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悠々茶房ブログ

名古屋市東区にある中国茶カフェ・語学教室のブログ!教室イベントの記事、中国茶の記事、中国・アジア各国の文化も紹介します♪

春節の思い出(梁  思潔)

2014年02月08日 13時22分08秒 | 現中国語講師

今年は1月31日に旧正月の春節を迎えましたが、今回は中国語スタッフの梁 思潔講師に春節の思い出を尋ねてみました。

Q:旧暦大晦日から新年1日にかけてはどのように過ごしましたか?

梁:大晦日の午後になると、祖母と母と私で餃子つくりを開始し、夜に家族や親戚が集まって餃子を食べながら、「中国版紅白歌合戦」とも呼べるテレビ番組「春節晩会」を見て過ごすのが慣例になっていました。この餃子のなかにはコインを入れたものがあり、コインの入った餃子を食べた人は新年の運勢が良いと言われていましたので、自分にもあたりますようにと願いながら餃子つくりをした記憶があります。そして、年が改まる頃になるとこれも恒例の花火、爆竹が始まるのですが、私も父親に連れられて花火の打ち上げを行ったのですが、あまりにも大きな音がするので小さい頃はとても怖かった印象があります。

Q:年が明けてからはどんなことをしましたか?

梁:新年になると親戚の家にいってあいさつをしたり、親戚の人も我が家にあいあさつに来たりと人の出入りが多くなります。親戚の人たちとのあいさつのときには子供にお年玉を渡す風習がありましたので、わたしも親戚の人たちが来るのを待ち遠しく思っていました。でも大人たちの楽しみは親戚の人が集まったときに行う麻雀大会のようでした。このときばかりは、大人たちも嬉しそうな顔をしながら麻雀に真剣に取り組み、我が家もとても賑やかになった印象が残っています。そして、旧暦の1月5日は「破五」と言ってそろそろお正月も一段落して徐々に日常生活が始まる頃になりますが、この「破五」の日にも餃子を食べる習慣のある家庭が多いと聞いています。でも我が家ではこの日の夜にも再度花火をする習慣があり、正月の五日間を無事に過ごすことができたことをお祝いしたものです。

Q:そのほかにも旧正月の風習は何かありましたか?

梁:これは行ってはいけないという風習ですが、お正月の期間中は散髪してはいけないと言われており、もし散髪すると母親の兄弟に不幸が起こるからだと言われていました。そして旧暦2月2日は「龍抬頭(龍が天に昇る日)」と言いますが、この日には「剃龍頭」という風習もあるので、この日になるとようやく散髪することができ、街中の理髪店や美容院は混雑します。特に赤ちゃんのいる家庭では、この日に髪の毛を切ると縁起が良いともいわれているので、この日に赤ちゃんの髪の毛を切る家庭が多いそうです。さらに、この日に龍にまつわる食べ物を食べて吉祥を願うという風習もありますので、この日には「龍胆」と呼ばれるきび粉でつくられた点心を食べることのできるお店は繁盛しました。


春節の思い出(戎 陽講師)

2014年01月08日 11時25分09秒 | 現中国語講師

中国最大の行事である春節ですが、2014年は1月31日に訪れます。そこで、今回は中国語講師の戎 陽さんに春節の思い出について尋ねてみました。

Q:春節前はどのような準備をしましたか?

戎:春節が近づくと家の玄関などに「福」の字を逆立ちさせたものを貼ったり、また玄関の入り口両側には「春聨(しゅんれん)」を貼ります。「福」の字を逆立ちさせて貼るのは、「倒」と「到」の音が同じであることから「福が逆立ち」→「福が来る」の意味があるのですよ。そして、家のなかの準備が終わると大晦日に祖父母の家に行くのが我が家の習慣でした。大晦日には先祖の墓に行って食べ物をお供えして、「紙のお札」を燃やします。これは亡くなった祖先の人たちにお金を使って楽しく正月を迎えてください、そして私たち家族を見守ってくださいという祈りが込められているのです。この行事が終わるとまた家に戻り、事前に買っておいた新しい衣服を祖父母にプレゼントし、新年を新しい服で迎えてもらうのです。

悠々茶房入口の春聯

Q:大晦日から新年にかけてはどのように過ごすのですか?

