Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

コーカス・レース

2008年06月29日 | Weblog
哲学することの一つの根本気分……
一つの根本気分の呼び覚まし……(ハイデガー)。

「人間とは一つの過度か、一つの方向か、地球というわれらの惑星の上を吹き通る一つの暴風か、神々にとっては一つの堂々巡りか厄介者か? われわれはそれを知らない。だが、われわれは見た、人間というこの謎めいたものの中で哲学が生起する、ということを。」『形而上学の根本諸概念』ハイデガー(川原栄峰訳)

ハイデガーによれば、ニーチェの「神は死せり」とは、超感性的な世界(理念、理想等々)の活動力が欠けてしまったということである。無の蔓延、客のなかでも最も不気味な客-ニヒリズム。そしていまや、超感性的な世界の真理は、「商品」という名の下であらゆる物にとり憑いている。スペクタクル社会(ギ・ドゥボール)。

「目で触れる」とは物の側に立つことであり、物の権利を回復することである。「表象」に抗う物の権利。

自分のペンを思考のなかに浸している、アリストレス。
自分の眼を光のなかに浸している、写真家。

ここで言う光とは支持体と触れ合う物質的な光のことだ!デジタル時代にあってさえも、なおもそれは存在する。そういえば、新プラトン主義者たちは、物質を非身体的物質と身体的物質の二つに分けたそうだ。もちろん、新プラトン主義者たちにとっての非身体的物質とは超存在としての神になるのだが、しかし、非身体的物質を眼に見えない力動的なものと考えることも可能だろう。

眼で見ることと触れること。写真の歴史を「眼で触れること」という観点から覗いてみたら、どのような光景が写し出されるだろうか。イメージの物質的諸条件を表象するイメージ。光学の論理から痕跡の論理へ。ただし、痕跡の美学を回避しつつ。「風をみる・山にふれる」(鈴木理策)。

スヴェトラーナ・アルパースはその著『描写の技術』のなかで、物語化(テクスト化)を主眼としたルネサンス絵画に対して、17世紀のオランダ絵画は眼に映る事物を執拗に“なぞる”ように描写したと語っている。“見る(あるいは読む)視覚体制”から“なぞる視覚体制”(小林のりおの『ランドスケープ』を“なぞる視覚”から評価すること。ただし、時代的変化-つまりは時代的・歴史的推移を考慮しつつ)へ。眼で触れるとは、描写された事物が一つの意味に向かう(表象される)手前で、支持体の物質的次元にとどまることを意味しているのではないか。いわば支持体(シニフィアン)の物質性とも呼ぶべきものが前景化するのだ。

確かに、マリオ・ジャコメッリは素晴らしい。たとえば、「自然について知っていること」。遠近法を無化した版画的(痕跡としての)ディテールの露出(プロヴォーグや森山大道なんかよりも凄いかもしれない-微笑)。明らかにこれらの写真は“眼で触れること”を志向している。だからといって、「最新のデジタル技術を総動員してもよくなしえない、魂の芸術である」(辺見庸)なんぞと言ってはならない(こういう言述が良心的知識人の限界だよね-笑。ここにこそ、表現内容のみならず、作品を形式的にとらえなければならない重要性がある)。デジタル時代にはデジタル時代の<生の時>と<死の時>があるのだ。イメージの物質的諸条件は歴史的・時代的なものによって成り立っているのだ。イメージの物質的諸条件を反時代的に利用すること(その意味で、内原恭彦の作品は評価されてしかるべきものである。ことに、写真集『Son of a BIT』の最後を飾る「山田某氏の部屋」を撮ったものは興味深い。ただ、それでもなお、フィルム的あるいは油絵の具的、古い支持体の臭いが鼻につくのだが……)。それこそが「とことわの時間」を獲得する方法である。

ある場所と時代に制約された真理。しかしそれは決して相対的な真理を意味しているわけではなく、ある絶対的・普遍的な“形式的真理”を意味しているのだ。変化の、不変的な形式としての真理。

極端に偏った見方をすること。もちろん、その正当性を主張することなく。偏っているのだから、そもそも正当であるわけがない。それでも偏ることで見えてくるものがある。偏光・偏角の眺め、微光あるいは過剰な光のもとでの眺め。

「例外は、一般と例外自体とを説明する。一般を正しく研究したいと思うなら、ある現実的な例外を見わたすだけでよい。例外は、一般自体よりはっきりと、すべてを明瞭にしてくれる」(キルケゴール-シュミット『政治神学』からの孫引き)。

視点を変えるのではなく、問いを変えること。場所と時間を考慮しつつ。考古学と系譜学。「私たちが考え、述べ、行うことを分節化している、それぞれの言説を、それぞれに歴史的な出来事として扱うこと-考古学」「私たちが今在るように存在することになった偶然性から出発して、私たちが今のように在り、今のように行い、今のように考えるのではもはやないように、在り、行い、考えることが出来る可能性を抽出すること-系譜学」(フーコー)。

写真を感覚の(ということは“見る”ことだけに限定されない)分類行為とみなしてみること。どのような感覚で、世界を、事物を分類しているのか。もちろん、一言で分類といっても、そこにはまず、世界を、事物を最小限の諸要素(知覚)に分解・解体する行為があるだろう。そしてそれらの諸要素を分類し、さらには最適な連接と配列を打ち立てる。これら一連の行為をとりあえず、“写真の分類行為”と呼ぼう。言うまでもなく、写真家はさまざまな感覚で世界を、事物を分類する。しかし重要なことは、新たな分類法を生み出すことではない。むしろ、何がそのような分類を可能にしているのか、あるいは分類そのものの無根拠性を暴露することだろう。

テクノスケープもいいけど、サイト(工事現場)スケープもあるよ。そしてもちろん、キッチンスケープも。ただし、キッチンスケープは宿命的にフォトジェニック性を拒んでしまう(といっても、フォトジェニック性という写真美学の無根拠性を暴露するということだけど。安村崇の『日常らしさ』も広い意味でキッチンスケープだ)。けっして“萌える”ことの不可能なキッチンスケープ。昨今のテクノスケープへの偏愛は、鉄道マニアと変わらないわけだが、けっきょくマシーンエイジへのノスタルジー(空虚さを埋めるための、過去への回帰による充填行為)に過ぎないのだろうか。それとも何か別な現象なのか。

