規定するのは解釈項である。したがって、記号と対象の結合を保障するのも解釈項ということになる。「インデックス性」という概念は、上記の二項的なあり方を-対象との関係における分類に登場する。支持関係が類似性にあるものを「イコン(類似記号)」と呼び、物理的な関係をもつものを「インデックス(指標記号)」、対象といかなる類似性も、物理的関係ももたず、一般概念を介して対象の意味を表すものを「シンボル(象徴記号)」と呼んでいる。ここでパースの解説をしていても始まらないのだが、問題は写真というイメージがどのような記号的特性を持っているかである。写真は光の痕跡(光による物の鋳型)によって、対象との物理的な関係(支持関係)をもっている。たとえば、キリストの絵(記号)はキリストとのいかなる実在的な支持関係ももっていない(であるがゆえに、物理的な痕跡を求めて、その実在性を証明するためにキリストの聖遺物が求められるわけである。しかし、誰もが疑問をもつことだろうが、類似性が成り立つためにはそもそもその対象が実在していたからではないかと。しかし、神の絵における類似性とは実在した神との類似なのか。したがって、「イコン」には想像上のものも含まれるわけだが、その場合の類似性とは何かが問題となるだろう)。いうなれば、写真はそのネガ状態においてこそ、写真の「インデックス性」があると言える。ポジに転換されることで類似性を持つことになるわけだ。写真は「イコン」を含んだ「インデックス」というわけである(それじゃ、代名詞や固有名は「インデックス」なのか。確かに、代名詞や固有名は個別的事実を唯一無二指示する。しかし、対象とのいかなる類似性もなければ、物理的つながりもない。したがって、代名詞や固有名は「インデックス」を含んだ「シンボル」ということになるだろう)。写真におけるインデックス性とは、対象が確かに存在したことを指し示すが、それがいかなるものかは表すことはできない。われわれがリンゴ、人、街と名指すことができるのは類似性においてであり、言葉というまた別の記号においてである。とするならば、パースの記号論を使って写真というイメージを解読するには、「イコン」「インデックス」「シンボル」がどのように関係し、作動しているかを見ることではないか。つまり、写真のインデックス性という側面ばかりを考察しても拉致があかないということだ(とりわけ、デジタル時代にあってはなおのこと)。もちろん、それだけではない。「記号」それ自体の下位分類においては、「性質記号」「個別記号」「法則記号」という分類もしている。「性質記号」とは記号それ自体がもつ性質、質的な可能性として存在するもの(潜在性)である。「個別的記号」とは記号それ自体の性質が具現化したもの、写真というイメージの物質的諸条件-支持体や光量等々にあたるだろう。「法則記号」とは「個別記号」が一つの観念として表される場合である。写真ならば、「写真」と。さらに「解釈項」の下位分類においては、「名辞」「命題」「論証」と分類されている。つまり、パースの記号論ではきわめて精緻な分類からなっており、記号は9つの要素から構成され、10種類の組み合わせが可能になるわけである(イメージの3つの様態と記号の3つの様相の組み合わせ)。

コーカス・レース

2009年11月30日 | Weblog
スペクタクル時代における写真(イメージ)の活用法の一つは、見えないものを見えるようにすることよりは、見えるものを見せないことがより積極的な意義をもつだろう。そこであらわになるのは、現在の写真が機能している感覚/知覚の図式のようなものである。見えるものを忘却すること。忘却の写真論。

メディアの公的使用と個人的使用の区別を考えること。もちろん、メディアの個人的使用からの公的使用に対する批判-「大きな物語」への批判という、70年代前後に見られた姿勢・視点を考えるだけでは不十分なことは自明なことだ。たとえば、日本の近代(明治時代)において、個人が日記という個人的メディアを持つことで、どのような内面化という管理が始まったかを考えてみればいい。インターネット時代におけるメディアの個人化は、言うまでもなく公的/私的という境界をなし崩し的に流動化させている。

カントのかの有名な理性の使用に関する区別-「理性はその公的な使用においてこそ自由であるべきであり、その私的な使用において服従させられるべきものである」のパラドックスを参照にすること(そして、フーコーの「啓蒙とは何か」を)。

