制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

博多祇園山笠に思う

2011年12月19日 21時18分58秒 | 旅行
数ヵ月前、友人の結婚式で博多に行ってきた。
羽田から飛行機で1時間20分程。
西へ向かうのは2年振りなので張り切って朝一の飛行機を取った。


何時に家を出れば間に合うのかなと調べてみると、ウチからの始発では間に合う電車がないというおマヌケな事態に(´Д`)

さすが23区外。

しょうがないので前日に出発して新宿の漫喫に泊まることに。


翌日朝イチで漫喫を出発し、羽田から博多を目指す。
飛行機の中は爆睡し、気付いたら博多に到着(-_-;)

そして到着した空港で出迎えてくれたのは祇園山笠の飾り山車だった。
街全体で、700年の歴史ある祭りを守ろうという姿勢にいきなり感動させられた。

この飾り山車の周りを何周もグルグルしたのは言うまでもありません。

博多は想像以上に大都会でびっくりしたのと同時に、祗園山笠を街全体で守ろうとする姿勢が本当に凄い。
土崎でいう神明社のような存在が櫛田神社。


櫛田神社にはこんな立派な飾り山車が常設してある。
表も裏も素晴らしい作り込みです。






土崎と比較すると両方に良いトコがあるような気がするが、
観光客が「すご~い!」と歓声を上げるのを度々聞くと、知名度的にもアピールの姿勢にも土崎には無いものを感じる。
個人的には土崎の方がすっきりしていて場面が分かりやすいと思うし、
人形の顔つきも表情があって好きではある。(昔の人形は)

土崎の惜しいところは、祭りに対する思いは博多にもヒケを取らない割りに
街全体で盛り上げようという気持ちが完全に負けているということなのかと思う。
そりゃ大都会の博多と比較するんじゃどうしても負けてしまうだろうけどもなぁ・・

ちなみに博多では街の中にも常設の立派な飾り山車が置いてあります。




土崎は、高さを競っていた山車だったのに電線がひかれたおかげで高さ制限されたとか、
交通事情で時間まで制約されるなど、地元に居ながらまだまだ祭りを好きじゃない人が多い、内輪の祭りってことだろう。

だが、博多は違う。
女性の参加は認められていないにも関わらず、祭りを盛り上げようという気持ちでは女性は男性に引けを取らない。
また、至る所で山笠の文字が飛び込んできて、街一丸となって700年の祭りを盛り上げようとしているのが伝わってくる。
人形に関しても店舗がいくつかあり、「博多祇園山笠人形師之会」という組織を結成している。
そこでは、技術や後継者育成などの情報を共有しながら全員で伝統を守ろうとしている。
自分の生活を守ろうと我欲に捉われず、まず第一に素晴らしい人形を作るという熱い熱い気持ちがそこにあるのだ。


そのような姿勢があるからこそ、とても厳粛で品のある祭りになっている。


土崎は、人形の件だけでなくまず祭りに対して厳かではなくノリが軽い。
第一にただ騒ぐだけが目的の連中が多すぎる。
暴走族のような服装をした茶髪のヤンキーが山車を曳いているのを見ると一緒に参加してるこっちが恥ずかしくなる。
重文指定されてから揃い半纏など服装にこだわる町内も多くなったが、それを着る人にもある程度ルールを課すべきではと。


竿燈だって茶髪ピアス禁止だ。
当然、祇園山笠もだ。


それだけでも決まりを作ることによって中途半端な連中は集まらないはずだ。
人が足りないからと言っても、ヤンキーばっか集めたんじゃ本末転倒だろう。
楽しみながら盛り上がりつつも厳粛な部分は守り、伝統の重さを感じる祭りになって欲しい。
チャラチャラしてるのが土崎の伝統だと言われればもう何も言えないが。


御幸が終わった後の寄せ太鼓がどうだの、そんなの枝葉末節にこだわっているだけに感じてしまう。


「ザキ祭りはガキ祭り」とよく言われるが、そんなイメージを覆さずして祭りの発展、地域の活性化は無いのではと。


偉そうに書きましたが、生まれ育った土崎の祭りを私は当然魅力的な祭りだと感じているので、
今後、より良い方向へ飛躍していくことを願っています。



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