戎:大晦日になると家族や親戚の人たちが集まりますので、大人たちは麻雀を始めますし、麻雀をしない大人や子供たちはトランプなどをして新年が来るのを待ちます。そしていよいよ年が改まる時間になると、あちこちで爆竹や花火の音が聞こえ始めとても賑やかな雰囲気になります。大人たちはその後も麻雀をしたり、ご馳走を食べたりして遅くまで起きているのですが、子供の私たちは新しい服とりんごを枕元において眠りについたものです。

Q:春節にはどんな料理が出ましたか?

戎:皆さんのなかには中国の春節には必ず水餃子を食べるものと思っておられる方もいるかもしれませんが、中国でも北部を中心とした地域ではそのような習慣がありますが、私の故郷である蘇州など中部から南部にかけては水餃子を食べる習慣はあまりありません。もちろん家庭によっては水餃子を食べるところもあるでしょうが、私の家では新年に水餃子を食べたことはありません。我が家では正月期間中長持ちするように、塩で漬けた干し肉や干し魚が用意されましたし、新年ということで縁起を担いだ食べ物もたくさん用意されました。たとえば正月には「りんご」を必ず食べるのですが、これは家族の平安を祈る意味が込められています。また、中国の南部の地域では「年糕(ねんがお)」と呼ばれるお餅を食べる習慣がありますが、これは「糕」と「高」が同じ発音なので、仕事と生活が年々向上するようにという願いが込められています。さらにピーナッツは普通中国では「花生」といいますが、蘇州あたりの地域では「長生菓」とも言いますので、これには長生きできますようにという意味が込められた縁起の良いもので、新年になるとよく食べました。 

 


私の誕生日思い出(戎 陽講師)

2013年10月08日 13時28分14秒 | 現中国語講師

今回は10月19日に誕生日を迎えた中国語講師スタッフの戎さんに、誕生日の思い出について尋ねてみました。

Q:戎さんは誕生日を新暦でお祝いしますか、旧暦でお祝いしますか?

戎:我が家では誕生日を旧暦でお祝いしてもらっています。私が生まれたのは新暦の10月19日ですが、その年は旧暦で9月9日でした。実は旧暦の9月9日は中国では「重陽節」といい、日本の「敬老の日」と同様に老人の長寿を願うお祝いの日になります。中国語で「九」は「久」と同じ発音ですから、「ずっと長生きできますように」という願いが込められているのです。というわけで、私の誕生日も旧暦の9月9日の方が覚えやすいということもあり、毎年旧暦の9月9日にお祝いをしていただいているのです。ちなみに私の名前の「陽」も「重陽節」から文字をいただいたそうで、小さい頃よく友達から「あなたは若いときから老人と一緒にお祝いしてもらっていいですね」と冷やかされたりしたものです。

Q:小さい頃、誕生日にどのようなお祝いをしてもらいましたか?

戎:中国では伝統的に誕生日には長寿を願って「麺類」をいただく習慣がありますが、我が家ではいつもほうれん草と卵の入ったラーメンを食べる習慣がありました。なぜいつもこのトッピングであるのかはよくわからないのですが、私の記憶の限りでは毎年同じものを食べていたような気がします。あと、誕生日の思い出で一番記憶に残っているのは、両親に連れられて動物園に行ったときのことです。当時私はパンダが好きでしたので、パンダを見たくてわざわざ出かけたのですが、その日どんな原因であったかは覚えていませんでしたがパンダを見ることができす、かわりにラクダを観察することになってしまいました。ラクダのあの瘤が珍しかったので飽きることなく見つめていたのですが、今でも動物園に行くとラクダが一番気になる動物になってしまいました。

Q:誕生日のプレゼントの思い出は?

