Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

大爆笑!

2007年10月28日 | Weblog
久しぶりに笑いました! 坂口トモユキさんがブログ(http://tsaka.jp/)で紹介していたんだけど、Yoshiyuki Koheiの「覗き見する人-出歯亀」写真-野外セックスをするカップルを覗き見する人たちを撮らえた写真。覗き見をする人を覗く写真家、そしてその写真を覗くぼくら。一人称の連鎖。相変わらず写真は経験的次元がモノを言う。写真家はさらにギャラリーでそれらの写真を見る人たちを撮ってほしいな~。そしてさらにそれらの写真を見るぼくら。写真の、無限に増殖する鏡像性(笑)。

写真と無意識・追記

2007年10月24日 | Weblog
ここで私たちは、写真における観察の機能について考察することをうながされます。客観的イメージを生み出す観察の機能と、過剰なイメージを生み出す観察の機能です。写真における観察の機能とは何か。それは決して、客観的イメージを生み出すものではないということです。むしろ写真における観察の機能は、過剰なイメージを生み出す点にあるのではないか。では、現実の事物を過剰なイメージとして再生する写真における観察とは何か。それこそが物の状態にも、観察者の主観性にも還元できない、写真というイメージによって対象化されたものに違いありません。

写真と無意識

2007年10月21日 | Weblog
ベンヤミンの視覚的無意識

写真と無意識を初めて結びつけて考えたのは、ベンヤミンです。ベンヤミンは写真に関する最初の論考「写真小史」の中で、以下のように書いています。

カメラに語りかける自然は、肉眼に語りかける自然とは当然異なる。異なるのはとりわけ次の点においてである。人間によって織りこまれた空間の代わりに、無意識が織りこまれた空間が立ち現れるのである。
(「写真小史」久保哲司訳 ちくま学芸文庫)

今回はベンヤミンの「視覚的無意識」をキーワードに、写真の潜在的可能性、とりわけ初期写真が有していただろう写真について考えてみたいと思います。

まずベンヤミンは「無意識」という言葉によって、何を言わんとしたのでしょうか。前述の引用に続いて、ベンヤミンは「写真はスローモーションや拡大といった補助手段を使って」、例えば人の歩き方を解明してくれると書いています。また「物質の表情」ともいうべき微細な形象を開示するとも言っています。つまり、カメラによって肉眼では見えなかったものを見えるようにしてくれるということです。肉眼では見えなかったもの、それが「視覚的無意識」というわけです。後に、「第三の眼」とか、「機械の眼」と言われるようになるもので、写真史では言い古された事実であり、いわば常識的な言説です。

では何が問題なのか。ベンヤミンは「視覚的無意識」という概念によって、何を問題にしようとしていたのでしょうか。ベンヤミンは「写真小史」の論考に続く、かの有名な論考「複製技術の時代における芸術作品」(以下、「複製芸術論」に)において、前述の引用を繰り返しながら、精神分析における「無意識」との関連を述べています。

ついでにいえば、この二種類の無意識のあいだには、密接きわまる関連がある。なぜなら、カメラによって現実から奪い取られることが可能となる多様な視点の大部分は、知 覚の<通常の>スペクトルの範囲外にあるものだからだ。
(「複製技術の時代における芸術作品」野村修訳 岩波文庫)

ベンヤミンは「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」を「視覚的無意識」として発見しているわけです。さらにベンヤミンは、映画の視覚世界を例に「現実世界では、異常心理や幻覚や夢の形で現出する」とも付け加えています。つまり、写真は肉眼における知覚とはきわめて異質な知覚の論理、いわば夢の論理に近いものだと言っているわけです。

知覚の客観性と過剰

「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」、肉眼とは異質な知覚の論理。写真の論理が知覚の異質性を指摘することで、ベンヤミンは何が言いたかったのでしょうか。ベンヤミンはこの異質性をとりわけ、「細部」という観点からとらえています。「写真小史」の中で、その例として挙げられているのが、ブロースフェルトの植物写真です。この細部-ディテールという観点は、後にシャーカフスキーも写真読解の一つとして挙げています。

