左腕坊主

ハンドボール選手、櫛田亮介の2006年4月~2008年4月までを綴ったブログ

紙様 

2007年05月30日 | ハンドボール
2006年8月23日。

昨年僕がピルナに合流した日。

この日ピルナの選手ではじめに出会ったのがペーパーだった。



それから一ヶ月一緒に暮らした。

そして今は僕の真上に住んでいる。



ペーパーは7歳からハンドボールを始めたらしい。

親父さんはアイスホッケーの元プロ選手。

ペーパーも17歳の時にチェコのアイスホッケーリーグの3部でプレーしていたらしい。

ペーパーは180cm後半の身長には少しばかり重い110kgの巨体だ。

パッと見たら、お世辞にも痩せているとは言えない。

僕も初めて見たときはポジションは間違いなくポストだろうと思った。

しかし、動きは軽い。加えて器用だ。

サッカーしても、バスケットボールしても何やらしてもセンス抜群だ。

日本では見たことなかったタイプの選手だ。

熱くなりやすく、自制心がないのがたまに傷だが、それは負けず嫌いの裏返しだろう。

キックボクシングも齧ったことがあり、3戦2KOらしい。



優勝旅行のマジョルカに飛行機が怖いとの理由で不参加だったり。

携帯電話代わりに僕の家の電話の子機を持って僕と一緒に出かけ、出かけた先でその子機で電話をしようと試み、当然通話できるはずもなく・・・怒り狂うペーパー。

こういったエピソードには事欠かない。



出会ってから今までピルナのチームメイトの中で一番腹立ったり、むかついた事があるのがペーパーだった。

それと同時に一番気が合い、笑いながら過ごしたのもペーパーだった。



ペーパーとさっきまで少しだけ一緒に飲んでいた。

ペーパーが帰り際に下の画像と同じ写真をフレームに入れてプレゼントしてくれた。



ペーパーは来期ピルナではプレーしない。

ペーパーは来期チェコの1部のクラブでプレーする。

『チェコで1,2年プレーしたらその後は絶対ブンデスリーグでプレーする』

相変わらず指を口に銜えたままだが、偉いカッコ良かった。

そしてちょっと悔しかった。



ペーパーは明日ピルナを発つ。

ペーパーが僕の真上に居るのは今晩で最後だ。


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チェコ・サバイバル その8

2007年05月28日 | チェコ・サバイバル
4月9日昼過ぎ

24時間以上飲んだくれ続け、朝帰りならぬ昼帰りのマルティンズ。

マルティンズはマルティン宅に雪崩れ込み寝起きのマルティンとハゲティン・櫛田を強襲!!!

『お前等も飲め!!!』

強制・・・

笑顔でごまかし作戦も不発・・・

何とかしのぎきった。

マルティンズ撤収。

事なきを得る。

荷物をまとめてマルティンの家族の待つ、ウィークエンドハウスへ移動。

マルティンのおばあちゃん、お母さん、兄姉家族が集合してみんなでブランチ。

森の中でゆっくりとブランチ。

最後の最後でほんまに癒された。

甥っ子にさりげなくプレゼントを用意してるマルティン。

無邪気に喜ぶ小さい子。

そんな家族団らんの場所・時間に僕を普通に連れて行ってくれたマルティン。

それをこれまたごく普通に接してくれたマルティンファミリー。

『恐らくこの人ら日本人を見たことあっても、こうして接したことは初めてなんやろうな』

なぜかそんなことが頭に浮かんだりしながら過ごした。

ゆっくりとした時間を過ごし、マルティンの故郷ベラを後にした。

後はマルティンの運転でピルナに帰るだけ。




マルティンをはじめピルナの連中は日本では名前の後に『さん』をつける事を知っている。もう少し言うと、年上の人などと話す時に尊敬の念をこめて『さん』をつけるって事も少し理解してる。

ドイツ語でおじいちゃんの事を『オーパ』おばあちゃんの事を『オーマ』と呼ぶ事が多いらしい。



帰りの車の中で普段物静かなマルティンがポツリと言った。

『クシさん』

『なんやマルティンさん』

マルティンやスタニスはたまにふざけて『さん』をつける。



マルティンがもう一度呟いた。

『クシさん。オマはオーマさんさんさんさんさんか???』

『マルティンさん。ちゃうで、どんだけ歳離れてても「さん」は一回や。』

『そうか。』

『そうや。』


二人は同時ににやついた。


出会って日が浅ければ絶対に起きない間違いかつ笑いだった。

三十路前のチェコ人と日本人が車の中で『ニヤリ』としながら帰路についた。



4月9日夕方ピルナ到着

チェコ・サバイバル無事終了。


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続々・日本人選手求む!!!