キリスト教における七つの大罪の一つ、怠惰。「怠惰は何でも欲しがるが、努力しようとはしない」(ヤコポーネ・ダ・ベンヴェーヌ)。19世紀に始まる近代は、かのボードレールがそうであったように、怠惰との死を賭した闘いなのだろうか。一方で近代は、“注意”を身体的に管理・制御する資本主義時代でもある。散漫と注意。弛緩と緊張。一瞥と凝視。この隔たりとその振幅こそが、ニーチェの言う近代的ニヒリズムを生み出すのかもしれない。

ニューヨークではレストランなどにおける「カロリー表示」が義務化されたそうだ。肥満が社会問題化するなかで、「自らの身体を管理すべし」ということらしい。肥満が増加すれば、成人病の可能性が拡大し、医療費(社会的コスト)が増大するという論理だ。もはや我々の身体は、ここまで管理されようとしている。国民の健康・安全という美名を建前として。ゾーエー(生物学的な生)の管理・統治。いずれの日か、大食漢が罪人になる日がやって来るのだろうか(アメリカのビジネス社会ではすでに、肥満=負け組らしいが)。で、写真は近代の身体への管理・統治テクノロジーに対してどのような貢献をしてきたのだろうか。たとえば、家族写真(カンバセーション・ピース)。いやそれよりも、写真を撮るという行為、あるいは写真における表現技法と管理・統治テクノロジーの関連について。あまりに飛躍しすぎだろうか。

何故にかくも人は写真を撮るのか?
人は写真を撮ることでいかなる効果(満足)を得ているのか?

ギリシアにおける大地の管理とユダヤにおける群れの管理。「これら二つのゲーム-シテとその市民のゲームおよび羊飼いと群れのゲーム-の両方をわれわれが近代国家と呼んでいるものの中で巧みに結合させることによって、まさしくわれわれの社会は悪魔的な社会となってしまったのです」(フーコー)。そしてもちろんフーコーは、後者の統治形態を分析し・問題化すること-いわゆる「生政治」の重要性を説くわけだが。というよりも、これまでの国家批判は、前者に重点が置かれ、後者の視点が欠落していたということである。

NHKドラマ「バッテリー」(原作あさのあつこ)が好きだ-苦笑。はみ出し(過剰な)者の孤独。イノセントの救い。もちろん、いわゆる予定調和を超えることはないのだけど。

NHKの番組・田中民(舞踏家)の「ようこそ先輩」は素晴らしかった!(土方巽の暗黒舞踏の系譜ってあまり好きじゃないんだけど……-笑)。

写真と「自己の技術」について考えてみること。ここでいう「自己の技術」とは、フーコーが問題にした「個々人が、自分自身によって、自らの身体、自らの魂、自らの思考、自らの行動にいくつかの操作を加えながら、自らのうちに変容をもたらし、完成や幸福や純粋さや超自然的な力などのある一定の段階に達することを可能にする」技術である。写真を撮るということは、これらの「自己の技術」とどのような関わりを持っているのだろうか(もちろん、荒木経惟の「私写真」とも大いに関わってくるが、それだけにとどまるものではない)。写真を撮るという行為における「自己の技術」には、フーコーにならって言えば、表現に関わる一連の義務が含意されているのではないか。表現によって何かを発見しなければならない、表現によって何かを解明しなければならない、表現によって何かを語らせなければならない。こうした義務が構成する自己(写真を撮る自己)とは何か。土門拳と荒木経惟の「自己(写真行為の主体)」は明らかに異なっている。

志賀理江子の作品は素晴らしい(写真集『CANARY』『Lilly』)。虐げられたイメージ。イメージによるイメージの虐待。デジタル時代の森山大道!?(デジタル時代といっても、デジタルカメラを使っているとか、デジタル処理しているとかは関係ない。今現在という時代意識のこと)

辺見庸がジャコメッリの写真について語ったNHK番組を見た。確かに、辺見庸は単なる良心的知識人ではないようだ。「ジャコメッリの写真でさえも資本=コマーシャルに食われてしまうかもしれない」というような意味の発言をしていた。われわれはそうした認識の上でジャコメッリの写真を見なければならないと。ジャコメッリの写真が写される事物からのまなざしであるとすれば、まずは人間的なまなざしのヴェールを剥ぎ取らなければならない。その覆いとしての人間側のまなざしは必然的に時代的諸条件を備えている(とするならば、現代における写真あるいは芸術の第一の使命は、広告的イメージといかに区別するかにある)。とするならば、「写される事物のまなざし」とは、ハイデガーが言うごとく、一つの「アレーテイア-存在するものの開け」そのものではないのか。「物のまなざし」が実在するわけではない。むしろ、一つの開け=裂け目のなかに「物のまなざし」がヌーメノンとして仮想されるのではないか。

たとえば、前述した志賀理江子の写真。ここで言う、虐げられているイメージとは何か。それは人間的なまなざしによって付加された意味性である。志賀理江子は文字通り、被写体を表現(expression)する。被写体を圧縮し、締め付け、搾り出す。被写体を覆っていた意味性を引き裂き、ずたずたにすることであらわになるのは、たとえば、我らの内なる獣性であり、我らの内なる悪であり、我なの内なる最も古い記憶である(この一連のプロセスはフランシス・ベーコンを思い起こさせる)。被写体の内部から排除され、区別された、聖なるイメージ(志賀理江子の写真は一種の心霊写真のようにも思える)。聞くところによれば、志賀理江子の制作方法は、「35ミリカメラで撮影したネガから焼いたプリントを加工、マイクロレンズを使って再撮」(飯田志保子)したものらしい。しかし、厳密に言えば、志賀理江子の方法は何かを加えるという意味では、イメージの加工ではない。むしろ再撮という迂回のプロセスは、イメージを掃き払い、拭うための方法のように思える。