「通常のスペクトルの範囲外にあるもの」としてのディテール。ベンヤミンにおける「細部」とは、全体を細分化した部分ではありません。むしろ、全体という概念を脅かす細部です。全体に統合不可能な過剰な部分としての細部。そもそも全体という概念はどう成立するのでしょうか。カントにおける「統覚」のように、そこにはつねに人間的主体が想定されているわけです。ベンヤミンにおける通常の知覚のスペクトルを免れた細部は、「全体性」や「主体性」を揺るがすものとして考えられています。蛇足ながら、全体と断片(部分)という問題は、ドゥルーズが指摘する、全体から始まる部分のとらえ方は「……である」に、ベンヤミンの細部は「…と…」に相当すると思われます。全体化されない部分の集積としての自然。

ところが一方で、写真はその自動的描写性-人間の意識や言語的・象徴的コードを介さずに書き込まれる自動性ゆえに、客観的なものとみなされてきました。実際、写真は発明の初期段階において、臨床医学や犯罪学の場において観察の手段として使われていきます。シャルコーのサルペトリエール精神病院におけるヒステリー写真やさまざまな奇形をとらえた医学写真、観相学的な犯罪者の肖像写真等々。写真がもつ自動的描写性ゆえに、科学的知覚というイデオロギーを被って使われたのでは明らかです。ここで「科学的知覚」として働いている機能とはどのようなものでしょうか。

周知のように、科学的姿勢の本質の一つは、実験における反復性です。個々の現象の中から、同じ事象を抽出し、統計学的な手法によって法則化することで一般性を獲得することにあります(蛇足ながら、科学的法則とはあくまでも閉じられた環境-選択されたファクターの下での実験にすぎず、つまりは真の反復を保証するものではない)。つまり、写真は同じ事象を同定する手段として、きわめて有効とされたわけです。症状の同定、犯罪者の同定……。写真は管理と制御のテクノロジーとして、その同定化の方法とされたわけです。

ベンヤミンもまた、「写真小史」において、「元来カメラには情緒豊かな風景や魂のこもった肖像よりも、普通は工学や医学が相手にする構造上の性質とか細胞組織といったもののほうが縁が深い」と写真の科学との親近性を述べています。その一方で写真という技術における科学と呪術の境界線は不確定だとも指摘しています。例えば、心霊写真というものがありますが、そもそも心霊写真は神秘的なものとしてつくられたわけではありません。むしろ、きわめて科学的な姿勢からつくり出されたものなのです。霊魂の存在を実証するために、その証拠のために心霊写真は生み出されたのです。


写真と絵画

2007年10月06日 | Weblog
最近、自分の思考方法、形式、カテゴリー、用語等々あまりにも紋切り型に陥っていると、しきりに反省しています。実際、つまらない言葉の連なりばかり。写真について、イメージについて、もっと別な考え方をすべきではないか。そんなことを思う日々です。とりあえず、講義の再録を続けますが、近いうちに、これまでとはまったく違う地平から、写真やイメージについてアプローチをしていきたいと思っています。閑話休題。

絵画の知覚-遠近法

西洋の近代的な視覚制度とはどういうものであったのか。まずはルネサンスに始まる西洋絵画において、支配的な視覚モデルであった“遠近法主義”について述べてみたいと思います。さらには、遠近法という近代的な視覚制度に対して、写真の視覚はどのような位置にあるのか。ジョナサン・クレーリーの説(『観察者の系譜』)を参照にしながら、絵画の知覚と写真の知覚の相違について考えてみたいと思います。

さて、ここで近代的な視覚制度と呼ぶのは、極めて広い範囲の近代です。15世紀のルネサンスに始まる時代から19世紀までを指します。この時代区分は、中世に対する近代であって、近世という場合もあり、大方の歴史家は19世紀もまた連続した近代ととらえ、20世紀を現代と呼称する場合もあります。ただし、ミシェル・フーコーなどは、17,18世紀を古典主義時代と呼ぶことで、19世紀に世界を認識するエピステーメーに切断があったと説き、19世紀以降を近代と呼んでいます。ジョナサン・クレーリーもフーコーにならって、遠近法主義的視覚モデルを古典的主義モデルと言っています。後述しますが、実は、この時代区分の違いには、重要な意味があります。