2007年05月27日 | ザビエル広報活動
ドイツ・ザクセン地区4部の中堅チームの件です。

先日も記しましたが、書き込みをされた方の中に連絡先を明記されていないものが幾つかあります。

書き込みしたのに連絡がまだ来ないなど、心当たりのある方はお手数ですが連絡先を明記してもう一度メッセージをいただけると助かります。


『YAZIUMA』

2007年05月25日 | 櫛田劇場
皆さん一週間お疲れ様でした。

今日は全くハンドボール関係ないです。

まあそれはいつもか・・・

昨日晩飯作り、食べていたんです。

なんか焦げ臭いなぁ。

コンロつけっぱなしかと思って台所確認してもスイッチはオフ。

何やら外が騒がしい。

人がどんどん集まってくる。

さらに焦げ臭い。



火事。



近所というよりも、僕が住んでいる建物の隣でした。

僕はあまり興味なかったので家の中からぼんやり見ていました。

黒山の人だかりにペーパー発見。

ウケたね。




さっきペーパーが家に少し遊びに来て、昨日の火事のこと話していきました。

ペーパー『チェコでもドイツでも同じだ。ああいうときはみんな集まってくんだよ。』

僕『ああそれは日本も同じやで。』

ペーパー『そうか、それは世界共通だな。』

僕『そういうのをな。日本語で野次馬って言うんだぜ。』

ペーパー『YAZIUMA。ヤジウマ。やじうま。野次馬・・・』

妙に気に入ったようで、呪文のようにずっとぶつぶつ言ってました。


そんだけです。

それでは今日はこの辺で、皆さん良い週末を!!!


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チェコ・サバイバル その7

2007年05月23日 | チェコ・サバイバル
昼寝から目覚めて準備をしてマルティンズが待つ酒場へ向かった。

マルティンズは卓球大会直後からノンストップで飲み続けているようだった。

スタニスは用事があるらしく卓球大会の後に一人でプラハに戻った。

酒場では前日、前々日と観戦したハンドボールのプラハカップとアイスホッケーのチェコ国内リーグのファイナルが交互にテレビから流れていた。

アイスホッケーはチェコではかなりの人気スポーツらしく、そのファイナルという事もあり酒場では多くの人が前のめりになってテレビに噛付いていた。

アイスホッケー、ハンドボールのテレビ中継は終わったがマルティンズの宴会は終わる気配なし。

ドイツ語がしゃべれる奴もチラホラいたので僕の片言のドイツ語でそいつ等にチェコ語を教わったり(まあ放送コードに引っかかりそうな奴ばっかりやけど・・・)、スタニスの友達が早朝から夜遅くまで飲み続けていた話なんかをして楽しく過ごした。

その話を聞いたマルティンズは『幾らなんでもそれは飲みすぎだぜ!!!そいつはクレイジーだ!!!』なんて言ってた。

場所を変えて飲もうという話になり、近くにあるディスコに移動。

マルティンも僕もディスコは得意ではない。まあそれでもせっかくだからという事で僕等もディスコに向かった。

『ホンザ・ヒトシ!!!飲んでるか???』*ホンザ・ヒトシは僕の事ね。

『キキリキ・ヤポンキー!!!』*これも僕の事ね。

マルティンズの面々はテンション最高潮!!!

僕はこの日マルティンの家に泊めてもらう予定だったので、マルティンと一緒に帰るものだと思っていた。

マルティン『俺そろそろ帰るわ。クシどうする???』

僕『俺ももちろん…』

と言おうとした矢先にマルティンズに強制収容…

マルティンズA『ホンザはまだ帰るな残れ!!!』

マルティン『俺はもう帰るから後はあいつ等に任すわな。気をつけて帰って来いよ。』

僕『・・・・・・・・・・・・・・・・・・・幾らマルティンズがいい奴やからって大丈夫なんか・・・・・・・・・・・』

時計の針は4月8日の25時過ぎ

早朝から始まった卓球大会から飲み続けているマルティンズ恐るべし・・・

まあみんないい奴等だし楽しいのでいいんだけどさすがに眠くなってきたし疲れてきた。いつ帰ろうか、どうやって帰ろうか、誰に言おうかを考えていた。当然ながら誰かに送ってもらわないとマルティンの家は分かへん。何も言わずにフェイドアウトするのは無し、これはドイツと同じような空気を感じていたのでできへん。

