制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

曳山回顧(平成5年旭町三区)

2014年07月09日 12時41分17秒 | 土崎港曳山祭り
※ あくまでも個人の感想ですので悪しからず。


ブラジル完敗、ドイツ強すぎますね。
ネイマールがいないとはいえ、原因は何だったのでしょうか。



今回は平成5年の旭町三区です。


外題
「富嶽に轟く仁田の若武者」

鎌倉幕府が開いてすぐの1193年、源頼朝は富士の裾野において大規模な巻狩りをおこなっていた。
※ 巻狩りとは、鹿や猪を四方向から追い詰め一斉に射止める狩猟で、征夷大将軍たる権威を誇示するためや軍事訓練の目的があったとされる。(Wikiより)
その巻狩りの最中、一匹の暴れ猪が本陣に突入するという事態が発生。
猪のあまりの暴れぶりにたじろぐ家臣達の中、軽快な身のこなしで猪の背中に後ろ向きに跨り、短刀を突き立てた者がいた。
源頼朝が鎌倉で挙兵した時からの御家人、仁田四郎忠常であった。
頼朝は家臣の中に忠常のような豪傑が居たことを大いに喜び称賛した、という話。

動物を退治して称えられるという、まあよくあるような無いような話ですが
この時の話はこれだけでは終わらず、もう一つ後世に語り継がれる事件が起きます。


この巻狩りには工藤祐経という人も参加していました。
ご存知、曽我兄弟の仇討ちの標的です。
巻狩りの最終日の夜、雷雨が激しかった為、家臣たちは酒盛りを行い工藤祐経も酔い潰れていた。
そこに曽我兄弟がやってきて父の敵を討ち本懐を遂げる。
有名な場面です。

しかし結局、北条時政の護衛をしていた忠常が駆け付け、曽我兄弟の兄、十郎が討ち取られてしまう。
捕えられた弟の五郎については頼朝が助命しようとしたが、工藤の息子の訴えもあり後日斬首された。

せっかく仇討ちできたのに曽我兄弟かわいそう・・と思いますが忠常側からすると敵な訳で。

見る側によってはどっちが正しいかなんて分かりませんね。


外題解説がちょっと長くなりすぎました。


この攻撃人形の顔ですが、攻撃として使われるのは珍しいですよね。
去年の永覚町のヤラレでしょうか。
これはこれで好きです。
後ろの弓人形ですが、この時みたいに半裸の方が良かったと思うのは私だけでしょうか。


見返し
「タワーより高い希望(のぞみ)の活性化」

優秀賞!
うまいっす!



当方HP↓(写真の人形と関係ございません)