誤解してならないのは、カントの公的/私的区別が一般的な意味での公的/区別ではないということである。たとえば、会社員や役人において、仕事上の領域が公的であり、家族を中心とした私生活の領分が私的ということではない。カントが言う私的な領域とは、会社であれ、役所であれ、家族の中の父親であれ、それらはいずれも社会的関係における位置-つまり社会という機械の一個の部品としての役割である。それらの領域はすべて私的領域なのであり、それぞれの個別的な目的・役割に応じた理性の使い方をしなければならない。私的領域において、理性の自由な使用はないし、制約を受けざるを得ない。それに対して、公的な理性の使用とは、純粋に理性の使用のみにおいてこそ、理性の自由な使用が可能になり、使用すべきということである。では、純粋な理性の使用領域とは何か?おそらくあらゆる社会的有用性を排した、ただただ理性の目的のみにかなう領域ということだろう。このあたりは、ある物の有用性や感覚的な快適性を排した、純粋な対象としての物を美と定義したこととパラレルな関係にある。理性の目的のみにかなう領域とはどういうことだろうか?フーコーはそれを「自分の理性を使用するためにのみ、ひとが論議(推論)するとき、理性ある人類の構成員として、ひとが論議するとき、その時こそ、理性の使用は自由で公的なものとなる」(「啓蒙とは何か」フーコー・コレクション6 石田英敬訳)と言っている。社会的存在たる人間にとって、社会的条件を離れた純粋な理性人などはありえない(笑)。つまり、事実上、人間は私的領域に位置しているということである。しかし、権利上、公的領域を想定(仮設)することは可能である。

たとえば、人間という概念は抽象的な概念だ。誰もがある特定の社会、文化、歴史等々の諸条件の制約を受けている。抽象的概念である人間に純粋に該当する者は存在しない。つまり、カントが述べるような理性のみを目的とするような理性の使用-理性の公的使用(あるいは純粋な無関心の対象=美)は不可能なのだ。しかし、人間という抽象的概念を想定することで、制約の下にあるそれぞれの人間の社会的在り様-諸条件を照射することができる(しかし、ヒューマニズムのあやまりは、その人間という抽象的な概念を実体化してしまったことにある。なぜなら抽象的概念たる「人間」もまた歴史的・社会的条件の産物だからだ。実際、「人間」というが概念はフーコーが語るようにたかだか150年ほどのものでしかない)。これこそが超越論的視点である。したがって、現実の歴史的・社会的諸条件を照射する(あらわにする)というのみにおいて、理性の公的な使用が意義をもつのではないか。僕らが個人的にメディアを使用する意義があるとすれば、まさにこの一点においてではないか。日常生活のレベルでルールを無視する輩(無法者)は、公的な領域においてはしばしば保守的である(笑)。無法者のパラドックス。かつて「あらゆる犯罪は革命的である」と語った思想家がいたが、彼はこのカント的パラドックスを思考することができなかった(笑)。

絵画としての写真。写真としての絵画。「写真と絵画」の関係について再考すること。ボードレールは「現代生活の画家」において、19世紀後半(ボードレールが生きた時代)、それまでの画家に代わって現代生活を描く(描写する)挿絵画家コンスタンタン・ギースについて論じている。19世紀後半に時事的なニュースや流行を伝える存在としての挿絵画家や版画家が台頭し、活躍したことを想起せよ(挿絵・版画・写真)。言うまでもなく、ほどなくして挿絵画家や版画家の地位は写真家たちに奪われることになる。現代生活の画家としての写真家。

写真が現実から採取されたイメージのコレクションならば、個々の写真家たちによる分類法を問わなければならない。現実から採取されたイメージはもちろん、現実そのものではない。現実から分離・区別された(強調された)ものであり、すでにしてそれは実体のない靄のようなものである。実在なきイメージ-実在と特殊な関係を有した効果としてのイメージ=写真。現実から分離・区別されたものはいわば現実から採取された理念であり、ビス・イデアとも呼ぶべきものである。超越論的経験論。では、“何が”どのような方法で分離・区別されたのか。現実から引き出された理念であってみれば、それは「見る世界」ではなく、「物から見られる世界」である。見る前に実在している現実的対象。言語的把握以前の世界。しかしすでに、感覚も言葉に侵され、無意識もまた言語化されている。というよりも、言葉との関係性において感覚も、無意識も成り立っている。まずは視覚的分類法の歴史から学んでみようか。分類の技法としての写真。

