日本では昔から何かを議論するというものが苦手のような気がする。
若いころ、何か議論をすると「マジメだなぁ」とか「言いたいことはあるだろうが和が大切だよ」とか茶化したり、「お前は左か?俺は中立だ」とか色付けをしたり。今では「反日」なんていうレッテル張りが流行って相手にレッテルを張ることにより自己正当化することもある。
何も庶民の中の討議下手だけではなくて、今の国会というものは隠蔽あり改ざん有りの何でも有りで多数決。
自分の意見を言うことをはばかるような世の中ですなぁ。
「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
若いころ、何か議論をすると「マジメだなぁ」とか「言いたいことはあるだろうが和が大切だよ」とか茶化したり、「お前は左か?俺は中立だ」とか色付けをしたり。今では「反日」なんていうレッテル張りが流行って相手にレッテルを張ることにより自己正当化することもある。
何も庶民の中の討議下手だけではなくて、今の国会というものは隠蔽あり改ざん有りの何でも有りで多数決。
自分の意見を言うことをはばかるような世の中ですなぁ。
「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
「5月21日という日」
【2017年】ツイッターつぶやきブログ内「5月21日という日」を読み返していたら以下のようなことを書いていた。「いやなことを思い出した。ある会議の中で議論が白熱をしてきたとき......
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます