てんもく日記

ヒゲ親父が独特の感性で記録する日記。このブログがずっと未来に残るなら、子孫に体験と思いを伝えたい。

明日朝の通勤通学は超要警戒!!!

2018年01月11日 22時07分51秒 | 【ヒゲ親父】出来事
帰宅の道路は凍結部分もあり、
大変危険な状況でした。

こりゃ明日朝は相当危険なこととなります。

今日は早めにお休みになり、

時間に余裕を持って通勤通学を。

とにかく明朝は超要警戒です。

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MROと石川テレビが・・・

2018年01月10日 21時12分53秒 | 【ヒゲ親父】地元のこと
まさかの出来事。

6チャンネル--MRO(TBS系列)
8チャンネル--石川テレビ(フジテレビ系列)が、
午後7時過ぎから県内全域で写らなくなっている。


NHKニュース845が報じた。


鉄塔に問題が生じた模様


落雷?火災?

情報が飛び交っている。

原因調査中で復旧はいつのことやら


ちなみに、
昔の石川県では、NHKとNHK教育、民放はMROと石川テレビの4つしかチャンネルが無かったのだ。
テレビ金沢(日本テレビ系列)、HAB(テレビ朝日系列)は比較的新しい。

こんなに長く中断は初めてだね、
いつ復旧するやら・・・。

この際、昔の民放2局時代を思い出すのもいいかもね。
(う~んポジティブ
ただ皮肉にも当時の民放2局が今故障中なのだ・・・
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早く仕事モードに

2018年01月09日 20時44分02秒 | 【ヒゲ親父】出来事
正月ボケから、
早く仕事モードにならなきゃ。

がんばろ!

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99.9放送前に・・・

2018年01月08日 14時16分00秒 | 【ヒゲ親父】嵐関係・・・
ここにきて99.9の記事が読まれている。


そうか、いよいよ来週放送か。


放送される前に行っておきたい場所がある。

できればそこで昼食を食べてお風呂に入りたい。
・・・ということで行って来た。

金沢の山中の


ここです。


予約していないのでNGでした・・・

(予想通り・・・

入りたかったなぁ


きっと放送後は予約もいっぱいでますます難しくなるだろう・・・。


残念、この場をあとにして、10分くらいで着くオイラの好きなダムを・・・


いいねぇ。


お昼はスープカレーにしました。


きたきたー


旨かったっす!


いよいよ来週始まりますか・・・。


娘の受験生的にマズイ時期なんだけどなぁ・・・

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西郷どん、合格です(^^)/

2018年01月07日 21時58分18秒 | 【ヒゲ親父】評論的な・・・
西郷どん。
第一回見ました。

最初の5分で、
「これはいける!」と感じました。

今回は子役でしたが、主役の鈴木亮平さんも合ってる感じ。
難解な薩摩言葉も不快感はまったくありません。
西田敏行の語りもバッチリです。

今回は期待できます。
幕末は当たり外れがありますけど、
今回はいける!

今年一年は日曜夜8時が楽しみ時間帯になりそうです。

よかった・・・。

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ブラオイラ#241(百姓国始まりと終わり編)

2018年01月07日 15時42分42秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
県外の方が石川県(特に加賀)について、
歴史的な事で思い浮かぶとすれば・・・


百姓の持ちたる国
であろう。

学校の歴史教科書で出てくるワードであります。

日本史上でも極めて珍しいこの時代は、
長享2年(1488年)に加賀の一向衆徒が加賀国守護の富樫政親を破り、
天正10年(1582年)に織田信長に敗れるまでの約100年間、加賀は百姓の持ちたる国と呼ばれる状況となったのである。

思えば戦国の世に百姓が治める国が存在した事じたい奇跡である。
我が国初の民主国家だったのかも・・・。

これほど歴史的な出来事があった始まりの場所と終わりの場所を訪れてみようと思ったのさ!
それはいずれも城である。

富樫政親が自刃した城、
高尾城である。
この城が焼け落ちて百姓の持ちたる国が始まった。

その場所は、金沢市高尾南にある石川県教育センター近くにある。


あの山頂だ。


さてと


へぇ、石川県教育センターって天体観測施設まであるんだ。


ここを登って行く


ひょえ~


えっほえっほ


竹藪だ。


これはこれで美しい。


おっ頂上が見えてきた。


着いたー


ふむふむ


眺め抜群です!


右手(金沢方面)


中央(野々市方面)


左手(白山方面)


ここは金沢市内でも一番眺望がいいかも・・・。

でもここに来るまでが大変ですけど・・・。

高尾城の建物跡は残念ながら残っておりません。



高尾城の戦い(Biglobeより)
長享2年(1488年)
富樫政親も、野々市の居館から修築成った高尾城に移り、幕府に急使を派遣して支援を要請している。
これを受けて越前国の朝倉氏、能登国の畠山氏、越中国の神保・遊佐・椎名氏らに出陣命令が下されているが、
同年1月には朝倉氏からの援軍を迎えるために発向した富樫方2千の軍勢が加賀・越前国境付近で一揆勢によって殲滅させられたとする記録もあることから、
一揆による加賀国封鎖は迅速かつ厳重なものであったことが窺い知れる。
外部からの支援を絶たれた政親は高尾城に追い込められ、5月下旬頃には20万もの一揆軍によって完全に包囲されるに至った。
戦闘が開始されたのは6月5日で、約1万の軍勢で籠城していた政親方は、活路を切り開くために7日に高尾城から一斉に打って出て戦ったが衆寡敵せず敗れ、9日に高尾城への総攻撃を受けて支えきれず、政親は城に火を放って自刃した。


後で行く一向一揆資料館に掲示されていたマンガ

加賀・高尾城
守護をたおせ!政親を殺せ!
ワー!ワー!


との!これまでにございます。
この政親が農民や坊主どもにやぶれるとは・・・
・・・・むっ無念じゃ

とまあ、こんな感じのことがここであったのです。
それにしても20万の一揆軍とはすごいね。

ここで今から530年前にあった出来事。


さて降りるかね。

滑らないように気を付けて


百姓の持ちたる国の
始まりの場所が高尾城なら、

終わりの場所は・・・・、


鳥越城である。


ということで、白山市鳥越へ


大日川より城を見る。


あの山頂に城がある。

ここも山城です。

さて登ってみるかと登り口に着いてみると


ガーン!

行けない・・・

ということで、前に行った時のを貼り付ける。

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ブラオイラ#32(鳥越城跡&二曲城跡編)より一部抜粋です

加賀一向一揆の最後の拠点として知られ、手取川とその支流大日川に挟まれた標高312mの丘陵上を利用して築かれています。
大日川を挟んだ対岸には、同じく国指定史跡の二曲(ふとげ)城跡があります。
落城したのは天正8(1580)年のことで、織田信長の家臣、柴田勝家によって攻め落とされました。
その後、一揆方は再び城を奪回したりしますが、最後には鎮圧され加賀一向一揆は壊滅したとされています。


ふもとから見た鳥越城です。

典型的な山城。

あの頂上付近が本丸があった場所です。


さて車で登ります。


ここからの眺めが素晴らしいです。

(鶴来方面)


(白山方面)


さて、城にいきましょう。


おっ見えてきました。

(枡形門)


かっこいいですね

(本丸門)


建物跡がいろいろと

(礎石)


ここの感じ好き

(空堀)


鶴来方面より最強の織田軍団の軍勢が迫るのが見えたときの百姓兵達の心境やいかに・・・


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とまあ、
2015.8.2の夏のど真ん中に投稿した記事でした。

