Bourree2
【今は素直に彼らをイイなと思っている・・
でもこの気持ちは必ず変わるんだ
羨望は嫉妬に変わり そして嫌悪になる
オレはある そーゆうの 嫌うコトでなかったものにしてしまう
本当は一番望む場所なのに 拒否するコトでその気持ちを相殺するんだ】
(湾岸ミッドナイトより 萩島のセリフ)
羨望:うらやましく思うこと
嫉妬:愛情や幸せなどが、他に向くのを妬み恨む感情。やきもち。
嫌悪:きらい、憎むこと
ブレー①に記した「ルシファーの嫉妬」を改めて引用しよう。
「神は森羅万象すべての物を創造したとされるが、その中には人間もあった。人間は天使の姿を模して作られたとされていて、神は人間に天使以上の愛情を注いだ。当然の如く、それに反発したのは神から最も信頼を得ているとされる大天使ルシファーだった。天使は炎から生み出され人間は土塊から創造される。人間は天使ほどの権威も無ければ力も無いのだ。ルシファーは明らかに自分達より下位な存在であるのに神から寵愛を受けている人間に怒りを覚えた。そして神により強い愛情を抱いていた彼はその怒りを嫉妬心に変えた。また、彼の嫉妬心は神への怒りにも変わった。そのため、同志である他の天使と共に神に挑んだが、結局は敗北し堕天されてしまう。その後、地上へ堕ちたルシファーは寵愛の対象となっていた人間に挑戦するようになった」とされている。
私の奥底にも似たような心理がときどきある。
「自分はまだいいか」とプラスに捉えるのではなく、「自分よりも上の人の方がいいに決まっている」ととる。常に自分を下において、風下にたっていよう、そう考えてしまう。
恋を例に挙げてみよう。密かに想いを寄せている人が別な人と仲よさそうに話をしているとする、気になったりもするだろうし、それだけで胸が切なくなったりも・・そういった「嫉妬の感情」が生まれる。そんな瞬間は多くの人にあることだろう。
でもどうしたらいいかわからない・・・
また、その人が相手のことを好きだということがもうわかってしまっていれば、あるいは、結婚を前提にお付き合いをしているのであれば、もうはっきりとわかる。「失恋」という文字が浮かんでしまうのだ。
どうがんばったって変わらない、あきらめるしかない―と。
【たとえば 人は・・・ より高く より遠く より速く
つまり もっともっとという欲求がある
それは動物にはない 人間だけが持つ 何かを追い求める気持ち・・・つまり欲望だ
一歩間違えれば 全て失ってしまうのに・・・(以下略)】
(湾岸ミッドナイトより)
「失う」というコト・・・失恋、失業、失望、そう、一歩間違えれば失ってしまうのだ。
特に、失恋に関しては恋そのものに含まれる、淡く、ロマンティックなイメージも少しはあるかもしれないが、当人の中にあるのは嫉妬から来る虚しさ、悔しさ、怒り、絶望・・・そういったマイナスの波動が押し寄せてくる。
とある楽章にも書いたが、「世の中のあらゆることは相対的」なのだ。
得るものと失うもの、「表と裏がある」のだ。
そして、追い求めていたもの、望んでいたものを失う、無くす、という局面になった時に、人は考える。
―自分はいったいどうしたいのか、どうすればいいのか―と
―私の存在意義って何―?と
その気持ち・考えを上手くカヴァーしきっているヒトや、どことなく醸し出されるすばらしい雰囲気を持ったヒトは「存在に対する『適度な自信』」が備わっているからだという。
しかし、あまりのつらさを背負ったとき、ヒトという動物はその持っている思考能力を失う、ほとんど全てなくしてしまうことだってある。そしてその不安を一度心に覚えてしまうと「自分はこの世に居ていいのだろうか」という域にまで達してしまう。
そんな理由も重なって、今私は、音楽を奏でることを忘れてしまっている。
それまでは、決められたルールや約束事なんてなくても、互いがそれなりに上手く噛み合い、仲間となり、高め合い、そして同じ音楽を奏でる大切な仲間、だった。しかし私は、とあることがきっかけで、その集団を離れてしまった。退職というカタチで離れてしまった今までの職場も、だ。
本当はもっともっと、みんなに近づいて、愛し、愛されたいのにそれを忘れようとするがために、別な方向に「努力のベクトル」を向ける。何も知らない相手は「そうすることがお前の望みなのか―?」と聴いてくるかもしれないが、私は一概に「No」と言えない。
心を偽ることが実は本当のコトの様に思えてくるようになる。