まあ堂々と『俺帰るから送ってくれ。』て言うと案外すんなり帰れる事になった。3人くらいが『俺らもそろそろ帰るから一緒に行くかぁ』ってディスコを後にした。

朝方4時頃マルティンの家のベットで泥のように眠った。


4月9日

翌朝、まあ朝と言っても昼前だが・・・

窓の外が何やら騒がしい・・・



『ホーーンザ・ヒトシ』『ホーーンザ・ヒトシ』『ホーーンザ・ヒトシ』



まさかとは思い、窓を開けた。

マルティンズがマルティンの家の近くの道を手拍子しながらホンザ・ヒトシコールを繰り返しながら歩いていた。

僕が窓から顔を出すと、マルティンズの一人が僕に気づいた。

『ホンザ!!!』

どうやら今までディスコにいたようだ・・・

そして僕と一緒に店を出た3人の姿も・・・

再合流したようだ・・・


前日の卓球大会から軽く24時間は経過していた。

マルティンズはそのままマルティンの家に上がりこんできた。

スタニスの友達の事クレイジーって言ってなかったか???


マルティンに酒を出せとシャウトしていた・・・

つづく

追伸・最近完全にアル中日記みたいになっているようで各方面から心配されていますが、僕はほんまに程々にしていますのでご心配なく。


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日本人選手求む!!!

2007年05月22日 | ザビエル広報活動
突然ですがお知らせです。

ドイツ・ザクセン地区4部の中堅クラブの関係者に日本人選手を紹介してくれと言われています。

今このブログのコメント欄は承認制になっていますので、管理人が承認しない限りコメントは公開されません。

もし興味のある方はコメント欄に氏名・連絡先(eメールアドレス)を書き込んでください。こちらからそのクラブの関係者の連絡先をメールいたします。個人情報を公開するような事は絶対致しません。連絡先を確認後直ちに連絡先を明記してあるコメントは削除いたします。

私は代理人でも何でもありません。メールの内容はドイツ語、良くても英語だと思われますし、条件交渉なども含めてそこから先のそのクラブとのやり取りに関して私は一切責任をもてませんのでご理解ください。

それでも興味がある、挑戦したいという方がいましたらご連絡ください。



MSV CUP 優勝!!!

2007年05月20日 | ハンドボール
週末は『MSV CUP』と言うトーナメント戦に出場してきました。

先週から軽く練習は再開していたもののハンドボールに触るのは約1ヶ月ぶりでした。

この大会に出場する事を僕が知ったのは試合の前日でした・・・

休暇に入っている選手もいたので揃ったメンバーは9人。

なんと監督のマテアスがGKを勤めるスクランブル体制でした。

男女合わせて20チーム以上が参加していたのではないでしょうか???

試合は変則的で前後半ではなく、25分一本勝負でした。

おっさんから、おばちゃん、子供まで幅広い年齢層がハンドボールを楽しんでいました。

25分と短時間勝負なので多少のレベルの差があったとしてもそこそこ競るんですよね。

2日間で5試合と三十路前のおっさんには少々堪えましたが、お陰様で優勝する事が出来ました。

余談で大会の裏事情を少し、2日間の開催という事で泊り込みで参加しているチームもあったみたいなんですが、体育館にマットを引いて、自分で寝袋一つ持参してそこに寝ていたみたいですね。

一日目の夜には軽い食事とアルコール、そして簡易ディスコが用意されていて参加選手やスタッフの多くが楽しんでいました。

最近僕はチームのみんなから『ヤーパン・アルクホリック』とか『アルクホリックさん』とか呼ばれることが多いんです。アル中いうことですわ。失礼な!!!

それでこのパーティーでも他所のチームの選手とも交流するんですが、決まってピルナの選手は僕の事を『アルクホリックさん』だとか言うて紹介しよるんです。

おかげ二日目の試合では観客席や対戦相手から『アルクホリックさん!!!』と声を掛けられる始末・・・

本物の『アルクホリックさん』はいつものようにスタニスで一日目はマルティンと僕と同じ車で会場入りしたのですが、彼だけはビールを浴びるほど飲み続け、子供達と同様に体育館で一晩越したようです・・・