城には登れなかったので、一向一揆歴史館へ入ってみた。


よし


まず入館すると20分くらいのビデオを拝見。


これはいい。

わかりやすく出来ており、十分理解できました。

その他展示室へ

ジオラマが好き。

いいねぇ


ウィキより
天正8年(1580年)、織田方の柴田勝家軍によって落城し、山内衆の主領鈴木一族は滅ぼされる。
その後この城は織田方の吉原次郎兵衛の管理下に置かれたが、白山麓門徒の抵抗は続き、攻防戦が展開された。
しかし天正10年(1582年)3月1日、織田方の佐久間盛政によって鎮圧され、三百余人が磔に処せられた。
この城は、加賀一向一揆の栄光と挫折を最後まで担い続けた、白山麓門徒たちの記録として歴史上の意義をもつ。


皮肉なもので一向一揆衆徒の立場からすると、高尾城で攻め、勝ち取り、
鳥越城で立てこもり、敗れ落ちた。

ここに天正10年(1582年)に、
加賀に百年続いた百姓の持ちたる国が終わった・・・。


国敗れて山河あり・・・です。



帰宅途上で白山が光っていたのでパシャリとした。

美しいねぇ。
あの時の百姓たちもきっと眺めていたんだろうね。
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ブラオイラ#240(街道をゆく③森本編)

2018年01月06日 21時16分13秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
街道をゆく本日はここからスタート

津幡から金沢に入りました。


この味方の本を持ち、今日も旧北陸道をゆくぞ~


おっ

「與一の道」とあります。
そう八田與一(はったよいち)さんですよね。

(與一は難しいので以降は与一と書きます。)


街道沿いには何かとあります。


ほぉ、


利屋町にはいりました。


この付近には利屋一里塚があったとあるけど、


位置的はここかなぁ、

左手の空き地が候補地である。


味方の本にはこう書いてあります。
津幡を過ぎた北陸街道は、まもなく金沢に入る。一里塚があった利屋、松並木が見られる北森本町へ進むが、
かってこのあたりは、河北潟岸の湿地帯だった。


おや、左手に小学校、右手に今どきめずらしい火の見櫓が見えます。

そして正面にあるお屋敷は・・・、


街道沿いにあるこのお屋敷は、

石川県が生んだ大偉人、八田与一技師の生家であります。


ちょっち、お邪魔しま~す


八田与一技師生誕地と刻んだ石碑。



台湾の人からすれば国の恩人であって・・・、
長くてすみませんが

(WEB歴史街道より)
八田与一 ~台湾で最も尊敬されている日本人
烏山頭(うさんとう)ダムを建設し台湾の人々から今も慕われ続ける日本人です。
今も「台湾で最も尊敬されている日本人」と称される八田与一。彼の功績は台湾の教科書に写真入りで紹介されているそうです。

そんな八田は明治19年(1886)、石川県河北郡花園村(現在の金沢市今市)に生まれました。
八田はその生涯のほとんどを台湾で過ごし台湾の開発に人生を捧げることになりました。
その最大の仕事は、嘉南平野に農業用水を供給するための灌漑工事です。

15万ヘクタールにも及ぶ嘉南平野は、河川が少ないために深刻な旱魃の危険に常にさらされた不毛の土地とされてきました。
八田はその大規模な水利工事の指揮をとりました。
ダムを建設して水源を確保し、さらに水路を平野に縦横に張り巡らせて、不毛の地を豊饒な大地へと変貌させようとしたのです。
工事は実に10年にも及びますが八田は陣頭指揮を執り続けました。
日本人も台湾人も一緒になって取り組み、八田は自ら率先して危険な現場にも足を運んで工員たちからも篤く信頼されたといわれます。
その結果、貯水量1億5千万㎥の大貯水池・烏山頭ダムと、嘉南平野一帯に16,000kmにも及ぶ細かく張り巡らせた水路がついに完成。
これによって潤された嘉南平野は、台湾最大の肥沃な穀倉地帯へと生まれ変わります。

台湾の人々は八田への感謝の気持ちを込めてダムが完成した翌年に八田の銅像を建てました。
その銅像は座った姿で右手を額のあたりに添えています。八田が考え事をしている時によくとっていたポーズでした。

しかし太平洋戦争中の昭和17年(1942)、フィリピンの綿作灌漑調査を命じられた八田は、
「大洋丸」に乗船して五島列島南方を航行中、アメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて船が沈没、不慮の死を遂げます。享年56。


石川県では毎年8月に日本全国で学ぶ外国人留学生、研修生と市民のふれあいのためのテント=『JAPAN TENT』が開催されていますが、

(拝借

台湾の参加者は、その期間中にこの八田技師の生家を訪ねているとのことです。

(拝借

生家の裏手に小学校があって、


八田技師の像もあります。


ん!?


台南市教師団御一行来校記念


嘉南国民小学校御一行来校記念


台湾との交流が続いている証ですね。

そんな偉大な八田技師のことを思いながら、
街道を進む。







山側環状線高架下をくぐると、


ここにあるように


松並木が現れます。


昔の風情が残っている貴重な場所です。


そこに、


ちゃんと石標と

石川県指定史跡 松並木の旧金沢下口往還 と彫ってある。

そして説明板も設置されていました。


さらに進むと、


橋が出てきた。

森本大橋。

森下川で上流方面を見る。

北陸新幹線の高架が見えます。

下流方面

晴れ間が出てきた。

橋を渡ると左手に立派なお寺が


光円寺とある。


そして正面に陸橋が見えてきた。


歩いてみよう


上り口の左手に小さな公園。


これは道路元標

ここに移設したようです。

右手に森本中学校と体育館。


陸橋を下りる


森本の中心付近。


右手に森本駅。


きっと北陸新幹線の高架でここが一番高いのではないだろうか。


北陸自動車道をくぐります。


左手に神社があった。


菅原神社。


昔ここで白いヤギを見た記憶があんだよなぁ(記憶違いかな


百坂。


真っ直ぐの通りではなく、


旧道は横に入って行きます。


ここね。


脇に対のお地蔵さんがありました。


今日はここまで。


今回はこれだけ進みました。



次回は鳴和編につづく。
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ブラオイラ#239(雪だるまが見つめる主計町編)

2018年01月06日 15時10分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
本日は午前中が曇時々晴れとの予報なので
さっそく出掛ける。

北陸ではこの時期の晴れ間は貴重ですから

今日は主計町に行こう!
主計町と書いて「かずえまち」と呼ぶ。

浅野川沿いにあるこの町は全国で初めて旧町名を復活した町で金沢三茶屋街の一つ。
加賀藩士・富田主計(とだかずえ)の屋敷があったことに由来し、
重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。
作家五木寛之が愛する町としても有名。

浅野川大橋から見る主計町全景。


観光客の多くは近くのひがし茶屋街に行きますが、

     


こっちの主計町もいいですよ~


細い裏道がお気に入りです。


いい感じでしょ。


ここが、


小説の舞台ともなる暗がり坂。


あがってみよう。


階段の途中より不意に振り返ってみた。(小説風に・・・なんちって


階段上には神社があります。




暗がり坂から上り
あかり坂から下がる。

あかり坂です。


オイラはむしろこっちの方が好きだったりする。


あかり坂の名付け親は五木寛之さんである。


いい感じなんだよねぇ。


こういった狭い路がいいんです。





さて表通りに出てみる。


あれ、

葉っぱの帽子をかぶった小さな雪だるま。

こっちはペアだね。


誰が作ったか、かわいい雪だるまが主計町を見ている。


しばらく歩くと緑水苑という公園に


ここには金沢城惣構の痕跡を見ることができる。


ふむふむ


なるほどね。


中ノ橋。


渡ると橋の欄干に


かわいらしい鳥たちが羽を休めていた。

それともチミ達も主計町を見ているのかな・・・
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仕事始めからの三連休うれし~(^^)/

2018年01月05日 20時44分35秒 | 【ヒゲ親父】出来事
今日は仕事始めでした。

か~ら~の~
明日から三連休!

マジうれしいです。
(^^)/

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ブラオイラ#238(石川県は嵐ファンの聖地?編)

2018年01月04日 21時38分04秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
本日は毎年恒例の白山比咩神社へ初参りして来ました。
「しらやまさん」の愛称で呼ばれるこの神社は、全国に2000社以上ある白山神社の総本社だ。


雪の中の社殿がきれいでした。


初参りはこの「しらやまさん」ですが、
今日はこの後、家族のリクエストから、
超アイドルグループの嵐に関する町と神社を巡りました。
┐(´ー`)┌ やれやれ・・・



まずは嵐町


はい、どん!


石川県小松市の山間部


田舎ですよ~。

バスは1日2~3本だけ

集落は数件のみ、


残念ながら寺社は無く、集落の突き当りは登山口のような感じ。


おそらくであるが、日本で嵐町と称する町名はここだけではないかな。
だってWEBで「嵐町」と検索してヒットするのはこの地だけですから、
ありそでなさそな嵐町、嵐山や嵐谷などは確認できたが嵐町はここしかない。
だからこの町ファンからすれば相当貴重だと思うが・・・。



次いで向かったのが、
松本神社
┐(´ー`)┌


はい、どん!





白山市松本町の村社でしょうね。


なかなか立派な神社でしたよ。


松本神社はきっと全国でも多くあるでしょう。
松本という地名は一般的ですからね。

まぁファンからすれば、本来の由来も奉っている神様もヘッタくれもないんでしょうが・・・

次に大野神社へ向おうとしたときに、
実家から連絡があり、この秋に大阪で結婚した姪が遊びに来ているというので急きょ向かうことになった。

そんなこんなで時間を費やし、
大野神社・・・いや
大野湊神社
向かったのは夜になりました。

はい、どん!


ここも白山さん同様に古いですよ~。
1300年とあります。

金沢市寺中町にあります。

暗くなったけど入れるかな・・・


うむ・・


おぉ


リーダー・・・(なんちって


・・・というわけで、

嵐町、松本神社、大野湊神社と周ったわけでが、

カミさん曰く、石川県には能登に二宮神社があるといっていた。


帰って調べてみると、
天日陰比咩神社(二宮神社)のことであり、石川県鹿島郡中能登町二宮にある。

(拝借

はは、これはいわゆる序列を表す二ノ宮のことで、
能登の一ノ宮が気多大社であり二ノ宮が天日陰比咩神社ということ。

加賀でいうなら、一ノ宮が白山比咩神社で、
二ノ宮は加賀市にある菅生石部神社(すごういそべじんじゃ)となる。

注:他に能登二ノ宮には伊須流岐比古神社、加賀二ノ宮に小濱神社もある。

桜井神社や相葉神社は県内にはない。

でも石川県には嵐グループに関わる場所がそれなりにあるということですね。
まぁ聖地というまでにはならないか・・・
┐(´ー`)┌
・・・おしまい。
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ブラオイラ#237(重伝建加賀東谷、驚愕人物生誕地編)

2018年01月03日 15時00分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
重要伝統的建造物群保存地区が日本一多いのは石川県と紹介した。

以下の8か所で、
金沢市東山ひがし 茶屋町
金沢市主計町 茶屋町
金沢市卯辰山麓 寺町
金沢市寺町台 寺町
輪島市黒島地区 船主集落
加賀市加賀橋立 船主集落
加賀市加賀東谷 山村集落
白山市白峰 山村・養蚕集落

次いで京都及び長野の7か所が続く、
北陸では富山が4か所、福井が2か所である。

その県内8か所のうち加賀市の東谷地区だけはまだ訪れていないと思っていた。
(実はその地区を行ってはいたが無意識に通過だけしていたことが判明


正月休みに家でゴロゴロしてるのが苦痛なので行ってくるか。

そっれ~


国道8号線から加賀市に入り、左折して39号線に入ると、
動橋川(いぶりばしがわ)に沿って走り山間部を目指すことになる。


途中にキモイ木が目に入ったので思わずパシャリ

なんじゃいありゃ

動橋川も幅が狭くなってきた。


水が冷たそうだね。


気付けば、重伝建東谷地区に入っていた。


なるほど、たしかに古そうな集落だ。


家屋も古そうですね。


案内板がありました。


荒谷神社


正月モード。


雪も降ってきたね。


ん!?


