Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 17

2013年12月14日 | Weblog
われわれは「具体」から何を学ぶのか。
『「具体」-ニッポンの前衛18年の軌跡』展(国立新美術館)

戦後日本美術の代表的な前衛グループとして知られてきた「具体(具体美術協会)」。本展はその「具体」の18年に及ぶ活動の軌跡を振り返る、東京では初めての展覧会だそうである。確かに言われてみれば、活動の一時期のみに焦点をあてた展覧会はあったが、活動全体を紹介するものはなかったかもしれない。その意味では貴重な展覧会である。と同時に、「具体」を再考する良い機会になるだろう。

さて、本展は6つのセクション(章)から構成されているが、大きくは3つの活動時期に区分されるだろう。「具体」の結成(1954年)からアンフォルメルの提唱者ミシェル・タピエとの出会い(1957年)までの初期。タピエとの出会いにより、アンフォルメル絵画へと収斂されていく中期(1957年~1965年)。そして、1965年から1972年の解散までの後期。まずは今回の「具体」展の特徴のようなものを、思いつくままに列挙してみたい。

まず一つは、記録写真が少ないことである。「具体」と言えば、われわれすぐさま村上三郎が紙を破る写真や白髪一雄が泥に塗れる写真、嶋本昭三が絵の具の入った瓶を投げる写真を思い浮かべる。「具体」の代名詞ともなった、いわゆる「アクション」や「ハプニング」である。今回の初期活動の展示では、村上三郎が紙を破る作品『入口』(再制作)や映像は展示されているが、その他はない。これは本展カタログの中で、「たとえば白髪一雄の《泥にいどむ》や村上三郎の《通過》のように、行為する瞬間の記録写真だけがひとり歩きし、マスコミに制作過程を公開した際に撮影されたものであるという説明がないままに、あたかも観衆を集めて行なわれたかのごとく誤解され、行為それ自体が作品であるという認識やパフォーマンス・アートの先駆という評価が生まれるなど、作品の形態や記録写真だけで構築された“行き過ぎた評価”も存在する」(平井章一「具体-近代精神の理想郷」本展カタログ所収)と書かれている通り、どうも意図的なようだ。実際、「具体」の初期活動を紹介したセクション(第1章「プロローグ」、第2章「未知の美の創造」)では、当時、野外展示された作品や平面作品が数多く展示されている。屋外の展示空間を擬似的に体験させるためなのか、芦屋公園の写真を印刷したスクリーンを垂らしていたが、これはどうもいただけない。

二つ目は、「具体」の指導者であった吉原治良に個別のセクション(第3章「ミスターグタイ=吉原治良」)が設けられ、吉原の戦前の作品や芸術観が紹介されていることだ。吉原の戦前の仕事に焦点をあてることで、「具体」の活動を戦前からの思想的流れに位置づけようとしているのかもしれない。同じカタログの中で、平井昇一は、吉原が唱えた「精神の自由」を白樺派に代表されるような大正教養主義に由来するものと論じている。

三つ目は、おそらくは今回の「具体」展の目玉にもなっている、活動後期の作品を数多く展示していることだろう。この時期は、素材の物質性を強調するアンフォルメル絵画を離れ、当時台頭しつつあった新しい抽象表現を積極的に求めた時期である。実際、アンフォルメル風のいわゆる「熱い抽象」から、無機質でシスティマックな抽象表現やステンレス、プラスチック、モーターなど、工業素材を使った抽象表現へと変化している。確かにこれまで、この時期の「具体」の作品を見る機会は少なかったし、あまり論じられてこなかった気がする。

こうしていくつか、本展の特徴のようなものを挙げていくと、今回の「具体」展の狙いのようなものが見えてくる。これまでの「具体」への評価が主に初期・中期に焦点があてられ、その独自性や革新性、先駆性が論じられ、いわば「断絶(=前衛)」ばかりが強調されてきたのに対して、歴史的な連続性(近代美術史)、あるいは社会的・世界的な同時生といった視座から、「具体」をとらえなおそうという試みのように思える。こうした視点は理解できないわけではないし、その必要性も認めるが、それでもどこか違和感も覚えざるを得ない。

例えば、先にも記したように、本展は「具体」の指導者であった吉原治良に個別のセクションを設けることで、吉原が戦前から培ってきた近代精神の流れの中で「具体」をとらえようとしている。その結果、「精神の自由」という空疎な言葉と結びつき、「吉原にとって、既成の概念を打破し、独創的、革新的な表現を開拓することは、精神を解き放ち生命を完全燃焼させること、今日風の言葉で言い換えるならば「自己実現」と同義であった。そして、その自己実現で得られた感動が、色や形、物質によって直接的かつ具体的に提示されたものこそ、「具体」における作品なのであった」と論じられる。そして、「今回の展覧会で「具体」の作品の数々を、その時々の作家の精神を具体化したものとして捉え直してみるならば、それらが戦後日本の復興から高度成長期に至る時代を鏡のように映し出していることがわかる」と言い、挙句には「戦後復興期のニッポンを背負った美術グループであった。そしていま、私たちニッポン人が、その運動体の精神的な遺産から汲み取るべきものは少なくないはずだ」(以上、引用はいずれも同上)と結論付けられている。おいおい、マジかよ、「頑張れ、ニッポン!」かよ、と茶々を入れたくなる。蛇足ながら、本展のカタログを読んでいちばん驚いたことがある。それは歴史的な文脈の中で「具体」をとらえ直すことが、「具体」の批評的限界として再考することではなく、むしろ時代精神の反映として肯定的にとらえられていることである。本展のキュレーターたちにとってもはや芸術は、時代の精神の批評的限界を証すもの-反時代的なものではなく、時代の精神を典型的・肯定的に指し示すものなのだ。

芸術=精神の自由の発露、芸術=自己実現。ロマン主義の系譜に連なる近代精神。こうしたとらえ方は明らかに、宮川淳(『アンフォルメル以後』)やイヴ=アラン・ボワ+ロザリンド・クラウスが批判した(『アンフォルム』)ジャン・ポーラン的アンフォルメル観そのものである。いわく「無垢で完全な自己表現」(宮川淳)への希求。ご存知のように、宮川淳は1963年に書かれたアンフォルメル論『アンフォルメル以後』の中で、「アンフォルメルが・・・無垢で、完全な表現を求める、いわば「絵画のテロル」としてのみ規定されたとき、そこにはらまれていた現代の真の可能性もまた流産してしまった」と書き、アンフォルメルをフォルムからマチエールへの移行ととらえ、表現概念そのものの価値転換と論じた。平井章一(おそらく、本展の中心的なキュレーターであろう)のようなとらえ方をしては、われわれは「具体」から何も学ぶことはできないし、その可能性を引き出すこともできない。ただただ、「精神の自由」といった「抒情的恍惚」(イヴ=アラン・ボワ)に浸るだけではないか。

今回の展示で最も関心を惹きつけられたのは、やはり第4章に展示されていたアンフォルメル的な作品群である。質的にも、作品の完成度的にも、最も充実しているように思える。もちろん、それだけが関心を惹きつけられた理由ではない。「具体」の可能性の中心は、平面作品にあるとともに、やはり素材との関わり-物質性にあるのではないかと、改めて思わせたことだ。例えば、初期作品のアクションやジェスト、身振り、身体性といった問題群も、前述した宮川淳が『アンフォルメル以後』で次のように語っているように、マチエール(素材)とのディアレクティクな格闘から解き明かすことができるだろう。「つねにジェストがマチエールの潜在的可能性を明証化し、一方、マチエールがジェストを現実化する」。

とするならば、芸術における物質性の問題が再度、浮上するだろう。絵画であれ、彫刻であれ、あるいは文字や音であれ、物質的な素材を使って観念的な対象(イリュージョン)を現前させるのではなく、物質の感覚そのものを現前させることにどのような意味があるのかと。もちろん、この問題は文学ならば、マラルメの「骰子一擲」(1897年)に、絵画ならばマネにまで遡るだろう。あるいはモーリス・ブランショが説くような、何かを再現する(現実であれ、空想であれ、観念であれ)イメージではなく、不透明な厚みのある物質としてのイメージ=「遺骸的類似」と関わるものかもしれない。

ところで最後に、「具体」について考えるたびに思ってきたことを一つ。それは「具体」という名称についてである。もちろん、その由来は雑誌『具体』創刊号に記されている。いわく「われわれはわれわれの精神が自由であるという証しを具体的に提示したいと念願しています」。吉原治良はこの「具体」という言葉をどこから思いついたのか。1940年代後半に登場したピエール・シェフェールのミュージック・コンクレートや50年代のコンクリート・ポエトリーとの関連はないのか。これら「コンクレート(具体)」という言葉に、何らかの共通性はないのか。宮川淳はすでに『アンフォルメル以後』の中で、マチエールという観点からアンフォルメルとシェフェールのミュージック・コンクレートとの比較を行っている。歴史的文脈や同時代性をうたうならば、本展でもこの辺りへの言及があってもよかったのではないか。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 16

2013年12月12日 | Weblog

〝ベンヤミンのアジェ“をやり直す
トーマス・デマンド展(東京都現代美術)

奇妙な静かさをたたえた、無人の空間。人間的な痕跡が消し去られた、人間以前/以後の光景。直前までいた人間を消去してしまったような空間でもあれば、永遠に登場しない人間を待っている無時間的な空間のようでもある。デマンドが提示してみせる“場(空間)”の感覚は、どこかアジェの写真を思わせる。というよりも、アジェの世界をさらに徹底化する試みと言えようか。そこにこそ、写真の今日的問題、あるいは歴史的問題が潜んでいるかもしれない。結論を急ぐのはやめよう。とりあえずは、アジェを介入させることで、デマンドの意図の一端に迫ってみたいと思う。

周知のように、アジェの写真に“アウラの崩壊”の先駆性を見出したのはベンヤミンである-「対象をアウラから解放したことは、最近の写真家流派による、もっとも疑う余地のない功績だが、その口火を切ったのはアジェである」(『図説 写真小史』 久保哲司編訳 ちくま学芸文庫)。今更、ベンヤミンの“アウラ”について説明する必要はないだろうが、ベンヤミンの“アウラ”は事物の権威や重みを総括したものであり、写真以前の芸術がその価値の根拠としてきたものである。ベンヤミンは人気のないパリの街を撮ったアジェの写真に、「現実からアウラを掻い出す」機能を見出した。ベンヤミンにとっての“アウラの崩壊”は、従来の芸術的価値の崩壊を意味するとともに、近代的知覚の変容を示すものであった。ベンヤミンにとってその典型的な実例がアジェの写真だったわけである。

ベンヤミンはそこからどのような意義を見出そうとしたのだろうか。少なくとも一つ言えることは、何らかの媒介によって形作られる人間の知覚を相対化し、あるいはその条件を変える可能性があることを示唆していることだろう。同じ『写真小史』のなかで、ベンヤミンはアジェやザンダーの写真的効果を「こうした映像が与えるショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる」と語っているが、このショックや停止こそが知覚の条件を変える契機となるということである。

もちろん言うまでもないことだが、ベンヤミンは自然が推移するように、写真の登場以後、われわれの知覚の条件も変容していくだろうと言っているわけではない。むしろ写真が秘めた力-知覚の条件を変える力が従来の芸術観によって歪められ、削がれてしまっていることを批判しているのだ。それが〝アウラの捏造“としてのレンガー・パッチュ等の写真への批判でもあった。おそらくここまでは、少しばかり写真論をかじっている者ならば、周知のことであろう。むしろ問題はその後、ベンヤミンが見出そうとした写真における弁証法的な力を実体化してしまったことにあるだろう。例えば、意味の覆いを剥ぎ取られ、むき出しになった街や顔。そこから裸形のモノや人間、ありのままの現実が出現すると。この考えは、写真を無言のパロールとみなしたバルトまで続いていくだろう。

おそらくデマンドは、ここから出発している。ベンヤミンがアジェに見出した写真の機能を徹底化してみようと、あるいはもう一度、やり直してみようと。改めて、デマンドの写真作品を見てみよう。冒頭に記したように、デマンドの写真を見る者は誰でもまず、デマンドが作り出す独特の〝場“の感覚を感じるだろう。この非人間化された空間は、アジェの写真に酷似しているが、アジェの写真が持っていたような現実の細部やモノの質感など、いわばノイズのようなものが一切ない。デマンドの写真ではモノが持つ表面のディテールが洗い流されているように思える。あらゆるノイズが洗浄された、無菌室のような空間。といっても、メタリックな質感というよりも、柔らかさのようなものさえ感じる。極めて抽象化された空間であると同時に、奇妙なリアリティを感じる光景。このいずれにもたどり着かない、宙吊りにされたような感覚こそが、アジェの写真との違いでもあり、アジェの非人間化された環境(場)をさらに徹底化したようにも思えるのだ。アウラの徹底的な清掃。

アジェの写真との相違、あるいは徹底化、その違いがどこから来るのか、もちろんデマンドはそのプロセスを隠しはいない。周知のように、デマンドの写真は紙によってほぼ実物大に作られた模型を撮影したものである。しかもその多くは、デマンドが見た、あるいは立ち会った現場を紙模型で再現したものではなく、雑誌や新聞、インターネットなどで流布した事件の現場のイメージを再現したものである。つまり一度画像化された現実を再現したものである。そして再び、紙模型で再現したイメージを写真にするという、二重の操作を行っている。なぜ、デマンドはこんな手の込んだ操作をするのか。そこにどのような意図があるのか。

まずわれわれはデマンドの写真が、一度画像化された現実=イメージを元にして作られていることに着目しなければならない。一度画像化された現実を紙模型によって再イメージ化すること。ここから現実と虚構の曖昧さといった観点から映像批判やメディア批判を見るのはたやすいが、そうとらえるとデマンドの意図を曲解することになるだろう。デマンドの意図は本来的な意味での批評-限界をあらわにすることで、その限界を超えることにあるのであって、批判(否定)することにはない。