「イメージは潜在的に自由の空間だ。それはモデルとしての対象という束縛を消滅させ、そこに思考の飛び立つような高揚感、想像力の果てしない彷徨を置き換えるのである。私としては、基本的な視点として、イメージはおそらく私たちに残された、聖なるものとの唯一の絆なのだと付けくわえたい。」(ジュリア・クリステヴァ著『斬首の光景』星埜守之ほか訳)

デジタル時代にあってイメージの背後/手前にあるものがすでにしてイメージならば、われわれはイメージの内部へと下りていかなければならない。イメージ内部の奥底へ。写真における”かつて”と”いま”、前と後の崩壊。もはやイメージに前後はない。とするならば、イメージと被写体(対象、現実)との関係というよりも、イメージとイメージの関係を問うべきなのだろうか。イメージの背後、手前ではなく、横を、傍らを、周辺を。フロイトのマジック・メモさらなが、イメージを引き剥がせばそこには無数のイメージの痕跡が渦を巻いている。

ではイメージとイメージはどのような関係にあるのか。その関係の中心となる表現的効果を探ること。それはどのような効果なのか。どのようなベクトル(力の方向)をもった効果なのか。誰のための、誰に向けての、何のための、どのくらいの効果なのか(誰を利し、誰に与し、誰を管理するための……)。表現動機のドラマ化。もちろん言うまでもなく、作者の表現動機や意図を問うことではなく、“表現”そのもの(表現上)の動機をドラマ化することである。

ところで、「事後性を現像する」ことと「事後性を捏造する」ことの違いはどこにあるのだろう?(笑)。事前性(撮るという経験的次元)を特権化することで、事後性を作り上げてきたのが森山大道ではなかったのか(違うのかな~?)。事後性を捏造すること、事前を裏切ることで。事後性と事前性のもつれ合い。まあ、それが写真だね(笑)。事前を裏切る事後性、事後を裏切る事前性。

現在、TARO NASUギャラリーで開催中の片山博文展「Exchangeable」と良知暁展「frames」の二人展は上記のテーマ(イメージの横、傍ら、周辺等々)をモチーフとした試みのように思えるが、いかがだろうか。二人が問題にしているのは、いわゆるイメージと現実の前後関係ではない。むしろ、イメージの横、傍ら、周辺ではないだろうか。あるいはイメージと現実の関係に対する伝統的な考え方それ自体を問いに付すこと。たとえば、片山博文の「Exchangeable」では、空港の搭乗口や荷物検査口、航空機の断片、空を飛ぶ航空機等々がトーマス・デマンド風なイメージで展示されている。そこにさしはさまれた幾枚かの不鮮明な写真。これら一連のイメージの並びは非常にゆるい形だが、一つの事件の経過を思わせる。しかし、見る者がこの展示から受けとる効果(分離・区別されたもの)は、一般的な写真が機能させる物語性や演劇性、記録性といったものとはまったく正反対のものである。トーマス・デマンドの作品がすでにして、ある事件のメディアによって映像化されたイメージを紙製の彫刻によって再構成することで、イメージ(写真)が与える物語性や演劇性、記録性に対して疑いをもたらすことであった。

こうした物語性、演劇性、記録性をもたらしているのが写真における光学的描写(虚構性)とインデックス性(リアル性)という、同一の方向性を担った二つの機能である(したがって、ぼくらはこの二つの機能の関係性を問わなければならない)。おそらく片山博文もまたデマンドと同じ問題を共有しているように思える。実際、解説を読むと、9.11のアメリカ同時多発テロ事件をモチーフにしたものだいう。おそらく、不鮮明な写真はこの事件を元に制作されたノンフィクション映画の画像から取られたものだろう。片山博文が問題にしているのは、写真におけるイメージと現実という伝統的な関係が否応なくもたらしてしまう効果-一つの事件(事実)に付加される物語性や演劇性、記録性ではないだろうか。その結果としての熱狂的な反テロリズムの高まり。