村上隆はすごい!本気で芸術の商品化を徹底しようとしようとしている。「芸術のブランド力を高めよ」(6月1日付朝日新聞朝刊)と。ここにボードレールのような逡巡は微塵もない。しかし、村上隆の戦略は、芸術の「商品への同化」とは違う。彼の戦略もまた、芸術を徹底的に商品化することで、芸術を商品から分離・区別することを狙っている。かの「GEISAI」が「芸術の見本市」であることは明らかであるとしても(まあ、何とかビエンナーレも、「芸術の国際見本市」には違いないのだが)、むしろ独立した「芸術のマーケット」を創出することで、芸術の、商品からの分離・区別を意図しているのだろう。芸術という「絶対的な商品」を創りだすために(その意味では、戦略は対置的ながら、その目的は純粋芸術派と変わらないわけだ)。村上隆の戦略に正当性があるかどうかというよりも、今現在もまだ、150年以上も前の、ボードレールの葛藤(問題)が生き続けていることに驚かざるを得ない。

しかし、「絶対的な商品」とは何か。完璧に使用価値が駆逐され、交換価値のみで成立する物=芸術。たとえば、ピエロ・マンゾーニの「糞の缶詰」?。しかし、果たして物である必要はあるのか。幻影としての芸術、絶対的物神性、絶対的フェティシズム。そういえば、イブ・クラインのパフォーマンス、「非物質的絵画的感性領域の譲渡」(クラインと画商が金箔と領収書を交換し、クラインは金箔を河に撒き、画商は領収書を燃やすというパフォーマンス)や「空虚の部屋」(パリ近代美術館の展示絵画をすべて取り去り、空虚な状態を作り出すというイベント)を思い起こす。その意味では、村上隆はいまだまだ、その交換価値を現実の市場に依存していると言えるかもしれない-大笑い。まあようするに、村上隆の戦略は、芸術作品の評価(他の物との区別・識別)を従来の美術制度(アカデミズムとか、キュレーターとか、批評家とかの判定)によらずに、市場に委ねてしまおうというわけである。

はたしてぼくらは、芸術作品を部屋に飾り、癒しをもたらす、美しい対象として眺めることができるのだろうか。アガンベンは『中味のない人間』(岡田温司他訳)のなかで、ロベルト・ムージルのある草稿を紹介している、「ムージルは、ピアノを弾いているアガーテの部屋に入ってきたときに、ある陰鬱で抗いがたい衝動を感じているウルリヒ(略)を描いている。彼は、この衝動に駆られて、家のなかに「悲痛なまでに」美しい調和を響かせるこの楽器に弾丸を数発発射してしまう」と。もはや芸術作品はわれわれの存在を脅かす危険な代物ではない。カントによって「関心なき快」と定義された美は、「「関心」の領域から抜け出て、単に興味をそそるだけになっている」。こうした近代芸術(=美としての芸術)のあり様に抵抗し、軽蔑したのがニーチェであり、アルトーである。

人類史上、これほど「芸術(アート)」が人々の口にのぼる時代はなかったし、「芸術(アート)」の存在そのものが認められた時代はなかった。ひとたび、「芸術とは何か」と問われたら、千差万別の答えが返ってくる時代なのに。ファッションもアートなら、家具もアートだ。ロック歌手もアーティストと呼ばれている。いまや人が作り出すすべての生産物はアートである。文字通り、「芸術(アート)の時代」だ。ボードレールも、ベンヤミンも、ハイデガーも、芸術作品とすべての生産物の見分けがつかなくなる時代を予想していた。もちろん、かのヘーゲルも、マルクスも。

最近、新訳がなされたアーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』を再読した。人類進化の究極を描いたこの作品のなかで、衣食住の足りた世界では、何一つとして(芸術作品の)傑作を生み出すことはなかった、と書かれている。まあ、言い古されたことだが……。かつての古典ギリシア時代のポリス(都市国家)では、確固とした奴隷制度に支えられて、自由市民は基本的に衣食住の問題にわずらわされることなく、高尚な精神ゲームにうつつをぬかし、その正当性を競い合った。我こそが真の政治家である、我こそが真の詩人である、我こそが真の医者である、我こそが真のアスリートである……と。アゴーン(競技)の世界。そういえば、ヘルマン・ヘッセの小説『ガラス玉演戯』を思い出す。この小説もまた、ただただ名誉をかけて「ガラス玉演戯」を競い合う世界を描いたものだったように記憶する。ある意味、我々の時代も、こうしたユートピアのとば口にいるのかもしれない。いずれプラトンのような人物が現れて、すべての生産物にヒエラルキーをもたらす確かな基準をつくりだしてくれるかもしれない。それまではとりあえず、衣食住の問題にもわずらわされながら、我こそが真の芸術作品を創造するアーティストである、我こそが真の写真を撮る写真家である、我こそが真の基準をつくりだす批評家である……と、駄弁を繰り返すほかはない。

明確な敵を見出す術(すべ)を失ったがゆえに、秋葉原の歩行者天国に突っ込むことになる。我々は明確な敵を見出す術を学び、伝えなければならない。

photographeを「写真」と誤訳されてしまったことは、歴史の大いなるあやまちであったのだろうか。原義に近い「光画」-光で画く、光による図像の方が確かに相応しいのかもしれない。しかし、「写真」と誤訳されたことには、いくばくの正当性が含まれてはいはしないか。photographeには、「画く」という、どこか絵画的なコードに制約された感がある。むしろ、「真理を写す」ほうがphotographeの機能に相応しくはないだろうか。もちろん、ここでの「真理」とは現実のことでもなければ、事実を指すことでもない。「真理」とは、ハイデガーの言う「不伏蔵性(あらわにすること- アレーテア)」のことである。「写真」とは、物(被写体)をあらわにする行為そのものなのではないか。あらわにされた物そのものではなく、したがって、「真理」とはあらかじめあるものを見出すことではなく、「見出されるべきもの」である。「写真」と誤訳されてしまったことには、実は「写真」の大いなる可能性が秘められているのではないか。

フォトジャーナりズ(あるいはジャーナリズム一般)の問題は、その中立性を問うことではなく、誰の立場に立ったものなのか、誰の立場に立って機能しているものなのか、その「誰」を読み取ることが重要なのだ。「中立性」を問題にするすべての発言は疑ってかかったほうがいい。「いま、そこで起きていることを伝えたい」なんぞと言って、正義ぶっている写真はもっとも信用ならない。「私は何々を告発・抗議するために伝える」という発言こそ尊ぶべきものである。