デマンドの写真がインデックス機能として指し示しているのは、現実の場ではなく、あくまでも紙模型としての現実である。われわれの“アジェの徹底化”という仮説に従うならば、デマンドは写真によって「現実からアウラを掻い出す」のではなく、紙模型によって画像化された現実=イメージからアウラを掻い出し、再度写真にすることによってさらにアウラを掻い出しているということになるだろう。二重の操作によるアウラの掻い出し。ここには一般に流布している写真が“アウラを捏造”している、あるいは写真の機能を歪めているという、ベンヤミン的な問題意識もあるかもしれない。

しかし、この一連の操作から読み取るべきことは、デマンドが写真によって生の現実を指し示すことを巧妙に回避させていることである。それはつまるところ、「意味の覆いを剥ぎ取られ、むき出しになった街や顔。そこから裸形のモノや人間、ありのままの現実が出現する」というモダニズム写真の夢を回避することでもあるだろう。デマンドの意図には、アウラを掻い出すことによって、モダニズムが夢見たような純粋視覚や絶対知覚、知覚の根源の希求といったものはない。むしろ、知覚の条件を変えることによって、見えてくるもの、あるいは知覚可能になるものを問題にしているように思える。

デマンドの写真が現前化させようとしているのは、モノやモノの状態ではない。場所の知覚そのものを現前化させようとしているように思える。といっても、前述したように、純粋知覚とか、裸の知覚といったものではない。むしろ潜在的な知覚と呼べるようなものではなかろうか。

例えば、「浴室」と題された写真。この写真は、解説によれば、「1989年10月11日、スイスにあるホテルの一室で、ドイツのシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州の元知事ウーヴェ・バーシェルが浴室で亡くなっているところが発見された。事件の4日間前から行方不明となっていた彼を発見したのは報道記者で、その記者は警察に通報する前に室内に違法に立入り、出版社にその場面を収めた写真を送った。『Stern』誌の表紙に掲載されたその写真は、激しい議論を生んだ」とあり、その写真を参照にして紙模型が作られ、撮影されたものである。もちろん、この写真に死体は存在しないし、参照にした写真が有していたであろう、現場の生々しさも臨場感もない。それでも、この写真から受ける奇妙な“場”の感覚はなんだろうか。この奇妙な“場”の感覚は、写真の再現描写的機能に由来するものでもなければ、物語や説明的文脈から導きだされたものでもない。そしてもちろん、この奇妙な“場”の感覚から、何らかの物語や説明が生じることもない。むしろ、奇妙な“場”の感覚だけが残ると言ってもいいだろう。

今回の展示の目玉ともなった「パシフィック・サン」は、同じく解説によれば「2008年7月30日、オーストラリアのクルーズ船「パシフィック・サン」号が太平洋沖で嵐に襲われ、42名の乗客・乗員が負傷した。船内にあるバーの後部に配置された監視カメラが、お大きく揺れる室内の様子を記録していたが、その映像は事件の2年後に動画共有サイト「YouTube」で公開され反響を呼び、多くの人の知るところとなった。本作品はその映像をもとに作られた。7つの波を受ける様子を、精確に配置を変えながら撮影した約100秒間のストップ・モーション・アニメーションである」とある。

この映像は現在でも簡単にインターネットで検索でき、見ることができる。元の映像には当然ながら、椅子に座る乗客やカウンター内にいるバーテンダーの姿も写っている。デマンドの作品では、あらゆる人間は消去され、椅子やモノが移動する様だけが再現されている。モノの移動する様だけを反復している“場”は異様でもあり、不気味ささえ感じる。しかし、この異様さや不気味さは、嵐という出来事に由来するものでもなければ、乗客の恐怖から生じるものでもない。デマンドの写真を見るわれわれの、感覚の作用そのもの由来する異様さや不気味さと言えないだろうか。

デマンドの作品は明らかに、芸術が持っている抽象作用の力に改めて焦点をあてている。しかし、その抽象の方法は、これまでとはまったく異なっているように思える。確かに、これまで抽象絵画を筆頭に、モダニズム美術は芸術のもつ抽象作用の力を最大限に引き出そうとしてきたし、一定の成果も挙げてきた。モダニズム写真もしかりである。それでもなお、その抽象性は十分ではなかったと言わざるを得ない。デマンドの作品は、モダニズム美術における抽象性の不十分さを、あるいは異なった抽象化の道を示唆しているように思える。
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イメージの病(やまい)-臨床と症例 15

2013年12月10日 | Weblog
在ることの特異点-物、事、時間
「大辻清司フォトアーカイブ-写真家と同時代芸術の軌跡 1940-1980」展
(武蔵野美術大学 美術館)

現在、武蔵野美術大学美術館で開催中の「大辻清司フォトアーカイブ」展はとても興味深い展覧会である。今回の展示は大辻清司の作品展でもなければ、回顧展のようなものでもない。むしろ、その展覧会タイトルが示すように、大辻清司が時代との関わり-とりわけ同時代の芸術との関わり-のなかで、写真をどうとらえ、思考してきたかを浮き彫りにする。こうした時代のコンテクスチュアルな状況を前景化することで、大辻清司という写真家の個別的資料-作品という軸に中心化された視点-という枠を越えて、写真に関するより開かれた思考を促す展覧会と言えるだろう。企画・監修者である大日方欣一氏もまたそれを意図しているように思える。

もちろんここで、大辻清司における写真への思考も、同時代芸術も、すべては時代に条件づけられたものであり、いわばある時代における“芸術のエピステーメー”のようなものが浮き彫りにされると言いたいわけではない。むしろ逆であって、一般的で支配的な芸術観、大辻清司が共感を寄せた同時代芸術、そして大辻清司の写真への思考、これらの差異を浮き彫りにすることが重要であるだろう。とりわけ、同時代芸術と大辻清司の写真への思考との違いをとらえることこそ、写真を考える上での大きな糧となるのではなかろうか。実際、今後、このアーカイブを通して多様な研究、考察がなされていくに違いない。

今回の展示を一通り見ていくと、一つのキーワードが浮上してくる。それは“物”というキーワードである。展覧会カタログのなかで大日方氏も語るように、大辻清司の写真的営為の出発点に「モノとの対峙」(「大辻清司フォトアーカイブ」展カタログを参照)があったことは確かであろう。大辻清司が関心を寄せ、その記録を撮った同時代芸術の多くも、“物”をどうとらえるかを主要なモチーフにしていたように思える。「モノとの対峙」や“物”をどうとらえるかがどのような意味を持っているのか。何故、大辻清司は“物”へ多大な関心と興味を抱いたのか。あるいは写真を介して“物”と対峙することにどのような意味を見いだしたのか。

残念ながら、同時代芸術と大辻清司が“物”をどうとらえたか、その違いを論じるには、筆者の能力を超えている。ここでは、何故、大辻清司は写真的営為の出発点に、「モノとの対峙」を置いたのか。写真を介した“物への思考”。その軌跡の一端を素描してみたいと思う。

今回の展示で最も興味を惹くのが最初に展示されている「少年期のアルバム」である。中学生時代に作り始めたらしこのアルバムには、旅行先や日常のスナップから、家族の肖像、機械類の接写、皆既日食の連続写真まで、さまざまな被写体が撮られている。どこかリヒターの『アトラス』を思わせる、“見ることのアーカイブ”。大日方氏も指摘するように、「そこには後年の大辻作品へつながっていく要素が、あたかも予告編のように盛り込まれて」(同上カタログ参照)いる。とりわけ、機械や道具、模型など、“物”を撮ったものが興味を惹く。少年時代から“物”を撮ることに関心を寄せていたことがよく分かる。カメラに興味を持った少年が日常のさまざまな光景を撮ることにそれほど驚きはしないが、“物”を撮ることにこれほど固執する姿勢には、大辻清司ならではの特異性を覚えざるを得ない。

これはあくまでも憶測にすぎないが、大辻少年は現実の対象が写真に写し撮られることで、あるいはカメラの効果によって異なる相貌(類似していながらも違うという感覚)を見せることに魅せられたのではないか。その違いを典型的に示してくれたのが“物”を被写体にしたときではなかったか。日常的な光景はその日常的な文脈から分離・区別するのが難しいのに対して、“物”であれば日常的な文脈から容易に分離・区別され、その相貌の違いを目立たせることができる。自分が見るもの、見たものから分離・区別される何ものか(後年、大辻清司はこの何ものかを“気配”という言葉で名指すことになるだろう)。大辻少年は写真、あるいはイメージが持つ分離・区別するという機能に興味を惹かれたのではなかろうか。

その後、大辻清司は写真雑誌『フォトタイムス』や瀧口修造の前衛写真論に触発され、写真への傾斜を深めていく。戦争期の中断を経て、自ら「本気なって何事かを表現しようとした最初の写真」-「いたましき物体」が「美術文化協会」の応募展(1949年)に入選し、前衛写真家としての仲間入りを果たすことになる。「いたましき物体」を皮切りに、1950年代を通して、「オブジェ」「美術家の肖像」シリーズ、「新宿・夜」の連作、「陳列窓」「無言歌」など、まさに「モノとの対峙」を主要なテーマとした作品が制作されていく。日本の写真史では、この時代の作品が大辻清司の代表作とされ、シュルレアリズムやアブストラクトに影響を受けた前衛写真家と位置づけられている。しかし、その後の大辻清司の写真活動を見れば、そうした枠に収まらない写真家であることは明らかだし、本展もまた従来の位置付けからの解放を目論んでいるだろう。

大辻清司の写真家としての出発が、シュルレアリズムやアブストラクトの影響を受けたものであることは確かである。瀧口修造や斎藤義重、安部展也らとの出会いも大きく影響しているだろう。実際、この時代の大辻清司の“物”に向けるまなざしは、シュルレアリズムやアブストラクトに触発されたものである。1950年代は土門拳による「リアリズム写真運動」が始まっていた時代である。何故、大辻清司はシュルレアリズムやアブストラクトに共感したのか。そこから、“物”に対してどのようなまなざしを向けたのか。

われわれが物を見たり、認識したりする場合、例えば、一つの道具を道具として把握する場合、われわれはその道具の使われ方-有用性という文脈に基づいて、その物をある道具として同定するだろう。道具以外の単なる物であっても、石や木といった一般化されたカテゴリーに基づいて把握するだろう。こうした物の見方は、人間という社会化されたフィルターを媒介したものである。そもそもシュルレアリズムが目論んだことは、見せかけの現実-つまり意識に媒介された現実を超えて、直接的な現実を現前させようとしたことだ。今日でもしばしば“シュール”という言葉が現実を空想的・幻想的に歪めることとして使われるが、シュルレアリズムはまさにその反対のことを目論んだと言えるだろう。直接的な現実を現前させるために、夢などの機能を活用したために、誤解されてしまったということであろう。大辻清司がシュルレアリズムに共感したのは、物をその日常的な文脈から外すことで、物の直接的な現前を求めたことにあったのではないか。

例えば、シュルレアリズムがスローガンの一つとして掲げた、ロートレアモンという19世紀の詩人の言葉-「手術台の上でのこうもり傘とミシンの出会い」はあまりにも有名だが、異質な物同士がまったく無関係な場で出会うことによるショック(衝撃)は何を意味するのだろうか。われわれが異質な物の組み合わせに驚き、不思議さを感じるのは、それらの物を把握する共通の基盤-文脈を持つことができないからである。そもそも“異質な物”という、その“異質さ”とは互いの物が背景としている文脈の違いのことであろう。われわれが物を把握する際に、その文脈を外されたとき、物はどのような相貌を見せるのか。シュルレアリズムならばそれを“直接的な現実”と呼び、瀧口修造ならば“実在性”と呼び、ハイデカーならば“むきだしの有用性”と呼ぶだろう。

では、アブストラクトとはどうなのだろうか。アブストラクトもまた見せかけの現実(物)から造形的要素を抽出し、際立てさせることで、物の実在性を現前させようとしたと言えるだろう。「いたましき物体」を始めとして、50年代を通じて、大辻清司が“物”に向けたまなざしは、見せかけの現実、あるいは見せかけの見え方を排して、いかにして“物”を物そのものとして見せるかにあったと言える。そして、写真こそがその可能性を最も有したものと考えていたのではなかろうか。なぜならば、かのバークリー主教に倣って言えば、物の在ることの把握は見ることでもあるからである。

しかし、われわれが物を把握する場合の文脈は、実は一つではない。文脈それ自体が多様なものである。おそらく、その後の大辻清司における写真的営為の一つの側面は、さまざまな文脈のなかで“物の実在性”を求めることにあったのではなかろうか。もちろん、50年代の作品においても、その一端を垣間見ることができる。異質な物同士の組み合わせ-無機的な物と有機的なもの、硬質なものと柔らかいもの等々、物が置かれる場との異質な組み合わせ、あるいは「陳列窓」シリーズのような物が置かれる場そのものの無効化、アブストラクトなアプローチ(造形的要素の抽出と構成)、さらには人物をオブジェのように配置することでの風景の異化(「無言歌」シリーズ)等々、さまざまな試みを行っている。しかし、この時代はやはり、“物”を軸として、他の物との関係、物が置かれる場が考察されているように思える。場をとらえようとする「新宿・夜」でさえも、そこで焦点化されているのは、日常的な文脈から外れた未知の物体のようなものである。しかし、その後の大辻清司は、同時代の芸術家のドキュメント写真やスナップ写真、環境や建築、さらには晩年の作品となる「大辻清司実験室」の最後を飾る「家」シリーズなど、物を中心にその実在性(在ること)を考察することのみならず、事(場の生起)や時間を中心にしたとらえ方に移行していったように思える。

