Art&Photo/Critic&Clinic

写真、美術に関するエッセーを掲載。

インターバル

2010年10月27日 | Weblog
現在、「メタフォトグラフィ論」を改訂中。そこで、一つの間奏曲めいたものを。

グリーンバーグは初期のエッセー「アヴァンギャルドとキチュ」の冒頭で、エリオットの詩とティン・パン小路の歌、あるいはブラックの絵画と「サタダー・イヴニング・ポスト」誌の表紙絵を比較・併置し、同じ文明・社会からまったく異なる表現が生まれることの問いを提示している。この表現の不一致が生まれる背景には何があるのかと。この問いは現在でも有効であろう。いやむしろ、現在こそこの問いを考究する必要があるのではなかろうか。グリーンバーグの比較をファインアートとサブカルチャーに置き換えてもいい。もちろん、その優劣関係を隠して対立的な見方をすること自体が問題なのだという反論もあるだろう。いずれも同列に並べ観ることが重要なのだと指摘する向きもあるだろう。しかしむしろ、その区別(実際に作品自体を区別できるかどうかは別にして)こそを問題にすべきではなかろうか。つまり、ファインアートを志向する動機とサブカルチャーを志向する動機を区別すること(もちろん、その動機は作品から推測・類推する動機ではあるが)。このエッセーには、「真の芸術」とか、「真性の文化」という言葉が繰り返し語られるので、グリーンバーグのいわゆる本質主義、還元主義に反感を覚える人も多いだろう。しかし、このエッセーは現在だからこそ、読むに値するものではなかろうか。