西洋における近代とは、視覚が支配的な時代と言われています。例えば、ウォルター・J・オング(『声の文化と文字の文化』)は、人類の文明を口承的、書記的、活字的、電子的という4つのモードに分類。オングによれば、人類は文字を持つことで、言葉を視覚的な記号として空間化し、言葉は語られる状況から遊離し、分析的な思考=内面性を獲得したと説いています。その後、望遠鏡や顕微鏡の発明(=科学革命)によって進行していた視覚的なものの特権化が、印刷術の発明によってさらに強化されていったとも述べています。いずれにしても、西洋の近代とは、まさに視覚的な感覚が支配的な時代と言えるでしょう。

それでは、西洋近代における視覚の制度とは、どのように成り立っていたのか。その中心となる視覚モデル-視覚芸術におけるルネサンスの遠近法と哲学におけるデカルトの主観的合理性とは何か。ルネサンス的遠近法の発明=発見者は、彫刻家のブルネレスキと言われ、それを最初に理論化したのがアルベルティと言われています。

遠近法は三次元空間を視覚のピラミッドないし円錐によって二次元空間に描き直す。この遠近法は現実の対象を最も自然な形で再現する方法として、長い間、西洋の視覚制度を支えてきました。アルベルティもまた、遠近法による絵画を「透明な窓(あるいは舞台)」と位置づけています。つまり、遠近法という透明な窓を通して、世界を眺めるということ。遠近法は美術史家にとっても、絵画を語る上で当たり前の前提となっていましたが、「遠近法は慣習的な象徴形式にすぎない」と初めて批判的な見方を提示したのが、美術史家のパノフスキー(『象徴形式としての遠近法』)です。実際、遠近法は決して自然な視覚経験を表現したものではありません。遠近法は通常の両眼視覚とは違い単眼によって見られた世界です。またその単眼は動かず、まばたかず、位置が固定されています。遠近法による視覚とは、自然などころか、見る者の位置に左右されないきわめて抽象化された幾何学的な空間なのです。

ここで重要なことを一つ指摘しておけば、ルネサンス絵画はしばしば「現実の再現的視覚」と呼ばれ、「よく見ること」を追究したと言われます。しかし、ルネサンス絵画は決して現実を再現するための絵画ではありません(このことから、写真を遠近法主義的視覚の延長とみなされてきたわけです)。彼らが再現しようとしていたのは、あくまでも聖書というテキストなのです。確かに、ルネサンスの画家たちは「見ること=観察」を重視しましたが、それはあくまでも抽象化された幾何学的な空間、理知的なまなざし=神の光によるまなざしに従属される限りにおいてなのです。

遠近法と近代の視覚

一方、デカルトの主観的合理性-網膜像として再現された実在物を知性=精神が表象するという認識論の基礎もまた、遠近法をモデルとしてつくられています。そこから、近代の視覚制度を「デカルト的遠近法主義」と呼ぶこともあります。そしてまた、このデカルト的遠近法主義が近代の客観的科学主義を形成していったとも言われています。ここでは詳述しませんが、デカルト的遠近法主義に代わる代替的な視覚-バロック(安定した遠近法的視覚をおびやかす錯乱的・幻惑的な視覚)やオランダ絵画(見る者の介入、表面の描写、地図的な視覚空間)のような視覚も、17世紀の美術史のなかに共存していることも付け加えておきたいと思います。

これまで、19世紀に登場する写真装置は、前述した遠近法がルーツとされてきました。写真史の冒頭では必ずカメラ・オブスキュラ(暗箱-絵画制作の補助道具として使用された。遠近法を基にした、17,18世紀における科学的な観察道具。)が紹介され、写真用のカメラはカメラ・オブスキュラが進化したものとされています。つまり、写真はルネサンス期の遠近法から始まる「自然な視覚」の再現につらなる装置と位置づけられているわけです。

こうした視覚における歴史的な連続性に異議を提示したのが、ジョナサン・クレーリーの『観察者の系譜』です。ジョナサン・クレーリーは、中世的な図像システムからルネサンスの遠近法への切断があったように、19世紀において視覚制度に大きな切断があったと説きます。そうした視覚制度の大きな変容のなかからこそ、写真装置が生まれてきたと主張しています。

