制作好房

初志貫徹 ~志無くして進歩なし

曳山回顧(平成7年くらいの土崎湊御蔵の山車)

2011年10月30日 20時51分03秒 | 土崎港曳山祭り
私が中学2、3年の時か・・

毎日のように通った土崎湊御蔵。

御蔵が無くなって何やらスーパーができるのかと思いきや、
箱だけ作ってそのままどっかいちゃうし。

カラオケとかビヤホールとかいい雰囲気で好きだったけどなぁ・・
ちょうどそのビヤホールの裏辺りの蔵に置いてあったのがこの山車。

完全に放置されていてホコリ被ってたこの山車。
角花とかボロボロになってたのを修繕したのは中学生の私です。
御蔵の店員から「お疲れ様です」なんて言われたりして。

永覚町の台を使ってた山車↓

裸人形はありませんが結構バランスは良いのではないかと。
この攻撃人形の顔は今は裸人形に使われてますね。(今年将軍野一区かな)
今の体よりこの体の方が良かったんじゃないかと個人的には思ったり・・

その見返しもついでに↓



加賀町の台を使ってた山車↓

こっちも右側の立ち人形の顔は今は裸人形の顔になってますね。(今年旭町三区ですかね)
その人形に関しては顔を変えて良かったなと個人的には思います。
まんまる顔でしたからね・・
前の前はもっといい顔してたんですがね。

その見返しも↓


兎にも角にも、祭りのアピールの為に土崎にもまた常設の山車を置いて欲しいなあと思っています。


当方HP↓

曳山回顧(平成8年清水町付近の置き山)

2011年10月20日 22時18分45秒 | 土崎港曳山祭り
今回は置き山回顧です。

私が中学3年の頃(確か・・)、突然竹○酒店のとこに岩らしきものの骨組みが現れた。
この時期にこの形(ちょっと角館の置き山っぽい形ですが)はもしかして・・
と思ってたら案の定置き山でした。

どういう経緯でここに飾ったのかなど私には全く分かりませんでしたが、
高い岩を軒先に組んでいるその光景にかなりインパクトを受けたのを覚えています。
高所恐怖症じゃこんな岩組めないわ~と、昔の山車を見たことがない私はその当時思いました。



人形が飾られた状態はこんな感じ↓
写真が下手ですみません。




そして小道を挟んで反対側には麗しい官女が


どうしても一言挟まないと気が済まない性分なので・・すみません・・

やっぱり弓の向く方向に的があった方が臨場感ありましたねσ(^_^;)
(飾られた家の造り上、止むを得ないというのはあったと思いますが)
もしくは、那須与一と的との間の距離感を出す為にわざとこういう配置にしたかのか分かりませんが。

それにしても個人で岩を組んだとしたら・・
組んだ方に感服致しますm(_)m



当方HP↓

曳山回顧(平成9年将軍野三区)

2011年10月16日 17時48分56秒 | 土崎港曳山祭り
夫婦岩さん、この信長です。
ふるさと祭りと同じ年ですね。
一か月で服を着せ替えるとは考えづらいですが骨組みは一緒に見えます(-。-;)


ついでに色々つぶやきを。
※ 個人的なつぶやきであるということを予めご認識置きください。

この頃の将軍野三区さん、岩の形が今と違いますね。
私もこの頃将軍野三区さんに参加させて頂いてましたが、
とても飾り付けもしっかりしてるし、掛け声が上手くて盛り上がるし、好きな町内のひとつです。
この年も人形のバランスも取れてて素晴らしい山車だったのではないでしょうか。
信長も髪を束ねると印象が近付きますね。

ただ、強いて言うなら岩の間の杉の木が小さいのかなと。
もう少しモッサリしてたら全体的にもっと纏まっていたのかなとも思います。
それにしても全体的にバランスの取れた素晴らしい山車でしたね。

見返しもついでに↓
「きてたんせ」花まるいっぱいおらほの祭りさ


戻り山車もついでに↓
この提灯のバランスにも繊細な将軍野三区さんらしさが出てると思います。




最後に、横からバージョン↓



当方HP↓

曳山回顧(平成9年6月1日秋田花まるっふるさと祭り)

2011年10月15日 22時43分27秒 | 土崎港曳山祭り
懐かしの画像をアップします。
千秋公園の中土橋で行われたイベントです。私が高校2年くらいの時でした。

今ほど頻繁に山車を出す時代ではなかったので、大興奮で録音機器とカメラを持って駆け付ました。

一時期、このヤラレのように足をザルから出すの流行りましたよね。槍廻し、大変そうです・・
この山車、トンガリ夫婦岩が印象的でした。即席でよく組み立てたなあと感心したのを覚えています。
細かい話ですが、良く見ると人形の顔の描き方、波の描き方も今とは若干違うようで。
更に細かいことをいうと、服部小平太は槍を持って今川義元の脇腹を刺したはずなので
ここでも槍を持たせた方が良かったのではと。(誰も気にしないってか)



見返しはこんな感じ↓
「小町娘とうまし酒の国 こまちに乗っておざってたんせ」
加賀町さんの旧山車、味があって素晴らしいですね。
最近は新調する町内が多いですが(安全上の計らいもあるのでしょうが)、昔の山車ほど味があって重みを感じます。




下の写真のように、想像していた以上にお客さんが沢山でかなり賑わっていたイベントでした。


興奮冷めやらず、この後ねぶり流し館で太鼓叩いて帰ったのは言うまでもありません。


当方HP↓

うちのおじいさん

2011年10月12日 21時06分06秒 | 土崎港曳山祭り
連休を利用して、先週の金曜から月曜に掛けて秋田に帰ってました。
今回の目的は土崎のおじいさんおばあちゃんに会うこと。

金曜、仕事が終わってから徹夜で運転したので疲れ果て、
実家で軽く仮眠していざ土崎へ。


おじいさん、心配をヨソに「よく来たなぁ~」なんて元気に。
想像してたよりも元気で、こりゃ焦って来る必要も無かったかなとも思ったりして。


じいさんは将軍野一区が統前の時に大祭典委員長を務めた程の祭りキチ。
確実にその血を引き継いでる俺にはとても重要な人だったり。
更には趣味が多いこととか手が器用な事とか色んな共通点があってね。親しみやすい。

今年人形を作ったのもおじいさんに見せたいという思いが半分くらいあって・・


今年の祭りの日、俺は興奮で一睡もできず「こりゃ布団から出るしかないでしょ」って
20日の朝4時半におじいさんを無理矢理起こして本町通りへ。

人通りの少ない街は何とも言えぬスッキリした空間で。
車から「あれだよ!」って言ったらおじいさんにはあまり見えてなかったようで、
車を停めて人形の目の前まで連れて行くと「お~!」とようやく声を上げた。



人形の前であーだこーだ蘊蓄を述べるおじいさんはまだまだ元気だなぁと。
喜んで喋るおじいさんの顔を見ると、人形飾る飾るなで色々あったいざこざなんて吹っ飛んだ。


人形についてだって元を辿るとじいさんが鉄○さんと仲良かったおかげで俺の体に染み込んだんだ。
それが無きゃ今の自分なんてないかなぁなんて思うとそれは感謝感謝で。


「石に布団は着せられず」
生きてるうちに色んなものを見せれたらなぁなんて。
これから少しでも長生きして欲しいなと。


特に落ちもないつぶやきでした。


当方HP↓