戎:中国では18歳で成人を迎えることになるので、18歳の誕生日には両親から黄色の鮮やかなバラの花束をいただきました。母親からは「もうあなたも大人になったのだから、恋人をつくってもかまいませんよ」と言われたのですが、実はそのときすでに親しいボーイフレンドがいました。母親に打ち明けるべきかどうか迷ったのですが、結局「わかりました、ありがとう」とだけ返事をした記憶があります。そして20歳の誕生日の年は偶然旧暦の9月9日が新暦の10月19日になった年でした。両親はそのとき私が住んでいた大学の寮までわざわざ訪ねて来て、「今年は記念すべき年なので、あなたのために海南島にマンションの部屋を買っておきましたよ」と言われたのですが、あまりにも突然でそしてあまりにも大きなプレゼントであったので、嬉しさよりも驚きで動揺してしまった記憶があります。でも、実は私はまだ海南島に行ったことがないので、当然そのマンションも見たことがなく、大学を卒業したら自分の目で私の家を見るのが現在の一番の楽しみです。


新中国語講師スタッフ紹介(陳 暁婧講師)

2013年09月08日 10時07分38秒 | 現中国語講師

9月から新しく中国語講師スタッフとして仲間に加わることになった陳さんのプロフィールなどを紹介するため、いくつか尋ねてみました。

Q:陳さんの出身地を紹介してください。

陳:私は寧夏回族自治区の銀川から来ました。日本の皆さんにはあまりなじみがないかと思いますが、寧夏は中国北西部に位置し、黄河の上流部にあたりますが、まわりには砂漠があり、とくに北部では乾燥しています。名前のとおり、ここには回族と呼ばれる少数民族が約3分の1程度住んでおり、イスラム教を信仰しています。昔ここには西夏王国が栄えていましたが、蒙古民族によって滅んだという歴史があります。現在寧夏は石炭を算出する地域として知られているほか、羊毛のため羊の飼育もしており、料理も羊肉の料理が多いという特徴があります。もしこちらに旅行で来られる機会がありましたら、是非「沙湖」を訪れてみてください。ここは砂漠の近くにあるオアシスとも呼ぶことができる景勝地ですので、私の一番のおススメですよ。

Q:趣味や関心事を教えてください。

陳:旅行が好きなので、日本に来てからもいろいろな場所を廻りましたが、なかでも京都が印象に残っています。私は京都を訪れたら是非新撰組にまつわる場所を訪ねてみたいと思っていましたので、寺田屋事件の寺田屋旅館跡や新撰組記念館などをおとずれ、実際に自分の目で確かめながら歴史を振り替って見ることができ、とても満足感にあふれた記憶があります。そのほか、スポーツでは水泳が好きです。銀川にはもちろん海はなく、またプールも少なかったので、水泳をする環境には恵まれておらず、日本に来たら海で思い切り泳いでみたいという願望や憧れのようなものがありました。でも、日本に来たら現在通う大学にはプールがあることを知り、私たち学生は自由に泳ぐことができるので、本当にラッキーで夏休みを利用して思う存分楽しんでいます。

Q:それでは日本については何に関心がありましたか?

陳:やはり最初のきっかけは日本のアニメです。中国にいるとき好きであったアニメは「スラムダンク」や「デスノート」などで、男の子が好きそうなアニメが多かったのですが、日本に来てからは宮崎駿監督のアニメに次第に心がひかれるようになりました。でも、私が最も日本について影響を受けたのは、中国で日本語会話を教えていただいた日本人講師の方です。彼女は日本語をとても熱心に教えてくれましたが、それだけでなく日本の文化や日本人の考え方などについてもわかりやすく、詳細に教えてくれましたので、私も彼女の影響を受けて日本への関心が高まっていったのだと思っています。

Q:下の写真はどこで撮影したものですか?