ジョナサン・クレーリーは、19世紀において、デカルト的遠近法主義に代わる、どのような視覚システムが登場したと説いているのか。その話に移る前に、ジョナサン・クレーリーの基本的な考え方-方法論を抑えておきたいと思います。ジョナサン・クレーリーは、視覚制度を解明するにあたって、“観察者”という概念を提示しています。ジョナサン・クレーリーのいう“観察者”とは、世界や物を観察し、認識する主体という意味ではありません。そのようにとらえると、一方に対象物があり、他方にそれを観察する主体があり、それを介在する観察道具があるということになり、対象物(客観)と観察者(主観)を分離・独立した存在ととらえ、視覚制度の変遷は観察道具(技術)の単なる変化の歴史となってしまうでしょう。

ジョナサン・クレーリーの“観察者”という概念は、観察者の位置が観察道具と表象行為の社会的な配置=配列によって編成されるという考え方です。つまり、観察者はつねに同一な者として存在するわけではなく、技術や言説の社会的配置=配列のなかで決定されるということです。実はこうした方法論からこそ、“デカルト的遠近法主義”と19世紀の視覚システム(写真以後の)の断絶(不連続性)を見出すことが可能になるわけです。

視覚体制の断絶-生理学的視覚

ジョナサン・クレーリーは、デカルト的遠近法主義における観察者の位置・地位と19世紀のそれには大きな切断があると説いています。まずデカルト的遠近法主義における観察者は、カメラ・オブスキュラという暗室の内部にいて、外部の世界を観察する者です。そこでの観察者は外部から切り離された非身体的な存在となっています。それはまた何物にも脅かされない客観的精神の内面を象徴しています。その内面こそがデカルトのいう“精神的表象”です。それに対し、19世紀における観察者の位置・地位は、カメラ・オブスキュラという暗室の外部にあり、もはや固定されても、不動なものでもありません。クレーリーは、こうした観察者の位置・地位の変容を、写真誕生前に普及したさまざまな視覚器具(とりわけステレオスコープ)の構造に目を向けることで考察しています。

ステレオスコープは、左右の眼の微妙な視覚差を利用して、立体的なイメージを産み出す視覚器具です。ステレオスコープを発明したのは、生理学者のチャールズ・ホィートストーンとディヴィット・ブルースターという二人の人物で、残像と主観的視覚の研究を行う過程で発明されました。ここで重要なことは、二人とも生理学者であることです。実際、19世紀の登場する多くの視覚器具は、生理学による視覚研究の過程で生まれています。なぜ、生理学が重要なのか。

生理学とは人間の知覚や心理を肉体的・解剖学的な構造と機能-つまり身体との関係のなかで知覚(視覚)を探ろうという学問です。フーコー流に言えば、「超越的なものが経験的なものの上に折り畳まれた存在として、“人間”なるものが出現」したのです。すでに1810年に出版されたゲーテの『色彩論』では、網膜残像や色彩変化が論じられ、視覚(見るという機能)の中心が身体にあることを述べられています。1820年代、30年代になると、網膜残像が研究され、視覚には生理学的なプロセスと外的刺激とがいかに混合、影響されるかが明らかにされていきます。「視覚の残存」を研究したジョゼフ・プラトー、近代計量心理学の創始者の一人グスタフ・フェヒナー、ヘルムホルツやヨハンネス・ミューラーの特殊神経エネルギー説など、19世紀はまさに生理学の時代でもありました。生理学は知覚を数値化し、刺激と感覚との関係を知覚の関数にしたのです。

