昨日の携帯で書いた記事
へんなところにあった
ホント
化石脳だなあ
やっと松原に到着。足が痛い。松岡美術館ヘレニズムのとインドのがとてもよかった。写真も撮ったけどね。後で住人が帰ってきたらパソコン貸して貰ってアップ出来るかな?ミイラの入れ物もあった。あ!間違い。ヘレニズムじゃない。ガンダーラのよ。卑弥呼の同時代のよ!
昨日の携帯で書いた記事
へんなところにあった
ホント
化石脳だなあ
やっと松原に到着。足が痛い。松岡美術館ヘレニズムのとインドのがとてもよかった。写真も撮ったけどね。後で住人が帰ってきたらパソコン貸して貰ってアップ出来るかな?ミイラの入れ物もあった。あ!間違い。ヘレニズムじゃない。ガンダーラのよ。卑弥呼の同時代のよ!
昨日は
白金にある松岡美術館に生まれてはじめていった
花てぼさんに教わったのだ
私は白金とか高輪というと やたらなお屋敷町
そういうイメージがある
何でだろう?
武蔵のお母さんは白金にある病院に入院
そこでなくなったのだけれど
病院に通う時
お屋敷町の病院だけれど
下町っぽいなあとも思い
昔ながらの古い家々にお年よりも多い町だったけれど
オシャレで高そうで
私は絶対買わない 衣類や小物類を売っている店もあり
住むには全く円のない街ではあるなあ。
松岡美術館に入ると
まず ブールデルのこの彫刻が デン とある
前にも書いたけれど
私の師匠はブールデルの教えを受けていたので
私は孫弟子だゼイ!
なんて
三人間に入れば世界中と繋がる という アレよ
ここ カラフル という 中国の磁器を見に来たのだけれど
インドやガンダーラのものがいっぱいあって 面白かった
とか
また 行ってみることにしよう
地下鉄で降りて
東大の医学研究所?見たいなところを突っ切っていけば
近道だと思ったけど
関係ない人は入っちゃいけない風でもあり
(このごろの大学って 好き勝手に入れなくなっているもん)
公道を歩いていったが
帰り 守衛さんに聞いて 通り抜けさせてもらえるかな?
と門番小屋を覗いたら 終っているので
入っちまった
中は 本郷の東大病院と良く似た建物で
懐かしい感じ
カメラの電池がなくなってきたので
撮ってこなかった。
その後
近代美術館に行った
これは
また今度報告する
竹橋あたり とかく階段を行かなければならないところも多く
参った
ともかくカートを引いて歩いていたので
引っ張って持ち上げたりで
手首が えらい痛みだ
今日は一日お留守番
こういう絶対的暇時間 大好き
今日も寒いです
もっと温かな格好で出てくればよかった
住人のパソコンから記事を書いているけれど
画像処理ソフトがなれてなくて
思うように出来ない
カードリーダーはプリンターについているのだ
余り触って壊すといけないから
この辺にしておこう 只今9時19分
木曜日に都内で用ができたが 最大で二泊することになる
みたい展覧会が三つ
これと
あと 博物館の常設展を見たいので
一日じゃ無理だよな
木曜日は使えないので
木曜の用が早く済んでも二泊してこようか
おばさんも心配ではあるし・・・
駐車場って 二泊するといくらかかるんだ?
この間男鹿人さんのページで
初めて管玉という言葉を知った
勾玉は知っていたのだが
こういうの 管玉という名前なのか・・・
この間の中国の至宝展に それは きれいな管玉があった
春秋戦国時代 A.D5世紀
そんなに古いものなのに
素晴らしいかがやき
さすが ガラスやプラスティックとは違う
身に着けたときのひんやり感もたまらんだろうなあ
と思ったが
私は 宝石はいらない
恐ろしい すぐなくすから
プラスチックの管玉で充分だ
こういう 至宝 ってほとんどお墓から出てくるのよね
で墓泥棒がいるわけだけれど
一級の美術品 となると 墓泥棒は
まるで文化の敵みたいだけれど
考えてみれば こんな副葬品を自分の死後墓に入れて
死んでまで贅沢ににおしゃれするのかよ!
