お多福 満腹 大福帳

金沢でお芝居にかかわっています。
今かかわっている舞台などの情報や、お芝居についての思いなど書いていきます

劇団四季「異国の丘」を観てきました

2006年10月04日 | 観劇レポート
久々の劇団四季観劇でした。
正確な年数は覚えていないのですが、ひょっとしたら10数年ぶりのような気がします。

10代の時に見た「コーラスライン」。
多分初演だったと思います。
前田美波里さんが出ていたのですから。
もう、それが素晴らしくて終演後、あまりの感激に椅子からたちあがれませんでした。
自分が芝居をしているというのが恥ずかしくなるような、
そんな舞台でした。
その後、立て続けに四季を見つづけていた時期がありました。
コーラスラインも再演のたび、3度ほど観劇したのですが、
観るたびに、初めて見たときの感激の度合いから下がっていくのが悲しくなり、
観るのをやめてしまいました。

芝居というのは、そのときの自分のおかれていた境遇やその日の自分の体調、
観るときの環境、など様々なことに影響されて
面白かったり面白くなかったりするものだと思います。
あの、初めてコーラスラインを観た日を超える日は、もう2度とないのかもしれません。

で、異国の丘です。
大変良い席で観ることができ、開演前からわくわくしていました。
幕があがり、紗幕に描かれたシベリアの大地の白樺の木越しに
捕虜となった男たちが浮かびあがり、荘厳なコーラスがはじまりました。
素晴らしい歌声です。
圧倒的な声量と、声の厚み、深み、表現力。
さすがだなぁと感心していました。
ところが。
歌が終わり、台詞のやりとりがはじまって私はとまどいました。

独特の台詞まわしに面食らってしまったのです。
もしかして、外国人の役?
日本語が不自由という設定?
でも、九州弁や関西弁を話しているので、それは違うようです。
一部の人だけの特徴かと思えば、舞台にいる全員が同じ喋り方をするのです。

たしかにとても明瞭な発声。
全員がもの凄くいい声です。
でも、全ての言葉に力をいれ、母音をやたらめったらはっきり発音し、
距離感もへったくれもないやりとり。
え?
こんなんだったっけ?
あ、きっとシベリアの雪原で話しをしている設定だからかなと無理やり納得しようとしたのですが、
舞台が過去にさかのぼり、アメリカのパーティー会場に移っても、
全く同じだったので
あ、これが四季のミュージカルの台詞なんだと理解しました。

いつからこんなふうになったのかは知らないけれど、
正直度肝を抜かれました。

歌もダンスも、本当にすごいです。
素晴らしいです。
でも、台詞のやりとりになると、私はどうしても感情移入できなくなり、
思考が停止してしまいます。
これは、こういうスタイルなんだ。
こういうものなんだ。
と言い聞かせても、受け入れることができませんでした。

台詞のやりとりをいっさいせずに、全て歌とダンスだけで表現してくれれば、
おそらく感動したのではないかと思います。

もちろん、人の好みはそれぞれです。
あれがいいのよっ!とおっしゃる人もいるのでしょう。
でも、私はダメでした。

そして、これも仕方のないことなのかもしれませんが、
全ての情報を台詞で説明しているのも聞いていて厳しかったです。
絶対、そんなこと口に出して言わんだろうと説明台詞につっこみたくなるのです。

戦争はいけない。
戦争でたくさんの人がなくなった。
人の命の尊さを考えよう。

まったくおっしゃるとおり。
一部の隙もない、テーマのお芝居です。
でも、それを真っ向からあの台詞まわしと発声法で長時間に渡って訴えられると、
ごめんなさい、疲れました。

今度、四季を観るときは底抜けに明るいダンスと歌だけでつづるブロードウェーミュージカルにしたいです。