今回の展示で「少年期のアルバム」に次いで、興味を惹かれたのは、同時代の芸術家たちの活動やイベント、作品行為をとらえたものである。とりわけ、1969年に開催された「クロス・トーク/インターメディア」のドキュメント写真は、三つのモニターによる展示効果もあって、大辻清司がスナップショットによって何をとらえようとしていたかが理解できるような気がするのだ。カタログのなかでも、大日方氏が「継起的なシークエンスとしての行為の過程を掴んでいくまなざしの展開」と書いていたが、この継起的なシークエンスのなかで何を掴もうとしたかである。例えば、「クロス・トーク/インターメディア」のドキュメント写真を見ると、大辻清司が被写体との距離を微妙に探っているのがよく分かる。彼は何を探っていたのだろうか。われわれはとりあえず、それをドゥルーズの用語を借りて“特異点”と呼びたいと思う。継起的なシークエンスのなかの“特異点”。

ドゥルーズがいう“特異点”は、いわゆる“特権的瞬間”とは異なるものである(『シネマ1』参照)。“特権的瞬間”が予め前提とする全体を表示するための特徴的な部分-例えば、ある出来事の“特権的瞬間”が選択される場合、予め想定された出来事の全体像に基づいて、その全体像を把握させるための瞬間(部分)が選ばれるだろう。“特異点”とはむしろ、こうした予め想定された出来事の全体像を脅かすものである。非常に乱暴に言えば、予め想定された出来事の全体像とは異なる、別の出来事の全体を形成するかもしれない契機となる瞬間のことである。大辻清司がとらえた「クロス・トーク/インターメディア」の継起的なシークエンスは、「クロス・トーク/インターメディア」というイベント(出来事)を特徴づける、あるいは説明する“特権的瞬間”をとらえようというよりも、このイベントから何か別なものが形成されるかもしれない“特異点”を探っているように思えるのだ。こうしたアプローチは、予め想定された全体-つまりは文脈を外し、継起的なシークエンスから純粋な出来事の瞬間を浮き彫りにしようとすることではないだろうか。おそらく大辻清司は、時間という文脈のなかで出来事の実在性をとらえようとしている。

こうした大辻清司のアプローチには、写真家として出発するに際して、当時、土門拳のリアリズム写真運動が登場するなかで、何故、シュルレアリズムやアブストラクトの影響を受けた(あるいは瀧口修造が唱えた)前衛写真に共感したか、その理由の一端が透けて見える気がする。例えば、当時、瀧口修造も、大辻清司も、シュルレアリズムとストレート写真に違いがないこと、その効果は同じであると語っている。とするならば、土門拳の唱えた「絶対非演出の絶対スナップ」というリアリズム写真といかなる違いを見いだしたのか。おそらく、瀧口修造や大辻清司が土門拳との違いを見いだしたのは、前述した“特権的瞬間”と“特異点”の違いではなかったろうか。

土門拳のリアリズム写真も、「絶対非演出の絶対スナップ」と唱えながらも、光やレンズの効果、視点、構図を考慮しないわけではない。しかし、リアリズム写真の眼目は、出来事の特権的瞬間を切り取る(選択)ことで、その出来事の本質を伝えること(あるいは像として組織化すること)である。しかし、大辻清司が写真を介して見ることに求めたのは、文脈を外された純粋な瞬間-“特異点”ではなかったろうか。そこにどのような意義があるかと言えば、一つは予め想定された全体(文脈)からの視点を相対化するだろう。そして、ドゥルーズが語るように、カメラがとらえた任意の瞬間から“特異点”を産出することで、持続する全体、開かれた全体への接続が可能となるだろう。

ここではあまり触れることはできなかったが、晩年の傑作とも言うべき「大辻清司実験室」は、“物”の実在性、場で生起する事、時間の特異点など、大辻清司が写真を介して何をやろうとしたかを集大成する試みであった。とりわけ、「大辻清司実験室」連載の最後を飾った「間もなく壊される家」「そして家がなくなった」-代々木上原の古い木造の自宅が取り壊され、すべて更地になるまでのシークエンスを綴ったもの-は、時間という文脈のなかで“物”や光景、風景など、存在そのものをとらえようとしたものだろう。“物”、“事”、そして“時間”という文脈-大辻清司の写真的行為は、こうした在ることのさまざまな文脈を外すことで、見ることの純粋性を探ろうとしたのではなかったろうか。
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イメージの病(やまい)-臨床と症例 14

2013年12月10日 | Weblog
もう一つの純粋視覚(?)を求めて
第31回土門拳受賞作品展 高梨豊展「IN’」(銀座ニコンサロン)

今年の土門拳賞を受賞した高梨豊展「IN’」を観てきた。高梨豊は伝説の写真誌『プロヴォーク』における3人の写真家-中平卓馬、森山大道、そして高梨豊-の一人であり、すでに高い評価を受けている写真家である。高梨豊はその初期作品から一貫して「都市」をテーマにした写真家であるとともに、その方法論にきわめて意識的な写真家としても知られている。高梨豊の方法論の核とも言うべきものは、肉眼(身体を伴った)とカメラアイ(機械の眼)の乖離、狭間、衝突、葛藤、絡み合い、離接関係、相互関係・・・のなかで写真というイメージをどう組織化するか、という問題であったように思える。すでに高梨豊は『カメラ毎日』(1966年)に掲載された初期作品「東京人」の撮影後記で次のように語っていた。

  「そういえば、このシリーズをはじめると同時に、ボクは相反する二つの
   生きものをからだの中に住みつかせていたようです。一人は、目に見え
   ないものばかりを射落とそうとねらう「イメージの狩人」。もう一人は、
   目に見えるものだけしか信用出来ない「スクラップの拾い屋」です」
   (「「拾い屋」と「狩人」の葛藤 <東京人>の一年間」 
    『カメラ毎日』1966年1月号)

「拾い屋」と「狩人」のそれぞれ極北を目指したのが、中平卓馬であり、森山大道と言えないこともない。もちろん、こうした図式的なとらえ方自体に問題があるかもしれないが・・・。しかし二人のどちらにも属さない、中間、狭間で写真を思考してきたのが高菜豊ではなかったか(個々の写真家の作家論は数多く存在するが、3人の写真家を比較検討した論考はあまりないような気がする。単にこちらが無知なだけかもしれないが)。今回のレビューでは、高梨豊の独特のポジション-方法論の一端を摘出し、考えてみたいと思う。もちろんこのレビューは、高梨豊の作家論を目指すわけでも、その方法論の全体を論じるわけでもない。その紙幅も、時間も、能力もない。いずれ高梨豊論」を書いてみたいと思うが、このレビューがその発端にもなればと願うばかりである。

さて今回の銀座ニコンサロンでは、すでに発表されたことのあるシリーズ「WIND SCAPE」「silver passin’」に加え、未発表の作品「LAST SEEIN」が展示されていた。今回、「WIND SCAPE」「silver passin’」 「LAST SEEIN」が順に展示されることで、鑑賞者にとって3作品の方法論がより明快に浮かび上がってきたように思える。

最初に展示されている「WIND SCAPE」は、2001年から2002年にかけ写真家が<青春18きっぷ>を使って(当時、70歳近い写真家がこの切符を使って列車の旅をするという、何とも言えないユーモア。実際、この切符に年齢制限はないらしい)、全国を旅した列車の車窓からの「風・景」を撮影したものである。「silver passin’」では2008年から2011年にかけて、今度は高齢者用パス<シルバーパス>を使って乗車した線バスの車窓を通した東京の街が撮影されている。「LAST SEEIN」は写真家が75歳になった2010年にやはり東京の街を写したものだ。この三つのシリーズに共通しているものはなんだろうか。それは撮影の条件にかける“負荷(悪条件)”とも呼べるようなものではないだろうか。

まずは「WIND SCAPE」から見てみよう。それなりのスピードで走る列車から外の風景をとらえるためには、その撮影条件にかなりの負荷がかかるとともに、高いテクニックも必要とされるだろう。しかも高梨豊の写真は、単に車窓を流れる風景をとらえているわけではない。実際、高梨豊の車窓からとらえた風景には、よくある“車窓からの風景”といった詩情感とは一切無縁な、見るべきものを撮る(とらえる)という強固な凝(ピントの精度)を感る。しかも列車は一定のルートを走るもので、視界も、構図も、パースペクティブ、視点さえも限定されてくる。こうした悪条件(さまざまな制約)を自らに課すことで、高梨豊は日本の風景から何を切り取ろうとしているのだろうか。

列車と違い都市バスでは、移動のスピードや車窓の制約(窓のサイズや広さ等々)は異なるとはいえ、「silver passin’」にもまた、「WIND SCAPE」と同様の“負荷”をみることができるだろう。それでは「LAST SEEIN」はどうなのだろうか。列車にも、バスにも乗っているわけではない。75歳になる写真家の歩行からとらえられた東京の街である。「LAST SEEIN」というタイトルからも、写真家が自らの老いを意識していることは明らかであろう。つまり“老い”という負荷。もちろん言うまでもないが、高梨豊は自らの“老い”を感傷的にとらえ、特権化しているわけではない。むしろ自らの“老い”を上記二つのシリーズと同じように、一つの“負荷”ととらえ、方法論的に活用しているのである。この冷徹なというか、感傷に溺れることのない、厳密性を求める姿勢には頭が下がるばかりである。その姿勢はどこかセザンヌを思わせる。

もちろん、ここでわれわれが考察の対象としなければならないのは、「なぜ、あえて負荷をかけたのか」という、高梨豊の方法論そのものである。映像技術の進歩により、その解像度がますます高まる中で、画一化された映像体験を強いられる流れに対してブレーキをかけるといった抵抗(「とまれ!」といった)もあるかもしれない(そういえば、「LAST SEEIN」の最後の写真は、「とまれ」と書かれた進入防止用の石柱が写されていた)。しかし、高梨豊が選択した“負荷”には、近代的な視覚体制を考える上で、きわめて示唆的な問題が含まれているように思える。

例えば、「WIND SCAPE」を俎上に挙げて、もう一度、この問題を考えてみたい。まず車窓という制約。車窓=窓を通して見る、あるいはとらえられた風景は、写真装置を介して得られた写真というイメージそのものを顕在化していると言えるだろう。われわれはしばしば、写真(と言うイメージ)をレンズという窓がない(=透明な窓)として写真をとらえることで現実とイメージを同一化し、さらには撮影者のまなざし(=知覚経験)と同一化していく。撮影者が見たものを反復する鑑賞者。言うまでもなく、透明な窓を通して得られるイメージは、ルネサンスに始まる古典主義的な光学システム(視覚体制)によるものである。高梨豊はまず、この大前提を引き受ける。

しかし、写真は単にカメラオブスキュラを典型とする古典主義的な視覚体制を受け継いだものでも、その系譜につらなるものでもない。ジョナサン・クレーリーがその著『観察者の系譜』で指摘するように、むしろ写真の登場(発明)は古典主義的な視覚体制との断絶(危機・崩壊)と密接な関係を持っている。カメラオブスキュラの視覚体制が暗い部屋の中で見る人間の身体を抹消することで得られるイメージを幾何学的な光学システムによって組織化されたものであるとすれば、写真はむしろ暗い部屋(カメラオブスキュラ)から外に出た-つまりは生理学的身体に基づいた視覚体制を背景にしている。幾何学的な光学システムから生理学的身体に基づく視覚体制へ。この近代への移行は、ベルグソンやフッサールの哲学から、19世紀の心理学やフロイトまで、一貫して問題化されてきたものである(例えば、この問題を明確に整理しているフーコーの「心理学の歴史」フーコー・コレクション1所収を参照のこと)。

この見ることの身体性の問題は、とりわけ70年代前後から、最良の写真家や批評家によって取り上げられてきたものである。例えば、写真の断片性や非中心化された知覚、あるいは写真の身体化。ここに見られる考え方は、身体による無媒介な視覚(=意識を逃れた野生のまなざし)によって、裸の事物、非人間的な光景を獲得することにあったと思われる。例えば、当時、最良の写真家によって撮られた「東京」は、その断片性や非中心化された知覚、あるいは身体による流動的な視覚を根拠にして、全体化(「東京」という記号)されない細部をとらえることで、いわば都市の“ほころび”“よどみ” “闇”“古層”…といったものを浮上させることにあったと思われる。つまり凡庸な写真家たち、あるいは広告写真家たちが「記号化された東京」を追認、再認する形で写真の断片性を利用したとすれば、最良の写真家たちは全体化されない断片、あるいはその全体を脅かす断片に眼を注いだと言えるだろう。しかし、彼らがとらえる“見る身体”はすでにして、ある統一化された身体であり、その身体の絶対性を疑うことがなかったように思える。

しかし、高梨豊は古典主義的な視覚体制に対して、生理的身体に基づいた視覚を対峙させることで、その後者に無媒介な視覚(=意識を逃れた野生のまなざし)を求めることはなかった。むしろ、高梨豊はこうした身体に根拠をおいた視覚に疑いを抱いた、きわめて稀な写真家の一人であったように思える。なぜなら、こうした身体に根拠をおいた散漫な視覚こそが20世紀の視覚文化を支えているものではないかという疑いである。むしろ、高梨豊が取り組んだのは、不安定な知覚の時代において、“見ることの不変性と確実性をいかに確立することができるか”という、ある意味ではもう一つの純粋な視覚を確立することではなかったか。であるがゆえに、高梨豊は写真が前提とする古典主義的な光学システムに対して、生理学的な身体による視覚を対峙させるのはなく、前者の大前提を引き受けるとともに、生理学的な身体に基づく視覚に対しても抗ってみせるのである。

繰り返しになるが、写真家は車窓(=透明な窓)の制約を引き受ける。さらに移動(動いている)という制約がかかる。この移動(動く)には二重の意味が隠されている。写真装置を持つ身体(カメラオブスキュラの外にある身体)、この移動する身体(ベンヤミンが言う“フラヌール=ぶらぶら歩き”)こそが、先ほどの体による流動的な視覚を根拠づけてきたものだ。「WIND SCAPE」では、この身体の移動が列車の移動に条件づけられることによって、身体が括弧に入れられる。この移動の二重性の設定に、高梨豊の前述した“身体性”への疑いをみてとることができるだろう。

