もうくたびれたからやめる
考えたら
浅はかだった
手が痛いからもう折雛はやめたと言って
材料はコラージュにまわしちゃってた
さて折雛をやるとなると
紙が一対で12枚いる
12枚あればいいわけじゃなく
折雛を作るのは紙を選ぶ楽しみがあるから
その5倍はいる
皆の好みは分からないし
第一 見当がつかない組み合わせで作る人もいる
これが面白いんだけど
だから
色々な紙がいる
毎年折雛をやってた時は
前回までのあまりが蓄積していたからまだ 用意はいくらか楽なのだが
あああああ
止めたと言って
紙
あちこちで使っちゃったよ
雌雛の袴に合う紙がない
あああ
あんな紙こんな紙がほしいなあ などと思いだすが
もう 蔵前に行く暇もないし
ま もうこれでいいや
上野に行ったときは
この紙切りをさぼろうと
出来合いの千代紙を買ってきた
これには
8枚入っている
これを2セット
この中にお友だちが気に入るのがあれば
助かるんだが
赤い紙はろくに切ってないよ
もちろんサボるために
無地の和紙折紙も買ってきた
それでも
紙を切るのに時間がかかった
今度誰かやってよ
って紙のストックは私が持っているんだな
さて
愚痴ったから寝よ
今日のここまでの地震は12回だった
私が見ているサイトは少し抜ける
上野に行ったとき 日曜日で紙問屋は開いてない
伊東屋に行こうかと思ったが
伊東屋高いしな
で、上野に多慶屋と言う何でも屋があるのを思い出して行ったんだけれど
画材あるの?と聞いたら嘘つかれて
仏壇や額縁なんかの売り場しかなく
ちゃちな文具売り場しかなく
思い出して画材やに行った
そこで2セットだけ和紙千代紙折り紙があった
真多呂とか近くにあるのにな
関係ないか
もう田舎の人になってしまって
どこで何が買えるか わからなくなってきた
これまでのずぼらを反省して
ちゃんと15センチの正方形に紙を切ろうと思うんだが
紙の幅が65センチくらいあって
私の定規が ちょっと足りない
今までは見当つけて
エイッと切っていたけれど
端を少し切って ちゃんと定規があてられるようにしたが
このカッターマットがアバウトだし
60センチを切るときに 微妙に 湾曲するから
相変わらず いい加減な紙製作だが ま いいや
今 原発作業員さんの愛犬ボスが
病気で
もう かわいそうで
・・
クッキーを思い出し
ムクを思い出ししている
沢山のペットたちが 避難区域で 見捨てられて
連れてこれないで
居るんだよね
避難所には連れていけなくて
動物たちかわいそうだよね
福島って ダチョウもいるんだよね
悲しい
https://twitter.com/#!/masahiro3150/status/163928008833511425/photo/1
さっき出かけたとき
ラジオが
ペルシャが核開発をやめないので
経済制裁を強める
と言うようなことを言っていた
そのアナウンサーの言いっぷりでは
ペルシャが極悪非道で
世界世論で包囲しなければいけない
そういう風だった
ペルシャは技術が遅れているから
ガソリンに精製する技術がろくでもなく
ペルシャ宛のガソリン輸出をやめて包囲していく
大気汚染がひどいことになっている
これって
いじめっ子みたいね
なるほど
北朝鮮の核開発に関しても似ているね
なるほど それで日本は 原発推進がこんなにすごいのか
核開発の技術を誇示していないと
国際社会の中で
いじめられると思って
強いものの傘下で 強い姿勢を取り続けようというわけか
だいたい 核兵器なんか使えないんだよ
核に依存して 威を張ろうというのを止めないかなあ
しかし 石原と言うおじいさんなんか この頃堂々と 日本は核武装すべきだって言い出すし
私みたいな考え方はきっと空想的なんだろう
温泉に行くまでに
少し暇
ともかく絵を描く体制ではなく
物のありかが不便なので右手の必要なものを置くとか
椅子の位置を高くするとか
工夫した
このお膳の上に椅子を乗せた
お膳より足元が小さくないとな
と
この椅子にしたが
この椅子は 息子の椅子だな
このお膳はもう65年くらいたつお膳で
小さかった私は父とこのお膳の上と下で
いないいないばあをして遊んだ
あの
上から顔が出たり
下から顔が出たり
と言う楽しさの感触は ありありと覚えている
さて
熱中するとこのお膳から椅子がはみ出してしまうのに気付かず
でんぐり落ちそうではある
そうやって 梯子から落ちたんだった
桑原 くわばら
寒いせいだと思うが
全ての関節が 油が切れたようで痛い
夜中には足が攣って目が覚めたし
だめだこりゃ
風呂に入っても動けません
よんどころないようで外に出て
また冷えた
もうあきらめて
少々片づけて
家事をして
温泉に早めに行って
それからお絵描きにしようと思うが
寝ちゃうかも
ダメな私
昨日は娘も谷中にいたのか
夏欧ちゃんの展覧会だったのか
息子を知っている会場ってどこだ?
打ち合わせれば会えたかもだがなあ
まあ
会いたい片思いは私だけだけど
クシュン
この頃疲れて本をあまり読めない
眼も老化している
悲しいな
昨日は出かけたので電車の中で本が読める
でも
守谷経由だったので電車に乗る時間が少なすぎた
座れなかったし 本も持ちにくかった
読み始めたのはこれ↓
まだ3分の一しか読めてない
昨日はゴヤ展が最終日だというのに
横目で見てパスして 博物館に行った
トルコの話を読むとか
中国の美術を見るとか
何が 快感かと言うと 私の頭のなかは
新しい視点であふれてくるからなんだ
で 西欧的なものや アメリカ的なものは
しばらく 触れないでもいい気分
トルコのことは 実に知らなかったことが多く
びっくりしている
西欧と東洋の境目にいるから 激しいな
イスラム教も知らないし 身近にイスラム教徒はいないから
私は 勝手にイスラム教徒が中東にいっぱいいて
皆厳しい戒律を守って暮らしている
そういうイメージだった
これは でっち上げだ
日本人は なんとなくだいたい無宗教だ
葬式仏教だと思っていたが
実際はどうなんだろう
みんなの心の中
でも 無宗教と共産主義とひそかに結び付けられて
ひそかに排斥される そういう 文化はないような気がする
そのあたり ヨーロッパに近いだけ 無神論者に対する
イスラム教徒の考え方はそこに潜むものがある感じ
主人公は元共産主義者なんだけれど
イスタンブールの上流階級の出なのよね
それも 面白い構造だ
オルハン・パムクもそうだし
西欧化と 無神論と イスラム教徒
訳の分かりにくい展開が 面白い
ケマル・アタチュルクがイスラム文字をやめて
ローマ字表記にしたのよね
それも今まで知らなかったことだ(こっちはトルコ狂乱を読んで知った)