森山大道の写真についてしばしば、「分節化された世界に先立つ、身体的・肉体的反応」なんて言われるけど、身体的・肉体的反応が本当に「分節化された世界に先立つ」ことになるのかしら。むしろ、通常、身体的・肉体的反応こそ、最も「分節化された世界」にどっぷり浸かったものじゃないの?(現象学的私への無反省的な信頼?)。運動・感覚的反応。酔っ払っても無意識のうちに帰路についているように-笑。したがって、身体的・肉体的反応が重要なのではなくて、それによって得られたイメージをどう操作するかが重要なのである。同様に、撮影行為における無意図性・無意識性(ノーファインダー、スナップ等々)が重要なのではない、そこで得られたイメージの使用こそが問題となるのである。

まったく旧聞に属するが、小原真史監督の『カメラになった男』のあるシーンを思い出した。この映画は中平卓馬のドキュメンタリーだが、そのなかで、沖縄でのあるイベントを撮った場面(おそらくは東松照明の沖縄展?)があった。壇上には、東松照明を筆頭に森山大道、中平卓馬、そして港千尋が、さらに客席の横には荒木経惟がいる。これはまさに日本写真史の縮図であった。一人、東松にかみつく中平。苦笑いをしながら、超然さを装う東松。なかに入って「まあ、まあ」と言ってとりつくろうとする森山。爆笑しながら茶々を入れる荒木。そして何とかまとめようとする港。それぞれの写真観があらわれた瞬間であった-大笑。あらためて言うまでもないが、ぼくは中平卓馬の身振りに最も好感をもつ。あくまでも「敵」を明確にしようとする中平と、「敵」が不明確であることを「良し」とする輩。

深川雅文はその著『光のプロジェクト』のなかで、「関数」としての写真について語っている。写真を関数的に分析する視点をもつことで、写真表現の力点を「写す/写される」関係から、「変換する」あるいは「移す」という関係にシフトさえることができると。たとえば、深川は森村泰昌の作品について、「森村作品の自らをイメージに代入することによる変換システムをg(x)とすれば、xには森村自身が代入される。名画をなぞる変換システムをf(x)とすれば、森村作品の関数は概略すればf(g(x)という関数として翻訳することも可能だろう」と述べている。深川が言う「関数としての写真」は、変換システムそのものを問わなければ、実は何も何も言っていないことに等しい(「関数」としての写真という観点はきわめて重要である。実際、ぼくも以前、このコーカス・レース上で、写真を現実の関数と見るべきではないか云々と記している)。たとえば、レンガー=パッチュの「世界は美しい」的写真もまた、変換システムの一つである、「生き生きと見せる」写真も変換システムの一つである。「写す」から「移す」、あるいは「サブジェクト」から「プロジェクト」へという視点に移行したからといって、何かを言ったことにはならない。相変わらず、その変換システムによって、写真の機能を「現実を暴露すること」に求めるつもりなのか。そうではなくて、その変換システムの仕組み、構造こそを問わなければならないのではないのか(その視点に立てば、森村泰昌の作品など、何ほどもない!)。ある種の変換システムが何故に不可視のものを不可視のままにしてしまうのか。モホイ=ナジの限界を問うとすれば、変換システムを「光の造形性」に抽象化・形式化(それをカント的美学化と呼ぼう)してしまったことなのである(それはまた、抽象絵画を中心としたモダニズム絵画の試みと呼応することになる)。

関数としての写真。Pを現実とすれば、関数として写真(イメージ)=(x)は現実との関係において変換されたP(x)となる。しかし、当然ながら、現実のPはP(x)でもある。写真はP(x)の関数(x)となる。さらに写真は(P(x)(x))の関数(x)となる。さらに……。このPは無限の()が続く(映像の時代といわれるゆえんである)。シニフィオンの連鎖。そして変換システムとしての関数(x)もまた多様であり、無限に置換可能となる。f(x)、g(x)、h(x)……のように。だから何だと言うのだ!-大笑。

あくまでも、重要なことは、この関数(x)がPに対してどのような関係にあるのか、どのように機能しているのかを問うことなのだ。この変換システムの機能を支えるものこそが、写真(イメージ)を支える物質的諸条件(レンズの効果から、撮影者の位置、支持体、流通メディアまでも含む)である。写真(イメージ)を読むとは、この物質的諸条件の関係性を問うことである。

写真(イメージ)の物質性、物質的諸条件によるイメージ、写されたもの(あるいは見る側が見てしまうもの)。物質性・諸条件の構造(イメージそのもの)・写されるもの。この三つの位相の絡み。

写真行為の三つのトポス。現実・第一に見る者(撮影者)・二番目に見る者(見る側)。この三つのトポスの絡み。

コーカス・レース

2008年06月13日 | Weblog
「芸術と商品」を考える上で避けて通れないテクストがある。ハイデガーの『芸術作品の根源』である。物、道具、芸術作品をいかに識別するかを論じた、この講演テクストは、中・後期ハイデガーの重要な概念の一つである「Unverborgenheit(不伏蔵性とか、被隠匿性とかと訳されているようだ)」-そして「空け開け」を展開していることでも知られている。実は、このハイデガーのテクストの書かれた時期は、ベンヤミンの有名な二つのテクスト『写真小史』『複製技術時代の芸術作品』と、1930年代というほぼ同時期のものである。二人はどのような「共通の問題意識」なかで、これらのテクストを書いたのか、あるいは語ったのか。興味の尽きないところだが、とりあえずのぼくの関心は、ハイデガーが物・道具・芸術作品をどのように識別しようとしたかである。ちなみに、このテクストは、ハイデガーが例に引いたゴッホの有名な絵画「短靴」をめぐって、美術史家のメイヤー・シャピローが描かれた「短靴」の帰属問題(誰の短靴か?)を論じたことでも有名である。デリダの『絵画における真理』所収の「「返却」もまた、その帰属問題を端緒としたテクストである。

ハイデガーはまず芸術作品とは何かと問う。芸術作品とは芸術家によってもたらされたものである。では芸術家とは誰か?芸術家とは芸術作品を生み出す者である。卵が先か、鶏が先か。芸術作品と芸術家をつないでいる第三のものがある。「芸術」である。両者はまさに芸術によって存在している。では芸術とは何か?芸術とは何であるかは、作品から取り出さざるを得ない。おお、崇高なる堂々巡り。しかし、ハイデガーはこの堂々巡りに踏みとどまることこそ、「思索の祝祭」だという。凄い!