“車窓”と“移動”という二つの制約のなかで写真家は、見るべき風景をとらえ、それをいかに正確に撮るかを考える。この時の身体のあり様、あるいは感覚器官のあり様とはどのようなものであろうか。おそらく外の風景に注意を向け、凝視することを強いられるだろう。ひたすら見ること、外の風景への没入。この見ることの没入は、他の感覚器官を遮断し、視覚を分離・孤立させることにもなるだろう。ここで立ち上がる視覚は、古典主義的な視覚体制による身体を排除された抽象的視覚に似ていないこともない。しかし、この二つの抽象的視覚は似て非なるものである。前者が生理学的身体から抽象化されたものであるとすれば、後者は理念的なものから抽象化されたものである。この生理学的身体から分離・区別され、抽象化された視覚は何を物語っているのだろうか。まず一つ言えることは、高梨豊は身体を一つの統一されたものとしてみていない。いやむしろ、身体を一つの統一化されたものととらえることは、われわれが世界をとらえる際の、通常の感覚-運動的図式に従うということである。ここで問われていることは、固定され不動となった眼(注意、没入によって得られた視覚)は、世界の見せかけの自然らしさを無効にし、逆に身体に基づいた流動的な視覚こそが、すでに構築された世界(=見せかけの自然らしさ)の特性をもっているということである。

例えば、われわれは疲れた時や熱を出した時などに、一つの感覚が研ぎ澄まされることがある。麻薬等によるトランス状態にも似たような知覚分裂がある。高梨豊の方法論には、これらの知覚経験と同様なものを見いだせるだろう。列車と都市バスという条件の違いはあれ、「silver passin’」にも同様の方法論が貫かれていないだろうか。さらに、「LAST SEEIN」もまた、衰えた身体(老人の身体)が通常の身体的視覚の感覚-運の図式を逃れることで、新たな視覚を立ち上げようとしているように思える。もちろん、この純粋な視覚は、身体を否定し、身体から分離した純粋な視覚ではない。むしろ、感覚的な世界に対しての新たな認識的、身体的な関係から浮上する純粋な視覚ではないだろうか。

それでは、そのような方法で生まれたイメージとはどのようなものなのか。あるいはそうして切り取られた「日本の風景」や「東京」とはどのようなものなのか。それを確かめるためには、言うまでもなく、再度、注意深く、念入りに、一枚一枚の写真に眼を向けなければならないだろう。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 13

2013年12月07日 | Weblog

オリジナル・コピー・シミュラークル
百瀬文展「なぞる人々」(新宿眼科画廊)

一枚の写真を前にしたわれわれは何を見ているのか。一つの視覚的イメージ(像)か、それとも現実の事象(事物やその状態)か。もちろんわれわれがまず目の前にしているのは、現実の事象の空間・時間から切り離され、縮小され、紙やモニター上に静止化・平面化された一つの画像-イメージである。しかし、写真を見るわれわれはすぐさまそのイメージを現実の事象に還元してしまう。これこそが透明なメディウムとしての写真の機能であり、ロラン・バルトが言う「被写体とイメージの密着」である。写真は一つのイメージであると同時に、現実から切り離された一つの事象でもあるわけだ。ここに写真を語ることの困難さがある。われわれが写真について語る場合、われわれはいったい事象について語っているのか、それともイメージ―写真そのものについて語っているのか。

映画の場合はどうか。映画においてもまた、目の前で展開されるイメージの運動を、それが演じられた運動だろうと、生の現実の運動(ドキュメンタリー映画)だろうと、現実的な運動に還元することになる。その現実的運動とは、ある状況が提示され、登場人物がそれを知覚し、どう消化し、その状況にどう行動するか-知覚・変様(情動・触発)・行動という感覚運動的図式、いわゆるドゥルーズがいう行動イメージである。行動イメージの連なり(状況→行動→状況→行動・・・)が一つのストーリー(語り)を形づくることになるだろう。したがってわれわれは、映画というイメージを見るといよりも、感覚運動的図式に還元された(あらかじめ観念化・言語化された)ストーリーを読むことになる。

イメージと事象。写真や映画といったテクノ画像は、このイメージと事象が交差したところに成立している。この二重性こそが、記録と表現を始めとして、現実(ノンフィクション)と虚構(フィクション)、客観的イメージと主観的イメージ、自然と人為・・・といったさまざまなアポリアを生じさせることになる。

新宿眼科画廊で開かれていた百瀬文のヴィデオ作品「なぞる人々」は、「なぞる」(なぞる・なぞられる)という言葉をキーワードに、映像が有するさまざまな二重構造(むしろ反転構造と言ったほうが正しいかもしれない)を露呈させてみせる、とても興味深い展示であった。時にユーモラスに、時に生々しく、露骨なまでにあらわにされた映像の反転構造は、ヴィデオ作品を観るわれわれにいかなる知覚体験を強いるのだろうか。

「なぞる人々」は、「Calling & Cooking」「Mirrors」「Take2」「Lonely romancer」の4つの作品から構成されている。もちろん一つひとつを独立した作品として観ることも可能だが、やはり4つの作品を全体としてとらえた方がより生産的な気がする(その理由は後述する)が、まずは一つひとつの作品をなぞってみよう。

さて、ギャラリーに入って最初に出会う作品が「Calling & Cooking」である。この作品は、一人の女性が料理をしながら、遠方にいる元の恋人と電話をする状況を撮ったものである。この女性が電話の会話中に「AYA」と呼ばれることから作者本人であると推測できる-つまりセルフ・ドキュメンタリー(その意味では自分をなぞった映像なのか)-が、ここではとりあえず、フィクションなのか、ノンフィクションなのかにこだわる必要はないだろう。

何台かの固定カメラで、料理中と電話中の姿がとらえられるとともに、玉ねぎを刻むアップや台所周りが映され、さりげなくこの女性の現在の状況が暗示されている(例えば、二本の歯ブラシなど、新しい恋人がいることを示唆している)。この作品は、われわれが日常生活でしばしば経験する、テレ・テクノロジー(電話など)による“身体”と“意識”の分裂を再現したものである。われわれが映像の中で見ている現実的運動の空間では、玉ねぎを刻むという身体行為が行われている。しかし、“意識”は電話を媒介とした別な空間に引き裂かれようとしている。玉ねぎを刻む行為がぎこちなくなり、制御し切れなくなる様によって、“身体”と“意識”の分裂のプロセスが可視化されている。“身体”と“意識”の空間的な分裂-台所の“ここ”と電話の“あそこ”-は、現在という時間の分裂でもある。なぜならば、“ここ”という空間における“身体”と“意識”における“いま”の一致が現在という感覚を生み出すとすれば、この“身体”と“意識”の分裂は現在という時間の分裂を含んでいることになるからだ。実際、お互いの近況がさりげなくかわされる中で、この女性の“意識”は過去(元恋人との思い出や別れの原因等々)へと導かれていく。その証拠となるのが、突然に挿入される、目元とそこから流れる涙の、他の映像とは異なる生々しい二つのカットである。おそらくこの作品の鍵となるのがこの二つのカットであろう。つまり、涙の原因となったのは、いま料理中に刻んでいる玉ねぎが原因なのか、それとも過去の思い出がもたらしたものなのか。映像の鑑賞者はそのいずれの判断も下すことができない。とするならば、女性の涙はどのような空間で起こっている出来事なのか。われわれもまだここでは、この疑問を宙吊りの状態にしておこう。

同じ部屋にさりげなく展示された小品が「Mirrors」である。カメラモニターに映されたインコが鏡に投影されている。しかしカメラレンズの先にインコはいない。インデックス(オリジナル)なき映像の反復。カメラモニターのインコは鏡に投影されたインコなのか。鏡のインコがカメラモニターに映されたインコなのか。オリジナル(現実)のインコはどこにいるのか。どちらのインコがどちらのインコをなぞっているのか。ここでもまたわれわれはその判断を宙吊りにされる。ここであらわにされている構造は、ジャック・ラカンが説くミラーステージの構造そのものである。あるいは、同じことだがロザリンド・クラウスがヴィデオについて論じたナルシシズム的構造。

三つ目の作品「Take2」は、一人の役者が牢獄に入った囚人の絶望を演じるのだが、その絶望がうまく演じられず、監督の声(オフヴォイス)から何度も駄目だしをだされるという映像である。登場人物である役者は何度も自らの演技をなぞっていくことになるというわけである。この映像を観るわれわれは通常、囚人の絶望を演じるメイキング映像ととらえるが-とりわけオフヴォイスの監督の声によって映像の内と外が区別されることで-、しかし、囚人の絶望を演じられない役者の絶望を、さらに演じた映像ととらえることも可能だろう。演じることを演じるという反復。ここでもまたわれわれは演じられる対象を特定することができない。

四つ目の作品「Lonely romancer」は、映像の内と外、映像とその対象の反転をさらに明快にあらわにしたものである。この作品では大小二台のモニターが設置され、一方(小)にはカラオケをする女性が、他方(大)ではカラオケの映像が流されている。カラオケ映像とともに表示された歌詞をなぞりながら、カラオケをする女性が歌う。ところがカラオケ映像に登場する女性が仕事途中に着替えをし、カラオケに入っていく。そこで大小モニターの映像が逆転する。カラオケをする女性はカラオケ映像の登場人物というわけである。そして、そのカラオケ映像の登場人物をなぞりながらカラオケを歌う女性。この女性のいる空間はどこか。映像の内か外か。

こうした入れ子構造は決して珍しいものではないし、映像固有のものでもない。例えば、J・L・ボルヘスはそのエッセー「『ドン・キホーテ』の部分的魔術」(『続審問』所収 中村健二訳)の中で、いくつかその例を挙げている。『ドン・キホーテ』の続編の登場人物たちは、『ドン・キホーテ』の正編を読んでいる。シェークスピアの『ハムレット』の中では、『ハムレット』に似た悲劇(舞台)が演じられ、ハムレットがその舞台を観る。シェへラザードが皇帝に語り聞かせる『千夜一夜物語』では、その皇帝の物語が挿入され、皇帝は自らの物語を聞く。百瀬文の面白さは、こうした入れ子構造をカラオケという日常メディアの中に見出したことだろう。

「Mirrors」「Take2」「Lonely romancer」の三作品はいずれも、映像とその対象(現実、オリジナル、インデックス等々)、指示するものと指示されるもの、あるいは“なぞるもの”と“なぞられるもの”を反映、反復、反転させることによって、その関係性を識別不可能にしている。その結果、これらの作品を鑑賞するわれわれは、判断を保留され、宙吊り状態に置かれることになる。この宙吊り状態は鑑賞者にとってどのような意義があるのだろうか。前述したエッセーの中で、ボルヘスは次のように語っている。

  「地図が地図の中にあり、千一夜が『千夜一夜物語』の中にあることが、
   何故われわれを不安にするのか。ドン・キホーテが『ドン・キホーテ』
   の読者であり、ハムレットが『ハムレット』の観客であることが、何故
   われわれを不安にするのか。わたしはその理由を発見したように思う。
   物語の作中人物たちが読者や観客になることができるのなら、彼らの観
   客であり読者であるわれわれが虚構の存在であることもあり得ないこと
   ではないからである-これらの作品の逆流構造はこのことを示唆している」
   (同上)。

ここでボルヘスが語っている不安とはなんだろうか。われわれの言葉で言い直せば、宙吊り状態に置かれることでもたらされることでもある。冒頭でテクノ画像がもつ「イメージと現実の事象」という二重性について指摘したが、実は、われわれはその対象(現実の事象)と映像(イメージ)をオリジナルとコピー(擬似現実)として区別することで、あるいは現実に準じたコピーと受け取ることで、その二重性を解消し、そこで生じる不安を回避しているのではなかろうか。とすれば百瀬文の「なぞる人々」は、その構造を露骨にあらわにすることによって、オリジナルとコピーの関係を転倒させ、われわれの不安を顕在化させようとしていると言えるだろう。オリジナルなきシミュラークル(偽物)の世界。

ここで再び、最初の作品「Calling & Cooking」に戻ってみたいと思う。先にわれわれは「女性の涙はどのような空間で起こっている出来事なのか」と書いた。玉ねぎが涙の原因なのか。思い出がその原因なのか。言葉を変えて言えば、涙の原因は生理的反応なのか-身体的(行動)イメージ、心的反応なのか-感情的イメージ、われわれはどちらにも判断できないということである。どちらにも還元できない、いわばドゥルーズが言うところの変様イメージとも呼ぶべきものである。ドゥルーズはその著『シネマ2‐時間イメージ』(宇野邦一他訳)の中で、デ・シーカーの映画『ウンベルトD』のあるシーンを例に挙げて次のように語っている。少し長いが引用する。

  「朝、若い女中が台所に入ってきて、一連の機械的な、うんざりする動作を
   続ける。少しばかりの洗い物、水をまいて蟻を追い払い、コーヒーを挽き、
   のばした足の先でドアをしめる。彼女は妊娠した自分の腹に眼をむける。
   あたかも世界のあらゆる悲惨がそこから生まれるかのように。こうして一
   つの月並みな、あるいは日常的状況の中で、無意味なだけにいっそう単純
   な感覚運動的図式にしたがう一連の動作が続くうちに、突然出現するのは
   一つの純粋な光学的状況であって、若い女中はこれに答えることも反応す
   ることもできない。腹、そして目、これは出会いなのだ・・・・・・。」

ここでドゥルーズが言う「突然出現する純粋な光学的状況」とは、感覚運動的図式に従うことのない、あるいは還元できない潜勢的な映像のことである。「Calling & Cooking」の中の「女性の涙」はまさに、ドゥルーズが言う「光学的状況」と言えないだろうか。不特定な空間、あるいは純粋で空虚な空間に生起する出来事。「感覚運動的諸状況にとってかわる純粋な光学的音声的状況」(ちなみにドゥルーズは、イタリアのネオ・リアリズム映画を“運動イメージ”から“時間イメージ”への移行を示すメルクマールとしている)。ここから一つだけ理解することができるとすれば、宙吊り状態、あるいは不安がわれわれを感覚運動的図式の習慣化された反復から逃れ、潜勢的な変様イメージを現前させているということである。「lonely romancer」の中でも、「やっとめぐりあえた」「あなたを待っていた」と歌われるではないか。カラオケを歌う人はカラオケの映像の中で本当(他者として私)の人物に会えたのかもしれない。シミュラークルの力。