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チェコ・サバイバル その6

2007年05月19日 | チェコ・サバイバル
早朝6時半から夜の22時まで飲み続けていたスタニスの友人と別れてスタニスの家に帰宅。

翌日はマルティンの故郷ベラに移動して卓球大会らしい。

この日はおとなしく早めに就寝した。


4月8日7時
スタニスと共に車でベラに向けて出発。途中でマルティンの車と合流。

8時半ベラに到着。まだ肌寒い早朝のベラ。

学校の体育館らしき所で見覚えの顔を多数発見。2月に世界選手権をブレーメンに見に行った時に出会ったチェコ軍団。彼等の多くははチェコの2部リーグの選手。マルティンはこのクラブで15歳まで過ごしたらしい。

久しぶりの再会のマルティンの旧友・チェコ軍団。以後マルティンズとでも呼ばしていただく。

『クシーー、キキリキヤポンキー!!!』

みんな僕のことを覚えているようだ。

一人、今まで飲んだくれていました状態のフラフラな足取りでやってくる奴もいた。

マルティンはマルティンズの面々に以前からこんな張ったりをかましてた。

『クシは日本の卓球のプロだからなぁ。強えーぞ』

『マルティン・・・余計な事言うな・・・卓球全く自信なし・・・』

ロッカーで着替え、自分たちでテーブルを6つほど出し、ビール6ケース合計120本を運び、サラミ、チーズやパンを切り、準備完了。

何グループかに分け、総当りのリーグ戦を行い、各グループの上位2名が決勝トーナメントに進めるらしい。どうやらかなり本格的だ。

自分の試合のない奴は朝からビールをチビチビやり、腹が減ったらサラミやパンを少し摘む。そして自分の試合の番になったら超マジモード。

まあ各テーブル見てもみんなマジうま。僕等が日本の温泉とかでラリーよろしく上等でやるんとは全然違う。

スピンかかりまくってるわ。普通にかえしたら速攻でスマッシュ叩き込むわ。

そこら辺の卓球部よりは強いかもしれへん。それぐらいレベル高けーー。

僕は予選3戦全敗・・・

スタニスも予選敗退・・・

マルティンのみ予選通過。

しかしトーナメントであえなく敗退。

チームピルナ全滅・・・

予選を通過できなかった奴でもう一度総当りのリーグ戦。僕は朝フラフラになって登場した酔っ払いに1勝上げるのがやっと。

マルティンに『何でこんなにみんな強いんや???』と尋ねると

『いやこんなのみんな普通だ。まあ小さい時にいろんなスポーツ少しずつやるからな。俺だってもちろんハンドボールを一番力入れてやったけど、卓球、サッカー、バレーボール。他にも色々やったよ』

ピルナの練習でもそうなんだけど、アップのサッカーやバスケットボールなど何やらしてもそこそこ出来る奴が多い。きっと小さい時に色々なスポーツを楽しんできたんだろう。余談だけど縄跳びした時にアンドレアスが後ろ跳び全くできなかったのにはウケた。多分やった事ないんだろう。

話は戻り卓球大会だが、みんなとにかく勝敗にほんまにこだわる。『楽しい』ってのは勝敗にこだわるから楽しいんだって感じだ。まあ卓球齧った事ある人なら分かると思うけど、コスチュームやラケットがバタフライの奴もいやがる。(バタフライは卓球の専門メーカー!!?でええんかい石田君???)

朝一はおっさんばっかりだったけど、奥さんが差し入れ持って、子供連れてやってきたり、若い選手が来たり、クラブの監督らしき人が覗きにきたり、双子の赤ちゃんにビール飲ませてるし(正確に言うと子供が自らビール瓶に口をつけている)、赤ちゃん全然苦そうな顔しないし・・・

120本あったビールは昼過ぎにはすっかり無くなりいい感じで卓球大会終了。

サラッと120本といいますが60Lですから・・・

ちゃんと表彰式まであって、僕も『わざわざ日本から国際親善に来てくれたで』賞的なものを頂いた。チェコで一番強いお酒・・・

みんなで片付けして。解散。

マルティンが『クシ眠いだろ???夕方からまたみんなで飲むから少し家で寝るか???そうじゃないとお前持たないだろ』

助かるぜいマルティン!!!

マルティンの実家で夜に備えて2時間ほど昼寝。

つづく

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07/08 スタート!!!