では、目の前にあるさまざまな芸術作品を集めて、それらの特徴から芸術の本質を定義することができるだろうか、あるいは芸術の本質をより高次の諸概念から導きだすことができるだろうか。しかし、それでは芸術作品の根源を問うことにはならない。それでは暗黙のうちにあらかじめ芸術の本質を想定していることになるからだ。で、再度、ハイデガーは芸術作品がもっている物的性格から問うことになる。

古代からすでに「物とは何か」「存在するものとは何か」と問われてきた。ハイデガーによれば、こうした物の物性についての解釈には三つあると言う。まずは「諸特徴(属性)の集まりとしての物」。ギリシア人は諸特徴の集まりの「核」をト・ヒュポケイメノン(基体‐根底に横たわっているもの)、諸特徴をタ・シュムべべーコタ(付帯的なもの・偶有的なもの)と呼んだ。実はこれがラテン語訳され、ヒュポケイメノンがスブスタンティア(実体)となり、シュムべべーコタがアクキデーンス(偶有性)となった。そしてさらに、この「物の構造」は「命題の構造」である「主語」と「述語」に似ていると言う。むしろ、ラテン語訳は後者の「命題の構造」を倣ったものではないのかとハイデガーは問う。そうすることで、ラテン語訳はギリシア人が考えていた、物が「固有発生的でそれ自体の内に安らっているもの」を「主・客」に対象化することで、忘却してしまったと。この指摘はきわめて重要だが、ひとまずは置いておこう。

二つ目の解釈は、「感覚の多様性の統一としての物」。

コーカス・レース

2008年06月08日 | Weblog
芸術と商品(あるいは芸術表現と広告表現)。二つの共通性とは何か。この問いへの賭金とは、現代における芸術の使命の一つが「芸術」を「商品」といかに区別するかあるいは区別できるのかの問いにある。

おそらく誰もが異論なく指摘できる共通点の一つは、物神性・呪術性(フェティシズム)である。芸術も商品もいずれも「有用(必要)性」を超えたものを備えている。必要性を超えた過剰な存在としての「芸術と商品」。ところで、フェティシズムに関してはこれまで二つのアプローチが知られている。一つは言うまでもなく、精神分析学(フロイト)がいう「フェティシズム」。そしてもう一つがマルクスによる商品の「物神的性格」である。

精神分析学がいう「フェティシズム」とは周知のように、本来の性的対象を身体の一部分(足、髪、臀部等々)あるいはそれに付随する物(靴、櫛、下着等々)で代用することである。フロイトによれば、代用対象となる究極的な対象とは「母親のペニス」らしい。母親の「不在のペニス」をめぐってのドラマ(葛藤)。それが去勢コンプレックスを説くフロイトにとっての核心である。しかし、フロイトの「フェティシズム」をめぐる論述の重要性は、代用対象が母親の「不在のペニス」かどうかよりも、その心的メカニズムにある。つまり、「不在の対象」をあたかも存在するかのように仮想し、その代用として別なものを欲望してしまうという心的メカニズム。事実上は存在しないもの(母親のペニス)をあたかも存在するかのように思い込むことでの、断念と否認の葛藤。したがって、「フェティシズム」は“否定神学”のように、母親のペニスという「無の存在」を否認すればするほど、その存在を喚起し、肯定することになる。否定を通じての現前。フェティシズムのパラドックス。「この対象はまさしく、それがとらえられないというその在り方によって、人間の必要性を満足させるのである」(ジョルジョ・アガンベン)。

では、マルクスにおける商品の「物神的性格」とは何か?マルクスは『資本論』第1章で商品あるいは貨幣の謎に挑んでいる。マルクスにとって資本主義的生産体制を読み解く最初のキーワードが商品であった。資本主義のメカニズムを読み解く記念すべき書物『資本論』の冒頭は、「資本主義的生産様式が支配している社会の富は、「膨大な商品の蓄積」としてあらわれ、個々の商品は、その富の基本形態としてあらわれる」から始まっている。「その特性によって人間のあれこれの欲望を満たす」物(使用価値=自然という素材を人間にとって有用な物に変形にすること)が、「商品」という形をとるやいなや別な物に変質する、とマルクスは説く。人間の労働によって生産された「使用価値」は、貨幣による売買行為を介することで、いわゆる「交換価値」に変貌するのだ。もちろん、使用価値がなければ交換価値は発生しない。しかし交換価値(商品という価値)には、「一原子の物質も入り込んでいない」。商品は本質的に非物質的で抽象的な財となる。商品の二重性。これが商品の「物神的性格」である。商品という価値の秘密は、貨幣による交換過程がもたらす「財の蓄積」にあるのだ(商品としての労働もまた、その生産過程で剰余価値を生み出すだろう)。商品とは自然なもの(使用価値という人間と物の透明な関係)から逸脱した過剰な存在なのである。

ジョルジョ・アガンベンはその著『スタンツェ』のなかで、詩人リルケや挿絵画家グランヴィルを例に、19世紀に起こった「人間と物との関係」の変化について言及している。リルケによれば「人間らしさ蓄えていた物」が「アメリカ的な均一で空虚な物」に変質してしまったと(このリルケの言述は、今でも骨董品あるいは古い物を愛でる人たちがよく口にする。写真においても同様に、記憶あるいは時間をおびた物への愛着としてしばしば表現されているものだ。たとえば、石内都の母親の形見を撮った写真と、安村崇の『日常らしさ』における物の写真あるいは小林のりおの「デジタルキッチン」における物たちを比較せよ)。グランヴィルの挿絵『人生の些細な悩み』では、人間に反抗する、悪意をもった物が描かれている(グランヴィルはさまざまな場面で物に翻弄される人間を描いている。そういえば、ジョナサン・クレーリーもまた『知覚の宙吊り』のなかで、マックス・クリンガーの版画について、「注意」という観点からその神経症的なイメージについて言及していた)と。そして物の変化を典型的に表わしているのが万国博覧会(1851年のロンドン万博)である。