幾何学的光学(デカルト的遠近法主義あるいは古典的視覚モデル)から視覚の生理学へ。19世紀に視覚体制に大きな断絶が起ったとクレーリーは説いています。写真や映画という近代的メディア(ここでの近代は古典主義に対しての近代)の登場は、こうした19世紀における生理学身体に基づくものだというのがクレーリーの主張です。生理学身体に基づく視覚モデルの重要なことは、視覚的な認識が客観的で透明なものではなく、人間の身体によって生み出されるという発見です。理性のまなざし(普遍・永遠・無限)から、身体のまなざし(個的・偶然・有限)へ。確かに、その後発明された写真は、単眼的な空間や幾何学的遠近法の諸コードとの曖昧な関係を保持してきました。であるがゆえに、写真史の冒頭には必ずカメラ・オブスキュラの図版が掲げられ、解説されてきたわけです。しかしクレーリーは、写真発明の背景にあるのは、幾何学的光学モデル(デカルト的遠近法主義)ではなく、生理学的身体に基づく視覚モデルだと説いています。

写真的視覚の二重性

それでは、クレーリーが説く、19世紀における視覚モデルの“断絶(不連続)”には、どのような意味があるのか。ここで私見を述べれば、写真という視覚を、幾何学的光学モデルと連続したものととらえることは、写真という視覚が持つ可能性を閉じることになるのではないかということです。写真の視覚をデカルト的遠近法主義の視覚モデルとして見てしまうと、どうして写真の可能性を閉じることになるのか。

もう一度、デカルト的遠近法主義(幾何学的光学モデル)を考察して見ましょう。まずデカルト的遠近法主義とは、どのような視覚(認識)形式なのか。一言で言えば、デカルト的遠近法主義による“表象”とは、人間と世界(事物や他者の存在)との関係を主体-対象(客体)という図式に還元することです。世界を対象物として、自己の前に打ち立て、固定することで、それによって今度は対象物に相対する主体が、あたかも対象物に先立ってあるかのように事後的に捏造されます。対象物として世界を目の前に打ち立てること、それこそがデカルト的な“表象”に他なりません。しかし、ここで事後的に捏造される「主体」は、あくまでも「神の光=中心化された普遍的な理性のまなざし」の元においてです。神学としての視覚。

主体-対象(客体)という図式は、いまやわれわれにとっては当たり前、常識の視覚(認識)形式と思われるかもしれません。しかし実は決して自明なことでも、当たり前のことでもありません。きわめて近代的(ここでの近代は、フーコーやクレーリーが言う19世紀までの時代)、つまりは歴史的な形式なのです。果たして明治時代前の日本人は、このような形式で世界を見ていたか。古代のギリシア人たちは、このような形式で世界を見ていたか。否です。

例えば、現代思想に大きな影響を与えた20世紀哲学者の一人ハイデガーは、近代的な表象システムについて次のように言っています。「或るものが人間に呈示され、表象されてcogitatum(デカルトの有名なテーゼ“われ思うゆえにわれあり”のこと)となっているのは、人間が自分の裁量のきく範囲で、いつでも一義的に、懸念や疑惑なしに自分から支配しうるものとしてそのものが彼に確定され保障されているときにのみ起ることである」と。

世界(事物、他者の存在)を認識する上で、主体-対象(客体)という図式は、われわれの世界との多様な経験を封じ込め、あるいは見えなくし、世界を理解可能な対象物とだけしてしまう(あるいは神の下での、一義的な世界了解)ということです。ハイデガーは、近代的な表象システム(デカルト的遠近法)こそが、世界を“像”として見ることを可能にしたと言っています。さらに現代では、世界は役に立ち、調達される対象物=“用象”とされていると。少なくとも古代ギリシア人においては、世界を認識する場合、世界を対象物として見るのではなく、全的に受け入れる存在としていたというのが、ハイデガーの考えです。

写真的な視覚は、上記したような主体-対象(客体)という図式に亀裂をいれる視覚システムではないか。しかし、写真的な視覚をデカルト的遠近法主義に連なる視覚システムと見てしまうことは、写真的な視覚がもつ、近代的な表象システムを打ち破る可能性を隠蔽してしまうことになります。これがクレーリーの隠れた主張のように思えます。さらに付け加えて言えば、写真は「リアリティ=現実の再現性」と「倒錯性(対象と視覚の不一致=宙づり)」という矛盾を抱えてしまったと言えるかもしれません。クレーリーは、『観察者の系譜』の後、『知覚の宙吊り』という著作で、さらに近代的視覚における二重性を考察しています。