2007年05月17日 | ハンドボール
4月末にシーズンを終えて、ビックパーティーやマジョルカV旅行などのイベントも終わり落ち着いた生活を取り戻しています。

この間は全くのオフで、チームで集まって練習する機会はありませんでした。

今週月曜日から形上、新シーズンに向けての活動がスタートしました。

しばらくは週3回ほどみんなで集まって、走ったり、サッカーしたり体は動かしていくようです。

時にはハンドボールする事もあるのかな???これはまだちょっと分かりません。

この週3回の練習が7月末まで続き、8月頭から本格的にキャンプインのようです。

今から7月末までの間に各々でチームと相談して休暇をとっていくようです。

シーズン終盤に傷めた左脹脛の方もオフの間に完治したので僕も久しぶりにみんなと同じメニューをこなしています。

それでは今日はこの辺で。

追伸・覆面GKさんリンクしましたよ!!!


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プロフェッショナル

2007年05月14日 | ハンドボール
まずは下記の昨年の11月にコメント欄に書き込まれていたメッセージに目を通して欲しい。

『初めまして、クシダさん。ハンドの王道を歩いてきたわけではないクシダさんがドイツでプレーされていることは多くの人の励みになっているはずです。ところで、クシダさんが所属する4部リーグでも「プロ選手」は存在するんでしょうか?またクシダさんはプロ選手ということになるのでしょうか?ブンデスリガでも資金面で心細いチームがあるそうなので、それが4部になると状況はどうなるのか少し気になってしまいました。以前のブログでは「生活できるだけのサラリーを得られること」を条件にチーム探しをした、ということだったので、4部のチームでもそれだけの条件は提示されるものなんでしょうか?質問ばかりになりましたが、これからも多くの日本人に本場の空気を味わってもらいたいと思っているので、お時間のあるときにでも、この件に触れていただけるとありがたく思います。是非ドイツで一花も二花も咲かせてください。』


プロ 《「プロフェッショナル」の略》ある物事を職業として行い、それで生計を立てている人。本職。くろうと。


いつかちゃんと答えよう答えようと思いながら延び延びになってしまったが、ドイツでの最初のシーズンを無事終え、丁度いい機会なので上記の件に触れながら現時点での知っている事、聞いた話、僕なりの考えなどを書こうと思う。

まず俗に言うドイツ・ブンデスリーグと言うのは2部リーグ以上の事をさす。そしてこのブンデスリーグはプロリーグである。今シーズンのチャンピオンズリーグ(クラブチームの世界一を争う大会)の決勝はブンデスリーグ1部のクラブ同士の戦いだった。まあ簡単に言うとブンデスリーグ1部は世界最強リーグだ。世界各国のトップ選手の多くがブンデスリーグ1部に集結してきている。

ドイツ人のチームメイトの話ではその下にあるブンデスリーグ2部は世界ナンバー2のリーグとの事。理由は単純に世界最強リーグの一つ下だから世界ナンバー2らしい。実際に他の国の1部リーグと同じくらいのレベルがあるとよく耳にする。

その一つ下のカテゴリーが3部リーグに相当するレギョナリーグだ。来期ピルナはレギョナリーグで戦うわけだ。

そしてもう一つ下に4部リーグに当たるオーバーリーグがある。今期ピルナはこのオーバーリーグで優勝した。石黒が引っ張るモゴノもオーバーリーグだ。

3部レギョナリーグ、4部オーバーリーグにでも将来有望な若い選手、ブンデスリーグを経験した選手、ヨーロッパ各国の1部リーグでプレーした選手は少なくない。

その下となると5,6,7部・・・何部まであるのかは把握できていない。



ブンデスリーグ、1部、2部にも仕事を持っている選手、学生の選手は存在するようだ。

当然ながら3部、4部の選手は仕事を持っていたり、学生だったりするケースが多い。

しかし、3部、4部でもクラブ側からの報酬は何らかの形で発生している場合が多いと聞いた。

スポンサーがしっかりしているクラブは当然だが資金的に潤っているので報酬内容は充実してくる。

例えばスポンサーに車の販売店がついていたら、選手に車を支給。あるいはスポーツジムがついていたらフィットネススタジオ、サウナ、などスポーツ施設の無料開放。住まいはクラブが提供。そして言うまでもなく現金報酬。などなどこの他にも様々な形での報酬があると聞いた。

全く報酬のない選手、わずかながら手取りのある選手、住まいはクラブが負担してくれる選手、高額な現金報酬のある選手。同じリーグ、同じクラブでも選手によって当然ながら受け取る報酬に差はある。




ここまでを整理すると正式にプロリーグとして認知されているのは2部以上であるが、2部以上でも仕事を持っていたり、学生の選手もいる。逆に3部以下でもハンドボールだけの収入で生活している選手も存在する。