生きているものの飢えをしのがせてもらうために
チット盗ませてよ
という泥棒だったかもしれない
そうなるとその死んだ人より泥棒のほうに正義があるような気もする
ともかく きれいだなあ
とうっとりした私は
ミュージアムショップでこういう 管玉つなぎのネックレスを売っているのを見て
かがやきは劣っても
あら水晶なのねと欲しくなった気もしたが
値札を見て
「フン 私の太い首には入らないわ!」
と通り過ぎたのでした
これは前漢のもの
まるっこいポコポコした模様は鎚鍱(ついちょう この字が出なくて苦労した)
という技法で作られているそうだ
本体は銀 このポコポコ模様は杏仁形の模様というのだ
でも こういう技法 意匠は もともと中国にはなくて
パルチアのものだというのだわ
パルチアから来たものに青銅で牛型の紐と土台をつけたのではないかという
鎚鍱って 型に当てて金属を鎚で叩いて模様を押し出す技法のことだそうだ
調べると
法隆寺の押し出し仏
(これ東博にある)
これ 鎚鍱仏ともいうのだ(知らなかった)
中国から伝わった技法だと思っていたが
ルーツはパルチアかあ
って
パルチアって 安息国とか そんな程度しか知らない
この間 広開土王はパルチア人ではないかという話もあったが
パルチアって どんな国だったのだろう?
ここら辺 紀元前3世紀から紀元3世紀くらいまで続いた国みたいだ
こうなってくると シルクロード
日本まで伝わって
とイメージしちゃうんだけれど
ええ!!シルクロード というのももうそうかもしれないのか!
知らなかった
パルチアって 大元は スキタイにつながっていくみたいだ
古代の東西の交流は
ラクダに揺られて よりも
疾風怒濤のように駆け巡る騎馬民族をイメージすることにしようかなあ
娘の友達の夏欧ちゃんが音楽図鑑展覧会というグループ展で
娘のバンドの音楽を作品にして
展示しているそうだ
音楽を絵にするの
面白そうだ
団子坂登ったあたりのフリュウ・ギャラリー
あそこらへんは画廊が多い
娘は武蔵譲りの方向音痴だから
そこが生まれ在所の近くだと
父ちゃんの職場だったところの近くだと
わっかんないだろうなあ
武蔵は 明日そこの近くに行くから
教えてやったが
これまた距離感はつかめないだろうなあ
かわいそうに
民族的に何かが対立したりすると
あほらしいと思い
もともとアフリカにいたルーシーの子孫だろうに
(現代人はルーシーの子孫ではないそうだけど)
と思ったりするけれど
国家間で何かもめごとが起きると
民族 というような概念が立ち上がってくる気がする
久しぶりに都内に出ると
外国人が多くなったように見える
この間大都市の条件 みたいな記事を書いたけれど
東京はますます大都市になっていくのか?
地震と原発事故の後外国人は減ったように思ったけれどな
北魏という国について 認識を新たにしたところだけれど
中国の歴史の表を見ると
(右のはWIKIによく出てくる表)
南北朝以来中国は漢民族と北方民族と
国を分け合ってきたみたいに見えるけれど
元だの清だの
近頃は北方民族優勢だった?
なんぞと思ったが
調べてみたら
漢民族って そういう特別な遺伝子がるわけではなく
しみじみ民族差別って
意味ないなあ
幻想に基づくものだなあと思った
それでも
大雑把に
漢民族の文化と草原を駆け巡った北方民族の文化
という風に
思い描いてしまう
で漢民族の文化は
何となく尊大に周りの夷とされる民族を
蔑視し同化させ
という感じ
夷という文字は 弓を人が貫いている字だそうだ
いずれにせよ 自分たちと異なる文化を受け入れ
影響されて
というのが いいなあと思う
これまで中国が西方の文化と交流してきたのは
何となくゴビ砂漠をラクダに揺られて隊商がやってきて
長安の都に異国の文物があふれて・・・
というイメージだったけれど
北方民族が 馬に乗って 草原を疾駆して
縦横無尽に行きかった
そんなイメージも湧いてきた
それにしても
唐の時代の俑って素敵だよねえ
会場の最後頃に
↓の阿育王塔
(かなはあいくおうとうって書いてあるけどアショカおうとうじゃないの?