何かに夢中になっているときなどはその不安はまったく出てこない。不安から抜け出すには自分が夢中になれる何かを探せばいいのだが、それには何かとお金がかかるものなのだ。悲しいかな、人間は車と同じように、生きれば生きるだけ、何かをすればするだけお金がかかる動物であるから。
「羨望→嫉妬→嫌悪→拒否」の流れに乗るのは、単純に自分を大事にするがためにすることではなく、ましてやヒトを愛することを完全に忘れるためにする行為ではない。
まずは・・・そうならないように、つらくても自分の気持ちで「昇華」させなくてはならないとは思う。
しかし、だ。
ある一方でこういう捕らえ方も出来る。
拒否することで相殺するのは『その人なりの防御方法なのだ』いう見方だ。
そうするコトで心のバランスをとる―
登校拒否やストライキがいい例だ。問題が複雑すぎて、簡単に解決できない場合はつらさに耐えているがために起こる心身の疲れを癒し、その間に真相究明や対応を考える―
これだけ人間関係が複雑化してしまい、稚拙な対応も目立つ世の中だ。
もちろん、相手に心配を掛けることにはなってしまうが、迷惑は掛けない。
そして、それはそれで「大切なこと」なのだ。
単純にルシファーが堕天した有様だけを見る限りでは「あ~ぁ、ナニやってるんだか」という目で見るヒトが多いかもしれないけれど、その「心の中身まで推測してみると、単純にそういえるの?そう思えるの?」と逆に問いかけてみたい。
ルシファーは神に挑んでいるそのとき、どう思っていたんだろう―?と。
【基本的に 人は人 自分は自分、が大事なんだ
結果としてはぐれるときがあっても まぁいいじゃないか
人の中で較べて違う自分でいたい じゃあなく ただ素直に私でいたい それが大事だ
「人は人 自分は自分」 自分の尺度で人を判断するな、と】
【例えば 目の前の人を正し、押しのける
大事なことは自分を通すことなのか・・
大事なモノはいつでも その向こう側にあるんじゃないのか―】
(湾岸ミッドナイトより 山本和彦とユージの父の言葉)
その行為の中で「自分が何を学ぶべきなのか」ということを考えるということが必要なのだ。
上記の萩島の想いを単純に「逃げ」「弱いヤツ、情けないヤツ」などのマイナスイメージでとった人は、私のとった別な視点で考えてみて欲しいと思う。
「大事なモノ」がなんなのかを探すために―その手でつかむために―
【今は素直に彼らをイイなと思っている・・
でもこの気持ちは必ず変わるんだ
羨望は嫉妬に変わり そして嫌悪になる
オレはある そーゆうの 嫌うコトでなかったものにしてしまう
本当は一番望む場所なのに 拒否するコトでその気持ちを相殺するんだ】
(湾岸ミッドナイトより 萩島のセリフ)
羨望:うらやましく思うこと
嫉妬:愛情や幸せなどが、他に向くのを妬み恨む感情。やきもち。
嫌悪:きらい、憎むこと
ブレー①に記した「ルシファーの嫉妬」を改めて引用しよう。
「神は森羅万象すべての物を創造したとされるが、その中には人間もあった。人間は天使の姿を模して作られたとされていて、神は人間に天使以上の愛情を注いだ。当然の如く、それに反発したのは神から最も信頼を得ているとされる大天使ルシファーだった。天使は炎から生み出され人間は土塊から創造される。人間は天使ほどの権威も無ければ力も無いのだ。ルシファーは明らかに自分達より下位な存在であるのに神から寵愛を受けている人間に怒りを覚えた。そして神により強い愛情を抱いていた彼はその怒りを嫉妬心に変えた。また、彼の嫉妬心は神への怒りにも変わった。そのため、同志である他の天使と共に神に挑んだが、結局は敗北し堕天されてしまう。その後、地上へ堕ちたルシファーは寵愛の対象となっていた人間に挑戦するようになった」とされている。
私の奥底にも似たような心理がときどきある。
「自分はまだいいか」とプラスに捉えるのではなく、「自分よりも上の人の方がいいに決まっている」ととる。常に自分を下において、風下にたっていよう、そう考えてしまう。
恋を例に挙げてみよう。密かに想いを寄せている人が別な人と仲よさそうに話をしているとする、気になったりもするだろうし、それだけで胸が切なくなったりも・・そういった「嫉妬の感情」が生まれる。そんな瞬間は多くの人にあることだろう。
でもどうしたらいいかわからない・・・
また、その人が相手のことを好きだということがもうわかってしまっていれば、あるいは、結婚を前提にお付き合いをしているのであれば、もうはっきりとわかる。「失恋」という文字が浮かんでしまうのだ。
どうがんばったって変わらない、あきらめるしかない―と。
【たとえば 人は・・・ より高く より遠く より速く