もちろん、写真におけるイメージと現実は一対一の関係にあるという考え方のみを批判しているわけではないだろう(「Exchangeable」=イメージの交換可能性というタイトルには、そうした批判も含まれているのかもしれないが。つまり、一つの現実に対してのイメージの交換可能性=複数性というよりも、イメージと現実との関係性それ自体の交換可能性である)。むしろ「Exchangeable」の意図は、現代のスペクタクル化社会を形成している重要な要素である物語的効果、劇的効果、リアルな(記録的)効果等々を脱色することであろう。イメージの漂白としての写真。良知暁の「frames」もまた、写真というイメージが成立する物質的な諸条件(フレームや展示空間、撮影場所等々=パレルゴン)をあらわにすることで、イメージのスペクタクル性を脱色させようという試みではないだろうか(マネの絵画が試みたような)。いずれにしても彼らの関心は、イメージの横、傍ら、周辺にあると言える。

もう一つ付け加えておけば、写真(イメージ)によるメディア/イメージ批判という内在的批判それ自体は決して目新しいことではない。例えば、70年代すでに多くの写真家たちがメディア(内在的)批判をするだろう。プロヴォークしかり。しかし、70年代のメディア/イメージ批判と片山たち(デマンドも含め)のそれは大きく異なる。片山たちのメディア/イメージ批判は、メディアが与える現実のイメージに対してもう一つのイメージ(現実)を対置することでもないし、身体的なものを介入させることで、イメージと現実の一義的な対応関係を暴力的に解体することでもない。片山たちの批判の身振りはきわめてクールである。80年代に登場した小林のりおたちが切り開いたような「過激な傍観者」的身振り(それは写真的リアルさへの懐疑でもあった)を継承している。いわばフーコー的な意味でのイメージの内在的な批判になっている。それはおそらく、デジタル時代における「実在なき(厳密に言えば、実在的関係性なき。ただし、「イメージなき実在=アナログ写真」という対立を見てはいけいない)イメージ」の世界に生きているという自覚からではないだろうか。それはまた、写真という優れて20世紀的イメージのリアリティ(モノ論)を解体することにあるだろう。

写真を「描写」という観点から論じること。17世紀オランダ絵画と写真(アルパースの『描写の芸術』を参照に写真における「描写と理性」について論じること。写真史における「記録と表現」はこのバリエーションにすぎない)。それは写真のリアリズム(写実主義)について再考することでもある。

アルパースは『描写の芸術』のⅡ「視覚はまた絵のごとく……」において、ケプラーを中心にダヴィンチ、プッサンにおける「見ること」「知ること」「描くこと」の相関関係を論じている。たとえば、ダヴィンチは「物語的芸術(イタリア絵画)」と「描写的芸術(オランダ絵画)」の間で逡巡している。「描写的芸術」は単なる眼にすぎない。絵画には理念(精神)=「物語的芸術」が必要であると。プッサンはそれを「外観(アスペクト)」と「眺め(プロスペクト)」に置き換える。「外観」とは単に見ることであり、事物を自然現象として受容することである。「眺め」とは事物を見分ける眼であり、視線、対象と眼の距離を決定することである。「外観」=裸眼というプッサンの論理。しかし、ケプラーは「外観」は決して自然現象ではない、この網膜上のイメージはすでに事物と同じものではない。ベルグソン的に言えば、「外観」はすでにして現実の事物から人間の有用性に基づいて縮減されたイメージなのである。

確かに、“物語的視覚=イタリア絵画”に比較して、“描写的視覚=オランダ絵画”は自然の事物に一歩近づいたように見える。写真のリアルさという神話。そこからイデアとリアルの逆転が起こる。それはまた科学思想の論理でもある。これこそがダヴィンチが恐れた「眼と世界の一体化」である(それはまた印象主義の誤りであり、セザンヌがモネについて語った「モネの絵は眼にすぎない。すばらしい眼ではあるが」のことでもある)。ここでわれわれはイデアの在り様の変化をとらえなければならない。イデアとはカント的言えば、超越論的領野なのであって、人間が言葉を持ってしまった以上、避けられない領域なのではないだろうか。とすれば、写真登場以後、イデア→リアルというイメージの図式ではなく、イデア→ビス(準)・イデアとも言うべき図式を考えなければならないのではないか。このビス・イデアとは言うまでもなく、物語的イデアのことではない。デジタル時代の写真(イメージ)はまさに、イデアからリアル(古典主義時代から近代)という図式そのものを問いに付すのである。

