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あなたに「ぬくもり」を届けたくてブログをつくっています

スカーレットを超えて(2)

2020-01-19 18:35:45 | 日記

何か不機嫌だった昨夜。いや、何かではなく原因はわかっている。喉元まで出る言葉を今日までしまっておくことにした。それができるようになったので人間関係をこわさずに済んでいるのかもしれない。目覚ましで目が覚めた。今日はミサと陶芸に出かけるので早い。気温は昼間は平塚とそうは変わらないが、朝晩の冷えは体に利く。今朝は「生きている」どころではなく、出かける準備だ。

先週の金曜日の陶芸の授業の後、先生が「もう1日授業を増やしてもいいよ」と言われた。せっかく学んだことが1週間経つとぼけ老人は忘れてしまう。「体得」することは、週1と週2ではかなり違う。そんなことを考えていた時なのでびっくりした。毎週2回は難しいが、3月まではできるだけ週2回行くことにした。TVのあさドラの手ろくろでカップを作っている。当たり前だが、TVの作り方通りだ。土を形に巻きながら積んでいくのは少し要領を得た。中をきれいに仕上げるのがコツだ。あとで中はきれいにはしにくい。今日は底を削り出す。カップが小さいと気を付けないと穴をあけてしまう。「かんな」という道具で削り出していく。どのカンナのどこ部分を使うか?難しい。外側も針金で削り出すが、左手の力が弱いのでうまくいかない。日常で左手を使うことは少ないので、「認知症予防」と苦戦しながらやっている。わが手が自由に動かない。

約1時間の真剣勝負だった。外科医になりたいなどと思ったが、ならなくてよかった。陶芸は修正が利くが、人体はきかないだろう。先生が直してくださったが、外側を削るときに側面に穴が開いた!でも、この緊張のあと少しはきれいに出来上がるようになってきたのでうれしい。「重く見えて軽いのいい作品だ」と言われる。今日の初めの重さと比べるとかなり軽くなった。最後は先生が中を削ってくださった。えっ!そんなに削れるの!?というと、「人の作品だからね」と言われた。そうか、看護師さんが自分の子供に注射できないのと同じか!

京都へ出かけたかった電車が遅れていたので、そのまま帰宅することにした。妙に気持ちがさわやかだ。ああ、あの集中できた時間が気持ちの濁りを消去してくれたのだろうか。ああ、すっきりした!スカーレットの朱色はうつくしい。そんな作品を作るには、道遥かだが、陶芸には人をのめり込ませる魅力がある。(写真は次回磨きをかけて、焼いていく)

 

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朝が来た

2020-01-18 20:41:40 | 日記

朝が来た。まだ暗いし寒そうだ。祖母が朝起きると「ああ、生きていた!」と思うと話していた。そう、朝、目が覚めると生きていた。そして、起きだして「生きなくては」ならない。なんとも布団から出るのがつらい。「生きる」ということは、朝起きることから始まるんだ。毎朝、暗いうちに起きて、7時前には電車に乗って、生きていたのだなぁ・・・。なんて今日は少し暗い。

仕事は集中して終わった。まだパワーはあるが、疲れも出てくる。TVではセンター試験の様子を放送している。雪が降らなくてよかった。なにかよくわからない入試制度だ。私たちのころは、2月の中旬から試験が始まった。受験者も多かった。でも、地方からきている子でも、父兄はいなかったように思う。なんで今は、親や先生が付き添うのだろう??それに男子などは浪人覚悟だったし、安全志向なんてなかった。女子でも志望校のためには浪人する子もいた。そんなに大学進学率も高くはなかった。まぁ、半世紀近くも昔ことのだから仕方ないだろうな。ずっと団塊世代のあおりを受けている。あと、6,7年若い人たちはかなり平和な時代だったらしい。生まれた時代によって、進学も就職も条件がかなり違うようだ。今日は妙に大学時代が懐かしい。

ずいぶんつらい日もあったなぁ・・・。みんな同じなのかもしれないが・・・。朝、起きられない日もあったし・・・。ご飯がのどを通らない日もあったし・・・。横断歩道を歩いていて、車がはねてくれないかと思った日もあったし・・・。

暖かい布団からゆっくり出て、ゆっくり朝飯の用意をして、「ああ、しあわせに生きているんだなぁ!」カーテンを開けると朝が来たよ。

 

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悔いが残ったことは

2020-01-17 18:35:51 | 日記

今日は彦根で、平日のミサ、聖書通読、陶芸と朝から3時ごろまで過ごす。平日のミサは、シンプルで讃美歌なども歌わない。それだけ集中したミサになる。そのあとの聖書通読はひたすら旧約聖書を読む。今回のテーマが「比喩」(直喩)なので何を比喩しているのか考えながら読むので、難しい。そして、30分ぐらいのランチタイムに植木鉢をいただいた元骨董屋さんのOさんと行く。自家製のパンを焼いているコーヒー屋さんで軽食を取る。彼女は80歳を過ぎたばかりだが、頭は実にやわらかい。

二人の感性は近いので知り合ったばかりでも、話は早く、分かり合える。「なんであなたがいいかというとなぁ、お母さんを看取っているから、よく気が付くからや」と言われた。「そうか、神様はうまく引き合わせてくれるものですね。私は母を十分看られなくて心残りがあるから、Oさんにできるだけのことはしたいと思っているですよ」と私。「自分の両親は最期まで看ることができなかったけど、亭主と亭主の両親は煙になるまで看たんや。最期まで看たほうには、後悔が残るんや。ああすればよかった、なんであんなにどなったのだろう・・・とかね」と彼女。