万国博覧会とはまさに、それまで単なる道具であったものが芸術品と化した場であり、マルクスが言う意味での商品となった場でもある。「商品(道具)が無垢な対象であることを止め」たのだ(たとえば、柳宗悦の民芸運動とはまさに、それまでの道具を芸術化することであったと言える。さらに言えば、明治以前の「日本美術」はすべて道具の装飾=付属物である。屏風、襖等々のパレルゴン。日本美術とはパレルゴンの分離と自律化の過程である。そして民芸運動は道具を再び芸術化する。この道具の芸術化という問題は、ウォホールのポップアートや村上隆の作品とも決して無関係ではない)。「商品がひとたび、有用という隷属状態から日常品を解放すると、これらと芸術作品とを隔てていた境界は、ますます危ういものになるのである。ルネサンス以来、芸術家たちは、職人や労働者の「作業」に対する芸術的創造の優位性を打ち立てることで、飽くことなくこの境界を固めようとしてきたのであるが」(アガンベン)、もはや芸術作品も道具も区別がつかないものになる。商品の芸術化、芸術の商品化の始まり。

19世紀に起こった、「人間と物との新たな関係」。「使用価値」と「交換価値」への分裂と二重性。こうした事態の到来を受けて、芸術はどのような反応を見せるのか、見せたのか。最もありがちな芸術側の反応=抵抗は、芸術と商品(物)とを徹底的に区別(否定)することだろう。芸術は単なる商品(物)とは違うんだと(この態度はマルクス主義者たちの素朴な「解放論」とも似ている。商品化された労働から、労働本来の神聖さを取り戻すのだと。あるいは性はもっぱら生殖に専念し、生殖に限定されるべきだという「性からの解放論」-笑)。しかし、芸術が商品を否定すればするほど、前述した「フェティシズムのメカニズム」や「否定神学」のように、商品の芸術化(それを支える幻想のメカニズム)を強固にすることになるだろう。ここで特異な抵抗の姿勢を取ったのがボードレールであったと、アガンベンは指摘している。と同時にボードレールの姿勢・方法こそが近代芸術が秘めていた可能性であったと。ではボードレールが取った方法・戦略とはどのようなものであったのか。

アガンベンによれば、ボードレールは「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し」、「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」(このボードレールが目指した「絶対商品」は、マネが絵画を成立させる物質的諸条件をあらわにしようとしたことと符合するだろう)と述べている。「芸術作品の究極的な商品化とはまた、商品のもっともラディカルな廃棄でもあるのだ」。ポップアートもまた同様の方法をとったことは明らかだろう。いや、その方法は異なるとはいえ、近代・現代美術が、ボードレールの課題を引き受け、その応答の歴史であったことは明らかである。ボードレールによって「今日、芸術とは何か」という問いが初めて問われたのだ。おそらくこのことは、フーコーが述べている、哲学という領域にカントによって初めて「今日、私たちとは何か」という問いが生み出されたことと符号しているのではないか。

ボードレールの方法・意図の完璧かつ簡潔な実現がデュシャンの「レディ・メイド」である。デュシャンの「レディ・メイド」は、単に物のコンテクストを異動し、置き換えただけではない。日常品を芸術空間に置きなおすことで、日常品の意味性のヴェールを剥ぐと同時に、近代的な芸術空間そのものをも宙吊りにしたのだ。しばしば言われるように、日常品の意味性のヴェールを剥ぐことで「裸の物」を露出したのだとのみとらえてはならない。それでは、素朴に使用価値の回復を志向する「解放論者」と違わないだろう。むしろ「レディ・メイド」は、芸術空間に「使用価値と交換価値の分裂」こそを導入したのであり、近代的な芸術空間が商品空間そのものであることを暴露するとともに、その廃棄こそを目指したものではなかったのか(そもそも、あらかじめ近代的な芸術空間-具体的に言えば展覧会会場であり、ギャラリーであり、美術館-がなければ、デュシャンのレディ・メイドは成立しないのだ。デュシャンのレディ・メイドは位相幾何学的な構造を創出しているのだ)。

ここでわれわれは改めて、写真が担った役割(歴史)を再考することができるだろう。デュシャンの「レディ・メイド」は明らかに、「写真の論理」を背景としているに違いないと思われるからである。

周知のように、おそらく写真固有の論理を初めて明確にしたのは、『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』におけるベンヤミンである。これまた周知のように、ベンヤミンは写真という複製技術のなかに、それまでの芸術に備わる「アウラ」の消失を見出した。「アウラ」とは多木浩二が指摘するように、「事物の権威」「事物に伝えられている重み」、いわば集団的な幻想がもたらす「雰囲気」のことである。つまり、写真は従来の芸術を覆っていた「アウラ(雰囲気)」(芸術の意味性というヴェール)を引き剥がし、事物を裸にするということである。アジェやザンダー、シュールリアリズムの写真は「環境と人間化の疎遠化」をもたらし、これまでの知覚を「間化する」。ベンヤミンはさらに、『複製技術時代の芸術作品』のなかでは、集団的幻想としての「アウラ」を「礼拝価値」として、その論理を敷衍している。言ってみれば、この「礼拝価値」とは交換価値のことである。つまり、ベンヤミンは、写真のなかに「使用価値」がもたらす力の可能性を見出している。実際、『写真小史』と同様の主題を論じた「生産者としての作家」のなかで、「われわれが写真家に要求すべきことは、写真を当世風の変質からひきはがし、写真に革命的な使用価値をあたえる画像の説明を付与する能力である」。「革命的な使用価値」。ベンヤミンは、前述したマルクス主義者の「解放論」のように、単純に「使用価値」の回復を主張しているのだろうか。ベンヤミンは写真のなかに「使用価値(裸の事物)」の回復(別な言葉で言えば、現実の暴力的な介入とも言えないか)を見出し、そこに新たな芸術の可能性を見出したことは明らかである。しかしベンヤミンは、この写真の論理に潜むパラドックスに決して無自覚であったわけではない。それが「新即物主義」への批判にあらわれている。たとえば、ベンヤミンが評価するブロースフェルトの写真と、批判的だったレンガー=パッチュの写真に、われわれはどのような差異を見出すべきなのだろうか。このパラドックスを、後にロラン・バルトが「写真の人工性を自然化してしまう」パラドックス、あるいは「痕跡の美学化」と呼んでみたい。実はこのパラドックスこそが「使用価値(裸の事物)の回復」を美学化してしまったのではないか。モノクロの美学、プリントの美学。