ところで、われわれをこうしたメタレベルの視点に立たせることを容易にしたのは、ヴィデオという再帰的メディアの機能かもしれない。反映と反省の反復。

最後に、再びボルヘスの次の言葉を引用して、今月のレビューを終えたいと思う。

  「セルバンテスのテクストとメナールのテクストは文字どおり同一であるが、
   しかし後者のほうが、ほとんど無限に豊かである」
   (「『ドン・キホーテ』の作者、ピエール・メナール」『伝奇集』所収 鼓直訳)

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 12

2013年12月07日 | Weblog
考現学としてのアート
リクリット・ティラヴァニ「無題 2001/2012」(ギャラリーSIDE2)

リアム・ギリックとともにリレーショナル・アートの代表的なアーティストとして知られるリクリット・ティラヴァニの個展が開かれている。今回の作品「無題 2011/2012」は、2001年の横浜トリエンナーレに出展したものを再展示したものである。北九州から横浜まで釣りの旅をした際の車-サンバー・スバル(リクリット号)を改装したものと、その旅に携帯したもの、使用したものが展示されている。車の荷台には、その際に撮られたものであろうビデオによる映像を写すモニターが置かれていた。さらに、ギャラリーの壁には、魚拓ならぬ“タイヤ拓”が飾られていた。初日(2月10日)のオープニング時には、鑑賞者に「くらや」梅干と焼き魚が供されたらしい。展示会場でタイ風焼きそばやカレーを振る舞うパフォーマンスで注目を集めた、あるいはそうした参加型のアートをコンセプトにしているティラヴァニの作品であれば、オープニング時のパフォーマンスも含めたレビューをすべきなのだろうが、残念ながらそのパフォーマンスを見ていないので、あくまでも展示作品そのものについて論じてみたいと思う。いやむしろ、リレーショナル・アートという観点から離れて作品を見たほうが、彼の作品を理解する手がかりが多い気がしないでもない。

さて、前述したように、今回の作品は、北九州から横浜まで釣りの旅をした際の車-サンバー・スバル(リクリット号)を改装したものと、その旅に携帯したもの、使用したもの、タイヤの跡が展示されている。ギャラリー自体がガレージを思わせるスペースなので、そこに展示されたもろもろの道具類を見ると、たまたま友人のガレージを訪れて、これから旅に出るための準備、あるいは旅から帰った後の整理を眺めているように思える。「さあ、これから旅の計画を、あるいは旅の話を聞こうか」といった具合である。2001年の横浜トリエンナーレを見ていないので何とも言えないが、おそらく横浜トリエンナーレのアート会場然としたスペースと、今回の展示スペースとでは、その印象が異なるかもしれない。しかしそれでも、われわれは友人のガレージを訪れたわけではない。ギャラリーというアート空間を前提にして、これらの展示物を見ていることは間違いない。ティラヴァニ自身もまた、それを前提にしていることは疑うべくもないだろう。とするならば、ティラヴァニは自分が旅をした際に携帯した、使用した物を展示することで、何を意図しているのだろうか。それ以上に、それらの展示物を鑑賞するわれわれにいかなる効果-芸術的経験(?)をもたらそうとしているのだろうか。個人的な経験のドキュメンタリー(記録資料)を展示することで、既成のアート空間を揺さぶろうとしているのだろうか。いわゆる反・芸術的な身振り-公的・制度的なものへの、個人的なものがもつ文化的他者性の介入。そうした側面がないとも言えないが、今更、公的-私的という対立が有効とも思えないし、そうとらえることが生産的とも思えない。

ティラヴァニは美術館やギャラリーといったアート空間を脅かさそうとしているわけではないだろう。現代美術を見慣れていない鑑賞者にはそう見えることもあるかもしれないが・・・。ティラヴァニは美術館やギャラリーといったアート空間を前提にしているし、むしろそうしたアート空間を利用しているのではなかろうか。われわれが目にしている、鑑賞している場-空間は、たまたま訪れた友人のガレージではない。ギャラリーというアート空間である-それがどのような空間かは分からないままであるにしろ、明らかに友人のガレージとは異なる空間としてとらえられているということである。とするならば、ティラヴァニによって展示されたものはすでにして日常的な生活空間から、ティラヴァニの個人的な経験から引き離されている。ティラヴァニの展示物は、アート空間に日常的なもの、個人的なものをアート空間に導入したのでも、引き入れたのでもない。むしろギャラリーというアート空間が日常的なもの、個人的なものからの分離の機能を果たしている。分離・区別としてのアート空間。

ここでわれわれはアドルノの有名なエッセー「ヴァレリー プルースト 美術館」(『プリズメン』所収・ちくま学芸文庫・渡辺祐邦/三原弟平訳)を思い起こしても無駄ではないだろう。このアドルノのエッセーは、ヴァレリーとプルーストの美術館に対する見方を対比的に論じたものである。アドルノによれば、ヴァレリーは美術館を否定的に、プルーストは肯定的にとらえていることになる。このエッセーで主題化されている“美術館” (アドルノの論考はベンヤミンによる礼拝空間から展示空間への移行も踏まえている)をアート空間と読み直してみたい。ヴァレリーは美術館に展示される“芸術作品”を「直接的な生の連関から」引き離されたものとして、美術館を“芸術作品”の墓所ととらえる。美術館(ムゼーウム)と霊廟(マウゾレーム)。「絵画と彫刻は置き去りにされた子供たちなのだ」。「建築が彼らの母なのだが、その母は死んでしまった」。つまりもともとあった場所(建築空間)と時間(歴史的時間)から引き離されてしまった過去の“芸術作品”はその生を喪失してしまったというわけである。他方のプルーストは、美術館を「それらの作品が機能していた生あるものの秩序を喪失することによって、はじめてその真の自発性というものが解き放たれることになる」ととらえる。つまり過去の“芸術作品”をそのコンテクストから引き離すことで、純粋に“芸術”を鑑賞することができるということである。われわれが知っている一般的な文学史的イメージから言えば、「芸術のための芸術」を追求したヴァレリーこそがプルースト的立場に立つと思えるし、反対に記憶の、あるいは生の作家としてのプルーストこそがヴァレリーの立場に立つと思えるのだが・・・。

もちろん、ヴァレリーにとって、美術館が否定的な場としてあるのは、過去の“芸術作品”を「物象化と無関心が脅かしている」からだ。つまり、美術館が純粋に“芸術作品”を鑑賞する場ではなく、いわゆる消費の場になってしまっていることを嘆いているのである。“芸術作品”は優れた知性の持ち主にしか理解されないというわけだ。エリート主義者、共和主義者としてヴァレリー(笑)。他方のプルーストは、アドルノも指摘するように、アマチュアとしてプルーストはヴァレリー的なエリート主義から免れているように思える。われわれがここで問題にしたいのは、エリート主義者ヴァレリーとアマチュアとしてのプルーストの対比ではない。ヴァレリーも、プルーストも、美術館=アート空間を場所や歴史(時代)から引き離された場ととらえていることである。場所や歴史から引き離された空間-ホワイトキューブ、それこそが近代的なアート空間にほかならない。ロザリンド・クラウスが「展開された場における彫刻」(『オリ企て(モミュメントとしての彫刻)から切り離された領域」である。言うまでもなく、こうした(モダニズム的)アート空間は、その純粋さを標榜するがゆえに特権(エリート)化していく。と同時に資本主義的消費社会にあっては、その特権化はヴァレリーが言う「物象化」と裏表の関係を形成していくことになる。芸術至上主義者のヴァレリーが美術館を否定せざるを得ない矛盾はここにある。モダニズム的特権化がさらなる芸術の物象化を促進するというわけだ。であるがゆえに、反芸術的身振りとして、アート空間に日常的な既製品や自然の何でもないものが導入されることになる。

しかしわれわれは、分離・区別する(場所や時代から切り離す)というアート空間の機能をもう一度、再考する必要があるのではなかろうか。確かに、過去の“芸術作品(=絵画や彫刻)”をその場所や時代から切り離し鑑賞することは、 “芸術”という理念的なものを抽出することになるだろう。しかし、今現在ある日常品や既製品、個人的経験の資料がアート空間に持ち込まれ、すなわち分離・区別されたとしたらどのような効果がもたらされるのだろうか。

もう一度、ティラヴァニによる今回の展示を見てみよう。ティラヴァニが展示した旅の記録(資料)は、ギャラリー=アート空間に展示されることで、その旅の場所や時間から切り離されている。実際、われわれはこれらの展示物からティラヴァニの旅を再現することは不可能である。われわれがここで見るのは、ティラヴァニが旅に携帯した、あるいは使用したとされる物にすぎない。とするならば、われわれは権利上、場所や時代から離れて、これらの物を見ていることになる。博物館や民族博物館で、過去の生活道具や物を見ているようなものである。例えば、今から1000年後、ある一人の外国人が20001年に日本を旅した際に携帯した道具類の記録(資料)を見るというわけである。実際、ティラヴァニは最初の作品「無題1989( )」でも「・・・料理に関する最初の作品。観客が食べるためではなく、博物館的に展示した」と言っているし、「パッタイ」(1990)でも「・・・観客が何かを実際に食べる最初の参加型作品・・・ただし、文化的産物としての人類学的、博物学的展示はここでもかなり配慮した」と語っている。とするならば、ティラヴァニの意図は、われわれの身の回りにある日常品-ティラヴァニの場合、食や住まいに関する物が多いのが特徴だ-をアート空間に展示することで、その日常的な空間から分離・区別し、つまりはその有用性を引き離すことで、日常品そのものと対峙させようとしているのではなかろうか。その効果とはどのようなものでろうか。われわれはここでハイデガーがゴッホの「農婦靴の絵」について語ったことを思い出す(『芸術作品の根源』平凡社 関口浩訳)。ここでハイデガーは、農婦の靴が絵に描かれることにより、その有用性から離脱することで、逆に農婦の靴の有用性(道具の道具的存在)がむきだしにされることを語っている。アレーテイア(真理の開示)としての芸術作品。ここまで大げさに言う必要はないにしても、日常品を日常的な文脈(コンテクスト)から切り離すことで、日常的な文脈では対象化できなかったものを対象化できるということである(これは言うまでもなく、デュシャンが試みたことでもあり、写真の機能の一つでもある)。

こうしたアート空間の持つ分離・区別の機能に着目するならば、参加型と言われるティラヴァニの、展示会場で観客に料理を振る舞うというパフォーマンスの意味合いも違った風にとらえることはできないか。ティラヴァニが展示会場で料理をし、それを観客が食するというのは、一種のフィールドワークの再現であると同時に、われわれの日常的な生の営みとしての料理や食事から切り離された行為なのではなかろうか。

一般的に博物館や民族博物館が過去の時代の生活道具や物を展示するとすれば、あるいは空間的に隔たった(たとえば、未開民族のそれ)生活道具や物を展示するとすれば(実は、その場合も、空間的な隔たりを時間的な隔たりに還元しているのだが-遅れた文明として)、ティラヴァニの博物学的展示は、現在の生活道具であり、物である。われわれ日本人は、こうした学問的領域の存在を知らないわけではない。ご存知の考現学である。考現学は今和次郎によって提唱された学問であり、考古学に対比して造語されたものである。考古学が過去の物を対象とするのに対して、考現学は今現在ある物や風俗を学問の対象とすることで、現在の社会を解き明かそうとするものである。ティラヴァニの作品はまさに、この考現学としてアートのように思える。

仮に、ティラヴァニの作品が考現学としてのアートととらえることが可能だとすれば、その評価のポイントは単なる異文化体験にとどまるものなのか(つまり、文化的他者性の提示)、文化(あるいは“芸術)に対してのオルタナティブな見方をもたらしてくれるのか、あるいはわれわれが今経験しつつある文化の諸条件をあらわにしてくれているのか、ようするにクレア・ビショップが「敵対と関係性の美学」(『表象05』所収 星野太訳)で論じたように、「ミクロトピア」を作り上げる場なのか、それとも一つの「不調和、不和」をもたらす場なのかが問われることになるだろう。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 11

2013年12月07日 | Weblog
写真の固有性という名の呪縛
日本の新進作家展vol.10「写真の飛躍」(東京都写真美術館)
大森克己写真展「すべては初めて起こる」(ポーラ ミュージアム アネックス)

写真のデジタル化以降、写真の原点-アナログ写真の手法への回帰が目立っている。いわゆるピンホールカメラやフォトグラムといった手法を使った写真のことである。東京都写真美術館で開かれていた日本の新進作家展vol.10「写真の飛躍」も、そんな傾向をもった展示会の一つであった。今回の新進作家展では、60年代後半生まれの添野和幸や北野謙を筆頭に、70年代前半生まれの佐野陽一、春木麻衣子、そして80年代生まれの西野壮平の5人が紹介されていた。本来なら、個々の作家の作品について言及すべきだろうが、この新進作家展の狙いというか、写真の原点への回帰という問題について考えてみたい。その意味では、この展示のキュレーションそのものを問題の俎上に乗せることになるかもしれない。

本論に入る前に、この展覧会カタログの解説(「写真の飛躍-視覚の古層から」丹羽晴美)に、非常な違和感を覚えたことを書いておきたい。その冒頭に、「2011年3月11日以後、写真の意味が変質した」というようなことが枕言葉のように書かれている。しかし、誰が見ても明らかのように、ここで展示されている作家たちの作品と東日本大震災とは、いかなる関係もない。実際、彼らは東日本震災以前から同じような作品を制作している。「2011年3月11日」を引き合いに出すことで、あたかも何らかのアクチュアリティを得ることができるかもしれないという姿勢には、断固意義を差し挟みたい。仮に、東日本大震災以後、写真(あるいは作品)を見る“見方”が変化したと言いたいならば、鑑賞者の“まなざし”の変容と彼らの展示作品との関係に言及すべきだろう。ただ安易に東日本大震災と結びつけて作品を語ろうとする姿勢は、断固慎まなければならない。