アルパースが『描写の芸術』(幸福輝訳)の序文で引用しているジョシュア・レイノルズの下記の文章は、そのまま写真について語ることの困難さにつながっている。

「オランダ絵画の価値はしばしば真実味のある表現そのものにあるので、たとえそれがどんなに賞賛すべきものだろうと、眼にどんなに喜びを与えるものだろうと、一度それを言葉で言い表わそうとするとどこか貧相なものになってしまうのである。オランダ絵画はひたすら眼にたいして訴えかける。視覚というひとつの感覚を満足させるために制作されたものがほかの感覚にあまりうまく適合しないのは、それゆえなんの不思議もないのだ。」

もちろん言うまでもなくレイノルズは、であるがゆえに、オランダ絵画における理性の、イデア(理念)の欠如を批判しているわけである。他方、アルパースが同様に引用するウージェーヌ・フロマンタンは、下記のようにいうことでオランダ絵画を賞賛する。

「オランダ絵画はオランダの外観を飾りたてることなく忠実に、正確に、完璧に、そしてそっくりに描きだしたオランダの肖像そのものであったりし、それ以外のなにものでもなかった。」

レイノルズもフロマンタンも、同じ観点からオランダ絵画を見ていることは確かである。しかし、その評価は分かれる。この評価の違いこそが「描写(表現)」の概念の変化にあるのではないだろうか。そして、「イデアから写真へ」というイメージの変化に。アルパースの『描写の芸術』における賭金もまた、この「描写(表現)」概念の変化にほかならないのではないか?ではどのような変化か?写真というイメージのインデックス記号の登場である。

アルパースはイタリア絵画の「物語的芸術」に対して、オランダ絵画の「描写的芸術」を対比させている。この「物語的芸術」と「描写的芸術」の対比は、そのまま演劇性(アルベルティ的イメージ)と反演劇性(反アルベルティ的イメージ)、具象と抽象、内容と形式、記録と表現(たとえば、この対比を「写真のリアルなイメージ」と「絵画のイデアルなイメージ」に敷衍して考えてもいいだろう)、シニフィエとシニフィアン、深層(意味)と表層、見えるものと言いうるもの、物と言葉……といった一連の二項対立の系を形成している。イメージ(写真)を形成している物質的諸条件と、そのイメージ(写真)の図像的(言語的)読解の関係。しかし、重要なことは、その一方の項に与することではない。実際、それぞれの項がすべて同じ下位の系をなすわけではないし、対をなす一方の項がまったく違った系列を形成することもある。ドゥルーズがフーコー論で語っているように、内容にも一つの形態と実体が、表現にも形態と実体があることを忘れてはならない。この4つの項のマトリックスから、内容と表現の関係を問うことである。

アルパースは『描写の芸術』のⅠ「コンスタンティン・ハイヘンスと「新しい世界」」のなかで、ハイヘンスの著作を参照にしながら、オランダ絵画とレンズ(望遠鏡、顕微鏡、拡大鏡等々)がもたらした「新しい視覚世界」との親近性について論じている。ここで論じられていることはそのまま写真について語られることに等しい。としても、言うまでもなく、ここで考察の対象となっているのは、写真が持つ原理の一つの側面、いわゆるレンズがもたらす効果-光学的描写である。写真が持つ光学的な原理は、モダニズム写真理論の論拠の中心をなしてきたものであろう。そしておそらく、60年代後半から70年代にかけては、写真のもう一つの原理-物理的痕跡(化学的定着)、いわゆるインデックス性が論拠と中心となっていくだろう。現在の写真理論の中心をなしているのも、このインデックス性のように思える。自戒をこめて言えば、現在の写真理論は写真のインデックス性を重視するあまりしばしば光学的側面を忘れてしまっているように思える(逆に言えば、もう一度、写真の光学的側面からのアプローチが必要であろう。というよりも、写真の二つの原理の交錯を思考すること。私見ではその試みをしているのが、ジェフ・ウォールの作品ではないだろうか)。それはさておき興味深いのは、アルパースがハイヘンスを論じながら語っている次の一節である。

「現実的外観をももちながらいくつかの点で偽りのものでしかない表象はまさしく現実と虚構との境に位置するものであろう……」

現実と虚構の境界線上にある表象(イメージ)としてのオランダ絵画、そして写真。ここにこそ、写真における描写的芸術の重要性がある。現実的外観を保証するのが物理的痕跡(インデックス性)にあるとするならば、写真の虚構性は光学的描写(レンズ)に帰することになるだろう。写真のインデックス性と光学的描写。