陳:今年のゴールデンウイークに友人と滋賀県を旅行したときに撮影したもので、写真は「佐和山城跡」です。私は日本に来てからこの中国人の友人の影響を受け、新撰組や戦国武将などにも関心をもつようになりました。この友人は日本人の「歴女」にも劣らないほど戦国武将に熟知しているので、私は彼女からいろいろな戦国武将について聞かされました。そのなかでも「戦国無双」というゲームで英雄的に扱われている石田三成は二人の共通の憧れであったので、石田三成ゆかりの古戦場や城跡などを巡ったというわけです。

Q:最後に日本の料理で好きなものを教えてください。

陳:私は日本のお寿司・刺身が大好物です。銀川は海から遠く離れているので、刺身というものはほとんど食べる機会がなかったのですが、海に囲まれた日本では新鮮な魚を生で食べることができるので羨ましい限りです。また、そのほかではたこ焼き、おでん、天ぷらなども好きなので、日本で生活しても食事にはまったく困ることはありません。中国人の中には納豆が嫌いな人が多いのですが、私は納豆も問題ありません。でも、そばは味が薄く感じるので、あまり好んで食べることはできません。


私の夏休み思い出(戎 陽)

2013年08月18日 10時10分01秒 | 現中国語講師

今回は中国語スタッフの戎講師に、子供の頃の夏休みの思い出について尋ねてみました。

Q:小学校の頃、夏休みはどのように過ごしましたか?

戎:我が家は両親が共働きでしたので、夏休みといっても一人家で過ごすことが多かったです。小さい頃はよく家でママごとのようなことをしていましたが、夏休みになると子供向けのテレビ番組で「西遊記」などを放映していましたので、その時間はとても楽しみでした。あとは祖父母の家に出かけて過ごすこともありましたが、庭に桃の木があったので、その木に登って枝をゆすり、桃の実を落としては食べるのが日課のようになっていました。あと、夏は何と言ってもスイカの季節ですから、祖母にそれを切って貰って食べながら、父が小さい頃どのように過ごしたかなどの昔話を聞いたりして過ごしました。

Q:両親が共働きだと家族旅行などはできなかったですね。

戎:はい、中国の会社では日本の会社のようにお盆休みに一斉に休むこともないので、両親の休みの日も合わず、家族旅行などはできませんでした。でも父の会社ではいつも夏になると社員旅行があったので、私も父に連れられて旅行に参加したりしたこともありました。旅行の行き先は桂林であったり青島であったり、中国の有名な観光地でしたので景色を堪能することもできましたが、私にとっての一番の楽しみは他の家族の子供たちと仲良くなって遊びまわることでした。一方、母は病院で働いていましたのでなかなか長期間の休みをとることは難しく、夏休みになるともっぱら私が母の病院に出向き、母に叱られながらも病院で遊んだり、走り回ったりして迷惑をかけた思い出があります。

Q:宿題は順調にできましたか?

戎:毎年宿題は思うように進めることができず、特に私は作文が苦手であったのでいつも遅くまで残してしまいました。祖母は若い頃国語の教師をしていましたので、遊びまわる私を呼び止めては作文の指導をうけた記憶が残っています。祖母の家で過ごす日々には作文の題材になるような出来事も多かったので、桃やスイカを食べたこと、庭の草刈を手伝ったこと、祖母に買ってもらった扇子で遊んだことなどを題材に、うまく文章に表すコツを祖母に教えられながら、期限ぎりぎりで作文を完成させました。また、練習帳もいつも後回しにしてしまうことが多く、10日、20日、30日の登校日には宿題の進捗状況チェックがあるため、いつもその前日頃になると夜遅くまで練習帳を仕上げる作業で忙しい日々をおくらなければなりませんでした。

Q:中学校のときの夏休みの思い出は?

戎:私は数学も苦手であったので母から塾に通うように言われ、中学になると夏休みの生活は一層忙しくなりました。そのようななかで、私はオーケストラの部活動をしていて、週に2、3回練習する日があったので、仲の良い友達と一緒に演奏をするのが息抜きの楽しい時間になりました。そして、夏休みの終わりには街の公園で演奏会を開き、日ごろの練習の成果を披露しましたが、それを聞きに集まった人たちからは「おひねり」をいただくことが多かったので、皆のおこづかいになりました。おこづかいで仲間とともに食事をしたことも楽しかったのですが、お金をいただくと皆さんからほめられたような気分にもなり、自分たちの自信にもつながり満足度ややりがいも随分増えて励みになりました。