そしてたとえ何部であろうともスポンサーがしっかりとついていればクラブ側は資金的には潤っている可能性が高いので選手の実力次第でそれなりの報酬を得る事は可能であると考えられる。



プロリーグではないがハンドボールだけで生活している選手をプロ選手と呼ぶのかは人それぞれだと思う。

プロリーグでプレーしてない選手をプロ選手とは言わないのであれば3部以下にプロ選手は一人もいないので当然僕はプロ選手には該当しない。

僕は現在日本ハンドボール協会の選手ではなくドイツハンドボール連盟なのか?協会なのか?に所属する選手である。ひょっとするとドイツハンドボール連盟もしくは協会にはプロ選手とは何ぞやと謳ってあるのかも知れない。



最後に現時点で僕の一切の収入はハンドボールによるものであり、おかげさまで何とか好きなハンドボールで生計を立てて生活できている。好きなハンドボールでお金を稼いで生活できるという事は本当に幸せだと感じる。


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マジョルカ

2007年05月11日 | ツルルン珍遊記
ご無沙汰しております。

スペインはマジョルカ島より生きて帰ってきました。

休暇と聞いていましたが連日超ハードでした。

疲れた。

夜は連日のエンドレス・パーティー。

昼間は観光やビーチに行ったり。

基本的に完全に自由行動なんやけど、みんなに引きずり回されました。

アンドレアスとルーべと同部屋だったんですが、僕が寝れないように部屋の鍵を僕に渡さない・・・

最後にもう1杯だけ飲むからと言われ、それは必ず5杯、6杯となるわけで・・・

部屋の鍵を持っていない僕は眠いのを我慢してその5杯、6杯につきあわなあかんわけです。

くそありがたい事に泊まっていたホテルが完全にフリーで飲み食いできたので、みんなここぞとばかりに飲み倒すんですわ。

『クシ目を開けろ!!!4days no sleeping!!!』とか言われても

『眠いもんは眠いんじゃボケ!!!』

一日なら何とか付き合えますが、連日となるとほんまにきつい。

何で朝まで飲み倒して、少し寝ただけでビーチではしゃげるのんや???

何でそれを毎日出来るんや???

マジョルカ後半は読書するとか言うてホテルのプールサイドでみんなの目を盗んでは眠りこけていました。

まあそれでも刺激的な4日間でした。

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パーティー行かなあかんねん!!!

2007年05月05日 | 櫛田劇場
ちょっとええかなぁ???

昨日なパーティー行かなかんかってんけどな。



くだらん前振りはこれくらいにしておいて・・・

昨日はリーグ優勝&シーズン終了を祝うビックパーティーがありました。

日本で言う所の祝勝会と納会を兼ねたようなもんですかね。

ファン、スポンサー、スタッフ、選手などピルナに関わる多くの人が足を運び、盛り上がりました。



練習場になっている体育館の管理人のロシア人のおっちゃん。(このおっちゃんは本当にいつもクシって気に掛けてくれて良くしてくれる)