それは〈真理〉ないし〈現実〉によっても、〈フィクション〉の自由自在な〈至上権〉によってもおのれを権威づけない。純粋なドキュメンタリーとフィクションの間で、モデルもなく地図もなく、それはある通路を切り開く(『言葉を撮る』ジャック・デリダ+サファー・ファティ港道隆+鵜飼哲ほか訳)

現実と虚構の境界。それは決して曖昧さを意味するわけではない。むしろそこに積極的な機能を見出すべきだろう。競合という機能を。対象とイメージの競合。対象とイメージの類似関係や対応関係を見るのではなく、競合関係を見ること。ジャン=リュック・ナンシーに倣って、representation(代理=再現)のreを再現ではなく、強調のreととらえること。

けっきょく、ロラン・バルトのプンクトゥムとは、写真における過剰なインデックス性が光学的な描写を裏切ることではないのか?

デジタル写真においては、インデックス性と光学的描写の関係はどのようなものになるのか? デジタル時代の光学的描写とは何か? フィルム写真との違いは何か? デジタル時代の写真の活用法の一つは、対象(モデル)から自律した光学的描写が写真のインデックス性を裏切ることにあるのではないだろうか?

ロザリンド・クラウスの「風景」と「建築」の二つの項をクラインの群を用いて提示した「展開された場としての彫刻」のカテゴリー表に倣って、写真における「インデックス性」と「光学的描写」を展開したならばどのような風景が見えてくるだろうか(笑)。この「インデックス性」を「現実(痕跡)」に、「光学的描写」を「絵画」に置き換えてもあまり大差はないようにも思えるが……(これまた大笑)。しかし、あくまでラフな試みであり、遊びの範囲にとどまるものだが…。

「インデックス性」と「光学性(光学的描写を簡略化して)」の組み合わせに対して、「非-インデックス性」と「非-光学性」が対応するだろう。「非-インデックス性」+「非-光学性」の組み合わせはどのようなものになるのだろうか。クラウスは「非-風景」と「非-建築」の組み合わせを中性的ととらえ、つまり風景でも建築でもないものとして、モダニズム彫刻としている。とすれば、写真においてはインデックス(現実の痕跡=記録)でも、光学的描写(絵画)でもないもの、そのいずれにも還元できないものとしての「モダニズム写真」そのものということになろうか。

「インデックス性」と「光学性」の複合的な組み合わせはいわば「広告写真」に該当するだろう(クラウスのそれとはややずれるが、家族写真や記念写真等々も含めていいかもしれない)。バルト的に言えば、人工的なものを自然化する写真の機能である。「インデックス性」+「非-光学性」の組み合わせはいわゆる「記録写真」となろうか。「非-インデックス性」+「光学性」は言うまでもなく「芸術(表現)写真」となろう。ちなみに付け加えておけば、これまでの写真史で問題とされてきたのは、上記の三つの組み合わせである。厳密に言えば、最初の組み合わせは無視され、後者の二つの組み合わせが問題とされてきたと言えるだろうか。そう、「記録と表現」というあれである(笑)。

しかしもちろん、「インデックス性」+「非-インデックス性」及び「光学性」と「非-光学性」という組み合わせも成り立つ。これら二つの組み合わせは写真における内在的な批判を形成することになる。クラウスは「風景」+「非-風景」の組み合わせを「印付けられた場所」とし、他方の「建築」+「非-建築」の組み合わせを「公理構造」(建築の現実空間に対する何らかの干渉)としている。風景と建築の複合的組み合わせは、場所-構築と呼んでいる。これら三つの現代彫刻がモダニズム彫刻以降の展開された彫刻ということになる。

さてぼくらの写真のカテゴリー表で言えば、前者が場所と写真のかかわり、あるいはイメージが成立する物質的諸条件を問題とする写真や「サイト・スペスフィック」な写真。後者はメディアやイメージそのものを内在的に批判する写真と呼べようか。非常にラフな言い方をすれば、良知暁展「frames」の試みが前者であり、片山博文の「Exchangeable」の試みが後者ということになろうか。いずれにおいても、そこで思考されていることは宙吊りとしてのイメージである。裏切りのバラードとしての写真(大笑)。