彼女と出会えてよかった。そういうものか改めてわかった。確かに、父は忙しくて母に任せきりであまりかかわれずに終わった。後悔というものはあまりない。でも、母のことは寒ければ寒いで、暑ければ暑いで後悔が残る。母も最期まで看取った祖母には80歳のころ「この部屋で一人で寝ていると、おばあちゃんはこの部屋で何を考えて一人寝ていたんだろう と思うんだ」といったことがある。Oさんも同じようなことを言った。

「介護にこれでいいということはない」と言われるが、最期まで自分で看れば「悔い」が残るのだ。妙に納得し、そして「悔い」を少しでも償える相手に会えたことを感謝した。償える人がいることは幸せだと思う。

家に帰ると5時近かった。母に今日の出会いを報告した。

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「こらえて」 ??

2020-01-16 19:04:26 | 日記

中途半端な時間(4時半ごろ)起きると髪が鉄腕アトム(わからないだろうな)のようになっている。寒いの布団にもぐるので、横の髪が暴れている。寝相も悪くなったようだ。(でもこれは寝返りをうつのでいいらしい)あさドラを見終わるとごみを出しに外に出る。「新鮮」という感じの朝の空気が気持ちがよい。これは都会では味わえなかった。年末からそのままになっていたお礼の手紙やらをいよいよ出さなくてはならない。一段落してからと1日延ばし、1日延ばしで15日を過ぎてしまった。結局、大事なことは書くことができない手紙で、「またお会いした時にゆっくり」となる。もう、この年で「ゆっくりと」はないだろうと思う。定年が70歳などと 提案があるが、男性など悲劇ではないだろうか。81歳-70歳は11年。平均寿命から考えると、11年しか時間がない。70からの1年はなかなか越えていくのがきつくなる。せめて週3回の勤務くらいがちょうどいいだろうに。

世間の義理を果たし、仕事に入れたのは午後4時過ぎだった。家でなにもしないでいたら、おそらく私は「うつ」になるだろう。忙しいと言いながら、バランスを取っている気がする。考え方を変えたのは、〇〇才ではもうできないだろう ではなくて、なんとか現状維持をできるように努力しようだ。前を向いて歩くしかない。おかげさまで回りに元気な80代後半のひとがいるので目標になる。若い男性も励みになる?

今日は9時ごろまではしごとになるなぁ と思っていると、チャイムが鳴る。宅急便は来ないし・・・。町会でお世話になっている方だ。町会のアンケートの件だった。町会への希望など書くのだが、わかるわけがなく私も困っていた。それでポスイットが欲しいということだった。うちは大小売るほどあるので、差し上げた。彼女は「こらえてや」といった。「こらえて」??関西弁なのだろうか。ニュアンスはわかる。いい言葉だ。日常は、ほぼ長浜の言葉で思考している。東京のお友達は、関西弁はやわらかくていい と言う。長浜は大阪の言葉とも違い、むしろ京言葉に近い気もする。

子供が言葉を覚えるように。長浜の言葉を学んでいるようだ。ぶろぐも書きにくい時もある。私のようにきっつい女には京言葉に近い長浜の言葉がいいような気もする。「こらえて」ばかりだなぁ。


 

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くるしいこひには

2020-01-15 18:32:37 | 日記

買い物からの帰り道、畑の横の道端に水仙の花が咲いていた。湘南の水仙よりもなんとなく弱弱しい。それでも、風がなけらば関東よりも長浜は暖かい感じだ。今日も伊吹山が刻々と表情を変える。冬至から1か月もたたないのに、少し日が延びたようだ。暖冬だというのはありがたいが、雪が降ったら「いざ、京都へ」と思っているので残念だ。「いざ、京都へ」で思い出したが、昨夜NHKで大河ドラマの今までの名シーンをやっていた。やはり大河ドラマはスターを生んだようだ。思い出深い俳優たちの若き日の姿があった。心に残ると言えば、最近ではやはり「女城主直虎」の高橋一生の最期のシーンだ。もちろん、それまでの演技もよかった。現代のドラマには少し休んでから出てほしかった。役のイメージが強すぎた。

このブログをどなたが読んでいるかわからないのだが、やはりこひのお話が古くても読まれているようだ。いまは、NHKぐらいしかまともなドラマを作らない。心に残るドラマがない。こひのドラマでも安っぽい。身がよじれるようなこひのドラマがあった。そういうこひを今の人は好まないのだろう。苦しいこひなんて時間の無駄、いや、こひをすることなんて時間の無駄なのだろう。無駄だからいいのに・・・。

今の人たちに向田邦子のドラマなど見てもらえたらいいなぁ と思う。わからないかもしれないが。たった1度だけの過ちを大事に生きることも人にはある。いや、「過ち」ではないのだろう。不器用に不器用に、その愛を忘れようとする。でも、心は正直なのだ。どんなに消しても消すことのできない記憶がある。

そんなお悩みのある方へお教えしましょう。私はクリスチャンだから、神様にお許しを乞うのです。「わたしの想いはどうにもなりません、どうかどうかお許しください。そのかわり、決して法に触れるようなことはいたしません」と。

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