いつも応援してくれる子供達。

ピルナをサポートしてくれた数多くのスポンサー。

一緒に戦ったスタッフ&選手。

そしてその家族。

みんなで飲んで、踊って、歌って。

いやーしかし、ロシア人のおっちゃんのコサックダンスは凄かった。

カズダンスばりの足裁き。

こういうパーティーでみんなの笑顔を見ると、改めて『僕もここで一緒に戦ったんだなぁ』と言う実感が沸いてきました。



来週は月曜日から木曜日までスペインのマジョルカ島にチームでV旅行です。

それでは今日はこの辺で。

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チェコ・サバイバル その5

2007年05月04日 | チェコ・サバイバル
4月7日早朝6時

前日に飲みだしてからもう直ぐで丸半日・・・

『スタニス、ほんまに限界やから、家まで連れてけ。俺を送った後で友達と好きなだけ飲んでくれ。』

駄目もとでスタニスに言ってみた。

すると意外にも『しょうがないなぁ。分かった。送っていくわ』

『おおおおおおおおおっ』

これで寝れる・・・

スタニスに連れられてようやくスタニス家に到着。

戦士チェコモンスター・スタニスはフラフラになりながらも、もう一度ルイーダの酒場へ飲みに行った・・・

左腕坊主ハゲザビエルはここで力尽きた・・・

泥のように眠った。



4月7日昼過ぎ

二日酔いもなく意外なほどすっきりと起床。横ではスタニスが完全にノックアウト状態で寝ていた。

数時間後スタニスが起きてきた。『ノーメモリー。頭痛い。最悪だ。』

ここへマルティンから電話が『昨日大丈夫だったか???俺も二日酔だよ。じゃあまた後でな。』

どうやらマルティン、スタニス共に二日酔いらしい・・・

という訳で結局夕方まで二度寝、三度寝を繰り返しこの日はまったり。

夕方に地下鉄でプラハの街中に移動。

出発前にスタニスから『お願いだから昨日の俺の醜態はマルティンには言わないでくれ!!!頼む』とお願いされた。

ちょっと。ウケた。


プラハの街中で昨日同様にハンドボールの試合を観戦。

昨日とは違い、かなり大きな会場だった。

チェコ対ロシアの一戦。

この日は土曜日という事もあり、会場は子供達を含め多くの観客が詰め掛けてきていた。

世界選手権の時に一緒にチェコを応援したマルティンの友達等も何人か来ていた。

『クシーーー!!!キキリキ、ヤポンキー!!!ホンザ・ヒトシー!!!ムシャシクシャシ!!!』

どうやら歓迎ムードのようだ・・・



試合会場では当然のようにビール、食べ物やらグッズなどが販売されていた。

会場自体も前日のこじんまりした会場とは打って変わり、観客席の数から何から何まで非常に充実していた。同じ大会でも平日と週末では会場を変えて開催すると言うのは良いアイデアだね。

その他にも面白かったのが、試合の中にどちらかのチームがタイムアウトの時だ。

この時に会場の巨大スクリーンに観客席の様子が映り、隣の席の人と2ショットで映し出される。当然観客はみんなその巨大スクリーンを観ている。

なんとこの2ショットを映し出した画面に『Kiss me!!!』と文字が浮き出る。

そうなんよ。映し出された2ショットの2人はキスせなアカンのですわ。

それがカップルだったり、おっさん同士だったり、ほんまに思春期ど真ん中の女の子と男の子だったりね。みんなで笑いながらそれを楽しむんです。映し出された方もテレながらもキスしよるんですわ。

こういうの観客も楽しめるアイデア。少々無理やりにでも楽しんでしまう観客達。

いいねぇ。


しかし我に返り、横を見ると隣はスタニス・・・

『勘弁してくれ・・・』



あとこの試合は本当に子供が多く観に来ていた。不思議に思ってマルティンやスタニスに聞いてみると『今回は子供達が自分で買えるようにチケットが1チェコクローネなんだ。』

間違っていたら申し訳ないが、1チェコクローネは10円もしないはずだ。

子供達に国の代表の試合を観てもらう。

チケット自体は安いが、会場には食べ物、飲み物の一切を持ち込めないようになっていた。

自分達の代表の試合を観て、ビールを飲み、グッズや食べ物を買う。

ちゃんと興行、ビジネスとして成立してるんだろうなと感じた。

当然この大会はテレビでも放映されていたしね。



肝心な試合の方は観客の大声援を背にチェコがロシアを一蹴した。



この日は飲み会無しのようだ。

こいつ等にも休肝日っちゅうもんはあるんか・・・

22時前にマルティンと別れ、地下鉄に乗ってスタニスの家に戻る。

地下鉄を降りてスタニスの家に向かって歩いている途中の事だった。

前方から見覚えのある顔が歩いてきた。

思い出した。前日、いや正確に言うとこの日の早朝に酒場で出会ったスタニスの幼少時代の友達だ。

立ち止まり少しスタニスが話をしている。

スタニスが突然爆笑・・・


どうやらこのスタニスの友達、丁度今酒場からの帰りらしい・・・

早朝6時半に彼と別れ同日22時まで同じ酒場で飲んでいたようだ。

チェ、チェコ・・・

つづく

追伸・くどいようですが、全て実話です。


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チェコ・サバイバル その4

2007年05月03日 | チェコ・サバイバル
久しぶりにチェコ・サバイバルの続き。かなり間が開いたので前回までのその1~3までをサクッと目を通してきてからをお勧めする。

