遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

昨日は彩友会

2012-01-16 06:56:51 | 絵画

新年最初の彩友会だった

120115

描いてきたのがこれ

延々と 鬼だよ

これは小さいのだけれど(って 結構大きいけど)

もっと大きい群像も描くのだが

大塚先生は

「ありきたりな描き方では 面白くないんだよ」

とおっしゃるが

そういう 言 について 若いころから反発してきた

今頃

色々考えることがある

くどくどしいので

それは後で 時々記事に書くことにする

 

展覧会前なので

先生に出品する絵をチェックしてもらう日だった

先輩諸姉のテーブルに行ったら

シンビジウムを描いていらっしゃる方がいて

「もう何描いているかわからなくなっちゃうのよ

どうしたら いいのだろう?」

という

もやもやしてて 先に進まないというのだが

それは 私の目には キーが見えていたので

僭越だからお話した

それでまた

(余計なことをした)と

気分が落ち込んでしまった

 

私が居たテーブルには会長さんとサキコサンが居て

サキコサンはすっかりコラージュにはまっている

これってはまるよねえ

といい

サキコサンは「えがかけなくなるかも~~

などとやっていると

このコラージュと言う課題に頭に来てた(?)お仲間が

どう考えていいかわかんない

というので

そこでまた色々な話になったが

ますますわからなくなるらしく イライラするようだった

偶然性の中から見つける形や色

なんて それをどう考えるのよ!というの

やはり考えるんだよな

とことん考えるんだよな

それでどうするか見えてこないと

やる気も出ないのだな

 

4月の朗読会の後

観客の不満が 知らないお話ばかりだった

という感想があった

で どこか知っている手がかりのあるお話

と言うのが次回の朗読会で読むお話選びのとき考えた

 

人が見たり聞いたりするとき

なじみのある 手がかりで 分け入ってくるというのは

聞いていただくには大事なことではないかと思った

 

演奏会の話を息子が語るのを聞いていたら

(渋いジャズの演奏を聴いた話)

音楽でも 耳慣れたものが何もない演奏会だと

不満に思う観客が結構多い

新しい音楽が 受け止められない不思議

と言う話

新しい とか 今まで聞いたことがない やったことがない

ということが 人の感性に蓋をすることと

なんでも 芸術表現は 新しくあろうとすることと

難しいね

新しい と言うのが 脅迫的というのもあって

私は 若い時からそれが 頭にきた

技法的なこととか様式的なことに堕していくんじゃない!

と言う気がしていたんだけれど

それも浅はかだな

若い人が 新しいものを生み出そうといろいろやることに

老人も感覚をひらかないと

 

最近の傾向

パソコンが 表現手段のなかにどんどん入ってきて

表現の中から身体性がどんどん押しやられていくというような話

音楽も(よくわかんないが)サンプリングタラ何たら

音源を操作して 音楽を作っていく

あらま 美術で言う レディーメードか?と聞くと

そういう傾向が 席巻しているらしい

 

でも レディーメード(考えてみればコラージュだってそうだ)

サンプリング音源で作る音楽って

ひところパソコンの仕事が 人間性とカケ離れているようなイメージがあったけれど

実際は

鉛筆や 筆と同じようにタダの道具だし

表現の中から身体性を排除するものではないと思うんだよな

と言うようなこと

くだくだ考えている

 

あら おなか痛い なんかおなかの具合が悪い感じだ

トイレ行ってくる

コメント (6)
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