アショカ王って すぐ出てこない
そんなに有名人じゃないの?)
かなり大きい
2008年に発掘されたんだそうだ
宋の時代のものだ
見知らぬわけだ
高さ120㎝ 銀に鍍金
しげしげと見たが
この四方の図 何を表しているのか 説明がない
題名だけ
釈迦の本生譚を表しているのだと思うけれど
仏教国に暮らして居るのに
それがなんだかわからないって
もどかしい
どこかで 誰かが 文化というのは
共有する幻想だというような定義をしていて
うまいこと言うなあと思ったけれど
共有したいのに
検索してもわかんない
玉虫厨子にも本生譚の絵が乗っている
これと上の
http://homepage3.nifty.com/y-maki/dainitirenn/setuwa1/44.htm
http://homepage3.nifty.com/y-maki/dainitirenn/setuwa1/49.htm
↓始皇帝陵の俑
紀元前3世紀だものなあ
すごいよなあ
わたし 始皇帝陵 見たいなあ
メトロポリタン美術館展の展示が
テーマ別だったので
数千年を隔てた作品が並んでいて
これは面白かった
これまで 後期印象派展とか
ゴッホ展とか 同じ時代の作品と並べてみていたのでは
分からなかったことが見えた
ゴッホとゴーガンって 半端ない天才なんだ!
ミレーの模写 あるきはじめという絵があって
元の絵も知らないのだけれど
ゴッホはミレーを色々模写しているけれど
何を描いても 一筆一筆が宝石だ
この絵 どこか緩んでいるのだけれど
やっぱり一筆一筆が宝石だ
と思った
模写か? ゴッホに模写って もはや独自の絵だ
ゴーガンの絵も ゴーガンの色面というか
平面性ってゴーガンも人に教え
追随者もいっぱい出たけれど
(アメリカ人の そういう感じの絵もあった)
追随した絵は とても意匠的なのだけれど
ゴーガンの絵は 人をわしづかみにする
この違いは何だ?
と思った。
有名どころでは ドラクロワの絵もあったんだが
これが 何とも 色が生な感じで 本物か?
と思っちゃったけれど
ドラクロワについて 詳しくないのだわ
ボードレールはドラクロワ礼賛だったけれど
あの絵も礼賛するかなあ?
私の眼がおかしいのに違いない
今日は武蔵に小山まで送ってもらった
帰りは 自力で帰らなければいけません
久しぶりに小山の駅に行ったら
改修工事が済んでエレベーターもエスカレーターも
出来ていた
来たのが湘南新宿ラインだったので 新宿に出て
調味料の欲しいものがあったので
地下の食べ物やというか屋台店やスーパーのあるところに行ったが
目指すものはなかった
どこで買ったんだったかなあ?
おなかが空いたので早いがお昼にすることにした
タイご飯やも魅力だが
冷麺と石焼ビビンバのハーフハーフというのがあって
魅力!と思って 食べちゃった
石焼ビビンバって 焦げっぽくなると美味しいなあ
で 九段に件の用足しに行き
帰りは半蔵門線で三越前で乗り換えて上野に行くんだが
三越でまた引っかかっていろいろ探したが
目当てのものは無く おまけに銀座線駅前の本屋は
二コリの雑誌分はおいてない!
(単行本のパズルはあるんだが 数独通信の続きがほしかった
あとNHK手作り何とかという雑誌のバックナンバーも
欲しかったがない!)