さて、今回の新進作家展では、5人の作家たちが紹介されている。それぞれに共通しているのは、フォトグラム、コラージュ、ピンホールカメラ、多重露光、露出(オーバー/アンダー)といった、写真の技法を用いた作品であるということだ。これらの作品は、個々の作家たちの意図は置くとして、この展示を企画したキュレーターは明らかに、アナログ写真の技法をデジタルイメージに対置している。そこには、デジタル革命によって真のイメージ(?)が脅かされている、それに対抗するためにはアナログ写真がもつ特性(化学的感光過程)を対抗させなければならないというわけである。その根拠としているのが、「写真が日常の中で無意識に過ごしてしまう些細なものや言葉にできない感触、つかもうとしても指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を顕在化できるからだ。実はそういった砂粒のような現実に私たちの日常や記憶、認識といったものは支えられ、生成されている。そのことに気づかせてくれるメディア、それが写真なのである」ということらしい。それが何故、写真の原点に結びつくのか、分からない。この、いわば微細な知覚を顕在化してくれるのは、別にアナログ写真に限らないし、おそらくデジタル写真にも可能であるだろうし、いや言葉にさえ可能だろう。そうでないならば、“文学”とはいったい何であろう(笑)。いずれにしても、「日常の中で無意識に過ごしてしまう些細なものや言葉にできない感触、つかもうとしても指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を顕在化」してくれるのは、写真の専売特許ではないし、写真がその特権性を有しているわけでもない。むしろ、ジャック・ランシェールが正しく指摘するように、写真に先立ってバルザックやゾラ、フローベルらの写実主義文学こそが微細な知覚を描写しようとしたのではなかったか(ジャック・ランシェール「イメージの運命」を参照のこと)。

確かに、写真は肉眼では見えないものを見えるようにした。そしてそこに、モダニズム写真は裸の事物を、言葉を逃れる純粋な視覚を、表象を中断する知覚を見出した。もちろん、それだけではない。写真は空間的、時間的隔たりをも可視化し、現前化した。ベンヤミンの視覚的無意識、バルトのプンクトゥム・・・・・・。そしておそらく、ベンヤミンも、バルトも、その特権性を写真という技術的特性に還元したと言えるだろう。

ベンヤミンも、バルトも、そして展覧会カタログを書いた丹羽晴美氏も、写真という技術は見えないものを見えるように、あるいは意識を逃れるものを現前化したということであろう。そしておそらく、丹羽晴美氏はベンヤミンやバルトを踏まえた上で、写真の原点=化学的感光過程こそが、裸の事物を、純粋な視覚を具現化すると主張したいのであろう。確かに、西野壮平を除いて、添野和幸も、北野兼も、佐野陽一も、春木麻衣子も、化学的感光過程を主要なモチーフとしている。

(肉眼では)見えないものを見えるようにすること、あるいは言葉(意識)ではとらえられないものを可視化すること、そしてそれが得られるとすれば、メディウムの特性、固有性、つまりメディウムの純粋性に準拠する限りにおいてである。それこそがモダニズム写真、モダニズム絵画が求めたものであろう。しかし、モダニズム写真が求めた(とりあえず、モダニズム絵画については保留するが)裸の事物とは、あくまでも写真以前の視覚(絵画的視覚)に対する視覚、つまり相対的なものに過ぎないことはいまや明らかであろう。写真もまた一つの画像であり、裸の事物といったユートピアを実現するものではない。とするならば、写真の原点を求めることは、裸の事物といった、見えなかったものを実体化し、写真の客観性という神話を再び呼び戻すことにならないか。写真は、実は見えないものを見えるようにしたのではなくて、もし仮に写真にその固有な力を見出すとすれば、むしろ見えるものと見えないものの関係を撹乱したことではないだろうか。

今回の新進作家展vol.10「写真の飛躍」の意図は、写真の原点(=化学的感光過程)に、裸の事物といった真なるイメージ(イメージの他性)を求めているとしか思えない。しかし、北野兼や西野壮平の作品はむしろ、写真の原点という根拠にこそ、疑いを見出し、裏切ろうとしてはいないか。例えば、数十枚の肖像写真を多重露光して一人の人物の肖像写真にしている北野謙の作品は、反・ポートレート写真ではなかろうか。ポートレート写真はその機械の眼によって、絵画では得られない人物の特徴を抉り出す。しかし、北野謙の作品が提示しているのは、そのまったく逆の事態ではなかろうか。写真はある人物の個性を抉り出すどころか、反対にその個性を曖昧化し、凡庸化し、一般化してしまうことを語っているのではないか。

西野壮平の作品もまた、写真という断片的イメージが現実を全体化してしまうということに抗おうとしているのではないか。西野の作品は、自ら撮影した世界の都市の何千枚もの写真をコラージュし、古地図のようなマップに仕上げたものである。手作業によって一枚一枚コラージュされることによって、ヒエロニムス・ボスやブリューゲルの絵画を思わせるグロテスクな都市の相貌が浮かび上がらせている。写真のコラージュという手法を使っているが、西野の作品だけが唯一、化学的感光過程とは外れたところで、写真を問題にしている気がする。いわば、写真を絵の具のように使った切り絵のようなものと言えるかもしれない。しかし、その絵の具とも言える写真は、自らが都市を回り、実際に撮影したものであり、身体的な記憶が刻まれたものである。西野のグロテスクな都市マップは、西野の身体的な介入による都市のデフォルメであり、写真の断片性が都市という表象の全体性を脅かしていると言えないか。

結論めいたことを書くつもりはないが、果たしていま、写真の原点(=化学的感光過程)にイメージの他性、あるいは真のイメージを求めることに意味があるのだろうか。というよりも、化学的感光過程を根拠にしたイメージに、イメージの他性(それをリアリティとい言葉に置き換えてもいいが・・・)というものがあるのだろうか。疑わざるを得ない。

「写真の原点への回帰」を回避することで、見えないものを見えるようにしようと試みているのが、大森克己写真展「すべては初めて起こる」ではなかろうか。その意味では、大森の試みにアクチュアリティを感じるし、その真摯さを評価したい気がする。

今回の大森克己の作品は、東日本大震災の被害を受けた福島を撮ったものである。大森克己は被災地の桜を撮ろうと思い立ち、被災地・福島に出向いたようである。ここで写されているのは、桜の咲いた住宅地であったり、山間であったり、きわめて平凡な桜のある風景が写しだされている。それに混じって、津波の爪跡を写した写真も紛れ込んでいる。しかし、これらの写真にはまるで心霊写真のようにピンク色をした光が写し込まれている。言うまでもなく、ピンク色の光の写し込みは、偶然的なものではなく、大森克己が意図して写り込ませたものである。とするならば、このピンク色の光こそが、今回の作品のキーとなろう。

ところで、大森克己は写真集『チェリーブロッサム』で、桜をモチーフにした作品を発表している。ここでもまた、山や森、住宅街・・・の、桜のある風景がとらえられている。この写真集では、目に見える桜に対して、桜が与える目に見えない微妙な知覚を可視化しようとしていたように思える。その意味では、先の丹羽晴美氏が語る「日常の中で無意識に過ごしてしまう些細なものや言葉にできない感触、つかもうとしても指の間からこぼれ落ちてしまうような感覚を顕在化」したものと言えるかもしれない。

しかし、今回の作品は、見えないものを見えるようにすることが本当にできるのか、という問題意識を前面に出しているように思える。言葉を変えて言えば、写真によって目に見えないものを見えるようにすることができるのか、ということである。おそらく、大森克己が真摯に向き合おうとしたのが、東日本大震災がもたらした、想像を絶する光景、そのあり様、あるいは被災者が受けた被害、さらには放射能という目に見えないものを可視化し、現前させることができるかということである。おそらく、大森克己は『チェリーブロッサム』では可能だったもの(微細なものの可視化等々)が、東日本大震災の悲劇の前では、不可能であると感じたのではなかろうか。写真による過剰な物質的現前がむしろ、今回の出来事の特異性を裏切ってしまう。あるいは写真的な現前が出来事の実存の重みを排除してしまう。テレビで流された続けた津波の映像がまさにそのことを証明している。

表象不可能性。おそらく(またおそらく、で申し訳ない)、大森克己はこの表象不可能性に対峙したのであろう。表象不可能なものに対峙した時、できることは「表象不可能である」と証言するしかない。それこそがピンク色の光-偽の桜色であり、カメラという装置の痕跡(影)を残すことではなかったか。今回の「すべては初めて起こる」は、写真表現の限界を提示しようとしているのではなかろうか。しかしわれわれは、「表象不可能性」や「写真の限界」ととらえることに異議を唱えたいと思う。むしろ、モダニズム写真が追求してきた、見えるものを見えるようにするという写真の固有性こそを問題にすべきではないだろうか。われわれは、大森克己の「すべては初めて起こる」をきわめて真摯な姿勢として高く評価しつつも、写真の限界と言うよりも、大森の写真に対する考え方の限界ととらえたい。それこそが、大森克己の試みに真摯に応えることになるのではないだろうか。

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イメージの病(やまい)-臨床と症例 10

2013年12月06日 | Weblog
現代美術は、なぜ、写真に着目したか?(後半)
「1970年代へ 写真と美術の転換期」展(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku)

引き続き、植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品を参照にして、「現代美術は、なぜ、写真に着目したか?」について考えてみたい。

前回、不覚にも、最後の文章で「メディア批判(表象批判)という文脈から、一度外してみる必要があるのではなかろうか」と、メディア批判と表象批判をあたかも同じであるかのように扱ってしまった。言うまでもないが、メディア批判と表象批判は同じ範疇に属するものではない。もちろんわれわれの意図は、植松らの作品を両方の批判の文脈から外してみることにあるのだが・・・・・・。まずはここから論を進めてみたい。

そもそも表象批判とは、何か?表象=re-presentationとは、reという接頭語が示すとおり、再-現前のことである。つまり、何か予めあるものを代理することであり、媒介されたものである。前回、現代美術が写真に注目した理由の一つに、モダニズム美術を標的にした反芸術性を挙げた。写真がもつ様式性の欠如(反創造性)や非人称性(反作家性)、主題の凡庸性(主題のヒエラルキーの撹乱)等々の非芸術性がモダニズム美術への批判につながったことになる。モダニズム美術の純粋性に対峙された、これら写真の雑種性の核心にあるのは、写真がもつ直接的な現前であろう。つまり、媒介なしの現前性=presentation。あらゆる美的慣習や約定を回避した(媒介なしの)、事物そのもの現前。この写真の現前性という機能を成り立たせているのが、写真のインデックス性という性質であることは言うまでもない。したがって、現代美術(ポップアートやコンセプチュアル・アートなど)が写真に見出した非芸術性とは、表象に対する現前ということになろう。見えるものの具体的な豊かさが表象によって覆い隠されている、慣習化され、コード化された表象のreを引き剥がし、ものそのものを現前させること。写真による絶対的な類似性の現前。表象という着衣に対する現前という裸性。これらが写真による表象批判と言われるものであろう。

では、もう一つの写真によるメディア批判とは、何か?それは写真というイメージを中心とした現代の視覚文化を批判することである。メディアや広告が作り出すイメージがわれわれのものの見方を一義的に制約している、そこには商品や権力のメッセージ(暗号)が潜んでいる、それをあらわにし、暴くこと。そのメディアや広告のコアにあるものが、写真というイメージの客観性や真実性、記録性といった機能である。したがって、写真によるメディア批判とは、写真の内在的、自己言及的批判となるだろう。こうした写真によるメディア批判の典型的な試みが、アラン・セクーラやヴィクター・バーギンのそれであろう。

ここで誰もが一つの疑問を喚起されるだろう。前者の写真による表象批判が、写真という機能の現前性(インデックス性)を根拠にしているとすれば、後者のメディア批判は写真の客観性や真実性、記録性を支える現前性を批判していることになる。現代美術が写真に着目した、表象批判とメディア批判とは、お互いに矛盾することなのだろうか。

われわれはここで、ロラン・バルトが辿った写真の見方を参照することができるだろう。記号学者の時代の初期バルトは、まさに写真というイメージを標的に、写真というイメージの神話作用を解剖し、メディア批判を行った。「注意せよ、あなた方が目に見える自明の事柄とみなしているものは、実は暗号化されたメッセージであって、それによって社会や権力は、みずからを自然と化し、見えるものの言葉なき明証性のうちにみずからを基礎づけることで、自己正当化をなしているのだ」。写真はその作為性を現前性(インデックス性)という機能によって自然化してしまうということである。ここでバルトが行っているのは、写真を標的にしたメディア批判である。しかも、そこで批判のターゲットにされているのは、写真の言葉なき明証性(コードなきメッセージ-現前性)であることは明白であろう。

ところが、周知のように後期(『明るい部屋』)のバルトは、ストゥディウムとプンクトゥムという概念によって、その言葉なき明証性を高く評価していくことになる。実はストゥディウムとプンクトゥムの絡み合いこそが写真であったにもかかわらず、後期のバルトは後者のプンクトゥムに写真の本質を見出してしまったということである。もちろんバルトは、ストゥディウムに対するプンクトゥムはけっきょく主観的なものにすぎないとして、“それはかつてあった”という時間的な隔たり=他性にその根拠を求めていくことになるだろう(この時間的な隔たりとプンクトゥムの関係は、問題化するに値するテーマではあるが)。いずれにしても、後期バルトが行っているのは、写真の現前性(裸の事物の現前であれ、過去という時間の現前であれ)を根拠にした表象批判と言えるだろう。