チェコ・サバイバル その1←クリック

チェコ・サバイバル その2←クリック

チェコ・サバイバル その3←クリック


いよいよエンジン全開のスタニスと気の良いおっさん2人と僕の4人でもう一度飲みなおす事に・・・

とりあえずビールを注文した。

それを一口飲んだかどうか位で僕はウトウトしはじめた。

もうお構い無しに寝た。

『クシ、何寝てんだよっ!!!』

途中二度ほどスタニスの突っ込み以上、バックブロー以下の激しい拳が僕の胸に突き刺さった。

僕の眠気は胸の痛みよりも激しかったので、構わず眠り続けた。

zzzzzzzzzzzzzzz・・・

どの位寝たのか分からんけど、幾分スッキリ。



おおおおおおお。

スタニスの目が『トローン』となっている・・・

これは確実に記憶が無い時の目。

ピルナに来てから幾度と無くスタニスのノーメモリ(記憶無し)にはつき合わされてきたので、なんとなく『これは明日は記憶無いな』というのが分かってきた。

それでもスタニスは相変わらず飲み続ける・・・

さすがのスタニスにも限界と言うものはあったのか!!?

とうとうスタニスがテーブルの上に顔を伏せながら眠りだした・・・

しかしこれが悲劇・惨劇の始まりだった。

僕は気の良いおっさん達と談笑(言うてもチェコ語なので分かるわけない)しながらスタニスが起きるのを待っていた。

しかし待てど暮らせど一向に起きる気配なし・・・

それどころか・・・

椅子に座り、テーブルに顔を伏せて寝ているのでこれを寝返りと言うのかは定かではないが、あえて寝返りと言わせてもらう。

スタニスはこれ以上無いくらいのデカイ寝返りを打ちやがった。



『ズドーーーーンッ!!!ゴガガガガガッ!!!』



風の谷のナウシカの巨神兵がぶっ倒れた時、サイヤ人が巨大猿化してぶっ倒れた時並の轟音が鳴り響いた。

次の瞬間スタニスは椅子から雪崩落ち、隣の席の椅子やらテーブルやらをなぎ倒しながら床に崩れ落ちた。

しかしスタニスは起きない・・・

レンガ張りの床で頭を強打しているにも関わらず起きない・・・

店員、僕等、他の客、苦笑い・・・

スタニスが起きるのを待ちながら時間をつぶす。

いよいよ閉店の時間が近いらしく、店員が『何とかしろ』と言ってくる。

蹴っても揺すっても起きない・・・

だんだん店員も呆れはじめ、最終手段で氷水をぶっ掛けた。

起きない・・・

店員は当たりの椅子をテーブルの上に逆さに重ね始めた。本格的に閉店の準備をしだした。

『こいつを何とかしろ』と言う店員達の視線が突き刺さる・・・

気の良いおっさん達も見るに見かねて何とか起こそうと手伝ってくれる。



僕はこの日スタニスの家に泊めて貰う事になっている。

そして僕はスタニスの家も住所も分からない。

スタニスが目を覚まさない限り、帰れない・・・



諦めかけた頃、スタニスが起き上がった。

しかし、完全にグデグデだ。氷水をぶっ掛けられたびしょ濡れになったTシャツを脱ぎ捨て、今度はベンチの上で再び眠りに付こうとしている。



一同絶句・・・



僕は今しかないと思いスタニスをベンチから引きずり降ろそうと試みた。

重い・・・

するとまだ眠る寸前だったのか、スタニスが目を覚ました。

気の良いおっさん達も一緒になってスタニスを抱きかかえる。

スタニスは『大丈夫一人で歩ける』と言い、フラッフラッになりながらも何とか店を後にした。

店員はキレながらも『大変だったなぁ』みたいな作り笑顔で見送ってくれた。

気の良いおっさん達もさすがに限界のようで、タクシーに僕とスタニスを詰め込んで帰っていった。おっさん達は運転手に先にお金を渡してくれた。

このおっさん達がいなかったらと思うとゾッとする。おっさん達ありがとう!!!



完全に呂律の回っていないスタニスが運転手に住所を言えているのかも分からんままとりあえずタクシーは走り出した。

『頼む無事に着いてくれ』祈るのみ・・・

走る事15分何とかスタニスの家の付近に付いた模様。

僕とスタニスはタクシーから降りた。

時間は朝方5時・・・

『ようやく寝れる』

ここでスタニスは信じられへん事を口にした。



『クシもう一杯飲みに行くぞ』

『・・・・・・・・・・・・・・・・・』



もうどうにでもなれだった。

スタニスの家の近所のバー行く事に。

そこにはスタニスの幼少時代の友達が偶然来ていた。

ただいま朝方5時30分。


追伸・エストニアのよっさん全て真実のみを語っております。


つづく

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