つまり もっともっとという欲求がある
それは動物にはない 人間だけが持つ 何かを追い求める気持ち・・・つまり欲望だ
一歩間違えれば 全て失ってしまうのに・・・(以下略)】
(湾岸ミッドナイトより)
「失う」というコト・・・失恋、失業、失望、そう、一歩間違えれば失ってしまうのだ。
特に、失恋に関しては恋そのものに含まれる、淡く、ロマンティックなイメージも少しはあるかもしれないが、当人の中にあるのは嫉妬から来る虚しさ、悔しさ、怒り、絶望・・・そういったマイナスの波動が押し寄せてくる。
とある楽章にも書いたが、「世の中のあらゆることは相対的」なのだ。
得るものと失うもの、「表と裏がある」のだ。
そして、追い求めていたもの、望んでいたものを失う、無くす、という局面になった時に、人は考える。
―自分はいったいどうしたいのか、どうすればいいのか―と
―私の存在意義って何―?と
その気持ち・考えを上手くカヴァーしきっているヒトや、どことなく醸し出されるすばらしい雰囲気を持ったヒトは「存在に対する『適度な自信』」が備わっているからだという。
しかし、あまりのつらさを背負ったとき、ヒトという動物はその持っている思考能力を失う、ほとんど全てなくしてしまうことだってある。そしてその不安を一度心に覚えてしまうと「自分はこの世に居ていいのだろうか」という域にまで達してしまう。
そんな理由も重なって、今私は、音楽を奏でることを忘れてしまっている。
それまでは、決められたルールや約束事なんてなくても、互いがそれなりに上手く噛み合い、仲間となり、高め合い、そして同じ音楽を奏でる大切な仲間、だった。しかし私は、とあることがきっかけで、その集団を離れてしまった。退職というカタチで離れてしまった今までの職場も、だ。
本当はもっともっと、みんなに近づいて、愛し、愛されたいのにそれを忘れようとするがために、別な方向に「努力のベクトル」を向ける。何も知らない相手は「そうすることがお前の望みなのか―?」と聴いてくるかもしれないが、私は一概に「No」と言えない。
心を偽ることが実は本当のコトの様に思えてくるようになる。
何かに夢中になっているときなどはその不安はまったく出てこない。不安から抜け出すには自分が夢中になれる何かを探せばいいのだが、それには何かとお金がかかるものなのだ。悲しいかな、人間は車と同じように、生きれば生きるだけ、何かをすればするだけお金がかかる動物であるから。
「羨望→嫉妬→嫌悪→拒否」の流れに乗るのは、単純に自分を大事にするがためにすることではなく、ましてやヒトを愛することを完全に忘れるためにする行為ではない。
まずは・・・そうならないように、つらくても自分の気持ちで「昇華」させなくてはならないとは思う。
しかし、だ。
ある一方でこういう捕らえ方も出来る。
拒否することで相殺するのは『その人なりの防御方法なのだ』いう見方だ。
そうするコトで心のバランスをとる―
登校拒否やストライキがいい例だ。問題が複雑すぎて、簡単に解決できない場合はつらさに耐えているがために起こる心身の疲れを癒し、その間に真相究明や対応を考える―
これだけ人間関係が複雑化してしまい、稚拙な対応も目立つ世の中だ。
もちろん、相手に心配を掛けることにはなってしまうが、迷惑は掛けない。
そして、それはそれで「大切なこと」なのだ。
単純にルシファーが堕天した有様だけを見る限りでは「あ~ぁ、ナニやってるんだか」という目で見るヒトが多いかもしれないけれど、その「心の中身まで推測してみると、単純にそういえるの?そう思えるの?」と逆に問いかけてみたい。
ルシファーは神に挑んでいるそのとき、どう思っていたんだろう―?と。
【基本的に 人は人 自分は自分、が大事なんだ
結果としてはぐれるときがあっても まぁいいじゃないか
人の中で較べて違う自分でいたい じゃあなく ただ素直に私でいたい それが大事だ
「人は人 自分は自分」 自分の尺度で人を判断するな、と】
【例えば 目の前の人を正し、押しのける
大事なことは自分を通すことなのか・・
大事なモノはいつでも その向こう側にあるんじゃないのか―】
(湾岸ミッドナイトより 山本和彦とユージの父の言葉)
その行為の中で「自分が何を学ぶべきなのか」ということを考えるということが必要なのだ。
上記の萩島の想いを単純に「逃げ」「弱いヤツ、情けないヤツ」などのマイナスイメージでとった人は、私のとった別な視点で考えてみて欲しいと思う。
「大事なモノ」がなんなのかを探すために―その手でつかむために―