記号学者としてのバルトと、『明るい部屋』のバルト(テクスト分析のバルトと、テクスト悦楽のバルト)。この写真に対するバルトの二つの態度は、そのまま前述した表象批判とメディア批判につながるであろう。ここで再び、先の疑問-表象批判とメディア批判の矛盾が浮上することになる。一方が写真という痕跡にあらゆる表象から逃れた事物の裸性を見出すとすれば、他方は痕跡に刻まれた暗号(隠されたメッセージ)を解読しようとする。いずれにしても、ここで写真は言葉なき無言の痕跡ととらえられている。一方はあらゆる饒舌(物語)を無効化する、あるいは拒絶する絶対的な無言としての自然。他方はあらゆる暗号(物語)が隠された絶対的な無言としての自然。けっきょく、表象批判もメディア批判も、写真を絶対的な無言の自然ととらえているということである。他性としての絶対的な自然。

ここで改めて、植松奎二らの作品を見てみよう。彼らの作品からわれわれはどのような知覚経験を得るのだろうか。彼らの作品はいったい何を意図しているのだろうか。

例えば、植松奎二の「見ること」シリーズや「Seeing」シリーズを見てみよう。これらの作品は一見すると、クラウスが「指標論パート1」で“指標のパノラマ”と呼んでいたデュシャンの「おまえは私を」を思わせる。まず一枚目の写真は指し示される石が写され、二枚目は石を指し示す指・腕の影が写され、三枚目では前二枚に実体としての指・腕が写されている。ここで演じられているのは、指し示すこと(指標記号)の三重の戯れである。一枚目は写真自体が石を指し示し、二枚目はその写真の指標的構造をあらわにするように影が写真によって指し示され、三枚目では同時に三つの指標自体を写真が指し示す。写真による写真の指標構造をあらわにする試みと言えるだろう。この三重の構造は、若江漢字の「絵ノ具」や「新聞紙‘73」にも同じようにある構造だ。この三重の構造とは、物、記号(表象)、そして写真(物と記号を同時に指し示す写真というイメージ)と言えるだろう。この三重の戯れとは、ズレを経験することであり、誰もがコスースの「One and Three Chairs」を思い起こすだろう。

眞板雅文の作品「Lumiere.No.2」もまた、ある場所を写した写真を、その場所に重ね合わせることによって、見る者にズレ(二重性)の体験を強いる。このズレ、隔たりの経験は、クラウスがマン・レイのゾラリゼーションに対して、遅延の感覚=間隔化と呼んだものである。そして高松次郎の「写真の写真」。前回、この作品について、「写真が写真に撮られることによって、複写された写真が1枚の紙にすぎないとわれわれが知覚するためには、写真を撮った写真が透明なメディアでなければならない」と書いたが、高松は写真に写された写真に巧妙な操作を施している。写真によって写された写真は、光の乱射によって不鮮明にされていたり、二重露出されたりしていることだ。これは清水穣がいみじくも「不在のインデックス」と語っているように(『日々是写真』所収「不在のインデックス-高松次郎の写真の写真」)、写真が指し示す実体(絶対的無言の自然)が不在であることを物語っているだろう。というよりも、写真によって絶対的な無言の自然が顕現するのは、ズレによって事後的に生じるのである。誤解を恐れずに言えば、プンクトゥムとはストゥディウムとのズレによって生じるものなのだ。プンクトゥムとはストゥディウムがあって初めて生じるのだ。だとするならば、ストゥディウムに対して、そのズレをもたすものとは何か?

いずれにしても、植松奎二らの作品が見る者に強いるのは、ズレの経験である。そこで提示されているのは、裸の事物の現前でもなければ、その暗号の解読でもない。いわば写真がもつ二重性(ズレ)の知覚経験そのものである。植松奎二らの作品は、クラウスが指摘するように、デュシャンをその先駆として、写真の機能そのものを絵画(あるいは美術)という表象に変えて、作品化したと言えるだろう。しかし、とするならばまたしても、そのズレをもたらしたのは、やはり写真がもつインデックス性という性質になろう。そう、ここでわれわれが提案してみたいのは、このズレをもたらしたのは、写真それ自体ではなく、見ることと言い表すことの関係、配分、配置を規定するイメージの体制そのものに起因するのではないかと言うことである。例えば、ジャック・ランシエールはその著『イメージの運命』(平凡社 堀潤之訳)のなかで、19世紀に起こった「表象的体制」から「美学的体制」への移行ととらえている。つまり、写真がこのイメージ体制の移行をもたらしたのではなく、逆にこの移行こそが写真に「裸のディスクール」(清水穣)をもたらしたということだ。このランシエールの視点は、論ずるに値する考え方である。

最後に、もし、われわれが植松奎二らの「写真と美術の転換期」に意義を見出すとすれば、現代のイメージ体制とは彼らが顕在化した二重性(ズレ)そのものであり、このズレを一つの関係性としてとらえなおし、例えば、ストゥディウムとプンクトゥムの関係性、絡み合いこそを問題にすることではないだろうか。
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イメージの病(やまい)-臨床と症例 9

2013年12月06日 | Weblog
現代美術は、なぜ、写真に着目したか?
「1970年代へ 写真と美術の転換期」展(Yumiko Chiba Associates viewing room shinjuku)

展覧会レビューとしてはいささか旧聞に属してしまうが、同じレビュアーの中嶋文香氏も触れていた「1970年代 写真と美術の転換期へ」展について書いてみたい。この展覧会は前期と後期、2回に渡って行われた。前期では植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品が、後期では植松奎二の作品がフィーチャーされている。ところで、この展覧会は1980年初頭に開催された「現代美術における写真」展(東京国立近代美術館)の縮小されたリメイク版のような要素を含んでいる。実際、今回の展覧会で紹介されている美術作家は、後者の展覧会にもリストアップされている(高松次郎を除き)。とすれば、今またなぜ、彼らを回顧あるいは再考するのかという問題も浮上してくるだろう。

現在のアートシーンやコンテンポラリー・フォトを俯瞰すると、1970年代前後のアート状況と決して無縁ではない。いやむしろ連続性すら感じる。とすれば、70年代前後において顕著になってきた美術作家による写真の活用に、今もう一度着目することに何がしかの意義がないわけではないだろう。とりわけ、未だモダニズム写真の論理が支配的な写真界にあっては、写真を今一度再考する機会ともなるはずである。

まずは、なぜ、現代美術作家たちが写真を多用し始めたのかを概観してみたい。すでにある程度、現代美術批評の知見をお持ちの方にとっては、屋上屋を架すことになるが、しばしの辛抱を願いたい。70年代前後、美術の中に写真を持ち込むようになったのが、ポップアートやコンセプチュアルアート、ランドアートと言われている。その背景の一つが写真の持つ“非芸術性”だった。ご存知のように、当時のモダニズム美術は、その中心的な理論家であるグリーンバーグのフォーマリズム批評の影響下の下、きわめて厳格に規範化・制度化(アカデミズム化)されていった。ここで簡単に、グリーンバーグのモダニズム理論をおさらいしておけば、絵画なら絵画の媒体-メディウムの本質を追求する中で、美あるいは質の水準を維持していくということである。絵画という媒体(メディウム)にとって本質的でないものを除去し、絵画の純粋性を追求すること。そしてグリーンバーグは、絵画の本質的なメディウム性として「平面性」や「矩形性」等々を見出すわけだ。つまり、19世紀の中頃から大芸術が娯楽へと同化される中で、その下落の運命を回避するために、純粋な様式性を求めたということである。

モダニズム批評の当然の帰結として、モダニズム美術は現実の社会から遊離し、自閉していく。そうした美術の状況の中で、70年代のアーティストたちは、「アートと日常の関係」を模索し始めたと思われる。そのために着目されたのが「写真」というわけである。なぜなら「写真」はきわめて日常的なものとして流通していたからだ。「写真」が持つ「通俗性」を利用することで、モダニズム美術を支えていた諸条件を破壊しようとしたと企てたわけだ。ここで重要なことは、彼らが着目した「写真」が、いわゆる「表現としての写真(モダニズム写真)」と言われるものではなく、他の社会的文脈(司法、医学、家族写真、広告等々)で使われている「写真」だということである。例えば、ウォーホールの指名手配者の流用とか、リヒターの新聞や雑誌、家族写真などのアーカイブ写真。つまり、社会史の中の写真に、フォーマリズム批評、あるいは芸術一般に疑義を提示する特性を見出したと言うことだ。例えば、非人称性や様式性の欠如など、社会史の中の写真には、非モダニズム美術的要素が溢れている。例えば、コンセプチュアルアートがフォトジャーナリズムを利用するのは、ドキュメンタリー写真が持つ偶然性、その非芸術性にあるだろう。

ここで写真史をある程度かじった方ならば、一つの疑問が生じてくるはずである。70年代以前の写真-モダニズム写真-もまた、それまで芸術と呼ばれたもの、あるいは「芸術写真」と呼ばれたものに疑義を呈するために、写真固有の表現を求めてきたのではないか。つまり、モダニズム写真もまた非芸術性を追求したのではないかということだ。写真史ではよく前者を「芸術としての写真」、後者を「写真としての芸術」と呼んでいる。とすると、70代前後の現代美術作家たちが写真に向けた「非芸術性」と、「写真としての芸術」を求めたモダニズム写真の違いは何かということになる。もう一つ蛇足として付け加えれば、「写真としての芸術」を求めたモダニズム写真(あるいは批評)は、マスメディア(広告等)やポピュラーカルチャーにおける写真を「芸術としての写真」としてきわめて冷淡に扱っていたことだ。むしろ、彼らの最大の敵ととらえていたことである。それは現在も続いている。このモダニズム写真、あるいは批評の確立者がシャーカフスキー(MoMaニューヨーク近代美術館・写真部門の責任者)と呼ばれる存在である。モダニズム写真もまた、モダニズム美術にならい、フォーカスやディテール、フレーミング、パースペクティブ、シャッター速度、トーンといった、いわば写真固有のメディウム性を追求していった。シャーカフスキーは、写真を「モノそれ自体」「ディテール」「フレーム」「時間」「視点」という5つの分類から論じている。実はモダニズム美術批評とモダニズム写真批評は同じ論理を背景としたものなのである。

もう一つ、「芸術としての写真」「写真としての芸術」のいずれの範疇にも入らない写真として、フォトジャーナリズムがある。例えば、シャーカスキーの前任者、エドワード・スタイケンは、フォトジャーリズムを模範とした写真展を企画している(「ファミリー・オブ・マン」1955)。彼はスティーグリッツとともに、フォトセセッションを創設したメンバーの一人。しかし、フォトジャーナリズムも、70年代を境にTV報道などの台頭により、唯一の媒体としての地位を失っていく。

「芸術しての写真」「写真としての芸術」「フォトジャーリズム」、そして社会の中でさまざまに浸透している、いわば「社会の中の写真」がある。これらが複雑に絡み合っているのが写真というメディアであることが分かる。つまり写真は極めて雑種的なメディアなのだ。と同時に写真はメディアのメディアとしての機能も果たしている。70年代の現代美術作家たちは、この写真の雑種性に着目したと言えるだろう。

70年代の美術作家たちが「写真」に着目していった、もう一つの背景と理由が、メディア批判としての写真の活用にある。とりわけ60年代後半において、その傾向が顕著になっていく。まず、その背景として挙げられるのが、マスメディアの台頭(テレビ文化の台頭)、写真というイメージの日常化(それはとりもなおさず、芸術写真の衰退でもある)、イメージの飽和化(スペクタクル社会のファンタスマゴリア性)等々。これはつまり、写真というイメージを美的対象でも、歴史的対象でもなく、メディア批判をする理論的な対象としたことだ。

メディア批判が生じてきた社会的・思想的背景をざっと話しておけば、70年代前後の世界的な学生運動の高まり(反ベトナム戦争等)がある。哲学・思想の分野では、例えば、マクルーハンのメディア論(『グーテンベルグの銀河系』1962)やギー・ドゥボールの『スペクタクル社会』(1968)、ルイ・アルチュセールの「イデオロギーと国家のイデオロギー装置」(1970)、アンリ・ルフェーブルの都市論(『空間の生産』等)など、それまでとは異なる国家・権力・イデオロギー批判が生まれている。非常に乱暴に言えば、われわれのイデオロギーや意識、感覚、知覚、認識等々が国家や法といった大きな装置によって形成されるのではなく、メディアを中心とした日常生活におけるさまざまな装置によって形成されるということだ。そしてもう一つが、バルトやソンタグの写真論の登場も重要な契機となっている。彼らの写真論もまた、「社会における写真」が批評の対象となっている。このメディア批判を別な言葉で言えば、いわゆる表象批判ということになる。「1970年代 写真と美術の転換期へ」展のカタログでも、光田由里は、例えば、高松次郎の「写真の写真」を表象批判の一つとしてとらえている。しかし、高松次郎の「写真の写真」を表象批判という側面からのみ論じては、もっと重要なことを見逃してしまう恐れがある。これについてはまた後述したい。

このメディア批判につながっていくのが、写真というメディウムそのものへの言及である。写真というイメージによる記憶とアーカイブ化の問題、イメージと被写体(見る/ある)との問題、記号と事物、イメージとテクストの問題、イメージの商品化(ジェンダー、あるいは見る/見られる関係)の問題、都市とメディアの問題、イメージと風景の問題等々、写真というイメージを通して、きわめて多様な問題群が浮上くる。これもまた、写真の複数メデイァとしての特徴を表わしている。と同時に、写真を美的対象でも、歴史的対象でもなく、理論的対象として選択されたということでもある。こうした理論的対象と写真を使用する作品を「メタメディアとしての写真」とも呼べるだろう。つまり、写真を反省的=反射的メディアとして扱うということだ。例えば、ジェフ・ウォールは、伝統的メディア=絵画に対する写真による再考と語っている。

