暁に咲く幻の花

花が咲くように生きていきたいな。日々のあれこれ、嬉しいこと楽しいこと好きな人のことを、花や自然にことよせて綴ります。

怖くない不思議な話 生命のランプ

2015-12-02 22:13:03 | シンガーソングライター
こんばんは。
久しぶりに怖くない不思議な話。

生命のランプ 
人間の寿命を表すランプが存在するそうです。
どこか人気のない荒野の中に、人間の名前を刻んだランプが燃えていて、その炎が燃え尽きた時、その人間の命もなくなる。



魔と契約した人間にだけ、魔はランプの場所を教えるそうです。
契約をした人間は、近親者やあるいは自分が知りたい友人や恋人の寿命を知ることが出来ます。

この生命のランプは、中国から日本にも伝わってきて落語の「死神」
に似た話があります。
ランプでなく 命の蝋燭 です。
「死神」では、蝋燭が短い、つまり自分の寿命がもう無いことがわかると、こっそり蝋燭を継ぎ足して寿命を延ばすことが出来ました。



生命のランプにはそれは出来ないのです。
魔と契約した者でも、自分のランプだけは見ることが出来ないからです。
悪魔にも「契約を交わした人間の寿命だけは、教える権限を持たない」からだそうです。
魔以上の至高の存在を暗示する、いかにもキリスト教文化圏の説話ですね。
魔と契約した人間も寿命を見ることは出来ても延ばすことは無理だったのでしょうね。
近々恋人が死ぬかも知れないことを知っても、どうにも出来ない運命なら見なかった方が良いのではないでしょうか?
結局、キリスト教文化圏では生命を定める者が神であり、魔であろうと天使であろうと何人も関与出来ない。
生命と魂を司るのは神だと教えているのでしょう。



日本は唯一の至高神はいないので、そういう概念は育たなかったんですね。(天照大御神は最高神ですが、至高神ではありません)

生命のランプには手は届きませんが、命の蝋燭には手が届きそうですね。
ですが、人間の寿命を人間が関与するのは私は怖いのです。
医療の発展によって、ランプの炎も蝋燭の炎もすぐに燃え尽きてしまうことはなくなってきてます。
それは、医師や科学者たちのたゆまぬ研鑚の賜物です。

特に幼児や若い人が難病で苦しんだり、臓器移植が出来なくて亡くなったりしない未来を祈ってます。
もちろん、私の近親者が事故や病で現代医療で、ランプや蝋燭が燃え尽きないのなら、あらゆることを惜しみません。

ですが 私自身は。
生命のランプであれ、命の蝋燭であれ、燃え尽きるなら、その運命に逆らうことはしないでしょう。
私は現代医療を使ったことがある人間です。
一度自然に挑んで、とにかく私は目的を果たしランプなり蝋燭を手に入れたのです。
これで最後。
私は私自身のために、延命はしないでしょうね。
後悔はないので、私なりのケジメでしょうか。

生命 この不可侵である存在。
人間は生命の神秘を解き明かし、自分は何か知りたがっています。
そして生命の神秘の次は宇宙の真理です。
人間を作るメカニズムはわかっていても、人間をつくることは、男女の交わりの他はないのです。
1番原始的で大切なこと。
人間はお互いの愛から生まれるからこそ尊いのです。
不妊治療で出来たっていい。根本に愛があるのだから。

どうか、人間が生命のランプをむやみに扱わない、命の蝋燭を勝手に短くしたり、長くする世の中にならないように願います。
ましてや、魔でさえ契約者の寿命を見せてはならない掟を人間が勝手に見れるような、しかも一部の権力者や富裕層がお金にあかせて、自分や他人の生命を弄ぶような世界にならないように。
そんな世界ならいらない。

誰もが幸せになれないからこそ、人は足掻くのだと思います。
その努力こそ尊いと思います。
無駄かもしれない、でも叶えたい夢に果敢に挑戦する姿に感動します。
花は散るからこそ美しく、この世には美しいものが永遠ではない。
美しい花は心の中に咲くのです。
誰にも見えない貴方、貴女だけの花が。
幻の花は生命の花です。
一生懸命生きて、美しい花を咲かせたいですね。








読んでくださり、ありがとうございます。
では、また。

参考文献
新潮選書 『「魔の世界』 那谷敏郎