仕方ない 上野に向かった
上野の森美術館のわきを通ったら
ツタンカーメン展は恐ろしい長蛇の列だった
このおじさんが 胡弓みたいな音のする
弦楽器を弾いていて
懐かしい歌
なんか よかった
噴水広場も工事も終わって
出来上がっていた
ほうき草が お目眼をつけて並んでいて
アメリカ人の遠足の子たち?嬉しそうに写真を撮っていた
こんな具合に映っているのだ
ほうき草って コキアというらしい
とんぶりよね これという声も聞こえた
とんぶりって美味しいよね
どこで食べたのかなあ
秋田かなあ
この噴水周りのいろいろな植物は東北から持ってきたもので
東日本大震災の復興を願ってのイベントでもあるらしい
姫リンゴの樹やリンゴの樹もあった
噴水も前のように吹き上がっていた
さて
これ
まださほど混雑していなくて
ゆっくり見られた
詳しいことはまた後で書くけれど
王朝別の展示だったので
北方民族と漢民族の感覚の違いが
分かった感じがする
飛鳥時代の日本の仏像彫刻が北魏の影響を受けている
と習ってきたけれど
実は意味不明だし
北魏がどんな国か 孝文帝だの均田制だのという言葉ばかりで
具体的に何もイメージできない出来たけれど
だんだんイメージが膨らんできた
そっか 狩猟民族で ユーラシア大陸を縦横無尽に駆け巡った
人々の裔なんだな
西方との交流も
そういう風に あったんだな
それにしても漢民族の作るものと比べると
固い感じがする
と思った
30年近く前に 始皇帝の兵馬俑が来たことがあって
それを見たときは
猛烈衝撃だったが
今回も俑はいろいろ来ていた
その俑が柔らかいものと固いものがあって
面白かった
中国って 多民族国家ねえと改めて思った
同時開催の出雲の
これも見てきたのだけれど
話は新しい時代のことで
教授たちが講義してくれる
古代の
神話の時代のことではなかったので
期待外れ
これらを見て回ると
もう
足が引きつって 脛の襤褸筋肉が
どうなっているのかわからない痛み
ともかくひっくり返りそうになって
ソファーのあるところまで行くのもよろよろ
情けない
しばらくもみほぐしたり 足の向きを動かしたり
全く情けない足です
ところがよ 都美術館では
メトロポリタン美術館展も始まっているのよね
後になると混むよなあ
今ならゆっくり見られるよなあ
寄っちゃおうかなァ
足は持つかなあ
と思いながら帰り道 右に曲がって 都美術館に結局寄った
開館時間は5時半まで
カフェで休んでから行くと 時間が足りなくなるかもしれないから
さきに見て回った
期待したより面白かったのが
動物 水生動物のコーナー
こちらの展示は時代別ではなく
テーマ別になっていた
これは むかあし 息子が 年賀状用に描いてくれた絵だが
これの アイディアの元になったと思われる
銀の杯もあった
アケメネス朝ペルシャのか?
動物とか 水生生物とか 意匠の元になっているのはともかく面白い
蛇だの魚だの
ニュごにゅごした生き物が もう てんで バロックな感じで
作られたお皿?水盤?があって
それに水を張ったら面白いだろうなあ
と思うような焼き物もあって
そういうものが面白い展覧会だとは思わなかったので
収穫だった
さて すっかり 夕方になってしまったが カフェによって少し休んで
湿布貼って 痛み止めを飲んだ
だいたい
車で守谷まで出て東京に行くときは
夕方まで都内にいられない
(夜に入って車を運転するのが怖い)
今日は車を運転はしないので いいのだ
すっかり夕方だ
球体 写っているヘンなおばさん私
ここまででへとへとだが
おばさんおココアを買いに行かないと・・
しかし情けない私は歩く元気がなく
上野駅から 御徒町まで一駅だが電車で移動
アメ横を御徒町側から上野のほうへ歩いて行って
お買い物おばさんをした
さて 守谷経由で帰ろうか
小山周りで帰ろうか
迷ったが
小山周りで帰った
あああ
小山で水戸線40分も待った
田舎の交通事情は本と
不便
あ 数独の新しいのは 上野駅の本屋さんにあったよ
今日の歩いたのは15000歩以上でした
(展覧会場は 荷物をロッカーに入れちゃったので
計測してない)