これは、ここか・・・


日本一のオオサンショウウオと書いてある。


そう、ここには日本一(実は2番目くらい)の大きさを誇る
国の特別天然記念物のオオサンショウウオがいるのです

そうそうここ、ここ


石川県内水面水産センターです。

湖沼河川の水産生物に関する調査研究と淡水魚の種苗生産・配布を行っています

ここには・・・


あの国の特別天然記念物の・・・


最長クラスのオオサンショウウオがいるのだー!!!

すごくね!すごくね!

いるいる!


元気にやってるか!


2012年計測で136㎝。6年経つ今はどれくらいだろうか?

日本一の150.5㎝に迫っているのかな?

ちなみに・・・
石川県ではオオサンショウウオは自然生息していません(主に関西中国地方)
県内4か所から捕獲とありますが、おそらく県外から持ち込まれ川などに捨てられたのを捕獲したといわれてます。

ここまで成長したのなら日本一の大きさを目指してもらいたいものです。

荒谷集落から、もう少し進んで今立町集落に来ました。


ここも古い家並みがあります。


カフェなんかも最近できたのかな。


雪もまだ深くはありません。


おっ!


う~む、読めないねぇ

道・・路・・・あとは無理か。



案内板を見る。


ふむふむ


この2か所は行ってみよう。

「新保の池」と「三界墓」

よし、90Mなら近い。





エッヘン長靴なのだ!


んん・・・ここ入るのかな?


新保の池がわからない・・・


そうこう探しているうちに、
まさかの石碑が入ってくる。

ん!?


なにー!!!

辻政信生誕の地だとー!!!

あまり馴染みのない名前だと思うが、
辻政信といえば、先の大戦でA級戦犯中のA級戦犯と言われた男ではないかー!

こんな人がここで生まれた!?


知らなかった・・・。

歴史好き&地元好きの男としてはまさかの失態である。

まぁ辻政信については、いずれ、ひと記事設けよう・・・

(しばらく動揺が続いた・・・新保の池などどうでもよくなったわい)

結局、池は見つからず次の場所を目指す。
「三界墓」だ。

墓場の隅に立っていた。


ふむ

「三界墓(さんかいはか)」天保8年(1837年)に大飢饉があって当時の今立村53戸のうち半数近い26戸の村人が餓死した。
その供養の為、嘉永2年(1849年)に三界墓が建立された。
村が全滅寸前の頃もあったということですね。


しばらく進み、

道路横に鎮座していたお地蔵さんに合唱してこの地を去りました。
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ブラオイラ#236(街道をゆく②津幡編)

2018年01月02日 16時19分00秒 | 【ヒゲ親父】ブラオイラ
天気はイマイチだったけど
今日の午前中にサクサクっと行って来ました。

正月だけど関係ないね

(通称、味方の本

前回、倶利伽羅からの続きです。


竹橋から


旧北陸道(北国街道)は、
IRいしかわ線のガード下に続きます。


では

低くて狭い

うむ。


ココです。

道はないが・・・

向こうに見えるあの道につながるのであろう。


ただ・・・

この上に伸びる道は明らかに新しいルートなので、
ひょっとすると旧道はこの左脇に逸れて走っていたのかもしれません。

運動公園の中を通り、


運動公園を抜けてから、


工場横を通過。


ココです。


丘の上を走ってましたがこれより下がって集落に出ます。


ここには、


村社八幡神社がありました。


左手の津幡川に最接近するこのあたりに、


かって一里塚があったとあります。


一里塚・・・
いちりづかは、旅行者の目印として街道の側に1里(約4キロ)毎に設置した塚(土盛り)である。
塚の側に榎などの木を植えたり標識を立てたりしていた。
残念だが旧北陸道で石川県内の一里塚はほとんど現存していない。