70年代の現代美術作家たちによる写真の使用をざっと概観したが、非常に乱暴にまとめれば、一つは写真という雑種的な構造をもったメディアの非芸術性を利用することで、モダニズム美術(あるいは批評)が掲げる諸条件を疑問に付したこと。もうひとつが写真による自己言及的なメディア批判(表象批判)ということになるだろう。しかし、ここで概観した見方は、写真が社会の中でどのように機能しているかに焦点があてられている。つまり、写真が社会の中で、ある種の矛盾(雑種性)を含んだ形で流通していることに着目していると言えるだろう。オリジナル、コピー、シミュラクルという問題圏もその域を出ていない。しかし、写真というメディウムそれ自体が持つ二重性に着目する必要があるのではないか。

例えば、先ほどの高松次郎の「写真の写真」を見てみよう。この作品は写真を写真に撮ったものである。光田由里は「現実を反映する透明なメディアとして扱われがちだった写真は、この時、独自の仕組みと特性をもったひとつの視覚メディアとして意識されなければならない。写真は現実の等価物ではなく、錯視効果をもった1枚の紙である。高松次郎が複写によるトートロジーで示したのは、徹底した表象批判なのだ」(展覧会カタログ「認識の奪回」)と記している。しかし、光田由里は写真がもつ独特な構造を見逃している。どういうことかと言うと、写真が写真に撮られることによって、複写された写真が1枚の紙にすぎないとわれわれが知覚するためには、写真を撮った写真が透明なメディアでなければならない。とするならば、批判されていること(写真の表象)が、その当の表象の力に依存していることになるだろう。自己言及性の罠。高松次郎の「写真の写真」はむしろ、写真が持つ指標的機能-その現前性が表象を支えているということである。そのことによって、言語的表象に回収されてしまっているモダニズム絵画(抽象絵画)に亀裂を入れているのではないか。植松奎二や眞板雅文、若江漢字らの作品もまた、写真がもつ指標的機能に着目することで、絵画的慣習を脱構築する試みと言えるだろう。

この写真における「指標の論理」こそ、写真というメディウム自体がもつズレ(二重性)の構造であり、70年代の美術が問題化していったものであると、ロザリンド・クラウスはその著『オリジナルと反復』所収の論考「指標論パート1」の中で指摘している。クラウスは、70年代美術の多様化、分散化したアートシーン-ヴィデオ、パフォーマンス、ボディアート、フォトリアリズム、ハイパーリアリズム彫刻、アースワーク等々-について、一見、時代の集合的な様式が不在のように見えるが、その背後にはこの「指標の論理」があると語っている。その先駆者として挙げられているのが、デュシャンである。

植松奎二、高松次郎、眞板雅文、若江漢字らの作品を単なる回顧ではなく、再考の契機につなげるとすれば、メディア批判(表象批判)という文脈から、一度外してみる必要があるのではなかろうか。


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イメージの病(やまい)-臨床と症例 8

2013年12月04日 | Weblog
現代アートにおける“既製品”の使用をめぐって。(後半)
ヨコハマトリエンナーレ2011「Our Magic Hour 世界はどこまで知ることができるか?」

前回のレビューでは、現代アートにおける“既製品”の使用法を考えるにあたって、二人の人物のテクストを参照することを提示した。一つはゲオルク・ジンメルの「取っ手」というエッセー、もう一つがロラン・バルトの初期写真論-「写真のメッセージ」「映像の修辞学」である。前者が芸術における理念的次元と“取っ手”における実用性の次元を問題化していたとすれば、後者は写真における共示的メッセージ(歴史的・文化的コードに基づいた象徴的メッセージ)と外示的メッセージ(ただモノを指示するだけのコードなき逐次的メッセージ)の絡み合いに焦点をあてたと言えるだろう。

さて、ここからは、「ヨコハマトリエンナーレ2011」展に展示された作品を参照例(もちろん展示されたすべての作品ではないことを予め断っておく。という以上に、その参照例の選択はきわめて限られたものになるだろう)として、現代アートにおける“既製品”の使用について考えてみたい。

ジンメルが提示した問題を最もストレートに体現していると思われるのが富井大裕の作品である。富井大裕はありふれた日用品を作品化(造形作品化)することで知られている。今回の展示でも、画鋲を絵画化した「ゴールドフィンガー」を始めとして、折り紙や付箋、ベルトなどを作品化している。富井大裕が素材とするものは言うまでもなくありふれた“既製品”である。富井大裕はこうした日用品を使用することで、何を試みようとしているのだろうか。またそれらの作品を鑑賞するわれわれにどのような経験を強いようとしているのだろうか(そうだ、“強いる”のであって、参加するのではない-哄笑)。

ジンメルの論拠に従えば、富井大裕の作品はありふれた日用品-実用的なレベルにあるモノを理念的なレベル(作品化)に変換する試みと言えるだろう。例えば、「ゴールドフィンガー」は画鋲を絵画的な約定(コンヴェンション-平面化や矩形化等々)にしたがって、作品化したものと言える。まずわれわれは金箔を施した絵画のような作品に、その輝きや美しさを見る。しかし、よく観ればそれは画鋲によって構成されていたことが分かる。一見して美しいと思われたものが、実は画鋲の集まりに過ぎなかった、というわけである。富井大裕は“美”や“芸術”と呼ばれるものが、単なるイリュージョンにすぎないということを観者に体験させようとしているのか。

いわゆる反芸術的な作品の提示。例えば、もう一つ、男性用ベルト(?)を造形化した作品がある。こちらは誰がどう見ようと、男性用ベルトである。しかし、その奇妙に歪められた形は(造形的な操作によって)何か別なものにも見えてくる。前記したような鑑賞の仕方に従えば、前者が理念的な次元(芸術)から実用的な次元へ、後者が実用的な次元から理念的な次元へ、ということになろうか。いずれにしても、富井大裕が試みようとしているのが理念的レベルと実用的レベルの絡み合い、交換、変換、転換等々であることは明白であろうし、われわれ観者が経験するのはその絡み合いであろう。

ここでもう一つ思い出されるのが、マイケル・フリードがアンソニー・カロのテーブル作品を分析した「モダニズムはいかに作動するか」というテクストである。このテクストでフリードは、カロのテーブル作品におけるスケール感を実用的空間から区別・分離された抽象的な操作によるスケール感として分析している。

「片や取っ手のもつ日常的にしてリテラルな機能があるとすれば、片や分離を強いて
そのことによって(たんなる)物理的物体ではない芸術作品として理解させるという
意味でこの《テーブル作品第二二番》をリテラルにではなく抽象的に理解させる調律
的機能もがこの取っ手にはあるのだが、前者のリテラルな機能が、後者の抽象的な機
能によって、覆い隠されるのである」(「批評空間」1995所収 上田高弘訳)

このフリードの分析は、前回紹介したジンメルの「取っ手」というエッセーの問題と共鳴しているし、富井大裕の作品を鑑賞するにあたってのヒントともなるだろう。富井大裕の一連の作品は、理念的なもの(芸術)が一つのイリュージョンにすぎない(いわゆるモダニズムにおける否定の論理)ということを提示しているのではなく、理念的レベルに転換される操作-約定の数々を問題にしていると言えるだろう。芸術における抽象的な機能(絵画化、彫刻化)とはいかなることなのかと。フリード流にいえば、富井大裕は「モダニズムの画家が発見に努めるのは、絵画的なるものすべてに共通する、それ以上に還元できない本質なのではなく、芸術史のある特定の瞬間にあって自身の作品をほかならぬ絵画として同定することを許す約定の数々」を再検証することなのではないか。富井大裕の作品にあっては、その再検証は決して否定的な契機によるものではなく、むしろ「何が芸術における価値ないし質の究極の源泉なのか」を見極めるための作品ように思える。

ここで富井大裕の作品と比較対照化してみたいのが、泉太郎の作品(あくまでも今回展示された作品に限定するが)である。われわれが理解する限り、泉太郎の作品もまた、日用品(おもちゃや旅行用トランク等々)を素材と使用している。しかし、泉太郎の作品においては、富井大裕の作品とは異なり、日用品それ自体に対していかなる操作も施していない。泉太郎が操作を施しているのはあくまでも展示という次元に対してである。

おもちゃや旅行用トランクなどの日用品が、キッチュな仏像(?)とともに、部屋の中の台座の上に置かれている。われわれ観者は部屋の外から鑑賞することで、これらの作品と隔てられている。この距離感と台座が“芸術作品の展示”を表象していることは明らかだろう。さらに部屋の奥には何台かのモニターが置かれ、ゴリラ(?)に扮した何者かが展示された日用品と戯れる映像が映し出されている(芸術と遊びの対比?あるいは同一性?)。泉太郎はこうした展示をすることによって、何を意図しているのだろうか。

反芸術的な身振りの提示だろうか?“芸術作品”と呼ばれるものをユーモラスに茶化すことにあるのだろうか?(部屋の前に置かれた自転車の車輪を使った作品は、デュシャンの「ロトレリーフ」のパロディ?)というよりもそれ以上でも、以下でもないように思える。“芸術作品”と呼ばれるものを“お笑い芸人風笑い”で茶化すことで(笑)、“芸術”という概念を相対化すること(いわゆる否定の論理)。しかし、こうした反芸術的な身振り、あるいはユーモアは、観者におもねることによって成立しているのではないか。富井大裕の作品とは異なり、泉太郎の作品は、観者に対して新たな思考(あるいは経験)を強いるようには思われない。「アートなんて面白ければいいじゃん」というわけだ(大笑)。

ここで田中功起の展示作品「美術館はいっぺんに使われる」についても、泉太郎の作品との決定的な違いについても言及してみたい誘惑にかられるが(明らかに田中功起の展示作品も、“展示空間(あるいは芸術空間)”をテーマの一つにしているように思える)、田中功起の作品についてはいずれ稿を改めて論じてみたいと思う。

さらに、いくつかの展示作品を参照例に、現代アートにおける“既製品”の使用法についての考察を進めていきたい。例えば、ウィルフレド・プリエトの模造ダイヤモンドを使った作品「One」やマッシモ・バルトリーニの建築現場用足場を使った「オルガン」、あるいはダミアン・ハーストの蝶の羽を使った「知識の木」など、いずれも“既製品”を使って(ハーストの蝶の羽は厳密には“既製品”ではないが)、“オリジナル性と価値”や“美”、“荘重さ”、“聖なる空間”、“宗教”、“科学”といった一般的な概念、あるいは象徴的イメージを転倒・変容させようとしているように思える。

前回のレビューにも書いたように、一般的に写真の果たす機能(とりわけ広告写真)は、共示されたメッセージがコードのないメッセージから展開され、その結果として文化的なものが自然化され、真実性や事実性といった神話を形成することになる。まあ、きわめて簡単に言えば、一般的、通俗的、無反省な概念を自然化し強固なものにしてしまう。象徴的メッセージという文化性の逐次的メッセージによる自然化。

このロラン・バルトの分析にしたげば、プリエトやバルトリーニ、ハーストらの作品は、上記した方向と反対のことが生じているのが分かる。つまり、象徴的メッセージに対して“既製品”という逐次的メッセージが介入することで、象徴的メッセージを転倒・変容させているということである。バルトは「写真のメッセージ」の中で、「外傷が直接的であればあるほど、共示は困難である。あるいは、写真の《神話的》効果はその外傷的効果に反比例するという法則である」と書いている。ここでのバルトの“外傷”という言葉の使い方は、“外示的メッセージ”とほぼ同義である(バルトの“外傷”という概念は、後に大きく変化していくのだが)。“写真の神話的効果”とは、「象徴的メッセージの逐次的メッセージによる自然化」という意味である。つまり、プリエトやバルトリーニ、ハーストらの作品にあっては、“既製品”を象徴的メッセージに対して反比例の関係になる使い方をしているということだ。

ここで重要なことは、象徴的メッセージと逐次的メッセージ(“既製品”)の反比例の関係を維持することである。逐次的メッセージ(“既製品”)のみを提示することは、いわゆる「ただモノ主義」となろう。確かに、そうした無意味なモノの提示は、美術、あるいは美術館という制度に対しては、何らかの有効性を持ちえる(えた)かもしれないが、現在もまだ果たして有効かどうかは疑問だ。例えば、BankART Studio NYK(日本郵船海岸通倉庫)の会場では、砂や植物、動物といったものをモチーフにした作品が多かった気がする。その多くの作品は、ハーストの使い方とは異なり、自然的なもの(外示的メッセージ)の提示のみに終わっている気がする。

今回、「ヨコハマトリエンナーレ2011」展に展示された作品を参照例に、現代アートが“既製品”をどのように使っているのか、その分類を試みようと思ったのだが、力足らずして分類までには至らなかった。いずれ、この問題についてはまた改めて考えてみたいと思う。

今回、映像作品についてはほとんど触れることができなかったが、最後に、「ヨコハマトリエンナーレ2011」展で最も印象に残った作品の一つ、クリスチャン・マークレーの「The Clock」について、少しばかり書いておきたい。この作品は既製の映画作品からの引用で成り立っている。「時計」をモチーフに24時間の時刻を示すシーンをつないだものである。しかも、この作品を観るリアルタイムの時間と一致させている。例えば、午後3時にこの作品を鑑賞する者は、まさに午後3時のシーンを見るということである。観るリアルタイムの時間と映画シーンの時間との一致。僕は10分ほどしか見ていないが、24時間通して観たらどのような経験を強いられることになっただろうか。

一般に映像の時間とは、鑑賞者の“いま”に“かつて”が介入してくることである。あるいは映画館などでの映像経験は、“いま・ここ”にある身体をないものとし、意識を映像の中の“かつて・あそこ”に没入する経験でもあるだろう。マークレーの映像作品にあっては、意識の上では“いま”と“かつて”の分離・区別がないことになる(この区別ことが“いま・ここ”の身体を取り戻すことになる)。とすると、この作品を24時間見続けることは、鑑賞者の身体的時間が映像の時間によって完璧に簒奪されてしまうということだろうか。マークレーの作品は、そのアイディアやつなぎの面白さ(そのつなぎによってさまざまな物語を作り出すことが可能だ)以上に、実はきわめて不気味で、空恐ろしい事態を告げているのではなかろうか。

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