ベンヤミンが『写真小史』や『複製技術時代の芸術作品』を書いたのは、写真が登場してから90年近く経った1930年代である。さらにベンヤミンの時代から、われわれの“現在”は80年近くも経っている。簡単に言えば、ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」こそが、写真の論理のパラドックスによって、一つの「アウラ」「礼拝価値」となってしまっているのだ。われわれに課せられたことは、ベンヤミンの写真における「革命的な使用価値」を実体化することなく、その形式的真理を踏襲し、考察することではないか。

このことを自覚・認識している、数少ない写真家の一人が小林のりおである。たとえば、2006年3月に行われた「なぜヤフオク図鑑か-Japanese Blue」は、Webオークションという現代の商品空間に「ブルーシート」という「使用価値」を暴力的に介入させてみせた。「ブルーシート」と「ジャパニーズブルー」という分裂、あるいは二重性。これは使用価値と交換価値の分裂を写真作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした、ボードレール的試みであったことは明らかだろう。以前にちょっと触れた、川俣正の『通路』も同じ構造を持っている。通路(使用価値)の導入によってむき出しにされた美術空間は、近代的な芸術鑑賞者という、われわれの位置もまたもむき出しにされ、宙吊りにされる(ベンヤミンが言う「遊歩者」という位置と比較せよ。『通路』の鑑賞者が見出すのは、商品=芸術が並ぶショーウィンドーではなく、むき出しにされたショーウィンドーの建築的骨格そのものである)。この意味で、小林のりおも、川俣正も、徹底したモダニストと言えるだろう。しかし、そのモダニズムを限界まで徹底化させようとする意味ではポストモダニストである。「モダンはポストモダンでなければモダンにはなれない」というリオタールの逆説がここにある。

議論がやや先走ってしまった感がある。もう一度、当初の問いに戻って、芸術と商品の共通性について整理してみたい。まず出発点となるのは、19世紀中ごろに明白になってきた「人間と物との新たな関係」である。それまで使用価値を中心としていた「物(道具類)」が資本主義的生産様式の発達によって、交換価値が優位を占めるようになった。つまり、物の価値がその有用性を退けられ、いわゆる商品と化していった。それは一種の物(道具類)の芸術化でもある。それまで道具類と区別され、特権的な地位を保ってきた芸術品は、道具類との境界が曖昧になり、その地位を脅かされることになった。芸術という「父の覇権」の失墜。当然、ここであらわになるのは、芸術という交換価値(システム)を支えていた「父の覇権」の正体である。芸術を支えてきた、宗教性・歴史性(伝統)・アカデミズム(政治性)等々。ベンヤミンならそれを「礼拝的価値」(礼拝的価値の形式要素が「創造性・天才性・永遠の価値・神秘の概念等々である)と呼ぶだろう。言うまでもなく、この芸術の危機は、宗教の、伝統の、政治の危機でもある。こうした危機を前にして、芸術家たちはどのような反応を示したのか。この危機意識こそがモダニズムにほかならない。

考えられる反応の一つは、物(道具類)と芸術を徹底的に区別することである。この区別の方法にもいくつかあるだろう。たとえば、あくまでも伝統につらなることで芸術の特権的地位を維持しようとする「素朴な回帰派(あるいはアカデミズム派)」。「芸術のための芸術」を提唱することで、芸術の自律性を見出そうとする「純粋派」(抽象絵画やグリーンバーグのモダニズム批評はこの系譜につらなるものかもしれない。と同時、抽象絵画はカント美学の忠実な実現である)。ここで一言付け加えておけば、「素朴な回帰派」は当然ながら、危機を隠蔽するとともに、芸術を支えていた従来の諸価値(宗教的・歴史的・政治的等々)を維持することになるだろう。「純粋派」は確かに、改めて「芸術とは何か」、「芸術の真の価値はどこにあるのか」といった問いを誘発することにはなる。しかし一方で、芸術の価値をその歴史性を捨象することで一般化・抽象化し、芸術的価値の連続性を見出すことになりはしないか。歴史を超越した、普遍的な価値としての芸術。そして「素朴派(アカデミズム派)」は、「芸術のための芸術」=「純粋派」と結託することで生き延びていく-大笑。言うまでもなく、詳しくは後述したいが、「純粋派」と対照的な反応・戦略をとるのが、ある意味で素朴な「反芸術派」あるいは「ジャンク派」である。芸術の権威を徹底的に暴露していくこと。しかし、当然ながら素朴な「反芸術派」「ジャンク派」は、芸術という権威の存在なしには成立しない。

それではここで、ボードレールはどのような反応、あるいは戦略をとったのか。アガンベンが指摘する「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入し、価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品をつくろうとした」ボードレールの戦略とはどういうことか(実際、ボードレールは、ある時は芸術は有用性と切り離すことはできない断言し、ある時は純粋芸術を主張するという具合に、物の分裂・二重性を強く意識し、その葛藤のなかにいた。ベンヤミンは「ボードレールにおける第二帝政期のパリ」のなかで、ボードレールが担った「分裂」という危機意識を、マルクスが『ブリュメール十八日』-この著作は1848年の2月革命から51年のルイ・ボナパルトによるクーデターまでを論じた一種のルポルタージュ-で論述した階級的表象の分裂と重ね合わせながら、「芸術家の分裂」としても描いている)。「使用価値と交換価値の分裂を導入すること」とはどういうことか。「使用価値と合致する商品-絶対商品」とは何か。ベンヤミンが写真に見出した「革命的な使用価値」とはどのような関連があるのか、あるいはないのか。

芸術作品への「使用価値と交換価値の分裂」の導入とは、単に芸術を使用価値に貶めることでも、使用価値を退けることでもないだろう。ボードレールがとった戦略は、芸術の有用性(使用価値)を主張することで、従来の交換価値(宗教等々)を解体し、と同時に芸術の商品化をいかに退けるか、いわば二つの的(敵)を同時に撃つことである。アガンベンが言う「価値の形式が完全に使用価値と合致する商品-絶対商品」とは、芸術の新たな価値にほかならない。それは使用価値でもなければ、交換価値でもない、第三の価値を言わんとしているのだろうか。