雰囲気のいい小橋があったので思わずパシャリ


津幡川の支流かな


このあたり杉瀬と呼ばれ、かっては津幡川の水運で栄えたらしい。

しばらくいくと踏切があって。


すぐ近くに駅。


中津幡駅、無人駅です。


ややこしいが、こちらはJRの七尾線。
北陸新幹線金沢開業に伴いIRいしかわ鉄道が開設され、県内でのJR線は金沢駅以西と津幡からの七尾線となる。



旧北陸道は、津幡の街中に入りました。


商店街を通過。


津幡は交通の要所でありました。
あの味方の本には、
能州往還道とともいわれた能登街道との分岐点でもあった。

細っ!


そして、この交差点で直角に左折!


カクン!


ちなみにこの交差点は四つ角だって。


ココですな。


この近くに津幡城がありました。


ふむふむ


城跡から先ほどの交差点を見る。


あそこです。


交差点を左折するとすぐさま川に橋が。


おやど通り


なにか由来が書かれてるんだろうが、古すぎて読めない・・・


味方の本には、
江戸時代から橋がかかっていた津幡川を渡る。江戸時代、左岸に本陣が置かれていた所である。
とあるから、この石標は本陣跡を記しているのだろう。

川沿いに大きなお寺があります。


・・・


この道を真っ直ぐ進みます。


ありゃ雪が降ってきた


やはり旧道というのはしっかりと雰囲気が残っているものです。



北中条


太田


こういうのを見つけるのが重要です。

街道沿いのお地蔵さん。

そのうち行くと視界がパッと開けました。


街道は金沢に入ります。


今回はこれだけ進んだことになります。


次回の森本編につづく。
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ながら×5(ファイブ)

2018年01月02日 13時19分37秒 | 【ヒゲ親父】出来事
正月2日目の今日の午後は、
のんびりと過ごすつもり。

ながら、ながらの
ながらファイブ!

まずテレビの箱根駅伝を耳で聞きながら・・・


もらいもののビールを飲みながら・・・


肴にお餅を焼いて食べながら・・・


ビデオ「沈黙-サイレンス-」をPCで小さめのウインドウで見ながら・・・


午前中に撮ってきた画像をもってブログを打つ


あぁ・・・
至福のひとときである。

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ビールと共に・・・

2018年01月01日 23時05分14秒 | 【ヒゲ親父】出来事
やっぱり今年もオイラはビールと共にあるんでしょうね。


9工場の一番搾り飲みくらべセットか・・・


キリン工場といえば、石川県にはひとつ悲しい出来事が、

以前、白山市にキリンビール北陸工場がありました。
その工場見学に行くと、生ビールが飲めてオイラのお気に入りの場所だったけど、
なぜか撤退されたのです。

皮肉なことに、当時キリンビール工場は白山市旭丘(あさひがおか)にあった。
よりによってアサヒとは・・・

あぁ懐かしい風景

(拝借

今年もビール、何本飲むんかな・・・。
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2018年ファースト投稿!

2018年01月01日 22時08分32秒 | 【ヒゲ親父】思考日記
2018年スタートしました。

今年もきっといろいろあるはずです。
いやきっと大変な一年になると思います。

まずなんといっても世界情勢、とりわけ東アジア情勢です。
朝鮮半島は事があるはずです。

国内にいたっては、災害が心配です。
なにやら大災害の予感もしないともかぎりません。

個人的にはいよいよい40代最後の歳になります。
正直言うと50の壁に恐怖すら感じます。

昨年はありがたいことに健康で一年過ごせました。
たった一度の病院にも行かなくてすみました。
今年はぜひそうありたいものです。
何といっても健康第一ですから。

なにはともあれ、
今年一年ワンダフルな年にしましょう。

乾杯!(なんでやねん!

今年もよろしくお願いします。
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