ここでベンヤミン、バタイユ(『ラスコーの壁画』『沈黙の絵画』『呪われた部分』など)、ハイデガー(『芸術作品の根源』)、デリダ(『絵画における真理』)等々を召喚しつつ、再度、迂回してみよう。堂々巡りを恐れずに。「したがって、われわれは堂々めぐりを遂行しなければならない。このことは窮余の措置ではないし、また欠陥でもない。この道に足を踏み入れることは強さなのであり、そして、思索が手仕事であるとすれば、この道にとどまることは思索の祝祭なのである」(ハイデッガー『芸術作品の根源』関口浩訳)。

先にも少々触れたが、ベンヤミンは写真という新たな複製技術に「革命的な使用価値」を認めた。ベンヤミンは『写真小史』の冒頭で以下のように書いている。「新しい技術の挑発的な出現によって、自分の臨終が近づいたことを感じ取っているのだ。それなのに写真の理論家たちはほぼ百年にわたって、芸術についてのこのフェティシズム的な、根本から反技術的な観念と対決しようとしてきたのであり、当然ながら何の成果もあげられなかった」(『写真小史』久保哲司訳)。ベンヤミンは写真という新たな複製技術のなかに、従来の芸術がもつフェティシズム的・反技術的観念を覆す可能性を見ている。「反技術的」という語は、「反使用価値」ととらえることができるだろう。ベンヤミンは従来の芸術品をフェティシズム的な物、反使用価値的な物とみなしている。

ベンヤミンが『写真小史』のなかで評価と対象とした写真は、アジェやザンダー、ブロースフェルト、シュールリアリズムの写真等々である。これらの写真の特徴を乱暴にも一言で言ってしまえば、間化されたイメージである。アジェの人気のない風景、ザンダーの社会(階級)的な身体、ブロースフェルトの科学的事物、シュールリアリズムの「環境と人間の疎遠化」。それまでの絵画的イメージ=フェティシュなイメージ=人間的なイメージの覆いを引き剥がし、裸形の風景、裸形の身体、裸形の事物等々をあらわにしたということだ。ここまではつとに指摘されてきたことである。従来の芸術が有していた物神性を暴くものとしての写真。実際、その後、表現としての写真の歴史は、この「事物の裸形化」(これを記録性という言葉に置き換えてもいい)を最大の護符・武器としてきた。いまだ多くの写真論が、この「事物の裸形化」を表現としての写真の最大の論拠としている。

ところで、ザンダーの階級的身体やルイス・W・ハインの社会的子供の身体へのまなざしは、フーコーが指摘する「近代の生権力」と符号しはしないだろうか。ゾーエー(生物学的な生)の管理としての「生権力」。ザンダーやハインのまなざしはまさに、フーコーが指摘する「生権力」的なまなざしにほかならないのである。そして、写真の歴史がながらく、この科学的・観察的・記録的まなざしを「裸形の事物」として実体化し(実際、カント流に言えば、写真によるイメージは決して「裸形化された事物=物自体」ではない。いわば事物に向ける関心が異なるということだ。その意味では、事物に人間的な意味を付与するという考えは改めるべきかもしれない。むしろ、事物から当該の関心に合う知覚記号を抜き出し、人間的な意味を担わせると考えるべきかもしれない)。したがってわれわれはつねに、まなざしの「両義性」に注目しなければならない。眼とまなざしの分裂。

ベンヤミンは『写真小史』の末尾で、「こうした映像が与えるショックは、見る人の連想メカニズムを停止させる。この箇所においてこそ、写真の標題というものを用いるべきである」と言っている。われわれはこの「停止」という言葉に注目しなければならない。絵画的まなざしを暴き、裸形化された事物をあらわにすることが重要なのではない。むしろ、絵画的なまなざし=人間的なまなざしを機能停止し、宙吊りにさせることが重要なのである。フーコーの指摘「「フィクシオンは、したがって、不可視なるものを見えるようにすることにではなしに、可視なるものの不可視性がどれほどまでに不可視なものであるかを見えるようにすることに存するのだ」もここに意義がある。そしてまた同じように、アガンベンが指摘するボードレールの戦略である「使用価値と交換価値の分裂を芸術作品にも導入」とは、「使用価値と交換価値とがお互いに打ち消しあい」、その両方が機能不全に陥ることが重要なのである。

話はやや逸れるが、写真に「記録と表現」という昔ながらの論争がある。もはや古びた感はぬぐえないが、この対立が解消されたとも思えない。実際、いまだに「記録と表現」を引き合いに出す写真論にしばしばお眼にかかる(写真における純粋写真派と現代美術派の対立はその置き換えにすぎないだろう)。しかし、記録派も表現派もお互いがお互いを誤解しているように思える。表現は再現することではないし、再現は表現することではない。記録派は表現を何か付け足すものとして表現派を批判する。表現派は記録を単なる再現と誤解して記録派を批判する。記録派も表現派も「再現」と「表現」を混同している。表現とはexpressionという通り、対象となる写真の被写体を圧縮し、引き締め、そのエッセンスを外に搾り出すことである。再現とはrepresentation通り、再び現前させることである(すでに表象されたものを再び取り戻すこと)。したがって表現とは決して被写体に対して何かを付け足すことではない。むしろ被写体の覆いを排除し、核をあらわにすることである。他方、記録とは再現のことではない。人間的なまなざしを排除して、被写体のまなざしを獲得する(事物の権利を回復する)ことである。記録派も表現派も、実は同じ到達点を目指している。見出された根底。記録派にも表現派にも同じ誤解があるとすれば、「根底」を実体化してしったことである。記録派は「裸にされた事物」として、表現派は最後に見出された「本質」として。そして写真は、「裸にされた事物」を「本質」として形式化することで一つになる。

その石をおしだまらせているものを語らせたら-
その沈黙は傷口となって、ひらくだろう。
(パウル・ツェラン「ブランクーシ宅で、ふたりで」飯吉光夫訳)